- 本 ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163914978
作品紹介・あらすじ
人知れず抱えている居心地の悪さや寂しさ。
そんな感情に寄り添い、ふと心が軽くなる瞬間を鮮やかに掬い取る。
注目の著者が放つ七篇。
「コードネームは保留」
楽器店で働く優香は、人知れず“殺し屋”の設定を生きることで、
味気ない日々をこなしていた。
「タイムマシンに乗れないぼくたち」
新しい街に馴染めない「ぼく」は、太古の生物が好きで、博物館が唯一落ち着く場所だった。
ある日、博物館で“現実逃避”をしているスーツ姿の男性と出会い――
「深く息を吸って、」
息をひそめるように日々を過ごすかつての「きみ」に、私は語りかける。
「対岸の叔父」
町いちばんの変わり者、それがぼくの叔父さんだった。
孤独と「戦う」わけではなく、また「乗り越える」でもなく、
仲良く手を繋いでとまではいかないけれども、
孤独とちょうどよい距離を保ちながらともに生きていこうとするような、
そういう人びとの物語を書きました。
――寺地はるな
感想・レビュー・書評
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”一人ぼっちのつもりだった。だけど、そうじゃなかった”
私たち人間は群れの中で生きる生き物です。何をするにしても一人で生きていくことなどできはしません。しかし、そんな正論とは別に、家庭の中で、学校の中で、社会の中で…自分の居場所がないと感じ、”一人ぼっち”という思いを抱いている方もいらっしゃるかと思います。
ここ三年ほど続いたコロナ禍、人と人との接触を否定するコロナ禍は、そんな孤独感をさらに強めることにもなりました。一方で人は安定感を求めもします。野生動物と違って明日の食糧の当てもないということはない私たちとはいえ、そんな生活の中でも安定した日々は心に安らぎを生みます。そして、それは”一人ぼっち”という状況であっても同じことなのだと思います。”一人ぼっち”の状況が当たり前の日常になる中には、逆にそれが安定した毎日である、良くも悪くも安定感を前提とする中には”一人ぼっち”でもいいや、といった考え方が成り立ってしまいかねません。でも、それは、正しいことなのでしょうか?人の生き方とはそのように決まっていって良いものなのでしょうか?
さてここに、”一人ぼっちのつもりだった”と自らが生きる日常を思う主人公たちが登場する七つの物語があります。性別、年齢、そして境遇などさまざまな主人公に光が当てられていくこの作品。そんな主人公たちがいずれも”一人ぼっち”という言葉を感じる日常を生きていく様が描かれるこの作品。そしてそれは、そんな主人公たちが、”一人ぼっち”だと思っていた自分に寄り添ってくれる存在に気づく物語です。
『コードネームが必要だった』、『戸籍上の名前ではない、友だちからつけられたあだなでもない、ペンネームでもラジオネームでもなく源氏名でもウェブ上のハンドルネームでもなく、コードネームだ。殺し屋にはコードネームが必要だ』と考えるのは主人公の南優香(みなみ ゆうか)。『殺し屋。暗殺者。アサシン。刺客。なんでもいい。どうせ実際に殺すわけではない。設定としての殺し屋になる。そう決めたのだ』と思う優香は、さまざまな名前を思い浮かべますが最後に『コードネーム: 保留』と手帳に書き込みました。そんな時、『午後の始業』『を告げる曲』を合図に『手帳を閉じ』た優香。『藤野音楽堂』という『駅前の商店街の端にある楽器店』で働く優香は三年前に『「経理事務 若干名」という求人』によりこの会社に入社しました。そんなところに『セーフ、などと言』いながら『「女の子たち」がにぎやかに事務所に入ってき』ました。『いつも四人で昼休みを過ごす』『女の子たち』。『年齢の近い人同士気が合うんだよ、ただそれだけ』と山本に言われた時のことを思い出す優香は、『言っている途中でわたしも彼女たちと同じ二十代だということ』に気づいて『かえって気まずい沈黙が漂』います。『「女の子たち」に自分が含まれていないことは、べつだん悲しいことだとは思っていない』という優香は、一方で、そんな山本が『来月末に退職する予定になっている』ことを思います。『子どもの数』が減り『音楽教室にも生徒が集まらない』現実を踏まえ、『藤野音楽堂には未来がない』と口癖のように言っていた山本は、『こっそり転職活動を』する中に『不動産販売の会社』に転職を決めました。そんな山本に後任について尋ねたところ、『なんか社長たちの親戚の子だって』と聞いてうんざりします。