自転車泥棒

  • 文藝春秋 (2018年11月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (440ページ) / ISBN・EAN: 9784163909257

作品紹介・あらすじ

父の失踪とともに消えた自転車は何処へ――。行方を追い、台湾から戦時下の東南アジアをさまよう。壮大なスケールで描かれる大長編。

連作短編集『歩道橋の魔術師』で、日本でも一躍注目された、台湾文学の奇手による

2018年度国際ブッカー賞候補作。



東山彰良氏激賞!

「現代からあの戦争へ。

永遠に失われてしまったものをめぐる、

これは修復の物語だ」

感想・レビュー・書評

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  • 著者は台湾の小説家・呉明益。
    彼の作品を読むのは『歩道橋の魔術師』に続いて2冊目。

    物語の軸となるのは、作家の「ぼく」と彼の家族の話だ。
    なぜ父は20年前に失踪したのか。父と同じタイミングで消えた「幸福」印の自転車(鐵馬)はどうなったのか。自転車の行方がわかれば、父の謎も解けるのではないか。

    自転車の過去をたどると、そこにはさまざまな人が関わっていることがわかってくる。
    大切な思い出とともに人から人へ引き継がれたこともあるし、ちょっと目を離した隙に盗まれたこともある。
    誰がどの時代をどのように生きたのか。所有者やその周辺の人たちの視点を通して、日本統治時代から21世紀までの台湾が描かれる。

    「ぼく」のまわりには、はるか昔に製造を中止したヴィンテージ自転車を集めるコレクターたちがいる。
    彼らはただ乗れるように修理するのではない。細かな部品までオリジナルにこだわる。工場や卸売り店、古い自転車屋などをまわって、倉庫に眠る「熟成」パーツを探す。サビの広がりを見て、前の使用者の住んでいた土地や気候、扱い方も推理する。そして、路上では「野生」の古い自転車を探す。

    ナツという面白いコレクターも出てくる。彼は古い自転車については「自然主義者」だ。
    ペンキは絶対に足さない。オリジナル以外の部品を使わない。パンクしたタイヤは、パッチで修理しても走れないなら乗るのを諦める。自転車を売るときは、買い手に会ってじっくり話を聞く。譲る資格があるかどうかを見極める。

    台湾で自転車がどのように普及していったのかもわかる。
    最初は日本や欧州から輸入された。戦後は自国の自転車産業を育てるため、自転車部品の輸入が制限された。台湾のメーカーが自らのブランドで製造を始めた。
    1950年代には、国が軍人や公務員、教職員などを対象に自転車購入のローンを補助する制度もできた。
    1960年代までは、まだ庶民の家庭には普及しきっていない高級品だった。だから装飾の作りも凝っていた。初期はエンブレムも風切りも銅が下地の琺瑯製だったが、やがてアルミ地になり、最後はシールになった。
    それは自転車が保有者の社会的地位を象徴するものから、誰にでも手が届く大衆的な交通機器になったことを意味した。
    自転車コレクターのナツは言う。「これは物づくりの退行です」
    そして、いまはコレクターたちがかつての名車を集め、さらにオリジナルの部品を集めてリストアする。「ぼく」の通う喫茶店の壁にもそれは飾られる。

    この小説では、自転車だけでなく戦争に関するエピソードにも多くのページが割かれている。
    自分もアジア太平洋戦争に関する本や映像作品をいくつも見てきたが、その多くは日本人側の視点か、もしくはアメリカなど連合国軍側の視点で描かれた作品だった。
    一方、本作には、日本統治下の植民地で暮らす人々が「日本軍」の一員として加わる話が書かれている。
    少年工として日本の工場(高座海軍工廠)で戦闘機製造に携わった「ぼく」の父。
    日本軍にジャングルでの戦い方や生き方を指導したツォウ族(台湾の原住民族)のバスア。
    ゾウ部隊のゾウ使いとして日本軍に所属したカレン族(タイ・ビルマ周辺の山岳民族)のマウン・ビナ。
    日本軍ではないが、中国の雲南省出身で、戦後は国民党軍とともに台湾に流れてきたムー隊長もいる。
    彼らは戦死したり、トラウマを抱えたまま戦後を過ごしたりする。「日本兵」だった過去があると中国兵から恨みを買う可能性があるため、それとわかる写真を燃やした人もいる。

