スノーボードを生んだ男 ジェイク・バートンの一生

  • 文藝春秋 (2021年11月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784163914725

作品紹介・あらすじ

世界で初の出版となる「バートン物語」。

子供用のソリから開発した板でスノーボードという新しいスポーツを生み出し、自身のブランドBURTONと共にスノーボードを発展させてきたBURTONスノーボード創始者ジェイク・バートン。その比類なるパイオニア精神、遺した偉大な功績、そして彼が真っ白な新雪の上に描いた夢の軌跡を一年に渡る密着取材から得た貴重なインタビューの数々と関係者の証言、写真から綴るノンフィクション。

藤原ヒロシ、中村ヒロキ、滝沢伸介ら日本を代表するクリエイターたちとの関係も丁寧に描かれる。

没後2年となる11月20日に合わせての発売となる。

みんなの感想まとめ

スノーボードの誕生と発展を描いたこの作品は、ジェイク・バートンの情熱とパイオニア精神を通じて、新しいスポーツの魅力を余すところなく伝えています。彼が子供用のスキー板を基にスノーボードを開発し、試行錯誤...

感想・レビュー・書評

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  • スノーボード未経験者でも興味深く読めた。1965年当初は子供用のスキー板2枚を1つに貼り合わせ、立って滑れるソリ「スナーファー」が販売されていた。まだ幼かったバートン氏はそこから着想を得て、100枚の試作品を経てスノーボードを作ったのだ。ただ作っただけではなく、スノーボードを新しいスポーツとして世界へ広めようとしたことが素晴らしい。本人が著した自伝ではないため、あらゆる問題に対するバートン氏の視点がないことが残念。泥臭いエピソードの掲載がなく、全体的に美しくまとめすぎた印象が若干あるものの、ひとつのノンフィクションとして十分楽しめた。

  • スノーボードを始めて20年になるが僕のブーツはいつもバートンだ。
    バートンのブーツで検定を受け、インストラクターの資格も取った。
    スノーボードを続ける限り、これからもずっと僕のブーツはバートンだろう。
    ありがとう、ジェイク・バートン。

  • スノーボードはここ40年ほどで成立した、本当に新しいスポーツであり、バートンがその普及の中心的役割を果たしたことがわかり、大変勉強になった。スキーとの対立と共存、SIMをはじめとする他ブランドとの競争、チャンピオンシップの乱立やスター選手の勃興、バックカントリーの厳しさと楽しさ、バートンの楽しそうな職場環境やジェイクの人柄など、スノーボードがどのようにして人気を獲得していったのかが、本を通して生き生きと伝わってきて面白かった。スノボ好きには必読の一冊!

  • (2022/5/5読了)

    スノーボードというスポーツ/文化を生み出したジェイク・バートンの一生。

    生涯とか伝記というのではない、或阿呆の一生、女の一生的な「生き様」を感じさせるタイトルで、その執着・こだわりの生き様はまさにそのタイトルにふさわしい。

  • スノーボードがどのように発展したのか、BURTONがなぜ人気なのかなどの理解が深まる本。それにしてもアメリカのカルチャーの良さが伝わる。アメリカってカルチャーの部分が素敵で魅力的。こういった視点は自転車などにも通づるものがある。

  • スノーボードっていう超かっこよくて自然大好き人間には堪らない神スポーツを作り上げた人の伝記。スノーボードだけじゃなくて、スノーボード業界を盛り上げて行った人達も超カッコ良かった。
    自分の好きを形にし、その形が色々な人に広がり、その形で飯を喰っていける。なんと理想的な人生なのだろう、と羨む一方、最初だけじゃなくてずっと大きな不安やプレッシャーとの戦いで、それを乗り越えたのは彼自身のユニークな性格だったからなんだろうなと思った。

  • 2024/02/27

  • 諸説あるが、スノーボードの歴史を築いてきた立役者の1人、ジェイクバートン。彼の起業家精神、仲間への想い、妥協しないものづくり、とにかく生き様がかっこいい。

  • 今では当たり前のスノーボードが、40年前にはスキー場で滑れなかった???

