嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163914411

作品紹介・あらすじ

中日ドラゴンズで監督を務めた8年間、ペナントレースですべてAクラスに入り、日本シリーズには5度進出、2007年には日本一にも輝いた。それでもなぜ、落合博満は〝嫌われた監督〟であり続けたのか。あの言葉と沈黙、非情な采配。そこに込められた深謀遠慮に影響を受け、真のプロフェッショナルへと変貌を遂げていった男たちの証言から、稀代の名将の実像に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • ノンフィクションを読んで初めて涙が出た。

    弱小球団の中日ドラゴンズを8年間指揮して、4度リーグ優勝させた名将"落合博満"。
    圧倒的実績とは裏腹に、球団・選手・記者・ファンから嫌われた監督。
    勝利以外のあらゆるものから解脱し僧となった落合の胸熱くなる8年間の記録。

    戦力外通告という球団幹部の仕事を自らやり、選手とスタッフのクビを切る落合。
    秘密主義で記者の質問に答えない落合。
    ランナーが出ると決まってバントの指示を出し、徹底した守備野球でファンからつまらないと呼ばれる落合。

    そんな落合は8年目のリーグ優勝した年に球団からクビを切られた。
    しかし、8年間をともにした選手とファンはそれを聞いて涙した。

    2022年ノンフィクション本大賞ノミネート作。
    "プロとは何か?"を知れる、野球ファン必読の一冊。

    • アールグレイさん
      こんばんは★なべさん(^_^)/
      昔々の話になりますが、父は中日のファンでした。
      勝った日はいいのですが、負けた日にはご機嫌が悪くなり、大変...
      こんばんは★なべさん(^_^)/
      昔々の話になりますが、父は中日のファンでした。
      勝った日はいいのですが、負けた日にはご機嫌が悪くなり、大変でした。20年も前ですが、今思うと懐かしさを感じます。
      失礼致しました。
      m(._.)m
      2022/10/02
    • なべさん
      アールグレイさん、こんばんは!
      コメントありがとうございます。

      私はホークスファンですが、本書を楽しめました。中日ファンにはたまらない一冊...
      アールグレイさん、こんばんは!
      コメントありがとうございます。

      私はホークスファンですが、本書を楽しめました。中日ファンにはたまらない一冊だと思います。

      これからも、よろしくお願いします。
      2022/10/02
  • 2022年大宅壮一ノンフィクション賞受賞
    2022年講談社ノンフィクション賞受賞
    2022年新潮ドキュメント賞受賞
    2022年本屋大賞ノンフィクション本大賞候補

    僕のなかではノンフィクションの最高傑作と言っても過言ではない。ただ野球好き、落合好きだからそのような評価になるのだろうかと自問… 野球に興味がない人が読んでみてもピンと来ないかもしれない。でもブグログの点数や各種文学賞へのノミネート状況なんかを考えるに僕の主観的評価もあながち間違ってもいないのかなと。

    ロッテオリオンズ時代の落合博満は僕の中での大ヒーローだ。ヒーロー度合いはあのイチローの比ではない。あくまで僕の主観だが。

    当時僕は少年野球に打ち込んでいた。パ・リーグなのでテレビ中継はほぼなく生で見る機会はあまりなかったが、なんと言っても三冠王バッターはかっこよく夢があった。また日本人選手初の一億円プレーヤーでもあり別の意味でも夢があった。落合の年俸に関しては盛んに報道されていたのが懐かしい。また当時プロ野球ポテトチップスの選手カードを集めていたが落合を引き当てた時の感動は今も忘れない(笑)

    バットを真ん前に伸ばし投手とのタイミングを取る独特の打撃フォームやボールをギリギリまでひきつけてのスイングはまさに神業だ。それほど大振りでもないのに左右に打ち分けてスタンドまで運ぶバットコントロールはもはや芸術とさえ言える。

    そんな落合の監督時代の8年間の実像に迫った元スポーツ新聞記者の渾身のノンフィクションが本作だ。

    勝利のためにあらゆるものを犠牲にした揺るぎない信念の持ち主。プロ監督としても実際に抜群の実績を残したのも実に落合らしい。 

    本作の最終章は特に圧巻だった。
    2011年秋の監督退任(事実上の解任)発表後からの驚異の15勝3敗2分の成績での奇跡の逆転ペナント制覇の真相は読んでみてのお楽しみだ(笑)

    理解されず認められず、怖れられ、嫌われることも落合は力にしてきた。風聞に惑わされず、万人の流れによらず、毀誉褒貶をものともせず、自らの価値観だけで道を選ぶ男。それが落合博満だということを知る。

    願わくば、どこの球団でも良いので、監督落合の姿を再び見たいと思うのは私だけではあるまい。

  • 2007年日本シシリーズ第5戦での山井投手完全試合直前の継投策に象徴されるように、落合監督は勝負にこだわり過ぎて、野球をつまらなくしたと評価される。

    8年間の監督時代、全てのシーズンAクラス入り(!)し、リーグ優勝4回(!)、2007年には日本シリーズも制覇した。
    監督としての成績は文句ないどころか立派過ぎるが、何せ人気がないイメージ。

    僕もあまり好きじゃないんだよな〜、と思っていたけど、この本読んで印象が変わりました。

    契約に基づいて、選手は最大限のパフォーマンスを発揮する。監督は選手のパフォーマンスを束ね、一つでも多くの勝利を取りに行く。

    そんな単純な原理を働かすために闘い続けた男だった。
    プロに徹する男だった。

    もちろん、新庄監督みたいな魅せ方も否定はしないけどね。
    来季はエスコンフィールド行って、きつねダンス見たいなぁ

  • 2004年~2011年までの8年間、中日ドラゴンズを率いた落合監督のマネジメントの軌跡。「落合の野球はつまらない」と揶揄されつつ常勝チームを作り上げた落合監督。黙して語らず、誤解され、恐れられ、嫌われながらも冷徹にチームを率いた落合監督のプロフェッショナリズムが光る秀逸なドキュメンタリー。

