出会いなおし

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906201

感想・レビュー・書評

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  • ひとりで勝負するアイドルから、数で勝負するアイドルへの変遷。そんな分析がなされる日本の歌謡界、もしくはアイドルの歴史。音楽業界には無縁の私にはその裏側は分かりませんが、一発勝負よりも数で勝負と保険をかけるような仕事の仕方の方が安堵感があるのはどの業界でも同じでしょう。ひとりなら好き嫌いがはっきり分かれます。一方で数で勝負すれば6人中5人に興味がなくても1人でも気に入れば、結果としてそのグループを応援することになります。さらには、6人中6人ともに大して興味がなくても6人が作り出す雰囲気に魅かれて応援する人もいるかもしれない集合が生む力ということもあるかもしれません。それは、長篇と短篇集、本の世界でも同じことが言えると思います。でも、アイドルと違うのは、短篇集ブームで長篇が廃れるわけではないこと。いつの世もその時々で好きな方を選べば良いという本の世界。

    …ということで、今回選んだこの作品は森絵都さんの短篇集の一つです。この作品に先んじて読んだ短篇集〈風に舞いあがるビニールシート〉は表題作が飛び抜けた個性を持っていたこともあって、表題作とその他大勢という印象がどうしても拭えませんでしたが、この作品には、飛び抜けた個性の塊というような作品はなく、それぞれの個性のぶつかり合いで勝負しているという印象を受けます。なので、この中からどの作品を気に入るかはもう人それぞれです。私は次の2つの短篇に魅かれました。

    一つ目は〈カブとセロリの塩昆布サラダ〉です。う〜ん。なんだかよくわからないタイトルですが、これは、とても面白かったです。『主菜と副菜と香の物と味噌汁。かれこれ三十年間、毎晩の食卓にこの四品を欠かさず並べつづけてきた』という生真面目な主人公・清美。時が経ち『副菜くらいならデパ地下で調達しても悪くないと考えるようになった』清美は、ある日『カブとセロリの塩昆布サラダ 百五十七グラム、五百十八円』を買って帰ります…、あら筋というと実はこれだけなんですが、この後の主人公の行動が強烈です。いや、主人公がどうこうというより、この後のページで森さんによる文字と言葉のイリュージョンが繰り広げられるのがなんといってもこの作品の見どころです。それは、それは…、書く、書こう、書きたい、書かない、もう書いてしまいけど書けない!という笑劇でした。森さんも弾ける時は弾けるんだ、というか、やっぱり凄い作家さんなんだなぁと改めてその魅力に触れた思いです。

    二つ目は〈青空〉です。『休日ですら仕事が入れば小三の男児を一人にさせてしまう』という主人公・謙一。『妻の死後、ただでさえおとなしかった彼はますます口を閉ざして』と一人息子との関わり方に悩む謙一。義父母に息子を託すことになり、その道程、高速を走っていた時でした。『前を走るトラックの積み荷が外れ、一畳ほどのベニヤ板が、私たちの車めがけて飛んできた』という予期せぬまさかの事態。この作品もあら筋は基本これだけなんですが、ここからがすごい。トリップする森さん。『時間というのは、必ずしも杓子定規な時間どおりに進むものではない』という、ものの数秒のはずの一瞬の世界に驚くまでにドラマティックな世界を描き上げます。『時として、時は時を超越する』という言葉を描き切るものすごい説得力。まさかの感動に打ち震える結末にただただ圧倒されました。

    ということで私はこの2つの短篇がとても気に入りましたが、6篇共通して言えるのは尺の短さもあって凝った物語を展開する時間がない分、ポイントを絞って、そこにスポットライトを目一杯当てるという短篇の魅力です。この作品が刊行された際に森さんはこのようにおっしゃっています。『自分は短篇小説をほとんど書いたことがない、という衝撃の事実に気がついた』。そして、これをまずいと感じた森さんは『最初の1年は毎月1編ずつ書いた』と短篇を書く経験を積まれます。そして10年が経って刊行されたこの作品について『10年間の戦果としては、これまでで最も多彩な「短篇の可能性」を吹きこむことができた』と語ります。

