数学の大統一に挑む

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163902807

作品紹介・あらすじ

xのn乗 + yのn乗 = zのn乗 上の方程式でnが3以上の自然数の場合、これを満たす解はない。私はこれについての真に驚くべき証明を知っているが、ここには余白が少なすぎて記せない。 17世紀の学者フェルマーが書き残したこの一見簡単そうな「フェルマーの予想」を証明するために360年にわたって様々な数学者が苦悩した。 360年後にイギリスのワイルズがこれを証明するが、その証明の方法は、谷村・志村予想というまったく別の数学の予想を証明すれば、フェルマーの最終定理を証明することになるというものだった。 私たちのなじみの深いいわゆる方程式や幾何学とはまったく別の数学が数学の世界にはあり、それは、「ブレード群」「調和解析」「ガロア群」「リーマン面」「量子物理学」などそれぞれ別の体系を樹立している。しかし、「モジュラー」という奇妙な数学の一予想を証明することが、「フェルマーの予想」を証明することになるように、異なる数学の間の架け橋を見つけようとする一群の数学者がいた。 それがフランスの数学者によって始められたラングランス・プログラムである。この本は、80年代から今日まで、このラングランス・プログラムをひっぱってきたロシア生まれの数学者が、その美しい数学の架け橋を、とびきり魅力的な語り口で自分の人生の物語と重ね合わせながら、書いたノンフィクションである。〈目次〉はじめに 隠されたつながりを探して数学の世界で過去半世紀の間に生まれたもっとも重要なアイディアが、ラングランズ・プログラムだ。大きくかけ離れて見える数学の各領域のあいだに、さらには量子物理学の世界にまで、胸躍る魅力的なつながりがあるという刺激的な予想だ。第1章 人はいかにして数学者になるのか?旧ソ連のロシアに生まれたわたしは、量子物理学者になりたかった。クォークを発見した物理学者のゲルマン。でも、ゲルマンはなぜ、それを発見できたのだろう。「そこにはきみの知らない数学がある」。両親の古い友人の数学者が言ったのだ。第2章 その数学がクォークを発見したその両親の友人の数学者は、クォークの発見に、対称性とは何かを記述する「群」という数学が関係していたことをわたしに教えた。観察ではなく、理論によって何かの存在を予想する。それは数学にしかできない。第3章 五番目の問題ソ連のパスポートには五番目の欄にナショナリティーを記すことになっていた。わたしはロシア人として登録をされていたが、父はユダヤ人であった。このことが、モスクワ大学の受験に問題となる。第4章 寒さと逆境にたち向かう研究所モスクワ大学の試験官が問わず語りに口にした「石油ガス研究所」。わたしたち一家は、そこに一縷の望みをかける。そこは旧ソ連の中でユダヤ人が、応用数学を学べる研究所だった。全体の反ユダヤ政策のニッチをつき、優秀な学生をあつめていたのだ。第5章 ブレイド群アドバイザーを得られずに失望していたわたしに、学校でもっとも尊敬される教授が声をかけてきた。「数学の問題を解いてみたいと思わないかね」。それが、「ブレイド群」と呼ばれる数学に取り組んでいるフックスとの出会いだった。第6章 独裁者の流儀フックスの与えた問題を、わたしは別の数学を使うことで解いた。フックスは、その証明をあるユダヤ人数学者が主宰する専門誌に投稿することを勧める。その数学者こそ、様々な数学間の架け橋をかけようとしていたパイオニアだった。第7章 大統一理論それぞれの数学を「島」だと考えてみよう。