日本人はどこから来たのか?

  • 文藝春秋 (2016年2月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784163904108

作品紹介・あらすじ

◎著者テレビ登場! 日本人の旅路を説き明かす
テレビ東京『46億年の地球博物館~恐竜vs人類~』2016年2月14日(日)16:00~17:15放映予定


約10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンス。
彼らはどうやって日本へやって来たのか? その道のりについて欧米学界にはある「定説」が存在する。しかし、著者はそれに違和感を持っていた――。

著者が10年に及ぶ研究の末に積み上げた新説とは。
4万8000年前、アフリカを出た私たちの祖先は、ヒマラヤ山脈をはさんで南北に別れて拡散。1万年後、東アジアで再会する。

そして私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3つのルートから進出した。

3万8000年前の航海術の証拠と実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。
国立科学博物館、気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がってきた、日本にいたる人類の「グレート・ジャーニー」、その新たなる仮説がここに――。



【目次】

はじめに 私たちはどこから来たのか?
遺跡調査は日本の国内で閉じているかぎり本当のことはわからない。
本書は、海外の遺跡との比較とDNAの研究という重層的なこの10年の
研究で浮かび上がってきた、人類がこの日本に到達するまでの新しい仮説である

第1章 海岸沿いに広がったのか?
私が強く違和感をいだいてきたのが、欧米研究者の間でいつのまにか
定説となっている「海岸移住説」だった。アフリカを出た人類は、
中東から海岸沿いに広がっていったというものだが、はたしてそれは本当だろうか?

第2章 私たち以前の人類について
かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。
北京原人やジャワ原人らの原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。
これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある

第3章 ヒマラヤ南ルート
世界各地の遺跡年代をマッピングすると、ホモ・サピエンスは4万8000年前、
ヒマラヤ山脈を南北に隔てて、別れて拡散していったことがわかる。
インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る

第4章 ヒマラヤ北ルート
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み、
北極圏に至った者までいた。さらにモンゴルを経て、4万年前頃には
中国、朝鮮半島など東アジアに到達したらしいことが、石器の特徴から見えてくる

第5章 日本への3つの進出ルート
日本では3万8000年前から、突如人類遺跡が爆発的に現われる。
それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、
対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れた

第6

みんなの感想まとめ

人類の起源と日本への到達過程を探求する内容で、アフリカから出発したホモ・サピエンスがどのように日本に辿り着いたのかを新たな視点で描いています。著者は、欧米の定説に疑問を持ち、10年にわたる研究を基に、...

感想・レビュー・書評

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  • 現生人類であるホモサピエンスはアフリカに誕生したが、彼らは、何故か5-7万年前にアフリカを旅立ち、世界中に散らばっていく。「出アフリカ」「グレートジャーニー」等と呼ばれる人類の移動である。
    ヨーロッパには、43,000年前から45,000年前の間と思われる、ホモサピエンスの遺跡が見つかっている。現在のインドネシアあたりでは、48,000年前、オーストラリアでは47,000年前、ヒマラヤの北側では46,000年前、中国では40,000年前の遺跡が見つかっており、人類は、それだけの時間をかけて遺跡が見つかっている場所まで移動したのである。
    彼らは3つのルートで日本にたどりついたと考えられている。北海道と陸続きであったシベリアから徒歩でやってきたグループ。25,000年前頃のことだと言われている。朝鮮半島から対馬をつたって舟でやってきたグループ、約38,000年前のことだと言われている。もう一つは、台湾から沖縄諸島をつたって舟でやってきたグループである。約30,000年前のことだと言われている。アフリカからアジアへやってきたグループの経路は、ヒマラヤの北を通るルートと南を通るルートに分かれる。彼らは、東アジアで再度出会い、そして、対馬ルートと沖縄ルートに分かれて日本にやってきたと考えられている。
    大きなストーリーとして考えると、5-7万年前にアフリカを旅立った人がいたからこそ、日本人は存在し、私自身も存在する。仮に世代が変わるのが平均的に20年であったとすれば(昔の平均寿命は相当に短い)、2,500-3,500世代を経て私がいるのである。スケールの大きな、心惹かれる話ではないだろうか?

