一人称単数

著者 :
  • 文藝春秋
3.35
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  • (113)
  • (30)
本棚登録 : 5458
感想 : 484
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163912394

作品紹介・あらすじ

「女のいない男たち」以来6年ぶりに発表される短篇小説集。収録作は以下の通り8作。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」(以上、「文學界」に随時発表)「一人称単数」(書き下ろし)。

感想・レビュー・書評

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  • 図書館で借りた本。今日中に、返さないといけないので、一生懸命読んだ。

    ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

    品川猿の告白
    が、印象的だった。

    PM5:05 今から返しに行きます。

  • 村上春樹は、私はいつも意味がわからないけれど、何かすごく面白いと思うことがあるので読んできました。
    今までに読んだ短編集では『象の消滅』、『東京奇譚集』などが特に面白かったです。

    6年ぶりのこの短編集には8作品が載っています。
    ちょっと抽象的な言い方ですが、今までに読んできた作品と比べて幻想的な作品が少なく、実直で端正に書かれているような作品が多い気がしました。

    物語の舞台が神戸だったり、チャーリー・パーカー、ビートルズ、ヤクルトスワローズ、1960年代の若者が出てくるところは村上春樹っぽいと思いました。

    以下「石のまくらに」のみネタバレしているので、ご注意ください。


    「石のまくらに」
    大学二年生の僕が、二十代半ばのアルバイト先の女性と一晩限りの関係を持ったあとに、送られてきた自作の歌集を読んで、彼女の詠んだ、死のイメージを追い求めた歌を記憶しているのが僕だけかもしれないというもの哀しい話。
    たち切るも/たち切られる/も石のまくら/うなじつければ/ほら、塵となる

    「クリーム」
    ちゃんと読んだのですが、抽象的で今ひとつ、意味がわかりませんでした。

    「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノバ」
    夢のような夢の中の話。

    「ウィズ・ザ・ビートルズ」
    1065年神戸の高校で初めてできたガールフレンドとその兄との交流。
    すごく、村上春樹っぽい話だと思いました。

    「ヤクルト・スワローズ詩集」
    これは、エッセイのようでした。

    「謝肉祭 carnaval」
    一番、熱量を感じました。

    「品川猿の告白」
    女性の名前を盗む猿の話。
    これに似た話を読んだことがあります。
    続編か、姉妹編でしょうか。

    「一人称単数」
    太宰治の『晩年』に入っている「親友交歓」を思い出しました。


    今回の短編集は、村上春樹の中では特に面白いとは思えず最高点はつけられないので、星4つで。

    • まことさん
      澤田拓也さん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』に入っていたのですね。
      すっきりしました。
      ありがとうございます。...
      澤田拓也さん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』に入っていたのですね。
      すっきりしました。
      ありがとうございます。

      澤田さんのレビューも拝見しました。
      すごい洞察力ですね。
      恐れ入ります(__)
      2020/07/25
    • fufufuyokoさん
      私も東京奇譚集が好きなので、早速久々購入検討です!
      私も東京奇譚集が好きなので、早速久々購入検討です!
      2020/07/26
    • まことさん
      fufufuyokoさん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』今、本棚を探して、内容を確認したら、「好きだ」といいつつほ...
      fufufuyokoさん♪

      コメントありがとうございます。
      『東京奇譚集』今、本棚を探して、内容を確認したら、「好きだ」といいつつほぼ忘れていました。
      時間があったら私も再読したいです。
      2020/07/26
  • ー 作家の村上春樹さん(71)の3年ぶりとなる小説の新刊「一人称単数」(文芸春秋)が、18日発売された。東京都千代田区の三省堂書店神保町本店には、同著で作った本のタワーが登場し、通常の開店時間より早い午前7時から販売を始めた。(読売新聞)

    のだそうだ。
    村上さんの新刊は、例え短編集だろうとも、発売の際はお祭り騒ぎで、ニュースになるんですねぇ…

    それにしても、71歳!もうおじいちゃんなんだなぁ。
    そのせいか、人生の回顧録的趣きがある内容。その割には文体が相変わらずポップなので、ぼーっと読むと何が書いてあったのか掴めないかもしれない。

    (以下、何も考えず書いているので、意図せずネタバレになっているかもしれません。)

