- 本 ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163911915
作品紹介・あらすじ
誰かに食べさせたい。願いがかなって杉の木に転生した亜沙は、わりばしになって若者と出会う(「木になった亜沙」)。どんぐりも、ドッジボールも、なぜだか七未には当たらない。「ナナちゃんがんばれ、あたればおわる」と、みなは応援してくれるのだが(「的になった七未」)。夜の商店街で出会った男が連れていってくれたのは、お母さんの家だった。でも、どうやら「本当のお母さん」ではないようで…(「ある夜の思い出」)。『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した気鋭の作家による、奇妙で不穏で純粋な三つの愛の物語。
感想・レビュー・書評
-
あなたは『木』になったことがありますか?
…と訳の分からない質問から始めてしまい大変失礼しました。正気で言っているなら、さてさても長文レビューの書き過ぎで、ついに気が狂ってしまったか…と思われそうですね。でも、そう思われても、さてさては正気で書いています。ただ、残念ながら私は前世の記憶を持ち合わせていませんので、前世で私が人間だったのか、それとも人間以外の”生物”だったかどうかはわかりません。また、そもそも人間以外の”生物”に心というものがあって、そんな”生物”に生まれ変われるのかどうかもわかりません。しかし、そんな風に思うのはどこまでいってもそれが”生物”である場合だけです。”無生物”に心があるとは思いませんし、自分の前世が机だったとか、次は椅子に生まれ変わるかも?と”無生物”のことを思ったりはしません。
さて、ここに、「木になった亜沙」という物語があります。『木になった』とはどういうことだろう、人が『木』になるファンタジーな世界が展開する物語だろうか?と思ったそこのあなた!ちょっと甘すぎやしませんか?この作品の作者は、「むらさきのスカートの女」、「あひる」の今村夏子さんです。そんな甘い次元では逆に失礼にあたります。今村さんですからね、もっとかっ飛んだ、振り切れた、そして逝ってしまった世界を見せてくださいます。
驚かないでくださいね。
この作品は、主人公・亜沙が、単に『木』になるだけでなく、
な、なんと、『わりばし』になってしまう!という物語!
な、なんと、『わりばし』に視点が移動するという前代未聞!驚天動地!古今未曾有な物語!です!!
ひえーーーーーっ!!!
『裏手には大家さんの管理するひまわり畑がひろがっていた』というアパートに母親と二人で暮らしていたのは主人公の亜沙。大家さんからもらったひまわりの種を『フライパンで炒って塩を振』りおやつにしてくれた母親。そして、『これほいくえんにもっていきたい』と言う亜沙に、『ひとりじめにせんようにね、みんなで分けて食べるんよ』と返した母親。翌日、『一番仲良しの るみちゃんを手招きし』た亜沙は『たべれるよ』と『ひまわりの種』を差しだします。『おいしいん?おなか痛くなるよ』と言う るみちゃんに『ならんよ、食べてごらん』と勧めるも『いらん!いらん!いらん!』と言って『亜沙の手を払』い、園庭へ出て行ってしまった るみちゃん。そして『小学校に上がる年』に祖母と同居するために引っ越した母と娘。そんな小学一年の一学期が終わるタイミングで『クラスの人気者、山崎シュン君が転校』することになり『餞別として手作りクッキー』を思い立った亜沙は『生地にレーズンとピーナッツを混ぜこ』むというアイデアも出して作り上げます。翌日、『これ食べて』と差しだすも『いらないよ』と突き返すシュン君。実は『彼はレーズンとピーナッツが嫌いで、クッキーは大大大嫌い』という結果論。やむなく祖母にプレゼントするも『硬いものが苦手な上、糖尿を患って』いることから食べてはくれません。今度は母親に勧めるも『これから病院で検査があるから食べれない』と出かけた母親はそのまま入院してしまいました。小学二年生となり『念願の飼育係になった』亜沙は『教室の金魚に毎日エサをや』ります。『金魚さん、ごはんですよ』とあげるも底面から動かない金魚たち。一方で『もうひとりの飼育員、平井さんがエサをやると、競うようにして』食べるという状況。そのことを『学級会で取り上げられ』、『亜沙がエサをやり続けると、いずれ金魚が餓死してしまう』ということになり『観察日記の記入と水面のゴミすくい』のみの担当にされてしまいます。そんな中『世間を騒がす食中毒事件が』『どこかの町の結婚式場』で発生しました。『事件から十日ほどたち』給食当番に当たった亜沙は『インゲン豆のサラダを盛りつける係を担当し』ます。