そして、仕事が終わり会社を後にした優香が駅に向かって歩いていると、『邪魔』と後方から男がぶつかってきました。『以前にもこうやってぶつかられたことがあった』と思う優香は、『けっして狭くはない歩道の、ずいぶんはじっこを歩いていたつもり』だったのにと思いつつ、『人さし指と親指でつくった輪っかごしに、遠ざかっていく背中を観察』します。『男が今度は歩道を歩いていた女子高生の肩にぶつかるのを見た瞬間に、頭の中で引き金を引』く優香。『男の頭がぱーんとはじけて、胴体がどさりと歩道に倒れる』というその光景。しかし、『現実の男はどんどん歩いていき』『視界から消え』ました。『殺し屋は夕飯を買いにコンビニに寄ったりするのだろうか』、『殺し屋はじゃがりこを食べない』、『ポテロングも食べない。キャベツ太郎など論外である』と『結局牛乳だけを買って出てきた』優香は、『殺し屋の設定は、ダイエットや節約にもなる』と思います。『おそらくわたしはほんものの殺し屋にはなれないだろう。正直血とか苦手だし』と思う優香。そんな優香の『殺し屋の設定』の上にある日常が描かれていきます…という最初の短編〈コードネームは保留〉。淡々と描かれる優香の物語の中に寺地さんらしい魅力を垣間見る好編でした。
“人知れず抱える居心地の悪さや寂しさ。 そんな感情に寄り添い、ふと心を軽くする物語”と、本の帯に記されたこの作品。首の長い恐竜の頭に座る少年、そんな彼らの後方に土星を思わせる惑星が浮かび上がるというなんとも不思議な表紙のイラストが印象的なこの作品。そんな作品には、「タイムマシンに乗れないぼくたち」という書名がつけられています。私は一年におよそ150冊の小説ばかりを読んでいます。そして、その目的は究極的には”タイムスリップ”を描いた物語をひたすら探すことでもあります。”タイムスリップもの”でご飯を何杯でも食べられる私は、まさかの寺地はるなさんの小説に”タイムマシン”という言葉を見つけ、一切の躊躇なく手にしました。寺地さんの”タイムスリップもの”が読める!しかし、どう考えても寺地さんがSFな物語を書くはずがないという思いも浮かびます。結局、後者の直感が正しいというこの作品。はい、いつもの寺地さん通り、普通の日常がそこには描かれていきます。これは、”タイムスリップものではありません!”とここで断言することがネタバレになったらごめんなさい。でも、もし寺地さんという作家さんをご存知でない中にこの作品を”タイムスリップもの”と手にし、失望を経験されたとしたらあまりに残念ですので、寺地さんの作品を愛する者としてハッキリここに書かせていただきたいと思います。
そんな作品は全く独立した七つの短編で構成されています。いずれも”人知れず抱える居心地の悪さや寂しさ”を抱える主人公が視点の主を務めます。そんな七つの短編の中に比喩表現を頻発する短編があります。表題作の〈タイムマシンに乗れないぼくたち〉がそれに当たりますが、とても印象に残りましたので少しご紹介しておきましょう。主人公・草児は小学校四年生で転校してきたばかりという設定の中にクラスの雰囲気を表す表現が登場します。では、自己紹介をしている時に『なんか、しゃべりかたへんじゃない?』と笑い声が聞こえてきたという場面をご紹介します。
・『ひとりが発した笑い声は、ゆっくりと教室全体に広がっていった。風に吹かれた草が揺れているようだった。風はやがて止んだが、草児はもう口を開くことができなかった』。
→ 転校後、教室の中でクラスメイトに初めて挨拶する瞬間はその後の自分の立ち位置が決まる重要な局面だと思います。そんな瞬間を絶妙な比喩表現で表していきます。
・『強いものと弱いもの。頭のよいものとよくないもの。教室には異なる種の生物が共存している』と思う草児は転校前には『世界はもっと、ぼんやりとしていた。自分がその世界の一部だったからだ』と思います。その一方で、『今は違う。世界と自分とがくっきりと隔てられている。ガラスだかアクリルだかわからないけど、なんだか分厚い透明ななにかに隔てられている』という今を思います。
→ そんな草児は『自分はこの学校になじめないのではなくて、ただ博物館で展示物を見ているように透明の仕切りごしに彼らを観察しているだけ、というポーズでどうにか顔を上げていられる』とも考えます。
→ 転校先に馴染めず一人ぼっちになっていく主人公の心持ちをこんな風に表現していく寺地さん。直接的な表現でなく全て比喩で表現していく中に、逆に主人公・草児の心の中に渦巻く思いを読者に分かりやすく伝えていると思います。
