飛ぶ孔雀

  • 文藝春秋 (2018年5月11日発売)
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  • 本 ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908366

感想・レビュー・書評

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  • これまでの幻想小説色の濃い作品とは、少し毛色が変わってきたのではないか。精緻に作りこまれた世界であることは共通しているのだが、いかにも無国籍な場所ではなく、間違いなくこの国のどこかの町を舞台にしている。作者が学生時代を過ごした京都や生地である岡山のような、古くからその地に伝わる文化や言い伝えが残る、程よい古さと大きさを兼ね備えた地方都市のような。

    「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」の二部に分かれている。それぞれは独立しているようでいて、実はどこかでつながっているらしいのは、どちらにも登場する人物がいたり、どちらにも出てくる話題があることから分かる。ただ、その繋がり具合が尋常でない。「強盗(がんどう)返し」という語が文中に一度ならず使われているように、障子一枚引き開ければ、踏み入った世界はまったく別世界といった具合に、二つの世界は背中合わせで通底しているようだ。

    人物の心情や行動の変容を通して、人間や世界を見つめるというような作品ではない。いうならば、トポス(場所)が主題である。目に見えないが存在する、何かに影響を与える磁力のような力を持つ場所があり、それが人や人の住む場所の形や大きさを変える。地火水風、四大の異変が通奏低音のように流れていて、人物たちは物語の冒頭からその影響下にある。書き出しからして「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった」なのだ。

    その「柳小橋界隈」は、シブレ山の南東に広がる城下町の中を川が流れ、いくつも架かる橋の一つを揺らして路面電車が通り過ぎる。橋げたの下に積み重なったバラックの一軒。中洲の先端に突き出した何度も泥水に洗われて、足下の覚束ない物干し台で少女は火を熾そうとしている。火が燃えにくくなっているという設定の世界は、冒頭から通常の世界ではないことを印象づける。暗夜にとぼしく灯る火を目当てに男は船で漕ぎつける。火が「飛ぶ孔雀」の重要なモチーフである。

    男と少女の逢引きという主題は次の「だいふく寺、桜、千手かんのん」に話をつなぐ。菓子屋の娘を連れて寺の拝観に来たKは、石切り場の事故でシブレ山が二つに増え、石屋の社長は湯治に逃げた、という噂話を耳にする。「ひがし山」は「橋をひとつ渡るたびに、確実にちからは増す」という『橋づくし』を思わせる予言から書き出される。眼の悪い少女が家を継ぐことになった顛末が語られる。少女はペリットを吐く。鳥類が一飲みにした小動物の未消化物を指すペリットは次のKの記憶を語る「三角点」にも出てくる。このようにイメージがイメージを呼び、断片的な挿話が次から次へと繰り出される。

    「火種屋」、「岩牡蠣、低温調理」と火のモチーフを扱った間奏曲二篇を挟んで表題の「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女」に至る。二つの川を水路で繋いだことにより、大きな三角州状になった川中島Q庭園で行われる大茶会が「飛ぶ孔雀」のメイン・ディッシュ。菓子屋の娘とその腹違いの妹が、逆回りで庭園内の茅屋に灰形の火を運ぶ役に籤で選ばれる。守るべき禁忌があるのだが、孔雀は飛ぶし、芝生は動くし、関守石は転がるしで、姉妹は禁忌を犯す。面妖な怪異が夜の庭園をかき回し、盂蘭盆会を賑やかに不思議な大騒動が繰り広げられる。

    「不燃性について」は「移行」という「若いGがじぐざぐの山の頂上へ至るまでのおおよその経緯」を書いた挿話ではじまる。季節は移って初秋になっている。「地元Q庭園」とあるからには、同じあの町だが、場所は変わって川端にある古い公会堂地下三階にある公営プール、路面電車の軌道がカーブする位置にある三角ビル、とシビレ山にある施設が主な舞台となる。モチーフは水。

    場所を象徴するのは、巨大なすり鉢状の構造である。しかも、階段状になっている。地下のプールとその客席がそうだし、シビレ山の施設、頭骨ラボも修練場も同じである。「眠り」で仕事帰りに公営浴場に立ち寄ったKは、地下プールで路面電車の女運転士ミツと出会う。ミツは弟のQが三角ビルに住んでいて、最上階に住むKを知っていた。三角ビルと聞いて思い出すのは横尾忠則の連作「Y字路」だ。

    そして横尾といえば、アングラ芝居のポスターではないか。妙に土俗的で、それまで自分たちが否定し、隠してきた恥部を露悪的に前面に押し出すことで前近代的な自我を自己肯定しているような生温かいぬるさのようなものが後づけの西欧を追いやるところが「不燃性について」と根を同じくしている。理屈ではない。肌合いのようなものか。血縁だけではない疑似的な家族関係、兄さん、姐さんといった呼称、泉鏡花や柳田国男のいう「妹の力」の強調。