    戦争には動物たちも巻き込まれた。
    ゾウ部隊に入れられるゾウや動物園の飼育員に殺処分される動物たちも被害者だ。

    第9章はゾウの視点で語られる。
    ゾウは車が通れないジャングルで道なき道を切り拓き、物を運ぶことができる。ガソリンが必要な車と違って、エサを現地で調達できる。体が頑丈なので、少しくらいの銃弾では死なない(死ねない)。補給が滞って兵士たちが空腹になったら、食料代わりにもなる。
    あるゾウは、日本軍に組み込まれて物を運ばされる。日本軍が劣勢になると、今度は中国軍のゾウ部隊に編入される。戦後も国民党軍のゾウとして共産党軍と戦わされる。最後は長い道のりを歩かされ、船に乗って台北の動物園にたどり着く。
    この章のエピソードは実話に基づいていて、リンワン(林旺)は台湾では誰もが知る有名なゾウだったようだ。

    マレー戦では銀輪部隊と呼ばれる自転車部隊が活躍した。
    イギリス軍の想定よりも速く進軍して打撃を与えた。また、本隊よりも先に進み、破壊された橋などを修復して、後続の部隊のスムーズな移動にも貢献したようだ。
    しかし、次第に部品の補給が途絶えていき、パンクしたタイヤの交換ができなくなる。ホイールむき出しで走り続けたが、やがてホイールが変形して走れなくなった。
    走行不能になり捨てられた自転車や悪路の手前で乗り捨てられた自転車も多かったという。

    自転車や戦争、動物などの他にも、台湾の伝統工芸「蝶の貼り絵」のエピソードも出てくる。
    山で蝶を採集する仕事は過酷だ。また、貼り絵の工場には、翅(はね)切りや鱗粉転写、貼り絵製作など、いくつもの作業工程がある。
    現在の動物愛護の価値観で考えると、芸術作品のために蝶を採集し、翅をむしり、図案に合わせて貼りつけていくというのは許されることではないが、「時代遅れの工芸品」のひとつとして興味深く読んだ。

    物語の終盤では自転車やゾウを通じて話がひとつにつながり、バラバラになっていた「ぼく」の家族も修復の兆しをみせていく。

    物語の構造上、「ぼく」やアッバス、サビナら若い世代の視点から上の世代が語られることが多い。
    彼らは、数少ない痕跡を頼りに大人たちが伝えきれなかったことや口を閉ざしたことを探る。そして、自分なりのやり方でそれを形にしようとする。

    訳者あとがきには「家族の断絶と回復」というテーマが書かれていたが、個人的には、それに加えて「家族史を探求し、それを形に残そうとする物語」としても楽しんだ。

    最後に。物語の本筋とは直接関係がないが、第2章にちょっとした小説論が書かれて面白かったので一部を抜粋。

    <執筆活動のかなり初期から、ぼくは、フィクションたる作品と現実の人生が必然的に混じり合ってしまうことを理解していた。(略)小説の中にはたまに、「真実のよっかかり」みたいなものが現れる。つまり、メメさんが指摘した「消えた自転車」は、ぼくにとってまさに、この小説の「真実のよっかかり」だったのだ。(略)彼女はぼくが組み上げた虚構世界に混ぜ込んだ『自転車』に気づいてしまった。それはまさに、ぼくの実生活の心に突き刺さっていた針だった。>

