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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784163915081
作品紹介・あらすじ
祝・第170回芥川賞受賞。
新芥川賞作家の原点。第73回芸術選奨新人賞受賞作。
どうして娘っていうのは、こんなにいつでも、
お母さんのことを考えてばかりいるんだろう。
社会派YouTuberとしての活動に夢中な14歳の娘は、
私のことを「小説に思考を侵されたかわいそうな女」だと思っている。
そんな娘の最新投稿は、なぜか太宰治の「女生徒」について――?
第126回文學界新人賞受賞作「悪い音楽」を同時収録。
みんなの感想まとめ
母娘の複雑な関係を描いたこの作品は、令和を生きる14歳の娘と専業主婦の母の視点が交互に語られることで、実存的不安や葛藤を鮮やかに表現しています。タワマンでの生活を背景に、社会問題に敏感な娘がYouTu...
感想・レビュー・書評
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あなたは、自分の『娘』があなたのことを話す『動画』をYouTubeに公開していると知ったらどうするでしょうか?
『動画』を撮って、編集し、それを他の人に見てもらう。以前であればそれは素人が容易くできるものではありませんでした。撮影はできても、頑張って編集はできても、その先にそれを多くの人に見てもらうということはなかなかに高いハードルがあったと思います。
それが、2005年に登場したYouTubeによって全てが変わりました。誰もがその気になりさえすれば『動画』を使ってさまざまな事ごとを発信できる時代となりました。それから20年の時を経て、この世にはおびただしい『動画』が存在し、誰もが見たい時に見ることができます。改めて時代の変化を感じもします。
しかし、そんな『動画』の中に、自分の『娘』が公開しているものがあったなら、さらにはそこで『娘』の母親である自分のことが語られていたとしたらどうするでしょうか?
さてここに、『娘』が公開する『Awakenings』という『動画』を見る母親の『私』の日常が描かれる物語があります。『私のお母さんはね、すごくshyな人なんです』と語る『娘』を見る母親が描かれるこの作品。『AI』がそんな日常を彩るこの作品。そしてそれは、九段理江さんのデビュー作を含む二篇の短編世界の魅力を感じる物語です。
『夢だ。私は夢を見ている。私は自宅のキッチンに立っている…これから何を作ろうか?』、『そこに娘が帰ってくるのだが、その変わり果てた姿を認めて』『料理どころではなくなってしまう』というのは母親の『私』。『娘の体は、まるで途中で描くのをやめたデッサンみたいに、あるべきものが少しずつ欠けているのだ。左目のおさまっていた場所が空洞になっていたり、右の耳がなくなっていたりしている。左腕がなく、胸のバランスを補うようにして右足がない』、『娘は半分になっている』と思う『私』は、『これは夢で、現実ではないものだともわかっている。それでいてなお夢が終わらない』、『目が覚めない』と思います。そして、『AI、何時?』、『七時四十五分です』と『目を覚ま』して、『AI』に時間を確認した『私』は、『立て続けに入った夫からのメッセージを読』みます。『どうやら今日も夫は帰らない。日本時間の深夜に乗る予定だった飛行機が欠航になったのだ』と思う『私』の一方で、『機転を利かせ』る『AI』は、『フランスの航空会社のウェブサイトから抽出した新着情報を片っ端から読みあげ』ます。それを『「ストップ」と止め』させると、『AI』は『「空気清浄機の清掃を」と指示を出し、「『Awakenings』の新着動画がアップロードされました」と通知』します。『続けて』『小松菜とバナナと豆乳を使ったスムージー…』と『朝食メニューの提案』をする『AI』。そんな『AI』に『言われたとおりに朝食の支度を始め』た『私』は、『掃き出し窓を開け』ます。『今日から七月です』、『「今日から新しいことを始めてみませんか」とポジティブな誘い』をしてきた『AI』。『まだ家に届いたばかり』という『AIスピーカー』を見て『ポジティブで世話焼き、というのが最新流行の彼らの性格ということらしい』と思う『私』。そして、『朝食をつくり、娘を呼びにいく』と、『娘は学習机に向かってい』ます。『朝は動画の編集作業をしていることが多い』という娘を見て、『娘の体は完全にある。中身だってきちんとあるはずだ。臓器も血液も骨も、十四歳の女の子を動かすのに必要な量が、必要な場所におさめられている』と思う『私』は、『傷ひとつないまっさらな肉体に、朝食ができたことを知らせ』ます。『少ししてからリビングにやってき』て、『豆乳ベースのスムージーを飲み干』した『娘』は、『ベーコンエッグを見て、「ベーコンは食べないってば。卵も」と、かすれた声で言』います。『もうこの手のやりとりは何度もしていて、話の行く末は見えている』と思う『私は聞こえないふりをして奥の脱衣所へと引っ込』みます。『ベーコンや卵、その他の動物由来の食品を摂らない理由を』『いつまでも並べ続ける『娘』。『温室効果ガス、animal rights、種差別、といった単語が聞こえて』きます。そんな中に『こおり・しゅぎ』という『頭の中で意味にならない』『娘の声』を聞く『私』は、『ひとつの単語に思いあた』ります。『主義だ。娘の口は「主義」と言ったのだ。主義』という言葉を理解して、『約十四年前』『薔薇の花弁のような上唇と下唇を二度会わせることにより』『ま、ま』という『初めて意味のある言葉を発した』『娘』が、『今では、「主義」なんて言葉に取って代わられているなんて、なんだか信じられない』と思います。『今日は真っ直ぐ家に帰って、七時までには家にいてね』、『今日もお父さん帰らないみたいだし、夜は二人で外食しましょうよ』と誘う『私』に、『無理、授業のあと外で勉強するから』と言う『娘』。『外って、スターバックス?勉強なら家でしたらいいでしょ』と言う『私』に、『うるさい。私はお母さんの所有物じゃない』と『おきまりの決め台詞をきっちり決め、娘は玄関を出て行』きました。『こうり・しゅぎ』、『娘がいなくなったぶんだけ空気の薄まったひっそりした部屋で、娘の声を真似る『私』。そんな時、『ウェイクワードを発していないにもかかわらず、「こうりしゅぎとは」と自意識過剰なAIが返事を』します。『幸福と利益を価値の標準、人生の主たる目的とする倫理思想、のことです』と続ける『AI』の『日本語が全然頭に入ってこない』『私はさらなるこうりしゅぎの説明を求め』ます。『こうりしゅぎとは…』と『どこかのウェブサイトを音読する』『彼』。しばらくして『こうりしゅぎの解説』を止めさせた『私』は、『「Awakenings」の新しいビデオを再生して』と、『AI』に指示します。『八十インチのテレビ画面にYouTubeのロゴが表示されたあと、実寸より二倍から三倍に拡大された娘の顔が映し出され』ます。
