科学の発見

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163904573

作品紹介・あらすじ

●本書は不遜な歴史書だ!ギリシャの「科学」はポエムにすぎない。物理こそ科学のさきがけであり、科学の中の科学である。化学、生物学は物理学に数百年遅れていた。数学は科学とは違う――。1979年のノーベル物理学賞を受賞した著者が、テキサス大学の教養課程の学部生にむけて行っていた講義のノートをもとに綴られた本書は、欧米で科学者、歴史学者、哲学者をも巻きこんだ大論争の書となった。「美しくあれかし」というイデアから論理を打ち立てたギリシャの時代の哲学がいかに科学ではないか。アリストテレスやプラトンは、今日の基準からすればいかに誤っていたか。容赦なく現代の科学者の目で過去を裁くことで、「観察」「実験」「実証」をもとにした「科学」が成立するまでの歴史が姿を現す。[目次]はじめに 本書は不遜な歴史書だ本書は学部の学生に、科学史を教えていた講義ノートから生まれた。古代ギリシャのプラトンらの主張は今日の科学の眼から見ると何が「科学」ではないのか? 私は現代の基準で過去を裁くという危険な領域に踏み込む第一部 古代ギリシャの物理学第一章 まず美しいことが優先された世界はかくあれかし、ギリシャの哲人たちは思索した。原子論に似たアイディアまで生まれたが、しかし、タレスらは、その理論が正しいかの実証については興味がなかった。彼らは科学者というより「詩人」だったのだ第二章 なぜ数学だったのか?ギリシャではまず数学が生まれた。数学は観察・実験を必要としない。思考上の組み立てのみで発展する。しかし、ここでも美しくあることが優先され、ピタゴラス学派は「醜い」無理数の発見を秘密にし封印することに第三章 アリストテレスは愚か者か?アリストテレスの物理学とは、自然はまず目的があり、その目的のために物理法則があるというものだった。物が落下するのは、その物質にとって自然な場所がコスモスの中心だからだと考えた。観察と実証なき物理学第四章 万物理論からの撤退ギリシャ人が支配したエジプトでは、以後十七世紀まででも最高の知が花開いた。万物を包括する理論の追究から撤退し、実用的技術に取り組んだことが、アルキメデスの比重や円の面積などの傑出した成果を生んだのだ第五章 キリスト教のせいだったのか?ローマ帝国時代、自然研究は衰退した。学園アカデメイアは閉鎖され、古代の知識は失われる。それはキリスト教の興隆のせいか? 議論はあるが、ギボンは「聖職者は理性を不要とし、宗教信条で全て解決した」と述べた第二部 古代ギリシャの天文学第六章 実用が天文学を生んだ古代エジプト人は、シリウスが夜明け直前にその姿を現すときに、ナイルの氾濫が起きると知っていた。農業のための暦として星の運行の法則を知ることから天文学が生まれた。完全な暦を作成するための試みが始まる第七章 太陽、月、地球の計測アリストテレスは地球が丸いことに気づく。さらにアリスタルコスは観測から太陽と月、地球の距離と大きさを、完璧な幾何学で推論した。数値こそ全く間違っていたが、史上初めて自然研究に数学が正しく使われたのだ第八章 惑星という大問題天動説の大問題は、それが実際の観測と合わなかったことだ。プトレマイオスは、単純な幾層もの天球のうえに星が乗っているというアリストテレスの考えを捨て、観測結果に合わせるために「周転円」という概念を導入第三部 中世第九章 アラブ世界がギリシャを継承する中世初期、西洋が蒙昧に陥った頃、バグダッドを中心にアラブ世界の知性が古代ギリシャ知識を再発見し、黄金期を迎えた。その影響の大きさは「アラビア数字」「アルジェブラ(代数)」「アルカリ」などの言葉に今も残る第十章 暗黒の西洋に差し込み始めた光復興し始めた西洋。アラビア語から翻訳でアリストテレスの知識がよみがえる。だがそれらの命題が教会の怒りに触れ、異端宣告される事件が起きた。後に宣告は撤回されたが、この軋轢は科学史上重要な意味を持った第四部 科学革命第十一章 ついに太陽系が解明される十六~十七世紀の物理学と天文学の革命的変化は、現代の科学者から見ても歴史の真の転換点だ。コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレオの計算と観測で太陽系は正しく記述され、ケプラーの三法則にまとめられた第十二章 科学には実験が必要だ天体の法則は自然の観測だけで記述できたが、地上の物理現象の解明には人工的な実験が必要だ。球の運動を研究するためにガリレオが作った斜面は、初の実験装置であり、現代物理学の粒子加速器の遠い祖先と言える第十三章 最も過大評価された偉人たちアリストテレスを脱却した新しい科学的方法論を打ち立てたとされる偉人、ベーコンとデカルト。だが現代の目で見るとベーコンの考えには実効性がなく、哲学より科学で優れた仕事をしたデカルトも間違いが多すぎる第十四章 革命者ニュートンニュートンは過去の自然哲学と現代科学の境界を越えた。その偉大な成功で物理学は天文学・数学と統合され、ニュートン理論が科学の「標準モデル」に。世界を説明する喜びが人類を駆り立て、ここに科学革命が成った第十五章 エピローグ:大いなる統一をめざしてニュートン以後、さらに基本的な一つの法則が世界を支配していることがわかってきた。物理学は、量子理論で様々な力をまとめ、化学、生物学も組み入れた。大いなる統一法則をめざす道のりは今も続いている解説 大栗博司(理論物理学者)「なぜ、現代の基準で過去を裁くのか」

