一人称単数

著者 :
  • 文藝春秋
3.78
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本棚登録 : 1603
レビュー : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163912394

作品紹介・あらすじ

「女のいない男たち」以来6年ぶりに発表される短篇小説集。収録作は以下の通り8作。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」(以上、「文學界」に随時発表)「一人称単数」(書き下ろし)。

感想・レビュー・書評

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  • 村上春樹は、私はいつも意味がわからないけれど、何かすごく面白いと思うことがあるので読んできました。
    今までに読んだ短編集では『象の消滅』、『東京奇譚集』などが特に面白かったです。

    6年ぶりのこの短編集には8作品が載っています。
    ちょっと抽象的な言い方ですが、今までに読んできた作品と比べて幻想的な作品が少なく、実直で端正に書かれているような作品が多い気がしました。

    物語の舞台が神戸だったり、チャーリー・パーカー、ビートルズ、ヤクルトスワローズ、1960年代の若者が出てくるところは村上春樹っぽいと思いました。

    以下「石のまくらに」のみネタバレしているので、ご注意ください。


    「石のまくらに」
    大学二年生の僕が、二十代半ばのアルバイト先の女性と一晩限りの関係を持ったあとに、送られてきた自作の歌集を読んで、彼女の詠んだ、死のイメージを追い求めた歌を記憶しているのが僕だけかもしれないというもの哀しい話。
    たち切るも/たち切られる/も石のまくら/うなじつければ/ほら、塵となる

    「クリーム」
    ちゃんと読んだのですが、抽象的で今ひとつ、意味がわかりませんでした。

    「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノバ」
    夢のような夢の中の話。

    「ウィズ・ザ・ビートルズ」
    1065年神戸の高校で初めてできたガールフレンドとその兄との交流。
    すごく、村上春樹っぽい話だと思いました。

    「ヤクルト・スワローズ詩集」
    これは、エッセイのようでした。

    「謝肉祭 carnaval」
    一番、熱量を感じました。

    「品川猿の告白」
    女性の名前を盗む猿の話。
    これに似た話を読んだことがあります。
    続編か、姉妹編でしょうか。

    「一人称単数」
    太宰治の『晩年』に入っている「親友交歓」を思い出しました。


    今回の短編集は、村上春樹の中では特に面白いとは思えず最高点はつけられないので、星4つで。

    • まことさん
      澤田拓也さん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』に入っていたのですね。
      すっきりしました。
      ありがとうございます。...
      澤田拓也さん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』に入っていたのですね。
      すっきりしました。
      ありがとうございます。

      澤田さんのレビューも拝見しました。
      すごい洞察力ですね。
      恐れ入ります(__)
      2020/07/25
    • fufufuyokoさん
      私も東京奇譚集が好きなので、早速久々購入検討です!
      私も東京奇譚集が好きなので、早速久々購入検討です!
      2020/07/26
    • まことさん
      fufufuyokoさん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』今、本棚を探して、内容を確認したら、「好きだ」といいつつほ...
      fufufuyokoさん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』今、本棚を探して、内容を確認したら、「好きだ」といいつつほぼ忘れていました。
      時間があったら私も再読したいです。
      2020/07/26
  • ー 作家の村上春樹さん(71)の3年ぶりとなる小説の新刊「一人称単数」(文芸春秋)が、18日発売された。東京都千代田区の三省堂書店神保町本店には、同著で作った本のタワーが登場し、通常の開店時間より早い午前7時から販売を始めた。(読売新聞)

    のだそうだ。
    村上さんの新刊は、例え短編集だろうとも、発売の際はお祭り騒ぎで、ニュースになるんですねぇ…

    それにしても、71歳!もうおじいちゃんなんだなぁ。
    そのせいか、人生の回顧録的趣きがある内容。その割には文体が相変わらずポップなので、ぼーっと読むと何が書いてあったのか掴めないかもしれない。

    (以下、何も考えず書いているので、意図せずネタバレになっているかもしれません。)