『Hi guys, welcome back to my channel. こんにちは、「Awakenings」をご覧いただきありがとうございます。みなさん、目を覚ましていますか?…』
近未来を舞台にしたちょっぴり不思議な母と娘の生活が描かれていきます…という最初の短編〈Schoolgirl〉。『AI』が当たり前にそこに存在する生活の中に娘が投稿するYouTubeを見る『私』のなんとも不思議な日常が描かれる好編でした。
“社会派YouTuberとしての活動に夢中な14歳の娘は、 私のことを「小説に思考を侵されたかわいそうな女」だと思っている。そんな娘の最新投稿は、なぜか太宰治の「女生徒」について ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。「文學界」2021年5月号に掲載され第126回文學界新人賞を受賞した「悪い音楽」と、同2021年12月号に掲載され第166回芥川賞の候補作に選出された「Schoolgirl」の二つの短編から構成されています。
まずは後者の「Scoolgirl」から見ていきたいと思います。この作品には上記した内容紹介にあるように太宰治さんの作品「女生徒」が作品中に登場します。2019年12月に読書をはじめた私が生涯に読んだ小説はブクログの本棚に登録のあるものが全てです。自慢にもなりませんが太宰治さんの作品は一冊も存じあげませんし、女性作家さんの小説限定の読書をしている私にとっては一生読むこともないと思います。ただこれではレビューにならないので少し覗いてみたいと思います。そもそも本文にはこんな言葉が記されていました。
『著作権はとっくに切れてるんでネットでも読めます』
なるほど…Webを調べると「青空文庫」さんに掲載がありました。
● 太宰治さん「女生徒」より(抜粋)
“あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない”。
これが「女生徒」冒頭の一文です。このレビューを読んでくださっているみなさんは私と違って太宰治さんを当たり前にご存知の方が大半でしょうし、今更と思われるかもしれませんが、私にとってはなんだかとっても新鮮です。太宰治さん「女生徒」は1939年4年に初版が刊行されているようですが、えっ!こんな新しい感覚なのに!という印象を受けました。この作品では、そんな「女生徒」を読んだ『娘』の印象がこんな風に記されています。
・『私ね、この、大変なこと、点の、多いこと、多いことといったら、ああ。何事かと思いませんか』。
・『これは当時の文章の流行かなんかなんですか。文が、途切れ途切れに途切れるこれは、一体どういう効果を文学的にもたらすんですか』。
・『でもこの本を読んでいると、小刻みにブレーキをかけて走る車に乗っているみたいに言葉が止まって、これがなんか癖になる』。
私もこの読点の多さに初見で戸惑いましたが、『癖になる』という感覚が分かるような気がします。上記の引用は冒頭の一文に過ぎませんが、「女生徒」の本文はこんな感じでずっと続いていきます。そして、この作品の本文でもこれを模してか、こんな表現も登場します。
『とにかくこの読点の多さは、どういったわけ、なのか、知りたい。知りたくて、知りたくて、私は、おかしくなるかもしれない』。
確かに、『癖になる』、かも、しれません、ね。時代を、超えても、その先の、人に、新鮮さを、感じさせる、太宰治さん、やはりすごい、方、です。
さて、そんなこの表現は『母』と『娘』が登場人物となるこの短編の中で『Awakenings』という『動画』をYouTubeに投稿し続けている『娘』の『動画』の中に登場するものです。本文ではどれがそれに当たるかが分かるように字体が変えられていますので混乱することはありません。一方でそんな物語は『AI』が当たり前の日常に存在する近未来が舞台になっています。ハッキリと時代が特定されるわけではありませんが次の表現におおよその時代が浮かび上がります。
『過去十四年のあいだに世界で起きたひどい出来事を思い起こしてみる。とくに、多くの人命が失われた出来事について』。
『過去十四年』とは娘が生まれてから今までという期間を指しています。そこにこんな表現が続きます。
『直近でもっとも多くの死者を出したといえばやはり、二〇二〇年以降のパンデミックということになるだろうか…パンデミックの最中にはミャンマー軍による弾圧があり、多くの一般市民の命が奪われて…二〇一〇年代にはイスラム過激派のテロが頻発していた…コロナよりも致死率の高い感染症が流行したこともあったはず。あれはアフリカだった?…』
『コロナ』を過去に見て、それでいて『二〇一〇年代』のおそらく”エボラ出血熱”のことを指している記述を見るとこの物語の年代は2020年代後半というように読めます。しかし、そこには上記した通り『AI』が当たり前に存在する日常が描かれています。少し見てみましょう。『AI』自身が語りかけてくるという三つの場面です。
・『そろそろ家を出たほうがいいですよ。タクシーを呼びますか?』
→ 『娘』のことを思いながら、うとうとしていた『私』に起点を与える『AI』
・『スマートフォンを持っていかなくて大丈夫ですか?』
→ スマホを持たずに『玄関の鍵』を開けた『私』に忘れ物の警告をする『AI』
・『おかえりなさい。今日も一日おつかれさまでした。大変な一日でした』
→ 家に帰ってきた『私』に労いの言葉をかけてくれる『AI』
いやあ、すごいですね。この作品が発表されたのは2021年12月のことです。その2年後の2023年は”AI元年”とも言われる年で、九段理江さんは今度は『AI』の生成文を本文に含めるという大胆な構成で「東京都同情塔」を発表され芥川賞を受賞されました。この作品に見られる日常に当たり前に存在する『AI』という状況が実現するにはもう少し時間がかかりそうですが、それでも確実にありうる未来へと時代は動いていると思います。近未来を垣間見ることのできるとても興味深い作品だと思いました。
