Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男

著者 :
  • 文藝春秋
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レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906737

作品紹介・あらすじ

藤田哲也という天才科学者(1920-1998)がいた。 専門は気象学。32歳のとき渡米し、シカゴ大学の教授にまで上り詰め、「Mr.トルネード(竜巻)」と呼ばれた。 藤田の人類への最大の功績は、1970年代に続発していた飛行機事故の原因を「ダウンバースト」という気象現象だと突き止め、飛行機事故を激減させたことである。「ダウンバースト」とは、突発的に非常に狭い範囲で生じる下降気流であり、起きる直前でなければ、予測不能である。今日、私たちが安心して飛行機に乗れるのは、彼のおかげなのだ。 だが、この功績は、藤田が活躍したアメリカでは広く知られているが、日本ではほとんど知られていない。それだけではない。藤田がどのような人生を歩んだのかが、わかってきたのは、ここ数年のことだ。 本書の著者・佐々木健一氏は、そんな藤田哲也の人生に強く惹かれ、アメリカ全土、総移動距離3万キロを超える取材を敢行して、その人生を追いかけた。 そして、NHKのテレビ番組「ブレイブ 勇敢なる者」シリーズの第一弾として、藤田の人生を描く「Mr.トルネード」を制作した(2016年5月2日放映)。 本書は、「ダウンバースト」現象の解明を軸に、番組には収めきれなかった成果を盛り込んで書き上げられた、世界初の藤田哲也の本格的評伝である。 評伝でありながら、小説より面白い。 藤田の映画が見たくなる。 天才科学者の人生は、「数奇な人生」(singular life)でもあったことが明らかになる、わくわくする科学者の物語がここに誕生した。

感想・レビュー・書評

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  •  著者はNHKのディレクター。NHKのテレビ番組『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~』の取材をもとに書かれた『辞書になった男』がたいへんおもしろかった。同様に本書も先にテレビ番組『Mr.トルネードから気象学で世界を救った男~』が先行していて、その取材をもとに書かれたものだ。
     竜巻という自然現象の発生が北米に集中していることから日本では知名度がないが、藤田哲也博士はアメリカでは気象学の分野で非常に有名だということだ。著者はその姿を立体的に描くために、日米に散らばる関係者の多くにていねいに取材している。「理論家」というより「観察者」だったという藤田博士の姿勢につながるかのようだ。
     幼少時のエピソードがおもしろい。中学三年のとき学校のイベントで、江戸時代に和尚がノミと槌だけで掘ったトンネルで有名な大分県の「青の洞門」を訪れた。感想文としてクラスメイトが「和尚はすごいことをしました。見習うべきです」とか書いているなかで、「自分なら道具を作ってから穴を掘る、そうすればトンネルと道具の両方を残すことができる」と書いたという。藤田は研究に使う道具を自分の手作りで作ることで有名だったそうである。
     航空機が着陸時に急に制御を失い墜落してしまう現象。その原因は、藤田が発見し「ダウンバースト」と名付けた、地表近くに局所的に発生する強い下降気流だった。藤田がその存在を信じることができたのは、長崎に落とされた原子爆弾の調査にあったという挿話も興味深い。
     藤田のおかげで、以前は「1年半に1回」起こっていたという墜落事故が、劇的に少なくなったという。そのことは今後飛行機にのるたびに、思い出すことだろう。

  • 藤田哲也という天才科学者(1920-1998)がいた。
    専門は気象学。32歳のとき渡米し、シカゴ大学の教授にまで上り詰め、「Mr.トルネード(竜巻)」と呼ばれた。
    藤田の人類への最大の功績は、1970年代に続発していた飛行機事故の原因を「ダウンバースト」という気象現象だと突き止め、飛行機事故を激減させたことである。
    「ダウンバースト」とは、突発的に非常に狭い範囲で生じる下降気流であり、起きる直前でなければ、予測不能である。今日、私たちが安心して飛行機に乗れるのは、彼のおかげなのだ。
    だが、この功績は、藤田が活躍したアメリカでは広く知られているが、日本ではほとんど知られていない。それだけではない。藤田がどのような人生を歩んだのかが、わかってきたのは、ここ数年のことだ。