感想・レビュー・書評

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  • 物理学と天文学は、16世紀から17世紀にかけての革命的変化を経て現在のような形を取るようになり、それ以後の全科学の発展に模範を示しました。
    歴史学者ハーバード・バターフィールドは、科学革命の重要性は「キリスト教誕生以来のあらゆる出来事に勝っている。これと比べれば、ルネサンスや宗教改革も単なるエピソード、つまり中世キリスト教世界の枠内での単なる配置転換に過ぎない」と断言。

    その科学革命の土台として、ギリシャの物理学と天文学が紹介されています。
    古代ギリシャで科学が最も発達したのは、ギリシャ小都市国家がヘレニズムの諸王国やローマ帝国といった強大な国家に吸収されたのちのことであり、また、ヘレニズム時代及びローマ時代にギリシャ人が科学や数学の分野で成し遂げた業績は、ヨーロッパの科学革命が起きるまで凌駕されることはありませんでした。

    しかし、中世世界(イスラム圏でもキリスト教ヨーロッパでも)つまりローマ帝国滅亡から科学革命までの千年間は、決して知性の暗黒時代ではありませんでした。
    古代ギリシャの科学の業績はイスラム圏の学術機関やヨーロッパの大学で維持され、ときには改良されることもあり、科学革命の素地が準備されました。

    それにしても疑問が一つ残ります。
    16~17世紀の科学革命は、なぜその時代にその場所で起きたのでしょうか?
    著者スティーヴン・ワインバーグ氏(ノーベル物理学賞受賞者。テキサス大学物理学・天文学教授)は「考えられる理由は少なくない」と次の件をあげます。
    15世紀のヨーロッパで多くの変化が起き、それが科学革命の素地を作った。
    シャルル7世及びルイ11世統治下のフランスとヘンリー7世統治下のイギリスで、中央集権国家が確立された。
    1453年のコンスタンティノープル陥落により、ギリシャ人の科学者たちがイタリアなど西欧諸国へ逃れた。
    ルネサンスにより自然界への関心が高まり、古代の文献やその翻訳に対してより高い正確さが求められるようになった。
    活版印刷の発明により、研究者間のコミュニケーションが遥かに迅速かつ安価におこなわれるようになった。
    アメリカ大陸の発見と探検により、古代人が知らなかったこともたくさんあるのだという意識が高まった。
    さらに「マートン・テーゼ」によれば、16世紀前半のプロテスタント宗教改革が17世紀イギリスの科学の発展をお膳立てしてのだという。社会科学者ロバート・マートンは、「プロテスタンティズムが科学にとって好ましい社会的態度を作り出し、合理主義と経験主義、さらに、自然には理解可能な秩序があるとの信念を促進したのだ」と考え、プロテスタントの科学者たちの行動にそのような態度や信念の実例を見出した。

