きみだからさびしい

  • 文藝春秋 (2022年2月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784163915029

作品紹介・あらすじ

町枝圭吾、24歳。京都市内の観光ホテルで働いている。

圭吾は、恋愛をすることが怖い。自分の男性性が、相手を傷つけてしまうのではないかと思うから。
けれど、ある日突然出会ってしまった。あやめさんという、大好きな人に――。
圭吾は、あやめさんが所属する「お片付けサークル」に入ることに。他人の家を訪れ、思い出の品をせっせと片付ける。意味はわからないけれど、彼女が楽しそうだから、それでいい。

意を決した圭吾の告白に、あやめさんはこう言った。
「わたし、ポリアモリーなんだけど、それでもいい?」
ポリアモリーとは、双方公認で複数のパートナーと関係を持つライフスタイルのこと。

あやめさんにはもう一人恋愛相手がいるらしい。“性の多様性”は大事なのはわかるし、あやめさんのことは丸ごと受け入れたい……けれど、このどうしようもない嫉妬の感情は、どうしたらよいのだろう?
勤務先はコロナ禍の影響で倒産。お片付けサークルも、“ソーシャルディスタンス”の名のもと解散になった。
圭吾はゴミが溢れかえる部屋の中で、一日中、あやめさんに溺れる日々を始めるのだった――。


いま最も旬な作家との呼び声も高い大前さん。男らしさ・女らしさの圧に悩む大学生を描いた『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は各所から絶賛され、大きな話題に。笑いの暴力性に切り込んだ『おもろい以外いらんねん』は、アメトーーク!読書芸人回でも紹介されました。ananの「いまどき男子」特集では、若者文学の担い手として紹介されています。
本作はジェンダー文学として「アップデートされた価値観」を提示する作品でありながら、恋の切なさと喜びを凄まじい解像度で描いた、剛速球の恋愛小説でもあります。

みんなの感想まとめ

恋愛の形や価値観の違いを丁寧に描いた物語で、主人公の圭吾は、ポリアモリーという新しい恋愛のスタイルに直面し、自身の感情と向き合います。あやめとの出会いを通じて、彼は「好き」という気持ちと「性欲」の葛藤...

感想・レビュー・書評

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  • 好きになった彼女はポリアモリーだった―――。

    繊細な若者たちの、繊細な恋愛小説だった。
    価値観の違い、ってよく言われるけれど、今現在、多くの人が前提としている一対一の恋愛が合わない人も、中には存在する。

    ポリアモリーとは、双方公認で複数のパートナーと関係を持つライフスタイルのこと。
    はじめてこの言葉に触れたのはNHKEテレでやっていた5分くらいのドキュメンタリーでのこと。
    ふたりの男性の恋人を持つポリアモリーの女性を紹介していた。
    新しい風を感じるような新鮮さでその番組を見ていたのを覚えている。

    大前粟生さんの小説は二冊目。
    恋にあふれた小説だった。
    みんな誰かに恋をしていて、こちらまでフワフワきゅんきゅんしながら読んでいた。
    辛さはちょっと分からないな、と思いながら。
    でも、彼らが本気なのは分かる。

    文章の構成?がちょっと変わっていて、登場人物の視点が次々変わる多視点の小説なのだけど、Aくん→Bさんへの視点移行が滑らかで、繋がっているような繋がっていないような不思議な読み心地。それがけっこう愉悦だった。

    『きみだからさびしい』ってタイトルも好き。

  • 普段とは違うものを読んでみたくて、図書館で借りてきました。

    登場人物に共感できるかどうか。
    わたくしの場合、恋愛小説はこれが肝になります。

    結論から申し上げますと、どのキャラクターも今一つ共感できない。。。

    多様性の時代と世間では言われていますが、恋愛にも多様性が広がっているのかもしれません。
    十数年前からのLGBTの浸透。これからは性別を超えた「愛」は、もっと広い意味を持ってくるのかもしれません。