    石のまくらに 評価2

    村上さんの小説に「短歌」が登場するのは結構衝撃的なのではないか?
    19歳男子が20代半ばの女性と一晩だけの関係を結ぶ話。
    「僕」の認識では「僕」と「彼女」は行きずりのセックスはしたけど、お互いの存在を結びつけているものは何もない。結びつけているものは何もないのに、なぜ「僕」が「彼女」を題材にして小説を書くのか。
    短歌を堪能する能力が低い僕にはそこら辺がピンときませんでした。

    クリーム 評価3

    結構難解で抽象画みたいな短編だと思った。
    頭は、わからんことをわかるようにするためにある。
    考え抜くこと、特に若いうちは。

    「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」とはどんな円なんだろう。
    多次元の世界の人とか宇宙人とか、あるいはものすごく頭の良い人でない限りわからない、
    なんて諦めちゃいけないってこと。

    チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ 評価4

    タイトルだけでワクワクして、高評価になってしまう。
    凄くないすか?
    このLP聴いてみたい!

    ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles 評価5

    この短編は好きです。
    高校時代のガールフレンド、サヨコの事を思い出す話。お互い好きだったし素晴らしい時間を共有した。結局、サヨコは「ウィズ・ザ・ビートルズ」のレコード盤を大事に抱えていたわけでも、耳の奥にある特別な鈴を鳴らしてくれる訳でもなかったけど、大切な人だった。
    行きつくところがない思い。喪失感と同時に人生は豊かだとも感じるアンビバレント。

    ところで、サヨコのお兄さんの髪の毛の長さについて「床屋に行くべき期日を、少なくとも二週間は越えてしまっているように見えた」と描写している部分がある。昔、村上さんの他の作品で同じような表現を読んで以来、僕の人生にとって「床屋に行くべき期日」というのは重要事項になっている。なかなか守れなくて、借金の返済期限みたいに心に引っ掛かった状態の期間が長くて確実に僕の精神衛生を蝕む要因となっている笑

    「ヤクルト・スワローズ詩集」 評価5

    村上さんといえば、スワローズ。村上さんのエッセイを読んで神宮球場で野球を見ることが好きになった(ジャイアンツファンだけど)。
    読んでたら、野球を見に行きたくなった!
    はやくコロナ終息してくれ!

    ー 人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

    いい言葉ですね。負けゲームは黒ビールを飲みながら、チームの負け際をしっかり見届けよう、と思った。

    謝肉祭(Carnival) 評価2

    シューマンの曲。
    女性を「醜い」と連呼するのはどうか?と思った(笑)

    品川猿の告白 評価3

    猿になったことがないので、猿の気持ちはよくわからないし、今のところ、特に理解したいとも思わない。残念ながら。
    恋した女性の名前を盗むのは、面白いと思ったけど…

    一人称単数 評価3

    たとえば、自分に身に覚えのないことで、突然知らない誰かに「恥を知れ」と強く罵られた時、明確に「私じゃありませんよ」って否定できるだろうか?

    否定した場合、さらに非難され、自分の知らない自分が他人を深く傷つけていることが顕になるかもしれない…

    とても怖い話でした。

    • まことさん
      たけさん♪

      わからないと、おっしゃいつつ、こんなに感想が書けるのは、凄い!と思います!!
      たけさん♪

      わからないと、おっしゃいつつ、こんなに感想が書けるのは、凄い!と思います!!
      2020/07/23
    • たけさん
      まことさん。

      正直、この短編集は、村上春樹さんの作品の中で最も難解だと思いました。だから、意味を決めつけて、強引に感想を書く、という作業を...
      まことさん。

      正直、この短編集は、村上春樹さんの作品の中で最も難解だと思いました。だから、意味を決めつけて、強引に感想を書く、という作業をしてみた結果、だらだら長く書けました笑

      長く感想を書きたい気分だったのです。
      2020/07/23
  • やっぱり好きだな~、村上春樹。

    この短編集8作品。どれも捨てがたい。
    なんとなくエッセーのような作品もあるけど、まあ、そこはよしとしましょう。

    もう、村上春樹の作品って、ストーリーとかはどうでもよくて(←ちょっと失礼)、村上春樹の描く、文章の美しさとか文章の面白さを愉しむのがいいんだよね。

    だからストーリーとかはどうでもいい。
    村上春樹がその脳内の情景をペンによって紙に落とす、その文章、その一つ一つのセンテンスを愉しむ、愛でるのが僕にとっての村上春樹作品の愉しみ方。