    こうしたさまざまな外的影響が科学革命に対してどの程度重要な役割を果たしたのかを判断することは簡単ではありません。
    「運動と重力の古典的法則を発見したのがなぜ17世紀末のイギリス人アイザック・ニュートンだったか」をワインバーグ氏は説明できませんが、その法則がどうしてそのような形をとったか、その理由をはっきり、次のように言います。
    「それは、ただ単純に、世界が実際にほぼニュートンの法則に従って動いているからである。」

  • 科学的

    この言葉をつけるだけであらゆる理論は尤もらしくなる。ビジネスの世界でも、特に文系の人を黙らせる、或いは思考停止に持っていくキラーワードだ。

    では科学的とは何か?

    これは科学哲学の問いだが、この本の著者はホンモノの物理学者。しかもノーベル賞受賞者。彼が言う科学的とは、実際に世界を理解することに貢献するかどうかである。科学哲学では、もっと正確に定義しようとするが、著者は物理学者なので、そんなことはどうでも良い。むしろ、科学哲学の議論を小馬鹿にしている。そうではなく、歴史を振り返り、どうやって理解が進んだか?どんな方法、思考が科学の進歩に役立ったのか?を冷静に分析する。そこには、当時だからしょうがない、といった妥協はない。どんなに今の理論に近かろうと、そこに観測・仮説・検証のプロセスがなければ、ただの空想である。

    このような考えのもと、ギリシャ時代からの自然哲学、天文学、数学のさまざまな発見・進歩を丁寧に解説しながら、方法論について辛口コメントを入れる。そして、ついにニュートンによって現代の科学的方法は確立し、そこから科学が大きく発展することになる。

    本書は科学的方法がテーマであるが、科学史としても一級である。天文学がどのように地上の運動とつながったのか、数学の果たした役割、自然を説明できた喜び、などなど当時の知的好奇心の熱が伝わってくる。また巻末にはテクニカルノートとして、当時の理論を数学的に説明しており、こちらも高校数学で理解できる範囲で面白い。

  • 著者は1979年のノーベル物理学賞受賞者(「素粒子間に働く弱い相互作用と電磁相互作用を統一した相互作用についての理論(=ワインバーグ・サラム理論)への貢献」)。
    その著者自らが「不遜な歴史書」と呼ぶ本書は、科学の発展についての考察であり、大学の教養学部生向けに行った講義が元になっている。
    2015年に出版されると、本書は欧米で大きな物議を醸した。現代の基準で過去を裁くという歴史学の禁忌を破ったためである。
    著者の筆は容赦がなく、プラトン、アリストテレス、デカルト、ベーコンといった過去の偉人たちを厳しく批判している。
    ただ、著者の目的は、過去の人々の誤りを糾弾することではなく、科学的思考にはどういう要素が必要であるが、それがどのように発展してきたのかを考察することにある。
    過去の歴史を振り返ることで、自然を科学的に探究するとはどういうことかが浮かび上がってくるのだ。

    本書で特筆すべき点の1つは、歴史的発見の科学的・数学的背景をまとめた「テクニカルノート」が付いていることだろう。ピタゴラスの定理や、天体の運動、重力加速度、光の屈折といった課題に対して、どのように証明されてきたかがまとめられている。元々が教養学部生向けであるため、使用されている物理や数学の知識は高校卒程度で、比較的噛み砕かれた解説となっている。

