逆転の大中国史 ユーラシアの視点から

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163905068

作品紹介・あらすじ

視点を北京からユーラシアに移す。歴史は違って見えてくる。序 章 中国の歴史を逆転してみる日本人は、中国の歴代王朝を暗記し、夷狄を討つため辺境の地に赴任する兵士の漢詩をまなぶ。しかし、じつは、夏かから現在の中国まで一気通貫に現在の中国に歴代王朝があったかのような史観は間違っている。北京から世界を観るのではなくユーラシアから中国大陸をみると世界はちがってみえてくる。第一章 「漢民族」とは何か「漢民族」という「民族」が古代からいて、黄河を中心に文明を周辺部にひろげていった、と現在の中国でも日本でも信じられている。しかし考古学的、言語学的な証拠によれば、そもそも「漢民族」とよべるような人びとはいなかった。ユーラシアに興った諸文明が黄河流域に移動してくる。第二章 草原に文明は生まれた紀元前十世紀の中原地区に、殷周王朝が栄えていたのと同じ時期、シベリアやモンゴルなどのユーラシア東部には、青銅器を鋳造する冶金文明が生まれていた。ユーラシアの青銅器文明は紀元前三千年前まで遡ることができる。さらに時代を遡った草原の遺跡に、古代遊牧文明が残した謎の鹿石がある。第三章 「西のスキタイ、東の匈奴」とシナ道教万里の長城は、「漢人」の文明をよく現している。城壁で囲った土地に縛られる文明だ。その外にあった遊牧文明は移動する文明だ。その先駆者ともいえるのが、西のスキタイ、東の匈奴だった。シャーマニズム的な価値観の遊牧文明と対照的な形で、「漢人」たちは「現世利益」の道教にのめりこむ。第四章 唐は「漢民族」の国家ではなかった現代中国の新疆ウイグル自治区やチベット自治区でなぜ、大規模な抗議運動が二一世紀になってもしばしば発生するのか。ウイグル帝国とチベット帝国と唐が鼎立していたユーラシアの歴史をいま一度振り返る必要がある。しかし、唐ですら、そもそも「漢民族」の国家ではなかったのである。第五章 三つの帝国が鼎立した時代現在の中国の歴史教育では唐が九〇七年に滅亡したあと、混乱の五代十国時代をへて「漢民族」による「宋」が再び中国を統一したことになる。しかし、ユーラシア全体に視点を移すと、この時代は、モンゴル系の「遼」、チベット系の「西夏」、「宋」の三つの王朝が鼎立していた時代ということになる。第六章 最後のユーラシア帝国、清ハーンを頂いた大帝国「元」は一三六八年「漢人」朱元璋に滅ぼされ「明」が建国。ユーラシアの人々は明のリーダーを皇帝と呼び「ハーン」と呼ばなかった。17世紀、「明」にとってかわった満洲人の国「清」のリーダーは、遊牧社会の伝統にそって玉璽をゆずりうける儀式をへて、ハーンを名のる。終 章 現在の中国は歴史に復讐される「逆転の中国史観」によって洗脳をとくと、現在の中国の問題が鮮明に浮かび上がってくる。そもそも文明は鼎立していた。チベットやモンゴルを同じ中国とすること自体に無理がある。分裂の導火線となるのは、漢族以外で育まれてきたイスラム教、仏教などの宗教だ。

感想・レビュー・書評

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  • 目鱗、というほどでもないが、東アジア、ユーラシアの歴史の中心は、「シナ」ではなかったよという話。
    むしろ広大な草原を舞台にした、自由で強力な遊牧民、狩猟民族が活力の中心で、歴史を動かしてきた。
    では「シナ」の漢民族はどうかというと、本来の漢民族はすでに滅んでいるのが妥当らしいのだが、とにかく、その遊牧民たちに、小突かれまくってた一民族に過ぎない。

    いい感じの時代の「シナ」は、殆どが「異民族」によるもので、「俺たちは偉大なんだ、なぜなら偉大な筈だからだ。だから間違ってるのは歴史と事実であり、正しいのは俺たちなんだ」という痩せた自意識が中華思想となった。

    宋の時代に、確かに素晴らしい発明をしているのだが、それはもう、小さなエリアで「漢民族」だけがまとまっているときで、沢山の民族、地域、文化を束ねるのは無理みたい。

    なるほどなあ。
    黄河文明にもつながらないらしいし。

    なんで今、ブイブイ言わせてるんだろうね。

  • ユーラシア、特にモンゴルからの視点で中国史を俯瞰する。
    歴代王朝で漢人が建てたのは漢と明のふたつだけだとする。(宋はあくまで地方政権)

    城壁を築く漢人は閉鎖的、遊牧民は開放的である、漢人の文化は現在の中国にとど持っているのに対して遊牧民の文化ははるかユーラシア大陸に広がっている、中華思想は異民族に侵略され続けた漢民族のコンプレックスであるなど、内モンゴル出身の筆者は漢族と遊牧民を対比させ、遊牧民の優位性を説いているが、それは中国、漢人を意識せざるをえないことを思わせ、逆にその影響力の大きさを感じさせる。
    (中国、漢人の文明の同化力の大きさは本書でも言及されている)