    こういう愉しみ方ができる作家さんの作品って少ないよね。
    村上春樹とは全然方向性が違うけど『知らない映画のサントラを聴く』『いいからしばらく黙ってろ!』の竹宮ゆゆこ氏の文章は文章自体を愉しむことができるかな。

    いずれにせよ、こういう作家さんの作品は素敵だ。まさに読書人にとっての至福の時間だ。
    こういう時間が永遠に続くのだったら、「永遠」もそう悪いものではないかもしれない。

  • すごく読みやすかった。短編小説とは思えなく、自伝を読み終えた気がした。
    この小説の中でも特に「謝肉祭」が好き。
    シューマン好きなので他にも素敵な曲ありそうなのに、この曲を敢えてセレクトするセンスがすごい!!
    音楽を聴いているみたいに読める小説は久しぶりだった。
    村上春樹さんに苦手意識がある人にお勧めしたい。
    私も昔に少し読んだ事がある程度で、久しぶりに読んだがいい意味で普遍的な感性の人なのかなと思った。
    たくさん本を書かれているのでまた積読が増えそう。







  • 面白かった!村上さんの作品は現実のようで、いつも違う世界に連れて行ってくれる。
    今見てる世界と、隣り合わせの世界が並行してる感じ。
    なんなんだろう?この独特の世界。

    1番好みは品川猿かな。
    石のまくらには、村上さんらしいハレンチさを感じた
    (大家さんと僕の大家さんの受け売りだけど)。

    一人称単数も、なんかモヤモヤ感がわかる。
    そんな記憶がないのに何故か反論できない感じ。

  • 村上春樹の久しぶりの短編集。遊び心がいつもより少し多めに含まれているような印象を受ける。タイトルの『一人称単数』が示す通り、収められた八編の短編はすべて一人称で語られる。

    村上春樹が、自身が書く小説の人称のスタイルを意識的に変えてきたことはよく知られている。まず、デビュー以来しばらくは一人称のみで小説を書いている。『風の音を聞け』も『羊をめぐる冒険』も『ダンス・ダンス・ダンス』も、そして大ベストセラー『ノルウェイの森』も一人称で書かれていた。『神の子どもたちはみな踊る』で初めて三人称で書くことが試みられ、その後『海辺のカフカ』から長編小説も三人称で書くようになり、一人称の限界を越えた小説世界を描くことができるようになったという。そしてまた、いまのところ最新の長編小説『騎士団長殺し』では「新しい一人称の可能性みたいなものを試す」としてまた一人称の語りに戻っている。そうした流れの中でのこの新しい短編集『一人称単数』である。

    2017年に出版された川上未映子との対談本『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中でも人称について、かなり突っ込んだ話がされている。その中で、「四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う」と年齢的な側面から、これまでの一人称への違和感が語られている。また、村上春樹の一人称の使われ方が他のいわゆる一人称小説とは少し違うという川上の指摘に対して、「それは私小説的なファクターがあるかないかという問題だと思う。僕の場合、そういうファクターはほぼまったくないから」と返している。

    そういった過去の作品に対して、この短編集では私小説的なファクターがおそらくあえて意図的に出されたものとなっている。つまり、作者自身の年齢と思しき人物(=話者)が、自らの若かりし二十歳のころのことに起きた過去の出来事について振り返るという構造になっているものが多い。『石のまくらに』『クリーム』『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ヤクルトスワローズ詩集』などがそうだ。特に『ヤクルトスワローズ詩集』では、話者が「村上春樹」であるということまで言っている ―― もちろん、それでもこれはエッセイではなく小説であり、本当の村上春樹とは違うわけだが。この辺りの構成が、私小説的村上短編小説の新しい味わいでもある。