  • 今現在、現生人類の祖先はすべてアフリカを起源としており、そういった意味では、
    「アフリカから来た」のが、直接的な回答にはなるのでしょう。

    この本は、そこから、どのようなルートを経て「日本」に入ってきたのか、との検証になります。
    といっても、いわゆる学術書的な重さではなく、概論的な位置づけとなり、読みやすかったです。

     “南ルートと北ルートの集団は、互いに出会ったのだ!
      両者の祖先がアフリカを離れ、4万8000年前後にヒマラヤの北と南の二手分かれてから
      およそ1万年後に、東アジアのどこかで。”

    本書で取り上げられているのは、北海道からアイヌを経てのルート、
    朝鮮半島から対馬から中国地方に入ってくるルート、

    そして、台湾から沖縄(琉球)を経て九州に入ってくるルートの、3ルート。

    検証素材としては、黒曜石や石器、人骨DNA鑑定などの一般的なものですが、
    いずれもそんなに深い検証結果までは記載されておらず、

    あくまで思考の材料を提供するにとどめている感じで、この先の深い検証がされているであろう、
    各種分野の材料を読みたい、検証してみたいとの、知的好奇心を刺激される内容でした。

    ん、日本人の原風景には海があるな、とあらためて感じさせてくれた、そんな一冊です。

  • 「交雑する人類」と合わせて読んでほしい本です。
    「交雑する人類」では日本側が非協力的だったために十分に解析できなかった、とされている日本の遺跡の古代DNAについての記述があります。この本のほうが古いので、向こうの方のやりたいことはまだ出来ていないのでしょうが……

  • 人類史や日本列島の旧石器時代について知りたい方にはオススメの1冊でした。
    ただ私はあまり旧石器時代が好きではなく、古墳時代以降を主に調べています。
    なので私としては、さほど感じるところは無かったのですが。

  • とても分かりやすい。
    人類学や考古学の素養がない人にも分かりやすく書かれていて、日本人の起源を考える入門書として大変に良い

  • 分からないことも多い分野のようなので、彼の考えでは、という部分も多そうだけど。日本人はどこから来たのか、に対する海部さんの考えは

    アフリカを出てヒマラヤの南と北に分かれてユーラシア大陸を横断してきたホモサピエンスが東アジア辺りで再開し、その後対馬ルートで日本に来ただろう。
    別ルートで少し後に台湾から困難な航海をして沖縄に来た人々もいるだろう。
    また別ルートでシベリアから北海道に来た人達もいるだろう。
    その後時が経って弥生時代には中国、韓国から稲作、金属の文化を持った人々が対馬から渡ってきて本州と九州で混血して行っただろう。
    北海道にはオホーツクにいた顔の平坦なアザラシなどの漁をする人々も渡ってきて、混血して行っただろう

    ということでした。

    台湾からの黒潮を横断する航海がその頃の航海技術で可能なのか、
    島間の移住には男女何人くらいが移り住めばその後人数が維持出来るのか、
    興味を惹かれるけどまだ分かってない、これから実験するとか、数理の先生に計算を依頼したので時期に答えをもらう、とか、知りたいけどこの後どの本読んだらそれ分かるの?という問題が多くてもどかしかった。

    その後ぐぐったら、多分島間の移住には男女含め10人、2家族位は必要、のようだった。
    台湾からの航海はその後実験してみたようなので、本を探してみようと思う。

  • ハードカバーで2cmほどの厚みだが、9ポイントぐらいの大きな文字にマージンもたっぷりという構成なのでさらりと読める。

    また、やや本末転倒だが、各章ごとの要約文が目次に記されているため、そこを読むだけでも本書で伝えたい内容はわかる。本文はその肉付けのようなものとも言える。

    少々辛口になってしまった。
    辛口ついでに言ってしまうと、いわゆる文学作品と比べて、著者の使うレトリックや感情表現が少し目障りでもあった。そのような表現を入れずとも内容としては良い研究だと思うので。

