- 本 ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163900155
作品紹介・あらすじ
2013年にNHKBSで放映され、ATP賞最優秀賞(情報・バラエティ部門)に輝いた、『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男』がついに書籍化!
辞書は小説よりも奇なり。 これはことばに人生を捧げた二人の男の物語です。
『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を知っていますか? 両方合わせて累計三千万部の国民的ベストセラーです。お世話になった人、なっている人も多いでしょう。
でも、この二冊を書いた見坊豪紀(ひでとし)と山田忠雄のことはほとんど知られていません。この二人、実は東大の同期生。元々は二人で一冊の辞書を作っていました。
その名は『明解国語辞典』。
戦時中に出されたその辞書は字引の世界に新たな新風を吹き込みました。
戦後も二人の協力関係は続きますが、次第に己の理想を追求して別々の道を歩みはじめ、見坊は『三省堂国語辞典』を、山田は『新明解国語辞典』(赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』でブームとなった辞書です)をほぼ一人で書き上げることになりました。
一冊の画期的な辞書を作った二人の人生が、やがて戦後辞書史に燦然と輝く二冊の辞書を生みだすことになったのです。
しかし――。『新明解』が出された一九七二年一月九日。 ついに二人は訣別のときを迎えます。以後、二人は会うことはありませんでした。
一冊の辞書がなぜ二つに分かれたのか? 二人はなぜ決別したのか? 二人の人生をたどりながら、昭和辞書史最大の謎に迫ります。
ディレクターが番組では割愛したエピソード、取材秘話、放映後に明らかになった新事実などを盛り込んで、書き下ろした傑作ノンフィクションです。
感想・レビュー・書評
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思っていたのとはずいぶん違う内容だったが、結局は一気読み。辞書作りの世界はやはり興味深い。
もっと「言葉」に焦点が当たっているのかと思っていた。実際の内容は、北上次郎さんが、「『三省堂国語辞典』を作った天才見坊豪紀と、『新明解国語辞典』を作った鬼才山田忠雄の『友情と決別』、不思議な因縁を書いた書」と、「本の雑誌」で書いていたとおり。この「因縁」がたいそう面白い。また、お二人が対照的なきわめて強い個性の持ち主であり、同時に、どちらも負けず劣らず辞書作りに生涯を捧げた人であったことが生き生きと描き出されていて、どんどん読まされる。
正直言って、最初のあたりはちょっといただけないなあと思っていた。著者はテレビディレクターだそうで、そのせいかどうか、何というか「人の目を惹きつけよう」という意図が前面に出すぎているような気がした。また、「辞書」とか「言葉」とかいうものにさほど興味のない(大多数の)人向けに書かれている感じがあって、ヒネクレ者は斜に構えてしまったんである。
しかし、この題材は、そんなこともそれほど気にならなくなるほどに面白かった。大体、自分が辞書作りの世界というものをほとんど初めて知ったのは、三浦しをんさんの「舟を編む」で、おそらくそういう人は多いのではないだろうか。あれは本当に傑作で、本屋大賞を取り、映画化されたこともあって話題になったが、そこで描かれているのは三浦さんが取材した岩波書店のやり方で、それは辞書の作り方としては異例なんだそうだ。あんな風に社員編集者が言葉を集めて文章を書くということは普通なくて、社外の学者に依頼するのが一般的らしい。
その「学者」もえらい先生が「名義貸し」をするのが当たり前だった、という裏話のくだりにも「へぇ~」と驚く。「監修 金田一京助」でなければならなかったのだ(これは金田一先生が悪いのではないので、念のため)。また、学者の間では辞書作りは下に見られている(「誰でもつくれる」という理由)というのもちょっと意外。
意外と言えば、冒頭で著者が取材の経緯を述べている所で、辞書作りに現に携わっている人は、辞書作成の過程に光が当たることを喜んでいないと書かれていて、これには驚いた。「舟を編む」のヒットで、地味な世界に注目が集まったことをてっきり歓迎されていると思っていたのだが、どうもそうではないらしい。これは、「辞書はあくまで”公器”つまり公共建築物のような”社会インフラ”であり、個人が表に立って出てくるべきではない」という理由からで、なるほどなあと感心した。プロの矜恃を感じる。
本題である、ケンボー先生と山田先生の「因縁」は、実に人間くさく、また、会社というもののイヤな面を突きつけられるものだ。でも、著者の姿勢が、二人の先生に敬意を表するところから外れていないので、後味の悪いものではない。いやまったく、お二人とも桁外れだ。その個性が最大の読みどころ。
