他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163913926

作品紹介・あらすじ

他者を学ぶこと、考えること、想うこと。
すべてはきみの自由のため。
ブレイディさんの熱い直球を受けとめろ!
――福岡伸一

差異を超克するすべを人類は持ち得たのか、
読み手の知性が試される一冊。
――中野信子

他者はあまりに遠い。“共感”だけではたどり着けない。
ジャンプするために、全力で「考える」知的興奮の書! 
――東畑開人

「文學界」連載時から反響続々!
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に次ぐ「大人の続編」本。

「わたしがわたし自身を生きる」ために――
エンパシー(=意見の異なる相手を理解する知的能力)
×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。

・「敵vs友」の構図から自由に外れた“エンパシーの達人”金子文子
・「エンパシー・エコノミー」とコロナ禍が炙り出した「ケア階級」
・「鉄の女」サッチャーの“しばきボリティクス”を支えたものとは?
・「わたし」の帰属性を解放するアナーキーな「言葉の力」
・「赤ん坊からエンパシーを教わる」ユニークな教育プログラム…etc.

“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神……現代社会の様々な思い込みを解き放つ!
〈多様性の時代〉のカオスを生き抜くための本。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「シンパシー」という言葉は、近年何かと悪い意味で使われがちだ。

    エンパシーとシンパシーは似て非なるものである。
    日本語で言うところの「同情」はシンパシーであるが、最近はこの「同情」という共感能力がマイナスの意味で論じられるケースが多く見受けられる。自分が「かわいそう」「悲惨だ」と思える少数の人や近親者にしか感情を寄せず、世界に存在する多数の困窮している人々の現状を想像するに至らないからである。
    対してエンパシーは、自分の観測領域の外にいる他人の気持ちを推察する「能力」である。エンパシーは対象を取らず、特定の人物にまつわるバックボーンの良し悪しを判断しない。

    エンパシーとシンパシーの違いの分かりやすい例として、元英国首相のマーガレット・サッチャーが挙げられる。
    「彼女にはシンパシーはあったがエンパシーはなかった」と本書で語られるが、サッチャーは、鉄の女のイメージとは裏腹にとても思いやりのある人だったという。しかし、その慈悲の対象は官邸で働く近しいスタッフのみにであり、国民に対しては徹底的な冷徹さを見せ、ラディカルな緊縮政策を次々実施していった。
    「彼らはみな成功者だ。だから、彼らが問題を抱えているときは、彼女には理解することができた。病気にしろ、他の問題にしても。それらは彼女の理解の範囲内だった。彼女の性格的な弱点、そして彼女の首相としての弱点は、様々な段階で助けを必要とする人々が、おそらく人口の10%から20%は存在するということを、けっして本当には理解しなかったことだ。人口の中に含まれている多くの人々に、彼女は目を向けず、耳を閉ざした」

    エンパシーとシンパシーをこう対比してみると、「シンパシーは悪」というのは、あくまで使い手の使い方次第とも言える。実際、エンパシーにもシンパシーと似た問題が内包されており、使い方によっては他者を傷つける道具にもなることが、本書の中で詳細に説明されている。遠く離れた他者の感情や経験を推察する能力に一番長けていた人物は、近年では間違いなくドナルド・トランプであった。しかし、トランプはその能力を慈悲ではなく対立のために使い、より極端な方向に言論をエスカレートしていく。エンパシーは「友vs敵」の二極化を強める危険性も孕んでいるのだ。

    では、他者の行動を推し量る分別を身に付けつつ、エンパシーの悪用による闇落ちを回避するにはどうすればよいかというと、本書では「アナーキー」を活用することが挙げられている。ここでの「アナーキー」とは、無政府状態という意味では決してなく、「あらゆるものからの自由」という前向きな心理状態のことだ。

    「『アナーキー』は暴力や無法状態と結びつけて考えられやすい。しかし、その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセットが『アナーキー』である」

    端的に言うと、人は自分に余裕がなければ、他者を推察する能力など持ちようがないのである。日々の生活に困窮している人が、世界の真裏で起きている飢餓に心を割く余裕などない。
    とすると、経済的にも政治的にも不自由なく「個」でいられる人々が、問題の発生している人々に目を向けて、社会や組織を自由に作り替えることこそが、エンパシーを活発化させる前提条件なのではないだろうか。エリート層に在籍する「持てる者」は自らのエンパシーの醸成に励み、エンパシーを持つ余裕のない人々に対して、公的支援や経済状況の改善といった政治的アプローチを提供することが求められていると思う。


