陽子の一日

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163819204

作品紹介・あらすじ

陽子、60歳。もう先端医療の現場からは離れた。研修医を介して彼女に送られた-過疎の村での終末期医療に疲れた元同僚、黒田の病歴要約が意味するものとは?丁寧に生きようとするひとたちを描ききる、深く静かな物語。

感想・レビュー・書評

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  • 南木さんの作品で女性が主人公なんて珍しい、と思ったらこの本の主人公の陽子はデビュー作で描いた人物のようだ。
    数十年の時を経て同じ女性のその後に光を当てるなんて!
    ベテランの作家だからこそできる技だ。

    いつもの通り、臼田町(今は合併しているのか?)にある佐久総合病院が舞台になっている。
    そこへ勤務する還暦を過ぎた陽子と、一人の青年を通じて語られる元同僚の黒田の二人の生きざまが淡々と流れるように描かれている。

    本の厚さ自体は大したことない。さらっと読める。
    でもその中には一つではまとめられない様々な事が語られ、読み終わった後の満足度は非常に高い。
    老いて行く事、医療現場の実情、過疎地域での隠れた悪意。
    長年信州に住み医師として働き続ける南木さんだからこそ、過剰でもなく不足する事もなくリアルな生活を映し出している。

    陽子の住む家の近くの神社、病院へと渡る橋。
    雄大に迫る八ヶ岳と浅間山。
    夜には輝く満天の星。
    南木さんの作品を読むといつもの事だが、あの懐かしい空気を吸いに行ってみたくなった。

  • 読書は再会である。
    書店歩きを無上の悦びとする私は、未知の本との「おや」という出会いがたまらなく好きだ。その未知との出会いが、ぱらぱらと立ち読みするうちに目に飛び込んできたものが、既知の懐かしい人であったり土地の記憶だったりすると、もう駄目である。
    気づくと、「お支払いは一括でよろしいですか?」と店員さんに問われている。無意識のうちにレジに進みカードを差し出していた。そんなことが多い。

    この一冊。
    帯の数行のコピーを読んだだけで、60歳の老女医が何かを振り返る1日を描いた物語であり、終末医療や過疎地医療のテーマも盛り込まれていることがわかる。
    マットな白の表紙に黒々と細い活字で『陽子の1日』とある。その題字の黒より1段階淡いグレーで著者の名前が、さらにもう1段淡い優しく柔らかいグレーで、あたかも「今日一日私は疲れた」という風情でソファーの背もたれにもたれて目を閉じる、端正な顔立ちの女性が描かれている。白衣の襟を立て、疲れて仮眠しているように見えた。
    それだけで、「おや」と思った。

    この素敵な装画は誰の手によるものだろう。そう想って表紙の裏を見た。
    《装画 松本俊介「女」(大川美術館蔵)》とある。
    松本俊介にこんな線画があったのか。よく見れば描かれているあか抜けた西洋人似の佳人は彼が常にモデルにした奥さんに相違ない。まずはこの小さな再会劇に私はかすかに鳥肌を立てた。

    南木という著者名は読み方も解らず、初めて読む作家だと思った。
    だが、著者略歴の「佐久市在住、医師」との記述に「まさかあの」と呼び覚まされた記憶があった。
    小説に限ると、40歳をすぎてから唐突に読書人になった私の読書歴は浅い。それ以前は、仕事や勉強に関連する実用書、学術書以外は一切読まなかった。
    『信州に上医あり』を読んだのは30代の中頃で、長野県佐久市にある佐久総合病院の創設者の伝記的ノンフィクションで岩波新書の一冊だった。実用実利の明確な目的でしか本を読まなかった頃の私が、なぜこの一冊を選んだのか定かな記憶はない。
    だが、幾つか思い当たるものはある。
    ○若月俊一という本邦における農村医療の先駆者に興味を持った。
    ○当時流行だった田舎暮らしと新幹線通勤にあこがれ、開通直後の上越新幹線の佐久平駅周辺の土地を物色してみた時期があった。そこにあった僻地に不似合いな大きな病院が佐久総合病院だった。
    ○当時の佐久市長は医師出身の変わり種で、偶然にも母の昔の上司だった。実家には三浦というその市長から毎年年賀状が届いていた。あるプロジェクトのためつてを求めて市長に面談の機会を窺っていた私は、面談時の話題の種として読んだ。
    記憶は定かではないが、営業マンとして最もギラギラしていた時分の私の状況から察するに、そんな様な実利的な目的があったのだろうと推察できる。

    実際には、田舎暮らしは一時の空想に終わり、市長との面談も具体的には申し入れもしないで終わった。
    だが、そのとき読んだ『信州に上医あり』に思いがけず感銘を受けた私は、「こんないい本があるんですよ」と知人のH医師に薦めた。このことの方ははっきり記憶がある。
    H医師は私と同じ年で、家内が教授秘書をしていた頃の研究医の一人だった。
    医者になるぐらいの人は才能豊かな人が多い。
    H医師、というよりいつも下の名前から「Aちゃん」と呼ばせてもらっていた彼も才気溢れる人だった。
    他人の経歴を細々ここで書くのは憚られるので簡単にしか言えないが、田舎には極めてまれなエリート一家に生まれ、自身も学業では何十年に一人の秀才といわれたばかりか、源氏物語を味わい尽くす粋人でもあった。
    私は、彼が一時の赴任地のはずで転出した山奥の市民病院から、いろいろなどろどろした人脈の事情から、医学部には戻ることを止め、赴任地の看護師と結婚し、その田舎町に開業することになったと知らされたとき、人事なのに、なぜだか悔しくて涙を流した。
    他人の勝手な思いだし、田舎の人には申し訳ない考えだけれども、彼の才能はそんな田舎医者で終わらせていいもんじゃない、そう思えた。
    なのに、Aちゃんは、私の目からは田舎の人たちのエゴにしか見えない「期待」にも応えないではいられないそんな男だった。

