学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 261
レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906324

作品紹介・あらすじ

「あの日みた花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」 ひきこもりだったじんたんと、幼少期のトラウマで声が出なくなった成瀬順。二人を主人公にした二本のアニメは、日本中の心を揺さぶり、舞台となった秩父は全国からファンが訪れるアニメの聖地となった。実は、そのアニメの脚本を書いた岡田麿里自身が小学校で学校に行けなくなっていたのです。これは、母親と二人きりの長い長い時間をすごしそして「お話」に出会い、やがて秩父から「外の世界」に出て行った岡田の初めての自伝。プロローグ 心が叫びたがっていたんだ。 『心が叫びたがってるんだ。』は、私の故郷、秩父を舞台にしている。その秩父での先行上映会。機材トラブルで途中で上映が止まるというパニックの中、私は、あの頃と何も変わっていない自分に気がついた。第一章 学校のなかの居場所 小さいころから思ったことが言えない子だった。小学校に入学すると、苛められた。いじめっ子の背景には夕暮れに黒々とうかびあがる秩父の山々があった。それはでっかい檻のように見えた。第二章 誰に挨拶したらいいかわからない 陽子は私と同じ愚鈍なのに皆から好かれていた。宮沢賢治の詩のように無私だったのだ。そういうキャラにならなくては。そう努力していたある朝の教室で、私は誰に挨拶したらいいかわからなくなってしまった。、第三章 一日、一日が消えていく 学校に行けなくなった私は、食うか、寝るか、ゲームをするか、本を読むかの日々を過ごしていた。母親はそんな私を恥じた。志賀直哉の「暗夜行路」を読んでいると「消日」という言葉があった。私のことだ。第四章 行事のための準備運動 アニメ『あの花』でずっと学校を休んでいたじんたんが外に出るシーンがある。ドア前で近所の人の声が聞こえ、躊躇する。これは、私が学校行事のために、久しぶりに外に出るXデーをモデルにしている。第五章 お母さんだってひどいことをしてる 私の父親は、浮気がばれ、祖父に離婚させられた。一人になった母は、男たちに「秩父の浅野温子」と呼ばれていた。私は母の彼氏に「おっぱいの絵を書け!」と命令される。第六章 緑の檻、秩父 学校は休んでいても、作文の宿題だけは提出していた。それが新聞社の賞をとった。「岡田さんは学校にこなくてもいいから、一緒に作文を書いて賞に応募しましょう」。優しい女性の国語教師は言ったのだが。第七章 下谷先生とおじいちゃん何とか高校には合格したものの、その高校もすぐに行けなくなってしまった。担任の下谷先生は、読書感想文の文通を求めてくれた。その添削に「麿里という少女の」という言葉があったことに衝撃をうける。第八章 トンネルを抜けて東京へ 下谷先生の奥さんは、「生きづらい人が集まるコミューンがある、卒業後はそこに」と言った。「麿里さんは、社会に出たらもっと傷つく」。こんな言葉がとっさに出てきた。「私はやりたいことがある。ゲーム学校に行く」第九章 シナリオライターになりたい 新しくできた友達と夜明けの渋谷の街を歩きながら「どうして私はここにいるんだろう」と感じた。日常のささいなことがずっと手の届かないと思っていた奇跡だった。その中で将来に対する夢が形づくられ始める。第十章 Vシネからアニメへ シナリオライターになりたいという一念で、Vシネの仕事をしているうちに、アニメの現場に参加することになった。「君、シナリオライターになりたいの? 書いてみれば」。体中の毛穴がぶあっと開いた。第十一章 シナリオ「外の世界」 そう言った監督にまず言われたこと。君はどんな人なのかそれがわかる脚本を書いてみなさい。私自身のことを書くならば、秩父のあの部屋にひきこもっていた時代のことを書くべきだ。第十二章 かくあれかしと思う母親を主人公にする オリジナルを書いてみれば? 学校に通えなかったせいで昇華されていない思春期が、終わりどころを見失っていた三十歳の私は、かくあれかしという母親をモデルにして脚本を書く。『花咲くいろは』の誕生。第十三章 あの日みた花の名前を僕たちはまだ知らない。 企画コンペにオリジナル作品を。そう言われて私はある決断をする。それは学校に行けなかった少年を主人公にした物語だ。アニメの美しさにほんのひと振りの現実。じんたんの登場する「あの花」が書かれる。第十四章 心が叫びたがっているんだ。 私の声さようなら。私の声消えたことみんな喜んだ。『ここさけ』のクライマックスで、喋ることができなくなってしまったヒロイン成瀬順が歌う「私の声」。これは、いきづまった私の声でもあった。エピローグ 出してみることで形になる何か 「ここさけ」の劇場上映があってしばらくして母親から連絡があった。「お母さんも昔、麿里ちゃんに似たようなこと言っちゃったわね」。順の母親の台詞のことだった。「そんなに私のことが憎い?」「もう疲れちゃった」