    それでは、短編集に収められた個々の短編について見ていくこととする。※ネタばれ多数につき注意。

    ①『石のまくらに』
    「僕」がその当時やっていたアルバイトの仕事を辞めていく同僚女性の送別会の帰り、自宅の小金井まで帰るのが遠いからと言って「僕」のアパートがあった中央線の阿佐ヶ谷でその女性と一緒に降り、一夜と共にする。そして、その後は二度と会うこともなく、顔もよく思い出せない(月光に照らされた彼女の肉体と鼻の横に並ぶ二つのほくろだけは覚えているという表現がいかにも村上春樹らしい)。彼女は短歌を詠んでいて、「歌集」を一冊自費出版しているのだが、ある日、後で送ると言っていたその「歌集」が送られてくる。その「歌集」のタイトルが『石のまくらに』である。「石のまくら」は冒頭と最後に置かれた彼女の短歌に象徴的なものとして出てくる。

    たち切るも/たち切られるも/石のまくら
    うなじつければ/ほら、塵となる

    石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
    流される血の/音のなさ、なさ

    「十九歳の頃の僕は、自分の心の動きについてほとんどなにも知らず、当然のことながら、他人の心の動きのことだってろくにわからなかった」と「僕」は言う。それでは、今の「僕」はわかっているのだろうか。おそらく、多くの他人の心の動きに触れてはきたが、わからないということがよくわかった程度なのかもしれない。十九歳のときにどうしていればよかったのかも、今もまだわからないのではないか。そして、そういう問いがもう意味がないということはわかるようになったということなのかもしれない。

    ところで、「石のまくら」という言葉で、どういうものを思い浮かべるだろうか。川の小石を詰めた枕というものが実際の商品としてはあるのだが、自分が「石のまくら」という言葉で思い浮かべたのは固く黒くひんやりとした大きめの石だ。もちろんそんなものをまくらに寝る人はいないのだが、寝るときにも深層意識に届かせるかのように、まくらのように側に置く「石」=「意志」を象徴しているのかもしれない。そして、その固さに拒まれているように感じているのだろうか。
    575調の短歌において6音節の「石のまくら」は声に出すとある種のごつごつとした違和感がある。あえて「石のまくら」をタイトルにも選び出した意図は、それなりに読者に解釈を期待するものでもある。違和感のある6音節の最初の1音節を除くと「しのまくら」となるが、村上春樹にとっておなじみの「死」につながっていると解釈することすら可能なのかもしれない。そう思うと先の二編の短歌は強く死を意識させるもののように感じる。「僕」への誘いの夜と、送られてきた歌集は、彼女の救いを求める声であったのかもしれない。それは抑えられた声であった。覚えておいてほしいと求める彼女に対して、「僕」は何ひとつ応えることもできず、またそのことにも気が付いてさえいなかったのかもしれない。その後の彼女の「死」さえも。

    他にも印象的な短歌がいくつか仮構の歌集から小説の中で取られて紹介されている。短歌というフォーマットをそっと小説内に挿入する試みによって、若さのわからなさと、そして歳を取ることによってそのわからなさが意味をなくしていくことが小説として表現されているかのようだ。

    あと、武蔵小金井は遠くないよ(小金井住人より)。

    ②『クリーム』
    ピアノ教室で一緒だったそれほど仲のよくなかった女の子から、浪人中の「ぼく」にリサイタルの招待状が届く。指定された日時に行った指定された神戸の山の上の会場の扉には鍵がかかっていた。いつまで待っても誰も来る気配すらない。要するに少なくとも結果としては騙されたわけだが、なぜそうなったのか「ぼく」にはよくわからない。そして、手持ち無沙汰になり、時間つぶしに寄った近くの公園での老人との会話が小説の肝になる。会話の中で出てくる『クレム・ド・ラ・クレム』、フランス語でクリームの中のクリームという意味で、人生の最良のものを指すという。

    そこに意図や原因があるのかもしれないが、それを知ることに意義があるのかもわからない、そういった理不尽な出来事というものがある。公園の老人は、「中心が無数にあり外周のない円」について考えるように若い「ぼく」に言う。それこそがクリームであり、それ以外に大事なことはないと。論理的にはありえないけれども、何かしらその論理を超えたところにあるかもしれない何か ―― その重要なものを探し続けることが人生にとって重要だと。それが何だったのかは当然書かれないし、それは見つかることを期待されているものではないのだ。開かれないリサイタルのように。そして、そのおかげで会うことになった老人との会話のように。

