学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで

  • 文藝春秋 (2017年4月12日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784163906324

作品紹介・あらすじ

「あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない。」
「心が叫びたがってるんだ。」
ひきこもりだったじんたんと、
幼少期のトラウマで声が出なくなった成瀬順。
二人を主人公にした二本のアニメは、
日本中の心を揺さぶり、舞台となった秩父は
全国からファンが訪れるアニメの聖地となった。
実は、そのアニメの脚本を書いた岡田麿里自身が
小学校で学校に行けなくなっていたのです。
これは、母親と二人きりの長い長い時間をすごし
そして「お話」に出会い、
やがて秩父から「外の世界」に出て行った岡田の初めての自伝。


プロローグ 心が叫びたがっていたんだ。
『心が叫びたがってるんだ。』は、私の故郷、秩父を舞台にしている。その秩父での先行上映会。機材トラブルで途中で上映が止まるというパニックの中、私は、あの頃と何も変わっていない自分に気がついた。

第一章 学校のなかの居場所
小さいころから思ったことが言えない子だった。小学校に入学すると、苛められた。いじめっ子の背景には夕暮れに黒々とうかびあがる秩父の山々があった。それはでっかい檻のように見えた。

第二章 誰に挨拶したらいいかわからない
陽子は私と同じ愚鈍なのに皆から好かれていた。宮沢賢治の詩のように無私だったのだ。そういうキャラにならなくては。そう努力していたある朝の教室で、私は誰に挨拶したらいいかわからなくなってしまった。

第三章 一日、一日が消えていく
学校に行けなくなった私は、食うか、寝るか、ゲームをするか、本を読むかの日々を過ごしていた。母親はそんな私を恥じた。志賀直哉の「暗夜行路」を読んでいると「消日」という言葉があった。私のことだ。

第四章 行事のための準備運動
アニメ『あの花』でずっと学校を休んでいたじんたんが外に出るシーンがある。ドア前で近所の人の声が聞こえ、躊躇する。これは、私が学校行事のために、久しぶりに外に出るXデーをモデルにしている。

第五章 お母さんだってひどいことをしてる
私の父親は、浮気がばれ、祖父に離婚させられた。一人になった母は、男たちに「秩父の浅野温子」と呼ばれていた。私は母の彼氏に「おっぱいの絵を書け!」と命令される。

第六章 緑の檻、秩父
学校は休んでいても、作文の宿題だけは提出していた。それが新聞社の賞をとった。「岡田さんは学校にこなくてもいいから、一緒に作文を書いて賞に応募しましょう」。優しい女性の国語教師は言ったのだが。



第七章 下谷先生とおじいちゃん
何とか高校には合格したものの、その高校もすぐに行けなくなってしまった。担任の下谷先生は、読書感想文の文通を求めてくれた。その添削に「麿里という少女の」という言葉があったことに衝撃をうける。

第八章 トンネルを抜けて東京へ
下谷先生の奥さ

みんなの感想まとめ

テーマは、著者の不登校という過去を通じて描かれる成長と自己発見の物語です。小学校から高校まで学校に通えなかった著者が、どのようにして自らの経験を糧に脚本家として成功を収めたのかを綴っています。特に、周...

感想・レビュー・書評

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  • 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってんだ』などで有名な脚本家岡田麿里さんは小学校~高校まで登校拒否児だったそうだ。

    前半部分の学校時代のエピソードは思い出して再構成、俯瞰してみて書いているのだろうがやはり鋭い。
    特に関わった大人達のエピソードが素敵で、おじいちゃんと最後に会ったエピソードは思わずウッと来た。
    後半部分は家から飛び出して東京でシナリオライターになるまでのがむしゃらな奮闘記。
    とにかく面白く一気に読んだ。

    『心が叫びたがってんだ』のタイトルは岡田さんがつけたそうだ。監督に反対されたが押し通してくれた。感謝します。このタイトルを見たときちょっと救われた。
      

  • 『あの花』も『ここさけ』も
    何のことやらさっぱりわからずに本を手にしました。
    が・・・めっちゃ面白い。
    面白いなどど言ってしまうのが不謹慎に感じるほど
    著者の岡田さんの過ごしてきた過去は
    ストレスフル且つサバイバルなものでした。
    でも、読んでいるとなぜだかクスリと笑ってしまうのです、、、岡田さんの文章が絶妙で。

