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Amazon.co.jp ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784163909172
作品紹介・あらすじ
わたしと那谷紗はまだ手をつないだままだったが、このままずっと谷に立っていることはできなくて、もうすぐ町に降りていくことになる。降りる階段は暗くて不規則だから、どこかで手を離すことになってしまうだろう。でもわざと手を離さない、という遊びを考え出して降りることもできる。新しい遊びを考え出した方が勝ちだ。
近づいたかと思えば遠ざかり、遠ざかると近づきたくなる。
意識した瞬間にするりと逃げてしまうもの――。
重ねたはずの手紙のやりとり、十年ぶりに再訪したはずの日本、そして私とあなた。
輪郭がゆらぐ時代のコミュニケーション、その空隙を撃つ7篇の物語。
みんなの感想まとめ
多様なテーマを扱った短編集で、特に独特の表現とユーモアが際立っています。作品は短編連作の形を取り、各話が雑誌に発表された順に並んでおり、物語のリズム感が楽しめます。シリアスなテーマが扱われつつも、根底...
感想・レビュー・書評
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いつものように言葉遊びや比喩が楽しい。夢日記ふうの展開や、SFぽいテーマもあって飽きない。
いくつかの短編について解り足りない!となった方に
「朗読と公演」での著者による補足説明をお勧めしたいです。
https://realkyoto.jp/article/tawada_moriyama/
(特に「てんてんはんそく」なんかは)こんな背景を知った上での解らなさくらいが丁度良かった。
あまりにも読者の想像力と予備知識に委ねられていると、自分はこれの受け手に相応しくないのだと、勝手に萎縮してしまう。 -
短編集。表題の『穴あきエフの初恋祭り』が一番難解だったような。『おと・どけ・もの』はリズミカルな文体で好き。
人を食ったようなネーミングセンスにはニヤリとしましたね。 -
本作は多和田作品にしては読みやすいほうだったと思う。
短編連作の形をとっているが、雑誌に新しく発表された順に並んでいて、一編目がいちばん新しい。
どんなにシリアスそうなテーマであっても、根底にあるダジャレ的ユーモアは失われない。そのため、決してウェットにはならない。ここまで突き詰められると、日本語の本質というのは古典文学から引き継がれた掛詞、つまりダジャレに多くを負っているのだなと実感せざるえない。 -
イヤー難しかった
評価の高い作家なので読まなきゃって
思って手に取ったけど
なぜこんな風になるのか話の筋が
読めない
世界観が違うんだよね
私の頭は現実しか感じられないのかも
作品の中でもコミュニケーションに
関してだけは少しだけ理解できたかな
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日本語で書いているけど、理解できない作品だった。難解です。
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ただ、面白くないだけでなく、つまらない短編集。
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短編集
著者独特の表現がときどき出てきて関心する。
表題作はあまり好みじゃないが、最後の「おと・どけ・もの」がなぜか気に入った。 -
短編集。「文通」が面白かったです。回想と妄想と現実と小説内小説の境界が何度もひっくり返される感じが気持ち良かった。「胡蝶、カリフォルニアに舞う」も似た系列だけど、こちらはわりと雑めの夢オチだったので。
「おと・どけ・もの」は不在のときを狙ったようにやってくる宅配便、「ゆうびん」というものが存在しなくなった世界での不条理もの。「てんてんはんそく」は、固定電話と携帯電話の攻防の話かしら?照子ってNTT?(笑)
表題作が少し難解。キエフが見えるとあったからウクライナが舞台っぽい。立ち退きを迫られている人々はアートで抵抗している。多和田葉子にありがちな、百合オチ。
※収録
胡蝶、カリフォルニアに舞う/文通/鼻の虫/ミス転換の不思議な赤/穴あきエフの初恋祭り/てんてんはんそく/おと・どけ・もの -
六篇短篇小說都帶著一種不可思議的奇幻特色,作者操弄文字的能力真的很強,完全無法想像故事會發展到什麼樣子。每次每句在閱讀的時候都必須一再琢磨慢慢咀嚼,薄薄的書卻完全無法等閒視之。
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『遠いという漢字は、猿がバイクに乗っているようで、それほどきれいな字ではないかもしれない。でも僕はこの言葉が好きだ。とおい、おおおおい、来い、遠景、遠方、遠距離。僕には遠いということ自体に意味があるように思える』―『文通』
小さな半生物的な存在が汎世界的に人々を孤立させる時、内と外の境界は否応なしに鮮明化する。そんな時に言葉という媒質の特性を超えて繋がろうとする多和田洋子の試みは、自分の中では上手く心象の輪郭を結ばない。それは余りに「内」ということが無意識のまま思考の中に強く立ち上がり、心も体も外に開かれなくなった状態にある為か。いつもなら連想の切れ端が文字を変換する思考の中に忍び込み、勝手に文字を音に再変換した上で別の文字列に置換し広がり続ける妄想を楽しむことが出来る筈なのに。
エクソフォニーという概念は「母語の外へ」というベクトルを含意していると理解しているけれど、元々多和田葉子が志向していたのは(あるいは、試行していたのは)「音」が示すものの深層へ潜り込もうとするようなことだったように記憶している。しかし最近の多和田葉子は、フォニー(Phony)という言葉が指し示す「音」という含意を超えて、正に「母語(Mother Tongue)」という言葉が広義に示すものを「超えて」行こうとしているように見える。例えばローマ字入力の後に変換される言葉を選び取りながら、幾つかの言葉の間に認められる接近性を捉えるといった(もちろん本書でもそのような思考の足跡は随所にある)ものから、冒頭引用したような聴覚に併せて視覚が訴える接近性へも意識を漂わせている様子がうかがえる。考えてみれば、それは日常キーボードで文章を書く人ならば誰でも無意識の内に行っている動き(筆記用具を使うとさらに触覚が入力情報として更に付け加わるだろう)と存外似たような脳内作業のようにも思う。恐らく自分が多和田葉子を読む理由のほとんどは、そんな脳内活動の移植のようなことが自然と起こるからなのだが、どうも今はシナプスの結合(短絡)が上手に起きてくれない。