    「この人は完全に、選手を駒として見ている」、「技術的に認めた者をグラウンドに送り出し、認めていない者のユニホームを脱がせる。それだけだった」、「このチームにおいて監督と選手を繋いでいるのは、勝利とそのための技術者のみだった」…。落合監督の日本的でないドライなマネジメント手法、合理的で理に叶っているはずなのになかなか理解されないのが読んでいてもどかしい。日本のスポーツ界は、やはりプロアマを問わず全体主義というか、義理と人情の浪花節なんだな。その中で孤軍奮闘した落合監督のかっこよさ、半端ないな。

  • 【感想】
    まさか、落合博満に泣かされることになるとは。

    本書を読みながらボロボロ涙していたとき、思わずそんな感想を抱いてしまった。それは落合博満の野球が、感動とは対極の場所にある渇いたものだと思っていたからだ。

    落合野球の基本方針は、ナゴヤドームという球場の広さを活かし、失点を徹底的に防いでバントで勝利を拾っていく「守備型野球」であった。
    だからこそ、落合野球は「つまらない」。野球の花と言えばホームランであり、攻撃を捨ててまで守備に特化した野球は非常に無機質なものに映る。球場を訪れる観客からしてみても、テレビの前で一喜一憂するファンからしてみても、投手戦よりも打撃戦のほうが見ていて楽しいというのが本音だろう。
    同時に、落合は勝つためには非情であった。勝利のためなら完全試合を目前にした山井を交代させるし、チームの大黒柱であった立浪を容赦なく外したりもした。感情を殺した野球マシンが采配を振るう、どこか味気ないものが「落合中日」であり、それが強さの秘密だと考えていた。

    だから、その裏にこれほどにまで感情をむき出しにして野球を続ける選手たちがいたとは、思いもよらなかったのだ。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    本書のテーマでもある「落合はなぜ嫌われるのか」について、その一因は「勝てるチームを作ってくれ」という球団社長の言葉に冷徹に答え続けるあまり、ファンサービスを無視した行動を起こすためであった。
    もちろん、勝てる球団は嬉しい。しかし、野球チームは勝利至上主義の軍隊ではない。何万人ものファンと何千人もの球団関係者、そして何百人もの選手たちが、寄り集まって仲間となり、一つのチームを作っていく。勝ったときも負けたときも、一人ひとりの感情が寄り集まって大きな熱となり、ともに運命を分かち合う結束が生まれる。
    結局のところ、球団とは家族なのだ。采配を振るう監督もあくまで家族の一員にすぎず、それが度をすぎれば、集団の和を乱すものとして排除される。

    「では落合も他の監督と同じように、チームの大黒柱として家族を大切にすればよかったのではないか?」というと、それは不可能だった。落合は現役のころから――何ならはるか昔の少年のころから――人の逆を行く男だったからだ。良かれと思ってやることは、周りの人間から共感を得られない。正しいと思って振る舞った態度が、周囲の人間を不快にさせる。
    現役のころなら許されたわがままも、監督となって家族の生活を握る身となった今、許容されることは無かった。
    「個」を重んじる落合と「集団」を重んじる周囲の人間。両者の価値観のすれ違いが、落合をますます孤独へと追い込んでいった。

    落合は何度勝とうとも、不穏分子でありつづけたのだ。

    ――「俺はいつも人がいる場所で、下を向いて歩くだろう?なんでだかわかるか?俺が歩いてるとな、大勢の人が俺に声をかけたり、挨拶したりしてくるんだ。中にはどこかの社長とか、偉い人もいる。でも俺はその人を知らない。それなのに後で『落合は挨拶もしなかった。無礼な奴だ』と言われるんだ。最初から下を向いていれば、そう言われることもないだろうと思ってな」
    ――落合には、自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはないということがわかっているようだった。それは、あらゆる集団の中でマイノリティーとして生きてきた男の性のようでもあった。

    これは本書で語られる落合の姿なのだが、これが中日を常勝軍団に変えた監督の評価なのか、と思うと、胸がふさがるような気持ちになってしまった。


    そしてもう一つ、落合が嫌われる理由の一つに、落合自身の天才性を周囲の人間が理解できないことがあると述べられている。

    本書では落合のずば抜けた観察眼の数々が語られる。
    例えば、落合は2010年に、球界最高と謳われていた荒木と井端の二遊間コンビのポジションを、そっくりコンバートするという暴挙に出ている。ファンだけでなくアライバ自身でさえ意味が分からなかったこの行動の意図を、落合は筆者にそっと語った。

    ――「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったとこころからズレていることがある。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」「どんな選手だって年数を重ねれば、だんだんとズレてくる。人間っていうのはそういうもんだ。ただ荒木だけは、あいつの足の動きだけは、八年間ほとんど変わらなかった」

    落合には見えていた。荒木が前年の20失策と今年の16失策を記録した裏で、これまでなら外野に抜けていったはずの打球を何本も阻止したことを。失策数の増加に反して、チームが優勝するという謎の答えがそこにあった。
    つまり落合が見抜いたのは、井端弘和の足の衰えだったのだ。