    小中高と学校に行けずにいた自分の姿を
    冷静に俯瞰で分析している岡田さん。
    恐らく小学生の頃から、自分を客観的に見る目ができてしまっていたのでしょう。
    誰もが自意識過剰で恥ずかしい思春期という時期に
    こんなにも自分を第三者の目で見てしまっていたとしたら
    さぞや辛かっただろうなぁと思うのです。

    だけれど、その物事を俯瞰で見ることができるという能力は脚本家という今の仕事をする上で
    何よりの武器になっているはず。
    アニメはあまり見る機会はないのだけれど
    この人の書いた話ならちょっと見てみようかなと
    思ったりもしています。

  • 著者がアニメや実写映画の脚本家とは知らずにこの本を手に取った。
    中身の想像できるわかりやすいタイトルが面白い。

    「あの花」も「ここさけ」もいまだに何のことだかわからないけど、たぶん若い人には支持されている作家さんなんだろう。
    その著者がかつて不登校だった?

    そんな興味から読んでみた。
    著者は小学校から高校まで筋金入りの不登校。
    シングルマザーに育てられた一人っ子で、そのマザーはなかなかの人。

    高校では著者の才能を見抜いていた先生がいて、何とか卒業し、
    その後家を出て専門学校に入ったあたりから変わり始める。
    物語にも出てくるが、著者がシナリオを書くトレーニングで自伝を書いていたからなんだろうか、躓きの多い私生活が嫌味なくグイグイ読ませる文章であっという間に読めた。
    面白かった。
    随所にでてくる「おじいちゃん」系の人が重要な脇役になっている。
    不登校だった人はもとよりそうでなかった人も読んで面白いと思う本。

  • 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」や「心が叫びたがってるんだ」といった、心に問題を抱えた主人公を描いたアニメの原作、脚本を書いたことで有名になった岡田麿里さんの自伝。個人的には彼女は、上記2作品のように少年少女達が葛藤したり、それを克服していくというような話をつくるのが特にうまい印象。

    正直にいって本全体が彼女の負の感情満載のこの本を読み続けることが辛かったが、それでもこの本から得られたことは、不出来であってもなにかを最後までやりきること。

    > シナリオライターとしてずるずる歳を重ねた今、仕事で出会った若い子に「脚本家になりたいんです」と相談されることがある。ならシナリオを描いてきてと言うと、そこでぴったりと連絡が途絶える。彼らの姿は、当時の同級生達の姿に重なる。その気持ちはすごくよくわかる。彼らは、やる気がないわけではない。今まで自分の中で溜めに溜めていた「自分がいつか世に出すはずの何か」のイメージはどんどん膨れあがって「まだそのにはないが、とても素晴らしいもの」になってしまっている。それを実際にシナリオとして書いてみると、ふわっと描いていたイメージには遥かに追いつかない。自分はこんなはずじゃない、これで自分を判断されたくないという恐怖。
    >

    結局のところ、チャンスを掴むことができるのは、物事をカタチにした人だけなのだ。本全体を通して負の感情を垂れ流し続けている著者自身でさえ、その時の感情を文字に起こしていた。

    自分の中に溜め込んでいるだけでは、誰かに評価される機会など一生来ないのだから。

  • 「さよならの朝に約束の花をかざろう」を観て感動したので監督に興味を持った。「花咲くいろは」や「あの花」「ここさけ」の脚本家でもあったわけで、これらはアニメの中では異色の作品であり非常に良い作品だった、これらの作品は著者の登校拒否という体験から生まれたことに納得がいった。しかしダメな学校教師によってどれくらい生徒が傷つけられているのが分かるが、その中に稀に優れた教師が混じっており、その当たり外れは生徒の運次第ということになりそうだ。熱いアニメ現場についても語られており日本のアニメ製作者たちはすばらしい。

