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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784163906300
作品紹介・あらすじ
1946年生まれ。まさに戦後ベビーブーマー第一世代(団塊世代)の著者は1965年に早稲田大学第一政経学部経済学科に入学。クラスに女子はたった2人だった。高校時代から『共産党宣言』やエンゲルスの著作を読みかじり、左翼にシンパシーを感じていたため、「社研」こと社会問題研究会に入る。『されどわれらが日々--』に触発され、大学に入ったら苦悩する「真摯」な生き方を目指すはずだったのに、入学した翌年に勃発した早大闘争にも今一つのめり込めない日々--。
とはいえ、1965年前後の早稲田のキャンパスは多士済々。キャンパスのベンチに座っていたら、いきなりオルグしてきた「粋な顔立ち」の革マル派トップは、のちの宝島社社長・蓮見清一。面識はないけれど、タモリも吉永小百合も、『突破者』の宮崎学も久米宏、田中真紀子、二学年下の村上春樹も同時期に早稲田にいた。同じ部室の文研(文学研究会)には、のちに直木賞作家となる高橋義夫や、呉智英こと新崎智も在籍し、すでに歴史的かなづかいで奇妙な小説を書いていたのだ。
真摯な左翼を目指しながらも「運動」にはのめり込めず、60年代に花開いたサブカルチャー(「ガロ」、早稲田小劇場、ATG)、ポップカルチャー(グループサウンズ花ざかり)を享受した、懐かしくも恥多き青春を振り返る書下し作品。
みんなの感想まとめ
青春の葛藤と文化の交差点を描いたこの作品は、1960年代の早稲田大学での学生生活を通じて、著者の個人的な体験を豊かに綴っています。特に、当時のサブカルチャーやポップカルチャーの影響を受けながらも、運動...
感想・レビュー・書評
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俗に言う「全共闘」のことは村上春樹や村上龍の作品からそれなりに学んではいたつもりだったが、うかつなことにそれらがもっぱら「オトコによる」一種の総決算であることを見過ごしていた。「革命」の主体・当事者として生きなければならなかった(そう生きることを強いられていた)オトコたちの持つ悲愴さと比べると、ここで中野翠が記す「革命」の姿はなんだか良くも悪くも児戯的で観念的で、そんな「革命」の当事者にはなれなかった中野のほうがむしろ当時をずっと「進んで」生きていたとさえ言えるのではないかとも思う。でもそれはいいことか?
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予想を超えてかなり私的な記録である。特に著者の学生時代の失恋のエピソードが書かれているのは初めてではないか。1965年-70年の東京の大学生の文化シーンの貴重な覚書である。
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2020年3月3日読了
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「あのころ、早稲田で」ではなく「あのころ、あたしは」な私的エッセイで、早稲田学生運動の記録を期待するとがっかりする。
有名人の名前をちりばめただけの、「学園紛争」という呼び方をする立場の人が書いた自分語り。
【読むんじゃなかった大賞】にノミネート。 -
20180309 中島義道さんが気に入っている作家という事で興味を持って読んでみた。大学の先輩でもあったのだとタイトルを見て知った。自分は更に20年な後輩だが雰囲気が共有できたのは80年代は60年代をリスペクトしている人が多かったからかも知れない。リレーのようだが次はゴチエーさんを読んでみようと思う。
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大学闘争の頃のいち大学生はどういう思いで大学に通っていたのか。村上春樹の小説から推測するより具体的なエピソードでした。
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正直言ってこれは期待外れ。単なる思い出話になっちゃってて、翠お姐さんらしいキレがない。残念。
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914.6
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【60年代というトンネルの出口は嵐だった】バリケードとデモ、アジ演説がキャンパスを占拠した、あのころ。思想とサブカルチャーの狭間で揺れ動いた60年代後半を描く回想記。
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