    石のまくらに 評価2

    村上さんの小説に「短歌」が登場するのは結構衝撃的なのではないか?
    19歳男子が20代半ばの女性と一晩だけの関係を結ぶ話。
    「僕」の認識では「僕」と「彼女」は行きずりのセックスはしたけど、お互いの存在を結びつけているものは何もない。結びつけているものは何もないのに、なぜ「僕」が「彼女」を題材にして小説を書くのか。
    短歌を堪能する能力が低い僕にはそこら辺がピンときませんでした。

    クリーム 評価3

    結構難解で抽象画みたいな短編だと思った。
    頭は、わからんことをわかるようにするためにある。
    考え抜くこと、特に若いうちは。

    「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」とはどんな円なんだろう。
    多次元の世界の人とか宇宙人とか、あるいはものすごく頭の良い人でない限りわからない、
    なんて諦めちゃいけないってこと。

    チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ 評価4

    タイトルだけでワクワクして、高評価になってしまう。
    凄くないすか?
    このLP聴いてみたい!

    ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles 評価5

    この短編は好きです。
    高校時代のガールフレンド、サヨコの事を思い出す話。お互い好きだったし素晴らしい時間を共有した。結局、サヨコは「ウィズ・ザ・ビートルズ」のレコード盤を大事に抱えていたわけでも、耳の奥にある特別な鈴を鳴らしてくれる訳でもなかったけど、大切な人だった。
    行きつくところがない思い。喪失感と同時に人生は豊かだとも感じるアンビバレント。

    ところで、サヨコのお兄さんの髪の毛の長さについて「床屋に行くべき期日を、少なくとも二週間は越えてしまっているように見えた」と描写している部分がある。昔、村上さんの他の作品で同じような表現を読んで以来、僕の人生にとって「床屋に行くべき期日」というのは重要事項になっている。なかなか守れなくて、借金の返済期限みたいに心に引っ掛かった状態の期間が長くて確実に僕の精神衛生を蝕む要因となっている笑

    「ヤクルト・スワローズ詩集」 評価5

    村上さんといえば、スワローズ。村上さんのエッセイを読んで神宮球場で野球を見ることが好きになった(ジャイアンツファンだけど)。
    読んでたら、野球を見に行きたくなった!
    はやくコロナ終息してくれ!

    ー 人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

    いい言葉ですね。負けゲームは黒ビールを飲みながら、チームの負け際をしっかり見届けよう、と思った。

    謝肉祭(Carnival) 評価2

    シューマンの曲。
    女性を「醜い」と連呼するのはどうか?と思った(笑)

    品川猿の告白 評価3

    猿になったことがないので、猿の気持ちはよくわからないし、今のところ、特に理解したいとも思わない。残念ながら。
    恋した女性の名前を盗むのは、面白いと思ったけど…

    一人称単数 評価3

    たとえば、自分に身に覚えのないことで、突然知らない誰かに「恥を知れ」と強く罵られた時、明確に「私じゃありませんよ」って否定できるだろうか?

    否定した場合、さらに非難され、自分の知らない自分が他人を深く傷つけていることが顕になるかもしれない…

    とても怖い話でした。

    • まことさん
      たけさん♪

      わからないと、おっしゃいつつ、こんなに感想が書けるのは、凄い!と思います!!
      たけさん♪

      わからないと、おっしゃいつつ、こんなに感想が書けるのは、凄い!と思います!!
      2020/07/23
    • たけさん
      まことさん。

      正直、この短編集は、村上春樹さんの作品の中で最も難解だと思いました。だから、意味を決めつけて、強引に感想を書く、という作業を...
      まことさん。

      正直、この短編集は、村上春樹さんの作品の中で最も難解だと思いました。だから、意味を決めつけて、強引に感想を書く、という作業をしてみた結果、だらだら長く書けました笑

      長く感想を書きたい気分だったのです。
      2020/07/23
  • タイトルの通り一人称「僕」の視点で描かれる8つの短編。
    それ自体は村上春樹の小説で珍しいことじゃない。むしろ、メジャーな作品の大部分は「僕」の視点で描かれる一人称のものではないだろうか。
    作者の考え・思いが最も直接的原始的に表現される文体。エッセイにも多用されるし、本作のように小説なのかエッセイなのかその中間を浮遊しているような作品にはもってこいの文体だと思う。

