太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (477ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163904245

作品紹介・あらすじ

実は米軍内も割れていた!陸海軍と海兵隊の縄張り争い。ニミッツとマッカーサーの足の引っ張りあい。米国側から初めて描かれるミッドウェイ以降の日米戦。(上巻の粗筋)いがみ合う海軍と海兵隊、キングとマッカーサーの主導権争いミッドウェイ海戦からわずか二カ月で、本格的な反転攻勢に出る。その第一歩はガダルカナル。そう主張するキング提督に、マッカーサーは反対する。太平洋における艦隊勢力はまだ日本優勢。早すぎる攻勢は味方を危険にさらす……。が、1942年8月7日、日本がまったく予想のしていなかった海軍と海兵隊による上陸作戦が始まる。それは、戦争史上初めての、陸海空が連携して死力を尽くす戦いだった。(下巻の粗筋)日本艦隊が挑む最後の総力戦艦隊決戦はできるのか? 時間は自分には味方していない。米国は時間がたてばたつほどに巨大な工業製品を次々と太平洋の前線遅滞に送りこんでいる━━。山本五十六のなきあとの連合艦隊の寡黙な司令長官、古賀峯一は、自分が遅かれ早かれ、連合艦隊を投入し、マハンの教えのとおり、戦艦による決戦をいどまなければならないと考えていた。巨艦大和と武蔵を擁した大艦隊で、自分の日本海会戦を戦うのだ。しかし、いつ、どこで?(本書に寄せられた推薦のひとこと)いがみ合う海軍と海兵隊、キングとマッカーサーの主導権争い。米軍のガ島反攻にはこんなドラマがあったのか! 半藤一利(作家)最前線の兵士の目から見た日米両軍の激闘は、国家の運命を賭けた壮大な交響曲だ。 戸髙一成(大和ミュージアム館長)

感想・レビュー・書評

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  • 太平洋戦争をアメリカ側からの視点で辿るノンフィクション「太平洋の試練」シリーズの第2部の下巻。アメリカ軍の本格的な反抗が開始される1943年ごろから、サイパンが陥落するまでをたどります。
    戦争の実情を描くには戦場を経験した兵士たちの証言をたどるミクロな視点、指揮官や政治家がどう決断したのかを描くマクロな視点の2つがありますが、本書はその両方をバランスよく取り入れ、太平洋戦争がどのような展開を遂げたのかをいろいろ角度から知ることができます。また、それをアメリカ側の視点から眺めることができる数少ない好著です。
    前作「真珠湾からミッドウェーまで上・下」も全てハードカバーで500ページ近い大作で、本書もそれに近いボリュームがありますので、読破するにはちょっと根気が必要かもしれません。
    本書は全3部作の第2部という位置づけですから、おそらく第3部は沖縄戦や、日本本土空襲などの戦争後期から終戦までをアメリカからの視点で描かれると予想されますが、ぜひ読んでみたいと思います。

  • これまで色々な類似の戦記本を読んできたが、この本はベストと言えるくらい面白かった。開戦からミッドウェイまでを取り上げた前作同様、大局的な視点と兵士の証言等のミクロの視点を上手くミックスして書かれていたが、この続編でも同様のアプローチで、この戦争の転換点となった海戦を上手く描いている。
    読んでいくと、日本軍がいかに硬直した思想の軍隊であったかがよく判る。日本軍(日本人全体として)は、何事にも「型」を重んじる傾向があり、それは軍全体の戦略も個々の兵士達も同じだった。例えば、ガダルカナルへの日本軍の空襲が毎日同じパターンで繰り返され、出撃してくる度に撃ち落とされているのに、昔の勝ちパターンを変えずに被害が拡大したことや、空戦においても、パイロットが戦闘中に自分の技量を見せつけるようなおかしな行動を取る事もあったらしい。(結局、撃墜されるのだが)日本軍の「武士道精神」は、近代の合理的な戦争には向いていなかった。戦闘を重視する余り、ロジスティクスが軽視され貨物船、油槽船の喪失が徐々に日本を追い込んでいくことになる。
    この本では、日本軍の失敗も多く取り上げられているが、米軍の失敗事例も紹介されている。米軍はその失敗を教訓にする余裕があったが、日本軍にはそれが無かった。そこが大きな違いだったようだ。当時の政治的なエピソードから、民間レベルまで幅広く歴史を俯瞰しており、大変読み応えがあった。
    ちなみに「ガダルカナルからサイパン」は、アメリカ人には抵抗なく読める内容だが、日本人には抵抗があるかもしれない。戦記物の主要な読者である中高年にとっては、タイトルを見ただけで購買意欲が薄れそうだ。