『食中毒の原因は、披露宴のメイン料理に添えられたインゲン豆』とされていたこともあり『亜沙が「はい」といって差しだした皿を受け取るクラスメイトはいなかった』という状況。『まるでいじめのワンシーンのよう』なその光景。やがて学年が上がり『似たような場面が』亜沙の前に幾度も繰り返されます。しかし『入院中の母に心配はかけたくなかった』亜沙は、『学校でのことはもちろん、家で起きていることも母には話』さずじまい。そんな家では『祖母に、おかしな症状があらわれ始め』ていました。『トイレの前でもらしたり、鳴ってもいない電話にでて…』というその症状。そしてついには『亜沙の用意した食事を毒入りだといって床に叩きつけ』るのでした。そのことに深く傷つく亜沙。自分が関わった食べ物は『誰も食べてくれない』と、深く思い悩む亜沙。そんな亜沙に起こるまさかの行天人生が描かれていきます…という表題作〈木になった亜沙〉。前半の沈鬱な雰囲気が後半に一変、あまりのかっ飛びぶりに絶句してしまった傑作でした。
三つの短編から構成されたこの作品。作品間に繋がりは全くありませんが、”かっ飛んでいる!”という点で、舞台も何もかも違うのに何故か連作短編のような一体感を感じられるのがとても不思議です。特に〈木になった亜沙〉と〈的になった七未〉は、短編タイトルのリズム感も同じで物語の構成も似ており、まさに双子のような作品と言っても良いかも知れません。そんな不思議なタイトルがつけられたこれら二つの短編。”○”になった”□”という言葉を見る時、そこには、その”○”というものになった”□”が、”○”としてどのように活躍するのかというイメージを抱くと思います。その”○”に相当するのが、これら両短編では『木』であり『的』です。そして、”□”に相当するのが何れも保育園の女児です。どう考えてもすぐにはこの”○”と”□”を結びつけることは困難です。まさか、この二人の園児が『木』になったり、『的』に変身したりするのだろうか、そんな疑問も浮かびます。しかし、そんな二つの短編は、それぞれ”□”が”○”となっていくまでのまさかの展開がある意味ドラマティックなまでに描かれていきます。
そんな両短編の主人公となる二人の女児は、それぞれに不思議な存在として描かれていきます。〈木に〉の亜沙は、『誰も食べてくれないんです』と悲痛なまでに訴える通り、彼女が差しだしたものを誰も食べてくれないという悩みを持っています。物語では、『ひまわりの種』、『手作りクッキー』を拒否されるという状況が描かれます。『ひまわりの種』は特別感があることから、まあ拒否されることもあるかな?という感じですし、『手作りクッキー』も拒否されるのにはしっかりとした理由がありました。ここまでなら読者にも違和感のないところです。しかし、亜沙がやるエサのみ無視する金魚というような描写が登場するあたりからどんどん痛々しさが極まっていきます。『わたしの手は、そんなに汚いのでしょうか』という亜沙の悲痛な叫びは読者にも重々しく伝わってきます。一方の〈的に〉の七未(なみ)は、『当たらない』という特性?を持っています。『水風船事件』、『ドッジボール事件』、そして『空き缶事件』と自らが名付けていくように『水風船』が、『ドッジボール』が、そして『空き缶』が、他の児童・生徒には当たる、当てられるのに、何故か当たらないという摩訶不思議な特性?を持つ七未。こちらは、亜沙の痛々しさとは違い、どこか摩訶不思議感が漂います。ただし、ここで挙げられるようなことは保育園児や小学校児童ならまだ分かりそうですし、当初、これは寓話か何かとさえ感じられるものでもありました。しかし、二人とも物語の中でどんどん大人になっていきます。一体そんな彼女たちはどうなっていくのか?、どんな大人になっていくのか?、そして『木』になる、『的』になるとはどういうことなのか?ここから今村さんの真骨頂とも言える物語が展開していきます。それは、まさかの”○”になった後の姿でした。
その姿とは、〈木の〉では、”あらすじ”にある通り『杉の木に転生し』た後、さらに『わりばし』となって『若者』に出会う亜沙の姿です。”あらすじ”以上の内容はネタバレになるので触れるわけにはいきませんが、そこに描かれる世界は”かっ飛び”の極地をいくものです。人間以外の生き物、例えば”猫”や”犬”視点から描かれた小説は多々あります。人間以外に視点が移動すること自体、ファンタジーな物語として、独特な雰囲気を漂わせる不思議感の中の読書となりますが、この作品は、そんな次元を超越しています。”動物”ではなく、”植物”の『木』の視点で物語が展開するという不思議感、さらには『わりばし』という、本来、命を持ちえない”無生物”の視点から描かれる物語は、まさしくホラーの世界です。さらには、一癖二癖のある『わりばし』の持ち主である『若者』の描写も相まって、衝撃的な展開の中に幕を閉じるこの作品。読後、口を開けてポカンとしてしまうとともに、しばらく『わりばし』は持ちたくない!そう強く思う強烈な印象が残った短編でした。
