最愛の子ども

著者 : 松浦理英子
  • 文藝春秋 (2017年4月26日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906362

作品紹介・あらすじ

日夏(ひなつ)と真汐(ましお)と空穂(うつほ)。夫婦同然の仲のふたりに、こどものような空穂が加わった。私立玉藻(たまも)学園高等部2年4組の中で、仲睦まじい3人は〈わたしたちのファミリー〉だ。甘い雰囲気で人を受け入れる日夏。意固地でプライドの高い真汐。内気で人見知りな空穂。3人の輪の中で繰り広げられるドラマを、同級生たちがそっと見守る。ロマンスと、その均衡が崩れるとき。巧みな語りで女子高生3人の姿を描き出した傑作長編。

最愛の子どもの感想・レビュー・書評

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  • 共学ながら男子クラスと女子クラスに分かれた高校、女生徒=「わたしたち」はクラスの個性的でアイドル的存在の3人(日夏=パパ、真汐=ママ、空穂=子供)を<わたしたちのファミリー>として愛でつつ観察している。閉ざされた平和な水槽のような世界、少女たちは自分たちだけにしかわからない言葉でひそひそといつも笑いあっている。

    きちんと名前のある大勢の少女たちの誰とも特定しない「わたしたち」という抽象的な語り手の視点で、彼女らの想像・妄想で補いながらファミリーの物語が紡がれる、この独特な語り口が、この物語をありがちな女子校もの、におわせ百合もので終わらせず、べたべたしない、さりげない距離感をもたせてあってさすが松浦理英子と思わされた。

    それでいて学園ものらしく、こんな子いるわけない、と、こういう子いた、こういうことあった、のちょうど良いバランスのキャラクターたちも秀逸。こんなに高尚ではないが、そういえば私自身も高校時代の友人たちとは疑似家族ごっこをして遊んでいたっけ。

    最終的には空穂の本当の母親が(溺愛、過干渉、そのくせ平気で暴力をふるい、娘の友人に嫉妬むきだし)少女たちの小さな美しい世界をゴジラのように踏み潰すことになるのだけれど、ひとりで地団駄を踏み大暴れしている印象のこの毒母と対照的に、少女たちは淡々としていて、いっそ大人たちより大人。

    「いったいどれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるのだろう。どれだけ美しければ世間にだいじにされるのだろう。どれだけまっすぐに育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。どれだけ性格が良ければ今のわたしが全く愛せない人たちを愛せるのだろう」という、日夏の述懐が痛々しくも美しい。

  • 女子高校生たちの疑似家族関係を甘やかに、しかし淡々と描いた小説。
    自然に惹かれ合う事は日常の中に起こりうる事で。特にそれが同性であると、好きであることは認めがたく、理性ではどうにもできない感情なんだろうと思わせられました。
    排他的で閉鎖的で麗しい。それでいて淡々と紡がれる少女たちの日々はどこか背徳的で、読んではいけないものを読んでいるようで、そわそわしました。
    物語はここで終わるけれど、大人がどう動こうとも、彼女たちの道はまた緩やかに重なるんだろうな。

  •  本書は閉じられた王国の物語である。
     私たちはその王国を直接目撃することができない。私たちが読むのは国民がささやくロイヤルファミリーのゴシップと、その周辺の人々に関する描写にすぎない。それでも、私たちはこの王国を知っている。役割は無力な子どもでありながら内実は大人に近く、感受性を持て余す少女であった記憶を残した、私たちは。

    「王国」は今より少し前の日本の高校の片隅に人工的に作られ、その「国民」以外に存在を知る者はない。思春期の少女たちはしばしばそのような閉じた国を作る。この国の領土は土地ではなく、物語である。彼女たちは大人たちと男たちを排除した語りを繰りかえす。ロイヤルファミリーはいずれも高校生の女の子三人で、「パパ」「ママ」「王子」という役割を持ち、「家族」を構成する。パパもママも子も社会に規定された役割の名でありながら、少女たちの許せない性質が除かれ、少女たちが愛玩できるステレオタイプが残されている。だから子どもは女性の「王子」なのだ。

     クラスメイトたちはパパとママと王子に関する噂話をする。物語ることで場をつくるのが少女たちであるから、噂話はそのまま、王国を構成するための活動の描写でもある。すなわち、この小説は三重の円構造をもつ。もっとも内側の円はパパとママと王子。これは王国の神話であるから、小説の中で決して一人称を与えられない。ロイヤルファミリーは本心や真実を語らない。それは推測されなければならない。推測する国民たち、すなわちクラスメイトたちが第二の円、王国の境界線をつくる円である。クラスメイトたちは伝聞、憶測、妄想を交換し、それらがいきすぎないよう集団的に制御し、ストーリーをつくる。彼女たちは第一層(パパ・ママ・王子)を注視する脇役であり、さらにその外側の第三層(保護者や男子生徒、さらには読者)から見れば王国を構成する主体でもある。国民主権。その他大勢による世界の構築。なんという小説か。

