本心

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (449ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163913735

作品紹介・あらすじ

『マチネの終わりに』『ある男』と、ヒットを連発する平野啓一郎の最新作。
 舞台は、「安楽死(本作では〝自由死〟)」が合法化された近未来の日本。最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子は、「安楽(自由)死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする。
 母の友人だった女性、かつて交際関係のあった老作家…。それらの人たちから語られる、まったく知らなかった母のもう一つの顔。
 さらには、母が自分に隠していた衝撃の事実を知る――。
 ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。
 読書の醍醐味を味合わせてくれる本格派小説です。

感想・レビュー・書評

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  • 自由死が合法化された近未来、自由死を希望しながらも事故で亡くなった母の“本心“を知りたくて、母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作った主人公の朔也。
    孤独だった朔也。自由死を望む母に同意してあげられなかった。自分を置いて、どうして死を選ぼうとしたのか?母の“本心“が知りたい。でも、誰もが自分自身の“本心“さえも掴むのは難しいのではないかと思います。ましてや、他人の“本心“なんて‥‥。
    母の死後、心を通わすことのできる人に出会えた朔也。また一人になることになったとしてもそれは“独り“ではない。
    朔也の孤独を救ったのがVFではなくて良かった。

    約450ページの作品、分厚く重い。そして、重厚感のある文章、テーマ。ずっしりと心に響く一冊でした。

  • 自由死を望んでいた母親が、交通事故で亡くなってしまう。
    朔也とたった1人の家族だった。
    朔也は喪失感から、母親のバーチャルフィギュア(VF)の作成を依頼する。
    母親はなぜ自由死を望んでいたのか?母親の本心が知りたかった。
    母親の本心を知るために、母親が昔懇意にしていた友人と会う。

    流石の平野先生。
    平野先生の文章の中では、かなり易しい方であることは間違いないが、思考回路が複雑でとても深い。

    人間って少なからず朔也のように、頭の中は目まぐるしくグルグルと色々な思い、想像を描いているのだろうなぁ。。。
    そういう所では共感するところも多かった。

    単に母親の本心を探るだけの本ではもちろんなく、日頃から政治経済に関心が深い平野先生なので、貧困問題、多様性、様々な問題が浮き彫りにされる。

    間違いなく私はあっち側の人ではなく、こっち側の人だなぁと(笑)

    いやしかし、日本語って本当に凄い。こんな言葉もあったのか!?という単語。
    この本だけでいくつあったんだろ。

    沢山本を読んでる方だと思っていたが、まだまだ知らない言葉がたくさんある。

    平野先生の本を読んだ後は、ほんの少しだけ賢くなれたような錯覚をする(笑)それがまた平野先生の魅力でもある。

  • 平野啓一郎本一年半ぶり。

    時代設定は2040年頃。
    テクノロジーは今の調子のまま進んでいて、貧富の格差も順調に(?)拡大し、世界における日本の相対的地位の沈没も進んだ世の中。非生産層としての高齢者や医療サービス受領者に対する社会の視線が厳しくなった感じは、今の風潮から予想できる姿とぴたりと重なって憂鬱な気分になる。
    そうした社会では、自分の意思で死ぬ日とその時そばにいて欲しいひとをコントロール出来る「自由死」が認められている。妙にリアリティを感じる。

    主人公の職業は、「リアルアバター」。依頼主に代わって、ゴーグルを付けて動き回り、依頼主はそれを体験する。需要ありそうだし、実際、2040年にはそういう職業は普通にありそうな気がして来た。

    主人公がルームメイトの三好さんに決して好意を告げない、という設定は、「マチネの終わりに」を読んだ時と同様に、とてもイライラするが、それが彼の人間としての「成熟」なのか、月並みながら「傷付くのが怖い」のか、よく分からない。

    売れっ子アバターデザイナーのイフィー(もし、あのとき跳べたなら、if I …)と三好さんのその後、が気になる。うまくいくのだろうか。。

    終盤に登場する、「最愛の人の他者性」という言葉がこの本のテーマかな。

  • 時は、2040年代のはじめ。
    「母を作ってほしいんです」という台詞から始まる本作。
    たった一人の家族だった母 を亡くした 29歳の青年、朔也 。
    リアル・アバターという仮想現実を売る仕事をしています。
    依頼者が行けない場所に行って映像を見てもらうのです。

    彼は、VF(ヴァーチャル・フィギュア)という技術を持つ会社に
    母を再生してもらうよう依頼します。
    母親は70歳前で、健康でした。
    “自由死”を望んでいた、そんな母の本心を知りたかったのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
    ここでは、「もう十分生きた」と、死と死の一瞬前を決断できる
    “自由死” が認められる世界が描かれます。
    無条件の安楽死であり 合法的な自死に他ならない、と考える朔也。
    母の本心を探りながら ”自由死“の是非について問い続けます。
                                                                                                                              