    「ポリアモリー」
    関係者全員の同意を得たうえで複数のパートナーと関係を結ぶ恋愛スタイルのこと。

    この言葉をこの小説で初めて知りましたが、
    1990年代初頭のアメリカで生まれた言葉のようです。

    この博愛主義的恋愛って言ったらいいんですかね??
    LGBTの次はこういった今までの常識では受け入れられなかったものが、世の中に広がっていくような気もするのです。
    (私自身は性格的にできませんが。複数人に愛情を分散するのが面倒)

    まあ、こういう新しい恋愛形式が世の中に浸透して、受け入れることが出来なかったとしても、「けしからん!」とガミガミ怒るのではなく「そういう人もいるんだな」と思える人間でありたいと思います。

    妙に主人公の男の子がモテるのだけど、何でなのかイマイチわからず。。。
    登場する人物が皆、彼に好意を持っているという不思議な状況。こんな事ってある?!
    彼にとってのモテ期だったということなんですかね。

    また、この小説は読み方にコツがいるかもしれません。
    一人称のストーリー展開ではなく、登場人物全員が語り手に切り替わります。
    誰の立場の文章なのか、把握しながら読んでいかないと混乱してしまう。

    作者のやりたいことを文章にすると、こういうことになるのでしょう。
    映像だと表現しやすいことが、文章だと表現のレベルが上がる。
    難しいことに挑戦していることが伝わってきます。

    普段とは異なるものを読んだ感はありました。

  • 恋愛の形が違う二人。
    人はそれぞれ違うからと相手の気持ちを察して行動する主人公。
    生きていてくれるだけで幸せ、なんて無償の愛に近い。
    優しい彼が、ぴたっとはまる相手にいつか出逢えたらいいと思う。

  • 圭吾はランニング友達のあやめに惹かれているけれど、恋愛に臆病になっていました。それでも告白。するとあやめは自身が「ポリアモリー」だと打ち明けます。複数の異性と同時に付き合えるというあやめの価値観に圭吾は戸惑います。

    圭吾は「好き」という気持ちと「性欲」を分けて考えてしまうので、あやめに踏み込めない。性欲は「気持ちが悪い」と感じてしまう。でも頭では色々考えるけど、「好き」という気持ちは止められないわけで。

    一方あやめも圭吾と付き合うことになったものの、もう一人のパートナーに別の交際相手ができたことにモヤモヤしてしまいます。人間のこころというのは合理的に枠にはまるものではないと感じました。

    最後に、圭吾とあやめは少しだけ距離を置くことになりますが、またすぐ再会するんだろうなと思います。恋愛というのは、かっこよく、きれいになんかいかないものだと改めて感じました。

  • 話題の作家による、コロナ禍の閉塞感のある生活の中で「ポリアモリー」を扱う、ジェンダー文学作品。

    主人公の圭吾が、ポリアモリーのあやめさんに対等な恋愛を求めてしまう繊細な恋愛小説。一方で、同僚の金井くん(ゲイ)からの告白、青木さんからも「さっさと好きと伝えろや!痛々しいねん。」と好意を寄せられ、あやめさんとの恋愛にはまって行く。

    ~心に残るフレーズ~
    ・ 自由って何なんだよ!あやめは叫びたい気持ちになった。つき合っている誰かのために別のパートナーを犠牲にするなんて、したくない。比べたりなんてしたくない。
    ・ そう思うけど、私だって嫉妬の気持ちはわかってしまうんだ。最近できたっていう蓮本さんの他のパートナーに、私は嫉妬の気持ちを持ってるから。

    ・ 何で対等になりたいんだろう。そんなの、わかんねえよ。ただそうなりたいんだ。
    ・誰だって誰かを支配したい?支配されてた方が楽?そんなわけあるか、そんなわけあるか、と 何度も思いながらも、圭吾には身に覚えがあった。
    ・ それは、俺にする話なのかな。俺にする話なんだろう。その蓮本さんて人があやめさんにとって大事な人だから、俺に話してくれようとしてるんだろう。でも、苦しいな。

    青年の正直で眩しい程に切ない思い、そして、ポリアモリーの蓮本さんの言う、どうしても一人だと埋められない淋しさ…も分かる気がする。この自由なライフスタイルがナチュラルな関係として認知され制度も整った場合、将来的に少子高齢化が解消され?日本経済を上向きにする政策としては悪くない?かも等と無秩序に妄想してしまった。同じ作家のジェンダー作品があるのか興味津々だ。

