Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 27
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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906737

感想・レビュー・書評

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  • 世界的に有名でも日本国内では無名だという人は多い。本書で語られている藤田哲也
    も、その一人であろう。Mr.トルネードの異名をもつ気象学者であるが、藤田博士の
    最大の功績は、マイクロバーストと呼ばれる極小地域で発生する急激な下降気流の解
    明である。その解明に原子爆弾の被害調査が役立ったというのは悲しい話だが、マイ
    クロバーストを解明する過程は、まさに科学者とはこういう人をいうのだというお手
    本である。研究者の端くれとして襟を正しながら、そして航空機の利用者として感謝
    をささげながら一気に読み終えた。
    世界的に有名でも日本国内では無名だという人は多い。本書で語られている藤田哲也
    も、その一人であろう。Mr.トルネードの異名をもつ気象学者であるが、藤田博士の
    最大の功績は、マイクロバーストと呼ばれる極小地域で発生する急激な下降気流の解
    明である。その解明に原子爆弾の被害調査が役立ったというのは悲しい話だが、マイ
    クロバーストを解明する過程は、まさに科学者とはこういう人をいうのだというお手
    本である。研究者の端くれとして襟を正しながら、そして航空機の利用者として感謝
    をささげながら一気に読み終えた。
    (教員 推薦)
    (特集:「先生と先輩のすすめる本」)


    ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00541736

  • 藤田スケール。この有名な指標はどんな人が作ったのか?人となりがよくわかる本になっている。世界で活躍する(した)日本人に敬意。

  • 「ショックです。日本で彼の存在があまり知られていないなんて。・・・(略)」

     この本の冒頭は、このように始まっています。日本で知られていない氏の名前は藤田哲也。竜巻を観測しつづけ、竜巻とは違う何かであったであろうダウンバーストを最初に確認した人です。

     アメリカでは竜巻が多発します。そして数年に一度大きな飛行機事故が起きていました。その原因を突き止めたのが藤田。藤田はダウンバーストを観測し飛行機事故の原因を突き止め、飛行機事故を激減させた功績でアメリカで有名です。

     藤田は、企救郡中曽根で生まれ、苦学して小倉中学(現小倉高校)を卒業しました。その後、現九州工業大学で教職につき過ごしました。この時点では物理の先生でした。苦学の影に周りの人たちの助けがあったことが書き出されています。

     戦後、広島長崎の原爆調査に参加。調査の写真には、悲惨な情景は写し出されていませんでした。学術的に意味のある写真しか撮っていなかった。情緒に訴えること無く、学術的に資料効果の高いものを求めた結果なのでしょう。

     その後、背振山での観測が認められ、かのシカゴ大学に招請されました。私の知るシカゴ大学は、ノーベル賞学者を多く排出し、グローバル経済を推し進めるシカゴ学派と呼ばれる経済学者ばかりだと思っていましたが、様々な研究者を擁し、認められれば待遇は凄いそうです。藤田はビルの一フロアを与えられていました。

     藤田は日本語訛りの英語だったといいます。どういうものが想像できませんが、それは当然北九州よりの日本語訛りでしょう。

     自分で計算尺を作り、気象観測をする学者として当時(今も?)珍しい存在でした。手が器用で必要なものは、なんでも自分で作ったそうです。物づくりの地元に強く繋がる印象を持ちます。

     本当は、日本に帰りたかったらしいのですが、日本では研究がままならないので、国籍を変えてでも研究を続けようとした様が読み取れます。気象情報は国家機密。国籍を変えないと研究に支障をきたしたのでしょう。日本は研究に適してないのかと思うととても残念です。

     幼少の頃、曽根干潟で潮の満ち引きを体験して引力の凄さを実感し、アメリカに発つ前、現在は都会になり見ることの出来ない故郷の自然豊かな中曽根の風景を写真に収め、それ励みにしました。