そんな物語では、上記した通り、『娘』がYouTubeに投稿した『動画』を見る母親の『私』の姿が描かれていきます。冒頭に記した通り、リアル世界では『うるさい。私はお母さんの所有物じゃない』と母親に強い態度を見せる『娘』の姿が描かれています。そんな娘は『動画』の中で母親についてこんな風に語ります。
・『私のお母さんはね、すごくshyな人なんです…』
・『私のお母さんは読書が趣味、というか読書以外に趣味とかないんじゃないかなというレベルの活字中毒…』
・『私のお母さんは、私がいなかったら何なんだろうって…』
そんな『娘』は、太宰治さん「女生徒」を取り上げる中で一つの指摘をしています。
『ところでこの話に出てくる単語の中で、いちばん多い単語って何だと思います?正確に数えたわけじゃないですが読めばきっとすぐにこれだとわかるはず。「お母さん」です…私が編集者ならタイトルは「女生徒」じゃなくて「お母さん」にするんじゃないかなというくらい、お母さんお母さんお母さんお母さん…』。
しかし、そんな『娘』が語る自身の『動画』も『お母さん』で埋め尽くされてもいます。太宰治さんの作品を第三者的に論評する『娘』はそのことに気づいていません。一方で、物語は、そんな『娘』の作った『動画』を日々視聴する母親の姿が描かれていきます。なかなかに興味深い構成の作品だと思いました。
そして、「Schoolgirl」の次に収められているのが九段理江さんのデビュー作でもある「悪い音楽」です。こちらは、「Schoolgirl」と異なり主人公は公立中学に勤める音楽教師の三井ソナタが務めます。作者の九段さんは専門学校の講師を務められていた経験をお持ちです。その経験が生かされているのかどうかは定かではありませんが、その日常と心の内を巧みに描いていく様はとてもリアルです。
『十二歳から十五歳の子供なんて、ほとんど猿みたいなものじゃないか』、『つまり中学の音楽の教師なんていうのは、五教科の合間の息抜きに授業を受けにくる猿たちに、適当に歌でも歌わせておけばいいわけだ』。
そんな風に考える先に音楽教師となり、教壇に立つに至った三井ソナタ。しかし、現実世界の教師という職業は彼女がイメージできていなかった部分が大きいことを知ります。
・『問題は、実際に相手にする猿がどのような猿なのかを、正確に理解できていなかったことにあった。実際の猿というのは、むしろ授業以外の部分で教師の手を煩わせてくるということを、私は少しも想像していなかった』。
・『ひとたび彼らに不じゅうぶんな対応をしようものなら今度は猿の保護者が出てくることになる。保護者が出てきたら最後、教師の仕事はとどまるところを知らずに増え続ける』。
そんな先に描かれていく三井ソナタの日常を見る物語は「Schoolgirl」よりもずっと読みやすく、また学校教師を主人公とした分、映像にしてもハマりそうな軽快さを見せてくれます。まさしく、”Schoolteacher”といった面持ちのこの作品。短編の中に上手く人間ドラマを見せていく好編だと思いました。
『「女生徒」は、太宰治ファンの女の子が書き送った日記を、太宰がちょっと小説的にリライトし、小説ということにした、小説にあらざる小説なんです』。
太宰治さんが1939年に発表された「女生徒」という作品を巧みに物語に重ね合わせていく表題作の「Schoolgirl」と、デビュー作となる「悪い音楽」の二篇から構成されたこの作品。そこには、文學界新人賞を受賞した短編と、芥川賞候補作となった作品で構成される、読み応えとフレッシュさを併せ持つ物語が描かれていました。『AI』のある日常に「東京都同情塔」に繋がる九段さんの世界観を見るこの作品。その一方で教師の苦悩を描く物語の面白さも見せるこの作品。
さまざまな事ごとが巧みに盛り込まれた短編の濃密さにすっかり酔ってもしまう、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すべての元・14歳女子たちへ。
さきほど『東京都同情塔』で芥川賞を受賞された九段理江さんの前著。こちらも同賞(第166回)の候補作になっている。
令和を生きる少女の実存的不安と、母娘の葛藤を描く。
その鮮やかさに、こちらは眩暈のような錯覚を覚える。
タワマンで暮らすスノッブな家庭の母娘。
「聡明な」14歳の娘が、YouTube配信で資本主義を斬り、人々の啓蒙を試みる。環境活動家グレタのような。そこには憂鬱な既視感がある。
少女の、曇りのないまぶしさと愚かさ、不安定さに、頭を抱えたくなる。
太宰治の『女生徒』になぞらえた母娘の対話シーンは、ぜひ読んでいただきたい。
「じゃあ、お母さんは何者?」
あなたは彼女をどう受け止めるだろうか?
同収録の『悪い音楽』はストレートにヤバい(!)。こちらの方が面白いと感じる方は多いと思う。日本語ラップ好きは特に。笑
短編2作だが、決して軽くはなく、こちらに結構なエネルギーを要求してくる。素通りさせてくれない文章の圧力があった。 -
直前に太宰治の「女生徒」を読んだのは、本書を読む事前情報収集のためでした。なにしろ本書には、〈令和版「女生徒」〉〈「女生徒」を大胆に更新〉等のキャッチーな宣伝があり、本作も芥川賞候補だったこと、さらに九段さんがBS番組で、かつて三島由紀夫にのめり込む前に太宰治にハマっていた(真逆な二人と思うのですが…)と話され、興味が増したのです。表題作の他、デビュー作「悪い音楽」も収録されています。
表題作「Schoolgirl」の主人公「私」は、母親と娘で視点が交互に切り替わります。タワマンで暮らす母親は専業主婦(夫は出張中)で、大の読書好き。一方、14歳の娘はインターナショナルスクール生で、環境や社会問題に意識が高く、英語で発信する中学生YouTuberです。
実際作中に太宰の「女生徒」が登場しますが、それだけでなく、設定や物語の構造、語り口、アクセントになっている物や言葉、そして何よりも母と娘の感情の揺れ動きや葛藤など多くの共通点があり、九段さんの太宰へのオマージュが感じられます。
二人の関係は、なかなか噛み合いません。母親は、賢い娘を大切に思うものの、いろいろと抱えています。娘は意識高い系で母親を見下し、上手く関係性を築けません。母娘の関係は普遍的なのでしょうか? 真似た設定故なのでしょうか?
