色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

著者 :
  • 文藝春秋 (2013年4月12日発売)
3.63
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本棚登録 : 14096
レビュー : 2269
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163821108

感想・レビュー・書評

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  • 小説に本格的にはまる前に読んだ本。何が面白いのかうまく説明できませんが、とにかく面白かったのを覚えています。読んでいて、とても不思議な感動を覚えました。小説の舞台に、世界観に、引き込まれ、全身に染み渡ってくるような(私、何言ってるんでしょうね)。

  • 多崎つくる・・・他人から見えているであろう自分・自分はこういう人間だと思い込んでいる自分、その両方に自信が持てずに生きてきた若者。学生時代に経験した痛手も引きずっている。そんな彼が思いを寄せた女性のアドバイスをきっかけにその痛手と向き合う旅に出かける。。 1人の女性がキーパーソンなのかな・・?自分が知らない自分を見つけ出してくれる存在。過去を紐解く道程を経て、彼は色彩を持たない自分というものが少なからず好意的に捕らえられるようになり、彼女への心の変化もその温度を増した。 村上春樹さんの最新作。分かり易いお話であるようで、ちょっと哲学的。喩えを使わせてもらえれば、へらで粘土細工をいじくりまわしながら、あら、いい感じに仕上がったわという感じです(笑) (3.2)

  • 2013/11/05読了

    購入したのはいいが読んでいない本代表である。
    連休を使って読了することができた。村上春樹作品はこれまでいくつか読み、また授業で詳しく考察することもあったので、さて今回のはどの様なものか、と思い、最新作のページをめくる。

    今作は春樹作品の中でいちばん面白かった。いや、面白かったというより、「納得することが出来た」作品だった。
    というのも、曖昧で微妙で問題の一部(それも、読者が知りたいと強く思う物事)を割と多く残し、森の中へと消えてしまう傾向がある春樹作品。しかし今回・・・今回こそ大きな謎(灰田のこと、シロは誰に殺されたのかということ)は明らかになっていないが、私にとってそれは大きな問題ではなかった。
    というのも、作品の要は、つくるの心や自我に常にピントがあてられていて、そこからブレることがなかったからだ。

    春樹作品の多くは、ふたつの視点が別々の物事を見つめて、それがある一つの問題を持ち、それを軸に集約していく、というケースが多い。そこに伏線が幾つもちりばめられていて、それが上手く回収されないことがよくある。
    伏線の内容はともかく、ふたつの視点ということで、意味や考察ポイントが多数生じて混乱するから、それが、謎なのかそうでないかなどで読了後に納得できず、モヤモヤとしたものを残すことが多かったのだ。
    その点、つくるの物語は一視点で目的がしっかりとしている。
    不安な点や謎、放置された伏線はもちろん(・・・というべきだろうか?)あるが、わりかし読了後はすっとした気持ちになれた。
    読了後の印象である。

    本作は、駅を作ることを仕事としている多崎つくるが、高校時代の友人だった人物を訪ねてまわる、というもの。
    高校、大学と、大切にしていた友達というものが破綻してしまう絶望からの再生、というのをテーマにしているように感じた。
    彼は目に見える色彩(名前など)は持たず、自身に色は無いと言っているが、実は自分が思っている以上に人間味に満ちている(カラフル)のである。自分に自信を持てよ!ってことかな?

    救いというか、読んでいく中で「圧倒的な拒絶」が無いのがひとつの安心だった。彼を拒んだ16年前は恐らく4人とも心から拒絶したいわけではなかったのだろう。完璧で、均衡の取れた五角形。だがあまりにも完璧過ぎる上に、それをキープしようとある種の緊張があった。シロはそれが苦手だったし、耐えることができなかった。色と場所の綻び(つまり、つくる)を切り、やむなく、残りのメンバーも無色を信じていつつも「白」に同調せざるを得なかったのだ。
    黒でも赤でも青でもなく、白。シロは本当は何があったのか、どうしてああなったのか、そして死んでしまったのか、それはわからない。
    そして灰田のことも。
    だが、彼女らが完全につくるを裏切ったとは考えにくいのだ。
    36歳になり再会した他のメンバーは彼を信じ、認め、本心を打ち明けた。そこには大人としての彼らがいたし、過去としての物事として、客観的に事件を見ることができるようになっていた。
    それもあって、「許し」の上にあるこの作品は、本題の核の部分が謎であっても、なんだか、許せるのだと思う。
    読者が、作者を。

