みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記

  • 文藝春秋 (2015年10月6日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784163903460

作品紹介・あらすじ

迫害の世に、キリシタンは何を思い、どう生きたのか。

そこに生きた人々の声がたしかにいまも聞こえる。

キリシタンの足跡を求めて、長崎からバレンシア、バスクまで――。

リュートをつまびきながら、400年の歴史に埋もれた真実に迫る、

異文化漂流ノンフィクションの傑作!



〈目次〉

はじめに―宙をゆく舟



第一章 リュート

キリシタンの時代

縦割りの西洋梨

リュートとビウエラ

楽器の進化



第二章 植民地

澳門

世界市場

千々の悲しみ



第三章 日本とスペイン

世界分割

家康とスペイン

嵐の前ぶれ



第四章 有馬

リュートとマンドリン

有馬のセミナリヨ

原城

一六一四年

聖人と福者



第五章 大村

大村家の苦悩

純忠の影

鈴田牢



第六章 大殉教

空白の二年半

つまずき

カルヴァリオの丘

絵に描かれた真実



第七章 スペイン巡礼

バスクへ続く道

ビトリアへ

ラ・ハナ

ロヨラとバスク



おわりに

みんなの感想まとめ

歴史の中で生きたキリシタンの姿を追い求める旅が描かれたこの作品は、著者自身の興味から始まり、リュートや殉教の歴史を通じて、当時の人々の感情や苦悩を深く掘り下げています。著者は丁寧な取材をもとに、キリシ...

感想・レビュー・書評

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  • 『転がる香港に苔は生えない』の星野博美である。自らのルーツに探究心を燃やしながら、しかし、それは殆どこじ付けで、かと言って信仰心が強いわけでもない出発点から、天正遣欧少年使節団に引き込まれ、気付くと、リュートという楽器を習い、キリシタンに関係する土地を巡る。だが、丁寧な取材と自ら体験してみよ、というようなスタンスが分かりやすく歴史を解説し、時々、キリシタンに感情移入する。

    しかし、元来、宗教の増殖欲求に対して、私はあまり良い印象を持っていない。布教の必要性が理解できず、イデオロギーの内発的成長欲求、領域拡大欲求を苦々しく見てしまう。著者もその点では冷静である。

    ー 2013年3月に教皇フランシスコが就任して以来、教皇の記事が新聞に登場する機会が格段に増えた。宮殿住まいや教皇専用の豪華なリムジンを拒否したりするからこそ、教皇はメディアの注目を集める。清貧を貫き、率先して貧しい人々と言葉を交わす姿には、カトリック信者でなくとも好感を抱く。就任以来、精力的に仕事をしている印象がある。教皇フランシスコには確かに人間としての魅力もあるが、メディア戦略が巧みだなと言う印象も一方では強く受ける。広報重視の姿勢は教皇がイエズス会出身だからだろうかと思ったりもする。

    ー 雲仙温泉では、小さな穴をいくつも開けた柄杓に温泉の熱湯を入れ、棄教しないキリスタンの体にかけることを繰り返し、息も絶え絶えになったところで、煮えたぎった谷底に突き落とすと言う筆舌に尽くしがたいキリシタン責めが行われた。

    ー カトリック教会は回心の物語を好む。聖書の記述者として知られ最後は逆さ磔で殉教したパウロもまた元はキリスト教の迫害者だった。全く正反対の価値観を持ち、世俗的な生き方をしていた人間が神の道に入るからこそ、その信仰は強固なものとなると言う信念が、信者には強い引力を発揮するのだろう。それはカトリックに限った傾向ではなく、宗教と言うものの本質が回心を好むのかもしれない。

    信仰が分断や悲しい結果を齎すならば、そこには救いはない。キリシタンの悲運を巡り、抗争と惨劇に改めて触れる事で強く思う。

  • 16世紀の天正遣欧使節への興味から、キリシタンの殉教を遺構を旅しながら考察する内容。
    あくまで作者の私的な興味から始まっているところが誠実でよいと思った。今現代に生きてる作者の感想と、当時の人たちの気持ちを理解したいという情熱に溢れた熱い本。
    それだけに読むのにめっちゃ時間がかかった。