    不思議に感じつつもスッと懐に入ってきてしまう。
    相変わらずとても村上春樹的な作品でした。

  • レビューも沢山あるので、幾つかお気に入りのお話だけ紹介。
    ややネタバレ含むので、以下注意。



    「クリーム」は、とても好意を抱かれているとは思えなかった連弾相手からリサイタルの案内状を受け取る。主人公も不思議に思いながら、花束を抱えて赴いた所、会場には鍵がかかっていて、誰もいなかったというストーリー。

    もちろん、ここから、まだ続きはあるのだけど。
    この、「何かを間違えたのだろうか?」を問うお話が、私は好きなのだと思う。

    大人になると、学生時代に得たような、わかりやすい分岐点はあまり生じないことを知った。
    けれど、毎日を真っ直ぐに進んでいる中で、ふと、ぽっかりと落とし穴が開いていたとしたら。
    そして、そこにまんまと自分が嵌ってしまったとしたら。

    どうしてそれを回避出来なかったんだろう?
    自分がそれを受けなければならなかったのか?
    と、きっと分岐点を探そうとするように思うのだ。
    探したからと言って、今が変わらないとしても。

    同じく「一人称単数」では、「鏡」から同名の短編小説との重なりとして、スーツを着た自分が鏡に写る姿を見て、何か自分ではない感覚を覚える所が似ているなぁと思った。

    そしてたまたまバーで隣になった見知らぬ女性から、自分の知らない自分の悪事を暴露されそうになり、逃げかえってしまう。
    身に覚えのないことなのに、直面したくないという思いが、分岐点の存在を匂わせる。

    私は割と信じやすい方なので、誰かの背景を、もう一つの顔をあまり意識せず来たように思う。
    だから、その人の顔が凝縮された告発めいたメールなんかが届いた話を聞くと、急に自分が見ているもののあやふやさに困惑してしまう。

    そう言いながらも、私は私で自分にとって都合の良い世界を勝手に統合して成立させていることも分かっている。

    そのつぎはぎが明らかになった時、本当の世界の住人からすると、私は鏡の向こうの誰かになってしまうのかもしれない。

  • 村上春樹の久しぶりの短編集。遊び心がいつもより少し多めに含まれているような印象を受ける。タイトルの『一人称単数』が示す通り、収められた八編の短編はすべて一人称で語られる。

    村上春樹が自身が書く小説の人称のスタイルを意識的に変えてきたことはよく知られている。まず、デビュー以来しばらくは一人称のみで小説を書いている。『風の音を聞け』も『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』も大ベストセラー『ノルウェイの森』も一人称単数で書かれていた。『神の子どもたちはみな踊る』で初めて三人称で書くことが試みられ、その後『海辺のカフカ』から長編を三人称で書くようになり、一人称の限界を越えた小説世界を描くことができるようになったという。そしてまた、いまのところ最新の長編『騎士団長殺し』では「新しい一人称の可能性みたいなものを試す」としてまた一人称の語りに戻っている。そうした流れの中での短編集『一人称単数』である。

    2017年に出版された川上未映子との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中でも人称について、かなり突っ込んだ話がされている。その中で、「四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う」と年齢的な側面から、これまでの一人称への違和感を語っている。また、村上春樹の一人称の使われ方が他のいわゆる一人称小説とは少し違うという川上の指摘に対して、「それは私小説的なファクターがあるかないかという問題だと思う。僕の場合、そういうファクターはほぼまったくないから」と返している。

    それに対して、この短編集ではいくぶん私小説的なファクターがおそらくあえて意識的に出されている。作者自身の年齢と思しき人物(=話者)が、自らの若かりし二十歳のころのことに起きた過去の出来事について振り返るという構造になっているものが多い。『石のまくらに』『クリーム』『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ヤクルトスワローズ詩集』などがそうだ。特に『ヤクルトスワローズ詩集』では、話者が「村上春樹」であるということまで言っている ―― もちろん、それでもこれはエッセイではなく小説である。この辺りの構成が、私小説的村上短編小説の新しい味わいでもある。

