彼女は頭が悪いから

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (473ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908724

作品紹介・あらすじ

私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの? 深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。 現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」! 横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。 被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。 「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる、事実を越えた「真実の物語」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBにいやな目にあった人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての親に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。 この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。

感想・レビュー・書評

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  • 現実なら吐きそう。ただ、作品としては秀逸。こんなに心を持っていかれた。こんなに胸糞悪いのに、とてつもなく嫌な人たちなのに。まだ胸の奥がざわざわと、イライラと、しているのに。
    実際の事件のことは知らずに読了。事件のことを調べると、この作品がノンフィクションのように感じられました。

    わたしの周りにもいる。よくわからない「家柄」というものに縛られて、全て親のフィルターを通して世界を見、親族でこぢんまりと完結した世界に生き、だけど強烈にこぢんまり以外を排除する人たち。
    東大ではなくてもいるんだから、世の中にはたくさんこういう人種はいる。

    けれど、こうして生い立ちや家庭環境を丁寧に描かれると、加害者を執拗に責め立てる、ということはできないかもしれない。自分自身、なかったわけではない。自立をして身につけてきた、大切なこと。今はそれが、自分の価値観だけれど、自分の親や親戚は、学歴主義、公務員一族。だから、ブランドで固めた価値観を、理解できなくはない。でも、生きていくために必要なものは、そんな薄っぺらいものではなくて。学歴は人生の中ですでに過ぎたこと、職業だって、確たる安定なんてない。他者への理解、それこそがきっと、人間性をつくる。
    エピローグ直前の一文、「彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ『東大ではない人間を馬鹿にしたい欲』だけだった」には震えるほどの怒りを覚え、ラストのつばさの心境「『巣鴨の飲み会で、なんで、あの子、あんなふうに泣いたのかな』つばさは、わからなかった」にはドン引きした。
    世界は、東大生が思っているほど、東大に興味がない。
    被害者はなおのこと、人の気持ちがわかる、とても普通の女の子。ただ、男の子に恋をしている、女の子。その男の子が、たまたま東京大学に通っていただけのこと。

  • 久しぶりに自分の価値観のあり方について考えさせられる小説を読んだ。
    本書はご存じのとおり、実際にあった東大生らによる女子大生への性的暴行事件を題材にした小説である。
    ある「東大生」が自分に恋愛感情を抱いている女子大生の心につけ込み、彼女を「めちゃくちゃ都合のいい女」として利用する物語だ。

    もちろん、本書は小説であるので、加害者、被害者の心情を含めて本当のところはこの小説のとおりではないだろう。
    しかしながら、似たような出来事、加害者、被害者の心の動きがあったのは間違いない。
    この本を読んで、
      「東大生って最低だな」
    という感想をもって、この本を終了させてしまうのでは意味がない。

    もちろんこのような犯罪を犯した人間をかばう気持ちは僕には毛頭ない。
    しかしながら、僕が言いたいのは、このような「東大生」を生んでしまうような「日本の価値観の偏り」について考えてほしいということなのだ。

    この小説に登場する「東大生」たちは、子供の頃から成績もよく、真面目で、良い子たちばかりだ。
    一方の被害者となる女子大生もごく普通の女の子だ。
    それがなぜ、ここまで個々の人間の優劣、価値観の違い、まるで「一方が善で、一方が悪」という図式が出来上がってしまったのだろうか。

    これは、
      ある一つの要素だけを取り出して、全人間的な価値を測ってしまう
    という誤った認識を持ってしまっている人間がこの日本にこれほど多く存在しているということを示す証拠なのだろう。

    本書では、「学歴社会」という形でこの「病巣」を表し、
      「東大生」は人間として全てにおいて「優れて」おり、「三流大学生」は全てにおいて「劣っている」
    というレッテルを貼ってしまうということがまかり通っている日本の価値観のあり方の危うさを映し出してみせているのだ。

    小説の中でこの被害者の女子大生は加害者である「東大生」を擁護する多くの人々からのバッシングを受ける。
      「自分だって東大生目当てで相手の家までノコノコついていったのだろう。そういったことをされるのは、ある意味自分も望んでいたのではないか。被害者面して前途有望な東大生たちの将来をめちゃくちゃにするなんてありえない」と。
    これは一人や二人の意見ではない。
    実際の事件の際も数多くの人々がこの意見に賛同していた。

    しかし、よく考えてみてほしい。

    「優れている人間」は「劣っている人間」に対して何をしても良いのだろうか?
    「優れている人間」の行為であれば多少のことは許されるべきなのだろうか?

