起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163910826

作品紹介・あらすじ

堀江貴文、藤田晋ら“ヒルズ族の兄貴分”と呼ばれた男。 ネットベンチャーが続々花開いた時代に、USENの宇野康秀社長は、フジテレビからホリエモンのライブドア株を購入したり、プロ野球の新規参入問題などで、メディアの脚光を浴びました。2001年には、平井堅、米倉涼子らとともにベストドレッサー賞も受賞しています。 しかし華やかに見えるその半生は、挫折と試練の連続でした。 父親の元忠は大阪ミナミで有線放送の会社を興し、裸一貫、全国を制覇した立志伝中の人物です。ところが無断で電柱に有線のケーブルを引いたり、ライバル会社のケーブルを切ったりという悪どいやり方は、息子である康秀に巨大な負債となってのしかかります。 やっとのことで有線放送の会社をブロードバンド事業へと導いた宇野の手腕。しかしこれからという時に、リーマンショックによって経営は暗転し、融資を受けた銀行団との壮絶なバトルが始まるのでした。 起業家の資質とは何か、起業精神の本質はどこにあるのか。 壮大な事業に挑んだ宇野元忠、康秀父子の生き方を軸に、若き日の孫正義、三木谷浩史、藤田晋、村上世彰ら、錚々たるベンチャー創業者たちの興亡の歴史を鮮やかに描きます。

感想・レビュー・書評

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  • 大阪有線の創業者、宇野元忠や
    リクルートの江副浩正はもちろん、
    最後の最後で出てくる
    三井住友の原田良輔、
    GSの小泉泰郎のキャラが
    ことごとく濃い。
    全員キャラが濃くてお腹いっぱいになるが、
    相当面白い一冊だった。
    児玉博の本にハズレなし。

  • USEN社長の宇野康秀さん。インテリジェンスの創業者であり、また大阪有線の創業者の2代目でもあるという事で知っていたが、そうした略歴では当然計り知れない壮絶な人生を歩んでいる方。

    本書の主題である宇野さんを語る上で欠かせない人物として出てくるのが実父であり従業員1万人の大企業、大阪有線を築き上げた創業者の宇野元忠である。若い頃は仕事一筋で家庭を顧みない父親と反りが合わず距離があったという。しかし、結果的に父親と起業の道を歩み、最後にはガンで余命3ヶ月の告知を受けた病床の父から頼まれて大阪有線を継いだ。

    夜中にでも会議を開くという宇野の経営者としての姿勢は父親の影響は大きい。モーレツに働く父に対して、「あんた社長なんやろ?社長のあんたが休みの日もなんで働かにゃあかんの?社員に任せたらええやん」と母親がとかけると、「何をアホなこと言うとるんや。ワシよりも働くもんがおったらそいつが社長や」と。この言葉は宇野の頭の片隅にずっとああったという。この言葉は本書の中で2度引き合いに出されているが、経営者という仕事の困難さを表す上で言い得て妙であり、最も印象に残る逸話である。

    父親から引き継いだ事業は大きな問題を抱えていた。有線ケーブルがNTTや電力会社の電柱に不法に設置されたものであり、その違法な状態を数百億の資金を掛け、全国の社員総出で正常化を1年で成し遂げている。単なるボンボンの2代目というイメージを持っている人も多いと思うが、気骨のあるかつ正義感の強い稀代の経営者である。

  • 現在USEN-NEXT HOLDINGSのCEOである宇野康秀氏が大阪有線の創業者である父を含め自身の生い立ちや事業を承継するに至った経緯や起業家としての苦悩を書いた一冊。

    高度経済成長の波に乗って有線事業で一躍トップとなった大阪有線社の創業者の次男として生を受け、学生時代を経てリクルート社へ入社し前田氏、島田氏、鎌田氏の3名との出会いから人材会社のインテリジェンスを起業。
    その後株式上場目前のところで実家の有線の事業の承継を打診され引き受けるものの違法使用の正常化や光ファイバー事業の頓挫、インテリジェンス買収を経てYouTubeの台頭や人材派遣業の低迷による社長追放など宇野氏の紆余曲折を本書で知ることができました。

    また、父や兄との関係や思い、仕事にかける情熱など宇野氏の心のうちにあるものも本書ではインタビューとともに書かれていて刺激を受けました。
    そして、宇野氏を中心として有線社の話を中心に展開される中でリクルートの江副氏やソフトバンクの孫氏やサイバーエージェントの藤田氏などのエピソードも書かれていて、新しい一面を知ることもできました。

    ITバブルの寵児の1人として成功した一方で有線社での挫折や失敗など運命に翻弄されてきた半生を本書で知ることができました。
    起業、承継問わず3社を上場させる手腕は並外れたものがあり、紆余曲折で得た経験が宇野氏が今後どのような歩みを辿るのか楽しみになる一冊でした。