  • ■現生人類のアフリカ起源説によれば,ホモ・サピエンスはアフリカの旧人から進化して世界へ広がったのであり,我々はユーラシアにいた北京原人やジャワ原人やネアンデルタール人の子孫ではない。遺伝学,化石形態学,考古学の主要3分野がすべて同じ結論を示している。
    ①遺伝学的証拠:世界中の現代人のDNAを比較するとその共通祖先は20万年前頃のアフリカにたどれる。北京原人はそれより古い約75万年~40万年前のアジアにいたので,この結果は北京原人が我々の祖先という考えと相容れない。
    ②化石形態学的証拠:現代人と同様の形をした人類の頭骨化石が,アフリカでは20万年~15万年前の古い地層から見つかっているが,そういうものがヨーロッパやアジアで見つかるのは5万年前より後のことである。5万年前以前のユーラシアで見つかるのは原人化旧人の化石である。
    ③考古学的証拠:考古学で「現代人的行動」と呼ばれる一連の先進的行動がある(アクセサリーの使用など)。アフリカではそれが10万年~7万年前の異性に明確に現れているがアジアやヨーロッパで顕在化するのは5万年前より後のこと。
    ■我々はネアンデルタール人と僅かながら混血している。ネアンデルタール人と共通するDNAを持っているのはアフリカ人以外の現代人集団で,その割合は1.5%~2.1%。日本人を含む,アジア,オセアニア,アメリカ,ヨーロッパの人々は皆,僅かではあるがネアンデルタール人の遺伝子を持っている。
    ■ヨーロッパでは4万5000年~4万3000年前に始まる後期旧石器文化を生み出したのがホモ・サピエンスであるクロマニヨン人でそれ以前の中期旧石器文化を担っていたのが旧人であるネアンデルタール人だった。この二つの文化は大きく異なるが一言でいえばその違いは際立った創造性の有無にある。
    ・繊細で多様な石器
    ・動物の骨や角を使った針や槍先
    ・魚を取る銛の出現
    ・ビーズやペンダントなどの装飾品
    ・器楽で音楽を演奏
    ・洞窟の壁に絵
    ・副葬品を埋葬するなど死者への接し方の違い
    ■クロマニヨン人はアフリカからヨーロッパにやってきた「移民」
    ■アフリカを出たホモ・サピエンスの集団が初めてヒマラヤの南を歩いた時期は「最終氷期」という寒い時期に当たり地球全体の気温は今よりも低かった。
    ■人類はおよそ400万年前以降木登り行動をやめて森を離れ,それ以降はずっとサバンナを中心に進化してきた。
    ■現代の地球は間氷期とよばれる温暖な時期。氷期の海面は現在よりも130メートルの下がっていた。
    ■ネアンデルタール人の系統はおよそ50万年もの期間にわたりヨーロッパで進化してきたと考えられている。
    ■日本列島の旧石器時代の遺跡の大多数は4万年前より新しい。
    ■中国や韓国からは,原人若しくは旧人が作った,ハンドアックスと呼ばれる大型の石器が多数発見されているが,日本では知られていない。
    ■3万8000年以降に日本列島において遺跡の数が爆発的に増加している。
    ■日本全国には旧石器時代の遺跡が1万箇所以上あるがこれらの遺跡の年代が3万8000年以降に集中している。
    ■5万~3万年前頃の日本列島
    ①アジア大陸では黄海がほぼ消失し中国東部の海岸線が100~400キロメートルも沖に張り出していて台湾は大陸の一部になっていた。
    ②日本列島では瀬戸内海が存在せず,本州・四国・九州が繋がって一体となった「古本州島」を形成していた。古本州島と朝鮮半島とは,今よりも狭い海峡で分け隔てられていた。
    ③北海島は古本州島と離れていたが,サハリンを介してロシアのアムール川河口域まで陸続きであり,アジア大陸から南北に伸びる半島の先端(古SHK〔Sakhalin/Hokkaido/Kurile〕半島)となっていた。
    ④琉球列島の島々も少し拡大し,石垣-西表,沖縄-慶良間など合体していた島もあった。
    ■日本列島への最初の渡来ルートは対馬ルート。
    ■古本州島の最古段階の後期旧石器文化はしばしば「均質」であったと言われる。
    ・台形様石器:柄に装着して槍先として使われた石器
    ・刃部磨製石斧:刃の部分が砥石で磨かれている石の斧
    ・環状ブロック群:石器の集積(石器ブロック)が多数リング状に並んだ構造でテントのような住居が円形に配置されている集合キャンプ跡。
