サル化する世界

  • 文藝春秋 (2020年2月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784163911533

作品紹介・あらすじ

「今さえよければ自分さえよければ、それでいい」
――サル化が急速に進む社会でどう生きるか?

ポピュリズム、敗戦の否認、嫌韓ブーム、AI時代の教育、高齢者問題、人口減少社会、貧困、日本を食いモノにするハゲタカ……モラルの底が抜けた時代に贈る、知的挑発の書。

・「自分らしく生きろ」という呪符
・なぜ「幼児的な老人」が増えたのか?
・トランプに象徴される、揺らぐ国際秩序
・「嫌中言説」が抑止され、「嫌韓言説」が亢進する訳
・戦後日本はいかに敗戦を否認してきたのか
・どうすれば日本の組織は活性化するのか……etc.

堤未果氏との特別対談も収録。
現代社会の劣化に歯止めをかけ、共生の道筋を探る真の処方箋がここに。

みんなの感想まとめ

自己中心的な思考や社会の分断が進む現代において、どのように生きるべきかを問いかける一冊です。著者は、ポピュリズムや敗戦の否認、AI時代の教育など、現代社会の問題を深く掘り下げています。特に、異なる意見...

感想・レビュー・書評

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  • サル化とはサルに失礼な、もしかして、人間を支配する「サルの惑星」よろしく支配者の交代劇について触れた話かと、いつもながらややこしい目線でワクワクしながらページを捲る。

    が、関係ない。「朝三暮四」に出てくるサルだ。朝令暮改ではない。朝三暮四なんて日常使わないので、本書の説明がありがたい。手飼いのサルの餌を節約しようとして「朝三つ、夕方に四つ与えよう」と言ったらサルが大激怒。「じゃあ朝四つ、夕方三つで」というと、サルは大喜びして解決。

    つまり、目先の違いに惑わされて全体としての大きな詐術に気づかない様子を揶揄した故事だ。世界が、そんな詐術に取り込まれている。いや、大衆がバカになっていて、訳もわからず喜んだり怒ったりしている。これは、税金を使ったバラマキ再分配とか、メディアに操作された投票行動とか、色んなことに当てはまりそうだ。今回の内田樹は、そんな詐術から目を覚まさせようというか、そこまで大仰な内容ではなくとも、歪んだ認知の事例とか、その辺の雑感を、という感じ。

    ー たしかに、あらゆるテクストは無限の解釈に開かれており、そこに単一の、首尾一貫した意図を見出そうとすることは難しい。しかし、あらゆる言明について「本当に言いたかったこと」と「人々が解釈した意味」の間には乗り越えられない深淵が広がっているということを口実にして、わが国の失言政治家たちが「誤解を招いたとすれば遺憾である(ただし、私の真意を取り違えたのは受け手の責任である)」と日々言い逃れていることを忘れてはならない。彼らは「本当は何が言いたかったのか」について、事後的に無限の修正を自分に許すことを通じて、システマティックに政治責任を免れているのである。

    ー 今「正義」について論じている人々にとって喫緊の問いは「正義論は正義の実現に有効なのか?」というものではないかと思う…平たい言い方をすれば、「正義論」をいつまでもやっていて、本当にそれで埒があくのか?ということになる。

    ー オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者がおりましたが、この人がデモクラシーとは何かということについて、非常に重要な定義を下しています。それは「敵と共生する、反対者とともに統治する」ということです。それがデモクラシーの本義であるとオルテガは説いています。これはデモクラシーについての定義のうちで、僕が一番納得のいく言葉です。

    ー まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敗戦国として認定した国です… 最終的にドイツ軍はイタリア
    領土内から追い出され、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて、裁判抜きで処刑され、その死体はミラノの広場に逆さ吊りにされました。イタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニのファシスト政権に引導を渡し、ドイツ軍を敗走させた。ですから、イタリアは法理的には戦勝国を名乗る資格がある。でも、たぶん「イタリアは戦勝国だ」と思っている日本人はほとんどいない。自分たちと同じ敗戦国だと思っている

    ー 東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの態から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