    ジェイクが20代前半で作って、スキー場に働きかけてスノボを滑れるようにして、一世代でオリンピック競技にまで発展させたって???

    スポーツ界のApple並みのすごさじゃないか!!

    あまり彼のことを知らずに読み始めたので、驚きの連続で面白かった。

    幼い頃からの家庭環境、バートンが軌道に乗るまでの苦労や葛藤、ジェイクのスノーボードに対する情熱や、家族、社員、スノーボーダーへの愛が非常に伝わってくるエピソード多数。

    ジェイクの最後を読んでいる時には、泣いてしまいました。

    私も彼みたいに情熱を持って仕事をしたい。

    とても憧れる人に、本書を通じて会うことができました。

  • ジェイクバートンと、その時代のスノーボード 業界に起こったことを書いた本。

    スノーボード の発明者であるだけに、なかなか面白かったです。

    ただし、バートンだけの話しだと、尺が足りないので、他の人の話も分団に入っています。

    スノーボード に興味のある人にはオススメできる本だと思います。

  • スノーボードといえばバートン的な感じで昔はブランドに対するイメージは良くなかった(今は大好き)が、そんなバートンブランドの立ち上げから今日までの軌跡を追いつつジェイクバートンという人とそこに関わる人たちを感じれる。
    早く乗りたくなってくる。

  • <目次>
    序章   3月13日は「ジェイクの日」
    第1章  きっかけは1枚のソリ
    第2章  失敗だらけの試作品開発
    第3章  甘すぎた販売計画
    第4章  出会いと競技で軌道に乗る
    第5章  スキーとの愛憎関係
    第6章  スター誕生で一気に飛躍
    第7章  日本でも火がついたブーム
    第8章  人生スノーボード一色
    第9章  悲劇
    第10章  多様化するライディング
    第11章  再び表舞台に
    第12章  見えない敵との闘い
    第13章  何ひとつ悔いのない人生

    <内容>
    スノーボードを作り、それをオリンピック種目になるまで成長させた人物の伝記。日本人が書いている。
    自分はウインタースポーツをやるわけではないし、若くもないので、スノーボードも、ただ「そうなんだ、ヘエ~」レベルの知識しかなかったが、このバートンの努力と信念には驚いた。何よりも、スノーボ-ドが好きで、とても楽しいよ!というのが核で、それをみんなに知ってもらいたい、やってもらいたい、の気持ちが強かったことがよくわかる。あとはバードンが周りの人物を肯定的に捉えていて、基本が「ポジティブ」な所なんだろうと思った。ビジネス書としても読み取れると思う。

  • おもしろすぎる…
    スノーボードが好きで、バートンが好き。
    そんな私にはおもしろすぎる一冊でした。
    これを読んで、さらにバートンが好きになりました。

  • まず、タイトル詐欺。ジェイクバートンの一生というよりも、Burton Snowboardの歴史が浅く語られているだけ。日本人Authorが過去の映像資料やらを寄せ集めて、間をつぎはぎするために多少の取材をしたというのが、実際のところではないか?FISとのオリンピックに関する立場の違いや、クレッグケリー/テリエとの関係性など当時のスノーボードシーンを感じられるかと思ったが期待外れ。帯が藤原ヒロシなのをみて察するべきだった。

  • スノーボードを生んだ男
    ジェイク・バートンの一生

    著者:福原顕志
    発行:2021年11月20日
    文藝春秋

    ジェイク・バートン・カーペンターが生まれ育ったロングアイランドは、ニューヨーク州では有数のサーフスポット。14歳の時、クリスマスプレゼントとして両親がくれたのは勉強机だった。中流のサラリーマン家庭では、彼が期待していたサーフボードなどもともと望むべくもないものだった。彼は自分の小遣いでその頃に流行っていた「スナーファー」という幅広で短いスキーのような形の板の先端にロープがついただけのソリを買った。スノーとサーファーを掛け合わせてスナーファー。サーフィンのように立って雪の上を滑ることができる。

    ジェイクはこれにはまった。なぜこんなに人気商品なのに、これを使って誰もなにもしようとしないのか?高校生の時、自らこれを改良していこうと決意する。それがスノーボードづくりの始まりになった。