結果的に、小説「女生徒」の存在が、二人の歩み寄りのきっかけとなるのでした。物語の力ですかね。
もう一編の「悪い音楽」のレビューは割愛しますが、なかなか「心」が伴わない中学女性音楽教師の話です。こちらも一気読みできるエンタメ性がありました。構成や筆致、あふれ出る言葉の煌めきに引き込まれました。九段さんのその後の活躍を予感させる2作だと感じました。 -
九段理江さんといえば、なんといっても、芥川賞受賞作品である「東京都同情塔」だとは思うのだが、捻くれている私は先に初小説集である、こちらから読んでみて、どんな感じなのかを確かめたくなってしまう衝動に駆られてしまったと思ったら、こちらも表題作が芥川賞候補作だったのですね。
そして、読んでみて驚いたのは、このタイトルが若い頃に読んだ小説(内容は殆ど覚えていないが)の英語版だということで、帯にも「令和版『女生徒』」と書いてある通り、現代の多様化した社会に於いても依然変わらずに残り続ける、鬱屈とした雰囲気をシニカルに描きながらも、元の作品に於ける当時の空気感漂う文体との邂逅を果たすことで、それが母と娘との関係性の変わらない部分であったり、思春期に胸に抱いた方もいるであろう、この世界に生まれてきたことへの漠然とした不安感であったりといった、そうした普遍的なものを元の作品から得られたことによって、実は時が経っても変わらないものは確かに存在するのではないかと実感できたことが、今を生きる人達にとって大きなひとすじの希望となるのではないかと感じ、それを九段さんは『Awakening(目覚め)』に込めているようで、この言葉は本書に収録されたもう一つの作品、「悪い音楽」に登場することからも、本書の共通するテーマ性を窺わせるものがありました。
更に本好きにとって嬉しいことに、表題作では小説が嫌いな娘が作品との出会いを介して、少しずつそれへの印象が変わっていく様子を文学的に描いている点に、まるで小説と出会ったことは、新たな自分への萌芽を表しているような素晴らしさでもあり、それは『私とは別の思考を持った女の子が、頭の中に入り込んできて、私を乗っ取っていく感じがする』といったフィクションなのに、とても臨場感のあるそうした感覚は、まさに小説ならではの内から湧いてくるリアルさなのだと感じ、彼女は最初『小説は現実逃避のための読み物でしかなく』と言っていましたが、小説はそれを読むことで元気をもらって現実世界を生きる活力にもなりますし、そもそも現実逃避は自分自身を癒すための本能的な、自分が自分を思い遣っていることの裏返しの行動だと思うので、決して悪いことではないと思います。
それから、表紙の西山寛紀さん作『Afternoon』の、どこか懐かしさと新しさが融合したような装画には、まるで女生徒とSchoolgirl、それぞれの良さの結晶とも感じさせるような、決して華がある感じではないけれど、つい何度も見てしまう魅力がありました。
次に、もう一つの作品「悪い音楽」ですが、現代社会に於いて、問題のある教師のニュースが時折話題となる中で、随分と挑戦的な作品だなと感じましたが、これが読んでみると、声に出して笑ってしまうくらいの不適切極まりない自分を痛感しまして、そこには、人間の嫌な部分をあけすけに描いたことによる潔さから、そういった部分は表に出すか出さないかだけで程度の差はあれど、誰もが持っていることを肯定してくれたことに、表現の自由の素晴らしさを感じましたが、それにしても、問題を起こした生徒二人と保護者と先生方が集まった場で、心の中とはいえラップの韻を踏むのはまずいと思いますがね。
そういえば、私の通った中学校の音楽教師も、どこか他の先生とは違う雰囲気を放っていたというか、その独特な話し方や仕種に、ああ芸術家とはこういったタイプの方のことを言うのかなと思いましたが、ここでの音楽教師(女性)は内面を知ると、とても気さくな印象を持たせてくれながら、大人の持つ純粋な狂気性も併せ持つことに加えて、知識量がある分、その万全なセルフケアによってメンタルの強さはあるものの、終盤の展開には侘しさを漂わせるものがあることに、現実の厳しさを思い知らせるけれど、彼女も根っからの悪人ではなく、ただ自然体で生きているだけなのだと思われる点には、いったい何が正しくて正しくないのか分からなくなる・・・って、ならないか(^_^;)
ただ、それでも彼女自身の音楽好きには、別格で尊敬できるものがあり、それは学校で開催される合唱祭の中の特別演奏で、テルミンやガムラン、タブラ等、比較的マイナーな音楽を本気で演奏することや、ロックにジャズ、クラシックと幅広いジャンルの音楽に精通した話も面白く、私からしたら彼女の悲劇は、昔のロックに対して持たれていた悪いイメージのような、見る人によっては、そんな狂気性も芸術的な感動や衝動的でイカしたカッコよさに変わったり、パンクの精神に近い世界平和に繋がるものであったりと、どんな人間にもそうした多面的な見え方があるのだということを、取りあえず信じたいです(笑)
色々と書きましたが、とにかく私の中で画期的だったのは、深淵なことも書いてありながらこんなに笑わせてくれた、当時で言うところの未来の芥川賞受賞作家の作品(「悪い音楽」)は初めてだということで、他の方々のレビューから難しい印象を抱いていた、「東京都同情塔」も俄然楽しみになってきました。 -
第166回芥川賞候補作である表題作を含めた中編2編収録。
表題作は太宰治の「女生徒」の本歌取り的作品だそうだ。太宰は好きではないけど、「女生徒」は読んでみようと思った。
それより、もう一編収録された九段さんのデビュー作で第126回文學界新人賞受賞作の「悪い音楽」!。
女性のとんでもない中学音楽教師の話なんですが、軽く狂っていてヤバい。めちゃくちゃ笑えた。
5点満点で「女生徒」が4点、「悪い音楽」が6点のトータルで5点、といった感じです。
読みやすいので、深い意味を考えず感じるままに読むべき小説。
九段理江さん、ファンになりました。
次回作を強く期待。 -