    というのは、さておき
    これは読者の年齢層によっても、だいぶ印象が変わる作品だというのは言うまでも無いだろう。
    大学生、社会人。高校生はかなり印象が違うかもしれないね。
    だから私がいま、この時期に読むことが出来たのは幸運だと思う。
    過去にグループや友達がいたかどうかも関わってくることだろう。時間をおいて再読するのも、いいかもしれないね。

    うむ、書きたいことは色々あるけれど、上手く書けないな。
    心が落ち着いたときにでも追記したい。

    クロことエリを抱きしめるシーンはよかったなぁ
    穏やかで。
    死の暗い海を泳ぎきって、地上へ這い出てきたつくるをあたためるかがり火のようであった。
    人は変わる。でも、人の本質のようなものは変わらない。
    多崎つくるという一人の人間が、色を持ち、やがてひとりの大人の男として再生する。
    そんな物語でした。言葉にすると、ほんとうにタイトルを復唱するしかないのだけれど。よかった。色んな人(とくに大人)に読んで欲しいと思うよ。

  • こんな36歳の男が現実にいるのかと問われたら、まあまずいないだろうし、こんな男とこんな女のこんな会話(例「あなたの高校時代の四人のお友だちについて、その美しい共同体と、そこにあったケミストリーについて」)が現実にあるのかと問われたら、それもまずないだろう。
    だからこれは、たぶんリアリティを求める小説ではないのだろうと思う。

    私には共感出来ないことがたくさんある。
    まず、大学生の頃の出来事を、(いいオトナである)36歳まで引き摺るものだろうか?
    この性描写は必要なのだろうか?
    などである。

    レッド、ブルー、ホワイト、ブラックと色が出てくるとまず連想するのはポール・オースター「幽霊たち」であり、タランティーノ「レザボア・ドッグス」だが、直接の関係はないようだ。

    とても比喩が豊かな部分があるかと思うと(例「それに加えて小田急線と京王線という二つの私鉄線と、三本の地下鉄線がそれぞれ脇腹にプラグを差し込むような格好で接続している。)、肝心なところで陳腐(例「人生は複雑な楽譜のようだ、とつくるは思う)だったりもして、あれれ?と思う。

    本当にみんな共感して読んでいるのだろうか?
    「これは自分のことだ」と思いながら読んでいるのだろうか?

    どうも私にはしっくりこなかった。
    彼の作品の中でも、出来のいいほうの作品ではない、と思うのだが。

    36歳(いいオトナ)の、失われし青春時代の巡礼。
    「青春小説」なんだね。

  • 多崎つくるの人生の話であると同時に、読者の人生の話でもある
    恐らく誰もが経験したであろう疎外感やコンプレックス、拒絶を読んでいる時に思い出すはずだ
    そして大抵の人はその時に受けた傷を、そのままにしているのではないだろうか?
    傷ついた過去と向き合うのは容易じゃない
    つくるがそれをできたのは、手に入れなければ死んでしまうぐらい愛しい人と出会ったからだ
    そうした相手との出会いは間違いなく彼を傷つける
    しかし彼の人生に色を添える
    そうして人はようやく自分の人生を肯定し、生きることに全力で取り組めるのではないだろうか
    再生と前進、そして肯定
    その道筋を示してくれた

  • 「多崎つくる」はどこにでもいる、ごく一般的な主人公。
    大人になってからならまだしも、学生時代のまだ狭い人間関係で生きている時期に、ある日突然、理由もわからず、自分が大切にしている親密な友達グループから放り出されたら…ショックが大きくて、その心の傷は簡単には癒えないだろうなあ。

    16年も経ってしまったけれど、沙羅が背中を押してくれて、つくるが再びアオやアカ、クロ(エリ)と話をすることが出来て良かった。
    エリが別れ際に「君に欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい。君に必要なのはそれだけよ。」と言った。もし私がつくるだったら、この言葉にどれ程救われたことだろう?