    それでは、短編集に収められた個々の短編について見ていくこととする。

    ①『石のまくらに』
    「僕」がその当時やっていたアルバイトの仕事を辞めていく女性の送別会の帰り、自宅の小金井まで帰るのが遠いからと言って「僕」のアパートがあった中央線の阿佐ヶ谷で一緒に降り、一夜と共にする。そして、その後は二度と会うこともなく、顔もよく思い出せない(月光に照らされた彼女の肉体と鼻の横に並ぶ二つのほくろだけは覚えている)。彼女は短歌を詠んで「歌集」を一冊自費出版しているのだが、その夜に後で送ると言っていたその「歌集」が送られてくる。その「歌集」のタイトルが『石のまくらに』である。「石のまくら」は冒頭と最後に置かれた彼女の短歌に象徴的なものとして出てくる。

    たち切るも/たち切られるも/石のまくら
    うなじつければ/ほら、塵となる

    石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
    流される血の/音のなさ、なさ

    「十九歳の頃の僕は、自分の心の動きについてほとんどなにも知らず、当然のことながら、他人の心の動きのことだってろくにわからなかった」と「僕」は言う。それでは、今の「僕」はわかっているのだろうか。おそらく、多くの他人の心の動きに触れてはきたが、わからないことがよくわかった程度なのかもしれない。十九歳のときにどうしていればよかったのかも、今もまだわからないのではないか。そういう問いがもう意味がないということはわかるようになったのかもしれない。

    ところで、「石のまくら」というものでどういうものを思い浮かべるだろうか。川の小石を詰めた枕というものが実際の商品としてあるのだが、自分が「石のまくら」という言葉で思い浮かべたのは固く黒くひんやりとした大きめの石だ。もちろんそんなものをまくらに寝る人はいないのだが、寝るときにも深層意識に届かせるかのように、まくらのように側に置く「石」=「意志」を象徴しているのかもしれない。そして、その固さに拒まれているように感じているのだろうか。
    いずれにせよ575調の短歌において6音節の「石のまくら」は声に出すとある種のごつごつとした違和感がある。あえて「石のまくら」を取り出した意図はそれなりに読者に解釈を強いるものでもある。

    他にも印象的な短歌がいくつか仮構の歌集から小説の中で取られて紹介されている。短歌というフォーマットと短編を合わせる試みによって、若さのわからなさと歳を取ることだけによってそのわからなさが意味をなくしていくことが小説として表現されているかのようだ。

    あと、小金井は遠くないよ(小金井住人より)。

    ②『クリーム』
    ピアノ教室で一緒だったそれほど仲のよくなかった女の子から、浪人中の「ぼく」にリサイタルの招待が届く。指定された日時に行った指定された神戸の山の上の会場は鍵がかかっていた。いつまで待っても誰も来る様子がない。要するに少なくとも結果としては騙されたわけだが、なぜそうなったのかよくわからない。手持無沙汰になり、時間つぶしに寄った近くの公園での老人の会話が小説の肝にもなる。会話の中で出てくる『クレム・ド・ラ・クレム』、フランス語のクリームの中のクリームで人生の最良のものを指す。

    そこに意図や原理があるのかもしれないが、それを知ることに意義があるのかもわからない、そういった理不尽な出来事というものがある。老人は「中心が無数にあり外周のない円」について考えるように若い「僕」に言う。それこそがクリームであり、それ以外に大事なことはないと。論理的にはありえないけれども、何かしらその論理を超えたところにあるかもしれない何か ―― その重要なものを探し続けることが人生にとって重要だと。それが何だったのかは当然書かれないし、それは見つかることを期待されているものではないのだ。開かれないリサイタルのように。そして、そのおかげで会うことになった老人との会話のように。