    ここで何か引っ掛かりがあるとすると、この老人があえて「クレム(creme)」というフランス語を使ったことと、一方でこの短編のタイトルが「クリーム」となっているところである。小説を読む上で、そういった引っ掛かりは重要なキーであるのかもしれない。例えば、そこにフランス語の「クリム(crime)」=罪を読み取ることは深読みすぎだろうか。長き人生において何かしら知らず他人に対して犯していた罪(crimeよりもsinの方が合うような気もするが)、はこの短編集を貫く主題のひとつであるようにも思うのだ。

    「要するにぼくは、好奇心というものの正しい扱い方を、あちこちに頭をぶっつけながら学習する途上にあったということになるだろう」―― そのころは何しろ時間は十分にありそうに思えたし、きっと自分がわからないけれども世の中ではよく知られていることが山ほどあると思っていた。そして、歳を取った後に、そのころの自分をそういう風に振り返るのだ。

    ちなみに二つ目のこの短編だけが「ぼく」という平仮名が使われているが、他の短編では漢字の「僕」が使われている。理由は、考えてみたけれども、よくわからない。読みに注意することということとフランス語のつながりを見るのであれば、「ぼく」= beaucoup(たくさん)という示唆を読み取ってもよいのかもしれない。そこには、無数の可能性の中心としての「ぼく」があり、それによって仮に把捉される無数の周辺があり、それでもそこにはやはり核となるもの=「クリーム」がある、という構造なのだろうか。そう考えるのもまた自由だよね。

    ③『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』
    「僕」が大学の学生のときに、チャーリー・パーカーの架空のアルバム(何と言ってもバードはすでに亡くなっているし、ボサノヴァを吹くなんて想像できない)についてのアルバム評を同人誌に寄稿する。それは結構面白く書けていて、パロディとしては上質なものの部類に入る。その後に出てくる、ニューヨークの古レコード屋で『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』というレコード盤を見つける話や夢の中でバードが『コルコヴァド』を吹いてくたりといったエピソードが村上春樹らしい。
    言葉のもつ不思議な力と、事実の不確実さを表現しているのだろうか。

    村上春樹の「架空の作品」ということでは、『風の歌を聴け』で架空の作家デレク・ハートフィールドを登場させた前科もあり、後で出てくる『ヤクルトスワローズ詩集』の件にもつながる。面白い小品。

    ④『ウィズ・ザ・ビートルズ』
    ビートルズのアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸に抱えて高校の廊下を走る少女。1964年に彼女とすれ違った高校生の「僕」は彼女に恋をしているのだけれど、その姿を二度と見ることがない。心に沁みつくような若い時代の不思議な記憶というものがある。その心象イメージは、何か特別なものであるわけではないが、心の奥の鈴を鳴らすような何かだ。

    「かつての少女たちが年老いてしまったことで悲しい気持ちになるのはたぶん、僕が少年の頃に抱いていた夢のようなものが、既に効力を失ってしまったことをあらためて認めなくてはならないからだろう。夢が死ぬというのは、ある意味では実際の生命が死を迎えるよりも、もっと悲しいことなのかもしれない。ときとしてそれは、ずいぶん公正ではないことのようにさえ感じられる」ー― この短編集に通底するモティーフが繰り返される。それは可能性の不可避な喪失と、あったかもしれない過去に対する公正さ、だ。

    初めて付き合ったガールフレンドの家に待ち合わせの時間に「僕」が行くと、彼女の家には彼女の兄を除き誰もいない。しばらく家で待つ間、その兄が自分は記憶をなくす疾患を抱えているのだという印象的な話をする。「記憶」は村上春樹の中でずっと抱え込まれているテーマだ。そしてその後、「僕」はたまたま持っていた芥川龍之介の『歯車』を朗読する。『歯車』は、芥川が自殺をする直前に書いた小説だ。女の子に言われた時間に行っても不在で、代わりに想定をしていない誰かと印象的な話をするというのは『クリーム』と同じ構図だ。その後、六甲山の上でそのガールフレンドには別れを告げることになり、それから二度と会うことはない。

    それから十八年後に兄と再会し、その当時のガールフレンドが今から三年前に自殺したことを告げられる。その理由は誰にもわからないという。
    記憶と公正さと、その残酷さ。他人のわからなさ、についての小説。とても、村上春樹らしいと感じた短編。

