- Amazon.co.jp ・マンガ (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163901473
作品紹介・あらすじ
りくは中学生。おしゃれなパパと、カンペキなママ、
「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。
美しい彼女は、蛇口をひねるように、
嘘の涙をこぼすことができた。悲しみの意味もわからずに――
『きょうの猫村さん』で老若男女の心を鷲掴みにした
ほしよりこの、傑作長編コミック! (上巻)
関西の親戚の家に預けられたりくを襲う
“あたたかな”試練の数々とは?
「い~っやっ! ちょっと! めっちゃくちゃベッピンやないの~っ!」
「あんためっちゃ目立ってるし!」
関西弁ワールドに翻弄され、「私は絶対になじまない」と心に誓うりく。
どうなるりく? そしてママとパパは……?
笑って笑って最後に涙する感動作誕生! (下巻)
感想・レビュー・書評
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毎日のお勤めがなくなって、数年たちました。急激に世間に疎くなった結果の先に「老い」を予想してビビっていますが、たとえば、ほしよりこさんのこんなマンガが、新しい経験になることを実感しています。
何が新しいのかうまく言えませんが、この絵で、この結末を書く人がいることに、とてつもない新しさを感じています。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202104210000/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
好きな時に涙することができる美少女・逢沢りくの覚醒と成長を描いた作品。上下巻からなり本作は下巻。
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関西で繰り広げられる、まるで漫才のようなやりとり。出会う人たちが見せる自分への距離感。戸惑い、毒気を抜かれつつも、しだいに自分の中の変化に気づいていくりくが描かれています。
例えば谷口ジローさんの絵のような精密なタッチではないし、心情描写が克明に描かれているわけでもありません。なのに、登場人物の想いがきちんと伝わってくるのです。これは文芸作品と言ってもいいでしょう。
直截的な物言いはせず、相手に察してもらう話し方。りくの両親と大叔母夫婦。どちらも同じですが、察してもらう中身が違いました。
自分への優しさを要求するりくの両親。相手や周囲への思いやりを込める大叔母夫婦。その差は大きい。
りくへの思いやりをセキセイインコが知らせてくれるシーン。さらに時ちゃんが見せるストレートな好意。
それらに触れることで、本当の意味での感性や自立心が育っていなかったりくの心が解きほぐされ変化していくラストシーン。本当にすばらしかった。名作だと思います。 -
なんとも不思議な読後感。映画を一本観た後のような感じ。
「猫村さん」や「B&D」でハマった、ほしよりこのエンピツ漫画ワールド。この「逢沢りく」は「小泉今日子書評集」で紹介されていたのがキッカケで読みたくなったもの。図書館で予約を入れ、待つことはや半年。ようやく読めたYO!!
「逢沢りく」は主人公の女の子の名前。男の子でもアリかなという、中性的な名前である。その名前が、ババン!とタイトル、なのである。
逢沢家は、アパレル経営のパパ、宗と、美人で意識高い系のママ、朝絵と、中学生の娘、りくの3人家族。まさに「絵に描いたような」お洒落で裕福なファミリーだ。だけどもパパは会社の部下の若い女性と不倫中。夫の火遊びに、ママは余裕の構えで知らんふり、だけど内心は…。このあたりは、「猫村さん」に登場する犬神家とだいだい同じパターンだけど、逢沢りくには、犬神尾仁子と違って気の合うおばあちゃんはいないし、もちろん猫の家政婦もいない。出口のない「機能不全家族」の中で、逢沢りくは哀しいくらい一人ぼっちなのだ。
