- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163878706
感想・レビュー・書評
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同棲する男女の「犬も食わない」喧嘩と仲直りとうだうだ?を描いた物語。男女それぞれの視点でのある意味自分勝手な主張が面白いんだけれども、ときどきイラっとさせられたりもしました。
とくに女性のほうには、まあ同性だからというのもあるのかもしれないのですが、「そんな自分勝手な」とイライラさせられることが多くて、あまり正直言って物語として楽しみきれませんでした。好きという気持ちがすべての事情や理屈、社会常識さえも凌駕しているということは、イイ歳した大人の女性のありかたとして、ちょっとどうよ、と思ってしまいます。
最後もどこかあらあらというあっけなさで、それでいいのか男のほう、とツッコミたくなりましたが…男女のつながりは、人に判断しきれない不可思議さがあるものですよね、たぶん。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
男女の恋愛観の違い、結婚観のズレ。
自然に、とてもスムーズに、そうそれが一番理想なのだけれども、どうにもままならない。
「まだ愛は生きている。瀕死の愛の微弱な反応。先生、まだ脈があります。結婚という電気ショックなら…だめだ、その電気ショックには患者が拒絶反応をしめす。」
このくだりがもう最高。
瀕死な愛を繋ぎとめる方法は、結婚かそれとも離別か。 -
綿矢りさの小説が好きと改めて思いました。
描写が綿矢りさしかできない文がたくさんあって、ほほうと唸らせてくれる。
「ありもしない木のささくれを、手の平が想像している。果芯のように細い柱。私たちは日の経ったりんごのなかで、黒い種になり向かい合いながら暮らしている」
情景描写ともに心理描写がしょっぱなからグハっときて、わくわくしながら読み始めました。
奈世ちゃん26歳で似た年頃なので、わかる。。。うんうん。
綿矢りさで男性一人称って初めて?
奈世ちゃんとゆずるくんと語りが変わるたびに、奈世ちゃん饒舌だなあと思った。
しょうがの味は熱いの終わり方すごく好きだったので、自然に、とてもスムーズに始まんなくていいよ、って思ったけど、こちらもよかった。
わたしも結婚すれば今の問題が解決すると妙に結婚が魔法のようなものだと思ってるふしがあるので、違うのだよな〜思わされました。
個人的には奈世ちゃんとお父さんの会話が好きでした。
「奈世がしょうがないところばっかりじゃないか。そこが奈世の持ち味だ」とごはんを食べながら言うお父さんは素敵です。
将来そう言ってくれる人と自然に、とてもスムーズに結婚できたらいいなと思います。 -
今年に入ってからいくつかの綿矢さんの本を読みましたがこれはビミョー。
綿矢さんっぽいぐたぐた感は少なく、よくある結婚適齢のカップルの結婚感の違いを描く、と書くとあまりにざっくり過ぎるか。
みずみすしさ、とげとげしさが薄い感じ。ゴメンなさい。
私は既婚者だが、こんなに結婚は切実なもんでもなかったな。自然にでもスムーズでも無かったが。
意図的に、ジワリとでしょうかね。 -
いつの間にか、男性依存な妙齢の女性(あるいは、ライトなメンヘラ)を描くのがうまい作家になった綿矢りさ。本谷有希子に通ずるものがありますが、彼女の場合、一見普通だからこういうものを描いてしまうところが何とも恐ろしい。本作は連作短編、恋人と結婚に取り憑かれた女性が主人公。彼女と彼氏が交互に語る構成。もう、女性が恋人と結婚にがんじがらめになっていて痛々しい。恋愛と結婚以外見えてない人たちって時々いるんだけど、そういう人と話しているような感覚…。結婚がゴールじゃないでしょう、と説き伏せたくなる。当然、男性目線で読んでしまう。表題作でない作品は男性の心理描写が少なく、あの結論が理解しがたかったけれども。女性は、人生の選択を迫られるのが男性より早過ぎる。そして、男性はそういう場面が然程ない。だからこそ、「相容れない男女の違い」は生まれてしまうのだろう。どちらも作中のフレーズからタイトル付けられている、その意図も気になったりして。こういうとき、タイトル先行で描き始めるのか、話を描いてからタイトルを決めるのか、どっちなんだろう。しょうがの味は熱い、と実感している時だけ彼女は自分を取り戻しているのかもしれないね。
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表題作は少し前に書かれた作品ということで、少し内容が薄くて物足りなかったです。
「自然に、とてもスムーズに」の方が綿矢りさらしい「女」が書かれていて良かったかな。
しかし、やはり全体的に少し物足りない作品でした。 -
面白かった!
2人と同年代の身としては描かれる内容がとにかくリアルでぐいぐい引き込まれました。
これは女子が読んだときと男子が読んだとき、未婚者が読んだときと既婚者が読んだとき…読み手によって感想が大きく分かれそう。
色々な人の感想が聞きたくなる作品。 -
連作2編。私にとって、この本は特別になった。
綿矢りさの作品を探してなんとなく読み始めたのだが、私の心のある面に少し重なる、特に後編のラスト数ページは完全に物語と自分を同化させて読める作品だった。
どうして他の人がまるで自分の気持ちかのような気持ちをこんなにかけるんだろう、でもこれは私はこうは思わない、と読んでいて不思議な感覚になった。
前編では菜世に感情移入し、後編では菜世の両親に感情移入し、両親の立場から菜世とゆずるを見つめた。
恋人としてこれ以上ない絆を感じていても、”もうこれで幸せな結婚の未来はなくなったかも”と約束されてしまう瞬間があるように思う。それは本人達ではなく周りから約束されてしまうもの、祝福されない結婚。それが一度見えてしまうと、もう未来が感じられなくなってしまいそう。
本作は決して長編ではないし、これでもかこれでもかと深く刺してくる話ではない。でもとても大事なことが静かに浮き上がってくるようで、とても個人的には名作だと思う。
これまで読んだ綿矢りさ作品の中ではベスト。すごい。
前編は2008年、後編は2011年に発表されたみたいだけど、その間のリアルな時間の流れを後半にも感じる。 -
―――家族同然になったからって、家族になれるわけではないのだ―――
お題が素晴らしいなあ。
「結婚」に試行錯誤する「同棲中」の男女。
恋人以上家族未満。
3年も一緒に住んだ、愛しあってる、なのになんで結婚できないの?という女目線と、
なぜ、いま、できると思うのか?という男目線。
いまどきの小説が選ぶテーマとしては、やったな綿矢!と帯を見て感動すらしたのだけど、
いかんせん、帯以上に心が震えることはなかった。
その理由として、トレンディドラマじみた男女の「演技感」に拍子抜けしてしまう、というか、感情移入ができない。
些細な奇行はリアルなのだが、どうしても本物の感情というよりは、作られた感情どまりになってしまった。
ただ、「自然に、とてもスムーズに」と連作だったことがとてもよかった。
このお話で、奈世の父親が彼女に滔々と述べる言葉が、よかった。
綿矢さん自身が、インタビューで
「行き先がわからずに混乱しているが、希望だけは失わずにいる」
とこのお話を評していた。
正直、ラストは「百万円と苦虫女」ばりに、受け手によってハッピーエンドにもバッドエンドにも捉えられる。
一筋縄ではいかないところ、このひとの魅力だと思う。