ルポ 誰が国語力を殺すのか

  • 文藝春秋 (2022年7月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784163915753

作品紹介・あらすじ

『ごんぎつね』の読めない小学生、反省文の書けない高校生……
子供たちの言葉を奪う社会の病理と
国語力再生の最前線を描く渾身のルポ!

〈バカの壁〉はここから始まっていたか。子供たちの国語力をめぐる実情から、日本社会の根底に横たわる問題まで掘り起こした必読の書。
ーー養老孟司

注意報ではなく警報レベルだ。子供たちの現状に絶句した。本書の処方箋を、必要なところに届けること。それがこの国の急務であり、希望の道筋となるだろう。
ーー俵万智

・オノマトペでしか自分の罪を説明できない少年たち
・交際相手に恐喝されても被害を認識できない女子生徒
・不登校児たちの〈言葉を取り戻す〉フリースクールの挑戦
・文庫まるごと一冊の精読で画期的な成果をあげる全人的な教育
・〈答えのない問い〉が他者への想像力を鍛える「哲学対話」……etc.

「文春オンライン」200万PV突破の衝撃ルポ「熊本県インスタいじめ自殺事件」を含む、現代のリアルと再生への道筋に迫った瞠目のノンフィクション!

今、子供たちを救えるか? 未来への試金石となる全日本人必読の書

みんなの感想まとめ

言葉と想像力の危機に直面する現代の子供たちの実情を描いたこのルポは、教育現場の問題点や家庭環境の影響を鋭く指摘しています。小中高校生が直面する国語力の低下は、ゆとり教育や総合的な学習の理想が裏目に出た...

感想・レビュー・書評

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  • この本で有名なのは、『ごんぎつね』における一場面を小学生に読解させ、それが全く不適当な内容だったという話の紹介だ。病気の母をもつ兵十にイタズラのお詫びをしにきた〝ごん“を、それと知らず撃ってしまうというのがこの話。そこに「葬儀で村の女性たちが正装をして力を合わせて大きな鍋で何かを煮ている」という場面がある。これは何をしているのだろうか、というのが問いだ。

    葬儀で参列者にふるまう食事を用意している場面である、というのが模範回答。対して、生徒たちは「兵十の母の死体を消毒している」「死体を煮て溶かしている」と回答したらしい。これが国語力低下の証左であり、由々しき事態だと。

    岡田斗司夫が、これは過激な物語世界に慣れてしまったが故の子供たちの先読み力、ホラーを創作した子供たちの想像力に作者がついていってないだけと言っていた。しかし、この解説もどうなのだろうか。

    そもそも葬儀でなくとも、大きな鍋で何かを煮る、炊き出しのようなシーンに日常出会わない。ごんぎつねの対象年齢は、葬儀を多く経験する年齢の子供たちでもない。葬儀でご飯を食べる、という発想もない。だから、経験則に照らして答えを見つけるのは難しい。葬式と言えば死体、せいぜい、それに鍋を組み合わせて精一杯考えた結果という事だろう。ホラー創作だとも思ってはいなくて、単に物を知らないだけだ。

    で、これが読解力の本源的な部分だが、解釈とは、意向や状況を理解する事。それには、この世界の常識を形成する歴史や文化といった文脈を知らなければならない。例えば、主人公が中指を立てた、この意味は何だろうと問われても、ジェスチャーに関する知識がなければ読解できず、自由な想像をするしか無いのだ。

    ー 「国語力」とは何なのだろう。文科省の定義によれば、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力としている。まず、習得しなければならないのが、あらゆることの基盤となる語彙力である。一般的には十二歳くらいまでに約二万語を覚えるとされており…語彙を増やすのと同時に育てていくのが、「情緒力」や「想像力」だ。情緒力とは、他者や自然から美しさ、悲しみ、もののあわれを感じ取り、理解する能力。想像力は、未知のものをイメージしたり、他者の表情や動きから言外の感情を読み取ったりする能力だ。物事を細部まで感じ取るためには、豊富な言葉が必要だ。