両親に似て容姿に恵まれたりくは、学校でも同級生や先生から特別視される美少女。上質で混じり気のないオーガニックな生活の中で、母娘の「選民意識の高さ」は磨かれていく。そのりくが、母親の一存で、なぜか父方の親戚の家に預けられることになる。しかも関西の。関西の?そう、関西の。母親が馬鹿にして嫌っている、「下品でうるさい関西人」たちに揉まれなければならないのだ。母娘一心同体、朝絵の口にする価値観をそのまんま自分の価値観として受け止めているりくには、つらい試練…。
朝絵の歪みっぷりが凄い。娘が嫌がると知っていてこの仕打ち。「資格を取るために勉強したい、自分の時間を持ちたい」というのが表向きの理由だけど、裏に見え隠れするのは、妻で母(でしかない)という自分の存在に対する虚無感?実存的不安? 朝絵の心のブラックボックスは読めない。たぶん本人にも。
りくは誓う。「私は絶対 染まらない」
関西の親戚一家がまたすごい、ベタなくらい「絵に描いたような」オモシロ家族。コミュニケーションのとり方が逢沢家とはまったく違う。まさにカルチャーショック。
私自身、根っからの関東人なので、りくのショックがちょっとわかる…。
「関西弁」という外国語の、軽妙なリズム、豊かな表情、ぜんぶがズルい。「関西人の言う事って どこまで本気で真面目なのか… 境界線がわからない… っていうか 関西弁ってだけで 全部ふざけて聞こえる…」(下巻 p. 99〜100)関西流コミュニケーションには、りくをもってしても、徐々に、しかし確実に、心を動かされてしまう。そして小さい子どもの話す関西弁の可愛さといったら!「あなた、時男くんだっけ?」「時ちゃんやけどー」りくと時ちゃんのやりとりの温度差が良い。
「B&D」のチイチイといい、ほしさんの描く子どもたちには、いつも心をわしづかみにされる。
「バッカじゃない」「キモい」「オエッ」
それくらいしか内なる言葉を持たなかったりくも、母親と離れ、暑苦しいオール関西弁ホストファミリーに包まれているうちに、やがて自分の言葉で、自分の置かれた境遇を考えるようになる。
「ただ起きて 何か食べて 寝て…って くり返してるだけなのに 年を取っちゃった… 年なんか取りたくないのに いたくない所に行かされて 知りたくもない事を教えこまれて 着たくない物着せられて… 時間がただ過ぎるだけなのに、年を取ったら突然放り出される」(p. 95)
「今度はどこに行くのかな… あそこに帰っても またあそこじゃない どこかへ 行かないといけない 気がする 今度は… 自分で決めなきゃいけないのかな… でも大人になっても結局ずーっと探し続ける気がする 死ぬまで…」(p. 174〜175)
りくは一体どんな大人になるのかな。
自分の言葉を持ったりくは、小さな時ちゃんのために、とっさに「優しいうそ」をつく。誰でもなく「自分の意思」で。かつてのりくが、他者と距離をとり、自分を演出するために、蛇口をひねるように流していた「うその涙」。これはそれとは違う、相手を思いやり、つながろうとする「うそ」。その時りくは、はじめて「本気の涙」を流す。
ラスト、トリュフォーの「大人は判ってくれない」を思い出しました。走って、走って、走って、走りきったアントワーヌ・ドワネルと、逢沢りくが重なった。
欲を言えば、スピンオフ的な感じで、朝絵の若い頃のお話も読みたいナ。 -
猫村さんより好き。
あの絵といい鉛筆書きといい。
りく、が下巻の最後の最後になって心を表現したあたり感動。
関西弁も結果話しちゃうし。
嘘泣きでない本気泣きも出来たし。
あんな変なお母さんと暮らしてたから、りくも変になったんだろう。
人を惹き付けといて、離す。 -
ダム決壊した。母親の若い頃の話が読みたい!
ギリギリにいた、りくを変えたのは、自分に向き合ってくれる大人に出会ったから。だから自分より小さな子供の存在を認識できるようになったのだ。りくの母親には、そういう大人がいなかったんじゃないかな。
個人的ですが、2人の甥のことばかり考えながら読んでいました。
もちろん、りくの未来も読みたい。 -
何度読んでも、ラストでいつも泣く。
なんだろう、これ。
どうしてこんな人間味溢れた素晴らしい作品を生み出せるんだろう。
ほしよりこという人の個性と才能にひれ伏す。 -
読み終わって、あーここに連れて来たかったんだ。言葉では表現しづらいこの気持ちを、伝えたかったんだって感じました。