    若い劇団員のQはシビレ山にある頭骨ラボへの出張を突然命じられる。頭骨ラボは宿泊施設を改築した死骸を煮て肉をこそげ落とし標本用の白骨を取り出す工場のようなものだ。ある意味ペリットの相似形。先輩のトワダは先にラボに行ってしまうが、婚約中であったQは後援会組織の家族の意向で急遽結婚させられてしまう。相手はよく似た顔をした大勢の姉妹を持つ一人である。

    「不燃性について」を支配しているのはカルト的な組織とそれに抗する地下組織の暗闘のようなものだ。喫煙者を襲う自警団や清掃活動を宗教的な位置に祭り上げる老人会、地熱で温めた温泉卵を路面電車で配達する地下組織、何やらよく訳の分からない連中が犇めきあっている。温泉の熱で温められる地下、と雷が落ち大蛇がうねくる山頂部分が対比的に影響を与え合っている。両者をつなぐのが、同じ場に相いれない美少年Qと今では大人となったKだ。

    アングラ芝居の要領で、一人の役者が衣装や鬘をとっかえひっかえ、次々と別の人物に成り代わって舞台をあいつとめる。雲海を突っ切って上り下りするゴンドラとケーブルカー。同じ構造を持つ十角形を基盤に持つ中空の塔状組織をひっくり返したような巨大建築物。鶏冠と耳と鰭、それに退化した前肢を保有する大蛇、そんな物が大勢の登場人物を呑みこんで上を下への大騒ぎだ。

    現実と壁を隔てたところに位置する異世界との交流、もしくは互いに影響を与え合うことによる混乱がせめぎあう、何ともにぎやかなスクリューボール・コメディ。泉下の鏡花先生も苦笑するような仕上がりだが、これはこれで上出来の一巻。多すぎる謎、符合する記述、回収されない伏線、と何度ページを繰っても読み終わるといううことがない。分からないから放り出すということができない、練られた文章力の持つ味わい。山尾悠子は大化けしたのではないだろうか。

  • うーんうーん…、すごく楽しみにしていた新作だったのだけど、駄目だった。幻惑的な世界を遠目に見るばかりで、どうしてもそこに入っていけなかった。ああ、残念。

    Ⅰ部の途中までは、ワクワクして読んでいたのだ。どことも知れぬ土地(ちょっと京都を思わせる)、いつとも知れぬ時代、語られる人や出来事は絡み合っているようであり、さしたる関係はないようでもあり、まったく説明的でなく断片のような物語が進んでいく。これはもう著者独特の世界だ。

    Ⅰの最後の二篇「飛ぶ孔雀」でつまずいた。時間的な進行とか、因果関係とか、おそらく山尾悠子を読む際には捨て置くべきものが、どうしても気になって、幻惑されたままでそれを楽しむということができなかった。もう頭がグルグル。

    で、Ⅱは最初から物語にはじかれてしまった感じ。返す返すも残念。少し寝かせてまた訪れてみようと思う。

  • 山尾悠子五作品目、『飛ぶ孔雀』。芸術選奨文部科学大臣賞、日本SF大賞、泉鏡花文学賞受賞という輝かしい受賞歴なので、とりあえず読もうと思っていた山尾悠子作品の中で最後に据えた、という経緯がある。残念ながらこちらも、ノレない方の山尾悠子作品となった。本作は「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」の中編二編ともいうような構成だが、どちらかというと掲題作品よりも「不燃性について」の方が好きだった。最初から登場人物が消滅したり…と穏やかでない出だしだったのもあって笑。
    山尾悠子作品の途中で何を読んでいたかわからなくなる現象にはある程度慣れたつもりであったが、いくら幻想文学とはいえ…という感じで今回ほとんどノレなかった。鏡花と比較されることもあるとのことで、いや鏡花も途中でわからなくなることあるけれど、全然ノレるというか酔えるんだけどなあという。山尾悠子は別に酔える作品を目指しているわけでは全然ないと思うのですが、それなら鏡花と比較している人々はどこら辺が…?と思うわけで(鏡花で酔ってない人がいるの?!という前提ですけど)。
    その一方で、やはり現代に生きる作家が「物語」を作るとしたら、こういう風景に多かれ少なかれなるしかないのだろうかという気持ちにもなっていました。鏡花のような情景は生まれえないのかなと。
    山尾悠子作品が好きな人にぜひ魅力を解説してもらってポイントを抑えたい笑。
    そして言いたいのは、「これはSFなんですかね?」という笑

  • 読解力が無いせいで、読めども読めども全容どころか一端も掴めず。
    幻想小説は理解するというより味わうものだと思うことにする。

  • 頁を捲れば捲るほど迷宮の奥へと誘い込まれ、迷い込む。本作はそんな作品。散りばめられた様々なモチーフが複雑に絡み合い、共鳴し、あらゆる言葉が意味深長に響き合い、螺旋を描いて上下運動を繰り返す。一読しただけでは全貌を明確に掴むのが難しい。幾度か読んで漸く物語の相貌が浮かび上がってくる、騙し絵のような作品だと思う。もう一度初めから再読したい。山尾悠子さんの作品は繰り返しゆっくり味わう美酒にも似て。