    また、何か引っ掛かりがあるのは、この老人があえて「クレム(creme)」というフランス語を使ったことと、この短編のタイトルが「クリーム」となっているところである。小説を読む上で、そういった引っ掛かりは重要なキーであるのかもしれない。例えば、そこにフランス語の「クリム(crime)」=罪を読み取ることは深読みすぎだろうか。長き人生において何かしら知らず他人に対して犯していた罪(crimeよりもsinの方が合うような気もするが)、はこの短編集を貫く主題のひとつであるようにも思うのだ。

    「要するにぼくは、好奇心というものの正しい扱い方を、あちこちに頭をぶっつけながら学習する途上にあったということになるだろう」―― そのころは何しろ時間は十分にありそうに思えたし、きっと自分がわからないけれども世の中ではよく知られていることが山ほどあると思っていた。そして、歳を取った後に、そのころの自分をそういう風に振り返るのだ。

    ちなみに二つ目のこの短編だけが「ぼく」という平仮名が使われているが、他の短編では漢字の「僕」が使われている。理由は、考えてみたけれども、どうしてもわからない。

    ③『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』
    「僕」が大学の学生のときに、チャーリー・パーカーの架空のアルバム(何と言ってもバードはすでに亡くなっているし、ボサノヴァを吹くなんて想像できない)についてのアルバム評を同人誌に寄稿する。それは結構面白く書けていて、パロディとしては上質なものの部類に入る。その後に出てくる、ニューヨークの古レコード屋で『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』というレコード盤を見つける話や夢の中でバードが『コルコヴァド』を吹いてくたりといったエピソードが村上春樹らしい。
    言葉のもつ不思議な力をと、事実の不確実さを表現しているのだろうか。

    架空の作品については、自身が『風の歌を聴け』で架空の作家デレク・ハートフィールドを登場させた前科もあり、後で出てくる『ヤクルトスワローズ詩集』の件にもつながる。面白い小品。

    ④『ウィズ・ザ・ビートルズ』
    ビートルズのアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸に抱えて高校の廊下を走る少女。1964年に彼女とすれ違った高校生の「僕」は彼女に恋をしているのだけれど、その姿を二度と見ることがない。心に沁みつくような若い時代の不思議な記憶というものがある。その心象イメージは、何か特別なものであるわけではないが、心の奥の鈴を鳴らすような何かだ。

    「かつての少女たちが年老いてしまったことで悲しい気持ちになるのはたぶん、僕が少年の頃に抱いていた夢のようなものが、既に効力を失ってしまったことをあらためて認めなくてはならないからだろう。夢が死ぬというのは、ある意味では実際の生命が死を迎えるよりも、もっと悲しいことなのかもしれない。ときとしてそれは、ずいぶん公正ではないことのようにさえ感じられる」ー― この短編集に通底するモティーフが繰り返される。可能性の不可避な喪失とあったかもしれない過去に対する公正さ。

    初めて付き合ったガールフレンドの家に待ち合わせの時間に「僕」が行くと彼女の家は、彼女の兄を除き誰もいない。しばらく家で待つ間、その兄が記憶をなくす疾患を抱えているという印象的な話をし、そして、「僕」は芥川龍之介の『歯車』を朗読する。『歯車』は、芥川が自殺をする直前に書いた小説だ。女の子に言われた時間に行っても不在で、代わりに想定をしていない誰かと印象的な話をするというのは『クリーム』と同じ構図だ。その後、六甲山の上でそのガールフレンドには別れを告げることになり、それから二度と会うことはない。

    それから十八年後に兄と再会し、ガールフレンドが三年前に自殺したことを告げられる。その理由は誰にもわからない。
    記憶と公正さと、その残酷さ。他人のわからなさ、についての小説。とても、村上春樹らしいと感じた短編。

    ⑤『ヤクルトスワローズ詩集』
    1982年『羊をめぐる冒険』を出す三年前に500部を自費出版した『ヤクルト・スワローズ詩集』。500部ほど印刷したが、ほとんど売れなかったが、すべてに「村上春樹」のサインをしており、今では貴重なコレクターズ・アイテムになっているという。どうやら作り話らしいが、神宮球場で小説家になるという啓示を受けたというエピソードはとても有名なので、一応話が通っていて、くすり、とする感覚を生む。