    ただ、致命的なことに、落合は選手を見抜くことに長けているが、それを選手に説明しようとしないのだ。
    アライバのコンバートの際も、2人に与えたアドバイスは「お前らボールを目で追うようになった。このままじゃ終わるぞ――」の一言だけ。当時エース格として注目されていた吉見にも「ただ投げているだけのピッチャーは、この世界で長生きできねえぞ――」と、謎めいた示唆を残すだけであった。
    加えて、落合自身は決して命令しない。森野に地獄のノックを叩きこんだときも、完全試合目前の山井を交代したときも、和田のフォームを改造したときも、落合はその理由を説明せず、ただ淡々と事実を告げ、「やるかやらないか」の最後のスイッチを選手自身に託す。選手はそこから自分で判断するしかない。落合が間違っているのか、自分が間違っているのかを。
    本当は論理的な根拠に依ってアドバイスしているにも関わらず、その言葉足らずさがメディアの攻撃の的となり、不信感を強めていく。やがて落合の評価は「非情な独裁者」という形に落ち着き、また一つ嫌われていく。

    ――「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何にも言わないほうがいいだろ?」

    そうした落合のシニカルな言葉には、どこか寂寥感が秘められている。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    本書のクライマックスは、落合が徹底的に選手に「考えさせた」ことで、個であった選手たちがまとまりを持ち、やがてチーム全体が激情を帯びていく様が描かれる。

    この本には当時の中日を生きた選手たちの証言が多く挟まれている。川崎、福留、森野、宇野……。彼らに共通していたのは、程度の差はあれ「自分は今のままでいいのか?」という疑問を抱いていたことだった。

    そして、その疑問に答えを与えたのが、落合なのである。

    教えを乞うわけではなく、「自分で考える」。チームのためではなく、「自分のため」に野球をしていく。無機質とも言われる中日野球の裏には、自らの野球に激しく思い悩んだ選手たちがいた。そして落合の解任が発表されたあと、今までの感情が、監督への想いがマグマのように吹き出し、中日というチームを変えていく。
    何という人間ドラマだろうか。その描写に思わず涙してしまった。

    ――「ひとりで考えて練習しなかったか? 誰も教えてくれない時期に、どうやったらいきなり試合のできる身体をつくれるのか。今までで一番考えて練習しなかったか?」
    荒木は、空になった落合のグラスを見つめながら記憶をたどった。
    確かにそうだった。
    新しい監督がやってきて、生き残りの篩にかけられる。その危機感から、まだ吐く息の白いうちから野球のことに頭を巡らせている自分がいた。前例のないことをやるにはどうすればいいのか。他の者はどうしているだろうか。ひとり不安の中で考え続けるしかなかった。自分だけでなく、おそらくチームの誰もがそうだったはずだ。
    落合はそこまで言うと空のグラスを満たし、あとはただ笑っていた。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    本書は、落合が振るった采配に関して、何故その思考に至ったのかを、筆者が関係者へのインタビューとともに解説した本と言えるだろう。いわば落合の通訳だ。
    悲しいことに、こうした通訳が落合監督の現役時代に存在していれば、落合自身の評価はがらりと好転していたのかもしれない。もう少し長く落合政権が続いたのかもしれない。
    ただその場合、落合は通訳にも一切しゃべらなくなりそうだ。また仮に落合が通訳を活用していたとしても、選手たちはその翻訳の分かりやすさに甘んじ、ここまで活躍できていなかったのではないかと想像してしまう。恐らく、落合監督というのは分かりにくいがゆえに周囲を鼓舞する男なのかもしれない。

    落合博満の、監督として、そして人間としての凄さにただただ圧倒された一冊。紛れもない名著であり、是非オススメである。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    0 まえがき
    落合はなぜ語らないのか。なぜ俯いて歩くのか。なぜいつも独りなのか。
    そして、なぜ嫌われるのか。

    「ねえ、本当にオチアイがやるの?」
    中日一筋のベテランでたる山本昌も、30年の経験がある球団スタッフも、落合が監督をやることに疑問を抱き、歓迎はしていなかった。


    1 川崎憲次郎
    監督に就任してからの落合は外部に背を向け、ひたすらチームの内側を向いた。そうやってひたすら内を向いた落合は、急速に選手たちとの距離を縮めていった。
    その一方で、チームの外に対しては次々と扉を閉じていく。星野のように番記者を引き連れて散歩することも、会合も存在しなかった。親会社がマスコミであるという事情もお構いなくだ。

    「開幕投手はお前で行くから」「これは俺とお前だけしか知らないから。誰にも言うな――」
    川崎憲次郎は一軍のマウンドに上がる日を待ち望んでいた。しかし、同時に酷く動揺していた。
    なぜ3年間もケガで一軍登板から遠ざかっている自分なのか――落合さんは、もう自分がプロで通用しないと宣告するために、俺を開幕投手に据えたのではないか――そしてそれを何故、内部の関係者にも隠し続けたのか――。

    開幕のマウンドに上がった川崎は、2回で5失点。そこでマウンドを降りた。その後は再度2軍生活を続け、そのシーズンの終わりに、落合から直接首を告げられたのだった。

    落合が開幕投手を秘匿し続けた理由がわかったのは、川崎がユニホームを脱いでしばらくしてからのことである。
    落合は川崎に載力外を告げた後、さらに十二人の選手にと7人のコーチ、そして数人の球団スタッフに同様の通告をした。就任したときはひとりの首も切らなかった落合は一年をかけて、戦力となる者とそうでない者を見極めたのだ。自分のチームを作るため、最初の一年をかけて地均しをした。誰を残し、誰を切るか。あらゆる人間を対象にした選別はあの日から始まっていたのだ。


    2 森野将彦
    落合は監督二年目になって豹変した。少なくととも森野の目ににはそう映っていた。ベンチの中で笑ったり、しかめっ面をしたり、感情を表現することもあった。ただ、その年の日本シリーズで西武ライオンズに三勝四敗で敗れ、日本一を逃した瞬間から、落合は急速に選手たちから遠ざかっていった。指示はすべてコーチを介して出すようになり、ゲーム中はベンチの一番左端に座したまま、ほとんど動かなくなった。はるか遠くから、この組織の穴を探しているような、そんな眼だった。