    物理学の黎明期は古代ギリシャだが、ギリシャの科学は何よりも「美」や「調和」を重んじたものだった。「かくあれかし」が前提だったのだ。例えば、元素は5つであるとされたが、これは正多面体が5つ(正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体)であるためである。火や土、空気といった各元素はこれらの形を取っていると考えられていた。
    彼らは科学者と言うより自然哲学者といった方が適切だった。現代の科学と最も異なる点は、「実証」を求める姿勢がないことである。
    観測結果と、理論から導かれる結果が一致することを、彼らは求めなかった。
    そのためもあってか、ギリシャで発展したのはまず数学だった。ただし、これも著者によれば、美しくあることが優先され、「無理数」は「醜い」とされ、その発見が秘密裏に封印されたほどだったという。
    アリストテレスは理性によって自然を観察し、理解しようとしていたが、目的論的な姿勢が強く、精巧ではあっても非数学的だった。
    ギリシャ時代以降、17世紀に至るまで、数学で重要視されていたのは幾何学であり、現代物理に不可欠な代数学はなかなか発展してこなかった。
    ヘレニズム期には、万物の根源は何かといった根本的な問いよりも、現実的な問題の方が重視された。ポンプや投石機、原始的な蒸気機関など、技術的な発展はめざましかった。
    この時代を象徴する科学技術者はアルキメデスである。

    天文学は実用的な意味が大きく、また観察が可能であったため、ギリシャ時代から発展してきた分野である。
    だが、地球から見た天体の観測結果から、地球や天体がどのように配置され、運動しているかを解明するのは簡単ではなかった。「美」を重んじる伝統や宗教的な縛り、感覚から来る思い込み、そして観測技術の未熟さから、さまざまな「誤った」仮説が唱えられた。
    17世紀に入り、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ケプラー、ガリレオらの観測や計算によって、惑星が楕円軌道で運行していることが示されてきたが、「なぜ」そうなるかという説明には至らなかった。

    現代科学に不可欠なもの、それは実験である。
    天体が対象である場合、観測は出来ても、動かしたり止めたりといった実験は不可能である。
    地上の物理現象を解明するには、人工的な実験が必要だった。これを初めて行ったのがガリレオで、当社対の軌道が放物線であることを示した。
    これをさらに発展させて、仮説を立て、それが正しいか誤っているかを確認するモデルを作り、実験をして証明する科学者たちが現れてきた。パスカルやトリチェリは、実験によって空気に重さや圧力があることを示した。

    ニュートンの出現によって、物理学は天文学や数学と統合されることになった。重力の発見により、地上の現象と天体の運動を、同じ原理で説明することが可能になったのだ。
    これにより、現代科学が成立したというのが著者の主張である。
    その後、アインシュタインの相対性理論、量子力学の発展を経て、自然の法則を理解しようとする試みはさらに続いている。

    全体に、歯切れのよい展開だが、著者が物理学者であるため、物理を科学の頂点としている点も論議を呼んだ一因だろうと思われる。
    とはいえ、歴史的な科学の諸発見が手際よく解説され、科学とは何かを考えさせて意義深い。

  • 著者のように物理学をやっている人から見たら,科学哲学など,科学研究の推進力にはならないと考えるでしょうね。例えば,ギリシャ自然哲学(アリストテレスなど)にはかなり手厳しい感じがします。でも,「現代アート」はそれまでのアートがあってこそなのと同様,それがなければもっと早く科学が展開してきたかというとよく分からないのではないかと思います。「巨人の肩の上に立つ」という時の巨人に含めるべきものを現代の科学の視点で評価してみようという感じでしょうか。

    やっぱり,「(厳密な)理論と実験の両輪」ですよ。

    宗教と科学の論争についても「歴史は繰り返す」という印象を持ちました。今は「エビデンスベイストに関する論争」にもなっています。アラブの科学が衰退した背景には科学を敵視する風潮があったようです。科学を御用聞き程度にしか使わない政権がいる国では科学は発展しないのでしょう。

    コロナ禍でもニュートンみたいに自宅で研鑽を積める!なんて学生に向けた励ましがあったりするけど,このニュートンは学位を取ってからのニュートンだそうです。だから,学生向けではなく教員向けだな。