・『草児は自分が「食べる側」になれるとは、どうしても思えない。勉強も運動も、できないわけではないが突出してできるわけではない。クラスにもなじめていない。「ありがとう」と言っただけで、岩かなにかが喋ったみたいにびっくりされているのだから』。
→ 『来年、草児は中学生になる』というなかで、『生存競争はさらに激しくなっていきました』と、自分が置かれている状況を見る草児の心境を表す表現ですが、『「食べる側」になれるとは、どうしても思えない』という表現は凄いです。『草児』と名付けた寺地さんのネーミングセンスも光りますが、この表現はとても印象的でした。また、一方で草児の心細さもさらに伝わってくるものだとも思います。
では、次に七つの短編の中から三つの短編についてご紹介しておきましょう。
・〈タイムマシンに乗れないぼくたち〉: 『今住んでいる場所は、前に住んでいた場所より土の匂いが薄い』と感じるのは主人公の宮本草児。そんな草児は『博物館の空気はそのどちらとも違う』と思う中に『骨格標本のコーナーに移動し』ます。『亀の骨格標本を見る』中で『恐竜じみた首の骨』に似ていると思う草児は、博物館が唯一落ち着ける場所でした。そんな時、背後で変な声がします。『フーファ』。振り返るとそこには『紺色のスーツを着』た一人の男が立っています。そして、草児に話しかけてきた男を無視して博物館を後にした草児ですが再び博物館でその男に…。
・〈夢の女〉: 『サエリは今のところ、わたし以外の人間の目には見えない。なぜならサエリは、夢の女だから』と思うのは主人公の久保田明日実。『四十六歳でその一生を終えた』夫の草介が仕事で使っていたノートパソコンを遺品整理も兼ねて開いた明日実は、『五十以上はあ』るテキストファイルを見つけます。女性を思わせる人物の記述に『浮気の記録』かと疑いますが、それは『自分を主人公にした小説』でした。そんな小説に必ずヒロインとして登場する『サエリ』。そんな小説を読む中にやがて『サエリ』と対話していくようになる明日実…。
・〈深く息を吸って、〉: 『きみは自分の顔が好きじゃない』、『前髪で隠しているけど額にはいくつか吹き出物ができている。自分の顔にはどうしてこうもよけいなものがいっぱいついているんだろう、と思っている』と主人公の『きみ』を見る視点で展開する物語。『容姿が劣っているぶん笑顔や愛嬌でカバーするべきだと』母や姉に言われ、『懸命に笑おうとするが、失敗する』という『きみ』。『小学校も中学校もひとつしかない』中に、『顔ぶれはまったく変わらない』中に中学生を生きる『きみ』。『どこにも行けない』、『どこにも行けやしない』と思う『きみ』…。
三つの短編をご紹介しましたが、いずれの短編に登場する主人公も今いる場所に”居心地の悪さや寂しさ”を感じている点が共通しています。中学生の草児は『この街に引っ越してきて三か月経った』ものの新しい環境に馴染めず、唯一安らぐ場所である『博物館』に安寧を求めています。夫が若くして亡くなった明日実は、そんな夫が書き残した小説のヒロインと世界を作っていきます。そして、家族からも、友達からもマイナス感情で見られる日々を送る『きみ』の物語は、読めば読むほどに非常に心細いその心境が伝わってきます。そんな物語に作者の寺地さんはこのようなことをおっしゃいます。
“孤独と「戦う」わけではなく、また「乗り越える」でもなく、仲良く手を繋いでとまではいかないけれども、孤独とちょうどよい距離を保ちながらともに生きていこうとするような、そういう人びとの物語を書きました”
「別冊文藝春秋」に掲載された七つの短編が収められたこの作品には、寺地さんがそんな風に説明される、まさに”孤独”と絶妙な距離を生きる人たちが主人公となり物語が展開されていきます。そこには、結末に何か大きな進展があるわけでも劇的な変化が起こるわけではありません。あくまで寺地さんの小説らしく、物語の最初より一歩進んだ未来が柔らかく提示される物語が描かれていきます。
そんな中で特筆すべきと思ったのが、上記でもご紹介した〈深く息を吸って、〉です。この作品に登場する主人公は『海と山にはさまれた』小さな町に暮らす中学生女子です。最後まで名前が登場することがないだけでなく、その視点が、なんと『きみ』と表されていくのです。
・『きみは自分の顔が好きじゃない』。
・『きみが暮らしているちいさな町には、個性とか多様性とかそんな言葉は存在しない』。
・『きみは小学生の頃、彼女に靴を隠されたことがある』。