  • 恋愛というのは自分の気持ちを相手に押し付けてしまうことでもあり、あるいは相手の気持ちを求め続けることでもあり。いずれにしてもそこには相手を、そして自分を傷つける要素がつまっている。
    大前粟生小説の主人公はいつもそれを恐れている。

    相手のことを好きで好きで好きで好きでどうしようもない気持ちを持て余す感じ。それなのに自分へと向けられた他の誰かからの好きには無防備で無頓着。そんなアンバランスさに心をぎゅっとつかまれる。
    恋なんて簡単にできる、と思えるのはもしかするとものすごく贅沢なことなのかも。
    自分の好きと、誰かの好きが正面から行き来していたら楽なのに、ね。
    同じようなカテゴリの中で同じような恋愛に収まっていれば当たり前に成り立つ関係も、同性愛だったり複数愛だったり、そういう「普通」じゃない愛が目の前に差し出されたら戸惑うこともある。
    曲がったりゆがんだり、そして一瞬だけ交差したり。誰かのことを丸ごと好きになることって、自分じゃないどこかに向かう好きさえも好きになるって、ほんとうにしんどいよね。
    そんなしんどさのなかにある、いくつもの気持ちよさのカケラたち。
    全力疾走して転んでケガして痛くて泣いて、でもその痛みさえも愛おしく感じる。
    最初から一人だったらさびしさなんて感じない。誰かがそばにいて、そのぬくもりを知ってしまったからさびしくなるんだ。
    いろんなものを切って捨ててどんどん小さくなっていく自分を、それでもぎゅっと抱きしめるとき、さびしさからはじまる愛しさが見えるのかもしれない。

  • 様々な恋愛の形、相手を想っているからこそ自分と同じであってほしいが強要はしたくない気持ち、今話題になっているジェンダーやLGBT、ポリアモリーについて考える機会になります。ただ、終わり方がなんとももやもやします。

  • 各所で話題になっているのは把握してたけれどしばらくスルーしてて、でもポリアモリーを扱う話だと知るやいなや飛び付くように読んだ。
    複数愛を実行せんとするあやめさんに恋する圭吾くんのお話。
    ただほかにもジェンダーやコロナ禍や、なんやかやテーマと思しきものがてんこ盛りだったので、もうちょっとどれかに絞って深掘りできていたら良かったのかなと思う。あと職場関係の人たちの視点がぶれすぎてて第三部までは読むのが大変だった。

    それで肝心のポリアモリーだけど、あやめさんもまだ試行錯誤中のようで、ぴんとくる見解はみつからなかった。
    浮気性とポリアモリーは何が違うのかを自分なりに区別してみると、浮気性の人は一人の本命がいながらつまみ食いしてしまうのであって、ポリアモリーはただ本命(もしくは好きの度合いがほぼ均衡してる人)が複数いるってことなのかなと。その全員と継続したオープンな関係を築いていこうとしている。不誠実ではないよね。
    いや、その場合相手もポリアモリーじゃなければ本命が複数いる時点で不誠実なのか…??ん??
    まあ定義とかルールなんてないから、みんな各々の主観でやってるんだろうけど。私はこの恋愛の在り方がいずれはもっと市民権を得られたらいいなと思ってる。

    「別に僕は、常に複数人とつきあってたいとかでもないし、恋愛が得意な方でもないです。今の暮らしがわりと好きだったりもします。僕はひとりでそこそこ充実できる。でも、ふとさびしくなるときがある。そのさびしさは、そんなに大きなものではないんです。心が、たとえばこう、スイカくらいの大きさだとすると、今のさびしさはちょうどこのひとさし指くらい。たいしたことないんですよ。でもどうしても目に入っちゃうし、どうしても、ひとりだと埋められない。さびしさの穴はいくつも空いてるんです。別の穴は親指だったり、小指だったり、薬指だったりする。ひとりだけとつきあったら、たとえばひとさし指の穴は埋まっても、親指の穴がどんどん広がっていっちゃうかもしれない。心の大きさを超えて、僕自身を呑み込んでしまうかもしれない。僕は臆病なんです。臆病だから、それぞれの穴を埋めてくれそうな人を見つけると、つい好きになっちゃう。僕は、窪塚さんのことが好きです」

