1984年のUWF

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (411ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163905945

作品紹介・あらすじ

プロレスか? 格闘技か?現在のプロレスや格闘技にまで多大な影響を及ぼしているUWF。新日本プロレスのクーデターをきっかけに、復讐に燃えたアントニオ猪木のマネージャー新間寿が1984年に立ち上げた団体だ。アントニオ猪木、タイガー・マスクこと佐山聡--、新間にとって遺恨はあるが新団体UWFにはふたりの役者がどうしても必要だった。UWF旗揚げに関わる男達の生き様を追うノンフィクション。佐山聡、藤原喜明、前田日明、髙田延彦……、彼らは何を夢見て、何を目指したのか。果たしてUWFとは何だったのか。この作品にタブーはない。筆者の「覚悟」がこの作品を間違いなく骨太なものにしている。【目次】序章 北海道の少年第1章 リアルワン第2章 佐山聡第3章 タイガーマスク第4章 ユニバーサル第5章 無限大記念日第6章 シューティング第7章 訣別第8章 新・格闘王第9章 新生UWF第10章 分裂終章 バーリ・トゥードあとがきにかえて ~VTJ95以降の中井祐樹[特別付録]1981年のタイガーマスク【著者プロフィール】柳澤健(やなぎさわ・たけし)1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、メーカー勤務を経て、文藝春秋に入社。編集者として「Number」などに在籍し、2003年にフリーライターとなる。07年に処女作『1976年のアントニオ猪木』を発表。著書に『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『1993年の女子プロレス』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』がある。

感想・レビュー・書評

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  • 1981年4月23日。
    アニメのヒーロー・タイガーマスクが新日本プロレスでデビューする。
    既存のプロレスの全てを凌駕し、そして未だに彼を越えるプロレスラーは現れていない。
    日本中を熱狂させ、プロレスの全てを塗り替えた男は、わずか2年4ヶ月で引退。
    復帰したリングは、旗揚げ間もない「1984年のUWF」。

    プロレスか格闘技か。ファンなら誰もが通る葛藤。読み進めるのが辛いのに、ひどい言葉もたくさんあるのに、読むのを辞められない。

    「1976年のアントニオ猪木」にはじまるプロレスノンフィクションの第一人者が、プロレスファンが最も熱くなり、最もセンシティブになり、そして、泣いて酒を酌み交わす永遠のテーマ、UWFに切り込んだ。

    当時、学生運動に熱を上げるかのごとく、先鋭的にファンは支持した。
    1960年代。赤旗を振る学生のバイブルが資本論ならば、1984年のプロレスファンのそれは週刊プロレスだった。
    限られたチケットにありつけない多くのファンは、週刊プロレスの記事をむさぶるように読んだ。そして、熱く熱く己の中に籠っていった。先鋭化していった。理論、いや理屈に走った。

    夢のような時は、長く続かない。
    プロレスの先の先を目指した猛者たちは、別の道を歩むことになる。

    当時の週刊プロレスの編集長、ターザン山本がしばしば、この本では登場する。
    映画技士出身で、優れた文才をもった彼は、プロレス団体をある意味コントロールしていく術を見につけてしまう。
    行き過ぎた言動だけでなく、己の欲望を抑えきれなくなり、自分の競馬の小遣い欲しさに、全日本プロレスの馬場社長夫人に小遣いをもらい、敵対する団体の攻撃記事を書くようになる。大衆はそれを一時的に支持する。
    時代の評価を得た彼は、昇るところまで登り、やがて落ちていく。
    当時の堕落ぶりは、山本氏本人が自著で告白している。

    そしてこの本には、氏の証言が何度も登場する。

    「新生UWFに思想などなかった。彼らは金と女とクルマにしか興味のない人間。UWFとは何か、そんなことを真剣に考えている人間は、ひとりもいなかった」(P238)

    この本は、素晴らしいと思う。
    しかし、こんな証言を載せてしまっては、台無しだ。
    仏典には、「最高級の漆が千杯あったとしても、蟹の足を一本入れてしまえばすべてが台無しだ」とあるという。

    父子家庭で苦労し抜いた前田と高田。
    荒れた青春を、プロレスにかけ青春を燃やし尽くした日々。
    矛盾と葛藤に苦しみ抜き、文学に道を求めた前田。
    強くなるために、スター街道を捨ててUWFに参加した高田。
    そして、その温かい人間性ですべての人に慕われた山﨑。

    少々の文才のあるターザンが、こんな暴言を吐くことを、俺は許さない。

    こんな人物の証言を採用した柳澤氏は、重大な過ちを犯した。


    しかし、最後の言葉に、ストンと腑に落ちるものを感じた。

    「日本の格闘技はプロレスから生まれた。過去を否定するべきでは ないと思います」(中井祐樹)