    厳格な父親の下、高校はボーディングスクール(全寮制の厳しい私立高校)に入れられたが、生意気な劣等生でLSDをやって友達と騒ぐ日々。結局、3年生の時に退学処分となる。進学校に入り直し、トップの成績でコロラド大へ。ニューヨーク大の夜間に入り直し、父親と同じマンハッタンの投資銀行に就職したが、1977年、23歳で辞めて夢を叶えるべく道を歩む。

    最初は板を自分で切って作り始めたが、平らではスノボになり得ないと思った。
    そこで、サンフランシスコ近くのサンタクルーズでサーフボード作りを学び、スノボを自作した。ファイバーグラスで作ったスノボは軽くて柔軟性もあったが、衝撃に弱い欠点があった。
    発泡スチロールなど色々な素材で試したがうまくいかず、木に戻る。薄い板を丁寧に貼り合わせていく方法。最初は5枚、そして7枚。板が重くならないように一枚一枚を薄くした。接着剤が乾くと蒸気で熱してプレスし、先端部分をそらせた。その後、電動ノコギリで切り取る。

    1978年6月末、100枚目の試作品でついに完成。78-79年シーズンで生産した内、売れたのは350枚。1000枚以上が残った。スナーファーは10ドル以下、だがスノボは90ドル近くした。1980年1月から、在庫を車に積み、訪問販売を始める。これもあまり売れない。行きに買ってくれたショップに帰りに立ち寄ると、売れないからと返品されたりもした。

    3年目から、ぼちぼちとメールオーダーが入るようになってきた。4年目、最初に失敗したので正社員は雇わず、高校生のアルバイトを雇っていたが、これが思わぬ成功へ。シーズン中、みんなボードを持ち出して試乗していたが、彼らが友達に広めてくれた。ジェイクは販売対象年齢層を間違えていた。もっと若い層、15-17歳が興味を持ってくれたのだった。

    徐々に普及していったが、壁があった。スキー場では滑らせてもらえなかった。彼らは粘り強く交渉し、スクールを開いてそこで合格した者だけにライセンスを与える。そのライセンスもいくつかに段階が分かれていて、滑ることができるエリアが違う。結局、そういう方法で理解をしてもらった。スノボのスクール運営を始めたジェイクは、若者たちにスノボの技術だけでなく、マナーもしっかり教えることを心がけた。

    スキー業界にとっては、単なる邪魔ものから、自分たちのビジネスを脅かす商売敵になっていった。スノボ業界は、長年、スキー業界やスキーヤーから差別されることになる。

    ジェイク・バートンの〝商魂〟物語だけじゃなく、オリンピックとの関係についても面白かった。正式種目になったのは、1998年の長野五輪から。誕生からたった20年で五輪種目になったものはほとんど例がない。一方で、スノボ界は屈辱的とも言える扱いをされた。FIS(国際スキー連盟)が急に競技会でスノボ種目も扱い始め、変だと思ったら長野五輪の正式種目採用を発表。スノボ界からの働きかけはなく、IFS(国際スノーボード連盟)に連絡さえもなかった。

    IOCも絶対にスノボは入れないと言っていたのに、突然の寝返り。スキー競技人口が伸び悩んでいたので、若者中心に人気急上昇のスノボを取り組んで収益を上げたいというのが本音だったようだ。

    「スノーボードの神」クレイグ・ケリーを師と仰ぐテリエ・ハーコセンは、その頃、IFS主催のハーフパイプ世界選手権で3連覇、全米も3回優勝し、五輪でも金メダル間違いなしと言われていたが、出場ボイコットした。「やつら(FIS)は長年スノーボードを憎み、馬鹿げたものだと言って、なんの関係も持とうとしなかったのに、アクションスポーツがテレビの視聴率を稼げるようになったら手のひらを返してスノボをもてはやした。冗談じゃない」

