飛ぶ孔雀

著者 :
  • 文藝春秋
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レビュー : 26
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908366

感想・レビュー・書評

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  • これまでの幻想小説色の濃い作品とは、少し毛色が変わってきたのではないか。精緻に作りこまれた世界であることは共通しているのだが、いかにも無国籍な場所ではなく、間違いなくこの国のどこかの町を舞台にしている。作者が学生時代を過ごした京都や生地である岡山のような、古くからその地に伝わる文化や言い伝えが残る、程よい古さと大きさを兼ね備えた地方都市のような。

    「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」の二部に分かれている。それぞれは独立しているようでいて、実はどこかでつながっているらしいのは、どちらにも登場する人物がいたり、どちらにも出てくる話題があることから分かる。ただ、その繋がり具合が尋常でない。「強盗(がんどう)返し」という語が文中に一度ならず使われているように、障子一枚引き開ければ、踏み入った世界はまったく別世界といった具合に、二つの世界は背中合わせで通底しているようだ。

    人物の心情や行動の変容を通して、人間や世界を見つめるというような作品ではない。いうならば、トポス(場所)が主題である。目に見えないが存在する、何かに影響を与える磁力のような力を持つ場所があり、それが人や人の住む場所の形や大きさを変える。地火水風、四大の異変が通奏低音のように流れていて、人物たちは物語の冒頭からその影響下にある。書き出しからして「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった」なのだ。

    その「柳小橋界隈」は、シブレ山の南東に広がる城下町の中を川が流れ、いくつも架かる橋の一つを揺らして路面電車が通り過ぎる。橋げたの下に積み重なったバラックの一軒。中洲の先端に突き出した何度も泥水に洗われて、足下の覚束ない物干し台で少女は火を熾そうとしている。火が燃えにくくなっているという設定の世界は、冒頭から通常の世界ではないことを印象づける。暗夜にとぼしく灯る火を目当てに男は船で漕ぎつける。火が「飛ぶ孔雀」の重要なモチーフである。

    男と少女の逢引きという主題は次の「だいふく寺、桜、千手かんのん」に話をつなぐ。菓子屋の娘を連れて寺の拝観に来たKは、石切り場の事故でシブレ山が二つに増え、石屋の社長は湯治に逃げた、という噂話を耳にする。「ひがし山」は「橋をひとつ渡るたびに、確実にちからは増す」という『橋づくし』を思わせる予言から書き出される。眼の悪い少女が家を継ぐことになった顛末が語られる。少女はペリットを吐く。鳥類が一飲みにした小動物の未消化物を指すペリットは次のKの記憶を語る「三角点」にも出てくる。このようにイメージがイメージを呼び、断片的な挿話が次から次へと繰り出される。

    「火種屋」、「岩牡蠣、低温調理」と火のモチーフを扱った間奏曲二篇を挟んで表題の「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女」に至る。二つの川を水路で繋いだことにより、大きな三角州状になった川中島Q庭園で行われる大茶会が「飛ぶ孔雀」のメイン・ディッシュ。菓子屋の娘とその腹違いの妹が、逆回りで庭園内の茅屋に灰形の火を運ぶ役に籤で選ばれる。守るべき禁忌があるのだが、孔雀は飛ぶし、芝生は動くし、関守石は転がるしで、姉妹は禁忌を犯す。面妖な怪異が夜の庭園をかき回し、盂蘭盆会を賑やかに不思議な大騒動が繰り広げられる。

    「不燃性について」は「移行」という「若いGがじぐざぐの山の頂上へ至るまでのおおよその経緯」を書いた挿話ではじまる。季節は移って初秋になっている。「地元Q庭園」とあるからには、同じあの町だが、場所は変わって川端にある古い公会堂地下三階にある公営プール、路面電車の軌道がカーブする位置にある三角ビル、とシビレ山にある施設が主な舞台となる。モチーフは水。

    場所を象徴するのは、巨大なすり鉢状の構造である。しかも、階段状になっている。地下のプールとその客席がそうだし、シビレ山の施設、頭骨ラボも修練場も同じである。「眠り」で仕事帰りに公営浴場に立ち寄ったKは、地下プールで路面電車の女運転士ミツと出会う。ミツは弟のQが三角ビルに住んでいて、最上階に住むKを知っていた。三角ビルと聞いて思い出すのは横尾忠則の連作「Y字路」だ。

    そして横尾といえば、アングラ芝居のポスターではないか。妙に土俗的で、それまで自分たちが否定し、隠してきた恥部を露悪的に前面に押し出すことで前近代的な自我を自己肯定しているような生温かいぬるさのようなものが後づけの西欧を追いやるところが「不燃性について」と根を同じくしている。理屈ではない。肌合いのようなものか。血縁だけではない疑似的な家族関係、兄さん、姐さんといった呼称、泉鏡花や柳田国男のいう「妹の力」の強調。