  • 2021/12/31
    2021年35冊目。
    宇野康秀氏のレポート。USENの創業から広く知ることができて面白い一冊だった。ドラマだなぁ

  • インテリジェンスの宇野さんとして知っていましたが、これを読んでUSENや今に至る出来事をちゃんと知ることができたのは良かったです。
    大阪有線が大きくなる高度成長期、リクルートに代表するバブル期や、サイバーやソフトバンクに代表するITバブル期。ゼロ年代。それぞれの時代背景とその中での宇野さんの立ち位置というのがとても物語として心が揺さぶられました。
    事業は一筋縄でいかないのはそうですが、その中で何を信念にして生きるのか、そこでどう振る舞うのか。自分は事業家では無いですが、考えるヒントにはなるかと思いました。経営者としての矜持をそこに感じたのは言うまでもないです。

  • 何気なく取ってみて、読んだらめっちゃ面白い。

    本書での主人公であろう宇野氏は殆ど知らなかった。ドラマティカルなその生き様に、また追い詰める状況に読んでるだけでも胃が痛くなるが、非常に面白く読めた。

    本書とは関係ないが、こういったバブル的なことがITバブルで最後であり、最後の成長物語だったのかなあと読めてしまったり。

  • 宇野さんは父親の存在が大きいと言う。
    仕事で1-2ヶ月家を開けることもあった父が、すぐ飯や、早よ用意せんかい」と他人の都合など構わず言いたいことばかり口にする。
    ちょうどその頃、宇野さんが高熱で、お母さんが父に「康秀が高熱で死ぬかもしれない」と言ったら「死んだらまた作れば良いやんか」と言ったそう笑
    忘れ難いその一言を今も覚えているそう。

    大阪有線が設立された1961年は、1960年に所得倍増を掲げて池田勇人が首相となった翌年。三種の神器を代表に、活気づいていた。
    当時国鉄の初乗りが10円、コーヒー1杯50円と言う時代に、月額1500円と言う有線放送の契約が嘘のように取れた。
    ヤーさんやらがたくさんいるから大手が参入して来ずに成功出来た。

    宇野さんは子供の頃父が嫌いだったそう。
    自分がトップであとは雑魚、人扱いしないような言動もたくさんあった。
    1985年に大阪府警が自宅に立ち入り逮捕になった際は家族に対して「これでお前らも有名人だな」と言ったそう。

    逮捕容疑は有線放送に使用するケーブルを、電柱の所有者(日本電電公社)の許可を取らずに使用したと言うもの。

    当時、瀬戸大橋の開通式典が行われたが、開通式前に、秘密裏に忍び込んでケーブル線を引いてたり、電柱の使用料を払わずに夜影に紛れて電柱に登り、ケーブル線を引いたり。
    それを指摘されると「法律が間違っとる」と言うスタンス。そんな父が宇野さんは嫌いだった。
    しかし高校生の頃、経営者の自伝を読み始めると心境が変わる。
    社長として働く姿に尊敬を覚えるようになる。
    ある日のこと、母親が「休日もなぜそんなに働くのだ、社員に任せたら良いでは無いか」と言ったら「何アホなことを、ワシより働くやつがいたらそいつが社長や」と。
    この言葉を鮮明に覚えているそう。
    インテリジェンスで「宇野さんは24時間会社にいる」と言う伝説が生まれるほど働いた。

    大阪有線を業界No.1に押し上げ、宇野さんの父の側近中の側近だった人物に、谷口洋一さんと言う方がいる。

    彼は、元々、福井の繊維系の家業を営む家出身で、新卒には繊維商社の名門、帝人に就職していた。
    しかし、家業を継ぐのにわだかまりがある中、大阪有線の求人広告を見て、転職。
    そんな大阪有線は12時定時出社、出社しても近くのきっさてんて高校野球で賭けたり、競馬、競艇など博打をやっていた。
    14時頃になるとそれぞれの盛り場に行くよな環境だった。

    入社1週間でトップセールスになっていた。
    そして半年が経った頃、1970年に北陸出身という事もあり、富山県高岡営業所の所長に任命される。そして1ヶ月で成果を出し、すぐに金沢も兼務させられる。
    しかし、所長といえど、最小人数、ケーブル線を引くのもやらなくてはいけなかった。