    このようなことは、日本の「学歴社会」だけでのことではない。

    ある人間がある人間を見下す、無価値だと決めつける。

    このようなことは「学歴」だけにとどまらず、それこそ日常茶飯事として日本の社会では当たり前のように存在している。古くは、
      男は女より優れている。
    ということから始まるだろうか。
    それだけではもちろんない。
    世界に視野を広げてみれば、
      白人は黒人より優れている。
      貴族は平民より優れている。
      金持ちは貧乏人より優れている。
      容姿の良い者は、容姿の悪い者より優れている。
      年上の人間は年下の人間より優れている。
      上司は部下より優れている。
    このように何の根拠もない優劣の付け方は列挙すればいくらでも挙げらるのだ。

    何の根拠もないと分かっているのに、この優劣の付け方をいまだに信じている人がどれほどいることか。
    百歩譲って、この小説のように「東大生」は「三流大学の女子大生」よりも数学の公式を記憶している数など「ある部分」だけを取ってみれば確かに「優れている」かもしれない。
    しかしながら、その優劣の差は「全人格的な人間としての優劣」を決めることができるほど重要な要素であろうか。

    もちろん、そんなことは決してない。
    人間の価値はそんな単純には測れないはずだ。

    しかしながら、この日本ではこのようなことはごく普通に行われており、誰もそれに対して疑問は持たない。

    例えを挙げるなら、
      東大は日本一の大学。
      金持ちは良い生活をして、貧乏人は自己責任でやっていくのは仕方がない。
      有名人や芸能人たちは偉い人たちだ。
    といったところは、多くの人が頷くところではないだろうか。
    特に日本人は、単一民族に近い民族であり、同じような価値観を持つ人たちが多く集まった集団だ。
    だからこのような例示に対しては、ごく普通に
      まあ、そうだよな。
    と納得する人は多いだろう。

    そして、
      東大生はすごい。
    ということを肯定するならば、
      家柄が良いから、あの人はすごい。
      金持ちだから、あの人はすごい。
      有名人だから、あの人はすごい。
    とあなたが考えたとしても、それは仕方のないことだろう。
    そして逆に、ニュースやSNSで芸能人や有名人の不祥事や犯罪が報道された時に、
      あの人が、そんなことするなんて。人として失格だ。
      最低の人間だな。死んだほうがいい。
      やっぱり、見えないところで悪いことしてたんだ。自業自得だ。
    などと、その内容もよく知らずに決めつけることも、よくあるだろう。

    こういった日本人的な無意識的行為こそが、本書に登場する「東大生」たちのような人たちを産み出す、つまり、彼らに
      俺は「東大生」なんだから、すごいんだ。何をしてもいいんだ。
    という意識を心の根底に植え付けさせてしまうのである。

    自分の話で恐縮だが、僕も今の職場で20年以上働いているので、その経験を買われて、それなりの役職に就かせてもらい、僕の元には「部下」と呼ばれる人もいる。
    もちろん、僕は長く同じ職場にいるので、部下よりもできる仕事は多いし、知識もある。
    その部分だけ取ってみれば、僕は部下よりも優れていると言えるのかもしれない。
    しかしながら、僕が部下よりも
      人間として優れているか?
    と質問されたら、
      滅相もございません。全くそのようなことはありません。
    と平身低頭で答えるしかない。
    僕なんかの若いころに比べれば、今の若い部下たちは10倍も100倍も優れている(さすがに100倍は言い過ぎか(笑))。
    だが、
      上司は部下よりも人間的に優れていると勘違いしている「上司」と呼ばれている人間のいかに多いことか。
    こういった勘違いをしている人間がいるからこそ、職場から「パワハラ」と呼ばれる行為が絶えないのだろう。