    ⑤『ヤクルトスワローズ詩集』
    1982年『羊をめぐる冒険』を出す三年前に500部を自費出版した『ヤクルト・スワローズ詩集』。500部ほど印刷したが、ほとんど売れなかったが、すべてに「村上春樹」のサインをしており、今では貴重なコレクターズ・アイテムになっているという。どうやら作り話らしいが、神宮球場で小説家になるという啓示を受けたというエピソードはとても有名なので、一応話が通っていて、くすり、と笑いを誘う感覚を生む。

    『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』での架空のレコードの話があることとも絡んで、面白くチャーミングな小噺。

    なお、ヤクルトスワローズのサイトに「「ヤクルト・スワローズ詩集」より」という村上春樹のエッセイが掲載されている。そこには、この小説の一部とほぼ重なる内容が、小説内にも登場した「右翼手」という詩とともに記載されている。
    https://www.yakult-swallows.co.jp/pages/fanclub/honorary_member/murakami
    また、糸井重里とのショートショート集『夢で会いましょう』でも「オイル・サーディン」「スクイズ」「スター・ウォーズ」「チャーリー・マニエル」「ビール」の五編が「ヤクルト・スワローズ詩集」から抜粋されたという体裁をとっている。ヤクルト・スワローズの存在と出会いは村上春樹にとって、とても大切な何かなのだ。

    ⑥『謝肉祭 (Carnival)』
    シューマン作曲の『謝肉祭 (Carnival)』が好きだということで意気投合した「醜い」女性の話。醜いが、人間として魅力的でないわけではない。「その方が彼女の本質により近く迫る」という理由であえて「醜い」という表現を使うという。村上春樹の小説としてはどこかテイストが変わった小説だと感じた。モデルになるような女性が実在していたのだろうかとも訝る。

    ⑦『品川猿の告白』
    村上春樹の短編集『東京奇譚集』に収められた短編の中に、同じく人の言葉をしゃべり、名前を盗む『品川猿』という作品がある。こちらの方も再読してみた。
    あの猿にはこういう過去と、その後の人生(猿生?)があったのかと思って読むと楽しい。『東京奇譚集』の『品川猿』を知っている読者とそうでない読者では明らかに味わいが違う小説だが、そこはあえて語られず、読者に委ねられている。ここでの、ああ分かっているよという感覚は、作者と読者のある種の信頼関係が感じられて、読者としてとても心地よい。

    ちなみに『東京奇譚集』の『品川猿』は三人称で語られた小説である。学生時代を思い出すという話でもあり、自殺が出てくる話でもある。語り手のみずきに対して「みずきさんはこれまで、嫉妬の感情というものを経験したことがありますか?」とその後に自殺をする松中優子が問いかける印象的なシーンがある。村上春樹のその後の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や『女のいない男たち』で嫉妬がテーマに挙げられることから考えても重要で印象的な短編である。

    ⑧『一人称単数』
    短編集のタイトルにもなっている短編で、この短編だけが短編集のために書き下ろされた作品である。また、この短編だけ「私」という人称が使われている。このことは他の短編と違う位置づけの短編――他の短編のアンカーともなる位置にある――であることを示していると言っていいだろう。
    前述の『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で、「僕の感覚からいくと、「私」というのは、どちらかといえば観察する人なんです。「僕」という人間は、たとえば『羊をめぐる冒険』のときが典型的なんだけど、いろんな周囲の強い力に導かれたり、振り回されたりすることになる」と「僕」と「私」の違いを自ら説明している。なお、その対話の後に書かれた長編小説『騎士団長殺し』では「私」が使われている。
    (過去作品でも『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』では、「世界の終わり」では「僕」、「ハードボイルドワンダーランド」では「私」が使われている)

    「私」はたまたまバーで会った見知らぬ女性に、自分の記憶にないことで詰められ、彼女の共通の知り合いに不愉快な思いをさせたということで「恥を知りなさい」と言われる。バーを出た「私」の前には、入ってきたときの街とは違う街が広がる。バーで女性に声を掛けられる前に、「私」は「そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?」と自問している。「他でもないこの私」という単独性について、柄谷行人が固有名とともに『探求II』で思考したが、名前について象徴的に語る『品川猿』についての話をこの短編に加えた理由が何となくわかるような気がした。