さあそれで。「短文・簡潔」を旨とし「現代をうつすかがみ(鏡・鑑)」を目指したケンボー先生の「三国」と、「辞書は社会批評である」との信念で独特の解説を貫いた山田先生の「新明解」、さてどちらを支持するか?うーん、これは難しい。専門家は新明解に厳しく、盟友であった金田一春彦氏もついて行けずに離れていく。それも無理はないと思える名作(迷作?)の数々が文中で引用されている。でも読んで抜群に面白いのは間違いなく「新明解」の第三版。一方「三国」の信頼感はゆるぎない。
つまらない結論だけど、「みんな違ってみんないい」んじゃないかなあ。「舟を編む」でも書かれていたが、辞書作りが民間の事業で、国によって「これが正しい日本語だ!」と押しつけられることがないのはとても大事なことだと思う。 -
『三省堂国語辞典』をつくった見坊豪紀(けんぼうひでとし)と『新明解国語辞典』をつくった山田忠雄。
元は一緒に『明解国語辞典』を編纂した二人が、『新明解』ができたことから決別したのはなぜかーーーその奇妙な足跡をたどったノンフィクション。
NHKBSの番組で放送、そのための取材内容に新たな検証を加えてまとめたものらしい。
おそらく多くの人がそうだったと思うが、辞書作りなど、三浦しをんの『舟を編む』で初めてその実態を知ったくらいで(といっても本書によれば、『舟~』で描かれたように、ヒラの編集委員が語釈を書くなどということはかなり例外的なことらしいが)辞書といったら金田一京助、新明解って結構面白い辞書だよね、程度の認識しかなかった。
その裏にこんなドラマが隠されていたとは…!
ケンボー先生と山田先生の複雑な関係や、辞書作りの意外な一面もさることながら、「ことば」というものの奥深さ、曖昧さ、怖さというところまでも考えさせられた。
幼児は「ことば」を獲得することで初めて、統合された人格を成していく。コミュニケーションの術を学び、人間らしく成長して社会で生きていけるようになる。つまり人の思考はまず「ことば」ありきだ。
だがしかし、果たしてそれが真に自分自身の感情を的確に表したものか、真に意図したことそのものを表しているかどうか、そして、真に相手に伝わっているかどうか、本当のところは誰にもわからないのかもしれない。
日々、互いの誤解(著者は「思い込み」といっている)の中で生きているのかもしれない。「ことば」の誤解が、人生を変えてしまうことだってあるかもしれない。
人々の「思い込み」にすがったまま、使われていくことで時代とともに変わっていく宿命の「ことば」。
著者のいう、言葉の「海」ならぬ「砂漠」にのまれ、「ことば」の今を追いかけ、深遠さを追いかけ、時代を追いかけ続けることに生涯をかけた二人の偉大な先生。『辞書になった男』とはあまりに言い得て妙だ。
番組、見たかったなあ。再放送しないかな。
蛇足だが、ビアスの『悪魔の辞典』がこんなところに登場してびっくり。そうか、ちょっと『新明解』はそんな雰囲気かも。 -
リアル「舟を編む」でした。編集者が語釈を書く小説および映画のシーンは岩波書店の独特の風習だそうです。三浦しをんさんの取材先がたまたま岩波書店だったからとのこと。ケンボー先生の用例採集の情熱、山田先生の語釈のユニークさからも、辞書が手作りであるがゆえに使うひとたちが期待する何か完璧なものであること以上に、個性的なものであるなと思いました。「ことば」そのものがうつろいやすく、伝える役割を果たしたり、限られたひとにしか伝わらなくて良いという役割をもったりするのにもかかわらず、辞書に落とし込むことの難しさを知りました。
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辞書の編纂の仕事に興味があってこの本を手に取った。
ただ、この本はただの辞書作りのお話ではなかった。
辞書を編むことで言葉と向かい合い続けた二人の学者(ケンボー先生と山田先生)の信念の物語だった。
一見素っ気なくも思える国語辞書の語釈の裏に人間の人生をまるごと飲み込むほどの広がりがあるということを知った。
人生を賭したことを思えば、ケンボー先生の『三国』、山田先生の『新明解』と言い切りたくもなる。
でも、『三国』はいつまでもケンボー先生のものではなく、新たな編者のもとで改訂を重ねられることになる。
『新明解』も同様。
他人事ながらそのことを寂しいと思ってしまうのはおかしいことだろうか。
二人の信念が今も二つの辞書の中で生き続けていることを願ってしまう。
それにしてもケンボー先生と山田先生の信念の強さはすさまじい。
周りの人がそれぞれの立場からとやかく言ってもぶれない。
認め合っていた仲間が離れて行ってもぶれない。
胸中は穏やかではなかったのかもしれないが、ただ一歩ずつ信じる道を進んで行ったという印象を受ける。
その姿が眩しい。