    ■愛鷹山にある井出丸山遺跡で見つかった当地域最古の3万7500年前頃の石器の中に神津島産黒曜石が含まれていた。
    ・世界最古の往復航海の証拠(人類最古の渡海の証拠は4万7000年前に達成されたインドネシアからオーストラリア・ニューギニアへの移動)
    ・日本列島へ渡来したホモ・サピエンス集団は黒曜石のような良質の石材など欲しい資源の探索行動を行っていた
    ・船を作る技術を持っていた
    ■沖縄諸島ではほとんど石器が出てこず,貝殻を割った貝器を多用する「石器に依存しない文化」である。九州以北とは文化的につながらず沖縄地方の旧石器文化は人骨の研究も示すとおり台湾経由で南方から伝わったに違いない。
    ■4万7000前頃のオーストラリア・ニューギニアへの移住が,ホモ・サピエンス最古の渡海。
    ・地中海の孤立した島に人類遺跡が出現するのはせいぜい1万2000年前か,おそらく8000年前以降
    ・アメリカ大陸進出は1万5000年前以降
    ・日本列島は3万8000年~3万年前(オーストラリアに次いで古い人類の海洋進出)
    ■北海道からは旧石器時代の人骨化石が一片たりともみつかっていないが北海道の細石刃文化はシベリア起源と考えるのが妥当であり,北海道縄文人は基本的には北東アジアからやってきた集団の子孫であると結論(安達登氏のグループ)。
    ・北海道の各地で発掘された56体の縄文人骨を分析してミトコンドリアDNAのタイプをみてみるとN9b,D4h2,G1 b,M7aという4種類だったが,なかでも多いのがN9b
    ・アジアの現代人集団の中でN9b,D4h2,G1bはロシア極東地域に暮らす少数民族(近現代に移住してきたヨーロッパ系のロシア人ではない,ウリチ,ウデヘ,ニヴフなどの先住民族)にあるが東南アジア集団には見られない
    ■列島最古の後期旧石器文化は対馬ルートからもたらされた。このとき朝鮮半島から海を越えてやってきたのが最初の日本列島人である。
    ・北方系文化の指標ともいえる石刃技法
    ・南方ルート由来の海洋渡航技術
    ■日本列島最古の文化の考察するにはアジア大陸の南北の文化が交差した可能性を考えるべき。
    ■縄文時代後半期は列島で大規模にモノが動くようになった時代であったが輸送を可能にした要因は丸木船を利用した海上輸送の発達にあった。
    ■本州から180キロメートルの海上にある八丈島にも7300万年前に縄文人が現れた。
    ■縄文時代前期(7300~5500年前)の九州では曾畑式土器など朝鮮半島の土器製作法を取り入れたとされる土器が流行した。九州の縄文人が朝鮮半島と交流を持っていた証拠である。
    ■3万8000年前の古本州島に現れた集団が基本的にその後の縄文人への連続して行った可能性が高い。最初の日本列島人たちの系譜が途絶える劇的な集団の交替が起こった証拠は見出されていない。
    ■「弥生渡来論争」:弥生文化が大陸からもたらされたのは疑問の余地なしだが実質的に人の移動を伴わない文化だけの伝播か,或いはかなりの規模の集団の渡来を伴うものだったか。
    ■弥生時代以降に縄文人の系譜を受け継ぐ在来系の人々と大陸からの渡来系の人々が様々に混血した結果として歴史時代の日本人が形成された。
    ・渡来系弥生人の遺伝的影響は地域により異なるが本州~九州で強く,アイヌや琉球の人々では弱かった(日本人の「二十構造」)
    ・弥生時代の幕を開けたのは大陸からの移民たちでそれは旧石器時代からの基本的に連続してきたと思われる九州~本州地域の集団構造を大きく変える出来事
    ■オホーツク文化人のミトコンドリアDNAを調べた結果,アイヌにその特徴の一部が受け継がれていることが分かった。
    ■元は一つの集団だった祖先たちが世界各地へ広がり行く先々でそれぞれ異なる経験をして多様な文化が生まれた。
    ■人類史の中では集団の移動と混血,文化の伝播と相互作用が繰り返されているため,事実上「純粋な民族」や「純粋な文化」は存在せず,その間は緩やかに連続している。
    ■より多くの一般市民が人類史を学ぶことを通じて「民族」というものが政治や言語,人々の認識といったもので人工的に規定されている仮の線引きに過ぎないということを理解することが重要。
    ■自分がなるべくその当時の状況を理解し,祖先たちの立場になってものと見ることが大事な姿勢。祖先たちは世界の地理を知らずに移動してきている。裁縫や水面の移動などその発想・アイディアは凄いこと。

