- Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163902562
作品紹介・あらすじ
「少年A」に人生を変えられた人々の物語少年犯罪の加害者、被害者遺族、加害者を崇拝した少女、その運命の環の外にたつ女性作家。「少年A」は彼らに何をもたらしたのか。
感想・レビュー・書評
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これは、問題作だな…
ニルヴァーナとは、涅槃のこと。智慧を磨き修行を積んで、迷いや煩悩や執着を断ち切り、悟りに到達して、いっさいの苦・束縛・輪廻から解放された最高の境地。
タイトルは、その境地への執着を断ち切り、苦しみ悶えながらも地に足をつけて生きていくことを宣言するものだ。
だけど、う〜ん…
神戸連続児童殺傷事件の犯人を彷彿させる少年Aを取り巻く煩悩たちの物語。
救いたいものを救えないもどかしさと諦念が全編を覆う。やるせない読後感だ。
どの登場人物にも感情移入ができなかったが、黒いワンボックスは憎まずにいられない。
心の体力が落ちている時は、読んではいけない本かもしれません。
♪Smells Like Teen Spirit/Nirvana(1991)
窪さんは「ニルヴァーナのカート・コバーンのショッキングな最期と少年Aのイメージが私の中では結びついていた」というけれど、僕の中ではカートはかの少年Aともこの小説の少年Aとも結びつかなかった。全く違う。
だから、本音を言うと、タイトルには複雑な思いもある。少年院の院生が少年Aにニルヴァーナを聴いたことないかを聞くシーンは、ストーリー的に必然性があったのか、疑問に思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは、、読み切れるかわからない。
今のところ、断念したいです。。。
ちょうど、半分くらいです、、具合悪くなりそうで、と言うか具合悪い。梅雨のせいかな-
なんなんさん。
体調が悪いときは無理しないで、回復にだけつとめてください。
がんばるな~!
やすめ~!!
体調が良くなりさえすれ...なんなんさん。
体調が悪いときは無理しないで、回復にだけつとめてください。
がんばるな~!
やすめ~!!
体調が良くなりさえすれば、なんだってできます。2023/06/21 -
土瓶さん、ありがとうございます!!
この本は、元気な時に読むべきでした。
とりあえず、休みます。健康第一ですね。
梅雨と、この本のダブルパン...土瓶さん、ありがとうございます!!
この本は、元気な時に読むべきでした。
とりあえず、休みます。健康第一ですね。
梅雨と、この本のダブルパンチ(^◇^;)2023/06/21
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正直読まなければ良かった。『絶歌』だって絶対読むまいと誓っているのになんで読んでしまったのか。
デビュー作から全て追ってきている窪さんがどうこの事件と向き合ったのか知りたかったのか。
本書は神戸で起きたあの事件をモデルにしている。もちろんあくまでもフィクションでありエンタメ作品である。
私の気持ちの問題なのかもしれないが本作はあの事件を完全に消化して新たな物語として読ませる力はない。
『絶歌』の出版と運悪く重なってしまったことも一因でまだこの事件が世の中で終わっているわけではない。
だからどうしても重なる。事件の場所も概要もほぼ同じ。ゆえにフィクションとして読めない。
桐野さんの『グロテスク』などは完全にエンタメ作品として読めるのだからここは作者の力量か、事件の大きさの違いなのか。
遺族の気持ちを考えるといくら小説とはいえ常に苦い思いがこみ上げてきて登場人物の誰にも共感できなかった。
最終章も言い訳がましくて頂けない。
大金をちらつかせてくる出版社の人間には近づかないことと言う文章があるが、実際は逆だと言われている。やりきれない。
だからこそこの小説が薄っぺらく思われてしまう。
辛口になってしまったが、窪さんにしか書けない窪さんらしい作品をもっともっと読みたい。
そんな期待も込めて… -
実際の事件がモチーフになってることもあり、不用意なことは言えない気がしました
最後は気になることも、わからなかったこともありましたが小説としては読み応えがありました -
心が弱っているときに読んではいけない本だった
ただただ平穏な日々を 普通の幸せを手に入れたいって こんなに難しいことなのかと思わせる終わり方で、なんだかとても落ち込む
『子供は親を選べない。でも、親も子供を選べない』
『子供は親の作品』
今は母親目線でしか読めないけれど、もっと若い時に読んでいたら また違った読み方をしていたのかな