  • 東西の出合い、少数者への温かい眼差し、自分の感情を簡潔表す文章、星野氏の著作で、先ず私が好感を覚える点である。

    自分の感情を簡潔に表すことは、やってみると意外と難しい。どうしても着飾ろうとするのが、人間の性だからだ。

    しかしそれ以上に、彼女の関心の広げ方には、畏敬の念すら覚える。
    とにかく、気になったことは知りたいと突き進む様子が、ページを繰るごとに手にとるように伝わってくる。だから、まだ読み終わらぬうちに、別の著作を入手したくなってしまう。

  • 私的キリシタン探訪紀という副題が本書をひとことで的確に表しているが、丁寧な取材からなる日本におけるキリスト教史に著者の日常や感性が絶妙に織り交ぜられて、彼女の数年間が手にとるように感じられる。500ページの大作だが飽きさせることがない。すごい筆力だと思う。リュートの”まろりんまろりん”という音色、長崎やスペインの風景と人々の描写がいい。

    [more]<blockquote>P209 昔はどれほどすばらしいことやひどいことがあろうと、ぽんぽん感情を切り替え、次に進んでいた。旅が下手になったというより、旅の必須条件である感情の切り替えが不得手になったのだ。旅の仕方に優劣などないけれど、あのころのような旅ができなくなったことだけは確かだった。

    P237 人の認識は、物量に圧倒的に左右される。情報量が多いことを重視し、少ないものを無意識のうちに軽んじてしまう。「都崩れ」は情報量の少なさで存在が埋没してしまった一つの例と言える。

    P287 キリスト教をファーストフードに例えるなら、日本に最も大きな影響を及ぼしたという点で、イエズス会はさしずめマクドナルドといったところだ。【中略】日本で起きた迫害には、日本側の思惑と各修道会の勢力争いが複雑に絡み合っている。それをできる限りひもといていきたいのだが、新しい味を広めたイエズス会の功績がとてつもなく大きいことを忘れるわけにはいかない。

    P429 はるばる遠くの異国からやってきた、肌も瞳の色も異なるこのパードレに、なぜ自分の言葉が通じるのだろう。【中略】そしてパードレもまたキリシタンから影響を受けていた。【中略】彼らはみな地上から姿を消し、天上の星となった。私は彼らが最後に迎えた殉教という惨い結末ばかりにとらわれていた。しかし天に召される前、互いに心を通わせる幸福な瞬間があったはずだと、その時思えたのだった。</blockquote>

  • 日本にやってきた伴天連達は布教によって日本を植民地化する。これを読むと全く事実と異なる知識を植え付けられたもんだと、あゝ自分が情けない。ま、教科書ではそんなもんか。
    殉教を求めて日本へ、殉教、殉教、殉教することが神に近づく第一歩、もちろん神にはなれないが、福人、聖人にはなれる。拷問死こそが殉教、布教苦難があってその結果殺されて晴れて殉教、もうわけ分からん世界なんだけど殉教を求めてきたパードレ(伴天連)達の生き方を知ると涙が出る。泣いてないけどな。
    筆者のキリスト教を巡る紀行文と見ても面白い。個人的には日本史の復習にもなりました。ありがとうございます。
    ここ最近で1番嵌った本。最高の一冊。

  • リュートへの興味からどんどんキリシタンへの探求に分け入って行くその過程で,こちらもぐいっと引き込まれていきました.あまりにも知らなかったことが多く,それぞれの人々の生き方や,信仰の力といったものや,歴史に潜む裏事情など,圧倒されました.星野氏のたぐいまれなる文章力と執念とも言える探査能力によるところも多いと思います.面白かったです.これに地図や肖像画などがあればもっと良かったのですが.

  • 少し古い本ですが大変興味深く読むことができました。

    私自身はキリスト教徒ですが、宗教の本と言うよりも、キリスト教を一つの視点とした歴史の中の日本を学ぶ事が出来ました。

    ポルトガルとスペインの関係、イエズス会と托鉢修道会の関係、海外貿易と布教など、なんとなくしか知らなかった事も多く、本書からの学びは大きかったです。

    殉教者の道は後世の我々からすれば一本道のように見えるが実際には無数の選択肢の中で彼が選んだ道だったはず。と言う点は、私の人生の選択も後世に何かの線を残す可能性もあるのでは?と思う反面、殉教と言う道に光を当ててしまうカトリックの教義にも問題はあるのでは?など、色々と考えさせられました。

    イスラム教のテロリストがやるような火炙りや斬首と言った残酷な処刑を、我々の先祖も400年前にやっており、我々は世界から確かに見られていたし、今も見られていると言う視点は忘れずに持ちたいと思います。