  • 蝗ス遶狗ァ大ュヲ蜊夂黄鬢ィ縺ョ莠コ鬘槫ュヲ閠?′縲∬ソ大ケエ縺ョ譛?譁ー逋コ謗俶ュ蝣ア繧貞?縺ォ縲√い繝輔Μ繧ォ襍キ貅舌?繝帙Δ繧オ繝斐お繝ウ繧ケ縺後?√>縺、鬆??√←縺?>縺?Ν繝シ繝医〒譛?邨ら噪縺ォ譌・譛ャ縺セ縺ァ縺溘←繧顔捩縺?◆縺九r蛻?°繧翫d縺吶¥閠?ッ溘?邏ケ莉九@縺滓悽縲ゅ→縺ヲ繧る擇逋ス縺九▲縺溘?ゆサ雁セ後?∝商莉」莠コ鬪ィ縺ョDNA隗」譫舌→迴セ莉」譌・譛ャ莠コ縺ョDNA諠??ア縺瑚塘遨阪&繧後l縺ー縲√b縺」縺ィ邏ー縺九>蜍輔″縺瑚ヲ九∴縺昴≧縺ァ縲∬?蜻ウ豺ア縺??よ園縺ァ縲∽ココ鬘槭′蛻昴a縺ヲ豬キ繧呈ク。縺」縺滓凾縺ョ謇区ョオ縺ィ縺励※縲?□豕ウ縺」縺ヲ蜿ッ閭ス諤ァ菴弱>縺ァ縺吶°縺ュ窶ヲ窶ヲ?