    ー でも、何度でも申し上げます。教育は買い物とは違います。教育は集団の義務なんです。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものです。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。でも、市場原理を持ち込んでくると、この筋目が見えなくなってしまう。市場原理では、教育する主体は先生たち個人だとみなされる。集団ではないのです。教員個人の「教育力」なるものが数値的に表示されて、それに対して報奨や処罰が用意される。高い教育力を持つ教員個人が高い格付けを受けて、高い給与や地位を約束される。教育力の低い教員は低い格付けを受けて、冷遇される。それと同じように、教育を受けたことの利益は個人にのみ帰属する。

    国家観や教育論、イデオロギーの話などなど。どれも深い思索の下で真実を見抜こうとする内容であり、脱サル化に十分効く薬。しかし、脱人格化されてサルになり、そこから更に脱サル化した後、我々はどうなるのか。再びサルの惑星が人間の元に返るのか、「人間」と一括りに言える時代はいつまで続くのか、という問題でもある。

    日本では、学歴や偏差値、相続資産が一定の身分階層を形成し、既得権益への就職チャンスは下層には殆どない。更に富裕層の特権階級は世襲も含めたネットワークが囲繞する。労働力を搾取された後の高齢者が、数の強みを覆すような自己犠牲を働かせるとも思えない。大学を無償化したら、老人たちが大学を病院がわりの溜まり場にしかねない。で、似非大学が居座る構図。まさに朝三暮四、爽やかな地獄。中々、手強い。

  • 内田樹さんに関しては、小難しく屁理屈を垂れる面倒くさい人という印象がありましたが、イメージが少し変わりました。
    確かに、堅苦しさを感じるのですが、真面目過ぎて丁寧に説明しようとするからなのでしょう。
    本質を捉えているなと思うことがいろいろと書かれていて、共感することも多く親近感が湧きました。

    「成熟する」ということは「複雑化する」ということ、「定型に収まって、それ以上変化しなくなること」ではない。
    「自分探し」はしなくていい、「自分の身のほど」など知らなくていい、「自分らしさ」なんて急いで確定しなくていい。
    「自分の居場所」を早くみつけさせ、「そこから出てくるな」という管理社会が「息苦しさ」を生んでいる。

    「「文学」とは無縁だったが、政治やビジネスで成功を収めた。だから教育に「文学」は不要である。」との考え方をする人が教育政策を起案しているのは、現代の深刻な病態だ。

    「下り坂をそろそろと下る」という新しいライフスタイルが、人口減少社会の長期的ロードマップとなる。
    人口減少社会での成功事例は過去にない。「こうして成功した」という経験則には耳を貸さない方がいい。

    などなど。


    内田樹さんが言う「サル化」とは、「今さえよければ、未来がどうなろうと知ったことか」と、無意味に「こんなこと」をだらだらと続ける傾向のこと。
    たしかに、今の日本人は「最悪の事態」を想定して不測の事態に備えない。
    政治家が「仮定の話には答えられない」などと平然と言っても、マスコミも非難しないのが当たり前になっている。
    最近は、見て見ぬ振りをしてやり過ごして来たことが、隠しきれなくなって少しずつ顔を出し始めている。
    セクハラ・パワハラを放置してきたジャニーズや宝塚しかり、怪しい宗教団体を利用してきた政治団体しかり、企業もいろいろと不正が明るみになってきている。
    「サル化」から脱出するには、将来の不安要素がよく見えていて、現状のしがらみに取り込まれていない若者が社会を変えるしかないと思う。


    本書を読んでいて、一つ驚きの事実を知ることになった。(私が無知なだけ⊙ꇴ⊙)
    元号の話題が出てきて、現在世界標準の西暦はキリスト紀元だから、イスラム教やユダヤ教の国は独自の暦を使っている。
    ただし、西暦では〇年〇月〇日だと分かるようにはしているらしい。
    日本も年号を、明治、大正、昭和、平成、令和、と和暦の使用がなくならないが、
    今のように令和5年は西暦2023年と和暦と西暦が一致しているのは、そうなるように合わせたからだった。

    「明治5年12月2日」の翌日が「明治6年1月1日」で、明治5年の12月は二日間しかない。
    旧盆や新盆は昔から知っているのに、明治にそうなる理由があったことは知らなかった。