    若い劇団員のQはシビレ山にある頭骨ラボへの出張を突然命じられる。頭骨ラボは宿泊施設を改築した死骸を煮て肉をこそげ落とし標本用の白骨を取り出す工場のようなものだ。ある意味ペリットの相似形。先輩のトワダは先にラボに行ってしまうが、婚約中であったQは後援会組織の家族の意向で急遽結婚させられてしまう。相手はよく似た顔をした大勢の姉妹を持つ一人である。

    「不燃性について」を支配しているのはカルト的な組織とそれに抗する地下組織の暗闘のようなものだ。喫煙者を襲う自警団や清掃活動を宗教的な位置に祭り上げる老人会、地熱で温めた温泉卵を路面電車で配達する地下組織、何やらよく訳の分からない連中が犇めきあっている。温泉の熱で温められる地下、と雷が落ち大蛇がうねくる山頂部分が対比的に影響を与え合っている。両者をつなぐのが、同じ場に相いれない美少年Qと今では大人となったKだ。

    アングラ芝居の要領で、一人の役者が衣装や鬘をとっかえひっかえ、次々と別の人物に成り代わって舞台をあいつとめる。雲海を突っ切って上り下りするゴンドラとケーブルカー。同じ構造を持つ十角形を基盤に持つ中空の塔状組織をひっくり返したような巨大建築物。鶏冠と耳と鰭、それに退化した前肢を保有する大蛇、そんな物が大勢の登場人物を呑みこんで上を下への大騒ぎだ。

    現実と壁を隔てたところに位置する異世界との交流、もしくは互いに影響を与え合うことによる混乱がせめぎあう、何ともにぎやかなスクリューボール・コメディ。泉下の鏡花先生も苦笑するような仕上がりだが、これはこれで上出来の一巻。多すぎる謎、符合する記述、回収されない伏線、と何度ページを繰っても読み終わるといううことがない。分からないから放り出すということができない、練られた文章力の持つ味わい。山尾悠子は大化けしたのではないだろうか。

  • 「飛ぶ孔雀」「不燃性について」の2作収録。基本的には同じ世界(火が燃え難くなった世界)の繋がった話になっており、登場人物もたぶん一部被っている。

    どちらかというと「飛ぶ孔雀」のほうが難解で、連作短編風の序盤の細かいピースを、同じパズルの中の一部でありながら全体の中のどこに嵌め込めばいいのかわからず戸惑った。「不燃性について」の最後まで読んで初めて冒頭の「柳小橋界隈」に繋がり、なんとなく世界観を理解できたような気になれた。

    書き下ろしの「不燃性について」のほうが筋書きらしきものはわかりやすく「飛ぶ孔雀」のほうで不明だった部分の補足の役目も果たしている。むしろ筋書きらしきものがあることのほうに驚いた。トワダというジャイアン的な登場人物なども、今までの山尾悠子の作品にはいなかったタイプで、和風、昭和の下町風の世界のイメージもあり、何かに似てるとしたら唐十郎的な? もしかして今後の作風は変化するのかも、ターニングポイントになる作品なのかもと思った。

    二作通じて、タエ、トエ、スワ、ヒワ、サワ、ミツ、セツ、リツなど似たような名前の人物(すべて女性)ばかり登場するのは一種の分身なのかもしれない。そもそもシブレ山とシビレ山というのが分裂した世界の象徴のようだし、石切り場の事故だの落雷だのを契機に分裂した世界は、しかし完全に分離はしておらず地図上では重なっていて、同じ場所にいるのにKとQは出会えない。(作中では確か、ある犬だけが二つの世界を自由に行き来できるとあった)

    この分裂しながら重なり合った世界を象徴する現象として「火が燃えにくい」ということが起こっている、と解釈した。ベタな言葉でいえばパラレルワールドなのだろうけど、山尾悠子だからそういうポップな感じじゃなくてもっと不条理な。冥界や妖怪のいる世界とも重なり合っているような。

    美少年のQはバッカスの巫女に引き裂かれるオルフェウスの面影があり、そう思うとQもKも山頂を目指しているが実は一種の地底=冥界=地獄めぐりをしているようにも思えてくる。