物語は主人公を『きみ』と第三者的に見る視点から主人公の日常を、その心の内を淡々と極めて淡々と描写していきます。家庭に問題があること、学校で一人ぼっちでいること、この世に居場所がどこにもない主人公の姿が絶妙に浮かび上がってきます。これは、この『きみ』という摩訶不思議な視点から主人公を描くことによって得られる魔法とも言える効果があってこそです。例えばこの『きみ』という箇所を次のように置き換えてみましょう。
・さて子は自分の顔が好きじゃない。
・私は自分の顔が好きじゃない。
元々の
・『きみは自分の顔が好きじゃない』。
と比べて随分と伝わってくる響きが違ってきます。そうです。○○と名前を示して描いても、私はと一人称で描いても物語の雰囲気感はこの作品が纏う独特の雰囲気感にはならないと思います。これは、凄い効果だと思いました。そして、『きみ』という表現がこの短編全編にわたって続いていく中に、気づくと、そんな物語の中にどっぷりと入り込んでいる自分に気づきました。短編〈深く息を吸って、〉、この短編を読むだけでもこの作品を手に取る意味がある。寺地さんの見事な構成の妙を是非とも堪能していただきたい、結末にグッと込み上げるものを感じる素晴らしい作品でした。
『タイムマシンには乗れないんだ』
そんな風に語る一人の男が登場する表題作をはじめ、七つの短編が収録されたこの作品。そこには、”孤独とちょうどよい距離を保ちながらともに生きていこうとする”人たちを描いた物語がありました。寺地さんらしく生きづらさを感じる人たちを優しく見守るような距離感で描かれたこの作品。SFは登場しなくとも、寺地さんらしい安定感のある物語展開に安心するこの作品。
短編でも変わらない寺地さんらしい独特な雰囲気感の物語を堪能した、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
恐竜の絵とタイトルに抱かれて手に取りました寺地はるなさんの作品。3冊目になりますが、ぼんやり生きている地味な人に焦点を当てるのが上手い作家さんですね。
明確な答えとかあるわけないけど、緊張の合間にホッと一息できるような瞬間を切りとったような後味が薫る7つの短編集です。
「コードネームは保留」
殺し屋設定で生きるOL、中二病を拗らせたまま社会にでてしまった感じが否めないけど共感持てたりなんですよね。淡々とした語り口調が魅力的だし、コンビニに入っても殺し屋として相応しい食事を考えたりする使命感、なりきりブリが素敵だと思いました。私ならカロリーメイトにプロティン系飲料を選ぶかな。考え方変えれば社会に迎合ぜずに拘りをもって生きてるってことじゃないかな。彼女にとって孤独は平穏を楽しめる友達なので寂しいわけじゃないと思いますが、職場の同僚と深くかかわることにシフトしたら他の痛みも知るわけでキャパオーバーになるかもしれない。違う展開が降りかかって、殺し屋としてタブーな身バレに繋がるかも? そうなれば、別の設定用意しなければいけないかもですね。コードネームは「いばら姫」がいいと思うんだけどなw
あと心に残ったのは、「口笛」と「夢の女」
姪の送迎の迎を担当するOLの話と夢の女と同居する未亡人の話。
スタンドバイミーをみて俳優に憧れる話も良かったけど、川のつく俳優って菜食主義のリヴァー・フェニックスなんだ。15歳でデビューして23歳で麻薬中毒で亡くなってるんだ。ピュアなイメージからダークに一変する衝撃的事件だったようでした。
タイトルのタイムマシンの男の子、草児の話も良かったかな。
てか、草の付く名前多いのは草食系男子って繋がりですかぁあ。
最後の話のホームセンターの店長も名前に草がついてたし・・
うる覚えなのは映画に気をとられてしまって、次男がまた変なDVD借りてきて見だしたんです。スピルバーグの「ジョーズ」以来、鮫映画ってジャンルが定着したようでいろんな国が作ってて近年は鮫が巨大化してるのが特徴なんですが日本映画にもでてきて鮫と忍者と生首がでるもので首を切るシーンなんか血が吹き飛んでおぞましくって集中して読んでられなくなってしまいました。
いろんなボッチがいて側で見てるより本人は楽しかったり、不自由だったり、人が思う程不幸じゃなかったりしますが、序列をつけないと安心できない人ってめんどくさいですね。
これまでいろんな小説読んできましたが、過去のトラウマとか、生い立ちとか執拗なまでに自分語りする必要あるのかなって感じたりしました。先入観で同情を誘う王道パターンなんですが、そこまでの背景知りたいとか思わないし詮索好きでもないし、重い話聞かされても沈むだけだし、必要以上に距離縮めたいとか思わないし、今ある個性を表現するだけで充分伝わってくるものあると思うんだけどなあ。うーむ、どうなんだろう?