    『人生の大切な場面が詰まった6つの物語』というこの作品。6つもあればどれか気にいる作品がある。そして、6つの物語を読み切った時に感じる集合体としての魅力もある。そんな6つの物語には様々な出会いが描かれていました。『年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会いなおすということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる』。一度の出会いで気づかなかったこと、気づけなかったことがあったとしても、生きてさえいれば、再び出会いを重ねることもできる。その出会いが次の出会いを作っていく。サクッとスッキリ、森さんの作品ってやっぱりいいなぁと感じた、そんな作品でした。

  • ああ、歳をとるって、面白い。年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会いなおすということだ。
    会うたびに、知らない顔を見せ、人は立体的になる。

    約束をして会う、同窓会的なものでなく、一度別れた人と、偶然出会い直し、ちがう顔を見てみたいが、悲しいかな私には、そういう経験はない。

  • 1日や2日、1週間ぶりに会った人の変化は、わからない。でも、2年、5年、10年ぶりに会うと、変化がある。それは外見的な変化かもしれないし、内面的な変化かもしれない。「変わってないね」と言われても、やっぱりどこかは変わっている。そして、その変化に驚くこともあれば、納得することもある。本作は人生の特別な瞬間を共に過ごす人との出会い、別れ、再会の物語。
    「これある」「これわかる」そして、「よかったね」と共感できる物語。


    出会いなおし
    21歳でイラストレーターとして仕事をはじめた主人公・私は、常に自分の描く絵に自信がなく、正体を知られて失望されないように、皆から距離を置いて孤立していた。そんな時にナリキヨさん:成澤清嗣さんから週刊誌の小説挿画の仕事の依頼がある。仕事のパートナーとして、ナリキヨさんのアナログ人間的なやりとりに心を開いていく私。急な連載終了後、2年間単身パリでの彫刻の勉強を決意し渡仏。パリからの帰国後、再び担当となったナリキヨさんは、以前の静かで誠実なナリキヨさんではなくなっていた。そして、7年を経て再び私が開いた彫刻の個展にやって来た彼と再会する。

    出会い、別れ、出会いを繰り返すたびに以前とは違う、新しい個性と風貌のナリキヨさんと出会う。
    私と会わない間に、ナリキヨさんの中で変化しなければならない状況に身を置がなければならなくなったのだろうと、思ってしまう。それはナリキヨさん自らが変わりたくて変わったのではなく、変わらざる得ない状況を受け入れて変わっていったのかもしれないということだ。

    それでも、その変化も含めて、これがナリキヨさんがなんだという人間が出来上がる。

    毎日会っていれば気づかない変化も、しばらく会わないとその変化は大きいと感じるのかもしれない。
    「年を重ねるということは、同じ相手に何回もでなおすということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる。」

    さて、これから主人公・私は何回、ナリキヨさんに会うのだろうか。そして、変化していくナリキヨさんに会うのだろうか。


    カブとセロリの塩昆布サラダ
    突如背後から突っ込んで来た男に体当たりされた清美は、持っていたトートバックが手から滑り落ち、中に入っていたものが盛大にばら撒かれる。
    体当たりしてきた男性は、ぼうっと彼女をり見下ろし、謝らずに去っていく。
    こんな日はデパ地下でと「カブととセロリの塩昆布サラダ」を買って帰宅するが、買ってきたサラダを見たとき、カブがカブらしくない。食べてみてもカブではなくて大根であったのだ。
    清美はデパートに電話をして売り場のチーフ・藤木に、カブと書かれているが大根のサラダであると説明をする。しかしながら藤木は、クレーマーだと思い横柄な態度で対応する。

    それでもこのサラダはカブではなく大根だと認めて欲しかった清美は、食べた結果を報告して欲しいと藤木にお願いした。

    ようやく電話がかかってきたが、藤木ではなく、クレーム対応の担当者のようで、カブを食べたかどうかの報告がなかった。結局、自宅にカブのサラダを持ってきてもらう時に一緒にやって来た藤木から報告を聞くことができた。
    また、夫が帰宅後に見ていたテレビで、清美に体当たりしてきた男は、発砲事件の犯人であった。

    ついていないと思って、デパ地下に行ったが、本当はものすごく運がよかったのでないだろうか。発砲事件にとは知らずに、いつもより混み合っている街中を帰宅する際、発砲事件に巻き込まれなかったのだから、しかも発砲事件の当事者とぶつかっているのに無事であったのだから。
    少し歯車が狂えば、自分が殺されていたかもしれない。
    また、少し歯車が違っていれば、犯人が息子になる可能性もある。けれど息子はこんな愚かな犯行はしないと考える母親は、犯人は息子であってはならない。だからこそ、カブと書かれたサラダに入っているのはカブであって、大根であってはならないと考え、電話をするところが主婦、母親ぽいと思った。