    それとこれとは違うよ。

    という意見もあるかもしれない。
    しかし、広い意味で言えば、同じなのである。
    ある部分が優れているからといって、人として全ての面において優れているということはないのである。

    本書を読んで「東大生って最低だな」という感想しか持たなかった人は、もう一度考えてもらいたい。
      あなたはここに登場する「東大生」のように考えたこと、振る舞ったことはないだろうか?
      自分はあいつより優れていると思って、その人を見下したことはないだろうか?
    この考え方は、大きく見れば、本書に登場する「東大生」たちと同じ考え方なのである。

    人は誰しも、人の優位に立ちたい、人より優れていたい、そして人からちやほやされたいという気持ちを持っている。
    しかし、こういう気持ちは、一歩、そのコースを踏み間違えればとんでもない方向へ向かってしまうのである。
    ナチスによるホロコーストにしろ、1994年に発生したルアンダでの大虐殺事件にしろ、
      相手を見下すという気持ち
    から発生した事案なのである。
    だからこそ、人はこのような本を読むことによって、自分たちの心構えや考え方をその時々にもう一度見つめ直していく必要があるのだろう。
    そして、
      人間としての価値とは何か。
      人間としての価値を高めるということはどういうことか。
    こういったことを僕たちは、日々考えていかねばならないのだろう。

  • 図書館に予約して1年3か月待ち、ようやく順番が回ってきた。
    全くもって、気が重くなる話だった。
    実際にあった事件に着想を得て書かれた作品だが、モデルになった彼らは今どのように日々を送っているのだろうか。


    主人公の被害者になってしまう美咲、美咲の気持ちを利用してしまうつばさ…集団で事件を起こしてしまう前の段階の男女関係であったなら、さほど珍しいことではないのかもしれない。
    いやしかし、「ありがちな男女関係」であること自体が間違っているとは思うのだが…。

    美咲は、勉強はできない、といっても高校は進学校に自力で合格しているので、この本のタイトルにある加害者の一人が言ったとされる「彼女は頭が悪い」は本当は当てはまらない(そもそも頭が悪い基準が偏差値か!?)
    ただ、塾に行く経済的余裕もなく、家事や弟妹の世話に割く時間も大きい、家庭の考えとして大学進学の重要性がそこまでない、などいくつかの要因が重なり結果として第3希望の偏差値の高くない女子大に進学した。
    しかし、彼女は常識や思いやりが備わっている我々の年代からすれば、「ちゃんとしたお嬢さん」だ(その「ちゃんとした」の基準がなんであるかは謎だが)。

    一方のつばさは、まず勉強、東大、そこを優先するため、身の回りのこと例えば水を一杯コップに注ぐことさえ母親がやってしまい、それを当然のこととしている。
    親の学歴を超えると、親より偉くなった気になってしまうのだろうか(そんな子どもばかりではないはずだが)
    女子に対しても、言い寄ってくる子には事欠かないためかなり尊大で、遊び相手と付き合う相手、結婚相手は別個に存在する(殿様か!)

    ちょっと偏見に満ちた設定で、書いただけでも、少々嫌気がさしてきた。
    しかし小説なので、これくらいの対比で書くものなのだろう。

    美咲も自分の価値観を大切にして、それを信じていけばよかったのだろうが、オバサンではなく、お年頃なのだ。つばさが白馬の王子に見えてしまい、舞い上がってしまった。そして、自分の考えや自分の中の正しさを少しずつ見ないようにしてしまう。
    誰かが気づいてやれなかったのだろうか?
    皆、自分の物語に夢中で手一杯だよね…。

    救いのない話の中で、唯一美咲の大学の学部長が、彼女にかけた言葉と、加害者の母親に対して応えた言葉が救いである。

    東大で行われたという、著者を招いての討論会の記録も読んだが、いろいろと思うことがあった。
    東大が超難関で、著名人を数多く輩出していることは、誰もが知っている。
    だからこそメディアもいい加減、無暗に「東大」をもてはやすのを考え直した方がいいのではないだろうか。東大生だって、もうちょっと違うか取り上げ方をされたいのではないか。
    2020.8.23