  •  「サル」とは、故事「朝三暮四」のあのサルである。では「サル化」とは何か。それは、"自己同一性の時間的・空間的な縮減"のことをいう(「今さえよければ、それでいい」「自分さえよければ、他人のことはどうでもいい」)。すなわち、長期的視野を持たない近視眼的思考、そして社会の分断。内田樹は、世界に広がるポピュリズムの潮流は「社会のサル化」に他ならないと喝破する。
     ハッとさせられたのは、立場・意見の異なる人との向き合い方について。もし仮に、分断を煽り敵を弾圧しようとする人がいるとき、彼に対して我々がすべきは、「あいつはとんでもない奴だ」と切り捨てることではなく、あくまで"デモクラシーの本義(p.96)"を守ろうとすること、つまり、彼も共同体の一員として受け容れその言い分を聞くことだという。
    "自分に反対する人間はすべて敵だ、すべて潰す、という政治的立場の人に対する根源的な批判は、「われわれは自分に反対する人間をすべて敵だとは思わない。反対者を含めて、同じ集団に属するすべての人々を代表する用意がある」と意地でも言い切るしかない。(p.98)"
    "日本の政治文化が劣化したというのは、シンプルでわかりやすい解をみんなが求めたせいなんです。(略)それをもう一度豊かなものにするためには、苦しいけれども、理解も共感も絶した他者たちとの「気まずい共存」を受け入れ、彼らを含めて公共的な政治空間を形成してゆくしかない。(p.102)"
    なんと非対称的でしんどく、そしてもどかしい仕事だろうか! それに比べ、歯切れよく言い放ってしまうことの実に訳無いこと!
     内田樹の本を読むたびに大事なことを「思いださせて」くれるような感じがして、それと同時に、自分の頭で「まともに」考えること・当たり前を当たり前に考えることの困難さを思う。

  • まだ読書中ですが、ズガーンときたことろを…

    「(中略)子どもたちをその文化的閉域から解放するために武道を教えているわけです。君たちは学べば、ふだんの身体の使い方とは違う身体の使い方ができるようになる。その「別の身体」から見える世界の風景は君たちがふだん見慣れたものとは全く違うものになる。それは外国語を学んで、外国語で世界を分節し、外国語で自分の感情や思念を語る経験と深く通じています。自分にはさまざまな世界をさまざまな仕方で経験する自由があること、それを子どもたちは知るべきなのです。
     結局、教育に携わる人たちは、どんな教科を教える場合でも、恐らく無意識的にはそういう作業をしていると思うのです。子どもたちが閉じ込められている狭苦しい「檻」、彼らが「これが全世界だ」と思い込んでいる閉所から、彼らを外に連れ出し、「世界はもっと広く、多様だ」ということを教えること、これが教育において最も大切なことだと僕は思います。」

    この「檻」という表現がまさに自分自身の感じている少しの息苦しさのようなものにあまりにもマッチしていて、そして自分もまさにこうありたいと、そして全ての子どもたちにこうあってほしいと願わずにはいられなかったのです。

    私自身はもういい大人なのですが、残念ながら子ども時代には自分の住んでいる場所、自分と関わりをもっている人(しかもある程度自分に寛容な人)、自分の経験したこと自分の身の回りで起きた出来事、が間違いなく「全世界」でした。
    それは大人になってからも変わらず、「檻」に囚われていることを知らずに幸せに過ごしてきました。しかしここ最近、英語や世界史に興味が向くようになり、(おそらくきっかけはさまざまですが)自発的に「別の身体」を手に入れるために行動するようになり、そこで得た「身体」をもって今までの自分の思考を振り返ることで、自分がいかに狭い世界で生きていたかを知ったのです。ほとんど偶発的だったと思います。興味の対象が英語や世界史などだったこと、そして昨今の世界の状況などが手伝い、この「檻」の恐ろしさと危うさ、そしてもっと恐ろしいのは檻を檻とも思わずにそれを幸せと思いながら生きていくことなのだと痛感しています。そして、人々が思考をやめ「檻」の中での安寧に生きるということは共同体の衰退を意味します。そして、それこそ今まさに起こっていると内田さんが警鐘を鳴らす「サル化」なのではないでしょうか。

    書き始めは、この「檻」と表現されることで言語化され認識できた自身への理解の喜びや高揚感を感じていましたが、今は同時に多くの人が「檻」から出ていくための道具を手にし、自分を囲っているものの小ささに気付き、共同体のこれからのために力を合わせて生きていけることを願ってやみません。

