偽りの帝国 緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163904832

作品紹介・あらすじ

誰が、なぜ? 現地徹底取材で送る、王国の腐敗2015年9月、世界の自動車市場でトヨタと1位、2位を争うフォルクスワーゲン(VW)グループで、創業以来最大のスキャンダルが発覚した。 同社は、一部のディーゼル車のエンジンに違法なソフトウエアを搭載することによって、米国の厳しい窒素酸化物規制をかいくぐっていたのだ。欧州最大の自動車メーカーの株価は一時約40%下落し、250億ユーロ・3兆5000億円の株式時価総額が吹き飛んだ。マルティン・ヴィンターコルンCEO(経営最高責任者)は、引責辞任に追い込まれ、トヨタ打倒の夢は、一瞬にして崩れ去った。 この事件によるVWの負担総額は7兆円から13兆円にのぼる可能性がある、と言われる。世界中に12の自動車メーカー、60万人の従業員を抱える、ドイツの看板企業、コンプライアンス(法令順守)を重視する優良企業が、なぜ排ガスデータを捏造したのか? 25年間にわたってドイツで働き、この国の経済・社会について多数の本や論文を発表してきたジャーナリストが、世界の経済史に残る巨大スキャンダルを徹底取材。日本では伝えられない資料を駆使して、事件の経過、VWの歴史、社内権力構造を分析。事件の闇に光を当てる。

感想・レビュー・書評

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  • 今日の書評は「偽りの帝国 緊急報告・フォルクスワーゲン排ガス不正の闇」熊谷徹・著である。

    この書籍はフォルクスワーゲン社(以下VW)が2016年、どうしてあのような燃費不正行為を行ったか?を検証した書籍である。力作で読み応えがあるが、尺の関係もあり、第二章のVWの歴史に比重を置いて、紹介したい。

    では、コピペブログスタート。

    ドイツを代表する優良企業とみられていたVWで、このような不祥事が起きた原因の背景を理解するには、同社の家父長制的かつ中央集権的な「空気」あったことが浮かび上がってくる。

    同社が不正行為をおこした時のヴィンターコルンCEOは20億円を超える年俸を稼いでいたが、VWの真の実力者ではなかった。VW帝国の最高権力者は、同社にCEO・監査役会長として22年間君臨したフェルナンド・ピエピだ。彼は、欧州が生んだ最も非凡な自動車エンジニアの一人で、VWの生みの親フェルディナンド・ポルシェの孫である。

    権威主義的・家父長的な経営スタイルの背景には、VWが以下の特殊な性格を持っているという事実がある。

    ①「家族主義としての性格」
    ポルシェ・ピエピ両家の関係企業が、株主議決権の過半数(2016年5月末の時点で50・73%)を持つ。
    ②「公的企業としての性格」
    ニーダーザクセン州政府が株式の12・4%、株主議決権の20%を持つ。すなわち同州の首相が監査役会に加わり、経営に参加する。また法律(VW法)によって外国企業などによる敵対的買収から守られている。以前はドイツ連邦政府がVWの株式を保有していた。
    ③「強大な労組を持つ」
    VWの企業別労働組合はドイツの企業別組合の中で最大の影響力を持つ。またドイツの大企業は法律により事業所協議会を監査役会に参加させることを義務付けられている。このため組合幹部が事実上経営に参画している。

    つまりVWは、ポルシェ・ピエピ両家、国家(今日では州政府)、そして労働組合という3つの大きな血脈が混じりあって作り上げた、複合企業でなのである。

    フランクフルター・アルゲマイネのスヴェン・アストハイマ―記者は同紙の社説で次のように述べている。

    「ドイツには、厳格な態度で企業を指揮する経営者が今もいる。たとえば排ガス不正が発覚するまでのVWがそうだった。VWでは、上司が部下に圧力をかけ、恐怖心を与えることによって、命令に対してノーと言わせない経営スタイルがはびこっていた。ドイツでは、これが排ガス不正を起こしたという意見が強い」

    排ガス不正時のVWのCEO、ヴィンターコルンはたたき上げのエンジニア。細部にこだわるCEOだった。「マイクロ・マネージャー」、「コントロール・フリーク」、「完全主義者」として知られていた。