    『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』での架空のレコードの話があることとも絡んで、面白くチャーミングな小説。

    なお、ヤクルトスワローズのサイトに「「ヤクルト・スワローズ詩集」より」というエッセイが掲載されている。そこには、この小説の一部とほぼ重なる内容が、小説内にも登場した「右翼手」という詩とともに記載されている。
    https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/fanclub/honorary_member/murakami
    また、糸井重里とのショートショート集『夢で会いましょう』でも「オイル・サーディン」「スクイズ」「スター・ウォーズ」「チャーリー・マニエル」「ビール」の五編が「ヤクルト・スワローズ詩集」から抜粋されたという体裁をとっている。ヤクルト・スワローズの存在と出会いは村上春樹にとって、とても大切な何かなのだ。

    ⑥『謝肉祭 (Carnival)』
    シューマンのカーニヴァルが好きだということで意気投合した「醜い」女性の話。醜いが人間として魅力的でないわけではない。「その方が彼女の本質により近く迫る」という理由であえて「醜い」という表現を使うという。村上春樹の小説としてはどこかテイストが変わった小説だと感じた。本当にモデルになるような女性がいたのだろうか。

    ⑦『品川猿の告白』
    『東京奇譚集』に収められた短編に、同じく人の言葉をしゃべり、名前を盗む『品川猿』という作品がある。こちらの方も再読してみた。
    あの猿にはこういう過去と、その後の人生(猿生?)があったのかと思って読むと楽しい。『東京奇譚集』の『品川猿』を知っている読者とそうでない読者では明らかに味わいが違う小説だが、そこは読者に委ねられている。ここでの、ああ分かっているよという感覚は、読者としてとても心地よい。

    ちなみに『東京奇譚集』の『品川猿』は三人称の小説である。学生時代を思い出すという話でもあり、自殺が出てくる話でもある。語り手のみずきに対して「みずきさんはこれまで、嫉妬の感情というものを経験したことがありますか?」とその後に自殺をする松中優子が問いかける印象的なシーンがある。村上春樹のその後の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や『女のいない男たち』で嫉妬がテーマに挙げられることから考えても比較的重要な短編である。

    ⑧『一人称単数』
    短編集のタイトルにもなっている短編で、この短編だけが短編集のために書き下ろされた作品である。また、この短編だけ「私」という人称が使われている。このことが他の短編と違う位置づけの短編であることを示していると言っていいだろう。
    前述の『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で、「僕の感覚からいくと、「私」というのは、どちらかといえば観察する人なんです。「僕」という人間は、たとえば『羊をめぐる冒険』のときが典型的なんだけど、いろんな周囲の強い力に導かれたり、振り回されたりすることになる」と「僕」と「私」の違いを自ら説明している。その後に書かれた『騎士団長殺し』では「私」が使われている。
    (なお、過去作品でも『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』では、「世界の終わり」では「僕」、「ハードボイルドワンダーランド」では「私」が使われている)

    「私」はたまたまバーで会った見知らぬ女性に、自分の記憶にないことで詰められ、彼女の共通の知り合いに不愉快な思いをさせたということで「恥を知りなさい」と言われる。バーを出た「私」の前には、入ってきたときの街とは違う街が広がる。バーで女性に声を掛けられる前に、「私」は「そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?」と自問している。「他でもないこの私」という単独性について、柄谷行人が固有名とともに『探求II』で思考したが、名前について象徴的に語る『品川猿』についての話をこの短編に加えた理由が何となくわかるような気がした。