    いままでは「事実」と「虚構」という分け方しか自分の頭にはなかった。これからは「真実のよっかかり」をかぎ分ける嗅覚も身につけたい。

  • 失踪した父と共に消えた自転車を巡って、密やかな冒険が始まる。
    年代物の自転車コレクターでもある“ぼく”は、手に入れた自転車を整備するために、オリジナルパーツを各地から探し求めて修復していく。
    それと呼応するように、父親の自転車を探す物語は、別の自転車を巡る話を、父親世代の過去と従軍の記憶を、戦争に巻き込まれて行った人々や動物園の動物達を浮き上がらせていく。
    沈黙の中に押し込まれてきた物語たちは、“ぼく”という聞き手を得て、堰を切ったかのように溢れだす。

    “物語とはいつだって、自分がどうやって過去から現在のここにやってきたか、知ることができないからこそ存在している。最初は、物語が時間に摩耗されてもなお、冬眠のようにどこかで生き残っている理由が誰もわからない。”
    だが物語は語り継がれ、受け継がれることで世代の間を、親子の間を、自らも認めていなかった喪失感を埋めて修復していくのだということが、ひしひしと伝わってくる。
    語リ継がねばならぬことがあるのだ。

    そしてこの物語は、父親を失った息子達-ぼくとアッバス-の回復と成長の旅でもある。
    二人が出会い、互いに解き明かしていくラオゾウとバスア、ムー隊長と静子さんの過去の断片が交錯して、ひとつの大きな物語-ゾウがたどってきた旅路へとつながってゆく様は圧巻の力をもって心を揺さぶる。

    本質的に愛を避けてきた“ぼく”は、変われるのだろうか。
    過去を巡る旅の終着点と、家族の新たな繋がりの始まりが、ぼくをまた変えてゆくだろう。心の隙間を埋めるものを求めるのではなく、与える側へ変わること。

    それは読者である僕にとっても、むずかしいことだけれども。

    “母が口にする「犠牲」とはつまり「愛」なのだ。これは母が一生の時間をかけてぼくに教えた、何よりも深奥、厳粛で、かつ晦渋な方程式だった。それはかえって、ぼくに大きくなってから「愛」と言う言葉を口にしたり、耳にするのを恐れさせることになった。「愛」が現れた時、それと表裏一体の「犠牲」が同時に登場する。
    犠牲になったからって、その対象となる誰かが大喜びするとは限らない。同じく、誰かのための犠牲が何かの喜びのためになされたものとも限らない。
    ー だから思うのだ。これが、ぼくががいつも君に「愛してる」と言えない原因なんじゃないか。”

  • 歩道橋の魔術師の作家、呉明益の作品。台湾の歴史を縦軸に、父親の失踪、古い自転車の修復、第二次大戦、蝶の工芸金、動物園などのモチーフを用いて、詩的な表現が多用された不思議な小説である。
     非常に優れたレトリックがそこかしこに見られ、とても面白く読めた。これはストーリーが面白い小説とは少しちがう。ストーリー展開を小説の面白さの中心に据えるならそれほど面白い小説ではない。しかし、この小説は短い文章が、そして短いエビソードがとても面白い。まるで詩や短編小説のコラージュのような面白さがある。
     さらにこの小説の通奏低音は『故障と修理』である。自転車が壊れ、家族関係が壊れ、動物が傷み、軍隊が敗走し、それらを直し、逃避し、父親を探すという話なのである。台湾という国が壊れてまた修復されてきたという歩みと呼応し、味わい深い作品となっている。
     再読必須の作品だ。

