飛ぶ孔雀

著者 :
  • 文藝春秋
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レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908366

感想・レビュー・書評

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  • うわぁ(とっても興奮しています)

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    不世出の幻想作家、待望の最新長編小説!
    石切り場の事故以来、火が燃えにくくなった世界。庭園の大茶会で火を運ぶ娘たちを孔雀が襲い、大蛇蠢く地下世界を男は遍歴する――。
    http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163908366

  • これまでの幻想小説色の濃い作品とは、少し毛色が変わってきたのではないか。精緻に作りこまれた世界であることは共通しているのだが、いかにも無国籍な場所ではなく、間違いなくこの国のどこかの町を舞台にしている。作者が学生時代を過ごした京都や生地である岡山のような、古くからその地に伝わる文化や言い伝えが残る、程よい古さと大きさを兼ね備えた地方都市のような。

    「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」の二部に分かれている。それぞれは独立しているようでいて、実はどこかでつながっているらしいのは、どちらにも登場する人物がいたり、どちらにも出てくる話題があることから分かる。ただ、その繋がり具合が尋常でない。「強盗(がんどう)返し」という語が文中に一度ならず使われているように、障子一枚引き開ければ、踏み入った世界はまったく別世界といった具合に、二つの世界は背中合わせで通底しているようだ。

    人物の心情や行動の変容を通して、人間や世界を見つめるというような作品ではない。いうならば、トポス(場所)が主題である。目に見えないが存在する、何かに影響を与える磁力のような力を持つ場所があり、それが人や人の住む場所の形や大きさを変える。地火水風、四大の異変が通奏低音のように流れていて、人物たちは物語の冒頭からその影響下にある。書き出しからして「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった」なのだ。

    その「柳小橋界隈」は、シブレ山の南東に広がる城下町の中を川が流れ、いくつも架かる橋の一つを揺らして路面電車が通り過ぎる。橋げたの下に積み重なったバラックの一軒。中洲の先端に突き出した何度も泥水に洗われて、足下の覚束ない物干し台で少女は火を熾そうとしている。火が燃えにくくなっているという設定の世界は、冒頭から通常の世界ではないことを印象づける。暗夜にとぼしく灯る火を目当てに男は船で漕ぎつける。火が「飛ぶ孔雀」の重要なモチーフである。

    男と少女の逢引きという主題は次の「だいふく寺、桜、千手かんのん」に話をつなぐ。菓子屋の娘を連れて寺の拝観に来たKは、石切り場の事故でシブレ山が二つに増え、石屋の社長は湯治に逃げた、という噂話を耳にする。「ひがし山」は「橋をひとつ渡るたびに、確実にちからは増す」という『橋づくし』を思わせる予言から書き出される。眼の悪い少女が家を継ぐことになった顛末が語られる。少女はペリットを吐く。鳥類が一飲みにした小動物の未消化物を指すペリットは次のKの記憶を語る「三角点」にも出てくる。このようにイメージがイメージを呼び、断片的な挿話が次から次へと繰り出される。

    「火種屋」、「岩牡蠣、低温調理」と火のモチーフを扱った間奏曲二篇を挟んで表題の「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女」に至る。二つの川を水路で繋いだことにより、大きな三角州状になった川中島Q庭園で行われる大茶会が「飛ぶ孔雀」のメイン・ディッシュ。菓子屋の娘とその腹違いの妹が、逆回りで庭園内の茅屋に灰形の火を運ぶ役に籤で選ばれる。守るべき禁忌があるのだが、孔雀は飛ぶし、芝生は動くし、関守石は転がるしで、姉妹は禁忌を犯す。面妖な怪異が夜の庭園をかき回し、盂蘭盆会を賑やかに不思議な大騒動が繰り広げられる。

    「不燃性について」は「移行」という「若いGがじぐざぐの山の頂上へ至るまでのおおよその経緯」を書いた挿話ではじまる。季節は移って初秋になっている。「地元Q庭園」とあるからには、同じあの町だが、場所は変わって川端にある古い公会堂地下三階にある公営プール、路面電車の軌道がカーブする位置にある三角ビル、とシビレ山にある施設が主な舞台となる。モチーフは水。

    場所を象徴するのは、巨大なすり鉢状の構造である。しかも、階段状になっている。地下のプールとその客席がそうだし、シビレ山の施設、頭骨ラボも修練場も同じである。「眠り」で仕事帰りに公営浴場に立ち寄ったKは、地下プールで路面電車の女運転士ミツと出会う。ミツは弟のQが三角ビルに住んでいて、最上階に住むKを知っていた。三角ビルと聞いて思い出すのは横尾忠則の連作「Y字路」だ。