    私ならぶつかった自分の不運を嘆き、カブを大根であると主張すること電話もかけず、店を利用しないだろうと考えた。そう考えた時、主人公の性格がすごく素直で素敵に思えた。


    ママの誕生日
    夫の過去はまがいものであった。夫の母親は物心つく前に亡くなっており、父がすぐに再婚したために、父方の祖父母に預けられ育っていた。なのに、主人公・私は、夫から夫のママが放った言葉をきき、ママの姿の説明を受けていた。
    夫は誰から母が言ったという言葉を聞いたり、誰の姿を母と重ねているのだろう。
    幼い頃の夫は、ムーミンの世界に陶酔し、ママとムーミンママを結ぶ幾つかの類似点を発見し、ムーミンママに自分の母を重ねていたのだ。ムーミンシリーズの主人公は、ムーミンではなく、ムーミンママで、ムーミンママが、みんなを束ねムーミン村を守っている。と、私は想像上の夫の母にムーミンママを投影していた。

    「かなしみには、ざっくりわけて、ふたつのタイプがあるのよ。ひとつは、重たいものが心にすみついて、はなれないタイプ。もうひとつは、心からすべてをとりあげられて、からっぽにされてしまうタイプ。重たいかなしみには、じきに、なれることもできますわ。時間をかければ、その重さにたえられるくらい、私たちは頑丈になれるかもしれない。やっかいなのは、からっぽのほうよ。こっちのかなしみは、ほんとうに、わたしたちをむしばむの。こじらせると、よくないことになる。」とのムーミンママの言葉は、夫の母の母の言葉として、主人公・私の中に残る。そして、そんな主人公も、夫のママにサービスエリアのベンチで悩んでいる時に出会う。

    ムーミンがムーミンシリーズの主人公であると今まで思ってきた私には、ママの言葉なんて、ほぼ覚えていない。本作でのママの言葉は、子を思う母の気持ちに溢れていて、こんな言葉をムーミンママは残していたんだと、感激した。


    むすびめ
    小学校の時の同窓会に、参加した私・飯田琴。
    30人の小学生が足を結んで一列に並び、50メートル走のタイムを競う『30人31脚』のテレビ番組出場の話を持ってきた当時の担任・真梨江先生。クラス一、足の速い奥山くんを、クラス一、足が遅い私の横につけ、みんなで練習して予選に出場した。 

    しかし、予選で奥山くんと私の足が離れて転倒してしまう私。予選敗退という結果に、誰もが私を責めることなく、「いい思い出」として、言葉をかける。しかし、それ以来奥山くんは、他の誰にも気づかれないくらいのさりげなさで、私を避けるようになる。


    結局、小学生だった奥山くんは、「すごい汗だったんだ、緊張して、あのムードにやられちゃって。紐を結ぶときと、腕を組むときも、バレたらどうしょうって、すごくびくびくしてて。飯田さんが転んだとき、あれが絶頂だった。僕のせいだ、僕が汗ばっかに気していたからだってパニクって、ますます手がびしょびしょになって…その濡れた手を、どうしても、飯田さんに、差し出せなかった」とずっと気にしていた。
    人はそれぞれ感情や性格、体質、気質など同じ人間はいない。だからこそ人を理解するのは、時間もかかるし、理解し合うために必要な時間もある。人は、生きるほどに過去から遠のいていくのではなく、時を経ることで初めて立ち返れる場所もあれば、時を経ることでようやく進みだす理解もあるということだ。


    テールライト
    幾つかの物語が集められている。年末のタクシー運転手の優しさ、戦う運命に生まれてきた闘牛の気持ち、ヒガシに住む私の恋、会社の黒い疑惑。

    テールライトとしておさめられているこれら作品につながりがあるのか、あるいはテーマが共通しているのかが、よくわからなかった。

    青空
    37歳の妻に先立たれ、息子・恭介と二人残された私。息子を義父母に預けることになったため、お泊まりの練習のために妻実家に向かって走っていた高速道路での大惨事に繋がりそうになる。