  • 台湾作家の長編小説。原題は『單車失竊記 The Stolen Bycycle』。古いイタリア映画のタイトルから引いている。

    主人公は、小説家であり、古い自転車のコレクターでもある。
    自転車に興味を持ち始めたのは、父の行方不明が遠因だった。父は20年前に失踪し、乗っていた自転車もともに消えていた。
    台湾のメーカー、「幸福」のもの。
    古い自転車が完全な形で残っている可能性は低いが、彼はその車体番号を覚えていた。
    ある日、彼は信じられないことに、その自転車と時を経て再会することになる。
    本作はその自転車を巡る話を軸に、いくつかの自転車と、何人かの人生、そして幾種かの動物たちの生が交錯する物語である。
    現在と過去。現実と虚構。生と死。
    一家族の歴史に、第二次世界大戦前後の台湾史、その自転車史、動物園史、蝶の工芸史が絡み、万華鏡のような世界が広がる。

    台湾は複雑な歴史的・民族的背景を持つ。日本統治時代、第二次大戦の時代を経て、台湾光復があり、国民党の時代がある。先住民、本省人(第二次大戦以前から台湾に住んでいた者)、外省人(光復以後に移り住んだ者)とさまざまな立場の人がいる。
    本書では、自転車を仲介に、時には自転車とはもはや関係なく、語り手が移り変わり、それぞれの視点からのそれぞれの物語が語られる。

    動物たちに関わる物語も印象的だ。
    かつて非常に人気を博した蝶の貼り絵を作っていた女の子の物語。
    小学校で飼われていたオランウータンの「一郎」のエピソード。
    その賢さと力の強さのために、戦争に使役されたゾウたちの悲劇。

    物語は、長い時代を描くがゆえに、否応なく戦争の話を含む。登場人物の1人はこう言う。
    「戦争には、なつかしいことなどなにひとつありません。でも、こんな年になってしまうと、私たちの世代で覚えているもの、残されているものは全部、戦争のなかにある・・・」「だから戦争に触れなければ、話すことがなくなってしまう」

    人は与えられた場、与えられた時代を生きるしかない。

    訳者はあとがきで、邦題は直訳と言っているのだが、漢字の原題を見ていると「盗まれた自転車の話」を指し、英題では「盗まれた自転車、それ自体」を指しているように思える。対して邦題では「自転車を盗んだ泥棒」が主体に感じられる。
    だがそんな風に、自転車や自転車が盗まれたという事件、そして自転車を盗んだ人へと視点が移り、思いが漂うこともまた、この小説には似つかわしいのかもしれない。
    著者の後記、訳者のあとがきも含めて、味わい深く余韻を残す。

    物語は、美しい情景の中に、どこか深い悲しみを秘める。
    それは生きること自体がもたらす哀しみなのかもしれない。
    現実とも虚構ともつかぬその世界を、幾台もの自転車が疾走する。
    息を乱し、リズミカルにペダルを踏み、汗をにじませる幾人もの乗り手を載せて。

  • 作家自身を思わせる男が台湾の中華商場界隈に生きる日常を描くリアリズム部分と、訳者が「三丁目のマジック・リアリズム」と呼んだ非日常的で不思議な出来事が起きる物語部分とが違和感なく融けあって一つの小説世界を作っている点が呉明益という作家の特長だ。たしかに『歩道橋の魔術師』では、その物語は限定なしでマジック・リアリズムといえるほどのものではなかった。

    それが今回はかなりレベル・アップしている。単なる古道具やがらくたを積み上げた倉庫の通路が洞窟となり、廃屋の地下室にたまった水は異世界と通じる地下の通路となる。松代大本営と同じく空襲を恐れ、地下に設けられた空間に殺処分を命じられた象が隠れて飼育される。土の下に隠された自転車がガジュマルの枝に抱かれて中空に上るなど、どれもこれもマジック部分の規模が大きくなっている。

    落語に三題噺というのがある。客からお題を三つ頂戴し、その場で一つの話に纏め上げるという噺家の腕の見せ所を示す芸の一つだが、その伝で行けば『自転車泥棒』は差し詰め「父の失踪」、「自転車」、「象」の三つの題で語られた三題噺といえるかもしれない。あまりにも三つの主題のからまり具合の造作が目について、リアリズム小説の部分がやや後ろに引っ込んで感じられるくらいだ。

