- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163913650
感想・レビュー・書評
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主人公が大変そうだった
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一時代(orを築いた者)が去るというのはどういうことかが、河鍋暁斎の娘・とよの目線で語られる。父は死んでいるけれど、これは父娘の物語です。そしてある意味、暁斎という亡霊の物語でもある。
とよも絵描きなのだけれど、絵を描く場面はあまりない。彼女自身や暁斎に連なる人間関係を通して、二世の苦悩だったり、巨星の引力の強さ、
そして、時代の中心にいたものほど、次世代には「旧時代」の代表のように扱われる苦さ、などを描いています。
とよが気持ちの良い口調の人物なので、煩悶する場面は多くても暗さはないです。
時代に揉まれたり、「画鬼の娘」だけでなく「人の母」としての自分の立場を自覚しながら、とよは時代の変遷を受け止めていく。
とよは、夫婦間の絆について、自分は理解できない側の人間だと度々分析していますが、
本作中、父性に飢えているような描写はあまりない(た、多分…)のが面白いなあと思いました。
本文の表現でいう「血より墨」で結ばれた一家というのがよく分かる。
また、脇役・清兵衛の顛末が、本作の人生観を補強しています。 -
鬼才の絵師・河鍋暁斎が死に、娘である暁翠は色んな葛藤を抱えながらも絵から離れられない。女絵師の一生を描く。
第165回直木賞受賞作。
全て絵を中心に回っているような天才肌の父親と、真面目で常識的な娘。また小さい時に養子に出され、こちらも色んなものを腹に抱えていそうな腹違いの兄・周三郎。
家族というより絵を通して繋がっていたような、愛憎が交差するような関係性が静かに描かれていた。 -
若冲もいいけど、こっち暁翠も好きになるお話し
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親子のつながりとは、血なのか、墨、絵なのか。
親の潔い歩き方。子供は親の絵から離れられず、超えることもできない。しかし、悩みながらも、筋を通した生き方は、ほれぼれする。
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楽しむのも苦しむのも業だなぁ
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幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、河鍋暁斎。自らを「画鬼」と名乗り、その娘であり女絵師として生涯を全うしたとよ(暁翠)を描く。最後の参考文献で暁斎や暁翠が実在の人物であることに驚く。本書が史実である驚愕と、史実をこれだけ機微豊かに描く才能に二重に驚き。明治維新前後の時代や感性が大きく変わるはざまで、周三郎や清兵衛の対極的な生への対峙を間近で見詰め絵師という生涯に捉われ苦悩に揺れ動きながらも画鬼の娘として強く生きるとよの姿が印象的だ。文明開化とともに人々の趣向が変遷しようとも、それでも画鬼の残した功績は、星落ちて、なお燦然と輝く。
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同じような話を読んだことがあるが。
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2冊続けて取りこぼし直木賞作品。北斎の娘を描いた朝井まかてさんの「眩」を彷彿したが、こちらはまったく知らない絵師。「人の世に暮らすとは畢竟、誰かの無理解に責め苛まれることなのか」「今北斎を気取り、自分を北斎の娘のごとく育てようとした暁斎は、いまのとよを見ればさぞ歯噛みするだろう」「人ってのは結局、喜ぶためにこの世に生まれてくるんじゃないですかね」「だって、どれだけあくせく働こうとも、どんなにのらくらと生きようとも、結局、人はあの世には何も持っていけないのですよ。ならせっかく生まれてきたこの世を楽しみ、日々を喜んで生きた方が、息を引き取る瞬間、納得できるじゃないですか。この世のすべてはきっと、自ら喜び、また周囲を喜ばせた者が勝ちなんです」江戸も大正も現代も、絵師も庶民もひとの生き辛さに変わりはない…。