    確かに人生には無数の選択がある。特に若いころには、そうでなかった可能性がたくさんあるように思えるのだ。また、思いもかけない形で、「恥を知れ」と言われても仕方ない形で誰かの人生に影響を与えてしまっているのかもしれない。『石のまくらに』の「僕」は歌集を送った女の子にひどいことをしてしまったのかもしれない。『クリーム』の「ぼく」はピアノ教室の女の子にひどいことをしたために、嘘のリサイタルで仕返しをされたのかもしれない。『ウィズ・ザ・ビートルズ』のガールフレンドは、「僕」の仕打ちのために十何年か後に自らの命を絶たなければならなかったのかもしれない。『謝肉祭』の「醜い」女性に「僕」の名前が利用されて名前も知らない誰かを深く傷つけてしまったのかもしれない。いまここの私の単独性は狭さのゆえであり、またいくばくかの残酷性を必然的に含むような形でしか成り立たないものなのかもしれない。


    いくつかの仕掛けが仕組まれていて楽しい短編集。また、あらためて自分が村上春樹のファンなのだなとわかった。

    • kinya3898さん
      大変面白くかつ興味深く拝読しました。
      フォローさせていただきます。
      よろしくお願いします。
      大変面白くかつ興味深く拝読しました。
      フォローさせていただきます。
      よろしくお願いします。
      2020/08/08
    • 澤田拓也さん
      kinya3898さん、コメントありがとうございます。コメント入るととてもうれしいです!
      こちらもフォローさせていただきました。よろしくお願...
      kinya3898さん、コメントありがとうございます。コメント入るととてもうれしいです!
      こちらもフォローさせていただきました。よろしくお願いします!
      2020/08/08
  • 村上春樹の短編には3つの特徴がある。
    ◉実体験を敷衍し、創作に仕立てる
    ◉いかにも実体験風タッチなれどあくまでも創作
    ◉ファンタジー(荒唐無稽な話と見る人も)

    本作は8編の小説が収録されており、この3種に綺
    麗に分類できる。ただ、明らかに違うのは『自己』が色濃く出た作品が多い。ゆえに、この表題なんですな。

    実父の半生を仔細に綴った随想『猫を棄てる』を
    書いたことが『ガード』を下げるきっかけというか踏ん切りがついたのかな?『あゝ、ここまで語るんだ…』という印象を抱いた。とにかく今作は自身の体験をモチーフにしたように感じる作品が多く、『虚実皮膜』な手触りを玩味できる短編集だと言える。

    僕の中では、その『ガードを下げる』という変化は、『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』あたりまでは一貫して政治や社会システムに背を向けた、所謂『デタッチメント』の姿勢。1994年の
    『ねじまき鳥クロニクル』あたりから一転『コミットメント』に転向した。今回の変化は、それと同等の驚きがあった。

    【各編のさわり…】
    ◎『石のまくらに』
    かつてバイトしていた当時の同僚の女性と一夜を
    共にした僕。翌朝、彼女から「短歌を書いてるの…」と言われ、1週間後、自作の短歌集が送られ
    てくる…。

    ◎『クリーム』
    18歳の僕は同じピアノ教室に通っている女の子からピアノ発表会の招待を受ける。当日、神戸の山の手にある会場に着いたものの門は堅く閉じられ、人の気配はない。途方に暮れた僕は近くの公園へ向かう。そこで…

    ◎『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』
    『ジャズ界の巨匠 チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏した新譜が発表』というフェイクニュースを書いた主人公。出張でニューヨークを訪れた折、レコード店であるはずのない、そのLPを見つける…。

    ◎『ヤクルト・スワローズ詩集』
    70年代初めに上京した著者。神宮球場の外野芝生席に寝そべり、スワローズを題材に詩作に励む日々の中、幼き頃、筋金入りのトラキチの父に連れられて行った甲子園球場超満員のスタンドの記憶が交錯する…。

    ◎ 『品川猿の告白』
    ひなびた温泉街の木賃宿に泊まることになった僕。温泉に浸かっているところへ宿に勤める猿が入ってくる。『お背中を流しましょうか?』と申し出を受け、背中を流してもらいながら、猿の身
    上話を傾聴する…。

    ◎『謝肉祭』
    お互い既婚者同士の男女。時々コンサートや食事に行く関係。彼女のことを『これまで僕が知り合った中で、もっとも醜い女性』と共通の趣味であるクラシック音楽においては、シューマンの『謝肉祭』が好きと意見は一致しているのだが…。