私が常々感じているのが、母と娘の親娘関係が
母と息子の親子関係と全く異なった関係性になる
ことで、同性にしか感じ合えない何かテレパシーみたいなものがあるのかと感じてしまうのです。
本作の「School girl」は、中学生の娘とその娘を
過保護に愛している母のストーリーなのですが、
娘は、とても意識が高くて、環境問題や世界平和についていつも考えていて、youtubeを上げて
問題提起を続けている。その娘と真逆で、あまり
そういった問題に目を向けてなくて、妄想好きで、小説をこよなく愛している母。現実を見ない母にイラついてる娘と本当の親娘関係を探している母との言葉の言い合いがとてもユニークでした。
-
わーお。この作者の文章好きだなー。
作者の感性がドバドバドバーっと私の中に入ってくる感覚。(こんな素晴らしい文章を読んだ後の自分の語彙力に泣けますが。)
School girlを読んで、あーもうちょっとこの世界観読んでたかったーと思っていたら、悪い音楽が超えてきた。おもしろかったー。三井先生やばいけど、きっと天才。でも生徒だったら凡人の私は大嫌いだっただろうなー。うちの音楽の先生やばいよね。って言ってただろうな。
次作が出たら読みたい作家さん。 -
感情が露わになっているようないないような。なんともいえない文章が、グッと入ってくるようなこないような。好きなような、嫌いなような。
歪な親子関係や理解し難い教師が、最後には一件落着とはならないことが、いいような悪いような。
とにかくもやもやする作品でした。 -
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変人なのに自分が真っ当だと思っている、っていう点で、『成瀬は天下を…』の成瀬もそうなのだが、成瀬はジェダイで九段理江の人物たちはダースベーダーみたいな。
勝手にそんなイメージ。
『Schoolgirl』は太宰『女生徒』と対だが、短編のもう一作『悪い音楽』とも対になっている。短編内二作の主人公二人は似ている。対する「娘」と「教え子の女子」も似ている。後者たちは「正しさ」を振りかざし、文学や音楽(といっても高度な音楽)を否定(もしくは理解しない)。前者は敗北者。女の敗北の対として、普通は「権力者=男」みたいな構図で話を進めていく女性作家が多い中で、九段理江は特殊。また自己(=私、あなた)を深追いしていく。文体はめちゃくちゃ読みやすいが、後から考えると脳が割れそうになる…。 -
「School girl」では、14歳の娘をもつお母さんの想いと映像で語っているyoutuberの娘の想いを交差しながら読むことが不思議な感覚でした。
さらにそこに太宰治「女生徒」の話しが出てきて、時間軸的にも面白く描かれていました。
まだ「女生徒」読んだことないので、読んでからまたこの本を読み返してみたいです。何かまだトリッキーな仕込みがありそうです。
そしてもう一つの「悪い音楽」ですが、癖があり、新しい視点であり、そしてつい笑ってしまう場面あり、音楽で例えるとロック?いやカートコバーンやビリーコーガンを思わせるオルタネイティブ的な気持ちを感じました。
わたしも心当たりがあるのですが、笑ってはいけない状況で笑う場面が所々にあり、失笑恐怖症なのか映画の「ジョーカー」を思い出し、不謹慎さの状況の中自分だったらどう感じたか、ここがポイントだったのかなと感じます。
この本を読む人によっては批判はあると思いますが、わたしは好みでした。
二世のイメージ、教員のイメージ、世の中ステレオタイプだらけの中でも、気にせず生きていく本物の素直さが目に沁みます。
どちらのお話しもストーリー重視で攻めず、人間の癖で攻める九段理江さんの本は、また読むのが楽しみです。 -
令和版『女生徒』と言われる『Schoolgirl』
なるほど、太宰ファンなら、ん?ってなる、まんま『女生徒』の本文がはじめのほうに出てきたりもしてわかると思うんですが、『Schoolgirl』は太宰治の『女生徒』を下敷きにして描かれているオマージュ作品、とでも言うのでしょうか。
テーマは「母と娘」
語り口は母。タワマンで良い暮らしをしてる専業主婦。
しかし、母親にぶたれたりしながら育ったトラウマ持ちで、自分はそうなるまいと努力しているお母さんです。
娘は14歳の反抗期真っ只中。
グレタ・トゥーンベリの影響をもろ被りしたような意識高い系の中二病で、環境問題なんかに夢中なYouTuber。
母親はダメな大人としてけちょんけちょんに言われ放題。
娘のYouTubeを観ることでしか、娘の胸の内をうかがえないような関係性の中で、ある日、娘がYouTubeで太宰の『女生徒』について語り出す。
お母さんのクローゼットから見つけた『女生徒』を、普段、小説を毛嫌いしている娘が読んだところから、2人の関係性が動き出していく。
お母さんっていうのはどうしたって特別な存在な訳で、自分の半身を理解として得たい欲求がどうしたって拭えない。
小説を通して母に歩み寄り、心を通わせていく。そこからほのかに灯る光がとても良い。
世の中の大きな説ばかりに耳を傾け声を乗せるばかりの娘が、意味のないとしか思えない小説を読み、そこから感じ取ったもの、それによって動き出したもの、そしてこのラストを迎えての、読後、自分の中でも小さな説が続いていくこの感じ。たまらなく好きです。
この令和に再び現れた女生徒が、わかり合えない母と娘の手を取り合って、うふふと微笑みを浮かべているようで、思わず私も微笑んでしまう。
ふたたびお目にかかれて嬉しいです。 -
注
内容に触れていますが、それを読んでもこのお話がつまらなくなることはないと思うので、敢えてネタバレ設定にしていません
★2つと、あえて低くしたのは、ブクログでの評価がミョーに高すぎない?と思ったから(爆)
本当の評価を書くなら、★は3つくらい…、
かなぁ。←なら、そうすればいいだろ!(^^ゞ
個別のお話だと、最初の「Schoolgirl」は、★3つくらい?