    彼の経営スタイルを雄弁に語る映像がある。この映像が撮影されたのは、2011年にドイツのフランクフルトで開かれた国際自動車見本市(IAA)の会場である。

    ヴィンターコルンは、不機嫌そうに、現代自動車の乗用車のドアを開いた。彼はやがて、ハンドルの高さを変えるためのレバーを操作した。すると突然、「ビショップ!」と部下を呼びつける。当時VWデザイン部長だったクラウス・ビショップ部長のことだ。

    彼は、おどろいてヴィンターコルンを伺う。CEO(ヴィンターコルン)はシュヴェーベン地方の訛りを丸出しで、「レバーを操作しても、全然ガタガタしない。現代自動車にできるのになぜわが社は出来ないか?」とビショップを詰問する。

    ビショップ部長は蚊の泣くような声で「わが社でも可能ですが、値段が高くなりすぎるのです」と弁解した。しかしヴィンターコルンは部下の説明に納得せず、「なぜ現代自動車にはこれが可能なんだ!」と不満をぶちまけた。

    今日のVW帝国の株主議決権の過半数を持つポルシェ・アウトモービル・ホールディングSEの前身は、ピエピの祖父で元オーストリア人のフェルディナンド・ポルシェ博士が1931年にシュトゥットガルトに開いた自動車設計事務所(F・ポルシェ工学博士有限会社)だ。

    フェルディナンド・ポルシェは、1875年にオーストリア・ハンガリーのボヘミア地方の、マッファースドルフという町に、ブリキ職人の三男として生まれた。

    ポルシェは少年時代から電気工作に強い興味を持ち、13歳の時には電池や電球を使った実験を繰り返し、自宅に呼び鈴や電灯を取り付けた。ポルシェは父親の工場で見習に行として働くかたわら、職業学校やウィーン技術高等学校の聴講生として講義を聴いたりしていた。しかし彼は正式な高等教育は受けていない。徹底的な実務派だったのである。

    23歳になったポルシェは、ウィーンの「ルードヴィヒ・ローナー王立自動製作所」に就職。気鋭のエンジニアとして注目を集める。

    まず彼は1898年「P1」と名付けた最初の電気自動車を組み立て、ウィーンの路上で走らせた。これはベルリンで行われた電気自動車の競技会で優勝した。

    その後も、彼はハイブリッド車を製作し、その力量が買われて1906年に31歳の若さで、オーストリア最大の自動車メーカーであった、アウストロ・ダイムラー社の技術部長に就任する。

    しかしながら、ポルシェは技術者としての才能ゆえに、周囲と衝突することも多かった。彼はダイムラー社の経営陣に大衆向けのスポーツカーを開発することを提案したが、監査役会は首を縦に振らなかった。彼は監査役会の席上で居並ぶ幹部たちを「お前は役立たずの豚だ」とののしり、自分の防止を床にたたきつけて、会社を辞めた。

    紆余曲折のなか、彼は1930年に息子のフェリーや、オーストリアの自動車業界で長年一緒に働いた12人のエンジニアたちを引き連れて、シュトゥットガルトに移り、クローネン通り24番地に、小さな自動車設計事務所を開く。そして翌年「ポルシェ有限会社・エンジンと車両の及びコンサルティング」という会社を興した。

    この小さな事務所が、今日のスポーツカー・メーカーであるポルシェと、VWの経営を支配する持ち株会社ポルシェ・アウトモービル・ホールディングSEの母体である。

    フェルディナンド・ピエピは1937年4月17日に、ポルシェ博士の娘ルイーゼの4人の子どもの三男として、ウィーンで生まれた。父親はポルシェ博士の右腕だった弁護士アントン・ピエピである。

    ルイーゼは家庭の中に「成果主義」を導入した。彼女は、4人の子どものうち、最も成績が良かった子どもを露骨に贔屓したのだ。

    ルイーゼは、食卓では彼女の右側に「一番成果を挙げている」と思った子を座らせた。欧州では、食事のテーブルでは最も尊敬する人や愛する人を右側に座らせる習慣がある。

    のちにVW帝国の最高司令官となったピエピは、成果を挙げない幹部を次々と切り捨てることで恐れられた。その根源は、母親の厳格な「成果主義」にあった。

    当時、創設者のポルシェの息子フェリーは、ポルシェ有限会社などの所有権を、自分とルイーゼ、そして8人の子どもたちに10%ずつ分配していた。「会社は家族みんなの間で公平に分ける」という発想だった。

    だが実際には、フェリー(ポルシェ博士の子ども)が社長を務めるシュトゥットガルトのポルシェ有限会社では、ポルシェ・ピエピ両家の8人の子どもの内の4人が、設計、開発、営業などの実務を担当していた。みなフェリー・ポルシェの後を継いで社長になる機会を虎視眈々と狙っていた。