それにしても今回は別の文字列アバターが意味するものの実態が判ったようでよく判らないことが多かったように思う。例えば、「照子」や「青江」(どちらも「てんてんはんそく」に出て来る)。照子はTel=通信の実態を含めて電話の含意するもの、と察しが付くが「青江」は?。「肌」(=face?)がどうのと言っているので、どうやらソーシャルネットワークサービス(Facebook?)のようなものを示している気がするが、どうだろう。内に内にという生活が長くなり過ぎて、外からの刺激に疎くなっているのか。
「アイ電ティティ」。それは、近頃盛んに噂される、意識をデジタル化することへの警鐘なのだろうか。自分という思考は案外と輪郭不明なものであって、孤立するような自我というものがイメージするものとはかけ離れているもののようにも思えるのだが。 -
7つの短編集
少し奇抜な大人の童話のようでもある -
あまり得意なタイプの作家ではなかった
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「余裕があるのが人間というものである」つまり、人間であることに自信をもって前をみようという力強いメッセージを、動物、植物、幽霊という自然界に感ず人間の枠を超えた『人外』という発想を『人間が神になる・勝る』という言い方でなく、具体的に多和田葉子さんの言葉で哲学的に祈りと芸術を讃えて伝えられている作品でした。
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2019年8月5日今日、ゴルフのAIG全英女子オープンで20歳の渋野日向子さんがメジャー優勝の快挙を達成されました。日本勢では男女を通じ、77年全米女子プロを制した樋口久子さん(現LPGA顧問)以来2人目だそうです。
その前日、7カ月間積読していた多和田葉子さんの「穴あきエフの初恋祭り」を読み終えました。この作品は7作品から成る1冊の本で作品が後になるほど初出の年が遅くなり、著者の最新作が冒頭に載っています。その年月約9年半にもなります。冒頭の最新作は日本で育ち海外ドイツで活動されている比較の要素がより具体的に感じる描写例えば現代の社会問題(特にジェンダー)の要素とが多く、最終話でははっきりと「日本美」を表現されていると感じました。
特にわたしが好きな表現は「女の心が変わると秋の空も変わるのだそうで」という部分です。普通なら『秋の空が変わるように女の心も変わる』と比喩されて使われることが多いのではないでしょうか。この最終章の『人間(女性)→自然』という流れつまり「余裕があるのが人間というものである」という哲学を前章までに納得させてくれているのです。
例えば、『光』を絵画に絡めて物理的に表現されているのが「ミス転換の不思議な赤」であり、『祈り』を書という芸術をも彷彿させながら建築物の在り方とその建築の中で過ごす動物の在り方を多和田さんの発想で説かれているのが「穴あきエフの初恋祭り」です。この「穴あきエフの初恋祭り」の『祈り』が物理的な光を超えていく展開が本当に素晴らしいのです。
この作品から「ミス転換の不思議な赤」では現代美術作家・高橋秀さんの2019年作品とメディアアーティスト・落合陽一さんを、「穴あきエフの初恋祭り」では書家・石川九楊さんを彷彿とさせました。
この読書感想文を書いていると「あなたの解釈はわかったわ。あなたはなにをどう表現できるの。」と多和田さんに言われているようです。これは男性作家さんの作品からは浮かんでこない問いです。特に多和田さんの場合、自分のワールドワイドな具体的経験だけではなく哲学を含めた解釈を交えられているので説得力が増すのです。それに加えて自分の言葉で表現もされています。では、今の私には何ができるのでしょうか。今は気になる本と美術に触れて思考をチェックしながら、保坂和志さん、角幡唯介さん、辻原登さんのお言葉を拝借すれば、「事態・事象が生じる」のを祈り、生活を送ることにするのでした。ちゃんちゃん。 -
単語に関する説明がいちいち過ぎて読む気が失せる。
言葉遊びがしたいだけなのか
外国語を直訳したような文章で
物語の内容が全く頭に残らない。
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7編の短編集。シュールなドタバタ感のある作品が多かった印象。
「胡蝶、カリフォルニアに舞う」口八丁な感じの男性主人公、意志疎通の手段である筈の会話が、入社試験でのカスタマー対応ではどんどん機械的、オートマティックな応答へと変貌していく。
「文通」も別に好意を抱いてる訳でも交流を図りたい訳でもないのに、手紙を書くという行為自体に誘引されて、相手が示してくる意向を如何にかわすかというアクロバティックな文通が展開。
「ミス転換の不思議な赤」思春期の少女の尖った実存、というようなものを感じた。多和田さんには珍しい感じ?
「てんてんはんそく」は通信会社契約をめぐっての「おと・どけ・もの」は宅配便についての、ラプソディーといった感じの作品。ストーリー展開がどうというより、言葉の表記や語感や音から発して横滑りして運ばれていく感覚。 -
文通、鼻の虫、ミス転換の不思議な赤が読みやすかった
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短編集7編
言葉遊び的な表現が内容を形造っている.この表れ方を突き詰めたような文体,入れ物外面にこだわった文章,何を言いたかったのかは残らないが楽しさが余韻として残る.「文通」と「おと・どけ・もの」が良かった. -
最初の2つと最後の作品が好み。
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【言語派作家が描くディスコミュニケーション】近づいたかと思えば遠ざかる。遠ざかると思えば近づく。手紙、スマホ、スカイプ。コミュニケーションの妙味を巧みに描く七つの短編。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
多和田葉子の作品
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