  • 挑発的なタイトル、いかにも内田先生らしい。内田先生の書くもの、語ることは、自分の視野を広げて、世界の見え方を変えてくれる。

    中でも「比較敗戦論のために」はおもしろかった。アメリカの強さはカウンターカルチャーの強さだとの指摘はなるほどと思う。その例として映画『ランボー』を挙げて、主人公を自衛官に置き換えた映画を日本で撮って公開できるかと問うのである。

    しかし、本書に収載された文章はすでに10年も前のもの。まさか、トランプが再選され、これほど急速にアメリカのカウンターカルチャーが弱体化するとは思いもしなかった事態である。内田先生には長く元気に、警鐘を鳴らす人であってほしい。

  • この本は単なる社会批判の本ではなかった。むしろ、私たちが気づかないうちに失っていた考える時間や迷うことの価値、寄り道の楽しさなどを思い出させてくれる本だった。
    これからはすぐに答えを求めるのではなく、遠回りしながらでも、自分なりの言葉で表現していきたい。

  • 様々な媒体で著者が発表してきたエッセイをまとめたもの。
    初出が2018、2019年なので、今読むと多少状況が違っていることもあるが、大まかな状況は変わっていない。
    それは良いのか悪いのか…大方がよくないことだと思うが。
    「気まずい共存について」は、モヤモヤくらい受け入れろ、という両翼がざわめく主張。
    確かに、相手を完膚なきまでに叩き潰すことで何が残るのだろう、と思う。
    これまでの歴史を振り返れば、押さえつけられたものたちは、互いに相手を敵とみなし殺し合ってきた。
    でもそれは結局全体の力を落とすだけ。
    この縮ゆくのに膨張する世界では、「擦り合わせること」が必要なのだ。

    著者の教育論については概ね同意する。
    最小の学力努力で、合理的に行動することが、自己の成長という点、社会の成熟という点でみればなんと思想が薄っぺらいことか。
    競争、つまり成績をつけることをなくす、それはあり得ないことのように思えるけれど、教育とは本来そういうもののはず。
    それに、実際、そうした取り組みを行う学校も出始めている。
    勝てば慢心、負ければ落ち込む、これは「修行」にとって何の意味もない。

    また、母語しか新語、新概念は作れないという点は新しい気づきであった。
    確かに、生活の中に探してみると、日本で暮らし日本語を使うものだから、新語、流行語が作れる。
    流行語や、おっさんビジネス用語、「チョベリバ」「り」「蛙化現象」「一丁目一番地」「いってこい」
    これを、日本語母語話者が、外国語でやろうとしたら怪訝な顔をされる、あるいは鼻で笑われるだろう。
    著者はいう。
    母語の中に閉じ込められているからこそ、もっと世界を見たいと願うことが他言語を学ぶことの意味であり、
    世界が多様性に満ちていることに気づくのだと。
    この考え方は長年フランス語に触れてきた著者だからこそ出てくるものだと思う。

    著者の示す考え方は、今当たり前と思っている、コスパ、競争、そういったものに違和感を感じながら、
    社会ってそういうものと納得させてきた私にとって、とても勇気が出るものであった。

  • どこを読んでも考えさせられ目を開かされる思いがするのですが、とりわけ深く頷いたのは「AI時代の教育論」という章と最後の堤未果氏との対談です。
    堤さんの著作は読んだことはありませんが、発言の視野の広さや鋭さに、今日本を担う人たちはもっとこの人の話を聞くべきなのでは、と感じました。

    そして、この対談がコロナ禍以前に行われたことを思いつつ読み進めると、本当に日本の今の政府の腑抜けっぷりがより染みて震撼します。

    内田先生は以前の著作のなかで、「僕は未来を予測して予言的に書き表しておく」というようなことを書いておられました。そうしたらそれがはずれたとしても、その予測と事実を検証することでまた新たな知見が得られるというようなお考えだったと思います。(細かな言葉で覚えてないのでニュアンスが変わってないと良いのですが…)
    自分は本書のこの対談を読んでその事を思い出しました。
    そして漫然と暮らしたり、世の中の制度に不服を募らすだけでなく、内田先生のように予測と事実を検証するという世間の見方と言いますか、世間との向き合いかたをしないとどんどんと流されてあほになっていくばかりなんだ、と痛感させられました。