  • 主人公の圭吾は、自分が抱く性欲にも嫉妬にも後ろめたさを感じている。
    絶対的に自分が挿れる側、相手が挿れられる側である不均衡。
    恋人のあやめはポリアモリーで他にもパートナーがいるが、その事実に向き合うも目を背けるも苦しい。
    違う身体・恋愛スタイルをもつ相手と、どうしたら「対等な」恋愛ができるのか。
    心の底から相手を尊重できないなんて、それは「本当の」恋愛ではないのでは。

    いわゆる恋愛小説って二人の間のすれ違いや距離感の変化、心が重なる瞬間に重きを置いたものが大多数だと思うけど、この小説は違っていて。
    ひたすら圭吾が自分自身の心と対峙してる。
    こうありたい自分と、それに追いつけない自分。
    何をどこまで主張あるいは我慢して、どう折り合いをつけたらいいのか。検討もつかず途方にくれて、だんだんと消耗していく自分。
    こう書くと独りよがりな人みたいだけど、決してそうではない。
    自分にも相手にも誠実だからこそ、恋愛してる自分をここまでじっと見つめられるんだと思う。
    流れ、勢い、フィーリング、そんなものに身を任せてしまう雑さがない。

    とはいえ二人のときはひたすらフニャフニャ甘えてて、こちらが気恥ずかしくなるほど。
    「あやめさんといると俺はいくらでも気を許して子どものようになってしまう」
    変な踊りもふざけ合うノリも、二人きりだととびきり輝いて、特別になる。

    大前さんの小説、やっぱり大好きだ。
    対社会用に身綺麗にする前の、ねぐせ頭とスウェットのままみたいな人間をそのまま描ききれるところ本当にすごい。
    このご時世、先の楽しみなんて奪われ果てたけど、次回作にワクワクする気持ちで一日を繋いでいけるかもしれない。

  • ポリアモリー、初めて知りました。多様性の社会において、何でもかんでも認められることに違和感を感じていましたが、自分にしっくりくる節があったので、このような恋愛スタイルの概念があることを知り、嬉しくなりました。話の内容的には、主人公の男性の想いがストレートに描かれていて、純粋な恋愛小説でした。私は人間の複雑な思考が、文章で描かれているのが好きだけど、これはさっく書いてあったので、想像を膨らましてもっとゆっくり読んだ方が良いのだろうなと思いました。
    好きな人が2人いて、同じくらい好きなんだけど、それを相手が許容してくれるとは思えなくて。。複数の人を愛して愛されたらきっと満たされるんだけど、寂しさは消えるわけではない。何なら一対一の関係よりも永続的ではないから、不安定な心は常にあって寂しさとはずっと一緒にいると思う。
    ドラマとかの不倫現場で、どっちも同じくらい好きなんだという言い訳はクソだと思っていたけど、ポリアモリーだと自覚して、恋愛関係を築いていたら、裏切られ•裏切るもなかったかもしれないってこと?

  • 他の誰でもない「きみ」が好きだからさびしい。そんな少し歪な感情を抱きながら恋愛をする男女達の物語。主人公の圭吾は自分が性的マジョリティだと自覚し過ぎているがゆえに、マイノリティに過剰なまでに配慮する。しかし、圭吾が「対等に」接しようとすればするほど逆にマジョリティ側が「普通じゃない」ように見えてしまった。むしろ、ゲイであることをさらっと告白し、圭吾に思いを伝えた金井くんや、ポリアモリーであることを最初に伝えたうえで、圭吾に最大限向き合おうとしたあやめさんの方がもっと自然に恋愛を楽しんでいるように見えた。圭吾は自分は完全なるニュートラルな生き方が出きると過信しているようだった。どんな相手とも対等に接し、相手を尊重し、自由にしたい。立派な願望だけれども、それをやろうとしてやるのは違う気がする。結果としてそういう態度になるのが正解ではないだろうか。最初からそんな綺麗な生き方を望んだからこそ、それに一度綻びが出るとどんどん自暴自棄になり堕落していく。きっと世の中にいる全ての人に平等に配慮するのは不可能で、自分が付き合っている人々の中だけでも、優先順位や向ける感情の種類はバラバラだ。でも、それが人間で、全ての人間を同じように愛そうとするのはおこがましいことだ。それに最後の最後で気付き、あやめさんのことが好きだという単純で強い気持ち1つを持って、一人立ちすることを決めた圭吾は大きく人として成長したのだろうと思った。私自身にも耳が痛い話だった。