    もうひとつ問われるのが、“貧困と社会の分断” について。
    母親の主治医が、朔也の疑問に対してこう答えます。
    「長生きして自分の介護にお金を使うことと、息子にお金を遺すこと
    どっちが幸福かを考えて決断したのだと思います」
                                                                                                                                                                                                                                       朔也の身近にいる、貧困に苦しむ友人や知人たちは
    作品の中で「こっちの世界の人間」と表現されます。
    一方で、朔也は、 アバター・デザイナーとして成功した
    「あっちの世界の人間」とも親しくなります。
    貧困と富裕の間の意識のずれや分断。
    その体験が朔也の進むべき道を照らすことになるのですが…。
                                                                                                                                                                                                             
    この作品を読み進めるうちに
    深い海の底に連れて行かれたような気がしました。
    それは、平野啓一郎氏の思考の深さと
    作品全体を覆い尽くす「仮想の世界観」のせいかなと思います。
    最後に、水面に浮き出て 息のできる空気感 が仄めかされましたが。 
                                                                                                                                                    
    考えてみれば、このブクログも一種の仮想空間ですね。
    とても平和で温かく、いつまでも浸っていたいような。 

  • AIや仮想空間が当たり前のように活用されている2040年ごろの日本。

    序盤から泣いてしまった。
    自分の親が突然、「もう人生を十分に生きたから、自由死しようと思う」なんてことを言い出したらパニックになると思う。

    生と死、格差、幸福について、人の本心とはなにか。
    哲学的で深いお話でした。
    分厚い本なので、読み切れるか不安でしたが、主人公の母親子の"本心"が知りたくて最後まで読めました。

    人は常に変わる生き物。AIはパターンでしか動けない。
    昨日の自分は今日の自分とまた違う。
    光のある終わり方で良かった。

  • 著者の作品はこれで二作目。「ある男」でも感じたことだが、彼の作品というのは社会が抱える問題を小説で訴えていると強く感じる。人種差別や、ロスジェネ世代、社会的弱者(、死刑制度)...etc. 
    自由死が許される近未来で、自由死を選んだ主人公の母。そしてその「本心」を知りたいとAI化された(VF:ヴァーチャルフィギア)母を作成し、本心をさぐろうとする。最後は本心がわかる流れになるのか?それとも…。

    亡くなった後、心で生き続けるという言葉もあるがそれは正しくもあり、間違いでもある。家族といえど知らないことだらけ。その人の心の中で生きる誰かはあくまでもその人にしか見せなかった一面にしかすぎない。最愛の人の他者性。

  • 物語の舞台は、自由死(安楽死)が合法化された2040年代の日本。母子家庭で育った主人公の青年は、自由死を望みながら、事故で命を落とした母を、AIとVR(仮想現実)技術で「ヴァーチャル・フィギュア(VF)」として再生し、その「本心」を探ろうとする。母の友人だった女性、かつて交際関係のあった老作家…。それらの人たちから語られる、まったく知らなかった母のもう一つの顔。さらには、母が自分に隠していた衝撃の事実を知る――。