    テリエが最も納得いかなかったのは、代表選手の選考方法。ISFなどスノボ団体が競技会を運営し、ポイントを与えてきたのに、IOCはFIS(国際スキー連盟)が主催する競技会に限定して選考大会とした。1国4名としたため強豪国では多くの有力選手が出場出来ずじまいだった。スポーツは二の次で、商売が第一。

    長野五輪でスノボ大回転の会場となった志賀高原・焼額山スキー場は、普段はまだスノボ禁止だったというのも、象徴的なこと。

    テリエは以後、クレイグ・ケリー同様、スノボの原点であるパウダースノーで滑るため、バックカントリーの世界へと入っていった。ところが、平野歩夢の憧れで、かつ、ライバルだったスーパースターのショーン・ホワイトの世代になると、生まれたときからスノボが人気スポーツで、こうした感覚はなかった。彼にとっては、最初から競技だった。

    著者はNHK出身。この手のものを英語圏の人間が書くと回りくどくて長いものになるが、そういうこともなくて読みやすく、内容も面白かった。

    ******

    アメリカでは伝統的に新婦側が結婚式の手配をすることが多い。ジェイクの妻となるドナの父親は富豪で、NBAボストン・セルティックスのオーナー。

    ポール・グレイブスは12歳からスナーファーに乗っていた熟練ライダーだった。1979年開催の初めての賞金付き大会で、彼のライディングに驚いた大会側が急遽フリースタイル部門を新設し、彼は初代チャンピオンに。その大会に、ジェイク・バートンも自分のスノボで参加した。大会側はスナーファーではないため反対したが、グレイブスの強い推薦で認めた。2人は意気投合し、以後、スノボの普及に尽力する。

    NYでの展示会に出展していると、トム・シムスという西海岸では名の通ったスケートボーダーが来てニヤニヤしている。「これなら高校時代に作ったなあ」と、スノボを考えたのは自分だと言わんばかりの発言だった。以後、ライバルになる。

    1985年公開の「007 美しき獲物たち」冒頭のアクションシーンで、ロジャー・ムーアが演じたボンドのスノーモービルが爆撃され、その破片でソリをスノーボードのように乗りこなしたシーンは、トム・シムスがスタントを務めた。

    西海岸では、水を抜いたプールの内側をスケボーで滑るのが流行っていて、シムスたちは同じことをスノボでもやっていた。しかし、ジェイクたち東海岸のライダーはハーフパイプなど一度も滑ったことがなかった。

    クレイグ・ケリーは「スノーボードの神」「史上最高のスノーボーダー」と呼ばれていた。1985年に初めて競技会に。いきなり表彰台。86年からは4年連続世界チャンピオン。シムスのチームライダーとなったが、シムスの財政状態悪化とともにボードの改良がなされなくなり、うまくいかなくなった。やがて、バートン社のライダーに。

    クレイグはスノボ出身で初めて山岳ガイドになった。バックカントリーを楽しむのには山岳ガイドの存在は不可欠だと考えたから。しかし、スキーと違って登坂できないので、スプリットボードという板が縦に二つに割れるタイプのスノボをバートンと開発した。だが、2003年、山岳ガイドの全資格を保有するためにカナダのロッキー山脈で熟練山岳ガイド、ルーティ・ベグリンガーのハイキングツアーに同行したところ、雪崩に巻き込まれて死亡した。ベグリンガーの判断ミスが原因だった。

    ジェイクの考え。
    「スタイルは全てだ。素晴らしいスタイルというのは、見る人の目を喜ばせる。それは、楽しそうに見えると同時に芸術的でもある。スノーボードにとって最も重要なものだ。ライダーたちがジャンプしてクルクル回転して体操競技のようになっても、決して失ってはいけないものだ。そこにスタイルがなければ、それはただの空虚な回転でしかない。

    2015年、ジェイクは全身の筋肉が動かなくなるギラン・バレー症候群に似たミラー・フィッシャー症候群になった。前者は毎年10万人に1-2人、後者は100万人に1-2人が罹患する希な病気。しかし、なんとか克服。