    まあ半分そうだと思うが、語彙だけではなく、日常経験なのだ。外国人が日本の文化風習を見ても、これ何?となって読解はできない。国語力は、その国での人生経験に左右される。

    ー 子供は身の周りの世界を探索しながら、五感をつかって言葉によって感性や興味を磨き上げていくそうだ。そこから物事の因果関係を考えたり、抽象的な概念をイメージできるようになったりし、徐々に心の中に「辞書」を形成していく。これを心理学の用語で「心的辞書(メンタル・レキシコン)」という。そしてこの辞書を駆使することによって言葉を操れるようになっていくのだ。

    日本の風習や儀式は、実体験や祖父母からの話、童話や昔話で学ぶ。その体験機会が薄れれば、自ずとその分野が読み取れなくなる。野球嫌いが、選手の話をされてもついていけないのと同じ。これは、教育側が令和の時代の関心事やフォーマットからズレて来ただけの事だ。殺されている訳ではないし、死んでもいない。

  • 言葉が危ない。想像力が危ない。
    私もずっとそう思っていた。

    家庭環境が国語力に大きな関わりを持つ。
    今の教育現場の問題が拍車をかける。
    ゆとり教育、総合的な学習が理想の空回りで、国語力の低下をもたらす。
    アクティブラーニングを目指す現代。しかし現場ではプログラミング、外国語、ネットリテラシー、キャリア教育と次から次へとおりてきたものに対応するのにアップアップ。それ以前に教員が不足し、教務主任や教頭が担任したり授業をもったりする。国語力どころではない。すべての教科の基礎は国語なのに。
    現代の不登校はゲーム依存、スマホ依存と大いに関係している。麻薬、飲酒、ギャンブル依存同様ゲーム依存を問題視する。ゲーム依存治療のプログラムの大変さが心に残る。これは少年院の更生プログラムとも共通点がある。

    1 子どもを心理的安全性に置く。
    2 五感を刺激しながら言葉と思考のリハビリを行う。
    3 言葉による成功体験を積み重ね、自己肯定感を高める。
    4 実社会での希望や生きがいを見出させる。

    でも、光明がないわけではない。
    五感を働かせる体験から言葉とコミュニケーションを育てることを重視している学校の実践が紹介されている。読書郵便で友達同士で本を紹介し合い、本を読む環境つくりをしている学校。本物の自然、本物の芸術にふれさせることを目指す学校。
    五感を刺激されると子どもは言葉を発し、表現力がアップしていく。

    今、必要なものは
    実感をともなう言葉と想像力
    そんなことを考えるきっかけになるルポだった。

  • 【感想】
    「読解力の無い子供が急増している」
    SNSによる短文文化の広がりは、日本語を読む力を大幅に失わせたと言われている。日常的に長文を書く機会が失われ、代わりに感情と平易な感想のみから成るつぶやきが台頭してしまえば、文章力はおろか、他人の発言を読み解く力すら失われていくのは当然のことだろう。
    しかし今、事態はより悪化している。もはや「読解力が無い」というステージにすら立てない子供が出現しているのだ。どういうことかというと、文を読み解く能力の土台となる「常識」――道徳、社会規範が身についていない。「戦争を無くさなければならない」という文があれば、「戦争は悪いものだ」という認識が欠如しており、「なぜ筆者は戦争を無くしたがっているのか」という疑問に行きついてしまう。したがって、常識に照らし合わせればとんでもないような発想をしているのに気づかないまま生活を送ってしまっている子供が急増しているのである。

    本書『ルポ 誰が国語力を殺すのか』は、子供たちの情緒や思考力が悪化している原因を「国語力の低下」に見出し、家庭やネットといった環境が与える悪影響を分析していく。かつ、国語力を再生するための取組を行っている学校やフリースクールでの事例を取り上げながら、人間力の基礎となる「国語」が蔑ろにされる危険性について考察していく。