    危険を感じた瞬間に物事がスローモーションに見えるという「タキサイキア現象」が生じている間、主人公・小邑謙一の運転免許を取得した時の父との運転練習の時の会話、そして亡くなった妻・亜弥との高校時代と同窓会での再会を回想。

    ベニヤ板が車に激突したその瞬間、車内に亡くなった妻の気配を感じ、妻の夫と息子を守ろうとする強靭な意識を感じる。感じたのは謙一だけではなく、息子の恭介も感じたのだろう。妻は二人を大惨事になるはずからの生還させただけだでなく、ふたりの心を繋げている。母そして妻と過ごした時間がこれからどんどん過去になっていっても、ふたりは亜弥のふたりを思う気持ちの大きさを忘れることができないだろう。

    • yuka♡さん
      はじめまして。フォローありがとうございます!
      森絵都さんの本も何冊か読んでみたい本があります。読むのが遅くてどんどんたまってしまっていますが...
      はじめまして。フォローありがとうございます!
      森絵都さんの本も何冊か読んでみたい本があります。読むのが遅くてどんどんたまってしまっていますがみなさんの本棚や感想を参考にしながらいろいろな本に出会えたらなぁと思っています!
      2020/07/12
  • 6編の短編、女性の繊細さ、苦悩、強さ、あるいは圧倒的な存在感を示した内容だった。タイトルの「出会いなおし」??と思ったが、6編のつながりを考えるとこれ以外にない。人との出会い、その後どうしても再会したい人がいるが、この「どうしても」がインパクトがある。一番好きな話しは「カブとセロリの塩昆布サラダ」。この話しは久しぶりにお腹を抱えて笑った。理由は、清美がデパートで買ったサラダがカブではなくダイコンだった。どうしてもカブのサラダが食べたく、何故ダイコンが入っている?とクレーム。その後の展開が可愛らしかった。

  • 表題作「出会いなおし」と他5作、すべてが出会い、別れ、再会、また別れを描いているように思えた。
    人生は出会いと別れの繰り返し。佐和田さんのように「ああ、年をとるって、面白い」と思える私でありたい。

    「出会いなおし」
    おなじ相手に、何回も出会いなおす。人は会うたびに知らない顔を見せ、立体的になる。

    「カブとセロリの塩昆布サラダ」
    主婦のプライドをかけた孤独な戦い。もしも、惣菜売り場で買った、カブとセロリの塩昆布サラダのカブがダイコンだったら…。清美は惣菜売り場に電話をいれる。スーパー主婦やわ(⁎˃ᴗ˂⁎)
    1番好きな話だった。いつの時代の話だろう?ちょっと不思議な感覚。

    「ママ」
    苦しい時悲しい時、黒いバッグを持ったママに会いたくなる。

    「むすびめ」
    子供の頃の忘れられない失敗。あるある。いつまでも胸に疼くあの時の事をはっきりさせたい彼女が向かった先は小学校の同窓会。あったね〜、あの番組!

    「テールライト」
    輪廻転生。何度も何度も繰り返す、出会いと別れを描いている。願うことは…、どうか、どうか、どうか。最初の出会いが凄い。

    「青空」
    切ない再会。高速道路を走っていたら前のトラックからベニヤ板が飛んできて…。本当に1、2秒があんなに長いのだろうか、語りが面白い(笑)

  • 最近あんまりレビューを書いていないので、どうしようとも思ったんだけれどやっぱり書いておくことにした。
    だって、なんだろ、ドンピシャだったんだもの、この作品。
    話題作の「みかづき」も確かに良いんだけど、私は断然こっち。
    短編一つ一つに描かれている心象風景が、鮮やかに目の前に浮かびあがってきて、私の心の奥底からぐーっとあふれ出てしまうようなそんな気持ち。
    森絵都って、もしかして断然短編が上手いのかな?
    数多く読んでないのでなんとも言えないのだけれど・・・。

    どれも甲乙つけがたいのだけれど、一押しは表題作の「出会いなおし」。
    共感度200%ですよ。
    私、日ごろから人って良い所も悪い所もある。良い時も悪い時もあるってそう思ってて、だからあんまり人を嫌いになりたくない。
    出来れば出会った人はみんな忘れたくないし、いい思い出にしておきたい。そんな風に思っていて。
    離れてしまっても根っこでは繋がっているような。
    青臭いのかな?
    でも上手く説明できないこんな私の気持ちをこの作品は代弁してくれているような気がして。