  • ここが良かった、このセリフが胸を打ったとか、そういうものを残しておけないくらい引き込まれて読んだ。
    あやめの不自由さや孤独、そのおもてにあるような快活さが好きだし、圭吾がお化けから始まり葛藤をじっくり炙るように燃させながらひとつ結論を得るまでが好きだし、青木の「おまえが幸せにならないと私は……」とか元木の「誰だって自分の信じたい考え方に洗脳されに行っているだけ」とかは手を固く握りたい衝動を得た。
    ポリアモリーという言葉が出て、それについてもじっくり扱っているが、それに限らずとにかく愛についての話。ひとがひとを愛そうとすることをとにかく言語化した物語だった。

  • “そんなん、そりゃそうでしよ。恋愛感情と性欲ってはっきり分けられるもんじゃないでしょ。そんなん、普通のことでしょ。好きって気持ちは、一方的で気持ち悪いもんでしょ”

     ランニングで知り合った、あやめさんに憧れてる圭吾。同僚の金井くんに好きだと言われた。僕はゲイではない。けど、金井くんのことは友達としてとても好き。
    あやめさんに勇気を出して告白した。ポリアモリーだと言われた。ポリアモリーとは、同時に複数の人と恋愛関係を作れる人だという。僕はあやめさんに他に彼氏がいてもいいのか?あやめさんは僕のことを好きだと言ってくれる。僕は、あやめさんを独占したいのか?自由な雰囲気を持つあやめさんのことが好きなんじゃないのか?好きって?付き合うって???

     今どきって、色んな嗜好や、付き合い方、性的なバリエーションがあって、それは自由でいいと思う。けど、自由であるがために、相手の自由を理解できないこともあるのかも。そもそも相手の全てを理解できる、ということ自体が幻想ではあると思うけど。

     恋愛だけじゃなく、コロナという新しい感染症に対する考え方や、仕事を選ぶということ、どんな服を着て、どんな本を読み、どんな考え方をするのか。自由度が増えていくことは、自分で決めることが増える。子供の時は、いかに自分で考えないかという教育を受けてくるのに、大人になったとたんに自分で考えて自分で決めろと言われる。そんな時代の新しい恋愛、というものを考えさせられる。

  • そうか〜、そうなのかあ。と、思った読後。
    自分自身とか、常識になってしまってるおかしなこととか、それに嫌悪感を抱きながら同時に全部抱えて苦しくなる。
    いま、おかしいのにスルーされてきた色々に声をあげられるようになったからこその苦しさだと思う。
    差別とか一方的な思いとか男とか女とか、確かにおかしくてグロテスクだ、でもそれは自分の中にも存在していて、簡単には消せない。

    恋愛面では誰にも共感できないなと思ったけど、そもそもこんなに人を好きになったことがない。
    ポリアモリーでもいい?と言われていいよと言える自信もないけど、誰か一人だけを好きでいるのも難しいなと思うな〜。
    人にはいろんな寂しさがあって、それを埋めてくれる存在はいろいろだったりする。

    誰も傷つけたくない、イコール、誰にも傷つけられたくない。
    作者の書く小説を読むたびに、優しくて弱くて苦しむことがつらいけど、この苦しみをやめたら自分を許せなくなるんだ、というループに陥っている人がいることに勝手に安心する。
    安心するし、しんどいなと思う。