    本筋とは関係ないが、筆者が北京の大学で学んだ、最後の科挙に合格した進士の教授のエピソードが強烈。四書五経をはじめ、歴代の詩文をすべて暗記し、ゼミで紙媒体を用いたことは一度もない。
    記憶の中の漢文古典以外は読むに値しない。
    1918年以降に成立した言文一致の中国語で書かれたものは「文章ではない」。
    (その教授曰く、周代の漢字には統合性がなくなっていたので、秦による文字の再統一が必要だった)

  • 世界史で習う中央アジア史は薄い。中国視点での、匈奴は時々やってきて中国の国土を荒らして去っていく無法、無頼の民。ヨーロッパにとってのダッタン人、日本から見た元寇も同じ。
    しかし、彼らは、突然、現実世界がAlternate Universeと繋がって向こう側からやってきたわけではなく、ずっとそこにいて、彼らなりの営みをしていたわけだから、彼ら視点で歴史を語りなおせば、ユーラシア大陸史は、違ったものに見えるはず、というのは正しい。
    唐や、元、清は、そもそも純粋に漢民族の国ではなく、中央アジア国家的な面を持っていたという指摘も、きっと正しい。
    しかし、それが、読んでいてワクワクに繋がらないのは、せっかく中央アジア視点と言いながら、中央アジアの通史ではなく、やっぱり中国時代区切りで、中国周辺の国(遼とか夏とか金とか)を扱ってしまっているからじゃないかと思う。
    読んでも、中央アジアのダイナミックな通史が浮かび上がってきたりはしないんだよね。どの民族がいつ、どこで、誰とどう関係したかとかもよくわからない。(多分、ほんとに中央アジア史を書くには史料が不足しているのと、いきなり日本人相手にそのような語り口にすると、付いてこられる人がいないからかと思う)
    また、積年の恨みもあるんだろうし、ちょっとやそっとでは、中国エライ、周辺蛮族のイメージは覆らないからというのもあるんだろうけど、兎に角中華=漢は良くないというので、プロパガンダっぽく見えてしまうのよね。
    中央アジア史は、よく知らないけど、そっちの視点も大事よということを教えてくれたという点は良かった。
    王昭君の墓って、モンゴルに伝わってるんですね。
    毛沢東が晩年は不老長寿を求めていて、中国人の根本的な宗教感は道教という話は面白い。

  • 文献の出そろってる感のある中国史に対し,ユーラシアの視点からという本書は楊氏がモンゴル出身だけあって気持ちがこもってとても熱いユーラシア史になっている.青銅器文明や鹿石などとても興味深かった.発掘に参加されたりしているので掲載写真も多く,特に古い時代については楊氏の主張もわかりやすいものとなっている.知らなかったことも多く,興味深かった.

  • ・「中国4000年の歴史」といった概念や、「しばしば強い異民族の襲来を受けるが、それを取り込んで自らの歴史の一部分にしてしまう中国(漢民族)」という広く受け入れられている歴史観は、〈中国人の天真爛漫な願望や空想〉である。
    ・そうした「中国史」は一種の「被害者史観」となっていて、その背景には「中国=漢民族を天下の中心、世界の中心」とみなす「中華思想」がある。
    ・中国史の中で大帝国を築き、文化的にも優れたものを残している隋、唐、元、清といった王朝はすべて非漢民族による征服王朝だった。
    ・古代のシナ地域に成立した、城壁で周囲を囲った都市国家が中国人の原点にある。栄えて人口が増えれば、壁を外に広げる。国境とは、国力が高まれば自由に変更可能なものだ。北方民族に侵略されたという意識は持つが、自分たちがモンゴル平原や新疆に親友しても「侵略した」という意識は皆無。
    ・「中国4000年の歴史」はローカルなものであり、実際には長城の外にユーラシア大陸をまたぐ遊牧民の文明があった。

     といった内容。巻頭にシナ王朝とユーラシア遊牧民世界の変遷を並列して表にとりまとめているものがあってわかりやすい。
     読み物としては、各論に入ってくる中間部分でちょっと散漫になる感じもするが、ここは筆者の専門部分ということで肉付けのためにも外せないのだろう。
     匈奴、スキタイ、テュルク(トルコ系)、鮮卑拓跋といった民族が縦横にユーラシア大陸を駆け巡るイメージが湧いてくる。歴史を「こっち側から見る」というのもしてみるものだというか、自分の「中国史」イメージが「中華思想」側から見たものだったのかという気づきは貴重だと感じた。

  • ユーラシア遊牧民文明から中華文明をとらえる。日本人も漢字による歴史を主観としてきただけに、遊牧民側からそれらを客観視する史観はむしろあって当然で、その点本書の意義がある。ただ漢人文明のアンチ的な要素が全般に色濃く、その分割り引いて読まなければならない。隋唐から清に至るまで、大王朝の多くが遊牧民出身とはいえ、彼らもまた中華文明に取り込まれた事実もあり、優劣という問題ではないのだから。

  • 【視点を北京からユーラシアに移す。歴史は違って見えてくる。】黄河文明より先に、草原地帯に青銅器文明は興っていた。唐、隋は漢民族の王朝ではない。そもそも漢民族という民族はいない。

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著者プロフィール

1964年南モンゴル・オルドス高原生まれ。静岡大学人文社会科学部教授。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。専攻は文化人類学。博士(文学)。著書に『「中国」という神話』(文春新書)、『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店・司馬遼太郎賞受賞)、『日本陸軍とモンゴル』(中公新書)、『逆転の大中国史』(文藝春秋)など多数。

「2018年 『モンゴル人の中国革命』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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