    国語力とは、文科省が定義した「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の4つから成る能力だ。人が他者と社会生活を送るうえで特に強く求められる力である。本書では、数々の問題行動や非行、社会不適合を起こしている子供の事例が取り上げられるのだが、筆者はその原因を「国語力の低下」に見出す。

    今、子供たちの間で「国語力」に格差が生じており、その高さ/低さで上層と下層に分断されているという。
    下層の子供について、例えばこんなケースがある。
    高校3年の男子生徒が、同校の2年の女子生徒と交際していた。女子生徒は何事にも無気力なタイプで、めったに意見を言うことはなく、すぐに部活をやめてしまったり、学校も来たり来なかったりだった。私生活でも、友人との約束を平気ですっぽかす、デートの最中に黙って帰宅するなどした。
    男子生徒はこうした態度に怒り、「もしこれから俺の気に入らないことをしたら、罰金として1万円払えよ」と言った。女子生徒はその場しのぎに「うん」と答えたが、態度を改めるわけでもなく、同じような行動をくり返した。
    そのため、女子生徒は毎月のアルバイト代のほとんどを男子生徒に払うことになった。次第にバイト代だけでは足りなくなり、女子生徒は母親の財布から金を盗んで支払いに充てた。母親が事態に気がついた時、女子生徒は100万円を超す金額を男子生徒に渡していた。事態が明るみに出て、学校は双方の生徒と親を呼び出して話し合った。
    だが、女子学生男子学生とも、100万円もの金銭の受領について「2人で決めたルールだからいいじゃん」という気持ちであり、事件発覚後も何事もなかったかのように交際を継続していたという。しかも驚くべきことに、男子生徒の親も同じ感覚であり、「なんで2人で決めたルールを守っていただけなのに、親が弁償しなければならないんだ」と言ったそうだ。

    一見すると、全く理解ができない。半分お金を盗まれながら交際していたものだというのに、盗んだ側も盗まれた側もそれを悪いことだとは思っていない。これが冒頭に述べたような、国語力以前の「常識の欠如」なのである。

    こうした問題行動に走ってしまう少年少女は、虐待、差別、貧困といった理由で家庭や学校に居場所を見つけられなくなった子が多い。本人の能力の低さではなく、周囲の環境の劣悪さが原因で、認知に歪みが生じてしまうのだ。
    奈良少年刑務所で教育専門官を務めた乾井は語る。
    「少年たちが言葉を持てない原因の一つは、家庭環境の悪さにあると思います。家庭内暴力、育児放棄、過干渉などにさらされている子が多いのは統計で明らかになっています。実際に子供たちと接していると、統計以上ですね。
    こうした環境で育つと、子供は何を言っても聞いてもらえないとか、自分の意見を持っても意味がないとして思考そのものを諦めるようになります。少年刑務所に来たばかりの頃、彼らは口癖のように『意味ねえ』とか『くだらない』と言います。諦める以前に、しっかりと現実を見ようとしていない。家庭環境が、彼らをそういう思考にさせてしまっているんです。それでますます言葉で考える力を失っていくのです」

    現在、闇バイトの検挙数が増大している。家宅に侵入し金品を奪いながら、いざとなれば家主を殺す。常識的に考えれば、報酬に比べてあまりに割に合わない仕事だ。しかし、子供たちは明らかな不利益だとしても犯罪に加担してしまう。なぜなら彼らは、国語力が著しく低下して認知が歪んでいるため、それが「割に合わないこと」と感じていないからだ。このまま子供たちの国語力が低下してしまえば、被害は一部の下層の人間に留まらなくなってくるだろう。だからこそ今、国語力の再生が急務と叫ばれるのである。