  • 32年前に無限大記念日を見たボンクラ高校生が、今まで心の奥底に固く蓋をしていた数々のモヤモヤや、固く信じていた幻想が一気に崩壊した。
    さぁ、パンドラの箱を開けましょう!
    大丈夫!それでもボクは前田を嫌いになってないから。
    「本物を見分ける俺スゲー」な厨二病に罹患していたのを炙り出される
    村西とおる曰く「ガチンコなんてあきちゃうんですね」
    今みたいなフリーの選手を集める場としてではなく、団体として生きて、生かしていきたかった前田日明を今の論点から責めるのは酷でもある
    熱狂は確かにあったし、その記憶は今も色褪せ無い。

  • 一世を風靡したUWFを、真剣勝負のふりをしたプロレスと酷評する筆者の一冊ですが、それに熱狂したファンをないがしろにした書きぶりに怒りを覚えます。
    佐山や前田には書いてほしくないことかも知れませんが、諸悪の権化のように言われる猪木さんが、マードック戦後に「八百長でしょ?」と言った客を真横に吹っ飛ぶビンタを食らわしたのを見た私には、プロレスのそばにいながら貶めようとするのを見過ごすわけにはいきません。

  • 歴史に埋もれていた幕末の志士に光を当て直し、坂本竜馬や河井継之助、あるいは江藤新平などを有名人にしたのは作家である司馬遼太郎の功績であるが、格闘議界というかプロレス界には柳澤健がその役割を担っているように思う。アントニオ猪木、クラッシュギャルズ、ジャイアント馬場などを歴史の経年を得て、新たな視点で本人や時代を語るその手法は読んでいる者を夢中にさせる。故に柳澤健の本はいつも数日で読み終わってしまう。

    今回は待ちに待った"日本のプロレスの青春"であるUWFの核心に迫った評伝である。主役は佐山聡と前田日明、そしてその大きな背景としてそびえるアントニオ猪木とカールゴッチ。これにプロレスの要素として欠かすことのできない"ファン"というものが主役級の関わりというか重大な誤解と熱狂とを以って、この物語を稀有なものにしていく。

    この本で作者は真の天才である佐山聡と時代に押し上げられた俗的な過渡期的存在としての前田日明との対比を明確に行っている。佐山聡はいまに繋がる"スピーディーな魅せるプロレス"のフォーマットを作る一方で、より大きな世界的なうねりである総合格闘技のフォーマットの2つの偉大なる"型"を作り上げた。新日本プロレスに入門したての18歳の佐山聡は合宿所の自分の部屋に「真の格闘技は、打撃に始まり、組み合い、投げ、極める」と大書したという。恐ろしい先見性であり、本質論者である。一方の前田日明は、才能とも言える体躯と周りの者の面倒をよく見、自ら先頭に立つ素直な性格やリーダーシップ、そして時代の要請から猪木の格闘技世界一路線の後継者とみなされ、UWF-リングスの期間を通じて最後までファンに真剣勝負の幻想を与え続け、時代の寵児ともなった(笑っていい共に出演し、西武百貨店のCMにも出た)。読めば読むほどその功績と本質は二人の間において歴然ではあるのだが、やはりプロレスがいまの総合格闘技に繋がるミッシングリンクを繋ぐ、過渡期的存在としての前田日明の道化はいまこうして振り返っても時代の要請であったように思えてならない。

    UWF合流までに佐山聡が描いた回りくどい大戦略(プロレスに厳格なスポーツルールを持ち込み試合を重ね、最終的にはリアルファイトの総合格闘技に変えていく)は、最初から無理筋だったとは言え、1つに前田日明の予想以上の人気、2つにグレーシー柔術によるアルティメット大会の興行的大成功という歴史の偶発によって、見事に結実をする。そして、そのアルティメット大会を日本に招聘した佐山聡は、自らが考案・設立した"修斗"の各選手を送り込んで大活躍させ、ついにガチンコのスポーツ競技としての総合格闘技の創設者の一人となるわけだが、最終的には金銭問題等でその修斗を追われてしまう。金銭問題は前田日明にもつきまとう問題で(もっと言うと、猪木のアントンハイセル問題まで遡れるが)、プロレス格闘技界の悪癖だが、こうして時代を画期した二人は、総合格闘技という大きなうねりに確かな痕跡を残しつつ、その第一線からは姿を消していった。

    猪木も馬場も、クラッシュギャルズも時代の象徴だとすると、UWFの各選手もまぎれもない象徴だが、TV放送などではなく、会場のファンが支え続け、だまされ続け、愛し続けた点で青春の青臭さのする稀有な出来事であったように思う。そしてこういう感想を持ちえる立体感を本書で描き出す作者の取材力や構成力に、毎度の事ながら脱帽するのである。

    • youkeyppさん
      今は無き「週刊ファイト」を、毎週のように読んでいた頃を思い出す。本書に描かれた流れを、本当にリアルタイムで経験していた。
      今は無き「週刊ファイト」を、毎週のように読んでいた頃を思い出す。本書に描かれた流れを、本当にリアルタイムで経験していた。
      2017/04/04
  • プロレス関連のノンフィクション作家としては、個人的に「最高」
    と評価する柳澤健「XXXX年の○○」シリーズ。今回のテーマは・・・
    「UWF」である。