    【古代ギリシャの物理学】
    ①実証を求める態度がなければ,その論は詩。論者は詩人。詩なら誰もその内容に関して真偽や証明を求めない。
    ②数学は自然科学のツールであるが,数学は自然科学ではない。数学と科学では数学に対する厳密さの構えが異なっている。これを同じと捉えて,文体を含め,自然科学も数学も理性の力だけで真理に到達すべきとしてきた(きてしまった)歴史がある。
    ③詩→理詰めの転換の象徴はアリストテレスで,古代人としては優れているが,目的論,実験(人工的状況)よりも観念論(非数学的であるが故に詭弁に陥るものも多い)など,現代科学からは相容れないものが含まれている。
    ④ヘレニズム時代は,気前のいいエジプト王の援助により,アテネからエジプト(アレクサンドリア)へと移った。万物原理よりも具体的な現象の理解に力点が転換し,エピステーメーとテクネの区別も緩かった。アルキメデスやアポロニウスが筆頭である。医学の科学化は生物学の発展を待たなければならなかった。
    ⑤ギリシャ科学がローマ帝国時代に衰退したのは,聖書の記述と科学知識との衝突というよりも,「異教徒による科学は,キリスト教徒が取り組むべき霊的問題から心を逸らすものだ」とするように,科学を不道徳の対象(=業火の対象)とみなしたせいだった。ギリシャ科学は注釈と少々の異議として存続したが,創造的活動は過去のものであり,やがて注釈者すらいなくなった。
    【古代ギリシャの天文学】
    ⑥空は方位や日時,暦の情報源としての実用性から,天文学の精密化が進んだ。
    ⑦測定データそのものが未熟であったにもかかわらず,量的な結論を引き出すために数学が正しく使われ,地球,太陽,月に関する大きさや距離についての理解が進んだ(エジプト,アレクサンドリア)。
    ⑧天動説と地動説は,ケプラーによる事実が知られていない時代であったために,ファイン・チューニングになるような複雑な仕掛けを導入するしかなかった。ただ,そのよく知られる対立以前に,天動説にもアリストテレス派とプトレマイオス派の対立があった。
    【中世】
    ⑨暗黒時代は,ギリシャ科学はアラブで存続した。但し,アラブ科学も天動説の範囲で,アリストテレス派(哲学者,医師)とプトレマイオス派(天文学者,数学者)の派閥争いが続いた。しかし,イスラム教は科学を敵視し,次第に衰えさせた。
    ⑩ローマ時代の名残である自由七科を学ぶ大聖堂附属学校(後の大学)の充実化が起こり,古代の著作(ギリシャ語原点のアラビア語訳)がラテン語に翻訳されて蘇った。アリストテレスの著作は例えば「宇宙は法則によって支配されている」という自然主義的だという意味でキリスト教会から歓迎されず,その注釈や支持的立場も含め異端宣告の対象となった(が後に撤回される)。数学と物理学の関係はまだ不安定であり,天動説内の論争はまだ続いていた。
    【科学革命】
    ⑪コペルニクス,ティコ,ケプラー,ガリレオによる展開により,キリスト教と対立しながらも楕円軌道の地動説が科学理論としての地位を形成していった。
    ⑫人工的状況を扱う実験がガリレオから本格的に始まり,ホイヘンスへと引き継がれ,数学の論法へのこだわりから物理学が脱却した。
    ⑬科学者でも数学者でもなかったにもかかわらず極端な経験主義的科学観を表明したベーコンの著作『ノヴム•オルガヌム』は,当時の科学者に特に影響を与えなかっただろう。デカルトは数学を物理学に持ち込んだが,彼の見解に間違いは間違いが多い。虹の説明が最大の貢献だが,方法序説にあるような方法ではないがゆえに,彼の哲学は貢献していないとみなせる。
    ⑭ニュートンにより,物理学は天文学•数学と統合され,光学,数学,力学に関するニュートン理論が科学の標準モデルとなった。
    現代科学は,化学や生物学,脳科学へとその自然観を広げているが,ライオンがインパラを襲うことを原子のレベルで追ったり説明したりする必要はない。ただ,今後も還元主義の道はまだ続くだろう。