    ――「国語力は、学問だけでなく、人間が生きていく上であらゆることの基礎となる力だと思っています。見知らぬ世界を我がこととして想像し、他者の心のひだまでを感じ取り、自分の考えを整理し、相手につたわるように適切な言葉で発信していく。それは人間が広い社会の中で独り立ちして生きていくために必要な全人的な能力なのです。この力をつけることは健全な社会を築くことであり、逆にそれが弱まってしまえば社会全体が不健全なものにもなりかねないのではないでしょうか」
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    今の教育現場で起きているのは、読解力低下の問題ではない。それ「以前」の問題だ。社会で戦争のことを学んでも、そこで生きる人たちの生活の苦しみを想像できない。理科で生態系を勉強しても、命の尊さに結びつけて考えられない。生活指導でクラスメイトに「死ね」と言ってはいけないと話しても、「なぜ?」と理解できない。
    危機に陥っているのは読解力以前の基礎的な能力だ。登場人物の気持ちを想像する力、別の事を結び付けて考える力、物語の背景を思い描くカ。それらの力が不足しているから、常識に照らし合わせればとんでもないような発想をしているのに気づかない。文章を字面のみで記号のように組み合わせるだけで、それを自分の言葉で考え想像することができないのだ。

    一体、誰が、何が、なぜ、国語力を殺したのか。


    1 格差と国語力
    文科省の定義によれば、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の4つの中核からなる能力である。国語力を発達させるには、語彙力→情緒力・想像力→論理的思考力と多層的に能力を強化していく必要がある。

    教育現場では今、子供たちの国語力が低下しているという声が多数寄せられている。

    学校の教員によれば、教室内でつくられるグループは不思議と子供が持つ国語力によって決まることも多いという。言葉を持っていない子供たちは同じような者同士で集まって粗雑な言葉でやりとりする傾向が強く、一方で言葉を持っている子供たちは豊富な語彙をつみ重ねて複雑なコミュニケーションをとることができる。
    もしグループの中で人間関係が悪化した時、言葉を持っていない子供たちは自分がすべきことを導き出せない。乱暴な言葉で物事を曖昧にするか、口を閉ざし、余計にトラブルを大きくする。

    この「国語力の格差」の原因の一つは、家庭の格差だ。親が子供ときちんとコミュニケーションを取る、絵本を読み聞かせる、学びの機会を多く与える、適切な言葉で子供に接する、といった家庭環境の差によって、子供の国語力が上層と下層で二分化している。

    下層、つまり学力レベルの低い学校に来る生徒は、勉強嫌いな子供たちとみなされがちだが、実際は家庭に問題があるケースが多い。虐待、生活保護受給、一人親、親が外国籍で日本語がしゃべれない世帯など、家庭内に生きづらさを抱えており、そこで適切な人間関係が築けていない。こういう家庭で育った子供たちは物事を考えたり、表現したりする力を失ってしまっていることが多い。だから学校でもプライベートでも、いろんなところで壁にぶつかってうまくいかなくなる。


    2 教育崩壊
    2010年代前半以降、文科省が新しい学習指導要領をつくったことで、学校は「脱ゆとり」へと舵を切り、一度は失われた授業時間を回復させることにした。だが、ここに新たな課題が生まれることになる。
    それは国語の時間が減少していることだ。ゆとり教育前のものと比べると、算数はゆとり教育以前にもどっているが、国語力の根幹を担う国語や芸術関連の授業はゆとり教育時代のままか、微増に留まっている。つまり、脱ゆとり後も十分な時間数を確保されていないのだ。
    問題は、そこに新たな教育が追加されたことだ。今の小学校では「プログラミング教育」「主権者教育」「防災・安全教育」「消費者教育」などが加えられている。これらは独立した教科としてあるわけではなく、既存の教科の中に組み込まれる。つまり、国語、算数、社会などといった教科の中で行われているのだ。国語科が大きく影響を受けるものとしては、「伝統や文化に関する教育」や「外国語教育」の充実を担わされる点が挙げられる。
    発展的な教育カリキュラムが次々と上積みされていく中、基礎的な国語力をつける時間が足りなくなっているのだ。

    そんな中、教育現場は崩壊の危機に直面している。
    ・教員の労働環境の悪さ
    ・教員不足
    ・教員の質の低下
    いわば、先生方の労働環境の悪化である。これに加え、国が教育にかける予算の少なさも、学校の質の悪化につながっている。