  • 自分の価値観を大切にしたいし、
    大切な誰かの価値観を大切にしたい。
    それは間違いないはずなのにどうしても受け入れられないし、
    受け入れられない自分の思いもある。
    だから好きは一方的で気持ち悪いという金井くんの思いに繋がる。
    圭吾はあやめさんを理解したいのに、受け入れられない気持ちとの間で葛藤している。
    元木さんのもつ世の中の常識と言われるものを常識と信じられる雑さに鷺坂さんは救われる。
    いわゆる「普通」に違和感はあって、だけど洗脳されてその考えに支配される信仰への心地よさはある。
    自分の正義だけで生きていけたら楽なのに、信じたいものと違和感の中で苦しむことになる。
    元木さんにもそんな苦しみはあるけれど、そこに鷺坂さんが寄り添うことは救いになっていると思う。

  • いざ自由を手に入れると、本当は不自由を求めているのではと感じるもう一人の自分と出会う。さまざまな恋愛の形があるけれど、ささやかな幸せをお互いが感じることができれば、もうそれで十分なのかもしれない。

  • 恋愛にはいろんなかたちがあって、人の数だけ種類がある。いろんな種類があるわけなんだから、それをわざわざカテゴライズしなくてもいいと思うけど、カテゴライズされることで安心するところがあるのもたしかで。人間ってややこしいな〜って思う。多様性、他人を受け入れること、って昨今当たり前になってるけど、言葉にするのは簡単でも、実際自分の身に降りかかってみるとどうしたら正解なのかわからなくなりそう。でもどうしたらいいのか考えて、悩んで、相手を思い遣って、それから自分のことも大事にすることが必要なのかも、と思いました。圭吾くんいい人すぎるよ〜と思ってたけど第三部ずいぶん人間らしくて同じ人間でも恋愛するとこんなに変わるんだって思った。視点がころころ変わるのに、不思議と読みやすかった。

  • 大前粟生さん、おもろい以外〜とぬいしゃべが良かったからこれを手に取ってみた。
    セクシャリティーとかジェンダーについての表現が自然にあっていいなと思ってたけど、今回はわたし的にはあんまりだった。
    ポリアモリーが出てくることを楽しみにしていた(日本語の小説でも表象されてるなんて!という感動があった)けど、ポリアモリーというより欲張りだったり貞操観念が狂っていて浮気をするたちみたいな描かれだったように感じてしまった。
    こういうふうに思っちゃったのは、わたしの中でのポリアモリーの定義が、「複数人を同時に愛するし複数人で交際する」だけだと思ってたからかな?付き合っている人が他にもいる状態でその人に別の付き合ってる人の話をしないのは、浮気では?と思ってしまった。そこが強くて、圭吾がかわいそうだった。圭吾が完全に納得してるのなら共有しなくてもいいけど、圭吾が納得しきってるわけではないから浮気では?と思ったし、見ていて辛かった。
    でも、最後の、「だからちょっとだけ、さようなら,」がしんどかったし嬉しくも思った。圭吾、あやめさんとのトキシックな関係から自分を切り離してみようと思えてえらいよ。簡単にできることじゃない。
    改めて、ポリアモリーについて知りたくなった。とりあえず今回の描写について、今のわたしは違和感があった。知識がないだけかもしれないし、知識を入れたとてわたし個人の価値観とブレてしまってこういうふうに感じ続けてしまうものなのかもしれない。

  • あやめとの関係が話の主軸ではなく、圭吾の身の回りの多様な恋愛模様も厚めに描かれている。圭吾が1人キャンプにて病んでも永遠と答えが出ない感じ、リアルだなぁと思った。もう1人の彼氏が言ってた、さびしさの代わりに更に心を満たす方を選んだって言い分も妙に納得してしまうし、きみだからさびしい、って圭吾の気持ちも分かる。あやめのことも不思議と憎めない。全体的に良くも悪くも悶々とする内容。

  • 軽いノリでサラッと読める。強い思いを抱くことはないけど途中で読むのをやめることはないような。

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著者プロフィール

小説家。1992年生まれ、兵庫県出身。2016年「彼女をバスタブにいれて燃やす」がGRANTA JAPAN with早稲田文学公募プロジェクト最優秀作に選出され小説家デビュー。23年『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が映画化。26年2月号の『ユリイカ』で特集が組まれる。著書に『おもろい以外いらんねん』『物語じゃないただの傷』『プレイ・ダイアリー』など。

「2026年 『明日のパン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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