    そして横尾といえば、アングラ芝居のポスターではないか。妙に土俗的で、それまで自分たちが否定し、隠してきた恥部を露悪的に前面に押し出すことで前近代的な自我を自己肯定しているような生温かいぬるさのようなものが後づけの西欧を追いやるところが「不燃性について」と根を同じくしている。理屈ではない。肌合いのようなものか。血縁だけではない疑似的な家族関係、兄さん、姐さんといった呼称、泉鏡花や柳田国男のいう「妹の力」の強調。

    若い劇団員のQはシビレ山にある頭骨ラボへの出張を突然命じられる。頭骨ラボは宿泊施設を改築した死骸を煮て肉をこそげ落とし標本用の白骨を取り出す工場のようなものだ。ある意味ペリットの相似形。先輩のトワダは先にラボに行ってしまうが、婚約中であったQは後援会組織の家族の意向で急遽結婚させられてしまう。相手はよく似た顔をした大勢の姉妹を持つ一人である。

    「不燃性について」を支配しているのはカルト的な組織とそれに抗する地下組織の暗闘のようなものだ。喫煙者を襲う自警団や清掃活動を宗教的な位置に祭り上げる老人会、地熱で温めた温泉卵を路面電車で配達する地下組織、何やらよく訳の分からない連中が犇めきあっている。温泉の熱で温められる地下、と雷が落ち大蛇がうねくる山頂部分が対比的に影響を与え合っている。両者をつなぐのが、同じ場に相いれない美少年Qと今では大人となったKだ。

    アングラ芝居の要領で、一人の役者が衣装や鬘をとっかえひっかえ、次々と別の人物に成り代わって舞台をあいつとめる。雲海を突っ切って上り下りするゴンドラとケーブルカー。同じ構造を持つ十角形を基盤に持つ中空の塔状組織をひっくり返したような巨大建築物。鶏冠と耳と鰭、それに退化した前肢を保有する大蛇、そんな物が大勢の登場人物を呑みこんで上を下への大騒ぎだ。

    現実と壁を隔てたところに位置する異世界との交流、もしくは互いに影響を与え合うことによる混乱がせめぎあう、何ともにぎやかなスクリューボール・コメディ。泉下の鏡花先生も苦笑するような仕上がりだが、これはこれで上出来の一巻。多すぎる謎、符合する記述、回収されない伏線、と何度ページを繰っても読み終わるといううことがない。分からないから放り出すということができない、練られた文章力の持つ味わい。山尾悠子は大化けしたのではないだろうか。

  • うーんうーん…、すごく楽しみにしていた新作だったのだけど、駄目だった。幻惑的な世界を遠目に見るばかりで、どうしてもそこに入っていけなかった。ああ、残念。

    Ⅰ部の途中までは、ワクワクして読んでいたのだ。どことも知れぬ土地(ちょっと京都を思わせる)、いつとも知れぬ時代、語られる人や出来事は絡み合っているようであり、さしたる関係はないようでもあり、まったく説明的でなく断片のような物語が進んでいく。これはもう著者独特の世界だ。

    Ⅰの最後の二篇「飛ぶ孔雀」でつまずいた。時間的な進行とか、因果関係とか、おそらく山尾悠子を読む際には捨て置くべきものが、どうしても気になって、幻惑されたままでそれを楽しむということができなかった。もう頭がグルグル。

    で、Ⅱは最初から物語にはじかれてしまった感じ。返す返すも残念。少し寝かせてまた訪れてみようと思う。

  • 暇を持て余した神々の遊び、という感じ。視点の移動とか脈絡のない会話とかで、物語の世界に安易に浸ることを拒絶されているようにも思う。当然だが文章は極めて美しい。

    村上春樹のアフターダークを思い出したがどうリンクしているのか説明するのは難しい。

  • 表紙に惹かれて手に取りました。
    シブレ山の石切り場の事故から火が燃えにくくなった世界で繰り広げられる出来事あれこれ。登場人物の繋がり、場面の転換とどれも入り組んだ本の世界が広すぎて…この作家さんは初読なのですが世界を掴むのが難しかったです。

  • シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。
    シブレ山の近くにあるシビレ山は、水銀を産し、大蛇が出て、雷が落ちやすいという。真夏なのに回遊式庭園で大茶会が催され、「火を運ぶ女」に選ばれた娘たちに孔雀は襲いかかる。
    ――「I 飛ぶ孔雀」
    秋になれば、勤め人のKが地下の公営浴場で路面電車の女運転士に出会う。若き劇団員のQは婚礼を挙げ、山頂の頭骨ラボへ赴任する。地下世界をうごめく大蛇、両側を自在に行き来する犬、男たちは無事に帰還できるのか?
    ――「II 不燃性について」

    というのがあらすじだが、実際に読むとそう簡略化できるものではない。
    のちに述べられる内容を予告しておいて、事の起こりから詳述していく構成のせいで、むしろいつ誰がどこで何を、がわかりづらい。
    もちろん作者の意図の通りなのであって、予告と断片と再登場と反芻とが、音楽のモチーフのように反復される。
    現れる人物もわざと判別しづらくなっている、というよりひどく多い、のだか、多く見えるのは反復のせい、なのだか。


    少女トエ 舟から降りてきた人 K 菓子屋の娘タエ 盲目のヒワ 祖母 曾祖母 叔母のコトノ 叔父 痣のある国土地理院の男 男が連れていた犬 煙草屋の主人
    醜男P 人妻ふたり 未亡人 シェフ 老夫婦 別の夫婦 P夫人 双子姉妹 タエの妹スワと、同級生のミツ(スワンとミツン) 石を撮る写真家 十六番目の空洞君 生まれたての嬰児 赤目の男(孔雀の変身)

    G 定食屋で会った男 K 婚約者→新妻(カエだかタエだかナエだか) 路面電車の女運転士ミツ 温泉卵売店の店員 素人劇団員Q(ミツの弟) 先輩トワダ 予言者を真似る女座員H(フキエ) 座長の妻 婚約者の親戚たち 新妻と同じ顔の妹たち 小柄な少女B ネズミと呼ぶ少女 ダクト屋のセツ 鶴瓶を手繰る男 頭骨ラボにおける説明役だか教育係だか(スワ・サワ) 官憲 老人 籤売りリツ 中年夫婦 フロント係(サワの変装?) 双子のメイド 喋る犬 警備員のキダ 司会 残された娘リ 秘書 黒サングラスの女 女医

    たちが現れては消えていく中で、ⅠとⅡは表裏? 地下と山頂はつながっている? 時間は循環している? Ⅰの孔雀とⅡの大蛇、共通する犬? 登場人物も? Ⅰは水平移動でⅡは上下移動?
    と明確だか不明瞭だかも決定できない形で、小説が膨らんで立体的になっていく。
    登場人物はいわばコマにすぎず建築物や舞台が茫洋と見えてきて、
    しかし常にあるのはやはり、構築した世界は崩壊せねばならないというテーゼだ。

    他の作家の名前を出して済ませるのはナンセンスだが、どうしても連想してしまう、
    ボルヘス、泉鏡花、カフカ、安部公房、倉橋由美子……。

  • 前後不覚の文体が加速している・・・時系列の前後はおろか、日本語の前後すら、今まで自分の馴染んできた小説のセオリーから飛躍している。
     夢の中でひらめいた場面を、記憶が薄れないうちに推敲なしに速記する。これを数行ごとに繰り返しているような文体。。。山尾さんの過去作は仮面物語以外は読んだつもりだけれど、この書き方は狙ってやっているのでしょうか。だとしたらどういう印象を狙ってこの文体に行き着いたのでしょうか。
     読書歴の浅い私では、読んでいてとても手間ど、というか戸惑ってしまいます。
     意味はなくとも幻想的な情景の描写を楽しむ作品群なのはわかっているのですが、幻想を見出す前に頭がオーバーヒートしてしまいそうです。
    場面場面を切り取れば美しいと思える部分は多々あるのですが、筋として読もうとすると、意味わかんねーー!!となってしまいます。幻想文学に向いていないのでしょうか、誰か楽しみ方を教えてください。悔しいです。

  • 山尾悠子の最新作。
    国書刊行会のお陰で復活したので、新作が出るとしたら国書か、そうでなければ文庫化の縁で筑摩書房か、と思っていたのだが、予想外に文藝春秋。
    山尾悠子、ひょっとすると倉橋由美子の直系ではないだろうか。少なくとも本書を読んだ限りでは、幻想文学のメインストリームというよりは、倉橋由美子的な立ち位置にいるような気がする。

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