    • naonaonao16gさん
      ロニコさん

      こんばんは^^
      1年3ヶ月ですかー、待ちましたね(笑)

      この作品、とても印象に残っています。最終的には偏差値で頭の良し悪しを...
      ロニコさん

      こんばんは^^
      1年3ヶ月ですかー、待ちましたね(笑)

      この作品、とても印象に残っています。最終的には偏差値で頭の良し悪しを判断してはいけないっていうところだとは思いますが、わたしもタイトルの「頭が悪い」=偏差値なのは気になっていました。しかし、ロニコさんがその後で書いてくださっているように、こうした「偏見」はわかりやすく人の気持ちを動かすことができるな、とも同時に思いました。(わたしも動かされた一人)
      だからきっとタイトルもわかりやすく偏差値と結び付けたり、つばさの両親の価値観が笑っちゃうくらいやばい偏見を持っていても、それが対比としていきた作品だったんだなあ、と。
      育った家庭の価値観以外の価値観に触れる機会もあったのに、どうしたら、事件は起こらなかったんだろう…と、当時は考える日々でした。美咲には幸せになってもらいたいものです。
      2020/09/03
    • ロニコさん
      naonaonao16gさん、こんばんは^^/

      コメントをありがとうございます。
      私も、被害者なのに中傷を受けた美咲や家族のその後が...
      naonaonao16gさん、こんばんは^^/

      コメントをありがとうございます。
      私も、被害者なのに中傷を受けた美咲や家族のその後が心配です。

      タイトルの「彼女は頭が悪いから」は加害者の一人が、取り調べか何かで言った言葉のようですね。
      美咲とつばさ、それぞれの育ちの背景や家庭環境を細かく追うことで、読者の大半がおそらく客観的な視点で、どちらの立場も何となくではあっても想像できるようになる。
      読者にその視点をもって、この事件を考えてほしかったのでしょうか…。
      こういった性被害の事件が尽きない現状に、著者は一石を投じたかったのかもしれませんね。
      ずば抜けて賢いはずの男子大学生が、集団になると理性を失い低学年児童のような悪ノリ(悪ノリでは済まされないですが)で暴走してしまう、そのトリガーは何なのでしょうか…って自問ですので!naonaonao16gさんへの問いかけではございません!
      2020/09/04
    • naonaonao16gさん
      ロニコさん

      こんばんは^^
      お返事が遅くなりました…すみませんm(__)m

      タイトルの言葉、そうだったんですね、初めて知りまし...
      ロニコさん

      こんばんは^^
      お返事が遅くなりました…すみませんm(__)m

      タイトルの言葉、そうだったんですね、初めて知りました!そしてなんという視野狭窄!(笑)
      美咲の背景もつばさの背景も、違いがはっきりしていたので想像しやすかったですよね。だからこそ描写を細かくして「こういう家庭環境だったら自分もどうなっていたかわからないぞ…」という気持ちにさせられる。そういうちょっとした恐怖感もあるなと思いました。
      性被害は隠されやすいので、わかりやすい強姦がイメージされやすいですし、加害者もクズ扱いされやすいです(クズなんですけどね)。でも、そのクズの成り立ちは、人がイメージしているより普通の家庭なのかもしれない、つまりは誰でもクズになりえますよ、というところかなと、そんな風にも思いました。大切なのは、自分の価値観の客観視というか。

      ロニコさんも自問されている部分、トリガーですよね、やはり。それが一体何なのか。誰か一人でも、あそこまでいくほどの暴走を止められなかったのか、集団心理だけで片付けられるのか。
      すごく印象に残り、考えまくった作品だったので、なんだか話がつきません…長くなりすみませんm(__)m
      2020/09/10
  • 何とももやもやの残る作品である。
    作品のベースには、現実にあった事件がある。2016年5月に起きた、いわゆる「東大生強制わいせつ事件」。東大生男子学生5人が女子大生1人に暴行を働き、服を脱がせ、わいせつな行為をした、というものである。報じられている限りではレイプではない。だが裸の被害者の尊厳を著しく傷つける行為があったことは確かだったようだ。
    そもそもが嫌な事件だが、この事件の後、ネット上で被害者を貶める発言があった。「男ばかりとわかっているのにそんなところにのこのこついていく方も悪い」「どうせ被害者の方も東大生狙いだったのだろう」等。