    「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら、俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか」
    落合は末席の記者である筆者にそう語った。やはり、2年目の落合は意図的にチームから遠ざかっている。何かを見つけるために、俯瞰できる場所から定点観測をしている。

    森野将彦はバッティングの才能がありながらも、十年近くベンチに甘んじていた。練習では打てるが、試合では別人のようにバットに当たらない。延々と期待されながら結果を残せていない若手バッターに、落合はこう言った。
    「立浪からレギュラーを取る覚悟はあるか?」

    森野はやるしかなかった。もう引き返せない。サードの守備につき監督の直接指導を受けるということは、チームの顔である立浪に挑戦状を叩きつけるのと同義だ。
    そこから落合の地獄のノックが始まった。ノックが終わった後、森野は熱中症で病院に運ばれた。

    この立浪への処遇は、心の距離ができつつあった落合と選手たちとの間に、さらに深い溝を掘ることになる。ミスタードラゴンズである立浪は、ファンにとっても選手の間でも絶対的な存在だった。立浪にさえメスを入れるのなら、自分たちに保証されるものなど何もないのではないかという、落合に対する畏れと緊張感が広がった。

    立浪を外そうとする意図を問うために、落合のもとへ向かった筆者。車内でふたりきりになった際に、落合はこう語った。
    「試合中俺がどこに座っているか、わかるか?」
    「俺が座ってるところからはな、三遊間がよく見えるんだよ」
    「これまで抜けなかった打球がな、年々そこを抜けていくようになってきたんだ」
    落合は立浪のことを言っているのだ。
    落合には今、チームにとっての重大な穴が見えている。誰も気づいていないその縦びは、集団から離れ、孤立しなければ見抜けなかったものかもしれない。立浪という聖域にメスを入れたのは、そのためなのだ。

    「これは俺にしかできないことだ。他の監督にはできない」
    奪うか、奪われるか。それがプロ野球の世界なのだ。


    3 福留孝介
    福留と落合の関係はビジネスライクだった。接するのはバットを介してのみ。福留は落合の打撃技術を信頼し、明確な一線を引きながらアドバイスを受けていた。誰もが落合の言葉や視線に感情を揺らし、あの立浪でさえ怒りをあらわにするなかで、福留からはまるでそれが感じられなかった。

    落合は福留にこう告げる。「一流のものはシンプルだ。前田を見ておけ」。そこから福留は、広島の前田のバッティング練習をずっと見つづけることになる。


    4 山井の交代劇
    中日の打撃コーチである宇野は、落合野球の華のなさにジレンマを感じていた。落合野球は徹底的に守備の野球だ。野手よりも投手を集め、打てる者より守れる者をゲームに送り出す。そうした合理性の追求は勝利の確率を高めたが、同時に落合の野球がつまらないと言われる要因にもなっていた。

    宇野は次第に落合との距離を感じるようになっていた。前年のオフには、リーグ優勝したにもかかわらず長嶋ら5人のコーチが退団した。落合の思惑はつかめないままであった。

    日本ハムとの日本シリーズ、3勝1敗で日本一がかかった5戦目。スコアは1-0、先発の山井が8回までパーフェクトピッチングを行っていた。
    森は投手コーチとしての選択を迫られていた。落合はピッチャーの起用はよく分からないと言い、采配を右腕の森に一任していた。ここまで好調の山井だったが、手には血豆が出来ている。山井を大記録に向け続投させるか、絶対的エースの岩瀬を出すか……。

    そのときに落合は決断した。普段はピッチャーの起用に口を出さない落合が、森に語りかけたのだ。
    「どうする――」

    9回、観客が山井の名前を叫び続ける中、場内アナウンスが流れた。
    「選手の交代をお知らせします。ピッチャー、山井に代わりまして、岩瀬――」
    怒号なのか、悲鳴なのか、嘆息なのか、そのいずれでもあるような巨大な声がドームに響いた。耳に聞こえてくるものはすべて、落合の決断と世の中との深い断層だった。森はかつて聞いたことのない音の中で、改めてこの決断の重さを受け止めていた。

    山井を岩瀬に変えた以上、もう完全試合の記録に意味はない。ただ1点差のゲームがそこにあるだけだ。しかし、おそらく岩瀬はそう思っていない。山井の完全試合をそっくりそのまま背負ってマウンドに立っている。成功しても個人として得るものはほとんどなく、失敗した場合に失うものがあまりに多すぎた。史上最も過酷なマウンドに、落合と森は岩瀬を駆り出したのだ。

    その後岩瀬は日ハム打線を3者凡退で抑え、日本一を果たす。

    交代劇の真相は、9回直前、森が直接山井に血豆の状態を聞いた際、山井が「代えさせてください」と自ら申し出たためであった。

    しかし、筆者は裏があると考えていた。「山井の答えを訊く前に、心中では既に岩瀬に決まっていたのではないか?」と確信があったからだ。優勝後の落合にインタビューを敢行し、次のような言葉を得ている。

    「これまで、うちは日本シリーズで負けてきたよな。あれは俺の甘さだったんだ」
    「2004年の日本シリーズで岡本を代えようとしただろう。でも、そのシーズンに頑張った選手だからって続投させた。俺はどうしても、いつもと同じように戦いたいとか、ずっと働いてきた選手を使いたいとか、そういう考えが捨てきれなかったんだ」
    「でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ」

    筆者は戦燥していた。落合は空っぽだった。繋がりも信頼も、あらゆるものを断ち切って、ようやく掴んだ日本一だというのに、ほとんど何も手にしていないように見えた。一歩ドームを出れば、無数の批難が待っているだろう。落合の手に残されたのは、ただ勝ったという事実だけだった。