    *****
    現在,「科学哲学」という興味深い研究分野が存在するが,これは科学研究そのものにはほとんど影響力を持っていない。(p.51)

    歴史上何度もその実例を見ることができるように,その時代の知識で解明sできる問題とそうでない問題とを見極めることこそ,科学の進歩の本質的な特徴である。(p.58)

    権威を持った人間が自分の権威を損なうかもしれない研究に反対するのは,医学界に限ったことではない。(p.71)

     科学の発見には,自然研究から宗教観念を切り離すことが不可欠だった。この分離には何世紀もの年月が必要だった。物理学においては十八世紀までかかったし,生物学においてはさらに長くかかった。(p.72)

     現代の科学者が「超自然的存在などいない」と最初から決めてかかっているというわけではない。私はたまたま無神論者だが,真剣に宗教を信じている優れた科学者もいる。現代の科学者の考え方とはむしろ,「超自然的な存在の介入を想定せずにどこまで行けるか考えてみよう」というものである。科学はこのような方法でしか研究できない。というのも,超自然的な存在の助けを借りればどんなことでも説明が可能だし,どんな説明も証明不能になってしまうからである。現在盛んに宣伝されている「インテリジェント・デザイン」説を科学と呼べない理由はここにある。それは科学というよりも,科学の放棄である。(p.73)

     古代世界に地動説が定着しなかった理由を述べるのは簡単である。地球が動いていることをわれわれは感じない。そして,それを感じなければならない理由がないことを,十四世紀まで誰も理解できなかった。(p.106)

     古代ギリシャの天文学の偉大な進歩を推しすすめたのは物質的な器具だけではなかった。それには,数学の進歩が果たした役割も大きかった。古代及び中世の天文学のおもな対立点は,「地動説か天動説か」ではなかった。対立していたのは,静止した地球の周りを太陽や月や惑星がどのように運行しているかに関する,二つの異なる理論だった。そして,その対立の大きな部分を占めていたのは,自然科学における数学の役割に対する考え方の違いだった。(p.115)

    現代の理論物理学者も基本原理から推論するが,推論という作業には数学が用いられる。原理自体が数学で表されるものであり,観測から習得されたものである。間違っても,「よりよいものは何か」という思索から習得されたものではない。(p.136)

    ニュートンの成功は,惑星の動きを単に記述したのではなく,それを「説明したこと」にある。ニュートンは重力を説明してはいないし,そのことを自覚していた。だが,これが説明というものの常である。いつか説明される日のために,常に何かが残されるのである。(p.138)

     異端宣告とその撤回という十三世紀の出来事は,おそらくこう要約することができるだろう。異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い,その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったのだ,と。(p.180)

     デカルトもベーコンも,何世紀にもわたって科学研究のルールを決めようとしてきた大勢の哲学者の一人というに過ぎない。科学研究はルールどおりにはいかない。どのように科学を研究すべきかというルールを作ることによってではなく,科学を研究するという経験から,われわれはどのように科学を研究すべきかを学ぶ。そして,われわれを突き動かしているものは,自らの方法で何かを見事に説明できたときに味わう喜びを求める欲求である。(P.279)

    ニュートンは,ロンドン,ケンブリッジ,生地リンカンシャーを結ぶ,イングランドのごく狭い地域から出たことがなかった。潮の満ち引きに多大の興味を持っていたにもかかわらず,その海にさえ行ったことがなかった。(p.280)

    ニュートンはデカルトの,「光は,目に作用する圧力である」という説を,「もしそうなら,走っているときには空の明るさが増して見えるはずだ」と否定した。(p.284)

    物理理論というものは,計算したいと思うすべての物事を計算できるわけでなくても,単純なものの計算が確実にできることが実証されれば,その正当性は証明されたものと見なされるのである。(p.312)