    2019年、以前に患って克服した癌が再発、3週間後の11月20日に死亡。享年65。

  • ふむ

  • 試作品を作って、裏山で滑って、専属ライダーを抱え、誰のために、なぜ、何をするのか、明確なスタンスを持っていて、読んでいて活動の方向が分かりやすい。いつスキーメーカーに参入されてもおかしくないのですが、北京オリンピックでもバートンの板をたくさんみました。最後の方で、板とブーツ脱着の工夫の話があって、バートンも腰をかがめたくないのかと安心しました。スキーと比べて脱着が面倒なことと、平らなところでは進めないことが、スノーボードの難点だと思っていたので。

  • 北京オリンピックの平野歩夢に熱くなり、その勢いで買った本。
    バートンは知っていたが、(ジェイク)バートンさんがスノボそのものを作った人とは知らなかった。
    スノボという誰も見たことない体験をスポーツまで昇華させた起業家精神は素晴らしいに尽きる。スキー業界から目の敵にされていたにも関わらず、スキー業界とも付かず離れずの絶妙な距離感でスキーと並ぶウィンタースポーツの二大巨塔にしっかり根付いている。
    そんな自分は幼少期から年に数回はスキーをやっていて、国内でのスノボ普及期と重なり徐々に周りがスノボに手を出す中いまいちスノボには馴染めなかった。そこにはなんとなくスキーこそ王道みたいな意識は少なからずあったと思う。
    スノボの難点としてはリフトの乗り降りで片足を外すという欠点がとにかく面倒で嫌いなのだけれど、この本の最終章によるとジェイクの最後の仕事の一つとしてその欠点も解決する商品がどうやら出ているらしい。
    久々にスノボやってみますかね!!

  • 今では冬季五輪のメジャー競技となったスノーボード。ほんの数十年前には存在さえしていなかったこのスポーツはたった一人の人物の存在によってここまで発展してきました。本書はその人物、ジェイク・バートンの生涯とスノーボードの発展の歴史を辿るノンフィクションです。
    バートン氏は1977年、23歳の時に”雪上でサーフィンのように”楽しめる遊びを考案し、スノーボードと命名しました。アメリカのバーモント州にオフィス兼工房を開き、自分で新しい素材や工法でボードを作成し、そして自ら雪上で試すという試行錯誤を繰り返し、完成度を上げて行きました。
    当時(1980年代)はスキー全盛期。スキー場ではスノーボード禁止と言われ、スキー愛好者は”横乗り文化”のスノーボードを軽く見てなかなか普及しません。ところが、10代を中心に世間への反骨心にあふれる若者たちに次第に支持され始め、発展への道を歩み始めます。
    個人商店から家族経営、挫折を経て再びメンバーを集めて会社を発展させるプロセスの中には何度も苦境に陥り、それを助けてくれる多くの人との出会いや、技術的なブレークスルーもあり、読んでいてワクワクします。スノーボード(新興勢力)がスキー(旧主派)を相手に市民権を得ていくという対抗軸だけではなく、興味深いのはスノーボードの中にも、当初はアルペン競技を中心としたアメリカ東海岸系の選手達と、フリースタイル競技を中心とした西海岸系の選手達との確執があったことです。バートン氏はスノーボード全体へのサポートを公言し、その両方を取り込んでいきます。
    スノーボードが初めて冬季五輪競技に採用されたのは長野オリンピックでした。ところが、この事実の裏には、それまでスノーボードに対して否定的であったFIS(国際スキー連盟)がスノーボード業界に無断で強引に進めた背景があったりし、スノーボードがメジャーになるにつれ、本来その競技を楽しんでいた人達にとっての理想像から乖離してゆく様子なども描かれています。
    本書冒頭では、2018年平昌五輪の男子HP決勝、ショーンホワイト選手と平野歩夢選手の一騎打ちのシーンが描かれています。二人もバートンのサポートを受けた選手で、その二人の証言も掲載されています。
    本書主人公バートン氏は2019年に65歳でお亡くなりになりました。どれほど会社が大きくなっても、自社製品は必ず自ら試す事、年間100日は雪上でボードに乗ることを課していた異色の起業家の生涯を様々な角度から描いており、スノーボードをやった事がない私でも一気に読めました。

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