    ◎『一人称単数』
    ポールスミスのスーツにゼニアのネクタイを締め、コードバンの靴を履き、自宅近くのバーへ。ギムレットを舐めながら、ミステリーを読んでいると、居合わせた妙齢の女性から話しかけられる…。

    以前『職業としての小説家』<Switchlibrary刊>で、確か『今後は自己について掘り下げ、自己を開拓していく』と語っていた…と記憶している。

    今回は短篇だけど、次の長編もその傾向が反映されるかもしれない。そうあってほしい。

    井戸に入ったり、空から大量の魚が降ってきたり、月が2つになったり、小人が登場したり、青豆というヘンテコな名前の登場人物とか、パラレルワールド構造とか…、このところ長編についていけない感ありありにつき、様々な表情のある短編の方がしっくりくるなぁと再実感した一冊であった。

  • 石に漱ぎ流れに枕す。
    夏目漱石の由来となったと言われる故事ですが、
    本書一つ目の「石のまくら」は少し漱石と猫を想起させる表現がまぎれてる気がした。
    名前はまだないと言うより、「もうない」と言う表現の方があってるような気もするが、それはちょっと言い過ぎかな。
    それに他の短編が漱石かと言うとそうでもないし、なんとなくなんとなくだった。

    猿並みのブスと人より人をしてる短編があったり構成自体も、どこか身近な異界に優しく身を委ねさせてくれる。その時の気分で気になる話が変わるのかな?

    個人的に神戸に住んでいたことがあり、高校は大阪にあったので、「クリーム」や「ヤクルトスワローズ詩集」の舞台はすごく面白い。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」「騎士団長殺し」もそうだったけど、少し境界的な、特殊な土地柄の舞台設定を偲ばせるのは村上春樹の上手いところと思っていて、僕自身が水墨画家なんて余白を扱う人間からするとマージナルやらリミナリティやらの文章に触れるとテンションが上がってしまう。

    ファッション的にもキャラクター的にも「一人称単数」のスーツをたまに着る設定もまさにと肌感覚だし、最近じゃバーで酒嗜む程度になってきたし本も開いたりもするので、もはや恥ずかしくなる。女に絡まれたことはないけど、絡まれないようにウォッカギムレットは人がいないときに頼むとしようか。

  • 数年前に買ったまま二度しか袖を通していないポール・スミスのスーツにエルメネジルド・ゼニアのネクタイを締めて、僕は不思議な違和感を抱いたまま、初めてのバーでウォッカギムレットを飲む。
    そこで起こった出来事はに、7つの物語がつながっている、多分。
    長く結びつくことのない誰かとの、人生の一瞬で、そしてある意味深い関係。
    その誰かとの、その一瞬の関係はもしかすると僕にとって、あるいは誰かにとって後ろめたさを伴う「恥」のような何かなのか。
    ありえた出来事と、ありえない出来事で、ぼくの世界はできている。

  • 読んだところで意味を理解できる訳ではなく、はたまた意味なんて求めるのが筋違いかも知れない。

    それでも何処か中毒性のある文章と作品達は、読んでいると現実と空想の狭間に意識を連れて行ってくれるような気がします。「なるほどやはりハマってしまう訳だ」といった感じの読後感でした。

    印象的なのは2作目の「クリーム」と最後の「一人称単数」

  • 楽しみにしていた6年ぶりの短編集。安心して読めた、とてもよかった。私の好きな村上春樹だ。

    不思議な円について語るお爺さん。自分が書いたでっち上げの原稿に出てきたのと全く同じレコード。偶然、渋谷で出会った昔のガールフレンドのお兄さん等々…

    私は、ウィズ・ザ・ビートルズの、僕の耳の奥にある特別な鈴を鳴らしてはくれなかった、と言う一文がとても素敵だと思った。

    表題作の一人称単数も、あの独特の雰囲気と読後感があって、とても良かった。

    村上春樹と言えば様々な長編が有名だと思うが、短編集も面白いと思う。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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