    本書だが、エンパシーという曖昧な概念を多彩な観点から論じ、その実体を解き明かそうと試みているが、全体的に漠然としている。引用がかなり多いのだが、多すぎるがあまりに結局何が言いたいのかはっきりしてこない部分もあり、少し取っ散らかってしまった印象だ。ただ、「エンパシー」と「アナーキー」という一見対立する概念を「自由」によって結び付けようとしたのは非常に面白かった。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    エンパシー…他者(特定の人間ではなく幅広い第三者)の感情や経験などを理解する能力
    シンパシー…かわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する同情、感情

    エンパシーとシンパシーは、日本語ではどちらも「共感」と訳されており、上手い訳が浸透しないままだ。この本ではエンパシーを「他者の靴を履く」と定義して議論を進めていく。

    誰かの靴を履くためには自分の靴を脱がなければならないように、人が変わるときには古い自分が溶ける必要がある。言葉には、それを溶かす力がある。既成概念を溶かして人を自由にするアナーキーな力が言葉には宿っているのだ。

    1 エンパシー・エコノミー
    エンパシーという力は、常に善を為し、人を助けるために使われるわけではなく、その能力を用いて残虐な行為や他者からの搾取を行う人間もいる。エンパシー・エコノミーというと優しい経済、人道的な経済のような響きがあるが、実際には他者の心を正確に読んでうまく人を操作し、搾取する経済にもなり得る。

    「他人への思いやりを持ちなさい」とか「弱者を助けなさい」とか言うと、平時にはロマンティストだとかヒューマニズムでは世界を救えないとかいう話になりがちだが、実は人間は利他的になったほうが自分を利する。


    2 サッチャーの能力
    景気というのは一国の国民に対して平等に降りかかるものではない。富裕層にとっては好景気でも、貧困層にとっては不景気という状況はおおいにある。他者への想像力の無さが、「景気は一律のもの」という歪んだ見方を生み、貧困層を排除する政治を行わせる。

    「彼女にはシンパシーはあったがエンパシーはなかった」
    これは元英国首相のマーガレット・サッチャーを形容する言葉である。
    鉄の女のイメージとは裏腹に、サッチャーはとても思いやりのある人だったという。官邸スタッフの誰かに不幸が起これば、まるで自らの子どもにふりかかった災難であるかのように気を揉んでいた。まさに母親のような人だったと言われている。
    一方で、SPDの創設者デヴィッド・オーウェンは、彼女が周囲の人々に優しかったのは、官邸で働いていたスタッフは、各人がそれぞれの分野で成功をおさめた人々だったからと述べている。
    「彼らはみな成功者だ。だから、彼らが問題を抱えているときは、彼女には理解することができた。病気にしろ、他の問題にしても。それらは彼女の理解の範囲内だった。彼女の性格的な弱点、そして彼女の首相としての弱点は、様々な段階で助けを必要とする人々が、おそらく人口の10%から20%は存在するということを、けっして本当には理解しなかったことだ。人口の中に含まれている多くの人々に、彼女は目を向けず、耳を閉ざした」

    サッチャーは裕福な家庭ではなかった。町の雑貨店の娘として生まれ、公立進学校からオックスフォード大学に合格したサッチャーは、典型的な庶民派議員である。にもかかわらず、彼女は貧困層を切り捨てる緊縮政策を次々に断行した。それは彼女が、「力のある人は仕事を失っても次の仕事がある。楽になりたければ努力をしろ。私のように」と考える新自由主義者だったからである。


    3 女性指導者
    女性がトップを務める国がコロナ対策に成功したケースが目立った。それを「女性指導者のほうがエンパシーを発揮できるから」と考える説がある。
    男性の政治家たちは、女性と比較すると「リーダーたるものこうあるべき」という鋳型にはまりがちで、それ故に、たとえエンパシーに長けた人であっても、それを公に見せることを躊躇するという。男性指導者の多くは、エンパシーの能力が低いのではなく、むしろジェンダー・イメージに囚われ、エンパシーを封印することによって失敗していると言える。


    4 アナーキック・エンパシー
    靴、とは自分や他者の人生であり、生活であり、環境であり、それによって生まれるユニークな個性や心情や培われてきた考え方だ。他者の靴を履くとは、その人になったつもりで想像力を働かせてみることだが、これが「できない」のは、実は生まれや育ちとは関係なく、単に「現代人はエンバシーを働かせることの精神的負荷を嫌がるから」という調査結果もある。多くの人々はエンパシー能力に欠けるのではなく、それを働かせるのには精神的努力が必要だから、他者の靴を履いてみることをできれば避けたいと思っているのだという。

    しかし、エンパシーが高い=いいことというわけではない。エンパシーは他者を傷つけるために使うこともできる。他者の靴を履いてその対象の痛みを想像できればできるほど、他者の痛みをエンジョイできるからだ。これをエンパシー的サディズムという。
    また、エンパシーはむしろ「友vs敵」の二極化を強める危険性も孕んでいる。ドナルド・トランプが大衆に支持されたのがその例だ。