感想・レビュー・書評

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  • 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってんだ』などで有名な脚本家岡田麿里さんは小学校~高校まで登校拒否児だったそうだ。

    前半部分の学校時代のエピソードは思い出して再構成、俯瞰してみて書いているのだろうがやはり鋭い。
    特に関わった大人達のエピソードが素敵で、おじいちゃんと最後に会ったエピソードは思わずウッと来た。
    後半部分は家から飛び出して東京でシナリオライターになるまでのがむしゃらな奮闘記。
    とにかく面白く一気に読んだ。

    『心が叫びたがってんだ』のタイトルは岡田さんがつけたそうだ。監督に反対されたが押し通してくれた。感謝します。このタイトルを見たときちょっと救われた。
      

  • 「さよならの朝に約束の花をかざろう」を観て感動したので監督に興味を持った。「花咲くいろは」や「あの花」「ここさけ」の脚本家でもあったわけで、これらはアニメの中では異色の作品であり非常に良い作品だった、これらの作品は著者の登校拒否という体験から生まれたことに納得がいった。しかしダメな学校教師によってどれくらい生徒が傷つけられているのが分かるが、その中に稀に優れた教師が混じっており、その当たり外れは生徒の運次第ということになりそうだ。熱いアニメ現場についても語られており日本のアニメ製作者たちはすばらしい。

  • 『あの花』も『ここさけ』も
    何のことやらさっぱりわからずに本を手にしました。
    が・・・めっちゃ面白い。
    面白いなどど言ってしまうのが不謹慎に感じるほど
    著者の岡田さんの過ごしてきた過去は
    ストレスフル且つサバイバルなものでした。
    でも、読んでいるとなぜだかクスリと笑ってしまうのです、、、岡田さんの文章が絶妙で。

    小中高と学校に行けずにいた自分の姿を
    冷静に俯瞰で分析している岡田さん。
    恐らく小学生の頃から、自分を客観的に見る目ができてしまっていたのでしょう。
    誰もが自意識過剰で恥ずかしい思春期という時期に
    こんなにも自分を第三者の目で見てしまっていたとしたら
    さぞや辛かっただろうなぁと思うのです。

    だけれど、その物事を俯瞰で見ることができるという能力は脚本家という今の仕事をする上で
    何よりの武器になっているはず。
    アニメはあまり見る機会はないのだけれど
    この人の書いた話ならちょっと見てみようかなと
    思ったりもしています。

  • ここまで、著名人が自身の不登校体験について赤裸々に告白したことはなかったのではないか。最初は彼女の母親の態度に悶々としたところもあったが、母親も母親なりに育ってきた環境でしんどい思いをした故の態度なのかな、と納得したりもした。きっと母娘それぞれにそれぞれのしんどい思いがあった故の物語なのだろう。「不登校の著名人」はほかにもたくさんいるので、いつかこういう体験談を自由にカミングアウトできれば、いま不登校に悩む人たちの道標にもなって良いと思うのだが。