大部分の数学者はその島を拡張する仕事にとりくんできた。しかし、あるとき、「島」と「島」をつなげることを考えた数学者が現れた。悲劇の数学者ガロアが死の前日に残したメモにその革新的な考えはあった。第8章 「フェルマーの最終定理」ラングランズ・プログラムがどういうものかを知るには、「フェルマーの最終定理」がどうやって証明されたかを知るといい。三百五十年間にわたって数学者を悩ませた難問は、まったく別の予想を証明することで解けたのだ。第9章 ロゼッタストーン数論と調和解析のあいだだけではない。幾何学や量子物理学にいたるまでまったく違うと思われていた体系に密接な関係があるらしいことがわかってきた。そのことの意味は、ある領域でわからない事柄も他の領域を使って解くことができるということだ。第10章 次元の影写真は実は時間という次元を加えた四次元の世界を二次元におとしこんでいる影と考えることができる。数学は四次元以上の高次元を、三次元、二次元の世界におとしこみ記述することで、より複雑な世界を理解する唯一のツールなのだ。第11章 日本の数学者の論文から着想を得る日本の数学者脇本の論文から得た着想を一般化することはできるのか? 一度は失敗したその試みを、生涯の共同研究者となるひとりの数学者との出会いが突破させる。その仕事は、量子物理学の複雑な問題を解く強力なツールを提供することに。第12章 泌尿器科の診断と数学の関係フックスやフェイギンと純粋数学の境界を拡張する仕事に挑む一方、わたしの所属するケロシンカの応用数学部では、泌尿器科の医者たちとの共同研究をしていた。医者は、数学者の思考方法を求めていた。それは診断にも応用できるものなのだ。第13章 ハーバードからの招聘 ゴルバチョフの登場とともに、これまで固く閉ざされていた西側への扉が開きはじめた。そんなとき、わたしはハーバードから客員教授として招聘をうけ、生まれて初めてソ連の外に出た。ボストンには数学の才能が集り、心ときめく熱い時間があった。第14章 「層」という考え方新しい仲間、ドリンフェルドもまたソ連の反ユダヤ人政策の犠牲者だった。後にフィールズ賞を受賞する彼は、モクスワに仕事を得ることすらできなかった。しかし、孤独の中で彼が発展させたのは、リーマン面を大統一に組み入れる「層」という考えだった。第15章 ひとつの架け橋をかける博士論文は、リー群Gとラングランズ双対群LGという異なる大陸に橋をかけることに関する仕事だった。それはわたしがモスクワでとりくんでいたカッツ- ムーディー代数を利用することによって可能になるのだった。ソ連の崩壊が目前に迫っていた。第16章 量子物理学の双対性純粋数学史上初めての巨額の研究資金が下りた。わたしはプリンストン高等研究所で、数学と量子物理学のつながりを探るためのプロジェクトを始めることにした。それは、数学が現実の世界を先取りしていることを確認する過程でもあった。第17章 物理学者は数学者の地平を再発見する最大の挑戦は、ラングランズ・プログラムに四つ目のコラムを打ち立てることだ。すなわち量子物理学との関係を調べることである。多次元の問題を二次元、三次元におとしこみ、その試みが始まる。物理学者は数学者の発見した空間を再発見する。第18章 愛の数式を探して二〇〇八年、わたしはある映画監督とともに、数学に関する映画を作り始める。三島由紀夫の『憂国』に影響をうけた映画のワンシーン。女性の体に彫った刺青は、「愛の数式」だ。それは、量子論の矛盾を解く可能性のある数式でもあった。エピローグ われわれの旅に終わりはない訳者解説 数学者はあきらめない