    平野さんの小説は「ある男」と本作しか読んでいない。「ある男」で、平野さんが、たった一つの「本当の自分」など存在せず、対人関係ごとに見せる複数の顔すべてが「本当の自分」であるという「分人主義」を唱えているのを知ったのだが、今回もその延長上にあると感じた。最後の章のタイトル「最愛の人の他者性」で妙に納得できた。
    先ず主人公の29歳・朔也の仕事は“リアル・アバター”。依頼者から頼まれてゴーグルを装着し、街の中を歩いて買い物をしたり、旅行に行ったり、雑用をこなしたりする。依頼者が遠隔操作をすることで「分身」として活動して報酬をもらう仕事だ。知り合ったイフィーは下半身が不自由で車椅子生活だが、創作するアバターが人気で裕福な暮らしをしている。そして、朔也は、亡くなった母が過去に関わった友人や知人にどんな風に接しどんな話をしていたか、母の友人・三好や恋愛関係だった作家の藤原に会い、知ろうとする。朔也は自分が精子提供で生まれたという事実を知ることとなる。
    ヘッドセットを装着すれば「ヴァーチャル・フィギュア(VF)」のお母さんと会えるし、AIで母親はどんどん進化を遂げていくが、仮想であることは間違いない。
    バーチャルとも現実とも境がつかない二つの空間で、多数の登場人物との語らいは、真実か嘘か分からなくなってしまうような錯覚に陥るが、そう遅くない時代に出現してくる世界だろうと確信できた。(私は望まないが)
    安楽死の問題は、母がベッドで寝たきりになり経管栄養食で生き存えている現在、私の頭の中を渦巻き悩ませている。楽にさせてあげたいと思う一方で、母の生きたい気持ちがあるのだから尊重してあげよう。苦しんでいるわけじゃないから大丈夫よと、自らを慰め続ける毎日だ。
    小説中に《縁起Engi》というアプリが出て来た。それを読んで少し救われた。朔也はヘッドセットを装着して三○○億年を超える宇宙時間を体現する。「死後も消滅しない」未来を体感できるシーンが描かれていた。(p340から)『僕がこの世界に誕生する以前の状態。元素レベルでは、この宇宙の一部であり、つまりは宇宙そのものになる未来。僕は宇宙物理学を信仰しているのだろうか? 終わりが始まりに戻り、その一部がまた何かの生き物になるのかもしれない。それはもはや、一種の無時間であり永遠ではあるまいか? その状態はいつまでも持続する。宇宙である限り、僕はもう消滅を恐れなくても良い』
    結末は、日本語が上手く話せない外国人のティリのためにNPOの学校を紹介して、自分も夢を実現する方向に動き出した朔也で、救われた。
    読み始めは精神的に辛かったが、最後まで読み終えて本当に良かった。明るいラストに変更してくれた平野さんに感謝を送ります。

  • 近未来の日本で認められた「自由死」。社会的背景にある経済格差や少子高齢化。なぜ母は自由死を望んだのか。最新技術で母をVR再生させた息子が、母の「本心」を探る。そこには、最愛の他者の心として理解しようとする姿があった。人間は一人では生きていけないのに、死を迎えるときは一人で抱えるものなのか?生と死について真正面から向き合った作品。

  • 「あなたがそばにいるときに看取られながら死にたい」

    自由死を望む主人公の母。それを許さない息子。

    死の一瞬前に何を感じていたいか。どこで誰といたいか。

    死ぬ間際に誰を思い出すだろうと考えたことはあったけれど、このことは考えたことがなかった。

    最愛の犬と猫はもう先に逝ってしまったから臨終の際には居てもらえないし、やはり、息子に手を握って送って欲しい、そして出来たら最期の時くらいは優しい言葉をかけてほしいと思った。その風景を想像したら何だか泣けてきた。

    一日も早い自然死を私はここ数年願っている。それくらいだから、自由死を望む気持ちはとてもよくわかる。自由死が受け入れられる世の中なら、もうどうしても生きているのは無理と感じるその日まで、安心して生きられるのではないか想像する。

    でも、それは私個人の狭い世界での安心であって、世の中全体では自由死が認められると起こってくる様々な問題があるのだろう。その一部がこの本に書かれているように。

    この問題は、世の中全体で一つの答えを出すのは無理だと思う。結局は個々がどう受けとり決意するか。議論し合うことは必要だが、今の日本が自由死を選ぶ権利が許されていないように、自分の最期を決める意思を否定する権利は誰にもないのではないかと思う。

    心に残った文…
    ○死が恐怖でなくなればなくなるほど、相対的に、僕たちの生は価値を失ってしまうだろう。この、どうせいつかはなくなる世界を良くしたいという思いも。一体、この生への懐かしさを失わないまま、喜びとともに死を受け入れる事は可能なのだろうか

    ○今、僕の人生を思って、心が掻き乱されるような人間は一人もいない。その事実は、僕のこの世界そのものに対する愛着を削ぎ続けてきた。

    ○『俺は、今でもおかしいと思ってるよ、この(格差のひどい)世の中。』僕はそれに何度でも同意する。ただその世の中を、僕は彼とは違った方法で変えたかった。それができるなら、僕はせっかく良くなった社会を、大切にしたいと思うだろう。それを壊してはいけないと心から信じられるはずだった。

  •  格差社会の生きづらさを描きつつ、ただ生きているだけだった若者に目的を与えて小説は終わる。
     正直、ネットでの動画のバズりが描かれたところで、嫌な予感がしたのだが、そんなありがちな流れにはならなかったのがよかった。著者があるインタビューで、もっと悲観的な結末を考えていたけれど、コロナ禍でダメージを受けた社会で生きようと思えるような終わり方にしないと辛いと思った、という趣旨の話をされていて、納得。
     ただそのためか、別の意味でありがちな(金持ちのサポートありき)話になってしまったけれど。持てる者の協力あっての、持たざる者の頑張りか。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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