  • この本は、アフリカを起源としてホモ・サピエンスが地球規模に広がっていた中で、日本列島にはどのように渡ってきたのか、日本人のルーツについて、著者の仮説を解説する。目次を読むだけで、この本で提唱されている日本人の起源に関する仮説の概要がわかるようになっている。

    従来の海岸移住説とは異なり、著者らの仮説では、アフリカを出た我々の祖先は、ヒマラヤ山脈を挟んで南と北に分かれて東に進み、再び合流、古代日本には 3万8000年前から、対馬、沖縄、北海道の三つのルートから移住してきたとする。これらが人々が混じり合って、縄文人の祖先となる。1万6000年前から縄文文化が発達、そして 2500年前、稲作文化を持った者たちが入ってきて、今の日本人が構成される。

    各章で、仮説の論拠となっている遺跡の年代のグローバルなプロッティング、人骨化石とそのDNAの分析、遺された石器文化の比較調査を説明、それらを総合した現生人類の移動・拡散のシナリオが示される。

  • とても面白かった。「日本人はどこから来たのか」という問いに対し、ユーラシアの人骨と遺跡の残存状況から、ヒマラヤをはさんで南北から東アジアのどこかで合流した人類が、対馬ルートでやってきたのが最初だという。ほかにも海岸移住説の否定、3万3000年前の北極圏への人類の到達などはとても面白く読めた。

    また文章は平易だが、論理的でとてもすっきり読める。DNA関係などの難しい話を省略して、できるだけ一般の人に理解してもらおうという姿勢が素晴らしい、と感じた。

  • タイトルを見て、もっと文化とか宗教に寄った話しかと思ったら、文字通りアフリカからの大移動の末、どうやって人類の祖先は日本にたどり着き日本人になったのかと言うお話。これはこれで面白いのだが。ただ、こういった祖先たちが幾つかのルートを千年単位の時間をかけて枝分かれし、また合流して我が祖先になったという大きな流れは興味深い。

  • 与那国島から台湾に、古代人のように航海するプロジェクトを
    TV番組で観たのが読むきっかけ。
    約10万年前にアフリカから旅立った日本人の祖先たちは、
    どのような道筋を辿って日本に到達したのか?
    現在の考古学は、DNAの解析、放射性炭素年代測定等の
    新しい技術により、飛躍的に進歩してきた。
    そして、世界中からデータが容易に集められるということも。
    遠い現地へ赴くのも、昔と比べて楽になったことだろう。
    そういうことを念頭にして読むと、更に興味が湧いてくる。
    だって、まだ発見されたことは広大な年月と広い世界の
    ほんの僅かなものだから。
    だからこそ、著者の研究と調査はわくわくさせるものがある。

  • 2017/09/01:読了
     現在の考古学の遺跡の人骨調査に基づく年代推定か見ると、アジア南コースと、アジア北コースで、新人が動いていることが推定される

  • 2017.6.23
    当時常識だと思っていたことが、間違いだと分かり、まずは知的好奇心をくすぐられる。
    ホモ・サピエンスは、旧人とは違い、アフリカから渡ってきた。その特徴は、創造性にあった。日本人の起源としては、一旦、北と南のルートに分かれ、日本で再会したとの説。両者の長所を取り入れていたのだろうか。
    ホモ・サピエンスが縄文人となり、大陸からきた弥生人と混血が進む。

    航海術に優れたホモ・サピエンスは、太平洋横断も試みたのだろうか?試みて失敗したはず。

    著者の最後の、民族とは、相対的、フィクションでかであり、もともとはホモ・サピエンス。だから、他民族に敬意をもてと。

  • 以前、日本人のルーツを研究するために実際に草舟で与那国島から西表島までを航海する実験が行われたという記事を
    読んだのですが、その研究の主導者が書いた本です。ただし、本書にはこの実験内容についてはほとんど書かれていません。
    実験の前に書かれたため。
    アフリカを出た人類がヨーロッパ、アジアへと拡散して、やがて日本列島にもやってくるという人類の足跡が
    シンプルに非常に分かりやすく書かれていました。日本人のルーツをたどる研究ですが、半分以上は日本にやってくるまでの
    人類についての内容となり、後半でようやく日本へのルートについて語られます。日本へのルートには3つのルートがあり、
    対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルートが想定されています。そのうち最初に使われたのが対馬ルートであり、
    海を渡らねば日本へ来ることができなかったことから、彼らは「航海者」だったというのが本書の主張です。
    とするならば、アフリカから陸を歩いてきた人類がいきなり海を渡ったとは考えにくいため、海を渡る経験をした人類が
    関与しているはずだ、ということで、東アジアまで来た人類で注目されるのがヒマラヤ山脈の南側を通った人類。
    彼らはここで航海術を身に着けたらしいです。しかし、日本の旧石器時代の考古学的証拠は実はヒマラヤ山脈北ルートを通った
    人類と似ていることから、ヒマラヤ山脈北側を通って東アジアへ行った人類と南側を通った人類が、やがて1万年後に東アジアで合流し、
    彼らが対馬ルートで日本に渡った、というのが著者の考え。初期の日本人が航海者だったという主張は面白く、航海実験も含めて
    今後どんな議論が展開するのか楽しみです。
    ちなみにすでに行われた与那国島から西表島への航海実験は著者の意図する結果は出せなかったようですが、
    私が読んだ新聞記事によると今年の7月に再度、台湾からの航海実験を行うと書いていました。
    注目したいと思います。