    5 吉見一起
    吉見はプロ3年目の2008年に先発とリリーフの二役をこなしながら、川上を上回る十勝を上げた。それによって、この世界で名前を知られるようになり、「新エース」と書き立てるメディアもあった。
    だが、落合はそんな吉見に向かってこう囁いた。
    「ただ投げているだけのピッチャーは、この世界で長生きできねえぞ――」

    落合はエースという言葉を徹底的に嫌う。若手に温情をかけることなく、スター選手を厚遇することもなく、ただ淡々と冷徹に評価を下していく。落合は即戦力を欲しがり、目の前の勝利をただ見つめ続けていた。

    2009年、ドラゴンズは2位になったものの、1位の原巨人に大差をつけて破れた。
    そんな中日の黄昏を象徴するようなニュースがあった。立浪和義がこのシーズンを最後に引退することを表明したのだ。立浪も、福留も、川上も、星野仙一が監督だった時代に生まれたスター選手はもういない。代わりになる芽は出てきているのか?落合は、このチームをどう再生するつもりなのか?それが見えなかった。

    星野は時に勝敗を超え、球団の未来を語った。人々が希望を託すことのできるスターを自らプロデュースした。しかし、落合は今しか語らなかった。意図的にスターをつくろうとはせず、集団の象徴として振る舞おうともせず、あくまで契約に基づいた一人のプロ監督であることを貫いていた。だから、敗れれば孤立したのである。


    6 和田一浩
    落合は組織への献身よりも個の追求を優先する。
    例えば、どこかを傷めた選手に、落合は「大事を取って休め」とは決して言わない。落合の口から出るのは「やるのか?やらないのか?」という問いだけである。「できません」と答えれば、次の日には二軍のロッカーにいることになる。それだけだ。権利と引き換えに、冷徹に結果と責任も求められる。その天秤が釣り合わなくなれば、自分の指定席には別の誰かが座ることになる。

    FAで中日に移籍してきた和田は、このとき35歳。和田のバッティングを見ていた落合は、和田にこう告げた。
    「打ち方を変えなきゃだめだ。それだと怪我する。成績も上がらねえ」「3年はかかるぞ。それでもやるか?」
    次の日から落合は、両手にある十指をどの順で、どこからどこに動かし、どれくらいの力を入れるのか、ということから話し始めた。それはひとつのスイングを構成する1から10までの手順、すべてを繋げていくような作業だった。

    落合は若さが持つ勢いや可能性を求めない。確かな理と揺るぎない個を求める。そして、その理というのはほとんどの場合、常識の反対側にあった。
    おそらく落合は常識を疑うことによって、ひとつひとつ理を手に入れてきた。そのためには全体にとらわれず、個であり続けなければならなかったのだ。

    このチームで、落合と打撃論を交わすことができるのは和田だけであったが、それが落合との繋がりを生み、自分の立場を保証するかといえば、到底そんな実感はなかった。どれだけ勝利に貢献してきたかではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。それだけを落合は見ていた。
    プロ野球といえど、多くの者はチームのために、仲間のためにという大義を抱いて戦っている。ときにはそれに寄りかかる。打てなかった夜は、集団のために戦ったのだという大義が逃げ場をつくってくれる。ところが、落合の求めるプロフェッショナリズムにはこうした寄る辺がまるでなかった。落合の言葉通り、常識にも組織にも背を向けて個を追求した果てに、和田はこれまで見たことのない景色を見た。


    7 星野への謀反
    落合がまだ中日で選手としてプレーしていたころ、当時の監督である星野仙一の指導方針を真っ向から批判したことがある。
    球団の幹部も動くことになったこの大騒動は、落合の推定100万円とされる罰金、そして二軍キャンプへの左遷という形で一応決着がつく。

    落合は非常に合理的な男であった。反逆者のイメージが強かった落合の口から語られる野球理論は誰よりも論理的で、基本戦術から守備陣形などの戦術まで、指導者をしのぐほどの知識を持っていた。
    そして落合は自分の理屈に合わなければ誰の命令でも動かなかった。

    2011年、球団社長が新しく変わる。これまで落合を擁護してきた白井から坂井に変わると、赤字体質のチーム運営にメスをいれるため、まず人件費についての調査を始めた。それは高騰する選手の年俸のみならず、落合の年俸も対象になっている。落合の進退は、赤字経営の中で揺れる球団に委ねられていた。

    例年なら夏の初めには明らかにされる落合の去就について、白井はいまだ沈黙を貫いていた。


    8 荒木雅博
    2010年、球界最高と謳われていた荒木と井端の二遊間コンビのポジションを、落合はそっくりコンバートした。「お前らボールを目で追うようになった。このままじゃ終わるぞ――」の言葉とともに。

    コンバートした年、ショートの守備についた荒木はリーグで2番目に多い20失策を記録した。もはやセカンドの名手と呼ばれていた荒木の姿はなかった。
    なぜ落合は名コンビを壊してまで荒木をコンバートしたのか?ファンも球団関係者も落合の決断に懐疑的だった。

    しかし、荒木自身はあの言葉の意味を理解していた。
    落合は2つの地獄から一つを選べと言っているのだ。落合以外の誰からも信頼を失いながらショートを守るか、落合ひとりの信用を失うことと引き換えにセカンドにとどまるか。荒木は前者を選んだ。これまで築き上げてきたものを手放すよりも、落合の信用を失うことが怖かった。

    2011年9月22日の名古屋ドーム。ヤクルトとの優勝争いの真っ只中、それは起こった。
    荒木がロッカールームに訪れると、チームの空気がどこか違う。
    球団が落合の解任を発表したのだ。