  • 少しずつ 噛みしめるように感動しながら読んだ 旅行記 かと思ったが日本とキリスト教をふかんする貴重な 物語だった

  • 日経新聞 夕刊 1/23/2020
    こころの玉手箱 星野博美

  • #星野博美 「 #みんな彗星をみていた 私的キリシタン 探訪記」読了。星野さんの本は「転がる香港に苔は生えない」から時々に読んできた。星野さん自身と題材が骨絡みになっていく印象がありある意味、私小説作家なのではないか。美を削るように書いておられるようで、そこが少し気になる。

  • 日本とキリスト教の関わりを、江戸初期、現代、長崎、東京、千葉、スペイン、香港など行ったり来たりしながら描く随筆。からりとした語り口であるが、客観的、冷静に事実を捉え共感を持ちやすい。キリスト教という、もっとも身近で、歴史や社会など学校の授業にもよく主要人物や事件が取り上げられるものありながら、実はよくわからないものを、ぐっと個人に近寄らせてくれるもので一読の価値あり。例えば現代人は長崎を「殉教の地」などと半ば美化して表現したりするが、殉教とは「異教徒として処刑されること」であり、もっと史実・事実に目を向けなければならないだろう。

  • 著者の足取りを追えるように書かれているのがとてもありがたい。おそらく、こういう話題だと追いつけないのだろうなあ。悲惨な話が多いので読むのはなかなか大変。最後がスペインなのはよかった。一度行って見たい。

  • 個人的興味をつのらせ過ぎて中世の楽器リュートを習い、長崎のキリシタンの足跡をとことん辿る旅。仏教の家庭に育ち、ミッションスクールに通った星野さん。歴史家でもなく宗教家でもない彼女ならではの、極めてフラットな視点から深く掘り下げた話がとても面白い。

  • レビュー省略

  • 今のところ 今年のナンバーワン!

  • 前半の楽器のくだりはあまり要らないのではと思いましたが、中盤からの実地での探索などを通して深めていく部分についてはとても良かったです。前半はスピリチュアルな要素?も書いてあったりして投げ出しそうになったので星3つ。

  • 西洋から見たキリシタン迫害は、どのように見えるのか。カトリック系大学で学んだ女性の視点による長崎、島原、キリシタン大名有馬晴信・大村の膝元などの探訪記。中浦ジュリアンなど4人の天正少年使節の里も。そしてスペインのロヨラ訪問。スペインでは日本の印象は、「村の出身の身近な宣教師(パードレ)たちが残酷に殺された場所!」その時、日本人が多く殺されたことも知らない!実は宣教師たちが日本に潜入したのは、日本人キリシタンを見捨てることができず、彼らと一緒に死ぬためであったとのこと。カトリック教会の列聖、列福という仕組みがあり、日本での出来事が詳細に欧州には伝わっていたということ。キリシタン所縁の地を世界遺産にというのは著者にとっては御目出度すぎる滑稽噺かも知れない。衝撃なのは、「信徒発見」と美談として語られる1865年に浦上天主堂に名乗り出た隠れキリシタンのその後である。彼らも迫害され、牢に入れられ、600人近くが死んでいった者も多いとは衝撃的な事実!多くの日本人たちの悲惨な生涯が記録されているのは、一部の人たちだけであるとのこと。イエズス会や托鉢修道会の宗派対立が全体を把握できなくしているということも残念なことである。またそのことを日本人たちも実は気がついていたのは驚きである。
    日本人の改宗に宗教画が効果があったとの記述は成程!というところ。特に聖母マリア像はいかにも日本人好みに思われる。1582年3月8日の巨大彗星出現が、この年の大事件!を予言していたのはいかにも神秘的。

  • 好奇心の赴くままに、読み漁り、足を運んでいます。当時の楽器リュートまで誂え習得して、広がる探究心と掘り下げる情熱が眩しい。おかげで血が通った我が国のキリスト教盛衰史になっています。ところで、教会群は今までの世界遺産としてはタイプが違います。海外のキリスト者が殉教の地に来る目的。長崎はその残虐な迫害史に向き合う覚悟があるのでしょうか?どうやらエキゾチックやノスタルジーだけでは済まない遺産と気づかされました。

  • 渾身の作品、というと余りに商業主義に染まった言葉の響きがしてしまうけれど、これは星野博美のまさに渾身の一作だと思う。この作家の好奇心の旺盛さは認識していたし、その好奇心を満たすために労をいとわないことも知ってはいたけれど、これはすごい作品だと思う。言うなれば執念の為せる業だ。