一方の〈的に〉では、”あらすじ”には『「ナナちゃんがんばれ、あたればおわる」と、みなは応援してくれる』と書かれています。『ドッジボール』が代表格だと思いますが、”当ててナンボ”という感覚がこの世にはあります。また、ゲームでなくても何かを当ててやろうと思う人がいた場合、”当てる”という行為には執着しますが当ててしまった後は、逆に意に介さないという状況が生まれると思います。『こうなったら、当てるまでやってやる!』という執着は、逆に言えば当たってしまえば関係ない、という考え方と表裏にあるものとも言えます。この短編はその点を上手く描いていきます。”あたればおわる”という状況。例えば『逃げない人』という言い方をした場合、あなたはどのような人のことを思い浮かべるでしょうか?『ドッジボール』をしているあなた、そんなあなたが『逃げない』と宣言した場合、普通には、ゲームを諦めず、勝ちに行く、つまり、ボールから逃げて逃げて、逃げまくって勝利を掴む、そのようなイメージを思い浮かべると思います。この作品の主人公・七未も最初はそのように思っていました。しかし、あることをきっかけにその考え方を一変させます。『体の奥底から突然むくむくと湧き上がってきた「当たりたい」という衝動』が導く考え方の反転。それは『七未は、逃げない人間になった。逃げない。絶対逃げない。どんぐりから、水風船から、ボールから、空き缶から』と、”逃げずに当たる”という考え方は、まさしく”あたればおわる”という言葉の言わんとするものでした。そんなこの短編は、今村さんらしい衝撃的な展開を経て、「的になった七未」を見る中に幕を下ろします。こちらもすごい世界観を満喫できる、圧巻の物語でした。
摩訶不思議な世界観の中に展開する三つの短編から構成されたこの作品。視点が人以外に移動する場合、私たちはそれを”ファンタジー”という言い方で理解します。恐らくそれは、普通にはあり得ないことを、あり得ることと認識するために、自分自身にその言葉でおまじないをかけているようなところがあるのだと思います。しかし、その理解できない度が高まると、それは”ファンタジー”という言葉さえ違和感を感じる域に到達します。それがこの作品です。
”かっ飛んだ”、”振り切れた”、そして”逝ってしまった”という言葉の先にある世界。それがこの作品の最大の魅力。そのあまりの”かっ飛び”ぶり、”振り切れ”ぶりに、ページをめくる手を止めることができなくなってしまったこの作品。
今村さん、この作品凄いです!こんな強烈な世界観、どのようにして思い浮かばれるんですか? -
残酷で、不思議で、奇妙な短編三作。
木になった亜沙
的になった七未
ある夜の思い出
、、、どの作品も、不思議で不思議であっけにとられてしまいました。良い読書をしました。
今村夏子さんの本を、もっと読みたいとおもいました。
装画の木原未沙紀さんの絵が、とても魅力的で、表紙をじーっと見はまってしまいました。
的になった七未 のラストシーンに、切なくも感動した。七未がぎゅっと抱きしめられたシーン、悲しいのに、ハッピーエンドのようにも思えてしまった。
-
あ、桜の森の…で検索したら、「桜の森の満開の下、白痴 他十二篇」(岩波文庫)という本がありました。主に女性を焦点に当てた短編集のようで、私は...あ、桜の森の…で検索したら、「桜の森の満開の下、白痴 他十二篇」(岩波文庫)という本がありました。主に女性を焦点に当てた短編集のようで、私は未読の本ですが、未読の短編の他、読んで良かった作品も、いくつも入っています。私、この本読んでみたいです。こちらの方が、おすすめかもしれません。
それに、電子書籍でも、読めますね (^^)2021/07/17 -
ご丁寧にありがとうございます(^^)
りまのさんのような読書家ではないので、私の本棚なんてお恥ずかしい限りです(笑)
では、桜の森の満...ご丁寧にありがとうございます(^^)
りまのさんのような読書家ではないので、私の本棚なんてお恥ずかしい限りです(笑)
では、桜の森の満開の下…を読んでみたいと思います( ̄∇ ̄)
2021/07/17 -
2021/07/17
-
-
たださんのレビューから怖いもの見たさで。ぞわぞわして苦手意識ある今村夏子さん。今回は岸本佐知子編の変愛小説風に捉えたためかそんなに苦にならなかったが、食い込んでくるような寂しさを主人公達の子ども時代の描写に感じた。読み時を選ぶ話?