  • アメリカ人の歴史家による太平洋戦争の戦記、三部作の第二弾。
    どうころんでも日本の勝利はなかったあの大戦ではあるが、米国も膨大な被害を出した悲惨な戦いであったことを改めて理解した。
    それにしても、米国の圧倒的な物量、工業力、科学技術の差異、銃後の豊かさには彼我の差を感じざるを得なかった。
    上下巻合わせると700ページ強の翻訳本で、細かい記述が続き辟易する場面もあるが、第三部が出版されたら、やはり読んでみたい。

  • 徐々に太平洋戦の形成は米軍に傾いていく。日本の望みは日本海海戦を彷彿させる艦隊決戦の勝利と有利な条件での講話。一方の米軍は日本が軽視した補給網をじわじわと破壊し、空母起動部隊でも日本を圧倒していく。

    戦前のアメリカでは潜水艦による非武装の商戦に対する無差別攻撃は永らく非難の対象だった。しかし真珠湾攻撃の後無制限の攻撃命令がおり、潜水艦部隊は開戦前の日本が保有した総トン数を超える船を沈め、戦果としては空母起動部隊と同程度となった。戦前の潜水艦が昼間は潜行し有効航海距離は短く、攻撃も遠くからソナー頼りの攻撃で鑑を失わないのを優先されたが、一度積極的な攻撃優先の有効性が証明されると全面的に取り入れられた。さらに魚雷の信頼性が増し戦果は拡大していく。42年に日本が失った油槽船は4隻、それが43年に23隻、44年に132隻そして45年には8月までに103隻が沈んだ。それに伴い日本に届く東インド産原油は当初の40%から44年には僅か5%にそして45年3月以降はゼロになった。日本軍は商船の護衛を軽視し、才能ある士官が当たることはなく、海軍は商船の乗組員を軽蔑的な態度で扱った。被害を避けるための協力関係は望むべくもなかった。

    日本軍が激しく抵抗したタラワは全島が要塞化され日本軍も全滅したが米軍の揚陸部隊も大きな被害を受けた。しかしこの反省から取り入れたドクトリンがサイパンへと続く米軍の圧倒的な物量作戦へと繋がっていく。続くクェゼリンでは制空権を制した米軍は、まず日本の戦闘機を一掃し、次に徹底的に爆撃を行う。艦砲射撃に続き日本兵一人につき1tの爆弾が落とされた。ギルバート諸島とマーシャル諸島を相互支援により不沈空母化するという日本の構想は米軍の空母起動部隊の物量と兵器の進歩により完全に崩れ去った。分散された防御部隊はある時は徹底的に叩かれある時は無視された。

    44年8月連合軍がソロモン諸島中央に達すると天皇は杉山元陸軍参謀長を叱りつけた。「何の方面も良くない、米軍をピシャリと叩くことはできないのか、ジリジリ押されては敵だけではない、第三国に与える影響も大きい、一体何処でしっかりやるのか。何処で決戦をやるのか。」連合艦隊司令長官の古賀は司令部の艦隊決戦への固執には挑もうとしなかった。しかし、いつ、どこで。航空母艦を建造する時間を稼ぎ、燃料補給を考えると油田の近くだ。一方で時間はアメリカに味方し、レーダーや無線、近接信管による対空防御で実力差は開き、物量でも圧倒されていく。