    軸となるのは、盗まれた自転車をめぐる「ぼく」の捜索譚である。「ぼく」の父は中華商場が崩壊した翌日、自転車で出かけてそのまま消えた。働き手である父を失った家族は苦労して今に至る。ところが、ある日失踪当時父が乗っていた自転車が「ぼく」の目の前に現れる。部品は変えられていたが車体番号が同じだった。「ぼく」は、時間をかけて関係者に近づき、自転車の来歴を探る。おそらくその果てに父にたどり着けるにちがいないと考えて。

    呉明益自身がかなりの自転車マニアらしい。それも、古い自転車を「レスキュー」し制作当時の姿にする自転車コレクターなのだ。作家は小説における虚と実の割合は七対三くらいがいいと考えているという。その三の一つに今回は自転車が使われている。以前に発表した作品の中で中山堂で自転車を乗り捨てる話を書いたところ、読者から「あの自転車はその後どうなったのか」というメールが届く。

    小説は小説であり、その中で終わっていると答えてもいいのだが、作家は読者と同じ世界に入って考えてみた。その解答が、この盗まれた自転車をめぐる小説である。台湾のエスニック・グループをめぐる小説であり、日本に支配されていた時代と現在の因果を巡る小説である。それは必然的に、日本によって統治されていた時代、日本や台湾その他の民族がどのような目にあわされたかという話に及ぶ。

    「ぼく」は狂言回しの役に徹し、多くの登場人物が過去の物語を伝える。それは直接語られることは稀で、カセット・テープに残された音源のテープ起こしされた原稿であったり、小説であったり、時には象を話者として語られたりもする。手紙やメール、小説という形式の昔語り、と多彩な表現形式が駆使されているのも特徴だ。ある意味で、これは失踪した父の手がかりを求める「ぼく」という探偵の捜査を綴ったミステリとも読める。

    ただし、そこに明らかにされているのは父の個人情報ではない。大量死を遂げた日本兵の成仏できない魂が、傷を負った半ばヒト、半ばは魚となって水の中で群れる姿。その賢さと強さのせいで、荷駄を背負って戦場を行く道具として使役される象と象使いの心のつながり。自転車に乗ってジャングルを疾駆する「銀輪部隊」等々、戦時中の台湾やビルマに生きた人々のあまり知られることのなかった生の記録である。

    過去を語る物語だけがこの小説の主役ではない。「ぼく」が自転車について調べ始めるにつれて芋づる式に巡り会う個性的な人々のことを忘れてはいけない。インターネットを通じて古物商を営むアブーがそもそものはじまりだ。アブーから自転車のダイナモを買った「ぼく」は直接会うことになり「洞窟」のような倉庫に足を踏み入れる。それから交友が始まり「ぼく」の探してる「幸福」印自転車の情報がアブーからもたらされる。

    コレクターのナツさんが喫茶店に貸し出した自転車の持主は別にいた。「ぼく」は喫茶店に何度も出かけアッバスという戦場カメラマンと出会う。自転車はアッバスは昔の恋人アニーが見つけてきたものだという。カセットテープの声はアッバスの父のものだ。この小説は主人公も舞台も異なる十の短篇を自転車という主題でつないだ連作短編集としても読める。それぞれの篇と篇は「ノート」という、自転車に関する歴史や「ぼく」の家族の歴史を語る部分でつながれている。

    単なる短篇集ではなく連作短篇集だというのは、一つ一つの章が巧妙に関係づけられ、過去と現在を自在に往還し、見知らぬ同士を手紙やメールを通じて結びつけ、果てはビルマの森で敵同士であった象を扱う兵士をすれちがいさせ、長い時間をかけて音信のなかった父との出会いを経験させるという、上出来のドラマを見ているような気にさせるからだ。なお、訳者の天野健太郎氏は昨年十一月、四十七歳の若さで病没された。ご冥福をお祈りする。