    3 SNSによる悪影響
    国語力の弱い子供たちほど、ネットから悪影響を受けやすい。そう示唆したのは課題集中校に勤める男性教員だ。
    「ネットには荒れた言葉が氾濫し、未熟なコミュニケーションがまかり通ってしまっています。子供たちはそれに慣れて現実世界でつかうのでトラブルを続発させてしまうのです。これは、彼らのSNSのフォロワーの質とも関係があります。たとえば、不良は不良のフォロワーばかりになりますので、そこで飛び交う言葉だとか、考え方だとかが似通ってしまう。みんなで特定の生徒を寄ってたかって罵倒したり、酒や煙草をやるのが日常だったりすれば、本人は無自覚なまま危険な状況に流されていく。何か起きた時にはもう遅いんです」

    昔と比べて、リアルとネットは地続きになっている。学校でのいじめが、放課後もLINEやインスタに舞台を移して続行されているのだ。

    学校でのネットトラブル解消を担う専門事業「スクールガーディアン」事業部長の三角は語る。
    「SNSでトラブルとなる場合の短文テキストコミュニケーションは、対面のリアルのそれとはまったく違います。対面の場合は、人と人とがお互いに一歩引いて距離をつくり、相手の思いを想像したり、空気を読んだりして、言葉を選びながらしゃべりますよね。しかし、SNSでは、相手との距離感が存在しません。情報を発信する側は、相手の感情を考えず、その瞬間に頭に浮かんだことや思ったことを、ストレートに言葉で表現します。特定の誰かに話しかけるというよりは、独り言のようにつぶやくことの方が多い。テキストも文章ではなく、ぶつ切りの単語になりがちです。こうなると、コミュニケーションというより、感情を吐き出しているようなものになってしまいます」

    実際のコミュニケーションは、相手の立場に立ち、言葉が凶器にならないように精査し、慎重を期して丁寧に発しなければならない。そうやってはじめて人間同士の信頼関係が築き上げられる。そのために欠かせないのが、国語力という基礎的な力なのである。
    SNSで飛び交う言葉は、従来のそれのように人間の関係性に基づいて取捨選択されたものではなく、二次元の世界から氾濫を起こしてなだれ込んできて、深い思慮を伴わないままどんどん暴力性を帯びていく傾向にある。にもかかわらず、親も教師もそれをどうつかいこなせばいいのか適切なアドバイスやコントロールの仕方を知らない。
    現在の子供たちの国語力は、SNSの短文テキストコミュニケーションによって根底から揺さぶりをかけられている。元来、言葉は自己肯定感を育み、世界のあらゆることを思いやりでつなぎ、未来を切り開いていくためのものだった。それが無思慮に感情を吐き捨てるだけのものに取って代わられた時、子供は、世界は、未来はどうなってしまうのか。


    4 不登校と「ことば」
    不登校の生徒たちに取材をすると、次のような声を頻繁に聞く。「なぜ不登校になったのか理由がわからない」
    なぜ、学校に行けない理由を答えられないのか。実はそこに国語力の問題が横たわっている。
    文科省が「不登校の要因」を調査したところ、不登校になった子供たちの半数近くが「無気力・不安」が原因だとしている。無気力・不安とは、明確な原因がないまま「だるい」「めんどう」という感じで学校を休みがちになり、そのうちにだんだんとゲームなど別のところへの関心を膨らまし、学校へ行かなくなることである。不登校になったきっかけは答えられても、根本的な原因を自分でも把握できていないケースが多い。

    不登校の子供たちが言葉を失っている原因としては、これまで見てきた国語力の問題に加えて、彼らが精神的に追いつめられていることもあるだろう。
    社会学者の石川は、次のように語る。「彼らは、『生きる』というところで精いっぱいなんです。その日、その時をなんとか生きているだけで、広い視点で物事を考える余裕がない。だから、周りが『これからどうするつもりなのか』とか『将来どうするのか』と訊いても、そこまで先のことを考えて答えることができないのです。あとは、周りがきちんと子供たちの言葉に耳を傾けてこなかったことも影響しているかもしれません。
    子供の発言や行為が取るに足らないことのようにされる。そういうつみ重ねの中で、彼らは語ろうとしなくなったり、語っても聞いてもらえないという意識が生まれたりしているのではないでしょうか」