  • 岡田麿里さんが自分の才能に気づいて努力して、世に出てきてくれて良かったなぁと思う。

  • 題名とおり、「あの花」「ここさけ」を代表作とする脚本家である筆者の自伝。その筆者が、実は小学校から高校まで学校へ行けずに自宅に籠っていた、という驚きの事実から、ヒットメーカーとなるまでの半生記が綴られる。
    あらすじだけでも良い話。学校へ行けない、というのがどういう心の動きを持っているのかがわかり、外に向かう展開は感動的である。が、「あの花」「ここさけ」のような感情の震えがあるかというと、そうはならなかった。エピローグを読んでもハッピーエンドかといわれると悩ましい。
    大竹まこと氏がラジオで、ゲストの本を最後まで読んだ、でも読めてなかった、わからなかった、という趣旨のことを述べておられたが、同じく自分もこの本を読めきれていない。
    筆者の視点は客観的で冷静だ。部屋・秩父の山奥という「小さい世界」での苦境から「外の世界」で羽ばたく、というような流れで感動的に描くこともできそうなところ、そのようには書いていない。そのため、不登校児ではなかった自分には、その境遇に共感することもできない。また学術書でもないから、不登校になる動機などを網羅的に知る、ということもできない(これはあくまで一つのサンプルとしてとらえるべきだろう)。さらに筆者は同年代であるため、(年齢だけを理由に)上から目線で「よく頑張った!」ということもできない。良い話なのに、感情のもっていきどころがない。
    筆者が恐る恐る接触を続けていた「外の世界」で、シナリオライターという職に出会い、目標として試行錯誤しながら少しずつ成功を積み重ねていく。「書ききることができる力」を武器に。ここで、これまで比較的冷静的だった筆者の熱量が上がり、感情の昂ぶりに共感するシーンが描かれる。アニメと出会うのだ。
    『嬉しくて、わんわん泣いた。・・・
    「すごい、嬉しいと涙ってしょっぱくない!」
    ・・・その作品に関わった皆が、同じように苦しんで、同じ痛みを同時に持つことができる。だからこそ、強烈に幸せを感じられるときも一緒。それは観てくれている人も同じ。観てくれた人が喜んでくれたら、泣いてくれたら。私もこうして涙が止まらないのだ。』
    そして、「自意識なんてくそくらえだ」と自ら監督に売り込むに至る。
    ここまで自らの人生を駆動させる熱量との出会い、ここがこの本のピークと感じた。

    しかしこの本はここでは終わらない。ここからはアニメ制作ならではの出会いもあればトラブルも描かれる。でもそれは筆者が惚れたアニメという仕事の事実なのだろうし、名が知られることの事実なのだろう。でも、一方的に感動的な成功譚で終わらせないこと、それこそが筆者が描きたい光と影の二面性かという気がした。
    そして苦しみにぶつかりながらもこの世界にほれ込み、仕事をものしていく姿は、やはり眩しいのだ。

  • 共感しかない。

  • ドラマを見たので原作に興味を持って。
    思った以上にこの本の中身を忠実に、そして実写で見られるように構成したドラマだったんだなぁ…と感嘆。

    いまや名うてのアニメ脚本家となったまりーのトラウマの告白。
    それはいまでも彼女の中にあって、向き合いながら仕事を続けてる。
    そんな傷が、まりーの脚本の魅力…というには綺麗過ぎるか。
    個性?
    もしかしたら、まりーが作る物語が嫌いだという人は、この傷が認められないのかなあ。
    向き合えないというか。

    母と娘の確執…が、まりーの創作の根底にあるひとつと教えられたら、「さよならの朝に約束の花をかざろう」の見方も少し変わるねえ。
    あれは(あれも?)閉じた世界から少女が飛び出して、母になるワケだし。
    それが同一の人物の上に起こる変化であって…って、それはこの本の感想ではないかw

    脚本家としての岡田麿里さん。
    これからの作品を鑑賞するとき、その内面を読むとき今作を思い出すことにします。

  • あの花ファンなので。家族で聖地巡りをしたことも。これだけ内側で悶々と考え感じる人だから描けた世界なんだなと思った。

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著者プロフィール

脚本家。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』『LUPIN the Third 峰不二子という女』などのアニメ作品でシリーズ構成を担当。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本を手がけ、その小説化である本作は自身初の長編小説となる。

「2016年 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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