- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163901688
作品紹介・あらすじ
〈本の達人〉北村薫が読み解く小さな昭和史
明治42年に生まれた父の青春を遺された日記をもとに描き、〈昭和〉という時代を描く「いとま申して」シリーズの第二弾。今回、著者の父・宮本演彦は慶応大学予科から、遂に本科へと進む。そしてこの物語の主役ともいえるふたりの知的巨人が登場する。
その一人が西脇順三郎。慶應義塾大学文学部教授に就任、英文学史などを担当。『三田文学』を中心に「PARADIS PERDU」を仏文で発表するなど批評活動を開始してきたが、本書の舞台となる昭和10年頃には詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』で詩壇の萩原朔太郎、室生犀星の称賛を受け、詩誌『詩法』の創刊に参画。その英文の授業は、実に刺激的なものだったという。
もう一人の巨人は、国文学者・民俗学者として知られる折口信夫。学生を連れてしばしば日本各地へフィールドワークに赴き、演彦青年もその薫陶を受ける。折口信夫門下生として関西旅行にともに赴くが、奈良、京都の風景の細やかな描写、何気ない日常の光景が、在りし日の大学教授と学生たちの息遣いをよみがえらせる。
西脇、折口師以外にも、演彦氏が、後に演劇評論家となる友人の加賀山直三とともに、歌舞伎に親しんだことから、市村羽左衛門、中村福助ら当時の花形役者たちのエピソード、そして徐々に色濃くなる戦時色も日常の光景としてつづられていく。
昭和初期を実体験的に知る重要な資料であると同時に、ひとりの青年の切実な悩みを吐露する青春の物語。著者曰く「当時の学生の姿を、このような形でとらえた本はあまりない」一冊となった。
感想・レビュー・書評
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『いとま申して』三部作の二冊目である本書。
著者の父が遺した日記の文章の多くを取り込んだこの「小説」は、父、宮本演彦(のぶひこ)との合作だと、北村薫さんは言う。
戦前の慶應義塾に学ぶ若者たちの暮らしぶり、金銭感覚や暑さ寒さの身体感覚などがリアルに感じられて面白い。
ほんのすこし前の時代のことなのに、人の生活「当たり前」の感覚は随分変わったのだなぁと思い知らされる。完結編が楽しみだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の父親の日記を下敷きにしたもので、小説とも伝記ともとけるが、主人公の目を通しての折口信夫の姿を描くというのも大きなテーマになっていて、本意がどこにあるのかよくわからない。三部作の第二部なんで、まだ全体が見えていないので、感想はいろいろあるんだろう。
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民俗学と歌舞伎に染まる日々。タイトルには登場しないが、歌舞伎役者中村福助の晩年の疾走が本書のもう一つのテーマ。
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父親の日記を読み解きながら描く一つの昭和。日記を書こうとしては挫折を繰り返した私には、日記が残っているだけで眩しく感じる。
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慶應在学の6年間を描く、三部作の第2部。
国文への真摯な傾倒のあまり、困窮する実家に遠慮しながらも歌舞伎や義太夫に通わざるを得ない心情や、折口信夫との邂逅に加え、昭和初期の生活、世相や学生生活がしみじみと語られる。
作者も本書中に書いているが、当時の学生の教養の深さには驚かされる。
いかに国文専攻とはいえ、吾妻鏡を始めとする古典を純粋な愉しみとして読めるとは。 -
いとま申して続編
慶應本科での物語 -
第2部。第3部が待ち遠しい。
そして通して味わいたい。 -
大学にて、自宅にて、色々な事が起こる。
一番の問題は、金銭でしょうか?
人間、上は大丈夫でも、下にいくのはなれません。
今まで潤沢に使えた、時間とお金。
現在の大学生にも、遊びに行くため、と
言う人もいるくらいです。
そして人間関係も微妙な状態に。
その人に憧れるあまり、色々真似をしたりしますが
模倣になってしまっては意味がない。
そう気がついた時点で、その人はその人、と
区切りがついている、というべきでしょうか?
そのまま突き進むと、盲目的な愛?w
最後の方、必死にうろうろ走っていますが
確かに…そこを突っ込まれると、自分でもきつい(笑)
働けば時間と金が手に入る、というのは間違いです。
確実に、職種によっては時間が削られます。