  • サル学は楽しい。
    歴史時代以前のヒトについては謎に満ちているが、研究の進展につれいまだに新たな発見が続いている。
    本書は平易な書き方をしているため、読みやすいがやや物足りない思いも持つ。しかし本書の表題である「どこから来たのか?」というテーマは専門家・一般を問わず誰しもが興味を持つのではないだろうか。
    新たな考古学的発見も望まれるし、DNAの解析などの研究の進化も期待したい。
    世界は謎に満ちているが解明も進んでいるし、知的好奇心に限界はないと確信するものである。

    2017年4月読了。

  • 人類史に沿って旅をする感覚。惜しむらくは、もっと要所要所で地図を差し込んでほしい。大陸レベルの地図しかない。

    アフリカを起源にヒマラヤ山脈で北と南に分かれて東アジアに進み、1万年後に東アジアで合流し、対馬を介して日本列島に進む。また北は北海道から、南は沖縄から、3方向から列島に広がり縄文文化を形成。そのうちの沖縄ルートは人類史上まれにみる困難な航海を行っている。著者は漂流・漂着説を否定。人間は(ヤシの実と違って)長い漂流に耐えるような身体的構造をしていない、ある一定の人数がいないと人口を維持できない。したがってグループが明確な意図をもって航海したと考える。

    さらに時代が下ると、大陸系渡来人が弥生文化を持ち込み、縄文人の系譜を受け継ぐ在来系の人々と、大陸からの渡来系の人々の大規模な混血を伴いながら、現在の日本人を形成していく。

  • 206.12.30 読了

    4万5千年以上前に西サハラで別れ、ヒマラヤ南北に隔てるルートで東走してきた。1万年のとき経て、日本列島で再開。それぞれの石器文化や寒冷地順応などの変化を伴って。

    論理展開が明確で納得。

    初心者でも読みやすい。

    今の私たちがあるのもこうした先人のおかげなのだと実感。

    北海道に見られる細石刃と植刃器(細石刃を周りにつける刃物)が画期的すぎて感動。

  • 国立科学博物館のクラウドファンディングプロジェクトで、台湾から与那国島に航海する話があったが、まさしくその話。アフリカを出たホモ・サピエンスが、シベリアルートと、ヒマラヤ南ルートを通って東アジアにやってきた。そこから日本へは、対馬、北海道、沖縄という3つのルートで入ってきた。一番早かったのは対馬ルートだが、それでも航海は必要。さらに、沖縄ルートでは黒潮を越える航海が必要。それを、人類学、考古学、地学などの研究を総合的に組み合わせ、限られた遺跡や人骨などの証拠から生き生きと描き出す。

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著者プロフィール

 海部陽介(東京大学教授)
1969年生まれ。東京都出身。東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。博士(理学)。
主な著書に『人間らしさとはなにか』河出新書、『サピエンス日本上陸』講談社、『日本人はどこから来たのか』文藝春秋、『人類がたどってきた道』NHK出版などがある。

「2022年 『海洋進出の初源史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

海部陽介の作品

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