    本書は、「ダウンバースト」現象の解明を軸に、番組には収めきれなかった成果を盛り込んで書き上げられた、世界初の藤田哲也の本格的評伝である。

  • なぜ日本ではイノベーションが起こらないのか、みんなで議論している昨今ですが、その答えが本書にあると思いました。「Mr.トルネード」藤田哲也は、やはり日本生まれたけどアメリカしか育てられなかった天才なのだと思いました。特異点を打ち消す同調圧力社会と特異点がさらに特異になっていくことを称賛する社会の違いを強く感じます。アメリカでも批判や無視もさらされる「変わった」学者であり、批判者が味方になっていくプロセスや、あるいは共同研究者へも訴訟を辞さないエキセントリックなエピソードは本書のハラハラドキドキを作り出しています。また著者がTVディレクター出身だけあって、証言者の顔が写真としてそれぞれに掲載されているので彼らの藤田に対する想いがビビッドに伝わります。死を恐れずダウンバーストの中を飛行したがる狂おしいまでの好奇心と計算尺まで手作りするような圧倒的なクラフト力と理論より先に現象をビジュアルで捉えることの出来る直観能力と、つまりクレイジーなまでの心と腕と目をもった観察少年、それが「Mr.トルネード」なのでありました。こんな特異点、教育でつくることできるのか?それでもいくつもの賞をとった彼がキャリアの中で大事にしていたのが「昭和十四年 小倉中学 理科賞」というところに希望を感じたりします。褒められることから生まれる自己肯定感、それがトルネードのようにどんどん渦を作っていくようなそんな体験を子どもたちに与えることが大切なのかもしれません。

  • 【工学部図書館リクエスト購入図書】
    ☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
    http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB23858018

  • ☆Fスケール、ダウンバーストなど

  • 世界的に有名でも日本国内では無名だという人は多い。本書で語られている藤田哲也
    も、その一人であろう。Mr.トルネードの異名をもつ気象学者であるが、藤田博士の
    最大の功績は、マイクロバーストと呼ばれる極小地域で発生する急激な下降気流の解
    明である。その解明に原子爆弾の被害調査が役立ったというのは悲しい話だが、マイ
    クロバーストを解明する過程は、まさに科学者とはこういう人をいうのだというお手
    本である。研究者の端くれとして襟を正しながら、そして航空機の利用者として感謝
    をささげながら一気に読み終えた。
    世界的に有名でも日本国内では無名だという人は多い。本書で語られている藤田哲也
    も、その一人であろう。Mr.トルネードの異名をもつ気象学者であるが、藤田博士の
    最大の功績は、マイクロバーストと呼ばれる極小地域で発生する急激な下降気流の解
    明である。その解明に原子爆弾の被害調査が役立ったというのは悲しい話だが、マイ
    クロバーストを解明する過程は、まさに科学者とはこういう人をいうのだというお手
    本である。研究者の端くれとして襟を正しながら、そして航空機の利用者として感謝
    をささげながら一気に読み終えた。
    (教員 推薦)
    (特集:「先生と先輩のすすめる本」)


    ↓利用状況はこちらから↓
    http://mlib.nit.ac.jp/webopac/BB00541736

  • 藤田スケール。この有名な指標はどんな人が作ったのか?人となりがよくわかる本になっている。世界で活躍する(した)日本人に敬意。

  • 「ショックです。日本で彼の存在があまり知られていないなんて。・・・(略)」

     この本の冒頭は、このように始まっています。日本で知られていない氏の名前は藤田哲也。竜巻を観測しつづけ、竜巻とは違う何かであったであろうダウンバーストを最初に確認した人です。

     アメリカでは竜巻が多発します。そして数年に一度大きな飛行機事故が起きていました。その原因を突き止めたのが藤田。藤田はダウンバーストを観測し飛行機事故の原因を突き止め、飛行機事故を激減させた功績でアメリカで有名です。

     藤田は、企救郡中曽根で生まれ、苦学して小倉中学(現小倉高校)を卒業しました。その後、現九州工業大学で教職につき過ごしました。この時点では物理の先生でした。苦学の影に周りの人たちの助けがあったことが書き出されています。

     戦後、広島長崎の原爆調査に参加。調査の写真には、悲惨な情景は写し出されていませんでした。学術的に意味のある写真しか撮っていなかった。情緒に訴えること無く、学術的に資料効果の高いものを求めた結果なのでしょう。

     その後、背振山での観測が認められ、かのシカゴ大学に招請されました。私の知るシカゴ大学は、ノーベル賞学者を多く排出し、グローバル経済を推し進めるシカゴ学派と呼ばれる経済学者ばかりだと思っていましたが、様々な研究者を擁し、認められれば待遇は凄いそうです。藤田はビルの一フロアを与えられていました。

     藤田は日本語訛りの英語だったといいます。どういうものが想像できませんが、それは当然北九州よりの日本語訛りでしょう。

     自分で計算尺を作り、気象観測をする学者として当時(今も?)珍しい存在でした。手が器用で必要なものは、なんでも自分で作ったそうです。物づくりの地元に強く繋がる印象を持ちます。

     本当は、日本に帰りたかったらしいのですが、日本では研究がままならないので、国籍を変えてでも研究を続けようとした様が読み取れます。気象情報は国家機密。国籍を変えないと研究に支障をきたしたのでしょう。日本は研究に適してないのかと思うととても残念です。

     幼少の頃、曽根干潟で潮の満ち引きを体験して引力の凄さを実感し、アメリカに発つ前、現在は都会になり見ることの出来ない故郷の自然豊かな中曽根の風景を写真に収め、それ励みにしました。