もしそうならシリーズもの1巻から順に読まなくても楽しめるかもしれないし、喪失感とか味あわずに済むかもしれない。今度試してみようかなw-
チーニャさーん、全然平気だしウエルカムですよ♪
寺地はるなさんとても筆が乗っててリズミカルで「夢の女」なんか実体験から滲み出てるような勢い...チーニャさーん、全然平気だしウエルカムですよ♪
寺地はるなさんとても筆が乗っててリズミカルで「夢の女」なんか実体験から滲み出てるような勢いがあって絶叫しちゃいそうでした。あまり笑うと腰に響いて痛みが走ったりでしたが
コルセットも外したし回復にむかってますよ(^^)v
チーニャさんはいよいよコン兄シリーズですかね
レビュー楽しみにお待ちしております(*≧∀≦*)2023/10/13 -
「夢の女」は絶叫しちゃいそうなほど笑えるんですね。コミカルな作品も寺地はるなさん、あるんですね〜♪
それから腰の方は回復に向かっているとき...「夢の女」は絶叫しちゃいそうなほど笑えるんですね。コミカルな作品も寺地はるなさん、あるんですね〜♪
それから腰の方は回復に向かっているときいて安心しました。
良かった良かった〜(*^_^*)♡
2023/10/14 -
導入部分がしょっちゅう訪ねてくる叔母への愚痴なんですがこれが面白くって、引き込まれて行きました。(≧∇≦)導入部分がしょっちゅう訪ねてくる叔母への愚痴なんですがこれが面白くって、引き込まれて行きました。(≧∇≦)2023/10/14
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7話の短編集。
表題でもある「タイムマシンに乗れないぼくたち」は、小学生のぼくが学校でも家でも居場所が無いと感じていて、いつも学校帰りには博物館で過ごす。
この少年のなんとかしたい気持ちとか、どこかへ行きたいという気持ちが、すごくよくわかる。
他の短編でもそうだが、いつも中心にいる華やかな人に焦点をあてるでもなく、どことなく不安定で、誰にもわかってもらえないぼんやりとした気持ちや淋しさを描いている。
でも、どうにかなるもんだよ…という気持ちにさせてくれる。
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毎日、人と接して暮らしていると、モヤモヤした気持ちが溜まっていきます。言葉で表すのが難しい感情の数々が、短編集となっています。自分の気持ちを口に出すのが難しい人達。私もその一人です。
七つの短編の中で、一番印象に残ったのは、「夢の女」です。夫を事故で突然失った40代半ばの妻が、想像上の、美しく完璧な女性と一緒に暮らす、というお話。この夫婦、夫が生きていた頃は、ちょっとした事でケンカが絶えない。40代、50代の女性であれば、共感するところがあると思います。大阪が舞台で、軽やかな文章、会話も大阪弁のくだけた感じです。しかし、その奥底に流れる、深い深い悲しみに心が苦しくなりました。その対比がとても良いです。
その他にも、表題作の「タイムマシンに乗れないぼくたち」は、男子小学生。「深く息を吸って、」は、女子中学生のお話。幅広い年代で楽しめる本です。 -
さてさてさんやしじみさんの本棚から図書館予約
寺地はるなさんの温かくて静かなメッセージがちりばめられた短編7編
どれもよかったなあ
ジワッときたなあ
劇的な事件が起こるわけでもなく
主人公が「困難」に果敢に挑む
という話でもない
でも、それぞれのラストに「だいじょうぶ」だよ
と声をかけてしまう
こんなストーリーを紡ぐ著者にため息が出る
ありがとうございました
わたしも「だいじょうぶ」です。多分(笑)
≪ 太古へも 未来へも行かず 今生きる ≫-
はまだかよこさん、こんにちは♪
名前だしていただいて恐縮ですw
私この手の話けっこうツボだったりするんですよね。最初のボッチも無茶楽...はまだかよこさん、こんにちは♪
名前だしていただいて恐縮ですw
私この手の話けっこうツボだったりするんですよね。最初のボッチも無茶楽しんでいそうだし、叔母の愚痴をコミカルにネタにしてるボッチもやっぱ楽しそうで、ウルウルしてしまいました ( *´艸`)
みんな大丈夫そうですもんね。
2023/12/14 -
しじみさんへ
ご紹介ありがとうございます
わたしもこういう本が好き!