    それにしても、灰田はその後どうしたのだろう? 
    灰田青年(灰田の父親)の緑川との不思議な体験は、何を意味しているのだろう?
    残念ながら、私には村上春樹の言わんとすることがぼんやりとしかわからない。
    最後、つくると沙羅はどうなったのだろう? これも気になる。

    とりあえず、誰のレビューも読まずに、私のレビューをあっさりめに書いてみました。このあと、皆さんのレビューを楽しみます。きっと、自分の浅はかな読書力を思い知ることになるでしょうが…。

  • 『僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。そのことがずっと昔から僕の抱えていた問題だった。僕はいつも自分を空っぽの容器みたいに感じてきた』

    村上春樹の小説を読んでいると、ここに書かれているのは自分のことかも知れないとの思いに駆られることがある。そんな筈はもちろんないので、それはいったいどういうことなのか、と訝しむ。ようやく、開かれたテキストという
    キーワードに行き当たる。そもそも読書は常に個人的な経験だけれども、誰にとってもその人に適した何かを返してくれるようなテキストというものには早々出会わない。

    小説家は「上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができる」と作家は言う。それはそうなのだろうと、何の考えもなしに肯く村上春樹に傾倒気味の自
    分がいる。しかしその言葉を真っ直ぐに読んだ時、作り話を現実にして見せるにはリアリズムが求められる、とも読めるのではとは思う。一方で、自分の中で村上春樹にリアリズムを求めている訳ではないことは明確だ。むしろ、村上春樹のテキストにはどこまでも二次元的な印象が強くその中立性のようなものが気に入ってもいる。それを現実味が乏しいと思ってしまう人もいるだろうとも思う。それでも自分は村上春樹のテキストの中に現実の色を強く感じる。いったい嘘を現実に見せるとはどういうことなのか。そこには人間の脳の癖が絡んでくるのではないかと思う。

    人の脳はごく複雑なものの中から単純化されたものを見て取る能力がある。そしてその単純化されたものの間に繋がり(相似)を見つけ出す癖がある。例えば何かと何かが似ている、というようなことを脳は始終考えているように感じる。だからたとえ私小説を読んだとしてもその中に自分を見い出す人はいるだろう。村上春樹のテキストの中に自分と似た何かを見つけ出すのは、だから、その意味では決して不思議なことではない、のかも知れないと思う。そんな風に考えていると、アナロジーという言葉がすぐに思い浮かぶのだが、これこそ人が始終やっている思考の中心だろうと、個人的には思っている。今、目の前にある問題をどう解決するかについて論理的な思考で考えることよりも、あるいは考えたいと感じていたとしても、実際には何処かで聞いた似たような事象の展開に思いを巡らせ、結論を出していることが多いと思うのである。本当の意味で何も無い真っ平らな空間の中で、つまり文脈には捕らえられないで、一つの事実から次の事実へと論理だけで物事を進めていることはほとんどないと思うのだ。そこに嘘を上手に潜り込ませる入り口があると思う。

    一方でまたここが面白いところだとも思うのだが、誰かと誰かが似ていると他人が言ったとしても、言われた方はきっぱりとそうだとは中々感じられない、ということもしばしば起こる。まさに感覚というものは十人十色なのだとも思う。だから、村上春樹のテキストの中に多かれ少なかれ自分自身を見い出してしまう余地があるのだ、と考えてみる。村上春樹のテキストにこれだけ多くの人が惹きつけられるというのは、作家の書く文章が非現実的な位に二次元的で中立的なことと関係があるのだろうと思うのだ。そしてそうであるからこそ、その物語の中に自分自身の問題を投影してしまう。であれば、物語にあまりに大団円的な結末がないのは必然だ。そんなもの誰の人生にもありはしない。出来ることは精々自身の問題を哲学的に捉えてみることくらいなものであり、村上春樹のテキストにはそこへ至る思考のスイッチのようなものがある。

    推理小説のような設定と一見ステレオタイプ的な人物の組み合わせ。そんな単純な人なんていないと思いながら、そこに自分の友達を当て嵌め主人公に自分を当て嵌める。そんな風に読むまいと思えば思うほどにその深みに嵌り、人生を振り返り人生の意味をいつの間にか問うている。読書がそのまま省察に繋がる体験、それが村上春樹を読むということなのだと思う。

  • 失うことが 物語を つくる。
    失うことは 痛みを 覚える。
    失うことは あやうさであることを知る。
    失うことで ヒトであることを認識する。

    何と、物語の舞台が、名古屋だった。
    名古屋が舞台という小説は、あまりないね。
    ふーん。
    どんな名古屋が出てくるのだろうと期待したが、
    一つの記号に過ぎなかった。