  • あー!小気味良い!
    内田樹さんのエッセイ。
    歯に衣着せぬ、確信をついた言葉。

    タイトルは
    いささか衝撃的だが、
    確かにそうだ、と頷ける。
    成熟するとは
    どういうことか、
    老いた幼児のような高齢者が増えた理由、
    英語教育の本来の目的とは、
    結婚とはリスクヘッジだ、

    講演会の内容、
    雑誌への寄稿、
    姜尚中や堤未果さんとの対談、
    など様々な媒体を通じて発信してきたものをまとめた内容となっていて、
    読んでいて飽きない。

    内田さんが政治家になることも総理になることもないと思うけど、
    こんな人に1票入れたい!

    頭の悪い私が
    何となくこうだろうなー、
    こうだったら良いのになあー、
    とぼんやり考えていることを
    ピシッと
    データも押さえつつ
    指摘してくれる。
    言い切ってくれる。

    いやいや、そうは言ってもさー、
    と思うところが全くなかった。

    内田樹さんは尊敬してやまない方の1人だ。

  • https://www.silkroadin.com/2020/05/blog-post_28.html

    「朝三暮四」飼っているサルに今まで朝夕4つずつ与えていた実を朝3つ、夕4つにすることを伝えるとサルは少ないと怒り、

    それでは朝4つ、夕3つではどうかと問うとサルは大喜びしたと言います。

    目先の考えだけで、未来に起こる利益の損失やリスクを感じることが出来ない人たちが増え、世界がサル化しているという主張が本書のタイトルでもある「サル化する世界」です。

    今が良ければ、自分さえ良ければのような近視眼的で自己中心主義により失われた秩序と倫理。

    処罰されない状況でどのように振舞うか、人間の本性が可視化される局面という言葉に力強さを感じました。

    また、自分の取り分を増やすことをやめて総和を増やすことなど、

    私利の追求を抑制し、私有財産の一部を差し出すことで、はじめてそこに「みんなで使えるもの」が生まれる。私人たちが持ち寄った「持ち出しの総和」から「公共が立ち上がる」(引用、サル化する世界/内田 樹/文藝春秋)

    本書はサル化する世界の様々な問題にどう向き合うかわたしたちに問いかけ、解決方法を示します 。

    サル化する世界/内田 樹/文藝春秋

    是非ご覧ください。

  • この著者の評論は好きだ。まともな感性に、ピンと一本筋の通った姿勢が見事だ。どこを切り取っても知性が感じられる、誠に得難い教育者のひとりである。題名には「サル」という惹句を用いて読者の気を引くが、現今の世界のリーダー逹やその仲間を仔細に眺めれば、まさにグローバルなサル化の進展を意識せざるを得ない。特に米国・日本・英国・フランスなどはその傾向が強く、著者はまだ絶望にまでには至っていない模様だが、評者は既に絶望の域に達している。この本の半ばにはシンギュラリティに至る道筋に触れてもいるが、著者の視点はやはり楽観が勝っているやに思われる。いずれにしろ、各年代の必読書と言える。

  • 【目次】(「BOOK」データベースより)
    1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題

  • ここでいうサルは、「今さえ良ければいい」という朝三暮四のサルのこと

    死刑や敗戦について、なんとなくみんなが感じていることを
    的確なことばで言語化してくれる。理詰めで納得させようとするのではなく感覚的なことも大事にしながら。そこがいい。

  • 「タイトル」がすごく気に入ったもので、読んだ。
    「内容」はさらに気に入ったものだった。というより、
    この本に出会え、たくさんの「考える」刺激をもらったことに、感謝、感謝。
    いっぱい、本から引用したいが、あまりにも面白く、引きつけられてしまったので、その時間を持つゆとりもなく読了してしまった。

    一つだけ引用する。

    〈本から〉
    気まずい共存について
     オルテガ・イ・ガゼットというスペインの哲学者がおりましたが、この人がデモクラシーとは何かということについて、非常に重要な定義を下しています。それは「敵と共生する、反対者とともに統治する」ということです。これはデモクラシーについての定義のうちで、僕が一番納得のいく言葉です。どれほど多くの支持者がいようが、どれほど巨大な政治組織を基盤にしていようが、自分を支持する人だけしか代表しない人間は「私人」です。「権力を持った私人」ではあっても、「公人」ではありません。「公人」というのは自分を支持する人も、自分を支持しない人も含めて自分が所属する組織の全体の利害を代表する人間のことです。それを「公人」と呼ぶ。なぜか、そのことがいつのころからか日本では忘れ去られてしまった。