    本書のタイトルは「他大学の女子学生たちは自分たちより頭が悪いと思うようになった。」という加害者1人の供述からきている(のだと思う)。被害者は女子大の学生で、偏差値としてはそう高くない。
    この事件は、東大(=偏差値の高い大学)男子学生と女子大(=偏差値の低い大学)学生の間の事件である。同程度のレベルの大学に通う男女学生、あるいは偏差値の低い大学の男子学生と偏差値の高い大学の女子学生の間では生じなかったであろう事件である。

    著者はこの事件をベースに、被害者のモデルと加害者の1人のモデルの数年前から物語を始める。
    2人がどのような家庭で育ち、どのように受験をくぐり抜け、どのように大学に入り、どのように出会ったか。
    現実の加害者の1人と被害者は、実際に一時期交際していたという。物語もそのシナリオで進む。
    2人のそれぞれの生活。心の声。そこに時折、「神の視点」の作家自身の「解釈」が入る。
    美咲(=被害者)の家は「バタバタとした善き家」である。庶民的で、弟妹がいて、お姉ちゃんである美咲は「普通」の女の子である。
    対して、つばさ(=加害者の1人)は、要領よく受験戦争を勝ち抜き、多少の挫折は経験しているけれども、その自我は「ピカピカのつるつる」である。
    この2人がふとしたことから出会ってしまう。美咲はつばさに恋をする。つばさも(少なくとも当初は)美咲に魅かれる。美咲はつばさを「白馬の王子さま」と思う。けれどもそれは長くは続かず、つばさには別に彼女ができる。美咲は「わきまえて」身を引こうとする。だが、最後にもう一度逢って、できたらひと言交わそうと思う。その「最後」のはずの夜に事件が起こる。

    全般としては、人と人との関係に時折生じる「値踏み」のいやらしさがよく出ている物語なのだと思う(それだけに始終ざらつく感情があおられる)。
    基本は、人と人との「格差」、自分より「格下」と思う相手を見下す傲慢さが招いた事件ではあるのだろうとも思う。
    だが、何だかどこか釈然としないのだ。

    事件の性質が性質であるだけに、被害者のプライバシーにかかわることには触れにくい。
    それもあってのフィクションなのだとは思うが、いくら何でも(特に加害者側が)カリカチュアライズされすぎてはいないか。「神視点」の著者による「解釈」がどうにも気持ちが悪いのだ。
    人はこんなに始終「格付け」しあうものか? 学歴が高いからってコンプレックスがないとか、他者の痛みに気付かないとは言えないのではないか?
    著者にはその意図はないのかもしれないが、「つるつるピカピカ」の自我を持つから東大に入れた的な描写は、東大生すべてがそうであると言っているかのように感じられてしまう。ひいては、著者が物語を作ったベースが、東大的なるものに対する「妄想」であるように見えてきてしまう。
    フィクションベースに「作られた」加害者像がいかに許せないものであったにしても、それを非難しても何も解決しない、ように思えてしまうのだ。だってそれは虚像でしかないのだから。

    学歴の格差がなければ生じなかった事件だ。けれど、この事件はそれだけではなく、個人的には加害者らの幼稚さがあったのではないかと思う。
    事件がニュースとして報じられたのは、やはり加害者が東大生であったからで、多くの人の心をざわつかせたのは、陰に「格差」の存在があったからだろう。だが、「重要な要因」ではあったのだろうが、事件の本質が「そこだけ」だったのかなというのが私には今一つよく見えない。
    とはいえ、自分の心のざらつきがどこから来るのか、もう少し考えてみようとは思っているのだが。