    読み終えた感じとして、文章が冗漫になっているなぁ。
    と感じた。直裁ではなく 風景と心の動きをえがくのに
    まだろっこしい 言葉が続く。
    そういう デコレイティブな言葉がはめ込まれている。
    ちょっと、その言葉の使い方に ムラカミハルキの老いを感じる。

    物語としては、軽い感覚なんですね。
    拒絶されて 死を意識したが 立ち直り
    36歳になって 初めて 拒絶されて理由を探そうとする。
    それは 次への新しい愛をつむぐために。

    夢にあらわれること。
    5人とは 5本指につながる。
    どうして、6本指があるのだろうか。

    この物語は 勢いのある思い込みと仮説の中で
    橋げたを 一生懸命つくろうとする。

    ムラカミハルキのテーマである 空っぽ
    ということに対して 答えが うまく出されている。
    珍しいことだ。
    心が空っぽから 容器が空っぽであってもいいという
    アナロジーで説明する。

    多崎つくる。自分の名前の重さを自覚しながら
    背負っていく オトコで、クールでたくましい。

  • 配分は減ったけど概念や比喩はいつも通り、サクっと女と寝るのもいつも通り。内容も期待ハズレどころかある意味で期待通り。

    レ○プ被害が実際にあってそれが原因とはいえ、また女性の精神メンタルネタかよ。死を遂げている点でも「ノルウェイの森ーパラレルー」って感じ。

    同窓会等で
    「オレら友達だよな」「あーそんな事もあったっけ」「まーガキの頃の事だしなー」
    と言い出すいじめ加害者側の厚顔無恥を想起して胸糞。
    実際は
    「あの時はあーするしかなかった」「こっちは地元に4人いるし君を切るのが手っ取り早い」「東京に一人で行った君なら強く生きていける」「君を切らなくてはならなかったこっちのがツラかった」
    などと自分勝手なの言い訳のオンパレードで業腹。

    いやー、なんだろう。破綻した理論展開されてんのに
    「ひっかかりがあって彼女と上手くいかないから真実を知りたいだけ」
    って淡々と話を聞けるつくる君もおかしいわ。これが本心の一つではあるだろうが、それよりも性格が一旦崩壊した後の時間経過ってのが大きい気がする。

    あと、村上作品読んでて思うのが、割り切ったセックスを是としてるように見えて仕方ない。
    婚約者のいる女が他の男と寝る、そして婚約直前に戻っていく、円満なお別れ、お幸せに~、とか。 
    彼女が他の誰と寝ても仕方ない、とか。
    ファッション性でおしゃれに見えている読者も多いかもしれないけど、どこか歪んでいる事を忘れてはいけないと毎回思う。

    曖昧にしすぎる事で作者が結局のトコロ何が言いたいのか分からなくなる。というか、読者に解釈の幅を持たせる事が狙ってやっているのか単に投げっぱなしなだけなのか。

    文章や比喩の上品さや読み易さはさすがですが、物語と価値観はまったく理解も同意も感情移入も出来ないのも想像通り。

  • 友達が面白くなかったと怒っていたので、逆に楽しみにしていたのだが、面白くない程度に面白く、つまらない程度に退屈だった。

    村上春樹はほとんど読んでいると思うけれど、読んで生きる力が湧いてきたとか、勉強になったとか、新しい力に目覚めたとか、そういうことが起きたことはない。というか、ストーリーをひとっつも覚えていない。ストーリーを語る作家じゃないから当たり前なんだけど。音楽に似てて、読んでいるその一瞬の印象を楽しむかどうかでしかない。まあ、文学って本来、そういうものだと思うけど。

    • nejidonさん
      はじめまして。
      フォローとお気に入り、ありがとうございます。
      面白いレビューがたくさんあって、どれにしようかと楽しく悩みましたが、この一冊に...
      はじめまして。
      フォローとお気に入り、ありがとうございます。
      面白いレビューがたくさんあって、どれにしようかと楽しく悩みましたが、この一冊にします。
      ブクログ上では、この方の人気があるようですが、ただの一度も楽しんで読めたためしがありません。
      それどころか、あまりの無意味さに放り出したくなります。
      kiwiさんのレビューを読んで、ああこんな風に載せても良いのだと納得しました。
      また面白い本に出会ったら教えてくださいね。
      こちらからも、リフォローさせていただきます。
      2013/07/23
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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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