  • 自分が良ければそれでいい、という考え方は人間ではなくサルであるというまえがきから始まる本書。今の世の中、とくにこの日本という国の舵取りをしている(つもりになっている)連中の浅はかで戦略もまるでないということがよく分かる。
    教育はそもそも身銭を切ってやるものだという考察にも合点がいく。学位だけを与えるために設立された大学はどこも立ち行かなくなったという話も、ビジネスと教育は食い合わせが悪いということを示す事例だろう。また、教育に口を出す者ほど、この国の教育がどうなろうと知ったことか、という態度であるという。
    この国には豊かな自然環境や国民皆保険制度、また、国民のモラルなどという資源があり、もとより一朝一夕で無に帰すほどの浅さではないのだが、ここ数年、これを管理するやり方が杜撰過ぎたために退廃しつつある、という見方も肯ける。

  • もともと内田氏の本は好きでよく読むんだけど、ここ最近読んだ内田本の中でも、かなり面白かったと思う。タイトルが刺激的だ、と話題になっているそうだけど、タイトル以上に中身を読み進める中で、あれこれ考えさせられる。

     成熟するとは、複雑化すること

    とか

     論理は跳躍する

    とかね。

     外国語を学ぶ意味は、もっと自由になるためであり、にもかかわらず、今の英語教育はかえって檻に入れられるようになっているので、子どもたちの学習意欲を滅殺するとかさ。

     考えさせられる。

     面白かった。

     自分の仕事を考える上でもね。

     教育とは個人ではなく、集団による営みであり、それをファカルティー(教師団)というっていうのは、いろいろ考える手がかりになる。

  • 自分で考えるのが苦手な人間からすると、こういう本を出してくれると、とても有難い。

  • 「学ぶ目的が示された子どもは、最少努力でその目的を果たそうとする」全くその通りだと思う。
    市場の原理に骨の髄まで浸かっている我々は教育や医療等にも市場の原理を当てはめようとするが、その先にあるものはどんな未来なのか?一度立ち止まって考える必要がある。

  • ・.刺さるワードがたくさん出てきた
    ・過去執筆したものを集めた再編集なので、本を通してのつながりはあまり感じられなかった

    『サル化する世界』内田樹

    なんだかよくわからないまえがき
    ・自分らしく生きると言う一見すると子供たちを勇気づけるように聞こえるメッセージは、実はその本音のところでは、早く自分らしさと言う蛸壺を見つけてそこに入って二度と出てくるな、と言っているのではないでしょうか

    Ⅰ.時間と知性
    ・一意的に定義されていない語が頻用される場合には間違いなくそこにはこれまでの言葉ではうまく説明できない新しい事態が発生しているからである
    →適当な言葉が見つからない領域にこそ新しさがある
    ・ポピュリズム=今さえよければ、自分さえよければそれでいい、という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のこと
    ・「こんなことを続けているといつか大変なことになる」と分かっていながら、大変なことが起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが、こんな事をダラダラ続けることができる
    ・時間的な縮減と空間的な縮減
    ・集団の成員のうちで、自分と宗教が違う、生活習慣が違う、政治的意見が違う人々を「外国人」と称して排除することに特段の心理的抵抗を感じない人がいる。「同国人」であっても、掃除や老人や病人や障害者を「生産性がない連中」と言って切り捨てることができる人がいる。彼らは、自分がかつて幼児であったことを忘れ、いずれ老人になることに気づかず、高い確率で病を得、障害を負う可能性を想定していないし、自分が何かの弾みで故郷を失い、異邦をさすらう身になることなど想像したこともない。
    ・サルの対義語は倫理的な人
    ・民主主義=できるだけ多くの人、多様な立場を合意形成の当事者に組み込むことで集団の復元力を担保する仕組み。できるだけ多くの人が国策の形成に関与していると言う実感を持つための制度
    →国という仕組みは、攻めのためでなく守りのためにあるものなのかも?