    • スミソニアンさん
      『歩道橋の魔術師』はかなり前に読んで記憶がおぼろげなのですが
      99階のエレベーターや
      不思議な猫?と話をするテーラー、仕立て屋など
      【中華商...
      『歩道橋の魔術師』はかなり前に読んで記憶がおぼろげなのですが
      99階のエレベーターや
      不思議な猫?と話をするテーラー、仕立て屋など
      【中華商場】では本当に起こりうるんじゃないかと楽しく読んだ記憶があります。

      太台本屋というブログに
      呉明益さんの天野健太郎さんへの想いが
      綴られていますのでもしよろしかったら
      ご覧ください
      (2018/11/24日のエントリーです。)
      題名は 呉明益さんから、天野健太郎さんに贈られた言葉 です。

      2019/01/13
    • abraxasさん
      やはりすでにお読みだったのですね。当然そう考えるべきでした。

      太台本屋のブログ読みました。
      呉明益さんと天野健太郎さんの関係を知るこ...
      やはりすでにお読みだったのですね。当然そう考えるべきでした。

      太台本屋のブログ読みました。
      呉明益さんと天野健太郎さんの関係を知ることができてうれしかった。
      それにしても、翻訳者という仕事の凄さに驚きを感じます。ここまでやるのか、と。
      呉明益氏は、これから誰を新しい翻訳者にされるのでしょう。こうまで深い関係は二度とありえないと思われます。
      あらためて天野氏の冥福をお祈りしたいと思います。
      貴重な情報をありがとうございました。
      2019/01/13
    • スミソニアンさん
      いえいえ。こちらこそありがとうございました。

      『1367』で天野健太郎さんの存在を知ってから華文ミステリーについて読み進めはじめた矢先だ...
      いえいえ。こちらこそありがとうございました。

      『1367』で天野健太郎さんの存在を知ってから華文ミステリーについて読み進めはじめた矢先だったので残念ですが

      まだまだ、優秀な翻訳家さんなどはいらっしゃると思うので
      楽しみに待ちたいと思います。
      2019/01/14
  • 個人的に最近読んだ小説の中で一番のヒットでした。台湾の歴史を骨子としたリアリティある話の上に、魔法のような描写が乗ってくるので、ガルシアマルケスや莫言あたりのマジックレアリズム好きには堪らないのではないかと思います。

    自転車のディティールの描写も良いですね。時代に応じた自転車の仕様の変化も描かれており、世の中がどう変化してきたのかと、それに伴い自転車の役割や位置付けがどう変化してきたのかが分かるのが楽しいです。

  • かなり複雑なので一読しただけでは理解が難しいですが

    台湾の空気感がよく表れてると思います。

    著者の言葉を借りるなら
    10本の柱のうち3本が実で7本が虚

    3本の実の方が少ないじゃないかとか
    割合がおかしいじゃないかとか

    そういうのはどうでもよくて
    何が実で何が虚かの
    割り振りの方が面白い。
    そっちが虚かーいと。


    そういう事が台湾では起こりうる。
    (ラオゾウじいさんにつれてかれてシュノーケリングしたら人魚姫?竜宮城を見た)など

    • abraxasさん
      スミソニアンさん、コメントありがとうございます。
      本当ならそれだけで一篇の小説ができるくらいの、あまりにも多くの細部が詰め込まれていて、収...
      スミソニアンさん、コメントありがとうございます。
      本当ならそれだけで一篇の小説ができるくらいの、あまりにも多くの細部が詰め込まれていて、収集がつかない感じを与えてしまうのでしょうね。
      これだけのネタを一作にしてしまうのは、もったいないような気もします。
      まあ、それが「マジック・リアリズム」という評価を受ける部分でもあるのでしょう。
      『歩道橋の魔術師』はもう読まれましたか?こちらもお勧めです。
      コメントが返ってくるのはうれしいものです。これからもよろしくお願いします。
      2019/01/13
  • 自転車の記述がマニアックすぎて飛ばしてしまうが、日本統治時代あたりの台湾からの歴史の見方がわかる。だいたい台湾語読み。寡黙すぎる父と昔ながらの母とたくさんの兄弟の生活が生き生きとして楽しい。戦時中のマレーシア銀輪部隊とか、戦中アジアの様子も書いている。