    UWFとは、1984年に旗揚げしたプロレス団体が元。その3文字は
    いつしか我々にとって「概念」となり、未だにソレを引き摺りな
    がらプロレスを観ている人間も居る。おそらく僕も、その一人だ。

    かなり束のある本で手に取った時は正直たじろいだ。今さらUWF
    を追求してどうなるのか?という思いも残念ながらあった。しかし、
    読み始めてしまったらもう止められない。相変わらず“凄い文章”
    を書く作家である。

    柳澤作品にしては珍しく、“信者”と形容されたUWFファンの心
    情が多々描かれるているのが大きなポイント。ここに書いてある
    「ファン」とは間違い無く僕自身のことであり、読んでいて少し
    心が痛くなるほど。おそらくは作者自身もそのカテゴリに居た、
    と自覚しているハズ。そうでなければ、こういう文章は書けない。

    「・・・結局のところ、新生UWFで新しかったのはフロントのアイデ
    アや企画力だけで、レスラーの技術的進歩はまったくなかった。」
    (本文より引用)

    ・・・そう言い切らなければ、我々をずっと翻弄してきたUWFという
    三文字にケリが付けられない。そう感じたのではないか?と思う。
    この一文に、僕はアタマをガツンと殴られた気がした。そして、
    その「夢」がもうとうの昔に終わっていたことに、改めて気付い
    た気がする。

    いわゆる暴露的な要素も含まれるが、それも含めて重要な素材。
    もちろん反論する選手や関係者も居ると思うし、この本が正解か
    どうかを断言することは誰も出来ない。しかし、僕の中ではちゃ
    んと「UWF」にケリが付いた。それは凄く悲しくて、寂しくもあ
    ったが、何十年もずっと漂っていた霧が一瞬にして晴れていくよ
    うな爽快感も共にあった。これでやっと、僕はUWFを卒業できる。

    UWFに何かを貰った人は、一度この本で確認すべき。自分の心を。

  • 後半の良いところは良い

  • 当時の熱狂をリアルタイムで体験していない者としては、なかなか面白く読めた。プロレス史の一側面として。

  • プロレスリングと格闘技の違いからわかってなかった状態から、『俺の家の話』からプロレス文化に興味を持ち、有田と週刊プロレスと、を見始め、UWFが言及される中でこの団体のドラマへと興味が広がり、主要人物の名前を覚えたところで、ようやく拝読。
    UWFにかかわる主要な人物たちの人間模様がまとまっている。取材もしっかりとされておりかなり読み応えある。

    新しい概念を持ち込んで開拓する人の熱量といったら半端ない。
    週刊プロレスが活字プロレスという分野を確立した背景もよくわかる。
    そして、基盤の弱い思想が脆く崩れ去っていく栄枯盛衰の速さにも愕然。

    いろんな矛盾の中でレスラー・雑誌媒体・そして観客してのアイデンティティが揺れ動く過程があってこそのプロレス業界なのだと思うと、いろんな人がドラマとともにプロレス文化を語りたくなるのもわかる。

    しかし、前田日明さんを神として熱狂するほど、リアルファイトを求めた時代、そこにはどんな社会背景があったのか。自分だったらとてもじゃないけどそんな人たちとは違う世界に居たいと思ったと思う。
    けれども、一つの歴史として読む分には、楽しめてしまう。それもまたプロレスの不思議なものだなと思う。

  • それぞれの思惑と理想が、交錯、いやすれ違いの連続のほろ苦い青春群像劇を読むような感じだった。

  • そんなに「驚きの新事実!」みたいのは出てこない。言ってみれば、みんな本書の中でも書いてあるように、暗黙の了解(以上の認識かも)で心に秘めていることを、今更、引っ張り出してきて「どうだ!」みたいな感じでテーブルに並べられた感じ。

    野暮と言うか、無粋と言うか……僕は正直、読んでるうちに腹が立ってきて、悲しくなって。途中で読むの止めようかと思った。

    僕は著者の『1985年のクラッシュギャルズ』は屈指の名著だと思ってる。それは現在の当事者たちの言葉が集められていたからだ。

    本作にはそれが足りない。リング周辺にいた人たちの言葉は多いが、リングの中で実際に戦っていた選手たちの言葉が圧倒的に足らない。

    そして、『クラッシュ〜』』と比べると、著者の熱量も足らない気がした。もしかしたら、UWFにそんなに思い入れがないのか?と思ったくらい。

    本作に意義があるするなら、本作をきっかけにUWFを検証しようとする機運が高まったことか?

    とにかく、僕は本作を読んで、なんだかとても傷つけられた気がした。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、「週刊文春」「Sports Graphic Number」編集部等に在籍。2003年に退社後、フリーとして活動を開始。デビュー作『1976年のアントニオ猪木』が話題を呼ぶ。他著に『1993年の女子プロレス』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス』『1984年のUWF』がある。

「2017年 『アリ対猪木』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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