  • ここまで、著名人が自身の不登校体験について赤裸々に告白したことはなかったのではないか。最初は彼女の母親の態度に悶々としたところもあったが、母親も母親なりに育ってきた環境でしんどい思いをした故の態度なのかな、と納得したりもした。きっと母娘それぞれにそれぞれのしんどい思いがあった故の物語なのだろう。「不登校の著名人」はほかにもたくさんいるので、いつかこういう体験談を自由にカミングアウトできれば、いま不登校に悩む人たちの道標にもなって良いと思うのだが。

  • 自分の学生時代を色々思い返してた。私自身自意識過剰で必要以上に自分を下げることがあるけど、若干岡田さんと違う気がする

    あの花やここさけは生まれるべくして生まれてきた作品なんだなと思う

    「貴方だけにしか書けない物語が見たい」という言葉の印象が変わる。それは実体験に紐づきそうだな

  • 過去と向き合い、乗り越えてゆくこと

    2011年のこと、アニメ『花咲くいろは』第一話の冒頭シーン、ヒロインの緒花と母親との会話を聞いて、驚いたことがあります。

    > 緒花「ママ、私、ママの子じゃないの。ママの親友が病弱なジャズシンガーで、港にやって来た米兵さんとの間で産んだ子なの」
    > 母「あー、あたし女友達いないしー。それに子供から告白する台詞じゃないわねえ、それ」
    > 緒花「残念」

     これ、ものすごく計算された会話なんですよ。たったこれだけのやり取りで、
    ・緒花が現実から抜け出すことを夢見ている少女であること。
    ・母親がダメ人間であること。
    ・緒花はそんな母親を嫌ってはいるけど憎んではないこと(憎んでたらそもそもこんな会話はしない)。
     などを、番組開始から40秒で、視聴者に分からせてしまうんです。これには恐れ入りました。普通、こういう設定って、ついつい「説明台詞」で語らせたくなるものなんですが。
     このシーンの脚本を書いたのが岡田麿里さんです。
     それまでも『とらドラ!』とか『シムーン』とかは観てたんですが、「岡田麿里って上手い脚本書くんだなあ」と明確に意識したのはこの一瞬でした。その後も『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(通称『あの花』)や『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』などを観ていて、「あっ、ここ上手い」と感心することがしばしばありました。
     これは天性の才能なのか、それとも誰か名のある脚本家に師事して学んだのだろうか……と、ずっと考えていたんですが、先日、その岡田麿里さんの自伝が発売されました。タイトルは『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』。
     そう、岡田さんはひきこもりだったんです。

     ひきこもりの人の多くは、家から出られなくなった直接のきっかけがよく分からないそうです。この本でもそうで、いろんな小さな理由が積み重なって、岡田さんは学校に行かなくなった。明確な理由がないために、それを取り除けば魔法のように治るということもありえない。
     知らない人からは「さぼっている」「ずる休みしている」としか見えない。でも、本人にとってはすごく苦しいことなんです。タイトルにあるように、学校に「行かなかった」じゃなく「行けなかった」んです。
     その体験は、『あの花』の主人公、ひきこもりの高校生・仁太に投影されています。仁太の描写の多くは、実体験に基づくものだったんだそうです。
     そんな岡田さんが、どうにか高校を卒業して、故郷を離れて東京で一人暮らしをはじめ、下積みの地道な仕事を重ねて、アニメのシナリオライターになってゆく。ついには『あの花』のような話題作を手がけるまでになる。その紆余曲折が描かれています。
     サクセス・ストーリーではあるんですが、決して楽天的ではありません。読んでいると、彼女がどんな努力を重ねてきたかがよく分かる反面、努力をやめたらまたすぐにひきこもりに転落しそうな危うさが感じられ、息苦しいんです。