    荒木はロッカーの椅子に腰を下ろすと、しばし考えた。思い当たることは一つだった。

    おそらく、嫌われたのだ。
    結果がすべてのプロの世界で、結果を出し続けている指揮官が追われる理由はそれしかない。落合は自らの言動の裏にある真意を説明しなかった。そもそも理解されることを求めていなかった。だから落合の内面に迫ろうとしない者にとっては、落合の価値観も決断も常識外れで不気味なものに映る。人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ。
    落合は勝ち過ぎたのだ。勝者と敗者、プロフェッショナルとそうでないもの、真実と欺瞞、あらゆるものの輪郭を鮮明にし過ぎたのだ。

    2011年9月23日、落合の退任が発表された翌日、首位ヤクルトとそれを追う中日の天王山が行われていた。
    退任が発表されたにもかかわらず、試合が始まる前のミーティングでは、落合は何も変わらない。ただ淡々と説明を終え、進退がどうなろうともそれぞれの仕事をすることを求められていた。

    このチームにおいて監督と選手を繋いでいるのは、勝利とそのための技術のみだった。だから、去りゆく落合を胴上げするために戦おうと考える者もいなければ、惜別の感情も存在しなかった。そもそも落合自身がそんなセンチメンタリズムを望んでいなかった。これまでと何ら変わらないはずだった。それなのに、落合の退任を耳にした瞬間に、荒木は自らの内面に何かが生まれていくのを感じた。これは、なんだ。なぜ胃の痛みが消えたのか。なぜ不安に襲われないのか。荒木は自間しながら、自分が覚醒していくような感覚に満たされていた。

    ヤクルトとのゲームは8回裏、荒木が二塁塁上、井端がバッターとしてボックスに立つ。井端のセンター前ヒットに対して、三塁ベースコーチは大きく腕を振り回していた。荒木は三塁を蹴って、加速した。しかし、荒木の視線の先で、センターからのボールを捕球するキャッチャーが映った。完全にアウトだ――

    次の瞬間、荒木は飛んだ。キャッチャーの身体の間をすり抜け、ホームベースをタッチする。
    それは落合が禁じたヘッドスライディングであった。

    番判の両手が横に広がった。どよめきと歓声が交錯した。

    筆者はペンを握ったまま呆然としていた。完全にアウトだと思われたタイミングをセーフにしてしまったことへの驚きもあったが、荒木から発散されているものに衝撃を受けていた。

    これが落合のチームなのか?

    荒木が見せた走塁は、落合がこのチームから排除したものだった。「俺はたまにとんでもなく大きな仕事をする選手より、こっちが想定した範囲のことを毎日できる選手を使う。それがレギュラーってもんだろう」。
    落合はリスクや不確実性をゲームから取り除いた。それが勝つために最も合理的な方法だと考えたからだ。指揮官の哲学は選手たちにも浸透し、ギャンブル的な暴走や怪我の怖れがあるヘッドスライディングは、この八年間ほとんど見たことがなかった。
    憑かれたような眼でホームへ突進した荒木を見ながら、筆者は確信した。このチームは変わったのだ。
    そして変質のきっかけは、落合の退任であるように思えた。

    チームはここから快進撃を続ける。落合が去ると決まった9月22日から15勝3敗2分。その間、淡々と戦うことを矜持としていたはずのチームは異様な熱を発し続け、最大で10ゲーム差をつけられていたヤクルトに追いつき、抜き去り、突き放したのだった。

    このときのチームの熱、そして荒木と井端をコンバートした出来事について、落合は後にこう語っている。

    「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったとこころからズレていることがある。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」
    「どんな選手だって年数を重ねれば、だんだんとズレてくる。人間っていうのはそういうもんだ。ただ荒木だけは、あいつの足の動きだけは、八年間ほとんど変わらなかった」
    落合には見えていた。荒木が前年の20失策と今年の16失策を記録した裏で、これまでなら外野に抜けていったはずの打球を何本も阻止したことを。失策数の増加に反して、チームが優勝するという謎の答えがそこにあった。

    つまり落合が見抜いたのは、井端弘和の足の衰えだったのだ。

    「あいつら、俺がいなくなることで初めてわかったんだろうな。契約が全ての世界なんだって。自分で、ひとりで生きていかなくちゃならないんだってことをな。だったら俺はもう何も言う必要ないんだ」
    タクトを置いた落合は、指揮者がいなくとも奏でられていく旋律に浸っていた。

    その後の日本シリーズ第7戦、中日はソフトバンクに敗れ、日本一を逃した。「負けたら意味がない」と言い続けてきた落合に対して、ファンからは割れんばかりの落合コールが降り注いでいた。

    落合が変わったわけではない。変わったのは周りの人々だったのだ。

  • 2007年日本シリーズ。
    中日にとって、勝てば53年ぶりの日本一という試合。

    日ハムの先発ダルビッシュから2回に犠牲フライで1点を取るが、その後は得点を奪えない。
    対する日ハムは得点はおろか一人も出塁できず、8回終わってスコアは1-0と中日がリード。
    誰もが、山井投手の完全試合と中日の日本一を目撃する瞬間に居合せていることに興奮していた。

    9回表、観衆の山井コールが止まぬなか、落合が球審に向かい歩を進め耳元で囁く。

    「山井のところに、岩瀬」

    結果がどうであれ、ここで山井を交代させる理由はない。
    日本中の野球ファン全員をガッカリさせる常識破りの采配。
    今までメジャーリーグも含めて、完全試合を目の前にしたマウンドに、リリーフ投手が送られたことはない。