    何故という問いを発することは比較的簡単な事だしそれだけで猫は死なない。何故に答えようとする行動力が伴って初めて猫をも殺してしまう好奇心といえるのだと思う。その意味では、星野博美を読み続ける切っ掛けとなった「転がる香港に苔は生えない」や「愚か者、中国をゆく」でも作家は十分に好奇心の強さを発揮していたと思うし、その行動力を少し羨ましくも思っていた。その好奇心の向かう矛先はどこまでも直線的で鋭く前方を切り拓くような躍動感がある。それが面白く、時に襟を正されるような気分にもなるのが星野博美を読む魅力だと思っていた。

    そんな星野博美だけれど「コンニャク屋漂流記」から彼女の好奇心はレベルアップしたように思う。単純に言えば何故に対する視点が輻輳化したのだ。鋭く切りつける為には躊躇してはならない。その為には、極端に言えば少し自己中心的な面が必要だ。しかし相手の事情を忖度しなければ見えてこないものもある。不遜な言い方をすれば、星野博美は切りつける前に周りに目が配れるように進化したように思われるのだ。とは言えその輻輳する視座を最初から得ている訳ではない。いわゆる小説における神の視点のようなものが本書の中にしかとあるわけではないのだ。ただただ好奇心に任せて広範囲に及ぶ何故の向かう先で集められた情報が、いつの間にか繋がり合い立体的に立ち上がり時空間に拡がる。その醍醐味を共感できる形に落とし込むことができるのが星野博美の才能だろうと思う。

    400年前のザビエルの来日から鉄砲伝来、種子島、南蛮貿易、長崎、天草四郎、と頭にただ詰め込まれたキーワードからは、内か外かの単純な構図しか見えていなかったけれど、外は外でポルトガル、スペイン、イギリス、オランダと、カトリックとプロテスタント、各宗派間の思惑やつばぜり合い、スペインと一括りに出来ない旧国家間の距離、宗教画に籠められた意図や残された書簡に書かれなかった事柄の意味。そんな複雑に縺れた糸の固まりを星野博美は一本ずつ自分の言葉で解きほぐしに掛かる。

    始まりはリュートを巡るエッセイかと思いきや、トンでもない歴史解説に発展していき、最後には時の隔たりをも超越する。さらに「島へ免許を取りに行く」や「コンニャク屋漂流記」の逸話にまで話は繋がってしまう。言ってみればエンデの「はてしない物語」の中で語られる「これはまた別の物語」と置き去りにされた物語たちを全て集めて来たようなものではないか。それを纏めた星野博美も凄いと思うけれど、何よりも主人公たちの物語を死に物狂いで遺してきた人たちがいたということに思い至ると衝撃すら覚える。世の中には名も知られていないアトレーユたちが如何に多く居たことか。それを思うと日本人はやっぱり忘れてしまうことが多すぎるのかも知れないとも思う。自分も少しは星野博美の拘りを見習おうか。

  • 重くて持ち歩きできず家でのみ読んでいたため、時間がかかってしまいましたが、本当に面白かったです。キリシタンについて多少は知識があるつもりでいましたが、誤った解釈を信じていたり、初めて知ることがあったり、たくさんの新しい発見がありました。

    本書はサブタイトルに「私的キリシタン探訪記」とあるように、著者のミッションスクール時代、香港での留学生活、ゆかりの地への旅、リュートという古楽器に魅せられたことなどと東西の歴史に関する記述が混ざり合い、著者の気持ちの動きを感じながら読み進めました。

    後半、長崎で殉教したハシントの故郷ラ・ハナで出会ったレオン神父とのエピソードが感動的で、納得、共感しました。かすかにモヤモヤする気持ちを抱きながら読んでいた箇所もあったのですが、それをパーッと晴らしてくれるように感じました。

    本書を読んで、もっと当時の歴史について知りたい気持ちが湧いてきました。私にとってガイドブックのような本になりそうです。

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著者プロフィール

1966年、戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。著書に『転がる香港に苔は生えない』(2000年、第32回大宅壮一ノンフィクション賞)、『コンニャク屋漂流記』(2011年、第2回いける本大賞、第63回読売文学賞随筆・紀行賞)、『戸越銀座でつかまえて』(2013年)、『みんな彗星を見ていた』(2015年)、『今日はヒョウ柄を着る日』(2017年)、『旅ごころはリュートに乗って』(2020年)など多数。

「2022年 『世界は五反田から始まった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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