    全国所長会議というのが毎月あり、そこでは成績報告などと合わせて、各所の給与を現金で渡していた。
    入社して9ヶ月目、所長になって3ヶ月目にして給与袋を見ると、元々四万五千円の給与だったのが、九万五千円入っていた。
    帝人時代の四万二千円よりも元々多かったのにさらに倍の額を貰って衝撃を受けた。
    北陸駐在は6年に渡り、同世代の3倍以上貰っていた。
    シンプルといえばシンプルで、目標を決め、成果を出したものに相応の報酬を与えるというやり方、そして三億円事件があり給与を自動振り込みにした時代の中、現金の方がありがたみがあるという理由で現ナマで渡したり。

    34歳になった1968年に名古屋赴任を命じられ、それとともに役員就任も言われた。
    その頃、大阪有線は全国制覇を狙っていた。
    北海道で有線会社を始めていた人から、日本音楽放送が参入してきて厳しいとSOSを出していたため、大阪有線が北海道にガンガン参入、一方日本音楽放送は大阪有線相手に大阪に進出し安い価格でシェアを奪い合っていった。
    また、お互いがお互いのケーブルを切って、サービス提供できないようにするなど泥沼化した。

    相手の動きを事前に把握し警察に通報したことで戦争は終わったが、自分たちが攻撃を仕掛けられたことで、他者を人数や資金的に凌駕していた大阪有線が他の地域に進出していけばシェアを取りに行けると確信し、様々な地域でシェアを取り、買収交戦を仕掛けにいった。


    宇野さんは明治学院大学に進学した1980年初頭、イベントサークルや広告研究会、プロデュース研究会が乱立し、宇野さんもそこに参加した。
    そこを通して、インテリジェンスに参画する仲間と多く出会った。

    後のインテリジェンスで社長となる鎌田和彦(慶應大学)、社長補佐として宇野さんを支え、USENの立て直しに尽力した竹林聡(中央大学)、リクルートの峰岸さん(立教大学)、インテリジェンス創業メンバーの前田徹也(明治学院大学)
    と言ったメンバーがイベントを企画して協賛企業を募るために企画書を作ったりして企業にプレゼンをしていた。

    こうした学生が一様に目指したのがリクルート。
    宇野さんが社会人になった年にリクルート事件が起こり、江副さんの指示で不動産会社のリクルートコスモスの未公開株が政界だけで90人余りにばら撒かれた。

    リクルートは江副さんの大学時代の友人で、森ビルののちの社長となる森稔さんに便宜を図ってもらい第二森ビルの屋上にあった掘建て小屋から始まった。

    自走する社員を良しとするリクルートでは、月間の売り上げNo.1を記録すると、江副さん自らが電話をし、社長室から現場に握手をしにくる。
    そして写真を撮りポスターとして廊下の壁に張り出される。
    社員を鼓舞するシステムとして江副さんが考えたそう。

    1980年代、中曽根政権が官営企業の民営化、特に電電公社の民営化に伴い、
    京セラの稲盛さんがKDDIの前身となるDDI、日本テレコム(現ソフトバンク)、トヨタと日本道路公団の関連会社が出資した日本高速通信(現KDDI)などが生まれ通信の時代に突入。

    江副さんもそこを見逃すまいと京セラを求めた際、稲盛さんに「あなたと仕事はできない」とはっきり言われた。
    そこでNTTの初代社長、真藤さんにデジタル回線の又貸し、リセールをすがった。

    時を同じくして、ソフトバンクの孫さんはNTTより安井が煩雑さを強いられるデメリットがあったDDIに対して、電話機をダイヤルするだけで回線に繋がるアダプターを開発し、稲森さんに営業。

    ロイヤリティを求めたが、当時53歳の稲盛さん相手に29歳の孫さんは跳ね返され、一括の買い上げ(@4000円×50万個→20億円)になったそう。

    宇野さんがリクルートを受けた頃、人事を担当していたのが、のちにリンクアンドモチベーションを創業する小笹さん。
    自分より優秀な人を採用しろというのが江副さんの号令で、人を採るとなると、なぜその人が自分より優秀か説明を求められたという。

    島田亨さんという方は1987年リクルート入社、インテリジェンスの創業に参画し、副社長まで登り詰め、三木谷さんに乞われ、楽天球団の副社長、社長、2014年には楽天本体の副社長にもなった。
    16年に退社後、宇野さんに呼び戻され、U-NEXTの副社長に。

    大学2年までにほぼ全ての単位を取り切り、3年からリクルートでフルタイムでバイトをした。
    江副さんがリクルートを作り出した原点「自らが機械を創り出し、その機会によって自らを変えよ」という言葉を体現している人だった。

    宇野さんはアルバイト時代に広報部でリクルートの映像記録などを片っ端から見て、ビジネスモデルと事業戦略が分かったからという理由で、リクルートではなくリクルートコスモスに行った。
    88年の新卒入社当時、銀沢の本社地下には社員用の仮眠室がカプセルホテルのように並んでいた。