    このシーンの真相がわかるかと期待したが、本書にも当時書きたてられた記事以上のものはなかった。
    落合自身が本心を何も語らない以上、「リードしていれば、9回は岩瀬」に決めていたと想像するしかない。

    この試合で負け投手になったダルビッシュの完全試合未遂を思い出した。
    レンジャーズ時代の2013年アストロズ戦。
    ダルビッシュは 9回も簡単に2人を打ち取りあと一人。
    ダルビッシュの正面に打球が飛び、やった!と思った時、なんと股間を抜けてセンター前ヒットに。
    この瞬間、完全試合は消滅しダルビッシュは交代した。

    落合の基本姿勢は、「自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはない。」ということだ。
    不可解な采配に対しては「自分と他人とは見ているところが違う。だから、意図は分かりっこないよ。」と言って口を閉ざす。

    監督就任直後の2004年、例年なら体の出来上がっていないキャンプ初日にいきなり紅白戦を行った。この狙いは本書で語られている。
    二遊間コンビとしては最高との評価を得ていた、荒木と井端の守備位置を交換した。この理由も本書で語られている。
    その他、一般のファンではなかなか知ることのできない監督時代の落合の行動や視点がいろいろと書かれていて面白かった。

    熱血・気合でごまかす根性論を嫌う落合らしい助言の一つが、「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ。」だ。
    学生や社会人への助言なら、「自信が持てないのは、知識が足りないからだ。」とでもなるのだろう。

    落合が最後に残した選手への言葉は、「おまえら自分のために野球をやれよ。」だった。

    人は自分が理解できない物事(や人物)を恐れ遠ざけるものだから、理解できない落合を手本にしたいとは考えないだろう。
    だが、選手としても監督としても成功している現実を突きつけられると、その理由を知り参考にしたいと思うだろう。
    本書は、組織の枠からはみ出したリーダー像を描くというコンセプトのもと執筆されたらしい。
    野球に詳しくない人達にも本書がよく読まれているのは、結果を出すために具体的に実践してきたことが語られているリーダー論だからなのでしょう。

    -----

    リーダー論はさておいて、単純に野球大好き人間としては、
    落合とは実績もキャラクターも全く違うが、「理解できない」「常識破り」なことを平気で行う新庄が監督としてどんなチーム作りをするのか楽しみです。
    落合に求められたのは"優勝"でしたが、新庄には"興行収入"が求められているでしょう。まずは今年、そして3年くらいは我慢して見たいですね。

  • 人を導くためには嫌われても進めることも必要と言えるだろうが、なかなか自分はできない。そんな自分が「嫌われた監督」を読もうと思ったのは、学びではなく、興味からだ。

    落合監督在任期間の姿を、選手や関係者の視点を元に取材記事と合わせて、描いていく。

    選手達も心酔ではなく、意図が分からなかったり、反感を持っていたり、一線を引いていたりとそれぞれの立場であるところが、おもしろい。スカウトの方は最後まで擦り合わないままで、終わるが、そのことが落合監督の方向性を際立たせるとともに、その後を考えてそれでよかったのかという点も見えてくる。

    5章の岡本真也は、題材は日本シリーズでの完全試合直前の交代劇なのだが、交代された山井でも交代した岩瀬でもなく、岡本の視点でまず語っていく。そこには元となった背景が見え、落合監督の揺れも見える話だった。

    それらの話を読んでいきながら、最後のシーズンの話を読むのが感慨深い。深く語られないが、しばしば反抗的な立場で登場する谷繁の動きやその後の選手の行動で、考えを浸透させるという凄さを感じた。それを言葉でなく、態度という感じでもなく、采配を通じて行ったという点は、本当に信じられない。

    「理解されず認められないことも、恐れられ嫌われることも、落合は生きる力にするのだ。」
    それが中日という集団にのり移った。
    自分には、なりたくてもなれないかもしれない姿に触れられたように思う。

  • 真理の追求。

    常識でなくとも、理解されなくとも。

    自分の体験から掴んだ真理を貫き通した落合監督。その姿を就任から退任まで取材して書いた駆け出し記者の一冊。

    •選手に情を挟まない
    •喜怒哀楽を顔に出さない
    •練習(情報)は公開しない
    •打撃より守り
    •言い訳はしない
    •全て自分の責任
    •野球は「普通」•「確率」
    •練習は嘘をつかない

    この本から伝わる落合監督の信念。

    勝つため、優勝するために、その他一切を排除し、一枚の紙(契約)にのみ殉じる。

    孤高の強さを感じるが、夫人の目から見れば、かなり神経をすり減らしていた様子。

    プロに入る前、実力はあるが、根無し草のような野球との関わりをしていた落合に、“芯”を入れ、三冠王という目標を持たせたのは夫人だったよう。

    野球界を変える出会いだったのかも。

    コロナ禍でなぜか落合のYouTubeを頻繁に見返すようになり、フォロワーさんの本棚で本著も知った。

    野球好きでない僕も、いくつかの”哲学“を得られたと思う。

    この5日間、見事に“落合漬け”だった。

    2名のフォロワーさん、素晴らしい本の紹介•レビュー、ありがとうございました。

  • 【はじめに】
    著者は新卒の日刊スポーツ記者時代に落合付きになったフリースポーツライターの鈴木忠平。現在は単行本にもなっている、Numberに掲載された『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』の著者だ。今も最多記録として残る甲子園での通算本塁打数。その本塁打を打たれた側にインタビューをしてまとめた記事だが、覚醒剤の問題を起こしていた清原をあえて取り上げたことと、その記事を読んだ清原から著者にお礼の電話がかけられたというエピソードが印象に残るスポーツノンフィクションの名著だった。