-
111108さん
図書館行って参りました♪
今回、読み物が多いのと、返却期間までの休みが少ない事もあって(うちの図書館も通常二週間です)、...111108さん
図書館行って参りました♪
今回、読み物が多いのと、返却期間までの休みが少ない事もあって(うちの図書館も通常二週間です)、獲物は新刊コーナーで見つけた、絵本一冊だけにしました(^^)2023/01/09 -
2023/01/09
-
2023/01/09
-
-
表題作と、「的になった七未」、「ある夜の思い出」を収録した中短篇集。
特に、亜沙と七未の物語には共通したものを感じ、それは、今村さん特有の不穏さではなく、人生を全うしたという、ひとつの充実感であったこと。
というのも、ふたつの物語それぞれには、高々と立ち塞がる人生の壁があって、それを乗り越えるために彼女たちの・・たとえ周りから、さぞ奇特で恐ろしい行動に思われようとも、あくまで彼女たち自身の必死な人生の過程において、そこに見え隠れするのは、涙を手書きしているピエロであったり、喜劇と悲劇を両天秤に抱えたやじろべえであったりする。
それは、人生って、ちょっとしたことで、悲しいことが笑えることに変わったり、逆もまた然りであることを実感することで、生きることの複雑さを思い知り、その辛さや楽しさがごちゃ混ぜになった、泣き笑いのような亜沙や七未の人生観を、読者は目に深く焼きつけることになる。
それに対して、決して、可哀相だとか思ってはいけない。おそらく彼女たちは、これでやっと報われたという、ある意味、それを知らずに人生を終えなければならなかった人たちに比べれば、充分、幸せだっただろうから。
そういったわけで、上記のニ作品に比べれば、「ある夜の思い出」が、今村さんにしては、おとなしい普通の作品に思えてくるから、不思議。
まあ、不穏さはあるから、こちらの方がいつもの今村さんなのかもしれないけど、私にはちょっと物足りなくなってきた。
床をズリズリと這う女性の話なんだけどね(笑)-
たださん
おすすめしようとすると難しいですね。若竹さんみんな”黒さ”を感じてしまいますし‥。
御子柴くんシリーズはそんなに黒くないかもです...たださん
おすすめしようとすると難しいですね。若竹さんみんな”黒さ”を感じてしまいますし‥。
御子柴くんシリーズはそんなに黒くないかもです。2022/11/15 -
111108さん
御子柴くんシリーズですね。
ネットで見てみたら、「スイーツ&ビター」とあって、確かに黒さも薄まりそう。
ありがとうござい...111108さん
御子柴くんシリーズですね。
ネットで見てみたら、「スイーツ&ビター」とあって、確かに黒さも薄まりそう。
ありがとうございます(^_^)2022/11/16 -
2022/11/16
-
-
「的になった七未」を読んでから、
ドッヂボールで当たらない時に思い出してしまうようになった。
そして 当たりたい…っと思うようになった。
七未は決してMではない。
終わらせないといけないだけ。
…何を?
読んだ後思った。
七未は最後、息子に当ててもらった。
でも私はまだ七未は終わっていないと思う。
結局七未は何がしたかったの?
死んだの?
-
ありがとうございます。
読んでいただいてくれたんですね!
そこ、気になりますよね。
七未がまた、生まれ変わったら
ドッヂボールで当たれる...ありがとうございます。
読んでいただいてくれたんですね!