    • ドエフランスギーさん
      本作へのなんとも言えない違和感や、他の読者の感想へのもやもやがあったのですが、整理された言葉でこの違和感を表現してくださりとても共感しました...
      本作へのなんとも言えない違和感や、他の読者の感想へのもやもやがあったのですが、整理された言葉でこの違和感を表現してくださりとても共感しました。
      2019/06/05
    • ぽんきちさん
      ドエフランスギーさん
      コメントありがとうございます。
      ドエフランスギーさんの感想も拝読しました。

      モデルになった事件も嫌な事件で...
      ドエフランスギーさん
      コメントありがとうございます。
      ドエフランスギーさんの感想も拝読しました。

      モデルになった事件も嫌な事件でしたよね・・・。多くの人がこの事件に嫌な思いを抱き、さまざまな感想を持ったのだと思います。
      モヤモヤするけれどもその思いをうまく形にできない。
      その中で作品に仕立てて発表された姫野カオルコさんの作家としての力量は、やはりすごいのかもしれないと思うのですが。
      個人的には、本作には少し露悪的な印象を持ってしまいました。
      2019/06/05
  • 344頁の、
    [神立さんてヒト、来ました。DBー]
    [ーこのヒトはネタ枠ですね(笑)]
    に震えた。(注:DBとはデブでブスのこと)
    口ではこう言える、「てめえの顔、鏡で見たことあんのかクソが」。
    でも、心は連動しない。
    今でも覚えている、デブと言われたことこそないけれど、何度ブスだと罵られ、笑われただろう?
    だから今でも私は写真も、鏡も嫌いだ。
    怖いのだ。
    きっと、これからもずっと、癒えることはないだろう。

    ある東大生は、本書をなじる。
    こんな学生いない、あいつらは自分と違う、リアリティがない、と。
    私はそれを知って、「そこだよ」と舌打ちした。
    他者の痛みに共感できなかった、想像できなかった、自分のこととして考えなかった。
    だから事件が起きたのだ。

    犯罪者は自分とは全く違う人種だと本気で思っているのか。
    あいつらは頭が悪いから、と断じるのは、実際の事件とも、本書(フィクション)の登場人物と全く同じではないか。

    本書が問いかけたのは何か。
    他者を自らの基準で評価することの危うさや、行き過ぎた自尊心、こじらせてしまった自己評価(高きにしろ、低きにしろ)の持つ側面ではないか。
    私はあなたとは違う、と降ろしてしまったシャッターの向こう側にいるのは、実は自分自身ではなかったか。

    460頁の三浦学長の経験や言葉は、傷ついた女性たちの心を少しでも救ってくれるだろうか。
    どうか、と祈る。
    この女性のような人が、考え方が、一人でも多くの人の心の中に浸透しますように。

  • 自分自身で頭がいいと感じる東大生と、普通であること、それを自覚する女子大生。最初は女子大生の恋愛の様子に始まり、後半は東大生との交流で雲行きが怪しくなる。
    東大に入るために勉強勉強、その目的を邪魔するものは排除して勉強して合格した人たち。他人の目線に立てる人ももちろんいるであるけれど。人より努力したんだしとか、才能があるんだしとか、入学したことで世間の目で天狗になってしまった人だっていろんだろう。でもって、そういう人こそ、弱く見えるかも。他人を見下す人ほど、劣等感があるんだろうし、見ていて弱々しい。なんらかのことで満たされないのか。読んでて気分が悪くなるほど。互いの心情の行き違いがしっかり描かれていました。サイコパスな人が固まってしまったのね、後天的なこともあるのかな。東大生5人がおこした強制わいせつ事件をモチーフにしたというから、このようなことが実際にあったと思うと胸が痛む。
    東大っていうことだけでなく、自己中心的で周りをふんずけてまでもだた優位なポジションに立ちたいっていう人、横暴な人いるよねえと、程度はあるにせよ。肩書きではなく、その人となりで互いに接していたいものですが、自分も含め何かしらのフィルタがかかっていると思います、そう思い返す、差別意識がくっきり描かれた一冊でした。
    そして、この本を読んでも、ネットでの一方的な暴力性、平面的な数の勢いの強さ、その力が働く不思議な世界を感じました。