    既成の記者と監督という関係を無視し、選手との距離も取り、勝負に徹する落合。古参の記者が距離を置くところをそれまでの蓄積もしがらみもなかった著者は落合との距離を逆に詰めることができた。中日を去る落合は、「お前がこの先行く場所で、俺の話はしない方がいい。するな」と著者に告げた。落合のことをよく思わない人が多いであろうということともに、「この人間がいなければ記事が書けないというような、そういう記者にはなるな」という忠告でもあった。

    Number専属記者となり、そしてフリーとなり、『清原和博への告白』も世に出した今、ようやく落合に迫る著作を出せたというところなのかもしれない。

    【概要】
    各章は、落合監督時代の年代期のようになっているのだが、ドラゴンズに在籍したそれぞれの選手や球団関係者に着目をしてそれぞれの章が進んでいき、とても読みやすい。取上げられた人物は、川崎、 森野、福留、宇野、岡本、 中田スカウト部長、吉見、和田、小林、井出球団取締役編成担当、トニ・ブランコ、荒木の12人。

    監督就任初年度、高額FAで中日に移籍したものの怪我で成績を残せず、またその怪我も癒えない川崎を開幕投手に選んだところから始まる。正確に言えば、キャンプ初日に紅白戦を実戦形式で行うと宣言したところから始まる。その二つの選択の意図は後に明かされるのだが、物語の始まりとして相応しく、また落合の他人と迎合することのない人となりを示すものだ。

    有名な日本シリーズで八回まで完全試合を続ける山井を最終回に岩瀬に代えた試合。その顛末が書かれた章は、山井でもなく岩瀬でもなく、その三年前の初の日本シリーズで谷繁と立浪の進言を受けて続投し、そして打たれた岡本の名前が付された章となっている。

    そのミスター・ドラゴンズ立浪は落合監督時代の2009年に引退しているが、森野を引き上げることでアンタッチャブルともなっていた立浪に引導を渡すこととなった。これを立浪の目線ではなく、森野の目線から描いているのも印象的である。

    来年度は、その立浪が中日ドラゴンズの指揮を執ることとなった。落合を是とするのか、星野を是とするのか、興味をそそるところでもある。

    【所感】
    選手時代から監督時代を通して、周りには全く迎合することなく結果を出し続けてきた落合博満。『嫌われた監督』とのタイトルの通り、落合は選手にも球団にも記者にもファンにも好かれることはなかった。勝つためには好かれる必要がないからだし、嫌われることが勝つことにつながるのであれば常に好かれることよりも嫌われることを選んだ。器用であるように見えて、ずいぶんと不器用である。それはビジネスにもつながるものなのかもしれない。最終的に受け入れる結果も含めて。

    落合は著者にずっと同じところからグラウンドを見ておけと言った。そうすると選手には見えない違いが見えるので、皆が聞きに来るというのだ。果たしてそういうことが起きたのかどうかはわからないが、定点観測から逆に自分を知ることでもあり、また自分の軸を持つということでもあり、著者の心にも残る深く鋭いアドバイスだった。実際に落合は、荒井を井端に代えてショートにコンバートしたのもベンチの同じ場所から見たときにはじめてわかる井端の守備の衰えを感じ取ったからだという。

    途中にそっと置かれた御守り紛失事件は中日ドラゴンズ監督としての戦記としては不要ではあるが、落合の物語としては必要なパートだ。特にこのエピソードも含めて信子夫人にも好感を持つようになった。

    スポーツノンフィクションとして、構成も内容も一級品。とても楽しめたとともに、「嫌われた監督」落合博満のことを好きになった。お薦め。

    ----
    『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』(鈴木忠平)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163905782

  • 「孤立したとき、逆風のなかで戦うとき、落合という男はなんと強いのだろう」(本文より)。

    冷徹。血が通ってない。ファンを蔑ろにしている。
    野球がつまらない。
    落合をめぐる否定的な論調は、ある年齢以上の野球ファンなら皆なにかしら記憶には残っているだろう。そしてなんの説明もない落合のつっけんどんぶりも。
    本書は、就任以来圧巻の強さを示し続けた落合監督の戦績を辿りながら、選手や球団職員のドラマを積み重ねていく。

    落合が求めたもの、それは「プロフェッショナリズム」。彼の考えるプロの姿を私なりに強引に整理するなら、それは与えられた責任を「一人で」全うできる存在。
    これは個としてのプロフェッショナリズムと、野球という究極のチームプレイにおける組織の論理との葛藤を描くドキュメンタリーとも言えるかもしれない。

    ある意味昭和的な男のダンディズムに生きることは、実は非合理なムラ社会の慣行に背を向け、徹底的に合理を重視することでもあった。
    いや、昭和どころではない、男、どころではない。
    今この多様性の時代にあって、いまだに我が国の紙面を賑わす会見、発表の写真に映るのはおっさんばかり。そんなデタラメなほどの男社会でビジネスに挑む、たとえば女性たちこそ落合の生き様に胸を震わせるかもしれない。稼ぐこと、チームを率いること、そんなことに一度でも苦しんだことがあるすべての人にとって忘れがたい本になるだろう。

    文中の名言金言はそれこそキリがない。でも私からは一つだけ挙げておこう。

    「監督はさ、、、心は技術で補えるって言うんだよ。不安になるってことは技術が足りないんだって、、、」(荒木雅博選手の言葉)。
    このストイシズム。
    その荒木に過酷なポジション変更を求める落合の真意。
    そして、シーズン最後、監督退任を知った荒木の渾身のヘッドスライディング。

    「泣きそうになる本」はこれまでもたくさんあった。しかし本当に「泣いてしまう本」に出会えることはそうない。この本は紛れもなくその一冊だった。

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著者プロフィール

1977年、千葉県生まれ。愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験。2016年に独立し、2019年までNumber編集部に所属。現在はフリーで活動している。

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』より

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