しみじみと「ぼっち」を感じています
どの短編も、ね
これから...しじみさんへ
ご紹介ありがとうございます
わたしもこういう本が好き!
しみじみと「ぼっち」を感じています
どの短編も、ね
これからもよろしくお願いいたします
コメントありがとうございました2023/12/15
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「コードネームは保留」
「タイムマシンに乗れないぼくたち」
「口笛」
「夢の女」
「深く息を吸って」
「灯台」
「対岸の叔父」
ちょっと寂しい人たちの短編集
初っ端の「コードネームは保留」が面白くて、鷲掴みされた感じだった。
そっか、なんだか馴染めない時とかしっくりこない時、自分が何かの任務でココにいるのだと思えば楽になるのかと、良きアドバイスを貰った気分だった。笑
どの登場人物も、なんだか少し何かに馴染めなくて、気持ちがついていかなくて、不安だったり戸惑いだったりを抱えている。
それが何だか妙に時より親近感を覚えて心地よい。
そっか、もっと楽に生きても良いのかと思わせてくれるようなお話達。
長めの詩を読んでいるような感じでもあった。
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子どもの頃からタイムマシンに憧れはあった。現代を生きる私たちには乗ることができない。7つの短編それぞれのテーマがあり、きっと何かを表現しようとしているのだろうと題名から推測した。
本物の殺し屋ではなく殺し屋の設定をする優香、楽器屋で働いている。孤独の中で生きにくさをうちに秘めて、殺し屋の設定で自分を保つ。気持ちがよくわかる。
太古の生物が好きな「ぼく」、博物館で現実逃避するおじさんとの出会い。博物館や美術館は鑑賞する面白さもあるが、私もそこに佇んで現実から空想の世界に入るのが好きだ。
急死した夫草介が書いた小説のようなものを見た妻明日実、そこで夢の女サエリとの生活が描かれているが、それは・・・妻の孤独を描いた夢の女。人は自分以外の人のことをわかったようでいてわかっていない。相手の優しさや気持ちは知らない方が良い時もある。この短編を読んで、わかったら一層孤独を感じてしまうのではと思った。
深く息を吸って、はある意味異質な感じがした。それは名前が記述されていないためだ。女子中学生の「きみ」が劣等感から来る孤独と付き合っていく様が描かれている。
他に口笛、灯台、対岸の叔父がある。
ひとつひとつの作品は、孤独の中でどう対応しているかが描かれている。多くの人たちが共感するのではないかと思う。孤独に対して闘ったり、乗り越えるといった事ではなく、ゆるく考え、孤独と付き合っているような作品だった。 -
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【今週はこれを読め! エンタメ編】心が弱ったときに効く短編集〜寺地はるな『タイムマシンに乗れないぼくたち』 - 松井ゆかり|WEB本の雑誌
...【今週はこれを読め! エンタメ編】心が弱ったときに効く短編集〜寺地はるな『タイムマシンに乗れないぼくたち』 - 松井ゆかり|WEB本の雑誌
https://www.webdoku.jp/newshz/matsui/2022/03/23/184839.html2022/03/25
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'23年8月14日、Amazon audibleで、聴き終えました。寺地はるなさんの小説、三作目、だったかな?
とても、良かったです。なんだか、こころ洗われ、考えさせられ…そして、打たれました。でも、それら各々の「感じ」が、なんというか…小ぢんまりとしてて、短編としての「重み」とでもいうのかな?それが、ちょうどいい┏(^0^)┛
「コードネームは保留」…タイトルが、「なんのこっちゃ?」と思わせましたが…ガッチリ、掴まれてしまった!
「タイムマシンに乗れないぼくたち」…切なくなって、しまいました。
「夢の女」…苦しくなって、しまいました。
「対岸の叔父」…これが、一番好き!
他の三編も、みな好きです!
POPだったり、HEAVYだったり…楽しく、聴き終えました。幸せな時間を、過ごせました。寺地さんに、感謝!
著者プロフィール
寺地はるなの作品