    確かに人生には無数の選択がある。特に若いころには、そうでなかった可能性がたくさんあるように思えるのだ。また、思いもかけない形で、「恥を知れ」と言われても仕方ない形で誰かの人生に影響を与えてしまっていることもあるのかもしれない。可能性としての人生は、「中心が無数にあり外周のない円」だ。『石のまくらに』の「僕」は歌集を送ってくれた女の子にとり返しのつかないひどいことをしてしまったのかもしれない。『クリーム』の「ぼく」はピアノ教室の女の子にひどいことをしたために、嘘のリサイタルで仕返しをされたのかもしれない。『ウィズ・ザ・ビートルズ』の元ガールフレンドは、「僕」の仕打ちのために十何年か後に自らの命を絶たなければならなかったのかもしれない。『謝肉祭』の「醜い」女性に「僕」の名前が利用されて名前も知らない誰かを深く傷つけてしまったのかもしれない。いまここの私の単独性は狭さのゆえであり、またいくばくかの残酷性を必然的に含むような形でしか成り立たないものなのかもしれない。

    村上春樹が父との関係に触れた『猫を棄てる 父親について語るとき』の中で次のようなある種の人生観に触れている。

    「我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか」

    『一人称単数』のそれぞれの物語の底を流れるモチーフとして、振りかえられた父との関係も含めて歳を経て得られたある種の人生観があるといえるのかもしれない。

    たくさんの仕掛けが仕込まれている楽しい短編集。また、あらためて自分が村上春樹のファンなのだなとわかった。またしばらく経った後でも、もう一度いろいろな読み方ができそうだ。

    • kinya3898さん
      大変面白くかつ興味深く拝読しました。
      フォローさせていただきます。
      よろしくお願いします。
      大変面白くかつ興味深く拝読しました。
      フォローさせていただきます。
      よろしくお願いします。
      2020/08/08
    • 澤田拓也さん
      kinya3898さん、コメントありがとうございます。コメント入るととてもうれしいです!
      こちらもフォローさせていただきました。よろしくお願...
      kinya3898さん、コメントありがとうございます。コメント入るととてもうれしいです!
      こちらもフォローさせていただきました。よろしくお願いします!
      2020/08/08

  • 記憶のスタンプを押して、人はそれぞれ歩んでいくのですね。記憶はとても儚くて、そして頼りないものであって、どこかにしまいこまれていると思いきや、ふと零れ落ちてくる。雲散霧消する前に書き留めないといけない、そんな想いが伝わる短編集でした。

  • 前作の短編『女のいない男たち』しか読んだことがないためそれとの比較しかできないのですが、どのお話も読みやすく面白かったです。
    「謝肉祭」は『女のいない〜』に近いちょっとしたホラー感があります。
    特に好きなのは「クリーム」です。例によって抽象的でよく分からないんですが、あり得そうな設定とあり得ない(であろう)展開が不思議と心に残ります。
    最後の「一人称単数」に出てくるバーは、もしや「木野」に出てくるあのバー、、?
    なんてつい前作との繋がりを考えてしまいました。
    全作品を通して、"不思議な過去の記憶のコレクション"、そんな感じがしました。
    また読み返すと思います。

  • 毎度思うことではあるのだけれど、村上氏の作品には難解な、というより凝りすぎて一周回って意味が無くなってしまったような無意味な比喩が散見されるが、やはりこういうところがこの人の魅力なのだろうな、と。

    そこはかとないユーモアというか、彼独特の諧謔、人をどこか小馬鹿にしたような、からかうような、そういうシニカルなレトリック。
    例えば四阿のベンチの老人の関西弁のような。

    幾多の村上春樹チルドレンと呼ばれる方々が模倣し、しかしその殆どが救いようの無い劣化コピーと思える、そのまさに業の塊みたいなものを今回も同じように感じた。

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著者プロフィール

1949年 京都府生まれ。著述業。
『ねじまき鳥クロニクル』新潮社,1994。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社,1985。『羊をめぐる冒険』講談社,1982。『ノルウェイの森』講談社,1987。ほか海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、2016年ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞。

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