    ※収録
    「飛ぶ孔雀」柳小橋界隈/だいふく寺、桜、千手かんのん/ひがし山/三角点/火種屋/岩牡蠣、低温調理/飛ぶ孔雀、火を運ぶ女1/飛ぶ孔雀、火を運ぶ女2
    「不燃性について」移行/眠り/受難/喫煙者たち/頭骨ラボ/井戸/窃盗/富籤/修練ホテル/階段/(偽)燈火/雲海/復路1/復路2/復路3/燈火

    特設サイト https://books.bunshun.jp/sp/yamaoyuko

  • うーんうーん…、すごく楽しみにしていた新作だったのだけど、駄目だった。幻惑的な世界を遠目に見るばかりで、どうしてもそこに入っていけなかった。ああ、残念。

    Ⅰ部の途中までは、ワクワクして読んでいたのだ。どことも知れぬ土地(ちょっと京都を思わせる)、いつとも知れぬ時代、語られる人や出来事は絡み合っているようであり、さしたる関係はないようでもあり、まったく説明的でなく断片のような物語が進んでいく。これはもう著者独特の世界だ。

    Ⅰの最後の二篇「飛ぶ孔雀」でつまずいた。時間的な進行とか、因果関係とか、おそらく山尾悠子を読む際には捨て置くべきものが、どうしても気になって、幻惑されたままでそれを楽しむということができなかった。もう頭がグルグル。

    で、Ⅱは最初から物語にはじかれてしまった感じ。返す返すも残念。少し寝かせてまた訪れてみようと思う。

  • うわぁ(とっても興奮しています)

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    石切り場の事故以来、火が燃えにくくなった世界。庭園の大茶会で火を運ぶ娘たちを孔雀が襲い、大蛇蠢く地下世界を男は遍歴する――。
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  • 日本SF大賞受賞!
    山尾悠子さん
    『飛ぶ孔雀』
    『飛ぶ孔雀』が第46回泉鏡花文学賞に続いて、第39回日本SF大賞に選ばれました!

  • 現代日本の地方都市の街角の、臭いとか湿度とかの肌触りがくっきり立っていて、しかもそれが腸詰宇宙に、精密きわまりない舞台転換して行くというか。絢爛豪華にして滅びゆく言葉の伽藍なのにくすっと笑える場面に事欠かないおそろしさ。

  • おおお幻想小説・・・。
    ちょっと高レベルすぎて歯が立たなかったなあ・・・。

  • 考えながら読む本ではなくて言葉や文章のイメージを自分の中で膨らませて感覚で読み進める本。人によって捉え方や世界観は様々だろう。あやふやさに身を委ねるような本という感じ。言葉遊びのような面もあるかも。本を読んでいるのに曖昧な世界観でしか捉えられないため、好きな人は好き、苦手な人は苦手だろう。元々自分なりの世界観を作れる人はおもしろいと感じるかも。文章を読んでいるのに、理解が難しいという不思議。そのような文章をさらりと描ける世界観を持っていること自体が凄い。私は苦手な部類ではあったが、何かしら強烈な印象が残ったことは事実。数年後に読み返したらまた違うイメージで読めるかもしれないとも感じた。

  • 中編2編,
    燃料のキレかかった,火の燃えにくい閉ざされた領域.アルファベットで表記される男,重なるようで重ならない世界と自由に行き来できる傷ある犬,どこかでカードゲームをする女たちと裏返るカードの不気味な意味.山頂にあるのは,温泉ホテルかラボか.狂気のような世界を行き来しながらわからないまま読了.

  • 「火が点きづらくなった世界」って設定だけでオイシイなぁと思うけれども。

    夢を見ているように断片的な情景の連続。
    話を追うというよりも、雰囲気を感じる小説なのだな。

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著者プロフィール

山尾悠子(やまお ゆうこ)
1955年、岡山市生まれの小説家、歌人。寡作ながらその幻想文学は極めて高い評価を受けており、執筆中断期間もあったことから「幻の作家」「伝説の作家」と言われることもある。
同志社大学文学部国文科に入学し、高校までに読んできていた泉鏡花を専攻(のちに泉鏡花文学賞受賞という機縁もある)。大学在学中の1973年、「仮面舞踏会」が『S-Fマガジン』SF三大コンテスト小説部門の選外優秀作に選ばれたことをきっかけに、1975年11月号の「女流作家特集」で同作を掲載し20歳でデビュー。
1980年に書き下ろし長編『仮面物語』、1982年歌集『角砂糖の日』を刊行。1985年以降は出産・育児で発表が途絶えていたが、1999年に復活、2000年に国書刊行会から『山尾悠子作品集成』を、2003年には2作目の書き下ろし長編『ラピスラズリ』を刊行。
2018年刊行、15年ぶりの長編となった『飛ぶ孔雀』が第46回泉鏡花文学賞を受賞した。日本文藝家協会会員。

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