科学の発見

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163904573

感想・レビュー・書評

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  • 紀元前から物質の最小単位は存在すると言われていた!みたいな話を聞いても、色々適当言う中で偶々現代の事実と合うことを言った人がいただけだろう、と言う気持ちにしかならなかった。ワインバーグは当時のこれらは科学ではなくポエムだと言う。それを読むだけでもスッキリ。
    では科学とは何でどこからが科学なのか?
    中世の宗教との関係が長めで飽きたが、ガリレオ以降の科学の躍進、熱力学での発見が呼ぶ新たな発見の連続は読んでいて爽快。

  • 「本書は不遜な歴史書だ!」と帯にも「はじめに」にもありますが、そこまで不遜ではありません。著者が語るとおり「現代の基準で過去に裁定を下す」ということをしているため、通常の歴史書的な視点に欠けていますよ、ということです。歴史的事実を追うとか、歴史的意義を考えるだとかは従来の科学史専門書にまかせて、現代の科学とは結局なんなのかを考えたいということなんだと思います。その意味では、歴史を追いながら科学とはなんぞやというのを考えていく本だと思います。私はそのように読みましたし、そのように読むことで科学に対する認識を改めることができたように思います。

  • 非常に面白い。
    一刀両断が心地良い。

    難点は余計な訳注が本文中にあること。訳注がないと分からない人だとこの本は読み切れないのではないか?

    オランダの出版社「エルゼビア」を「エルゼビール」と書いてしまうあたりで翻訳者の馬脚が現れている。

  • とても傲慢。でも、これくらい過去をキチンと批評してもいいと思う。

  • 弱い力と電磁気力を統一的に記述する素粒子の標準模型「ワインバーグ=サラム理論」 を作ったワインバーグがテキサス大学で科学史の講義を担当したことを契機として書かれた本。著者もあらかじめ断っているように、ここで扱われている科学の歴史は西洋および中東のものに限られていて、インドや中国の「科学」は除かれている。しかし、おそらくはインドや中国を含めたとしてもここで書かれた骨子や結論は同じだろう。つまりニュートンをその代表とする17世紀の科学革命はまさに革命であり、そこから現在の「科学」の名に値する科学が生まれたというのが著者の歴史に対する見立てだ。そのことをこの本のタイトルにあるように著者は科学の「発見」と呼ぶ。それは、発見された後にはもはやその前の時点には戻ることのできないような発見のことである。

    自ら「不遜な歴史書」と呼ぶように、「科学」の発見以前の哲人の業績を著者は意図的に批判する。実証の精神の明確な欠如を指摘し、現代の感覚からの強烈な違和感を躊躇いなく表明する。プラトンら古代ギリシアの哲人を「詩人」でしかないと言うのはまだしも、科学革命前夜のフランシス=ベーコンやデカルトに対する批判は辛辣だ。高校生のとき、ベーコンの帰納法とデカルトの演繹法は西洋の科学の発展を基礎づける考え方を産んだ、と教えられた。その内容には少々違和感を持っていたが、そんなものだと思い、昔の人は奇妙なことを考えていたんだなと思っていた。デカルトが「我思うゆえに我あり」を第一原理として神の存在証明をしたその論理にはそれは演繹法とも呼ぶに値しないこじつけだとしか思えなかった。ワインバーグによると、デカルトは自然科学に関して看過できないほど多くの間違いを犯しているという。べーコンの帰納法もそこまで特別扱いするようなものなのかということである。現代の立場から過去に生きた人の考えを断罪することはフェアではないと知りつつもそうなんだよなと納得するところでもある。

    科学革命以前の時代の考えに対して感じる違和感を、著者の言葉を借りて一言でいうと、「世界について何を知るべきか、について現代人なら知っているようなことを、彼らが何も知らなかった」ということになる。われわれは現代に生きていることの意義について何かを感じるべきなのかもしれない。

    現代科学は、世界において目的や愛の存在を前提としない。確実性に対する希望も持たない。著者は科学的探究を行う目的は、喜びを得るためだと言い、「世界はわれわれにとって、満足感を覚える瞬間という報酬を与えることで思考力の発達を促している」と書く。それは素粒子物理学理論の研究に携わり、標準模型を作り上げた著者の、そうとしか考えることができないほどの深い実感と切実な思いのようにも聞こえる。

    そんな著者が、ニュートンの『プリンキピア』を「間違いなく物理学史上最も偉大な著作」と絶賛し、ニュートンによって「科学において天空と地上は完全に統一された」と厳かに宣言する箇所が間違いなくこの本のクライマックスだ。本書に対して、アリストテレスなど古代の哲人を現代の目から断罪することの是非が問題にされているようだが、着目すべきはそこではなく、このニュートンによる「科学の発見」が著者が書きたかったことに他ならない。自分の理論を確かめようとしない古代哲人の姿は、ニュートンの『プリンキピア』を説明するために登場させたに過ぎないように思える。それにしても春分点の歳差や水星の近日点の移動のような細かい点ではなく、万有引力を提唱したニュートンが、近い距離でしか働かないような力の可能性について言及しているのは驚きであるとともにその成果こそが科学的精神が産んだものなのだとも思う。

    本書の後半ではニュートン以降の科学の発展についても網羅されているが、他の本で個別に詳しく取り上げられている内容も多い。それらは科学革命後の帰結についてのお話である。まとめると、「世界がニュートンの時代に想像されていたよりも遥かにシンプルで統一的な自然法則によって支配されていることが、科学の進歩につれて明らかになってきたのである」ということだ。そして、改めてこの本自体がニュートンへの献辞であるように感じた。

    ひとつ注意すべきことは、著者が現時点の科学理論は絶対的に確実なものではないということを繰り返し述べていることである。それ自体が現代科学の原則で、科学革命以前と異なるところである。ダークマターやダークエネルギーの現状や、いつまでも統合されない重力理論などの状況も含めて徹底して自覚をしていることなのだろう。 自身が確立した素粒子の標準モデルについても「美的判断力に導かれた推測である。推測であるが、その予測の多くが的中したことによってその正しさは確認されている」としているが、その正しさはあくまで現時点においては、という保留付きでもある。

    巻末のテクニカルノートは、文中で言及された事実について数式も交えて解説するもので、なかなか手ごわいがまったく歯が立たないというわけではないレベルとなっていて面白い。ワインバーグから、これくらい理解して読んでよね、と言われているようだ。

    「過去半世紀にわたる素粒子の標準モデルの研究において、数学的厳密さの追求がその発達に貢献した例は一つもない」と書いてしまう皮肉屋のワインバーグが書いた不遜な歴史書だが、ある意味で「正しい」理解でもあり、ニュートンの偉大さを再確認する意味でも読む価値がある本。

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    Kavli IPMU(カブリ数物連携宇宙研究機構)の大栗さんが解説を担当。ハーバード大学の科学史のシェイピン教授との論争にも触れられていて、必要十分な素晴らしい解説。

    ウィッグ史観批判に関する大栗教授による考察については以下のサイトも参考になる。
    http://planck.exblog.jp/23859098/

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