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どうでもいいけど「ニルヴァーナ」って言葉の使われ方が唐突すぎない?タイトルにする分にはいいかもしれないけど、作中での使われ方があまりにも無理しすぎだと思う。
この作品、ものすごい熱量を持っている。一気に読ませる力を持っている。構成もうまい。文章もうまい。
ただ、その向かっている方向がおかしいし、納得できないし、認めたくもない。フィクションなのはわかるけど、ここまで現実に沿った設定の中でのこの物語は常識のある人なら書けないし、書いてはいけないものだと思う。たとえ小説であったとしても。小説家として表現したいものを書くのは結構だが、どう考えても題材をここにとるべきではないし、設定をここまで現実に沿わせる必要がないと思う。話題づくりとしか思えないでしょ。
たとえフィクションだったとしても少年Aを美化しすぎだし、それに恋愛する女性たちの描写は反吐が出そうだった。人間の中身を見たい?は?ただの異常性癖を表現者としての欲求に模して文学的に昇華したつもりになっているのがどうにも許せない。
どんなに力量があっても合わない作家っているんですね。
(って書いちゃうと「顔も見せず、名前も明かさず、刃を向ける弱虫たち。」って思われちゃうのかな。。。) -
読むのが苦しかった。何度も中断し、何度も深呼吸し、そしてまた読み続けた。
なぜこんなにも苦しい物語を綴るのだろう。なにがそうさせるのだろう。そしてなぜ読むのだろう。
地獄だ。これは地獄だ。人が生まれ生きていくなかでもっとも過酷な地獄だ。窪さんはきっと血を吐く思いでこの地獄を文字にしていったはず。だから血を吐く思いの覚悟で対峙しなければ読み終えることができなかったのだ。
少年Aと彼に囚われた3人の女たち。最初に読んだときと、二度目に読んだときと、一人の少女の印象が全く入れ替わっていた。Aに恋い焦がれる少女は、Aとその罪、そして被害者、その全てを自分の中に取り込み全能の母、あるいは聖女としてそこにあると思えたのに。二読目にその聖性はまったく感じられなくなっていた。彼女の思いも、その存在も、薄く思えてしまった。なぜだろう。あぁ、そうか。私の中に激しい怒りがあったのだ。その怒りに目をつぶっていたのだ。見ないふりをしていた怒りが心のふたを開けてしまったのだ。私は母だ。正真正銘の母親だ。母親として怒りが悲しみを凌駕してしまった。被害者の母であるなっちゃんとともに深い悲しみを怒りで包み、放出してしまったのだ。この物語は私の心に深く打ち込まれた杭となる。 -
小説、全くのフィクションだとすれば面白いのかもしれないけど、神戸連続児童殺傷事件を題材にして書かれているのが、衝撃的な事件だっただけに理解できません。少年Aに恋したり、少年Aを美化しているのにも嫌悪感しかありませんでした。
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内容を知らないまま題名に心惹かれて読み始めたが、これがあの日本で一番有名な少年、Aを題材にした物語だったとは。気づいた時にはもう途中で止められない程夢中になって読み切ってしまったが、これをどう消化していいものだか混乱する。小説で架空のお話だとは頭では分かって読んでいるつもりでも対象が色濃く頭の中を駆け巡り、事実と混乱する。被害者のご遺族が存命である現在、犯人の少年Aの内面や遺族のその後の生活や気持ち、また少年Aをアイドルのように好きになる少女の姿をフィクションではあるものの、描くという事は今一度ご遺族の心を深く傷つけはしないだろうかと危惧する。作者は登場人物の一人である作家志望の女性が小説を書く業のような言葉を物語の最後に記している。「私はこれから、迷って、悩み、苦しみ、悶えて、書いて、書いて、書いて、そして、死ぬのだ」この言葉はこの小説を書く上での作者の壮絶な覚悟だったのだろうと思う。
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人と人が出会い、そこで生まれる関係こそが救いに繋がる。すれ違ったり、離れることになるかもしれないけれど、出会わないと何も始まらない。出会い・すれ違い・別れる、これこそが人生の尊さであるはず。出会いによって産まれた奇跡がこの小説の唯一の救いだと思った。
莢の存在が大きいよなぁ。この少女の揺れ動く心が読者を掴んで離さない。出会いの奇跡を起こすのは彼女だ。何度も泣かされた。あの食卓を囲むシーンはどうしようかと思った。あんなもんこっちの感情が追いつかないわ…。
凄いとしか言いようがないんだが、各章ホントに凄い。いつ壊れてもおかしくない繊細な、ギリギリの感情のはずなのに凄い強度と説得力。少年Aの視点の『霧と炎』なんて特に。