  • 鐡馬(自転車)と象のリンワン、それからチョウの翅らとともに時代を超え国々を走馬灯のように駆け巡った絵物語だった。

  • 心揺さぶられる素晴らしい作品でした。
    「歩道橋の魔術師」に続く、呉明益さんの作品。
    自転車をめぐる、戦争や家族や東南アジアのジャングルにまで及ぶ壮大なストーリー。
    まさに訳者・天野健太郎さんの言葉、
    「読前の想像をはるかに越えて、ぶ厚く脳天を打ちのめしてくれる。」
    に尽きます。
    「歩道橋の魔術師」とつながるところもあり、ドキドキしました。

    台北の中で私の大好きな癒しスポットである北投が作品の中に出てきたときは、あの穏やかな風景と温泉源泉の熱気と硫黄のにおいを思い出して泣けました。

  • 1台の自転車の記憶から、100年に渡る家族の歴史、台湾における自転車の歴史、第二次大戦史、蝶加工史、動物園史…と時代も場所も遠く広がり、そしてまた1台の自転車の記憶へと収束する…。
    台湾が舞台だが日本の歴史とも関わりが深い。転変する自転車の記憶の中には、自分の祖父も居たという戦時中のビルマの光景もあり…。どこか、身近さも感じた

    「ぼく」の元に戻った自転車は、関わった過去によって彩られるようにパーツが交換され錆がかかっている。「ぼく」は元々の自転車パーツを揃え直し、錆を落としてレストアした自転車を空漕ぎする。
    過去、様々な人の歴史を見てきた自転車のタイヤは運命の糸車のようなものとしての存在であり、レストアされた自転車は「ぼく」達家族の過去を映す幻燈に変わったのでは、と思う

    多数の物語と注釈で読みにくさや混乱もあるが、その分何度も読み返したい


  • 描写が凄く良い。たとえも。
    第二次大戦中の日本軍を、台湾人の記憶を通じて知る、楽しい。

  • 不思議な物語だった。
    一台の盗まれた自転車を巡る壮大な物語。




    オランウータン
    戦争の記憶。
    全てが自転車で繋がる。
    現実と夢の狭間で語られる物語。
    ゆっくりじっくり読んだ。

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00611494

    父の失踪とともに消えた自転車は何処へ――。行方を追い、台湾から戦時下の東南アジアをさまよう。壮大なスケールで描かれる大長編。
    連作短編集『歩道橋の魔術師』で、日本でも一躍注目された、台湾文学の奇手による
    2018年度国際ブッカー賞候補作。(出版社HPより)

  • 古いものにはすべて物語がある。
    その物語には、
    消えてしまったものやことやひとが、
    今も生きている。

    蝶翅の貼り絵と自転車
    オラウータンと自転車
    象と自転車
    戦争と自転車
    人の出会い、別れと自転車

    まるで、ものを言わない自転車が、かかわった人の物語を語りだすような、不思議さ。

    理屈で考えてはいけない。
    登場人物の歳を数えてはいけない。
    そもそも、創作話なのか実録なのかすら考えてはいけない。
    もともとこれは「小説」なのだから。