    そのAちゃんに、「これはいい本なんですよ」と薦めたのが『信州に上医あり』だった。
    農民医療のパイオニアだった若月俊一の半生記である、ということはもちろん薦めた一つの理由ではあった。
    だが、それを書いたのが佐久総合病院の勤務医で芥川賞作家の南木という医師だったことも理由の一つだったかもしれない。

    先日十年ぶりくらいで再会したAちゃんは、すっかり頭は薄くなり肌も乾いていて同い年なのに私よりずっと老けて見えた。
    この人が居たことで、地元の人たちも家族も皆どれほど幸せだったことだろうかと思う。
    だが、周りの人たちを幸せにしたAちゃん自身の人生は幸せだったのだろうか。やっぱり、そう思えてならない。

    60歳を迎えた男女の老医師2人が、患者から見た先生ではなくて、生身の職業人であり生活者としての医者人生を振り返るような一冊がこの『陽子の1日』である。
    医者の人生とはこんなにも過酷で、医者の懊悩とはこんなにも深いのかというのを思い知らせてくれて私には間違いなく「いい本」だった。

    だが、もう一度Aちゃんに、
    「これいい本ですよ」
    と薦めることは、辛すぎてできない。

  • 還暦を迎えた内科医、陽子の生活を記した物語。
    患者やその家族と向き合う姿や、日々の淡々とした暮らしの中に、仕事に対する誠実さが見えてくるのが好印象だった。基本に戻る姿勢は、単純だけど一番大事なことじゃないかなと思う。
    歳を取るのも悪くないとしみじみ思うような、年月がもたらす味わいを愛するような本だった。

  • 陽子さん、かっこいい。「破水」読みたい。

  • 還暦を過ぎた一人の女性、
    病院で医師として働く陽子さんの一日を
    朝から夜までドキュメントのように追ったお話です。

    陽子さんの一日を追うと、
    陽子さんの生きてきた一生がわかってしまうという
    とても面白いお話。
    それだけでなく、陽子さんの元同僚である男性の一生も
    同時にわかってしまうというお得な(?)物語です。

    そういえば、同じ作者の小説で『阿弥陀堂だより』という物語があるのですが
    この小説が原作の映画が大好きで何度も何度も見ているのですが
    いつも途中で寝てしまって、
    実はまだ最後まで見たことがありません。。。
    大好きな映画なのにどうしてなんだろうか。

  • 還暦を迎えた女医陽子の一日.
    ごく普通の一日の中に,彼女のそれまでの人生,かつて同僚だった男性医師の病歴要約の形の半生記が織り込まれる.
    相変わらず静かで何も起こらない小説なんだけれど,読んだ後,気持ちが少しきれいになる気がする.

  • 【医療とは何か、人間とは何かを根底から問う】還暦を迎えた女医陽子。もはや先端医療の担い手ではない彼女は元同僚の病歴を読みながら、自身の半生をある思いと共に回想する。

  • 還暦の独身女医は、ほとんど作者の分身だろう。ある意味で姨捨山的な人間ドック担当医で、子育ても終わり一人暮しも長い。陽子の「一日」は、行為としてはきわめてシンプルなのに、頭の中では様々な記憶と回想、そして目の前の状況とシンクロするのだ。年齢を重ねることで人間は味わい深くなる。

  • 還暦間近かの女医陽子のところに届いた病歴要約は彼女の先輩医師黒田のものだった。それを送ってくるのは彼女の元で研修医をしていた桑原。陽子の人生と黒田の人生、そして桑原や陽子の若き後輩女医だった佐野の今が淡々と、でも繊細なタッチで描かれている。おもな登場人物はこれだけであるが生きていく重さみたいなものが粛々と伝わってくる気がした。それは決して暗いものではない。深いというか・・・。医療現場の医者の目線(著者は医師)の文章はいろいろな病気の話、治療の話など書かれているけれど小難しいものでなくそういうものなのかと腹に入るような、小説として充分堪能しながら読めた。

    人生の終末期、よい言葉がみつからないけど、ジタバタすることなく(そういう環境になったとしても)美しく終えたいと思う。

    陽子と佐野の会話で「大草原の小さな家」の話が出てくる。そうそうそなのよね、と懐かしく思いました。

    著者の「エチオピアからの手紙」が同じ主人公の若い時のものとのこと。読みたい。

  • 還暦を迎えた女医・陽子は送られてきた元同僚・黒田の病歴要約を読む。「黒田の病歴というか、生い立ちの記みたいなものだ」陽子の静かな日々、黒田の病歴の生々しい描写が良い加減で書かれているため、心静かに読み進める事が出来る。とても贅沢な一冊。

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著者プロフィール

南木佳士(なぎ けいし)
1951年、群馬県に生まれる。東京都立国立高等学校、秋田大学医学部卒業。佐久総合病院に勤務し、現在、長野県佐久市に住む。1981年、内科医として難民救援医療団に加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で「破水」の第五十三回文學界新人賞受賞を知る。1989年「ダイヤモンドダスト」で第百回芥川賞受賞。2008年『草すべり その他の短篇』で第三十六回泉鏡花文学賞を、翌年、同作品で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。ほか主な作品に『阿弥陀堂だより』、『医学生』、『山中静夫氏の尊厳死』、『海へ』、『冬物語』、『トラや』などがある。とりわけ『阿弥陀堂だより』は映画化され静かなブームを巻き起こしたが、『山中静夫氏の尊厳死』もまた映画化され、2020年2月より全国の映画館で上映中。

「2020年 『根に帰る落葉は』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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