感想・レビュー・書評

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  • 青木薫さん翻訳による先端数学に関するサイエンス・ノンフィクション。青木さんは、ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明を描いたサイモン・シン『フェルマーの最終定理』、ペレルマンによるポアンカレ予想の証明を描いたマーシャ・ガッセン『完全なる証明』といった最先端の数学者の物語を描いたサイエンス・ノンフィクションの名著を訳してきた。今回も期待大である。

    今回の主人公はエドワード・フレンケル、著者でもある。といってもほんとんどの人はその人が誰だか知らないだろう。自分も知らなかった。フレンケル氏は、十分すぎる数学能力がありながら、ペレストロイカ前のソ連においてユダヤ人であるがゆえにモスクワ大学の入学を許されなかった。しかしながら、その理不尽な事態にもあきらめずに数学の世界に踏みとどまり、自ら動いて道を切り開き、周りの人の目に止まることで、その能力を伸ばすことができた。ついに大学卒業時には、それまでの仕事に目を付けたハーバード大学から客員教授として招かれることになった。
    ここまでの経緯を読んで、その道において本当に頭角を現すことができる人というのは、自身が持つ能力に対してものすごく心血を注いでいるし、注ぐことに躊躇がないし、また導きの師を見つける能力とその発揮において秀でているものだと感じ入った。そして、それでいても常に自分のやっていることが無為に終わることの恐怖も感じていることもわかる。特に先端数学という分野ではそうだと思う。

    著者の来歴をひとつの軸として、もうひとつの本書の軸が著者も深く関わる「ラングランズ・プログラム」と呼ばれる、数学の調和解析と数論分野の統合である。さらにはそのプロジェクトは量子力学や量子宇宙論と数学理論の統合まで含まれていくこととなる。その内容は、同じ数学関連の書籍でも、先の『フェルマーの最終定理』や『完全なる証明』と比べて万人に向けて面白いというものではない。ただ、このテーマが青木さんの興味のツボにがっつり嵌っているのはわかる。

    ガロア群、ブレイド群、多様体、層、圏、ブレーン、リーマン面、はもちろんのこと、カッツ-ムーディ代数、ヒッチン・モジュライ空間、ミラー対称性、保型層、などもはや呪文のような言葉が容赦なく出てくる。著者自身も書いておきながら、「これらすべての名前を覚えようとするだけでも、頭が痛くなってくるかもしれない。しかし信じてほしいが、ここで話した構成法を隅々まで理解している人は、専門家の中にさえ、まずめったにいないのだ」と言う。これを受けてか、青木さんが解説で「たとえ数学者のように理解することはできなくても、数学の魅力はきっと感じ取ってもらえる。そう、彼は確信しているのである」と言う。そうなら先に言ってくれればそういうふうに読むのに。

    原題は”Love and Math - The Heart of Hidden Reality” - 愛と数学。著者がなんと「愛の数式」という映画を撮ったというと何なんだそれは、と思うのだけれども、少なくとも数学への偏愛は感じられる。副題にあるように、それをHidden Realityと著者が呼ぶのは、数学の奥深さを端的に示している。それは、著者にとっては、「Love」としか表現できないことなのかもしれない。

    「志村-谷村-ヴェイユ予想」の谷山氏や志村氏、脇本氏また広中平祐氏など日本人数学者もちょくちょく出てきて、少しうれしい。出てくる数学理論の中身を理解することはとても難しいを超えて不可能に近いレベルだが、素粒子理論、対称性の破れ、超ひも理論、などと何となくつながっているのだろうなという雰囲気はわかる。誰にでもおすすめというものではないかもしれないが、最新宇宙論にも興味があるという人なら十分に楽しめる。またそんなことよりも、著者の数学者としての人生物語を楽しむべき本なのかもしれない。

    いずれにせよ、個人的には青木さん翻訳の本はもう迷いなく購入すべし、と心得ている。その翻訳の上手さ安定感もさることながら、確立された翻訳者としての評価から科学分野の著作の翻訳依頼は、まずは青木さんに持ち込まれ、その中から彼女が面白いと思うものを選ぶような立場になっているのではないのかと想像している。もちろん、青木さんの選択眼も信頼しているので、もうこれは買うしかない。もう、I can't miss it.という感じ。次も期待して待つ。

  • 古くは朝永振一郎の「物理学とは何だろうか」等、第一線の研究者が記した一般向けの学術解説書は数多あるが、物体を対象としない純粋抽象的理論の体系である数学の現在進行中の研究内容をかみ砕いた言葉でわかりやすく説明したものは、そう多くはないだろう。

