- 本 ・本 (96ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163907284
作品紹介・あらすじ
第157回芥川賞受賞作。
大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。
北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、
ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。
ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。
いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に、
「あの日」以後、触れることになるのだが……。
樹々と川の彩りの中に、崩壊の予兆と人知れぬ思いを繊細に描き出す。
〈著者略歴〉
1978年北海道生まれ。西南学院大学卒業後、福岡市で塾講師を務める。
現在、岩手県盛岡市在住。本作で第122回文學界新人賞受賞しデビュー。
感想・レビュー・書評
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ごめんなさい、なんか読みにくかった。
芥川賞ってどれもこんな書き方の作品ばかりなのか?
私の肌には合わなかったです。。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
余韻がすごい作品だ。
先日盛岡を訪れた際、これも縁かと思い、以前から気になっていた、盛岡が舞台の本作を購入した。
今野が仕事で住むこととなった盛岡で、親しくなった同世代の男・日浅。緑の美しい川辺で趣味の釣りに興じ、酒を酌み交わす今野と日浅。自然の描写がとにかく美しく瑞々しい。日浅が転職してから、じわじわと不穏な影が忍び寄ってくるのだが…後半、まさかの展開に目眩を感じる。現実と過去が入り組んで分かりにくい箇所もあるけれど…読み終えて、この作品は舞台が盛岡だからこそ成立する作品だなと納得した。
長くはない作品なので、描かれていない部分を脳内で補う必要があるけれど、それが苦ではない。むしろ、いつまでも余韻に浸っていたくなる。淡々とした文章と思っていると、時々感情描写の生々しさに戸惑ったり、後半を覆う重苦しい空気が若干不気味に感じられたりもするのだが…そういったところも含めて、この作品の雰囲気が妙に好きなのだ。
これは、是非映画版も見てみたい。 -
東北生まれ、東京暮らしの一個人としての感想を書きたい。これは二つの大きな虚無感の波が、ぶつかって大きな渦になり、個人を飲み込んだ物語だと思った。
ひとつには、都会人的な感性としてある、崩壊への憧れ。谷崎潤一郎が関東大震災に対して抱いていた希望や、ポストモダン的都市論の中で時折目にする、東京はいちど崩壊すべきという論調、またそれこそ当時の石原都知事が言った天罰という言葉......もっと言えばゴジラやナウシカ、その他世界系のファンタジーがその観点から考察されることもあるように、飽和した都会にあって、それを不可抗力的な巨大な力で破壊してほしいという隠れた願望は、東京においては100年前から連綿と続いているようだ。この物語の日浅はこの流れを汲む人間であろう。小説中にも、日浅は東北人だが東京での暮らしのせいか、東北の感性は持っていなかったと記述がある。もちろん今ではタブーとして多くの人が認識している考えだと思うし、当事者意識に照らして許せないと個人的にも思う。
もうひとつは、東日本大地震が提示した、人間は結局一人で生きて死ぬんだという事実。もちろん一人一人の生活を助けるために社会は色々な援助の機構を持つ。震災時にあっても「絆」が声高に言われたように皆んな助け合った。私だって人の家の雪を掻いたし、自衛隊の方から水を供給してもらった。ただそれでもやはり、自分の命に責任を持つのは、あくまで自分をおいて他にないという事実はあまりに大きかった。「絆」はある種の逆説として、叫ばれる必要性があったとも言える。床一面の割れた皿を片付けること、水が無ければ汲みに行くこと、自分の家が危ないと判断すれば親戚の家で寝ること、全て自分で判断し、自分で行動しなければいけなかった。他の誰かがその判断をしてくれるわけではなかった。これは決して絶望ではなかったが、厳然たる事実として目の前に立ち現われた孤独ではあった。
この二つの波、つまり崩壊への憧憬と、突如現れた孤独が親潮と黒潮のようにぶつかってしまった時、日浅は社会から姿を消してしまったのだろうと解釈した。 -
映画化されるのを知って読んでみた、芥川賞受賞作とのことで期待していたががっかりだった。やたらと回りくどい表現を使ったり、場面展開が唐突だったり新しい作風に見せかけようとしているようだが、中身はペラペラだった、よくこんな小説を芥川賞に選考したもんだどうかしているよ。これで映画を見る気はさらさらなくしてしまった。
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#3823−65−68−254
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ざっと読んでしまってからやっとこれは一文一文噛み砕いて読まなきゃいけない系の文章だと気づく...。全体としてはそんなに長くないが、婉曲に語られる部分など、「含み」をもたせた文章に敏感であったらもっと楽しめたんだろうなぁと。自分の読み方を反省しました。
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電光影裏斬春風。これに尽きるのかな。
よくわからないままに読み進めるうちに、いきなり震災のことが出てくる。そして世界は反転する。
感受性も表現も、使用される言葉も、読後に著者の年齢を見て、その老成さに驚いた。
一切は空。の境地に憧れながらも、僕はまだそれを欲しくはない。
和哉のエピソードには違和感しか感じなかったのだけれど、あれは必要だったのかな? -
雑誌(『文學界』2017年5月号)で読んだ。
久しぶりに難解な作品が来たか、という印象を受けたが、それはある種の文体から受けた印象で、作品の内容自体は実際読み終えてみると(これは文學界新人賞選考委員の松浦理英子氏も言っていたが)例えば何か謎が残るとか、わざと矛盾点があるとかそういったことはない非常なシンプルな構成になっている。ただやはり、筆力のある文体と言って良いのだろうが、ある種「凝りすぎている」印象が強かった。最近の若手で同様に筆力のある作家の高橋弘希氏などと比べると、力が入りすぎている感じがした。他の人はどうなのかわからないし、最近小説自体読むのが苦痛な状態にある自分の問題でもあるのだろうが、文芸誌で30p、単行本で100p弱の作品だが、読むのに非常に疲れた。
ラストに関しては、うまいところに収めたと思う。
また、震災が絡む、セクシャルマイノリティが絡む、という作品ということだけ聞いていたので、どんなどぎついのが来るのかと思っていたが、そこを収めた筆致はやはり評価されれるべきだろう。
ただ、津波のシーンや震災直後のシーンの描写などは読むのが結構辛かった。
しかし、芥川賞か…。いや、不満はさほどないんだけど、だったら高橋弘希にもやってくれよ、と思ってしまうのであった。