次(書かれたのはこっちが先らしい)の「悪い音楽」は、いいとこ、★2つかなぁーw
著者の才気は感じられるけど、たんに小説として評価するなら、これだと素人小説の域を出ていないように感じた。
NHKのインタビューだったかな?
例の、95%をAIで書いた(小説を書くためにAIと対話しながら書いたというべきか?)短編『影の雨』を執筆中に感じたことという、“(AIには)新しいものを見たいという欲求がない。人間のクリエィティビティーって、もっと違うものを見たい。もっと新しいものを見たいとか、もっと遠くに生きたいっていう欲求が、今この世界の形をつくっていると、わたしは思うわけです”のを聞いた時、「この人、面白いなぁー」と一気にファンになってしまったこともあって。
「この2作だと、そこまで面白くないかなぁー」と思っちゃったんじゃないかな?(^^ゞ
自分は恩田陸のファンだけど、かなり嫌味なファンなこともあってw、恩田陸の小説の評価はかなり辛くつける傾向があるが。
それと、ちょっと似た感じ?w
『Schoolgirl』が雑誌に発表されたのは、2021年12月。
『悪い音楽』は、2021年5月(ウィキペディアより)ということだけど、『影の雨』のインタビューの4年前というのを差し引いても、あのインタビューほどのエキサイティングさはない。
だってさ。
“ちょっとずつ、ちょっとずつ、常識の外側にあることに挑戦していかないと、やっぱり芸術っていうものは廃れていってしまうと思うので、うーん…、そうですね。みなさんの期待に反することをあえて実験的にやってみる”だぜ(NHKの『影の雨』のインタビューより)。
今の出版業界のトレンドである(かどうかは知らないけどw)、定番のキャラと定番の展開にしておけばわかりやすいことでウケる(=売れる)、あるいは、読み手の不平や不満を全肯定して「あなたは正しい」と書いてやればウケる(=売れる)ということに対して、著者は(少なくともタテマエ上はw)反することを言っているわけじゃん。
それがカッコイイだけに、受け手が満足するハードルも高くなっちゃうのはしょうがないんだって(^^)/
「Schoolgirl」が★3つなのは、意外にいつの時代でもありそうな親子の会話かなぁーと思っちゃったから。
いや、自分は男なので。
こういう世代間ギャップな会話って、父親と息子という親子間なら普通じゃない?と思ったんだよね。
父親と息子っていうのは、普通、父親の方は息子のことを今でも子供だと思っているし。息子の方は、自分はもはやイッパシのヤツだと思っているのと、父親の考えややり方を古臭いと思っている。
父親と息子の会話というのは、親子仲がよくなければもちろんのこと、良好だったとしても、お互いに自分の考えややり方の方が正しいという前提にたって会話をするように思うのだ。
いや。それが母親と娘でも普通なのかは全然わからない(^^ゞ
ただ、このお話の設定上の、今の流行りである「社会問題に敏感なわたしって正しくてカッコイイよね?」な娘と、トレンドを追う呪縛からは解放された反面、「日々の暮らしと娘の幸せ」に追いまくられている母親の立ち位置の差(価値観の差)というのは、いつの時代もあることだし。
であれば、母と娘でも世代間ギャップな会話は普通にあるんじゃないのかな?って思うんだけどw
ていうか。
娘が言っている具体的な事柄はともかく(さらに言えば、いわゆる自己承認欲求はともかくw)、娘が自らの問題意識で語っている根本にあるのは、ひと頃の朝日新聞や「進歩的文化人」と言われたタレントたち、あるいは社会党(現社民党)的な「主義や思想に基づく直情的な問題提起」と同じなわけだ。
もちろん、それを「今」で表現したことに意味があって、なにより面白いんだろうし。
さらに、そこに太宰治の『女生徒』をからめることで、このお話ならではの味付けにしているんだろうけど。
その辺りは、自分が太宰治を嫌いなこともあって、何が何やらだしw
仮に理解出来たところで、要は、太宰治の『女生徒』を現在になぞらえているということにすぎないわけでしょ?
そういう文学の文“芸”趣味って、自分は興味ない(^^ゞ
ただ。
たぶん、著者はかなりアイロニカルな目で世間を見ているんだろうなぁーってw
やたら売れている某芥川賞作家の毒にも薬にもならない、読者にウケるための「毒」ではなくw、「毒」をちゃんと「毒」として書けるところが、著者の作家としての資質であり、なにより面白さなんだろう。
そこはすっごく好き(^^)/
そんな、「Schoolgirl」。
これは、母と娘による一人称で書いていることで、読者にとっては読みやすく。なにより、面白さが生まれているように思う。
その反面、個人的には一人称にしてしまったことで、素人小説っぽくなってしまったように思う。
もちろん、著者は母と娘、どちらにも肩入れして書いているのではなく。
双方をたぁ〜っぷり皮肉りつつ、でも、すっごく暖かぁ〜い目でも見ている。
にもかかわらず、著者自身はこの二人から距離を置いて、これを書いている(たぶんw)。
だから、二人の一人称の語りに三人称の神の視点を加えることで、二人の言葉の意味を著者が解説してしまったら意味がない気もするんだけど。
とはいえ、ラストの寸前までの娘の語りが独善的すぎることと、その独善的に語る内容が、今の世間が安直に「絶対正しいこと」と思っていることの羅列にすぎない(=他人の意見を語っているだけ)だけに。
やもすれば、著者も娘の意見を支持している=だからそれは正しいことなんだと、読者が誤解してしまう怖さがあるような気がするんだよね。
いや、自分だって、「環境保護」は大賛成だ。
それは、おそらく著者も同じなんだろう。
でも、「環境保護」に賛成するか反対するかは個々の人の自由だ。
それが個々の人の自由だというのは、その人が賛成する理由、あるいは反対する理由も個々の人で自由だということだ。