    エンパシーに満ちた社会はたいそう抑圧的な場所になる可能性を秘めている。アナーキー(あらゆる支配への担否)という軸をしっかりとぶち込まなければ、エンパシーは知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれない。両者はセットでなければ、エンパシーそれだけでは闇落ちする可能性がある。

    「アナーキー」は暴力や無法状態と結びつけて考えられやすい。しかし、その本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセットが「アナーキー」である。
    そう思えば、機能しなくなった場所、楽しさも元気もない組織、衰退している国などにこそ「アナーキー」のマインドセットは求められている。そしてそのマインドセットをもって人々が集まって話し合い、「いまとは違う状況」を考案するときに必要不可欠なスキルこそ、「エンバシー」という想像力に他ならないのである。

  • ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で一番印象に残っていた言葉がこの「エンパシー」というもの。これ、私と同じような人が沢山いたらしい。

    英国公立校の7〜9年生で導入されるシチズンシップ・エデュケーション。試験問題に「エンパシーとは何か」というのがあって、息子さんの回答が
    「他人の靴を履いてみる」
    だった。

    エンパシーってまさにこれ。
    立場が違えば見えるものもまったく違う。
    戦争やテロリズムや人種差別やLGBT問題。例えればキリがない。
    結婚すれば強制的に改姓させられる制度だって、改姓させる側は改姓する側の苦しみに気づかない。立場が違うから。自分がその立場になるとは考えもしないから。

    大小なり誰もが自分の中に差別意識は持っている。
    エンパシーをもって見れば、自ずとそれに気づくはず。
    シンパシーじゃない。エンパシーだ。
    この違いもきっとこの本に書いてある。

     “エンパシー”
     “他人の靴を履いてみる”
    今の日本人にこそ必要な感覚だと思う。

  • 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で最も反響があったのがエンパシーの件だったらしい。それを受けて、著者がエンパシーを思索する旅に出る。旅というのは偶然の出会いと発見の連続なので、本作も旅のごとく脈絡のない形で色々な角度からエンパシーの考察が繰り広げられる。それが体系立っていない印象を与え、分かりにくさに繋がっている気はする。

    また「多様性社会を成り立たせる要素として人と人との関係性の中にあるエンパシー」について理解を深めることを期待して本書を手に取ったけど、どちらかというと「エンパシーの有無が社会経済にどういう影響を及ぼすか」に寄っており、期待した内容とずれていたという意味でがっかりした。

    著者の主張をシンプルにまとめると、
    アナーキック=自立すること
    エンパシー=他人の立場を考えること
    その二つのバランスを取ることが肝要だということ。どちらかだけでは足りないと。

    気になったところは以下の通り
    ・アナーキック・エンパシーの考え方がかなり西欧社会の思想を土台に置いているので、アジアに広がっている「無私の境地」といった思想と比較検討してみたいと思った。
    ・著者の立場は一貫して「貧しい人へのシンパシーを抱く=反緊縮」で、それを推し進めるエリート層が貧困層に対するエンパシーが足りていないと指摘する。それはそうなんだと思うけど、著者が圧倒的に同時代を生きる人々の貧富の格差に着目し、世代間格差を無視しているのはどうなのかと感じてしまった。(浅学な私の現時点の理解は、財政赤字は将来世代に借金の返済を押し付ける形で現代世代が豊富な行政サービスを受けている状態だと思っているんだけど、どうなのでしよう)世代間格差と今を生きる世代の中での貧富の格差を是正するための再配分をどうするか、という両者を踏まえて止揚しないといけないんじゃないかなと思った。

  • 著者の言葉を借りれば「目の前に広がっているカオスから目を背けず、前に進むための叡智」が詰まった一冊でした。
    SNSにおける承認欲求についての言及は、ステレオタイプ過ぎるきらいもあるのだが...。自身のエンパシー力の低さを実感した。

  • エッセイ以外は止めておこうと思ったばかりなんだけど、本作の謳い文句、イエローの続編、みたいな感じだったんだもの。と書くのは、やっぱり本書は、著者の近著同様、ニッチな話題の深い論考、という体だったから。特に前半、ひたすら”エンパシー”が掘り下げられていく。とか書きながら、『でもこう書くこと自体、エンパシーを欠く行為かも』って、いったん立ち止まれるようになったことは実は進歩?あまりに繰り返し述べられるから、正直ちょっとげんなりもしたけど、おかげで感情たる”シンパシー”と、能力たる”エンパシー”の違いもそれなりに理解できたし、能力なら伸ばせるよな、と考えられるようになったのも進歩かも。というかそもそも、自分の読書欲求のうちのかなりの部分を、エンパシー入手欲が占めている気もする。是非身につけて伸ばしていきたいぜ、エンパシー能力。