     後半は、『あの花』の裏話。自分の故郷である埼玉県秩父市をモデルに、自分の体験をヒントにしたひきこもりのキャラクターを主人公にしても、岡田さんはなかなか過去に向き合うことができません。本当は別の町にしたかったけど、ロケハンに来たスタッフが秩父市を気に入ってしまい、現実の秩父市を再現したリアルな背景で描かれるようになります。それどころか実家までも作中で登場することになってしまう。アニメが放映されると、舞台になった場所を訪れるファン(いわゆる「聖地巡礼」)も増える。
     故郷から、過去から逃げ出して東京に来たというのに、その過去が追いかけてくる。岡田さんは否応なしに過去に向き合い、自分の過去に決着をつけることになっていきます。このへんがもう、息苦しいんですけど感動します。
    『あの花』が好きだった人なら、読んで絶対に損はないです。僕は読んでいる間、エンディングテーマ「secret base 〜君がくれたもの〜」が頭の中で流れていました。

  • 薄々気付いてはいたが、私は本のジャンルとしての「自伝」がものすごく好きなのだと思う。
    奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』がとんでもなく面白かったのは、勿論内容の素晴らしさもあれど、そもそも自伝一般に私がめちゃくちゃ弱いためもあっただろう。
    ふだんは基本的に小説しか読まず、自伝やエッセイといったノンフィクション系はなんとなく避けてきた(フィクションこそ至高、という若気の至りで)のだけれど、そろそろちゃんと自分の好みに向き合ったほうがいいかもしれない。考えてみれば、自分について考えるのが何より大好きで、自分語りが大好きで、他人の自分語りを聞くのも大好きな自分が、自伝を嫌いなわけがない。





    『アリスとテレスのまぼろし工場』を観てマリー熱が高まったので、積んでいた自伝を手に取った。軽い気持ちで読み始めたのにめちゃくちゃ面白くて、何度も爆笑したり号泣したりしてしまった。人は子供時代の家庭環境に左右されるんだな、とつくづく思う。お祖父ちゃんと恩師下谷先生の章が特に印象深い。自分の文章に向けられた「批評」の意義について。

    『DTエイトロン』から始まるアミノテツローさんとの関係も全く知らなかった。『おとぎストーリー 天使のしっぽ』(2001)も。

    自分は秩父に行ったことないのに、母親に「マリーのアニメ観て下さいよ」と言った『あの花』オタクのエピソードが出来過ぎていて勝手に自己投影して感動してしまった。『花いろ』の松前皐月への母の反応も、『ここさけ』の成瀬母の台詞をきっかけにした岡田親子のやりとりも、最高ですね。これを読んで、岡田麿里作品の男性キャラの造形はまた色々と考えてみたいと思った。

  • 「あの花」「ここさけ」「凪あす」「さよ朝」。
    私の好きなアニメの数々を生み出したマリーの自伝。

    すごい人生でびっくりしたのと、ああ、この経験や性格から「あの花」「ここさけ」ができたんだなと納得した。
    ただ、これでなんであんなに女の心情描写がうまいんだって疑問には逆に思ったけれども。

    とても興味深くおもしろかった。
    特にシナリオライターとして歩みだしてからが。

    これからのご活躍にも期待。

  • とらドラの頃から岡田麿里さんの心をえぐる脚本に魅入られてました。
    自分は不登校にはならなかったけど、世間に馴染めない自分と葛藤には共感しかなかったです。
    でも麿里さんはとても強くて、1人で教習所に行くし、東京に行くし、シナリオも書けてとても強い人だと思いました。
    彼女の自伝を読んだことで、またさらに彼女の書く物語に深みがました気がします。
    余談ですが、岡田麿里さんで検索したらとてもお綺麗な方の写真がでてきて、上京してすんなり彼氏ができたことに納得してしまいました。

  • アニメ「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」の原作者の人のエッセイ。自身の不登校の経験や心情を切々と語っている本。

  • 娘が借りてきた本。

    「あの花」も「ここさけ」も知らないんやけど、娘が「面白かった」というので読んだ。

    イッキ読み。したけど、エッセイやし、途中でちょいちょい休憩は挟みつつ読んだ。

    ほんで、読みながら、著者はわりと同年代なんかもな~、と、思った。
    くだんの通り作品は知らないけれど、今時の若者向けの作品なので、てっきりもっと若い方が書かれているのかと思ってたのよ。

    むしろ同年代で、今の若い人にささるような、今の時代にささるような作品が作れるなんてすごいな…、と、思ってたら、

    同い年か…!(しかも学年でいえばひとつ下)