    Ⅱ.ゆらぐ現代社会
    ・この「自分を見ているものの真正性を懐疑せよ」と言う厳しい知的緊張の要請は半世紀ほどの後に暴力的な反知性主義者の群を生み出した。
    (1)人間の行うすべての認識は階級や聖書や人種や宗教のバイアスがかかっている。
    (2)それ故「人間の近くから独立して存在する客観的実在」は存在しない。
    (3)したがって、すべての知見が煎じ詰めれば自民族中心主義的偏見であり、そうである以上すべての世界観を等価である。
    (4)本人は「客観的実在」の事など気にかけず、自分の気に入った自民族中心主義的妄想のうちに安らぐ権利がある。
    ・世の中には、答えを出して一見落着するよりも、「これは応えることの難しいと言うである」とアンダーラインを引いて、電源オンにしておくことの方が人間社会にとって益することの多いことがある。 
    ・ためらう知性
    ・正義論。品位ある社会。その制度が人々に屈辱を与えない社会。差し出し方の作法
    →UXだ
    ・得られて当然の権利に感謝を強要することはできない
    ・品位は「この社会には品位がある」と言う形で実定的に実感されるものではなく、「この社会には品位がない」と言う欠性的な仕方で実感されるものである。
    ・気まずい共存。公人と言うのは反対者を含めて組織の全体を代表するもののこと。自分を支持する人も、自分を支持しない人も含めて自分が属する組織の全体の利害を代表する人間のこと。
    ・どういう屈託なり、絶望なり、光也があって、そのような等速的な政治的意見を持つに至ったのか。
    ・理解も共感も絶した他者たちとの「気まずい共存」を受け入れ、彼らを含めて公共的な政治空間を形成していくしかない。モヤモヤすることを受け入れる。

    Ⅲ.この国のかたち考
    ・日本と言う国は、五体と同じく、私たちに与えられた生得的環境、初期条件である。私たちはそれを選び直すことができない。それを受け容れ、それを害するものを避け、益するものを求め、欠点を正し、長所を伸ばすしかない。司馬遼太郎

    Ⅳ.AI時代の教育

    Ⅴ.人口減少社会のただなかで
    ・p245一緒に読む
    ・戦後社会は「対米従属を通じての対米自立」というそれなりに明確な国家的な目標があった。そして、この国家戦略は市民ひとりひとりが成熟した個人になることによってではなく、同質性の高いマスを形成することで達成されるとみんな信じていた。
    ・経済活動というのは、恒常的な交換のサイクルを創り出し、それを維持することを通じて、人間の成熟を支援するための仕組み。
    ・人間は、はじめと終わりが1番生き物として弱い時期なわけです。赤ちゃんの時と、老人になった時。その時についての備えをするのが相互支援の仕組みだと思うんです。
    ・金で何とかなる問題のほとんどは共同体に属していれば何とかなるんです。
    ・生きるために本当に必要なものは、本来無償で手に入る仕組みでなければならないはずなんです。
    ・Anywheres(どこでも生きていける人)とSomewheres(どこかに定住して生きていきたい人)。本来、国民経済というのはSomewheres「日本から出るに出られない人」を基準にして制度設計されるべきもの。一方、グローバル資本主義は、国民経済という概念がそもそも無い。国の税金はもっぱらAnywheresのグローバルなビジネスを支援することに投ずべきであって、Somewheresが経済的に苦しんでいても、十分な市民的権利を享受できなくても、それはグローバル人材として自己形成する努力を怠ったことの帰結であり、自己責任だと言い放っている。
    ・生物が「これはやりたくない」と直感することと言うのは、大抵「その個体の生命力を減殺させるもの」なのです。自分の生きる力を高めるものだけを選択し、自分の生きる力を損なうものを回避する。
    →「生きる力を高めたい」という近年のテーマに通ずる

  • いろいろな話題に関する著者の解説。
    自分自身が、周りに起きている現象について、あまり考えれてないことを気づかされる。

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著者プロフィール

1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主催、合気道凱風館師範(合気道七段)。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門は20世紀フランス文学・哲学、武道論、教育論。 主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『日本型コミューン主義の擁護と顕彰──権藤成卿の人と思想』、『沈む祖国を救うには』、『知性について』など。

「2025年 『新版 映画の構造分析』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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