そこ、気になりますよね。
七未がまた、生まれ変わったら
ドッヂボールで当たれると良いですよね。
「ななちゃん」と言っていたのは一体
誰なんでしょう。
的になった七未なのかも知れませんね。2022/02/12
-
-
今村夏子さんの作品…これまで何作か読んできたけど、この作品はかなりかな~り個性的!独特の世界観に飲み込まれ一気読みしました。
「木になった亜沙」=主人公が手にしたものは誰も受け取らずに食べてくれない、木になれば実る果実を食べてもらえる…そう考えたが、そううまくいかず、割り箸になる。
「的になった七未」=どんぐりも空き缶もドッチボールにも主人公は逃げ続け当たらない…みんな「ななちゃん頑張れ、はやくはやく」と声援を送ってくれるが…ふと、当たれば逃げ続けなくてもよいのでは?と思い直す。
「ある夜の思い出」=日常的に腹這いで生活していた主人公が、家を出て同じような生活を送る男性とめぐり会う。
参りました…!なんだろ、この不思議な感覚は…さっき読んだばかりなのに、また読みたくなるような…ある種、中毒のような読後感…読めば読むほどハマります!-
かなさん!!こんにちは(^^)
この本、凄かったですね。
「かなりかな~り個性的!!」w
わかりました!!
割り箸になるなんてねぇ。
や...かなさん!!こんにちは(^^)
この本、凄かったですね。
「かなりかな~り個性的!!」w
わかりました!!
割り箸になるなんてねぇ。
やっぱりはまりますよね…。
また読みたくなる、
また、きっと読んでしまいそう。「星の子」とかw
2023/01/14 -
チーニャさん、こんばんは!
コメントありがとうございます(^^)
ですよねぇ…
この作品、まさかまさかの割り箸になるなんて!!
...チーニャさん、こんばんは!
コメントありがとうございます(^^)
ですよねぇ…
この作品、まさかまさかの割り箸になるなんて!!
もう、すごすぎでしょう!!
「星の子」はこの作品よりは大人しい感じかな…
でも、また読みたくなる作品ではありますねぇ(^^;)2023/01/14
-
-
何かをされる辛さではなく、何かを誰からも決してされない辛さ。みなと同じようにしてほしいのにどうして自分だけ。
転生をして、自分の思いを遂げた亜沙、七未は幸せなのだろうか。落ちるだけ落ちて、他に救いの道はないのか。自分の力ではどうにもならない、世の不条理さや圧力を表している気がした。亜沙と七未の物語はもの悲しく、そして、これでいいんだろうか、と問題提起されてる感じがした。
わたしの手はそんなに汚いかと嗚咽する亜沙に先生はこう答える。「逆です、きみの手は、きれいすぎる」その一言でどれだけ自信がつくか、人(人間)を好きになれるか。大切なのは認めてもらい必要とされること。
自分の中に、思ったよりも、この作家さんはこうという先入観があったのだと気づきました。不思議な世界観だろう、という。気持ちが先に構えていて、先が読めてしまう感が否めなかった。 -
今村夏子ワールド全開。リズムで笑わせにくる。
やはり意味不明な面白さがあるが個人的に今回はどストライクではなかった。
—— 思わず「お母さんですか?」と訊ねた。「あなたどちらさまですか?」「ハッピーちゃんです」「警察呼びますよ」 -
やっぱりイマムラーは異世界転生者だと確信を持った作品でしたっw
亜沙は転生して杉の木になっちゃうし、七未に関わる人はムキになって常規を逸した行動するし、腹這いで動き回ってる女に至ってはもうすっかり異世界人。奇想天外すぎて退きました。
最初の2つは、わらしべ長者の逆バージョンを彷彿させる展開で、どんどん負のスパイダルにハマってバットエンドに向かう中、木になりたいって願うとこが凄いですね。私も甲斐駒ケ岳になりたいって思ったことありますけど。
上手いなあって思うのは、そこからも先どんだけ奇想天外な世界に引きづり込もうと仕掛けてくるんだってとこで、捻れた意識が芽生えてくるんです。思いっきり雑巾絞って一滴残らず水分を吐き出したいとか、瞬きもせず天井のシミみつめてたら、目からレーザーがでて消えるんじゃないかとか爆想してました。
とりあえずこの歪な世界を終わらせたいとゆうかどこかで折り合いつけたいとか、示談交渉じゃないですけど7対3ぐらいで勘弁して欲しいとか、メルトダウンが起こる前に止めて欲しいっ感じでした。
にもかかわらずどんどん盛ってくるから、わんこそば食べてるようで、満腹丸って言いそうでした。
社会から見捨てられたような暮らしぶりをしてる人たちが登場するところも死角からのキラーパスで、当たらないのはボールだけじゃなくこの先の展開もでした。これ以上ボロボロにされたら人でいられなくなりそうでした。