     弟が亡くなった時、こう弔事を送りました。「哲也はアメリカに骨を埋めることはありません。両親、碩也(弟)、妹が無言で待っている中曽根に必ず帰りますので、再会の日を静かにお待ち下さい。」地元を強く愛していたことが伺えます。企救郡中曽根の豊かな自然のなかで生活し、自然の営みの凄さを感じ、科学者をこころざし、父親を亡くし進学を諦めかけた藤田に多くの人が救いの手を伸ばし、藤田は学術に邁進した。これほどの地元の誇りはなかろう。

     藤田は1942年から現在の九州工業大学で教鞭をとっています。本には書かれていませんが、日本に初めてアメリカのB29が空襲した1944年から1945年には北九州にいました。地元での空襲を実体験として持っていたのかもしれません。戦後、広島長崎の調査。原爆は上空530mで爆発するように設計されていました。それが一番被害を与えることが出来るからです。藤田は放射線状に倒れた樹木から正確に原爆が爆発した高さを割り出しました。樹木は上から押し付けられるように倒れていたのです。そしてそれがダウンバーストの観測に役立ったのかもしれません。

     藤田はアメリカでダウンバーストを発表した時、学会は半信半疑でした。学会で認められるにはそれなりの過程を辿らないといけません。藤田は事故を無くしたいという一心で学会に立ち向かいました。それは地元であった空襲、広島長崎を調査し、本や論文には出てこない多くの不幸を背負っているのではないか、そしてそれは藤田にしか解決することできなかった。戦争で被災にあった国の学者が、原爆を落とした国の飛行機事故を必死に防ごうとした。とてつもなく大きな運命、因果を感じます。本を読んで、北九州の人なら、これに気が付かないといけないとすら思います。

     藤田はいま、地元で家族と静かに眠っています。

     藤田の足跡はちゃんと北九州にも残っています。平尾台の藤戸洞という鍾乳洞。これは中学の時、藤田が発見した鍾乳洞です。どこまでも地元に立脚している世界の藤田だと思います。

     冒頭の「ショックです。日本で彼の存在があまり知られていないなんて。・・・(略)」それは地元北九州に対して言われているようです。

  • これもテレビをみて興味を持ったので読んでみた。昔は大抵の人が飛行機を怖がっていたように思う。私の記憶によればリトル巨人くんという漫画の中の中畑選手は飛行機に乗るとなればお経を唱え怖がるなんて描写があったくらいだ。つまり飛行機事故の報道も多く覚悟して乗るものでもあったよう。(もちろん今のように身近な交通手段としては高すぎて何回も乗れないものでもあった)その原因の1つであるダウンバーストというものを発見したのがこの藤田である。番組では短くまとめられた藤田哲也がたくさんの証言やら自身のインタビューやら事実から浮かび上がってくる。その業績から研究熱心さから天才的と言われた閃きから…もちろんそれだけの独自性や天才性がある分個性的でもあり彼なりの欠点が人間として科学者としての賛否両論を巻き起こしたという面もきちんと記載されていた。彼は正規の専門教育(大学過程の)を踏まなかった事もあるが日本人と西洋人の考え方というか文化的違いも大いにあったであろう。西洋(というかその時代の科学はじめ学問は西洋中心だったのもあるが)では理論がものをいうが、藤田は観察という経験からくる(その経験も膨大なものではあるが)直感、閃きでの発表であったから。このエピソードをみたときは故任天堂社長の岩田氏がコードを印刷してその並びから不具合を発見するのを思い出した。それは置いといて。あ、もう一つ、藤田は発見ではなく認識だと言っていた。つまりボロブドゥールを発見したのではなくボロブドゥールは常にそこにあったので認識したというのが事実みたいなことか。
    それでも、彼の最も大きな業績の1つのダウンバーストを追うところは調査依頼から始まりその発見実証までとてもスリリングだった。息つく間もないくらいと言えるほど。
    ドキュメンタリーの方も短くまとめてあるけれどとてもいい。藤田を実際に知っていて付き合っていた人が彼を思い出す表情に涙が出る。ある者は確かに感情を損ねていたがある者は彼の欠点をも含めて懐かしみ愛(といっても友情)していたことがわかる。
    類稀な人生を送り類稀な才能を発揮した彼の言葉はそれでも誰の人生にも勇気を与える言葉だと思う。「『恥ずかしがらずに言いたいことを言いなさい』そのうちの半分は間違っているかもしれない。しかし、残りの半分は正しいかもしれない。もし、あなたの主張の50%が正しければ、価値のある人生を送ったということです。幸運を祈ります。」