自分の信じることが正しいか間違っているか、それはいったいいつどのように明らかになるものなのだろうか。
二人には自分が正しいという確信があったのだろうか。
それとも常に悩みながらこれだけの大きな仕事を成し遂げたのだろうか。
そのことが知りたい。
悩みの中でそれでも歩みを止めずにいられた力の源のことを。
自分のことを振り返ってみると分からないことは何でもかんでも検索してしまうようになった。
便利だと思っていたけれど、この本を読むとなんて薄っぺらなことをしているのだろうと頭を抱えてしまう。
ケンボー先生の地道な用例採集の姿に、ここまで真摯に言葉に向き合うことが出来るものなのかとショックを受ける。
天才の人生のほとんど全てとも言える膨大な時間を注ぎ込まれた辞書。
そんなすごいものが書店に並んでいるのに見向きもしないで小さな端末の光る画面ばかりを覗き込んでいる。
そんな自分にがっかりしてしまう。 -
三省堂の国語辞典、「新明解」と「三国」の物語。辞書は、人が作るもの、とつくづく思う。
【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
https://opc.kinjo-u.ac.jp/ -
個性的な語釈で知られている「新明解国語辞典」と、新しい語句を積極的に取り入れることに定評のある「三省堂国語辞典」。これらはかつて、「明解国語辞典」という1つの国語辞典から分かれてできたものである。
これらの著者でともに国語辞典編纂の大家として名高い見坊豪紀氏と山田忠雄氏は、なぜ袂を分かったのか。辞書作りにもともと関心が高いこともあり、非常に楽しめた。
言葉というものを扱うことに誰よりも長けているはずの2人が、ちょっとした言葉の行き違いから離れていってしまう。そしてそのことが、皮肉にも2つのまったく違った国語辞典を誕生させることとなる……。
辞書作りの絶え間なく果てしない苦労を垣間見つつ、非常に良質のドキュメンタリーを読ませてもらった。 -
ちょうど映画「舟を編む」が地上波放送されたころに読んだ。
ふたりの「辞書編纂者」の、身のよじれるような関係性にぐいぐいひきこまれていった。
学者として名のある山田先生と、ありとあらゆる活字から「言葉」を収集する、その執念にはいわば修行のようなすごみが感じられる見坊先生。(映画の主人公はこのひとをモデルにしたんじゃないだろうかと思うひとが出てきます、ね)
そして、辞書を出版する出版社との関係。
うわー辞書作るってすごい、って観点で読もうとしたら、辞書は人間が作ってるんだよ、と教えられた。
人間関係は、ことばでいいあらわせない。ともかく、周辺の人物からなにがあったのか、どういうふうにそれを当事者たちから聞いたか、ということを積み重ねていった果てに見えた、
あ!
なんだそれ!
そんなことあり?!
驚愕の事実・・・・に、雷にうたれたようにしびれた。
最後のほうはもう何回も読み返した。
そこらへんの小説よりよほどドラマチックで、このミステリーは極上。
事実は小説より奇なり、ってこのことだよね。
はー、おもしろかった・・・。 -
ベストセラーになる国語辞書を編んだ昭和の巨星2人の仕事のドキュメントである。友人として始まり盟友→裏切り→畏友という関係に至った2人の友情の物語である。「ことば」という“不自由な伝達手段”ゆえに生じるミステリーの謎解きである。ひとくちに言い表すことができない、たいへん魅力的な本です。個人的には2014年中に、この本を越える本が出てくるかどうか、という本です。読後、辞書という「作品」への接し方が、今後大きく変わることを自覚しました。
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対照的な個性を持つ辞書がなぜ同じ出版社から発行されたのか?それぞれの編纂者の人生に焦点を当てて、経緯が紐解かれていく。
辞書に対する思い・立場・会社の思惑、色々なことが重なり合って、袂を分かつことになってしまったのは何とも言い表すことができない。
読んでいて、ケンボー先生、山田先生、それぞれの人柄や辞書・ことばへの熱い思いが感じられ、最初から最後まで興味深く読めた。
読み応えある一冊でした。 -
抜群に面白かった!
日本屈指の二つの辞書の編著者におきた仲違いの真相に迫るノンンフィクションであるが、そこに浮かびあがるのはスキャンダルなものというより、辞書編纂に打ちこむ二人の情熱とその才能である。
それにしても、辞書というのは客観的記述、はっきり言えば無味乾燥な語釈(言葉の解釈)や用例の羅列だと思っていたが、これほど編著者の個性が表れるものだとは驚きである。
本書の文章の合間に挿入される辞書の語釈が非常に効果的であるうえ、その語釈に二人の心情が吐露されているさまは感動的でもあった。
「舟を編む」を楽しく読めた方には、お薦めです。
著者プロフィール
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