終わり方の好みからすると3番目の話が良かったかな。
それにしても夏子さんかなりいっちゃいましたね。
おーい戻ってこーい。当たれば終われるよっw -
最近一番好きな作家、今村夏子さんの新作。
本屋で見かけてソッコーで購入、読了。
ううむ…今回はなかなかにムズいなぁ…
ちょっと各主人公が持ってる特殊能力がX-MEN過ぎて…(笑)
ざっくり言うと、物語自体に気持ちが深く入って行きにくかったです。
あくまでも日常を描いているというベースの中に、人間関係における気味の悪さとか、人間の悪意の怖さを織り交ぜる。
そういった書き方によって作り出す作品全体に漂う「不穏さ」が今村夏子さんの真骨頂だと思うのですが…
今回は特殊能力のせいで世界観がいささかぶっ飛んでいるもんで、そもそもイマイチ現実世界と感じることができず…
そこが気持ちが入っていけない要因になっているのかなと思いました。
あと、その特殊能力自体の気味悪さでちょっと不穏さが違うベクトルに向いてしまっているというか…そんな部分もあるのかなと。
個人的には、今までの「あひる」とか「星の子」の方が好きでした。
ただ、良くも悪くもやはり唯一無二の作品を描く作家さんだとは改めて思いました。
ので、引き続き追いかけて行きたいと思います( ̄∇ ̄)
以下、各作品について。
●木になった亜沙
タイトルにもなっている作品。
なぜか「自分の手からは誰も食べ物を食べてくれない」という特性を持った主人公の話。
いわゆるゴミ屋敷的なお話。
たしかに、立場によっては事実に対する受け取り方が違うってこともあるのかなと。
まあ、結局周りの住人にまで迷惑かけてたらそれはやり過ぎだろうという気はしますが…
ただの変人に見えても、本人的には筋が通った行動ってのもあるのかもしれない。
●的になった七未
なぜか「飛んでくる物が自分だけには当たらない」という特性を持った主人公の話。
報われない具合が残酷だなぁ…ひたすらに…
でも、人生の選択を間違うってそのくらいの破壊力があることなのかもしれないと、一方で納得しました。
そういった意味で、とてつもなくリアリストな作家さんだなとも思いました。
子供とは一緒にいるべきだったんだよな、きっと。
●ある夜の思い出
「腹這いになって生活している」という特性を持った主人公の話。
いや、もはやそれって特性なんだろうか(笑)
コレ、一番気持ち悪い作品ですね(笑)
かつ、一番良く分からない作品…
途中まで本当はネコの話…?と思ってたけど、やっぱり人間でした(笑)
「子供うむかなあ」のくだりでなんかゾッときましたけど…
でもコレって人間が動物に対して同じことをやってるなと。
擬人化したら、その気持ち悪さが際立ったって話かと。
帯に「三つの愛の物語」ってありましたけど、まあこれも愛のお話ではあるのかな…
いや、まあ、でも、なんというか…
それにしても気持ち悪い(笑)
<印象に残った言葉>
・それにミユキちゃんにとってはただのわりばしかもしれないけど、おれにとっては特別なわりばしだってことも、ひょっとしたらあるかもしれないだろ(P31、若者)
・いりません。(P120、七男)
・ねえ。子供うむかなあ(P142、子供)
<内容(「Amazon」より)>
生まれ変わったら甘い実をつけた木になりたい
誰かに食べさせたい。
願いがかなって杉の木に転生した亜沙は、
わりばしになって若者と出会う―。
奇妙で不穏で純粋な三つの愛の物語。
読んだあと、世界の色が違ってみえる。芥川賞作家の最新短編集。
著者プロフィール
今村夏子の作品






この作品ほんと強烈ですよね…!わたしはあまりにぶっ飛んだ展開に、読みながら声を出して驚いてました。笑
わたしはこれ...
この作品ほんと強烈ですよね…!わたしはあまりにぶっ飛んだ展開に、読みながら声を出して驚いてました。笑
わたしはこれが初めて読んだ今村夏子さんだったので、いったいほかにはどんな世界観の作品を書いているんだ!と気になり、今村夏子ワールドに入り込むきっかけとなりました…笑
本当、おっしゃる通りですよね。衣都さん、レビューに書かれている”この狂気、ちょっとクセになる”という言葉に凄く同意し...
本当、おっしゃる通りですよね。衣都さん、レビューに書かれている”この狂気、ちょっとクセになる”という言葉に凄く同意します!
とにかくこの作品のかっ飛びぶりは群を抜いていると思います。ある意味ホラーとも言える世界観だと思いますが、そういう括りをすること自体、この作品の可能性を狭めてしまいそうです。今村さんならではの世界を堪能できる一冊だと思いました。