  • 研究は情熱が大事なのだと実感した。査読を排除して批判も恐れず、でも人間くさい藤田博士。面白かった。

  • 気象学の面から無数の人達への、"意識されない大きな安全"を与えてくれた天才の話。
    自伝的な記録からの引用もあるが、敢えて少ない。
    実績を上げる為に必須だったと思われる、”アメリカ”という場所と文化。
    憑かれたような研究欲、呼吸するがごとく研究に沈溺しながらも、謎の不調に激しく苦悩しながらの晩年。
    日本人として、もっと日本で過ごしたかったと思う、自身の人間的な本能。
    天才を理解し受け容れ、支えるアメリカ人達の深い思いやり。
    書籍としても読み応えが有った。
    同時に、自身の行動を一切伴わないで得ている恩恵というのは、認識する機会も無く、教科書にも載らない...、そんな切なさが痛く感じた。

  • 竜巻研究で名を馳せ、ダウンバーストの発見で世界の空を安全にした藤田博士の足跡を追いかけた書。関係者へのインタビューを元に、博士の姿を浮かび上がらせる。
    博士は物理学出身で地学の助手を経て気象学へ入った異色の研究者。学際的な才能の持ち主であり、そして『ファイター』である。査読や修正などで時間のかかるジャーナル論文は、ほとんど発表せず、世の中に役立てることを優先。学会の批判や反発を招くが、我が道を貫いた。
    良書。

  • うーーーん… ほぼ在野で物理学から竜巻研究へ転じアメリカで成功、さらに航空事故を大きく減らす発見をしたという題材としては面白そうだったんだけど… 抽象的な説明に留まってて、もっと掘り下げて欲しかった。没後しばらく経っているからだろうか。

  • 謎の飛行機事故の原因、ダウンバーストを発見した研究者。空の旅を安全なものにしたその偉業は日本ではほとんど知られていなかった。彼の幼少期からのエピソードを読むと、あまりの天才さに驚く。周りの誰もついて行けない思考と行動力。自分の説に自信があり、批判されることを好まず、査読審査のある雑誌などには論文を出さなかった。どんなときでも研究のことを考え、研究だけが人生だった。こんな人がいたんだなぁ。偉人の話は面白い。

  • 旧制小倉中学から、明治専門学校(現九州工業大学)を経て、米国シカゴ大学の教授となられた、伝説のタイフーン藤田。様々な伝説に彩られた彼の人生を、垣間見ることができます。お墓は、北九州(苅田)にあるとのこと。

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著者プロフィール

1943年東京都生まれ。東京大学文学部フランス語フランス文学専修課程卒業。同大学院人文科学研究科美学芸術学博士課程修了。埼玉大学助教授、東京大学文学部教授、日本大学文理学部哲学科教授を歴任。元国際美学連名会長。現在、東京大学名誉教授、国際哲学系諸学会連合副会長。文学博士。1982年、『せりふの構造』でサントリー学芸賞受賞。著書に『せりふの構造』『作品の哲学』『ミモザ幻想─記憶・藝術・国境』『美学辞典』『美学への招待』『日本的感性─触覚とずらしの構造』『ディドロ『絵画論』の研究』ほか。

「2016年 『講座スピリチュアル学 第6巻 スピリチュアリティと芸術・芸能』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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