    そこで慌てて(?)巻末を見たら、著者プロフィールにちゃんと記載されてたね。同い年やったわ。

    だから何と言われればアレやけど、著者が綴る10代ほど、わたしは尖ったそれを歩んでない。
    もっとのほほんと、いうたら、かなり「勝ち組」と、いうか、「生きやすい」と、いうか、「優等生」な学生生活を送ってたわ。

    勝ち組っていうのは、性格とか能力とかではなく、「当時の学校という制度に帳尻を合わせられた子供」というだけで、能力でもなんでもない。

    ほんで、その結果がコレなわけよ…。笑

    正直いうと、もうこういう話は自分よりもわが子に当てはめてしまうけれど、10代に多少生きづらさを感じて、学校のルールにはまれなくても、いいんじゃないの? と、いう気がする。

    むしろあのルールこそが、歪んでいるというか、昭和中期の高度成長期から更新されてないんやから、むしろ合わないほうが正常なんじゃなかろうか…。

    マイノリティになるというのはしんどいけど、そのぶん「人と違うこと」ができてしまうねんな。
    人と違うことをができるのもやっぱりしんどいけど、わが子には、人と違うことをするしんどさよりも、人と違うことをすることによって得られる自分だけのものを大事にしてほしいと教えたいなと思った。

    そして著者の御母堂はなかなかエキセントリックなようで、まあ、わたしも大概、わが子からはこのくらいエキセントリックというか、ええ加減な人やなと思われてるんやろうなーとも思った。笑

    でも、そこも、一般的な「母親像」を無視して、わたしはわたしの人生を歩むのも、いいのかもしれんとも思えてきた。

    少なくとも金銭的、衣食住は最低限(かもしれん)子供たちに苦労はかけていないはずなので(なんでもオッケーではないけども)、それやったら、今までわたしがめざしてきた「いい子供」「いい社会人」「いい妻」「いいお母さん」を、ここにきてドロップアウトしてもいいかなー。だってそれを目指して、これやもん。笑。二度目

    子どもたちのいいところをもっとフューチャーして、彼らの強さをバックアップしていきたいなあ。
    もしかしたら知識よりもわたしはそれのほうが、今の私はほしいと思っている。

  •  自分らしさの自分を追い求めて自分を否定したりダメなところに目がいったりする中でも成長していたのだと思う。登校拒否の日々は消日していたわけではなかったのではないか。その後熱くなれるものを見つけて歩んでいるところは過去があったからだと思うけど、それは今だから言えるのかなぁ。

  •  共に秩父を舞台にして大ヒットしたアニメ映画「あの日みた花の名前を僕たちはまだ知らない。」と「心が叫びたがってるんだ。」の脚本家による初の自伝エッセイ。「ひきこもり」という言葉がまだ市民権を得ていない時代。「学校に行かない」という選択が今よりよほど特別視されていたころの話。

     「誰に挨拶したらいいかわからない」という「自意識との闘い」、自らの「キャラ設定」に翻弄される思春期のモヤモヤ、そして「緑の檻」に囲まれた田舎町の鬱屈した空気感などは作品そのまま。映画の中の名台詞、名シーンの裏に込められた意味を改めてかみしめる。

     閉鎖的な社会で「いじめ」を受け、長く学校に行けなかった著者は、秩父から「外の世界」に出ることによって道が開かれていく。その「生き直し」の過程には、著者を特別扱いせずに作文を評価してくれた担任の先生や、その幸せを願い、温かく見守ってくれた「おじいちゃん」など、多くの「隣人」の存在があった。専門学校に進学後は、シナリオライターになりたいという夢をかなえるため、「登校拒否児は果たして、魅力的なキャラクターとして成立するのだろうか?」と自問しながら、自らの体験をもとに「あの花」と「ここさけ」を書き上げる。

     クリスチャン家庭に生まれ育った地方出身者が「マイノリティ」ゆえに抱える葛藤に相通ずる。今日の教会にも、さまざまな「生きづらさ」を抱えた人々が集っている。著者が不登校だった過去をカミングアウトする場面も、クリスチャンであることをカミングアウトする時の葛藤と重なる。