    量子論や超ひも理論といった物理学の理論が、元を質せば数学における成果(のある意味簡略版)であることは余り知られていないと思われる。

    純粋理論を突き詰めた数学と宇宙の成り立ちを示す物理学とが同じ理論に行き着くことは、大きな驚異でもあるが、至極納得的でもある。我々が暮らす宇宙は、極めて合理的な存在基盤に立つということだ。加えて、人間の思考が(極く選ばれた人々に限るのかも知れないが)論理的である、ということでもある。

    数学と物理学の間、または数学内の分野間での垣根をまたいだ統合作業も興味深いが、著者の自伝ともいうべき内容も本書の大きな魅力である。最終章の「愛の数式」は「?」だが。

  • ソ連の時代のユダヤ人は悲惨だったんだ。

    天才的数学者の自伝的物語にからめて大統一について(著者からすれば)易しく教えてくれる。

    ラングランズプログラムを初めて知った。
    数学で発展していた分野が物理学的実体を持っているということも。

    とあるSNSで知って図書館から借用

  • ロシア出身の数学者の自叙伝。
    ラングランズ対応などの数学的側面もさることながら、ロシアでのユダヤ人としての迫害のエピソードに驚く。ログノフがユダヤ人迫害の急先鋒だったとは。

  • *****
    何もかもが容易に理解できてしまう世界なんて,つまらないじゃないか! 数学をやることの面白さは,その混乱を克服し,理解し,謎を覆い隠しているヴェールを少しばかり引き上げたいという,われわれ自身の燃えるような情熱にある。そしてそれができたとき,すべての苦しみは報われる。(p.8)

    「数学のみごとな指導原理を,多少とも理解できるぐらいに勉強しておかなかったことを,わたしは深く悔いている。なぜなら数学の素養のある人たちは,あたかも第六感のようなものを身につけているかに見えるからである」(p.14, ダーウィンの言葉)

    数学はわれわれに,この世界を正確に分析し,その結果を吟味し,そうして明らかになった事実が指し示すところへ,どこまでも進むという態度を身につけさせてくれる。そしてドグマと偏見からわれわれを解放し,新しい道を切り開く力を与えてくれる。そうすることで数学は,数学という分野それ自体をさえ乗り越えるための道具になるのである。(p.17)

     わたしはそれまで数学の論文を書いたことがなかった。実際にやってみると,論文を書くという作業は,研究そのものよりも辛いことが多く,楽しいことは少なかった。知識の最先端に立ち,そこに何か新しいパターンを見つけだそうという作業は魅力的で胸躍る経験だったが,机に向かって頭を整理し,それを紙に書いていくのは,それとはまったく別の作業だった。誰かが言っていたように,論文を書くというのは,新しい数学を発見するというスリルを味わってしまったがゆえに受けなければならない罰なのだ。これほど厳しい罰を受けたのは,これが初めてだった。(p.111)

  • 旧ソビエトでのユダヤ人数学者の迫害とラングランス・プログラムの発展が本人の手によって描かれている。著者の波乱万丈の人生は面白いが、肝心の数学部分は途中からさっぱり手に負えないものになってしまった。もう少し基礎から勉強します。

  • フレンケル氏が余儀なくされた旧ソ連での制約された数学活動の記録には心が痛んだ。
    そして何より、数学的内容が過度に易しく説明されなくとも要点がわかりやすく感動した。

    文中の数学の内容を抜き出すと自分が知りたい表現論とその周辺の地図が作れそう。必ずやる!

    ----
    引用元:https://twitter.com/wed7931/status/1085914346746654721

  • 大学進学の章を読む。ソ連時代(今も?)反ユダヤ主義があり モスクワ大学にユダヤ系は入学できない、 のは知らなかった。スターリンはユダヤ人の幽閉計画を実行しようとしていた。

  • 棚番:D18-01

  • 数学の大統一に挑む

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