    開戦当初は零戦の運動性能は有利に働いたが、精密工作機械を輸入に頼っていた日本には産業基盤の規模が欠けていた。完成した零戦は40kmを牛に引かれて運ばれた。超排他的な訓練により生まれた世界屈指のベテランパイロットは数が少なく、日本に返されることはなく消耗されていった。教員や練習機も不足し新たなパイロットの技量は低下し続けるのだが、教官に選ばれた下士官、例えば日本のエース坂井三郎でさえ江田島の卒業生を「少尉殿」などと呼ぶように求められた。「おい、貴様」と彼らは無作法に叫んだ。「おれの腕前はどの程度上がったかな?」しかし未熟で技量を持たない彼らがリーダーだったのだ。

    1944年6月オーヴァーロード作戦と同時にもう一つの大規模な水陸両用上陸作戦が仕掛けられた。30万人の将兵と600隻の艦船、兵士一人につき1t以上の装備と補給品がサイパンを目指す。13日に始まった艦砲射撃が海岸砲の大半を叩きつぶし、15日には2万の海兵隊が上陸した。日本軍の抵抗により米軍も損害を重ねたが斎藤将軍の総攻撃は失敗に終わり、勢いは米軍に移る。

    小沢艦隊は米軍空母の位置を把握し決戦にかけていた。しかし、10日からの戦闘で米軍の戦闘機がサイパン、ロタとグアムを襲い角田の第一航空艦隊は435機からばらばらに分散された100機に減らされていた。スプルーアンスは攻撃にはやる同僚を止めたがそれは小沢に先制攻撃のチャンスを与える決定と捉えられた。「ミッドウェイの英雄は正気を失ったのか」先制攻撃は鉄則だった。19日、小沢艦隊の攻撃が始まるが、レーダーに捕捉され航空戦とレーダーと組み合わされた対空砲火が日本軍機を次々と落としていった。空母大鳳と翔鶴は潜水艦により沈められ、飛鷹は雷撃に沈んだ。瑞鶴はなんとか逃げ延びたが日本軍の望んだ艦隊決戦は終わった。

    サイパンには2万5千人の民間人が暮らしていたが彼らにとっての米軍は悪魔や獣の類と信じ込まされていた。捕虜になれば怖しい拷問を受ける。すばやい自殺が最も苦しまない方法だと信じられており、投稿の呼びかけに応じるものはほとんどいなかった。歴戦の戦いで最も無感覚になったアメリカ兵も冷酷に女性や子供を殺したいとは思わなかったし、誰もバンザイ岬から飛び降りて死ぬ女性や子供の光景を見たくはなかった。しかしアメリカも日本も敵から人間性を奪うプロパガンダを繰り返していた。日本の新聞は軍の要望どおりの記事を命じられ、野心的な社主は戦争とその圧力が好戦的ではないライバル紙を蹴落とすチャンスだと理解した。その代表が朝日と読売だった。

    サイパンが落ちることを知った軍の高官たちは密かに認めていた。「もはや希望ある戦争指導は遂行しえず」それに対し戦闘再開を要求したのは天皇だった。「万一サイパンを失うようなことがあれば東京空襲もしばしばあることになるから是非とも確保しなければならぬ」、天皇は受諾できる和平が大勝利の後でしか交渉できないと確信していた。しかし無条件降伏以外の講話条件は連合軍の気をひくことはなかったし最もハト派の指導者も日本のアジア帝国をなんらかの形で維持するものでは
    ならないと思っていた。太平洋戦争は終盤に入っていた。しかし、日本を支配する指導者たちの心が折れるまでさらに150万人の軍人と民間人が死ぬことになる。続く最終巻は「神々の黄昏」2018年に刊行予定となっている。

  • 【実は米軍内も割れていた!】陸海軍と海兵隊の縄張り争い。ニミッツとマッカーサーの足の引っ張りあい。米国側から初めて描かれるミッドウェイ以降の日米戦。

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