  • 小説というよりも、ドキュメンタリーのような感じ。週刊誌の記事か何かを読んでいるような感覚。
    全然反省してない彼らに、辟易。こういう人たち、本当にいるんだろうなー。

  • 世間を騒然とさせた2016年東大生強制わいせつ事件について、作者 姫野さんが「着想を得た」という書下ろし小説。

    どこまでが事実で、どこからフィクションなのか、曖昧。
    多くの登場人物に関して、実在する地名、学校名、組織名など実在の名称を使っている(一部だけ架空だが想像しやすいものも多い)。

    どこに住み、どんな学歴を持ち、職業や企業名によってどれほどの経済的余裕をもった生活を営んでいるのか、メタファーが盛りだくさん。
    そうした固有名詞が過剰。
    バックグラウンドですべてを物語る感があり、冗長な前半。

    まるで物見遊山のネットニュースか、週刊誌の取材記事かのような印象。

    本著にある彼らの行為は獣同然。
    理性や他者の感情への想像性の決定的欠如。
    年齢相応の倫理観や良心も持ち合わせていない身勝手の塊。

    いくら頭脳明晰でも、裕福な家庭に育っても、こうした能力が欠如している人間は一定数いる。親も同類。
    逆に「普通の」家庭や劣悪な環境に育っていても、こうした能力が欠如している人間もいる。

    ただ、「悪い人は悪い」「弱い人は可哀想な人」という一義的な光の照らし方では、姫野さんがこの事件に抱いた怒りが、文芸として昇華しきれていない印象。読み手の嫌悪という感情にのみ訴え、単純化しすぎだと思う。

    人物の描き方が一種の階級闘争的憤怒にまみれていて残念。
    東大の学生を「東大生」と括ってしまった感。
    白黒二元論で、単純な記号化では物足りないなあ。

    姫野さんの文章、前にも読んだけれど相性が悪い。
    「着想を得た小説」とせずに、女子学生も含めて家柄、出自、家の経済力の先の取材ももっと突っ込んで、最後までノンフィクションとして書けばよかったのに。
    「着想を得た小説」という表現が呑み込めない。

  • 事件は昔ニュースで見た位の記憶でしたが、
    ためしに読んでみました
    前半はまだ読めましたが、後半になるに連れて
    気持ちが悪くなってきました
    これがホントにおきた事件だと思うと
    胸が苦しくなってきました
    評価はつけにくいですが読んでよかったと
    思います

  • なんとも胸糞の悪い小説だった。『非爽やか100パーセント青春小説』と帯にあるだけのことはある。美咲が東大生5人と飲んでるシーンでは、そこに行って5人を殴り飛ばしたい衝動に駆られたほど。

    でも、ふと考える。こういったことって自分の人生の中で全くなかったかと。おそらくここまでとはいかなくても、同じようなことはあったかもしれない。もちろん、それはお遊びの延長レベルでしかない。やってる方にはそういった自覚がないのもまた事実。

    そして、こうした事件をニュースで見ると、やはり思ってしまう。女の方にも問題があったんじないか?と。そして、男たちには馬鹿やったなと少しの哀れみを添えて。


    物語の主人公美咲は自分の容姿にも学歴にも自信がなく、いつも長女だからと遠慮して生きてきた女の子。そんな美咲が東大生のつばさと出会う。東大生というだけで、モテてきたつばさだが、美咲と出会った時は美咲のことを可愛いと感じていた。
    2人は恋をして、やがてつばさには他に気になる女性ができ、美咲とは距離を置くようになる。そんな矢先に事件が起こる・・・。

     
     おふざけの延長が事件になる時代。読者はそうは思わない。でも、最後までの後味の悪さは、東大生たちはあくまでも悪いことをしたという意識の無さにあると思う。あの事件を元に脚色して書いたという物語。そうした意味でもリアルが伝わってくる。

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著者プロフィール

作家

「2016年 『純喫茶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

姫野カオルコの作品

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