  • 幻想小説というものにほとんど触れずに育ってきて、信じてきた言葉の樹形図ががらがらと音を立てて崩れゆくようなかんじ、足元を奪われる、浮遊感。

  • 「飛ぶ孔雀」「不燃性について」の2作収録。基本的には同じ世界(火が燃え難くなった世界)の繋がった話になっており、登場人物もたぶん一部被っている。

    どちらかというと「飛ぶ孔雀」のほうが難解で、連作短編風の序盤の細かいピースを、同じパズルの中の一部でありながら全体の中のどこに嵌め込めばいいのかわからず戸惑った。「不燃性について」の最後まで読んで初めて冒頭の「柳小橋界隈」に繋がり、なんとなく世界観を理解できたような気になれた。

    書き下ろしの「不燃性について」のほうが筋書きらしきものはわかりやすく「飛ぶ孔雀」のほうで不明だった部分の補足の役目も果たしている。むしろ筋書きらしきものがあることのほうに驚いた。トワダというジャイアン的な登場人物なども、今までの山尾悠子の作品にはいなかったタイプで、和風、昭和の下町風の世界のイメージもあり、何かに似てるとしたら唐十郎的な? もしかして今後の作風は変化するのかも、ターニングポイントになる作品なのかもと思った。

    二作通じて、タエ、トエ、スワ、ヒワ、サワ、ミツ、セツ、リツなど似たような名前の人物(すべて女性)ばかり登場するのは一種の分身なのかもしれない。そもそもシブレ山とシビレ山というのが分裂した世界の象徴のようだし、石切り場の事故だの落雷だのを契機に分裂した世界は、しかし完全に分離はしておらず地図上では重なっていて、同じ場所にいるのにKとQは出会えない。(作中では確か、ある犬だけが二つの世界を自由に行き来できるとあった)

    この分裂しながら重なり合った世界を象徴する現象として「火が燃えにくい」ということが起こっている、と解釈した。ベタな言葉でいえばパラレルワールドなのだろうけど、山尾悠子だからそういうポップな感じじゃなくてもっと不条理な。冥界や妖怪のいる世界とも重なり合っているような。

    美少年のQはバッカスの巫女に引き裂かれるオルフェウスの面影があり、そう思うとQもKも山頂を目指しているが実は一種の地底=冥界=地獄めぐりをしているようにも思えてくる。

    ※収録
    「飛ぶ孔雀」柳小橋界隈/だいふく寺、桜、千手かんのん/ひがし山/三角点/火種屋/岩牡蠣、低温調理/飛ぶ孔雀、火を運ぶ女1/飛ぶ孔雀、火を運ぶ女2
    「不燃性について」移行/眠り/受難/喫煙者たち/頭骨ラボ/井戸/窃盗/富籤/修練ホテル/階段/(偽)燈火/雲海/復路1/復路2/復路3/燈火

    特設サイト https://books.bunshun.jp/sp/yamaoyuko

  • 考えながら読む本ではなくて言葉や文章のイメージを自分の中で膨らませて感覚で読み進める本。人によって捉え方や世界観は様々だろう。あやふやさに身を委ねるような本という感じ。言葉遊びのような面もあるかも。本を読んでいるのに曖昧な世界観でしか捉えられないため、好きな人は好き、苦手な人は苦手だろう。元々自分なりの世界観を作れる人はおもしろいと感じるかも。文章を読んでいるのに、理解が難しいという不思議。そのような文章をさらりと描ける世界観を持っていること自体が凄い。私は苦手な部類ではあったが、何かしら強烈な印象が残ったことは事実。数年後に読み返したらまた違うイメージで読めるかもしれないとも感じた。

  • ちょっと待って。全然わかんない。
    伸び代がある、伸び代ガール♬
    と何度口ずさんだことか…
    行きつ戻りつ必至に振り落とされないようにしたにも関わらず…
    脳内に創り上げたイメージが全く見当違いではと不安を覚えるくらい。
    長い章ではその世界に入り込めるのだけど
    次の章に移ると前後不覚に陥る…
    この作品を理解できるようになったら
    趣味は読書ですって公言するわ。

  • 人名はややこしいし、関係性の説明は省かれがちだし、展開は飛ぶしで、話を追うだけで精一杯だった。

    本書の魅力を味わえたかは甚だ自信がない。

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著者プロフィール

山尾 悠子(やまお・ゆうこ):岡山市生まれ、小説家。同志社大学文学部国文学科卒業。1975年、「仮面舞踏会」(「S-Fマガジン」早川書房)でデビュー。2018年、『飛ぶ孔雀』で泉鏡花文学賞、日本SF大賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。小説に『仮面物語 或は鏡の王国の記』、『オットーと魔術師』、『ラピスラズリ』、『増補 夢の遠近法』、『歪み真珠』、『山の人魚と虚ろの王』、エッセイ集『迷宮遊覧飛行』、歌集『角砂糖の日』などの著書がある。

「2024年 『初夏ものがたり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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