  • シンパシーとエンパシー。わかっているようで勘違い、捉え違いをしてしまう言葉を理解できた。エンパシーは学び、意識をして身につけることができるスキルであり、
    人には”エンパシーの闇落ち”という脆さ弱さもある。エンパシー×アナーキーではアナーキーとう言葉も改めて理解できた。
    ニーチェ他の思想・考えに触れる点も興味深く読んだが、少し引用が多いからか思ったより読み終わるのに時間がかかった。

  • 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の中でのエンパシーに関する内容は忘れてしまったが、エンパシーについて興味深く知ることができる一冊だった。

    エンパシーは人間にとって必要な能力でこれからの時代重視されると同時に、エンパシーの闇落ちについても触れている。エンパシー自体に良し悪しがあるというより、どう活かすかの問題なんだろう。

    「他者の靴を履く」ための力は教育や訓練次第で伸ばすことができる。

    本書の内容は多岐にまたがっていて、一通りの読書では理解が及ばない部分もあったが、これを知ることができただけでも収穫。

  • サブタイトルの「アナーキック・エンパシー」とは、国家権力やヒエラルキーに対する懐疑の目を持ち、社会の様々な「亡霊(人間の自由を奪うあらゆる制度や思想)」から人間を解放し、国家や企業のための利ではなく、人間を利するために行動することだと説く。新しい資本主義や公益資本主義が主唱される中、個々の人間が国や企業の利益より自身の利益を優先する行動を取ることを許容する寛容な社会は出現するのだろうか。
    エンパシーという「意見の異なる他者の感情や経験などを理解する知的能力」を習得する為には、「他者の感情はあくまでも他者に属するものであることを弁え、他者の経験を想像する時に自分の解釈を押し付けないことが必要であり、それに加えて、他者の生活を彼らが属する集団の歴史的背景などを含めたコンテクストの中で理解せねばならず、これら全てを数分で、または数秒で行わねばならないからこそ、エンパシーとは非常に高度なタスクなのだ」と米国の学者は言う。
    安易に他者の靴を履こうとする自分を戒める言葉だ。
    アナキストの金子文子、エンパシーのダークサイドに関するサイコパスによる他者の痛みを楽しむ記述や、エンパシーの能力が欠如したサッチャー元首相等の記述も興味深い。

  • 「他人の靴を履く」って? 福岡伸一×ブレイディみかこ:朝日新聞デジタル(有料会員記事)
    https://www.asahi.com/articles/ASMDN52VMMDNUPQJ00T.html

    『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913926

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      あなたは「自分の靴」を履けていますか? ブレイディみかこと考える、しなやかでやさしい「アナキズム」。 | Vogue Japan
      https...
      あなたは「自分の靴」を履けていますか? ブレイディみかこと考える、しなやかでやさしい「アナキズム」。 | Vogue Japan
      https://www.vogue.co.jp/change/article/anarchic-empathy-brady-mikako-interview
      2021/08/12
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      WEB特集 ブレイディみかこが読み解く「銃後の女性」~エンパシーの搾取 | NHKニュース
      https://www3.nhk.or.jp/n...
      WEB特集 ブレイディみかこが読み解く「銃後の女性」~エンパシーの搾取 | NHKニュース
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210814/k10013196701000.html
      2021/08/15
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      女たちのスクウォッティング【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】 - ブレイディみかこのSISTER "FOOT"...
      女たちのスクウォッティング【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】 - ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY | SPUR
      https://spur.hpplus.jp/culture/sister_foot_empathy/202205/11/NUSIcEg/
      2022/05/11
  • エンパシーとシンパシーの違いについて。
    エンパシーは「他者の感情や経験などを理解する能力」(P14)、感情ではなく能力(the ability)である。エンパシーの「他者」には制限や条件はない。シンパシーは「かわいそうな人」などの制約あり。

    内容は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』とはかなり趣が違います。再読しようと思っていたんですがちょっと私の本書を読みたい意志力が不足(;'∀')また今度。

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著者プロフィール

ブレイディ みかこ:ライター、コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じて渡英、96年からブライトン在住。著書に『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』『ジンセイハ、オンガクデアル──LIFE IS MUSIC』『オンガクハ、セイジデアル──MUSIC IS POLITICS』(ちくま文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)、『他者の靴を履く』(文藝春秋)、『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』(岩波現代文庫)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)、『リスペクト――R・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)など多数。

「2023年 『ワイルドサイドをほっつき歩け』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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