     眼前の苦難から抜け出せないと思い込んでいるすべての人にとって、その向こうに広がる「外の世界」の存在は希望になり得る。(松ちゃん)

  •  『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の作者が秩父で不登校だった自身の半生を語る。

     今よりずっと不登校が少なく、その支援も手薄だった時代の貴重な体験談。あの時、何を感じていたのかが生きた文章で入ってくる。
     不登校だった環境を抜け出し、そこからシナリオライターになって不登校だった頃とどう向き合って生きてきたか、作品の中にそれらが入っているかまで書かれている。

     これは不登校生徒の必読書。

  • 岡田麿里さんが自分の才能に気づいて努力して、世に出てきてくれて良かったなぁと思う。

  • 題名とおり、「あの花」「ここさけ」を代表作とする脚本家である筆者の自伝。その筆者が、実は小学校から高校まで学校へ行けずに自宅に籠っていた、という驚きの事実から、ヒットメーカーとなるまでの半生記が綴られる。
    あらすじだけでも良い話。学校へ行けない、というのがどういう心の動きを持っているのかがわかり、外に向かう展開は感動的である。が、「あの花」「ここさけ」のような感情の震えがあるかというと、そうはならなかった。エピローグを読んでもハッピーエンドかといわれると悩ましい。
    大竹まこと氏がラジオで、ゲストの本を最後まで読んだ、でも読めてなかった、わからなかった、という趣旨のことを述べておられたが、同じく自分もこの本を読めきれていない。
    筆者の視点は客観的で冷静だ。部屋・秩父の山奥という「小さい世界」での苦境から「外の世界」で羽ばたく、というような流れで感動的に描くこともできそうなところ、そのようには書いていない。そのため、不登校児ではなかった自分には、その境遇に共感することもできない。また学術書でもないから、不登校になる動機などを網羅的に知る、ということもできない(これはあくまで一つのサンプルとしてとらえるべきだろう)。さらに筆者は同年代であるため、(年齢だけを理由に)上から目線で「よく頑張った!」ということもできない。良い話なのに、感情のもっていきどころがない。
    筆者が恐る恐る接触を続けていた「外の世界」で、シナリオライターという職に出会い、目標として試行錯誤しながら少しずつ成功を積み重ねていく。「書ききることができる力」を武器に。ここで、これまで比較的冷静的だった筆者の熱量が上がり、感情の昂ぶりに共感するシーンが描かれる。アニメと出会うのだ。
    『嬉しくて、わんわん泣いた。・・・
    「すごい、嬉しいと涙ってしょっぱくない!」
    ・・・その作品に関わった皆が、同じように苦しんで、同じ痛みを同時に持つことができる。だからこそ、強烈に幸せを感じられるときも一緒。それは観てくれている人も同じ。観てくれた人が喜んでくれたら、泣いてくれたら。私もこうして涙が止まらないのだ。』
    そして、「自意識なんてくそくらえだ」と自ら監督に売り込むに至る。
    ここまで自らの人生を駆動させる熱量との出会い、ここがこの本のピークと感じた。

    しかしこの本はここでは終わらない。ここからはアニメ制作ならではの出会いもあればトラブルも描かれる。でもそれは筆者が惚れたアニメという仕事の事実なのだろうし、名が知られることの事実なのだろう。でも、一方的に感動的な成功譚で終わらせないこと、それこそが筆者が描きたい光と影の二面性かという気がした。
    そして苦しみにぶつかりながらもこの世界にほれ込み、仕事をものしていく姿は、やはり眩しいのだ。

  • 共感しかない。

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著者プロフィール

監督、脚本家。2011年に国民的大ヒットアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本を手がけ、一躍脚光を浴びる。その後、『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』など数々のヒット作の脚本を担当。初監督作品の『さよならの朝に約束の花をかざろう』では、第21回上海国際映画祭で最優秀アニメーション作品賞を受賞するなど、アニメーション監督としても世界で注目を集めている。

「2023年 『アリスとテレスのまぼろし工場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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