    宇野さんは同期やサークルの仲間からの飲み会の誘いを全て断った。
    そんな働いてどうするんだ、楽しまずどうするんだと言われたが、
    「彼らが働いてる時に一生懸命仕事をするから成功できるんだ」と自分に言い聞かせた。
    また、父親の「わしより働く奴がおったらそいつが社長や」という言葉も胸に刺さっていたそう。

    ある日、東京外苑前にあるビルの空きスペースの活用を考えてほしいという依頼が島田さんの元に入ってきた。
    宇野さんや、前田さん、鎌田さんらで色々考えたが固まりきらず、鎌田さんが「自分たちでここで起業すれば良いのでは?」と思い立ち、それに他3人も賛同し、事業は何をやるか決めずに辞表を出し起業。リクルート事件が起きた年の9月だったそう。

    当時は会社設立に最低1000万円必要だったため、その資金集めから始めた。
    4人合わせて1枚50万円までキャッシング出来るクレカを7枚持っていて、350万円はキャッシング、残り650万円は同級生や知り合いなどを回って集めた。

    その時はバブル真っ只中で、特に金融機関が採用が強かったため、とある鉄鋼大手の人事はそれを恨んでいた。
    そこにビジネスチャンスがあると考え、〇〇大学の××が三菱に呼ばれた、などの学生の動き、情報を人事に売った。
    最初の契約は三菱自動車、噂で瞬く間に広がり年間25万円、翌年からは35万円、最盛期には400社を越え、億単位の売り上げとなった。
    1年目で1億、2年目で5億、3年目で10億と伸びていったそう。

    新たな事業として人材派遣を考えていた。
    当時、パソナとテンプスタッフの上位2社を合わせてもシェア10%にも満たなかった。
    また、女性求人情報誌のとらばーゆを毎週買っていた宇野さんはどの会社も毎週同じ広告を出しているだけということに気づき、キャッチコピーを変えるとか写真を新しくするとか当たり前の努力をやれば勝てると思ったそう。

    特に派遣ビジネスでは大差ない状況のため、スピード勝負が肝だった。
    システムでデータベース作りをしていった。
    人材募集を増やすために、メルセデスをプレゼントするという企画もあった。

    また、その当時、ある社長から「30人では大きくならない」と言われた。
    30人は1人でマネジメントできる限界、それを超えるには何らかの手立てが必要、と。
    それを機に人を大胆に増やそうと判断し、日経新聞の一面を買い取り、広告を打ち、1年で70人まで増えた。

    当時社員として在籍してた藤田さんも、いきなり知らない社員が多数占める状況に「この会社大丈夫かよ」と思うこともあったが、相手が納得するまでとことん説明した。

    父の元忠さんは病に倒れると、宇野さんに社長を都合と言う。
    当時インテリジェンス上場するタイミングだった事と、家業は継がないと言っていたことから断ろうと思ったが、
    違法に電柱720万本、地球3周分とも言われる量のケーブルを不正に敷いてる会社を誰も継げない、継げたとしても迷惑をかけると感じ自分で継ぐことに。
    (民法上、非常に煩雑な手続きをしないと撤去できなかったたま大阪有線の不正占拠は成立していたそう)

    それをインテリジェンスの創業メンバーたちに告げると、継がないと言ってたじゃないか、などと言われるかと思ったが快諾してくれて、涙が出たそう。
    1998年、63歳の若さで元忠さんは息を引き取った。

    会社を引き継いでから、正常化に舵を切る。
    かなりの大規模な作業だった事と、通常の営業活動と別で行わなくてはいけなかったので、休みもなく、疲弊しきっていた。
    そのため、正常化を反対する社員が多数出てきたり、当時出てきた2chでボロクソ書かれたり、挙げ句の果てには血染めの藁人形が家に送られてきた。
    家族に迷惑を掛けてしまうリスクもあったが正常化を果たした。2000年のことだった。

  • テレビニュースで見た方だったのでどんな方か知りませんでしたが、読んでみて僕自身が思っている印象が変わりました。

    外見が良い方や、ユーセンという事で
    あまり良く思ってなかったのですが
    本当はいくつもの起業を行い、失敗や挫折を繰り返した素晴らしい経営者と感じました。

    本の前半は父親の話し、中盤はインターネットの普及の話し、終盤は宇野康秀さんの内容でしたので時系列でわかりやすく読めました。

    孫社長や、藤田社長の話しも出てくるので
    他の所でも勉強になると思います。
    起業したい方にオススメします。

  • 情念が半端ないけど 

  • 成功するためには今後伸びる&グレー(参入障壁が高い)な業界に身をおいて、絶えず未来を見据えて大胆な行動をしていくこと。

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