「環境保護」を主張する娘の理由というのは、もちろん危機意識を持っているからだろう。
ただ、語ることで自らを「それについて問題意識を持っているわたしは正しい人」と一人悦に入るためのそれ、あるいは、同じ意識を持っている人たちから称賛を浴びるためのそれって、ぶっちゃけ言えば、他者の意見や見解の受け売りにすぎないわけだ。
つまり、自分で考えた、自分の意見を語っているのではない。
身も蓋もない言い方しちゃうならば、娘は某テレビ番組の「博士ちゃん」レベルなんだよ(^^ゞ
だから、本屋にグレタ(例のヒトラーみたいな環境保護運動家w)の本がなく、JKインフルエンサーのどーでもいい本が崩れそうなほど積まれている理由を想像することが出来ないし。
小説と、ニュースやドキュメンタリーは、他者の視点や社会的しがらみというフィルターを通したものという意味で言うならその二つは全く同じもので。
それの送り手が「これは小説だからフィクション」、あるいは「これはニュースやドキュメンタリーだから本当のこと」と言うだけの違いでしかないということを自分の頭で考え、想像できないわけだ。
大事なのは、興味を持って集めた様々な他人の意見や情報を自分の頭で咀嚼して、自分なりの考えを持つことだし。
なにより、自分の生活を自分で面倒みるようになっても、その問題意識を持ち続けられるのか? それについて、自分で考え、自分の意見を持つことが出来るか?ってことだ。
普通、人は大人になれば働き出す。
毎日、仕事の忙しさに追われて生きるようになるし、家族や家のこともしなければならない。
当然、興味を持っていた社会の問題に費やす時間は少なくなる。
というか、時間に追われ、余裕を失って疲れ果てていく中、社会にある問題なんかは忘れて、即物的な気晴らしに費やす時間が増えていくのが普通だ。
日々の暮らしに追われ、疲れ果てた自分を即物的な気晴らしで癒やす。
このお話の母親というのは、まさにそういう人だし。
世の大人のほとんどはそういうものだ。
だから、一般庶民というものは、日々の生活に追われることはあっても自分と家族の暮らしに専念出来るわけだよね。
だからこそ、自分の生活を自分でみることで精一杯な人がこれを読んだとしたら、娘の独善的な語りは、著者が自らの意見を押し付けているように感じる可能性はあるだろうし。
なにより、その内容が、世間一般に「絶対正しいこと」とされていることだからこそ、「正しいのは娘。間違っているのは母親(だって、不倫もしてるような人なんでしょう?)」という安直なレッテル張りをしてこのお話を読んでしまう可能性があるように思う。
さらに言えば、このお話を書いたのが、九段理江という、若くして一種のブランドを確立してしまった人だけに、このストーリーを素直に読みすぎてしまうようにも思うんだけど?(^^ゞ
ていうかー、今まさに母親や父親の人は、これをどういう風に読むんだろう?
親ではない自分としては、著者は、娘を徹底的に皮肉りつつも暖かい目で見て描写していたように感じた(やや娘寄りのスタンスでいる気もするw)。
母親のことも、徹底的に皮肉りつつも暖かい目で見て描写(不倫なんて人間なら誰でもあり得ることだ)することで、この親子の関係をほのぼのとした良いものとして描きつつ。
それは、これを読んでいるアナタの親子関係だって同じようなものなんだよと肯定してくれたように思ったんだけど!?
そんな風に読んじゃったこともあり、読後の印象はよかった。
変な言い方だけど、似てない似たもの親子(母と娘)のお話?
テレビのニュースの街角インタビューとかによくいる、ショッピングを一緒に楽しむ母娘ほどわかりやすい仲のよさではないけど、だからこそ内面で通じ合えている母と娘のお話?(^^ゞ
2つ目のお話、「悪い音楽」は退屈w
自分はツマンナイお話を「クソつまんない」と書くことが多いけどw、これは「退屈」と書くのが適当かなぁー。
ちなみに、「クソつまんない」お話っていうのは、世間にウケようと売れている本やジャンルを書いてみせた類型的な小説のこと。
「退屈」というのは、文字通り退屈なお話のことだ(^^ゞ
この「悪い音楽」が入っている『Schoolgirl』は、2025年8月24日時点で紙の本で121件、電子書籍で10件のレビューがあって。
「悪い音楽」はそれなりの評価を得ているようだけど、それらの何割かは、九段理江ブランドと芥川賞というブランドでそう評価しているっていうのはあるわけじゃん。
たぶん(^^ゞ
さらに言えば、今はネットでの本の感想は褒めて書くのがマナーだし。その方がその感想を読んだ人が「いいね」を付けやすい、みたいな暗黙の了解もあるわけでしょ?(爆)
でも、自分は著者のファンだからw
退屈なお話は、ちゃんと退屈だと言いたいんだよね(^^ゞ
唯一笑えたのは、主人公の先生が、「でも大地に感謝したいなら、天に向かって手をあげるのではなく、地面に手をついて土下座のような体勢で歌うべきなのでは?」と疑問を持つ場面。
確かに、と(爆)
ただ。
土下座の体勢で歌ったら、声がくぐもっちゃって歌声が聴こえねーじゃん!w
「ジブリ映画って苦手なんだよね」という人は、中学校の先生に絶対向かない気がするし(だって、それは父兄や生徒との共通言語、あるいは共通体験がないということだもんw)。
先生と父兄の抱く「好ましい中学生(=大人が扱いやすい子ども)」という価値観100%で順位を決められる、中学校の合唱コンクールの指導はもっと向かない。
しっかし、中学校って、合唱コンクールで「たたえよ大地を/ああ」をいまだにやってるんだ(@_@;)
中学校って、どれだけ大地をたたえるのが好きなんだろ?(爆)
そういう、著者ならではの視点は面白いんだけど。
ただ、ここで書かれていることって、どこまで著者の経験や実体験という肌感覚で書かれているんだろう?って感じちゃうんだよね。
ジェイムズ・ブッカーとか、カホンとか、実際に知っている上で書いているのかな?