     弟が亡くなった時、こう弔事を送りました。「哲也はアメリカに骨を埋めることはありません。両親、碩也(弟)、妹が無言で待っている中曽根に必ず帰りますので、再会の日を静かにお待ち下さい。」地元を強く愛していたことが伺えます。企救郡中曽根の豊かな自然のなかで生活し、自然の営みの凄さを感じ、科学者をこころざし、父親を亡くし進学を諦めかけた藤田に多くの人が救いの手を伸ばし、藤田は学術に邁進した。これほどの地元の誇りはなかろう。

     藤田は1942年から現在の九州工業大学で教鞭をとっています。本には書かれていませんが、日本に初めてアメリカのB29が空襲した1944年から1945年には北九州にいました。地元での空襲を実体験として持っていたのかもしれません。戦後、広島長崎の調査。原爆は上空530mで爆発するように設計されていました。それが一番被害を与えることが出来るからです。藤田は放射線状に倒れた樹木から正確に原爆が爆発した高さを割り出しました。樹木は上から押し付けられるように倒れていたのです。そしてそれがダウンバーストの観測に役立ったのかもしれません。

     藤田はアメリカでダウンバーストを発表した時、学会は半信半疑でした。学会で認められるにはそれなりの過程を辿らないといけません。藤田は事故を無くしたいという一心で学会に立ち向かいました。それは地元であった空襲、広島長崎を調査し、本や論文には出てこない多くの不幸を背負っているのではないか、そしてそれは藤田にしか解決することできなかった。戦争で被災にあった国の学者が、原爆を落とした国の飛行機事故を必死に防ごうとした。とてつもなく大きな運命、因果を感じます。本を読んで、北九州の人なら、これに気が付かないといけないとすら思います。

     藤田はいま、地元で家族と静かに眠っています。

     藤田の足跡はちゃんと北九州にも残っています。平尾台の藤戸洞という鍾乳洞。これは中学の時、藤田が発見した鍾乳洞です。どこまでも地元に立脚している世界の藤田だと思います。

     冒頭の「ショックです。日本で彼の存在があまり知られていないなんて。・・・(略)」それは地元北九州に対して言われているようです。

  • これもテレビをみて興味を持ったので読んでみた。昔は大抵の人が飛行機を怖がっていたように思う。私の記憶によればリトル巨人くんという漫画の中の中畑選手は飛行機に乗るとなればお経を唱え怖がるなんて描写があったくらいだ。つまり飛行機事故の報道も多く覚悟して乗るものでもあったよう。(もちろん今のように身近な交通手段としては高すぎて何回も乗れないものでもあった)その原因の1つであるダウンバーストというものを発見したのがこの藤田である。番組では短くまとめられた藤田哲也がたくさんの証言やら自身のインタビューやら事実から浮かび上がってくる。その業績から研究熱心さから天才的と言われた閃きから…もちろんそれだけの独自性や天才性がある分個性的でもあり彼なりの欠点が人間として科学者としての賛否両論を巻き起こしたという面もきちんと記載されていた。彼は正規の専門教育(大学過程の)を踏まなかった事もあるが日本人と西洋人の考え方というか文化的違いも大いにあったであろう。西洋(というかその時代の科学はじめ学問は西洋中心だったのもあるが)では理論がものをいうが、藤田は観察という経験からくる(その経験も膨大なものではあるが)直感、閃きでの発表であったから。このエピソードをみたときは故任天堂社長の岩田氏がコードを印刷してその並びから不具合を発見するのを思い出した。それは置いといて。あ、もう一つ、藤田は発見ではなく認識だと言っていた。つまりボロブドゥールを発見したのではなくボロブドゥールは常にそこにあったので認識したというのが事実みたいなことか。
    それでも、彼の最も大きな業績の1つのダウンバーストを追うところは調査依頼から始まりその発見実証までとてもスリリングだった。息つく間もないくらいと言えるほど。
    ドキュメンタリーの方も短くまとめてあるけれどとてもいい。藤田を実際に知っていて付き合っていた人が彼を思い出す表情に涙が出る。ある者は確かに感情を損ねていたがある者は彼の欠点をも含めて懐かしみ愛(といっても友情)していたことがわかる。
    類稀な人生を送り類稀な才能を発揮した彼の言葉はそれでも誰の人生にも勇気を与える言葉だと思う。「『恥ずかしがらずに言いたいことを言いなさい』そのうちの半分は間違っているかもしれない。しかし、残りの半分は正しいかもしれない。もし、あなたの主張の50%が正しければ、価値のある人生を送ったということです。幸運を祈ります。」

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著者プロフィール

佐々木健一

1943年,東京都生まれ.東京大学文学部卒業.同大学院人文科学研究科修了.東京大学文学部助手,埼玉大学助教授,東京大学文学部助教授,同大学大学院人文社会系研究科教授,日本大学文理学部教授を経て,現在,東京大学名誉教授.美学会会長,国際美学連盟会長,日本18世紀学会代表幹事を歴任.専攻,美学,フランス思想史.

「2019年 『美学への招待 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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