    ポルシェ・ピエピ家の人々は、フェリーの後継者について激しく口論し、合意することができなかった。このため彼らは「ポルシェ・ピエピ家に属する者は全員、1972年3月1日以降、ポルシェ有限会社の実務的な仕事から完全に手を引く」という折衷案で論争を決着させた。

    フェルナンド・ピエピは1972年8月にアウディ本社に就職し、3年後に技術部門担当取締役となる。1988年にはアウディのCEOに就任。ピエピはアウディで重要なイノベーションを実現した。

    一つは1980年に四輪駆動のアウディ「クワトロ」を発売したことだ。もう一つは、1990年にTDI(ターボ直接噴射)方式のディーゼルエンジンを使ったアウディ100を発売したことだった。

    ピエピは自伝の中で「TDIの発売は、世界の自動車市場に革命をもたらせた」と自賛している。

    アウディはTDIを使った車の量産をいち早く開始し、VWグループの中にありながら、VWとは一線を画したブランド・イメージの確立に成功した。

    さて1990年代初めのVWグループは深刻な危機の中にあった。VWはニーダーザクセン州が参加する公的企業である上、労働組合の力が強大だった。このためVWは、恐竜のように動きが鈍く、着々とマーケットシェアを拡大する日本の自動車メーカーによって、劣勢に追い込まれていた。

    VWは危機的な状況の中で、新しい血を必要としていた。同社監査役会はアウディで目覚ましい業績を挙げていたピエピに白羽の矢を立てた。彼は効率重視のエンジニアであった。

    VWの業績改善が喫緊の課題だったことから、ポルシェ・ピエピ両家も1972年に決めた原則を打ち捨てた。よって1992年4月にVW監査役会はピエピを第6代CEOに選んだ。

    ピエピは自分に対して厳しい男だった。彼が中間管理職だったころ、重要な会議がある日に午前3時に起床し、自分の提案について上司をどう説明するか、とことんまで考え抜いた。

    ピエピはVWのCEOになってからも、ヴォルフスブルク本社13階の社長室で過ごすのは、1週間のうち2~3時間だけだった。

    かれは生産や開発の現場でエンジニアたちと会い、説明を受けることを好んだ。根っからのエンジニアである彼は”現場主義”だった。

    ピエピは他人に対する礼儀もわきまえず、ずけずけした物言いで知られた。問題が発生すると、不始末の責任がある管理職を、他の社員の目の前で批判した。ピエピは大声は出さず、淡々とした調子で部下を叱責した。

    ドイツ企業でも上司が部下を批判するときには、通常個室で二人だけで行う。他の社員の前でも批判は最大の侮辱である。

    VWに存在した「上司の命令にノーと言えない空気」の源泉は、衆人環境の中で管理職をつるし上げにあいたり、「無能」という理由でクビにすることを何とも思わないピエピの経営スタイルにあったのだろう。

    こうした厳しい経営態度が従業員を畏怖させ、CEOから与えられた目標を達成するには、違法ソフトウエアを使っても構わないという思考形式につながった。

    ピエピとヴィンターコルンは、部下に対し「これこれしかじかと言う理由で課題を達成できませんと言ってくるのは止めろ。解決方法だけを持ってこい」ときつく指示していた。

    とここまで本書第二章を綴ってみたが、何となくVWが不正に巻き込まれていったのが分かるであろう?構造的な問題である。車好きな方もそうでない方も、ぜひ読んで欲しい。

  • フォルクスワーゲンディーゼル不正のドキュメンタリー。
    NHKの記者は本を書いても上手い。ホント感心する。

  • No.913
    1. 目的
     VWの燃費偽装問題の裏にせまる
    2. 得たこと
     大企業のカタサを知った
    3. アイデア
     今後のVWの戦略に注目したい

  • 【現地徹底取材で送る、王国の腐敗】世界最大の自動車メーカーで噴出した大スキャンダル。違法ソフトウェアはなぜ使われたのか? 事件に影さす権力闘争の実態を追う。

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著者プロフィール

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。
著書に『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』『ドイツ人はなぜ、年「290万円」でも生活が豊かなのか』(ともに小社刊)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか』(SB新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」』(NHK出版新書)など多数。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。

「2023年 『ドイツ人はなぜ、年収アップと環境対策を両立できるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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