ネットで、それらしいの拾ってきて書いてるだけじゃないの?と思っちゃうんだよね。
いや、そう思いかけて、すぐに「あぁー、この著者は知っているのかも…」とも思うんだけどね。
ただ、作家というのはさ。読者に対して、絶対的な存在じゃなきゃダメなわけじゃん。
「この作家はなんて頭がいいんだろう」とか、「この作家の知識の量は本当にスゴい!」みたいに、凡人である読者から見て一段上の存在だからこそ、読者は安心してそのお話に身を委ねるんだと思うのだ。
「この作家って、ネットでちょこちょこっと調べて書いてるだけ」みたいに、作家としての才にちょっとでも疑念をもたせるように書いたら絶対ダメなわけじゃん。
つまりさ。
ここまで普通からズレた才媛が、マイケル・ジャクソンが死んだからって泣く?
それじゃ、キャラが一致しないんだって(爆)
主人公に対して「三井先生は生徒の気持ちを考えられない人なんですね」と言う、純情可憐バカの横田wを茶化す感覚は面白いんだけど。
それが面白いだけに、ギャグ散らして一人悦に入っている感があって。
だから、このお話は「なぁ〜んだ」ってシラけちゃうんだと思う。
最後、主人公が自分の声が変わっていることに気づくあのくだりは、何を表しているのかわからなかった。
“私が知っている、かつての私の声ではなかった。たとえば、十年前、高校生の頃の声とは全然違っている。”、”(前略)まるで三十手前の、人生に疲れた女のような声だ。”とあるので。
そのくらいの齢前後、おそらく誰もが経験した(する)はずの、いつの間にか自分が中年になっていたことに気づいて愕然とした、というアレが主人公にも起きた…、ということなのか?
ただ、だとしたら、どういうことなのか(・・?
自らを才媛と思っていた主人公も、所詮は「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」にすぎなかったという、チクリとした皮肉なのか?
(あんがい自戒だったりしてw)
ということで、期待大だった九段理江だけど。
才気煥発なところは読んでいて気持ちいいんだけど、その才気がお話を面白くしているかと言うとまだまだなぁーw
とりあえずは、「次行ってみよー!」(^^ゞ
追記
今、ウィキペディアを見たら、前より結構追加されていて。
“大の音楽好きとして知られており”とあるので、ジェームズ・ブッカーやカホンは、たんにネットで拾ってきたのではなく本当に聴いていたものなのかもしれない。 -
「東京都同情塔」が第170回芥川龍之介賞候補になったので図書館でリクエストしたかったのですが本自体無かったので、以前の作品である本書を借りて読むことにしました。
前情報無しで読了したのですが、こちらも第166回芥川龍之介賞、第35回三島由紀夫賞候補になったのですね。
中身を見ずに薄い本だから1時間後くらいで読み終わるかなと思ったのですが、近年稀にみるくらいの、みっちり書いてある本でした。なんというか、情報の洪水を浴びせられた感じ。視覚的に言うのであれば、千葉県の鴨川シーワールドのシャチに海水を浴びせられたような、あの感覚。
あれも水浴び、という生易しいものではなくデカい容器に大量の海水が半端ない勢いで浴びせられるんですよね、あれを思い出しました。でもその体験が新鮮で、しかも中毒性がある…そんなところも両者の共通項だと思いました。 -
Schoolgirl。影響を受けたとされる太宰治の「女生徒」も読んでみようかな。
悪い音楽。こちらの方が読みやすく面白かった。先生のラップが良い -
うおおおおおおおおお!!!
こっれは面白いし良かった…!
太宰治の「女生徒」に絡めているとだけ聞いて読んでみたら、文章も内容も思っていた10倍しっかり絡めていて、でもそれが単なる焼き直しやラブレターではなくて、現在の著者にしか書けない作品になっていて夢中で読んだ。
母娘の描き方がまた上手い。
そして収録作の「悪い音楽」がまた凄まじかった…!
おっもしろ…!!
脳をぐりんぐりん回されているような、たまらない感覚。
好き! -
『Schoolgirl』も良かったが、『悪い音楽』に登場する音楽教師ソナタのズレが印象的だった。
保護者を呼んで生徒指導する場面で、その内容をネタにしたラップを考え、教師や保護者から問い詰められたり、合唱コンクールな学級指導で音痴な男子をカバーするために声量をあげることを指導し伴奏者の生徒から反感をかったりと、音楽的才能は優れているのに、あまりにも周囲と噛み合わない感じが、実に面白かった。
今後の作品にも目が離せない。 -
表題作の【女生徒】は、私も大好きな太宰の女生徒を本歌取りしているということで、どんな小説になるんだろうと芥川賞ノミネート作の中でもとりわけ気になっていた。
バイリンガル社会派Youtuberとして意識高く活動する14歳の娘から、“小説ばかり読んで頭がおかしくなった空想癖のある母親”と見下されている34歳の「私」。
彼女と同様、なぜ私も女生徒が好きかというと、ありのままの少女がありのままに描かれているからなんだよね。純度100%の共感があって、だからこちらの小説でも私はきっと14歳の娘の方に理解できるものがあるかと思ったんだけど、全然そうじゃなかった。驚愕。
娘から馬鹿にされ冷たい目を向けられる34歳の母親、もう彼女の方こそが私なんだ。あと数年後にそうなるであろうと思われる未来の私。
えっ待って?あと数年後にはうちも同じじゃん。私が34歳で、娘が14歳になるじゃん。自分が14歳だった頃の気持ちだって、まだすごくよく覚えてるのに。
子育てと家事しかない親を馬鹿にして、すごく嫌な娘だったと思う。お母さんにも14歳の時があったなんて一度も、想像したことなかったと思う。
そんな私は今や、娘のお母さんなのか。やがて娘も私に他人のような視線を向け、私の知らない言葉で喋り出すんだろう。
読みながら打ちのめされたような気持ちになった。でもとても好き。
続く【悪い音楽】、こちらが新人賞デビュー作とのこと。著名な音楽家を父に持つ音楽教師の話で、読んでいるこちら側を巻き込んで徐々に世界が歪まされていく感じが心地良かった。狂想曲って感じ。狂想曲がなんなのかよくわかってないけど。
九段理江の作品
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