    読み進めると、
    そんな不思議さの中に人の運命に似た郷愁が漂ってくる。

    ゆっくり、じっくり、
    かみしめて、よむ……。

  • 短編よりはしっくりこなかったけど、あるところの散文たちはすごく気に入ったりした。なんだか最近ずっと台湾の曲を聴いたり、映画を見たり、小説を読んだり、台湾語を勉強したり(!)台湾にいないのに1番台湾のことを考えてて恋しているみたいだ。自分の中に、たしかに台湾についてのあるかたちみたいなのがつくられてきて、それは誰しもが持ちうるものだけどみんなには違うかたちのものだと思った。だからある作家でも映画監督でも、それぞれの人が映す台湾はそれぞれ別のかたちをしていて、だからこそおもしろいのだなぁと思う。本当に最近は、いろいろなものがもっと複雑であること、それをただすんなりと感じて受け容れている。まるで少しだけ自分の頭の中の地図が広がったみたいで、少しだけいろんなことを俯瞰して見れるようになって、心に余裕ができたような気がする。こんなことに気づけたのも、台湾という一つのものに特別な感情を抱いてよく関心をもって動いたからだから、台湾と私の間にはなにかとくべつなフィーリングがあると思っている。今生きていることがたのしい!

  • 言うなれば拡散型の構成で、物語そのものは過去を遡っていく旅ではあるが、登場人物が多く時系列も前後するので、なかなか俯瞰で包括的に把握するのが難しい。
    19世紀末から20世紀半ばにかけての台湾と日本の関係性についてはとても勉強になり、その時代を背景とする台湾を舞台に物語を綴る際には、日本の存在は決して切り離せないほど深く入り込んでいた、ということもよく分かった。
    邦題について、訳者は「原著のいわば直訳」とあとがきで書いているが、原題と英題を見る限り、そして言及されている映画の方の英題等を見てもそうとは感じられず、このタイトルだと泥棒を行う"人"を想起させるヴェクトルが強いのでふさわしくないと思うのだが…。
    自転車を盗んだ者にまつわる話ではなく、盗まれた自転車から紡ぎ出されていく物語なのだから。

    私も現代のカーボンバイクに乗る1人だが、この小説を読んだら、重い"鐵馬"に跨って走ってみたくなった。

  • 第二次大戦中の「ビルマ」「インド」といえば、インパール作戦のイメージしかなかったが、台湾の視点からすれば、日本兵として動員された本省人もいれば、連合軍側の国民党軍兵士として動員された外省人もいる。さらに、日本人や「原住民」、現代台湾を生きる人々も加えて、それらを自転車、ゾウ、あるいは蝶の物語で詩的につづりあわせていく。本書の訳者は「台湾海峡一九四九」も訳出しているが、それと同様に台湾社会の重層性を見事に描き出している作品だと思う。

  • 5/22はサイクリングの日
    父の失踪とともに消えた自転車はどこへ。
    2018年度国際ブッカー賞候補作を。

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著者プロフィール

1971年台北生まれ、小説家、エッセイスト。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得後、現在、国立東華大学華語文学部教授。90年代初頭から創作を行い、短篇小説集『本日公休』(97年)で作家デビュー。2007年、初の長篇小説『睡眠的航線』(本書)を発表し、『亜州週刊』年間十大小説に選出された。以降、80年代の台北の中華商場を舞台とした短篇小説集『歩道橋の魔術師』(白水社)やSF長篇小説『複眼人』(KADOKAWA)、激動の台湾百年史を一台の自転車をめぐる記憶に凝縮した長篇小説『自転車泥棒』(文藝春秋)など、歴史とファンタジーを融合させたユニークな作品を次々と発表している。国内では全国学生文学賞、聯合報文学小説新人賞、梁実秋文学賞、中央日報文学賞、台北文学賞、台湾文学長篇小説賞、台北国際ブックフェア大賞などを相次いで受賞、海外では『複眼人』がフランスの島嶼文学賞を獲得、『自転車泥棒』が国際ブッカー賞の候補にノミネートされるなど、その作品は世界的に評価され、日本語、英語、フランス語、チェコ語、トルコ語など、数ヶ国語に翻訳されている。

「2021年 『眠りの航路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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