     しかし、本書においてそのような技巧は主役ではない。筆者はきわめて技巧的な小説家ではあるが、技巧をめあてに小説を読む者はきっと後悔する。狼狽するほどの感情、ほとんど不快なまでの強い感覚がすべての読者を襲う、そういう小説でもあるからだ。

     十代の少女たちはなぜ王国を作るのか。おそらくは許せないものを排除し彼女たちにとっての正しい世界を確保するためである。読者である私たちは大人で、かつて許せなかったものを保身のために見過ごすすべを身につけている。だからそれを見過ごせない高校生たちのふるまいに狼狽する。彼女たちがいくら楽しそうでも、そのあまりの鮮烈さ、現在の自分とのあまりの距離に、なんだか泣けてしまう。彼女たちは大人なるものと男なるものの暴力性を排している。しかし、彼女たちには彼女たちの暴力性がある。男性性に回収されることのない暴力性が。

     彼女たちはなぜ暴力的であるか。それは愛を肯定しているからだ、と断定したい。私は常々思うのだけれども、力の不均衡が完全に均されたら、愛は存在しえない。特定の子に対し特定の大人が権力を持つことのない社会が実現すれば、親子愛は消える。特定の相手に自分に関する特権を付与することによってのみ恋は成立する。特権の付与が不均衡であれば恋はより恋らしくなる。すべての成員がたがいに権力を与えないのなら、恋は成立しない。個人の愛は権力の不均衡を要請する。個人の愛は権力の行使によって成立する。そうして愛は言うまでもなく、閉じこもることが好きだ。密室の親子。密室のカップル。究極の密室としての家庭。権力と密室は暴力の両親である。

     大人と男を排した少女たちの密室では、もちろん大人や男のふるう暴力は排除される。本書の「王国」における愛は、社会に回収されることも、性に回収されることも、美談に回収されることもない。家族役割を模するままごと遊びではない。家族という器を逆さにして王国の屋台骨にするという遊びである。それが孕む暴力は、もちろん大人になった私たちの見知らぬかたちをしている。けれども私たちは実はそれを知っているのではなかったか。遠い昔、私たちが少女であったころ、どこかに築いた王国のなかで、育てたものではなかったか。

     もちろん、王国はほどなく破綻する。私たちの社会はそれを許さないからだ。いつか見たような、しかしはじめて見る王国の成立と破綻を、どうぞ見届けられますよう。

  • 高校生だと、こんな感じなのかな。

  • とても面白く読んだ。

  • 愛の在り方、というとちょっと違うかもしれないけど、でもまぎれもなく愛の物語だった。

  • 高校時代、女子のかたまりに居たことがないから、その中の愛着とか性の在り方とか、まったくピンと来ないままだった。語り手が傍観者的な感じだから読者もまたそうっていうのなら、まさにその通りの立ち位置で読み終わった。

    使われている言葉や繋がれ方は好きなので、他の作品も読んでみたい。

  • 結論からいえばあまり好みではなかった。
    もっと端的に言ってしまえば、ー誤解を恐れずにいうならばー面白くなかった。

    日夏、真汐、空穂。
    この三人の女子高生が主となって学園生活、それぞれの思惑が描かれていく。
    この三人は<わたしたちのファミリー>という架空の家族であって、互いに慈しみつつ、愛しつつ、愛されたいと願っている。
    平坦な文体で物語は進む。
    この妙に近すぎる関係に息苦しさを感じながら、どうして私はこの本を読もうと思い立ったのかを自問する。
    いつものとおり、新聞の広告欄で、それとも書評欄で見たのだっけ、でも何かに惹かれたはずなのに、中身は私が惹かれた何かとは違っていた。
    まあいい。
    女子高生だった自分なんてとうにすぎてしまったけれど、この<ファミリー>という人間関係は私にとって居心地が悪い空間なのは間違いない。
    確かに「何か」は起きる。
    男女がくっついたりボスがその座から転落したり。
    しかしこの波の立たなさは一体なんだ。
    周囲の人間たちにしたってそうだ。
    興味があるようなないような、冷めた視点が十代特有の気だるさと言えなくもないが、感情の揺るがなさに不気味さを感じて仕方がなかった。

  • 松浦理英子さんの本は『裏バージョン』に続いて2冊目で、期待して読みましたが、その期待が裏切られることもなく楽しんで読めました。

    女子高生が主な登場人物で、どうして大人になってもこの頃の感情をこんなに瑞々しく書けるのだろう、と驚く一方でその文章に自分の高校生活の思い出が呼び起こされました。正確に言うと思い出という程のものではないけど、あの時感じた感情は今も持っているなとも思ったり、成長していないんだなと苦々しい気持ちになったりもしました。それくらいリアルに心情が描かれているし、もはや心情がメインでした。

    登場する女子高生は今で言う腐女子的感覚を持っている子達で、その子達の会話が独特だなと思うこともありましたが、そういう子達だからこそ自分の愛する対象の心情を深く(時には過剰に)察することが出来るのだと羨ましくなりました。

  • 「わたしたち」の視点で、少しの事実から推測と妄想で擬似ファミリーが綴られているのが面白かった。「最愛の子ども」は擬似ファミリーでは空穂だけど、現実ファミリーではみんなだよ、ってこと…?うーん?

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