     アインシュタインの予測どおり太陽が重力場によって光線が曲がることが一九一九年に観測され,アインシュタインの理論の正しさが確認されたとき,タイムズ紙は,「ニュートンの理論は誤りだったことが証明された」と宣言した。この記事は間違っていた。ニュートンの理論はアインシュタインの理論の近似理論――光速よりずっと遅い速度で運動する物体に関して有効性が増す理論――と見なすことができる。アインシュタインの理論は,ニュートンの理論を否定しないというだけではない。相対性理論は,ニュートンの理論がなぜうまく機能するかを説明しているのである。一般相対性理論それ自体もさらに完璧な理論の近似理論であることは疑いの余地がない。(p.322)

     つまり,世界はわれわれにとって,満足感を覚える瞬間という報酬を与えることで思考力の発達を促すティーチングマシンのような働きをしているのである。数世紀かけて,われわれ人類は,どんな知識を得ることが可能か,そしてそれを得るにはどうすればいいかを知った。われわれは,目的というものを気にかけなくなった。そんなことを気にかけていては,求める喜びには決して到達できないからである。われわれは確実性の追求をやめることを学んだ。喜びを与えてくれる説明は,決して確実なものではないからである。われわれは,設定した条件が人工的であることを気にせず実験することを学んだ。そして,理論がうまく機能するかどうかの手がかりを与えてくれ,それがうまく機能したときには喜びを増してくれる,一種の美的感覚を発達させた。人類の世界の理解は蓄積していくものだ。その道のりは計画も予測も不可能だが,確かな知識へとつながっている。そして道中,われわれに喜びを与えてくれることだろう。(pp.236-327)

  • 著者は現代の目線で歴史上のサイエンスにかかわる出来事や人物をばっさり評価していく。帯でアピールするほど激しいものではないが、もともと文系の私からすると現代から振り返るとこう見えるのか、こういう切り口があるのか、と知れてよかった。

    時間のある時にゆっくり読むのに最適な気がします。

  • アリストテレスは何かと賢人として持ち上げられるが、その主張はなにかしっくり来なかった。ものには目的があるといわれてもまあ、そういう見方もしてもいいかくらいの説得力しか私にはなかった。
    それはアリストテレスの理論が科学ではなかったからだ。
    プトレマイオスの天動説は理論としては間違いだったことがはっきりしているが、当時の観測結果には則しており科学としては妥当なものだった。むしろコペルニクスの地動説は未熟さゆえによく天体を説明できなかった。
    理論をたてて観察によって実証するプロセスは普遍的な知にとって不可欠だ。

  • アリストテレスなとギリシャの古代科学からニュートンまでの現代科学以前を、現代科学の視点でズバズバ評論するって小気味よさを期待してたけど、海外の科学者の書く文章に典型的な、無駄に注釈的な説明を詰め込み、カッコ書きで気の利いたふうな皮肉めいた合いの手(例えばこんなふうな!)が入り、とにかく読みづらい。なんでもっと無愛想に書けないのだろうか?

  • ノーベル物理学賞受賞者による科学史.
    本のこしまきの「本書は不遜な歴史書だ」ばかりが強調されるきらいはあるが,(あたりまえだが)至極まっとうな本である.ワインバーグは,世界の探求の方法を人類が獲得するまでの困難を描き,それを獲得した時の喜びを描く.
    ふつうなら退屈なギリシャ,アラブの科学史が面白く読めるのはまさにこの姿勢が徹底されたことによるし,ワインバーグが情熱をこめて描く科学革命,とくにニュートンの科学は,なかなか感動的.
    アメリカではこの本について論争が起こったそうだが,日本でも科学哲学者とか,デカルト研究者とかアリストテレス研究者がこの本について討論するのを聞いていみたい.

  • 【ノーベル賞物理学者が「現代の目で過去を裁いた」と大論争の書】ギリシャの哲人の思索はポエムだった。そこから観察、実証による現代科学がいかに成立したか。学部講義から熱い科学史が生まれた。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50002020

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