    どの作品も良かった。
    読んで幸せな気分になった。
    森絵都が好きになった。
    もっと読んでみよう。

    • kaze229さん
      お薦め うれしく。おかげさまで 久しぶりの森絵都さん いい至福の時間を持つことが出来ました。
      お薦め うれしく。おかげさまで 久しぶりの森絵都さん いい至福の時間を持つことが出来ました。
      2018/04/17
  • 『カブとセロリの塩昆布サラダ』
    前半が面白すぎて、「何これーおかしい!」と笑い出しそうになりました。一体どうなるのかと思いきやいいお話しでした。

    『ママ』
    ちょっとサスペンス的なかんじでした。

    『むすびめ』
    30人31脚。
    そしてその15年後の同窓会。
    私も子供の頃、体育は苦手だったのでチームワークの大切な競技の足手まといになるのが嫌な主人公の気持ちが痛いほどわかりました。
    奥山くんはやっぱり、かっこよかったです。

    『出会いなおし』
    『テールライト』
    『青空』
    もよかったです。
    森絵都さんを読んだのは4冊目ですが、ユーモアがあってスマートな小説をかかれる方だといつも思います。

    • moboyokohamaさん
      「むすびめ」は最後の最後に悲しきどんでん返しがあるかと思いきや、ハッピーエンドでホッとしました。
      「むすびめ」は最後の最後に悲しきどんでん返しがあるかと思いきや、ハッピーエンドでホッとしました。
      2019/09/20
  • 表題作以外の話も、やはり人との出会いをテーマにしたような短編集。森絵都さんらしく、読みやすい。

    デパ地下で購入した518円のサラダに入っている野菜がカブかダイコンかで気を揉む"カブとセロリの塩昆布サラダ"は、その金額以上に時間と精神を無駄に擦り減らしてると分かっていながらもとめられない気持ちが、なんかよく分かった。笑

  • 「短編小説の可能性」に挑み続けてきたと、あるインタビューで読んだ。その戦果としての本書、色々な試みが感じられて…繊細で、ユーモラスで、物悲しくて、ちょっと不気味で、何だか懐かしくて。簡単には「喜怒哀楽」に振り分けられない感情が静かに渦巻く一冊だった。
    そういう意味では「カブとセロリの塩昆布サラダ」は絶妙だった。デパ地下で買ったカブとセロリの塩昆布サラダにダイコンが入っていた…という些細なエピソードがこんなに奥行きの深い作品に仕上がるとは、脱帽!無性にカブ料理が食べたくなる。
    表題作の「出会いなおし」「むすびめ」は、やられた…じわじわきた。年を重ねるからこそ「縁」のありがたさが身にしみてよくわかる。反面、若かりし頃の青さを今更ながら悔やんだりする。自分の過去にちゃんと向き合えない臆病さが未だに情けないが、小学校時代の同窓会を描いた「むすびめ」の「理解しあうために必要な年月もある。人は、生きるほどに必ずしも過去から遠のいていくのではなく、時を経ることで初めて立ち返れる場所もあるのだと…」という箇所が深く心に刺さった。
    いくつもの出会いと別れを繰り返してきた。その全てに意味があるのだなと、本書を読んで改めて強く感じる。また会いたい人がいる。会えたらいいなと思う。そのときに、再会できてよかったと思ってもらえるような人間でありたいな。

  • 人と人との「出会い」に関する短編6作品。
    6作品全てが心に響いて温かい気持ちになった。

    表題作の一文「年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会いなおすということだ」が印象的。
    「出会いなおす」ってなんて素敵な言葉だろう。
    会うたびにその人の知らない一面が見えて、それが人としての深みになっていく。
    「出会い」とは一期一会。
    偶然の出会いのようで実は必然だったりするから「出会い」って不思議だ。

    また様々な行き違いから縁遠くなってしまっても、年月を経て人は誤解のむすびめをほどき、理解しなおすこともある。
    人と人とが出会い、縁を結ぶってとても素敵なことだと思わせてくれる短編集だった。

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著者プロフィール

森 絵都(もり・えと):1968年生まれ。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。95年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞及び産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、98年『つきのふね』で野間児童文芸賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、17年『みかづき』で中央公論文芸賞等受賞。『この女』『クラスメイツ』『出会いなおし』『カザアナ』『あしたのことば』『生まれかわりのポオ』他著作多数。

「2023年 『できない相談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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