    5 国語力の回復
    不登校、ゲーム依存、非行。社会の底辺から脱するために必要なプロセスと回復支援には、共通するものがある。
    ①劣悪な境遇で言葉を失う。
    ②子供を安全地帯(心理的安全性)に置く。
    ③そこで五感を刺激しながら言葉と思考のリハビリを行う。
    ④言葉による成功体験をつみ重ね、自己肯定感を高める。
    ⑤実社会での生きがいや希望を見いださせる。

    こうしたプロセスは、家庭格差の上層にいる子供たちであれば、親や友人と接する中で自然と経験するものだ。しかし、家庭格差によってその機会を奪われた子供たちは、人生の困難にぶつかった後、フリースクール、病院、少年院などである種の保護下に置かれ、それを回復プログラムとして行うことになる。いわば、育て直しのような形で国語力をつけていくのだ。
    国語力を取り戻した子供たちは、自分の人生を言葉によって物語化できるようになる。これまでの挫折つづきの人生を俯瞰して捉え、自分の弱点とそれを乗り越える術を掌中にする。だからこそ、目指す未来への道筋が可視化され、不用意に壁にぶつかることも、わき道にそれることもなくなる。それが生きやすさにつながるのだ。臨床心理学でいうところの「ナラティブ(物語)アプローチ」が自然に行われるのである。


    6 小学校での国語力回復の取り組み
    広島県佐伯区のなぎさ公園小学校では、国語力の基礎となる感性を伸ばす教育に力を入れている。常に五感を開いてあらゆることを知覚し、想像する力を養わなければ、物事を適切に表現することはできないという理念に基づく方針だ。

    校長の渡邊は言う。「小学生という年齢を踏まえれば、ボキャブラリーを豊富にさせたり、読み書きのスキルを教え込んだりするのと同時に、子供たちにいろんな経験をさせて感覚を磨いていくことが不可欠です。感性はいくら机上で勉強をしても育ちません。たくさんの実体験をする中で養われていくものなのです。そのために本校では子供たちにいろんな体験の機会を提供していますが、大切にしているのは、本物に触れさせることです。本物の自然、本物の芸術、本物の遊びの中でこそ、豊かな人間性が育まれてくると思っています」
    なぎさ公園小学校は生徒たちの体験型学習に力を入れている。田植え、キャンプ体験、民泊体験、楽器演奏、日本舞踊、干潟観察、山での雪遊び、海外留学、サマーアドベンチャーなど学校の行事だけでも数え切れない。

    渡邊「面白いのは、児童は五感を刺激されると、自分から言葉を発するようになることです。図鑑を読んでいるだけでは図鑑にある言葉しか語りませんが、体験によって五感を刺激された子は感じたことを自分の言葉で語ろうとするのです。その言葉は、実体験に基づいているのでとても具体的です。また、自分の感覚をできるだけ正確につたえようとするため、自然と語彙も豊富になっていく。感じることが、表現への衝動を生み、言葉を豊かにしていくのです」

    学校は、こうした取り組みをバラバラに行っているわけではない。事前に何をするかを年間計画にまとめた上で、教員同士が教科の垣根を越えて連携を取りながら多角的に進めていくのだ。カエルを飼うにしても、どうやればそれを国語や社会といった別の教科に関連付けることができるのか、あるいは今回の体験を次の年にどう発展させていくのかを話し合って決めるのである。月に一回ずつの教科会や学年会で情報を共有し、その時々で微調整をする。


    7 中学校での国語力回復の取り組み
    神奈川県川崎市の日本女子大学附属中学校・高等学校。ここではすべての教科の中心に国語を据えて、中高の6年間を通して生徒に考える力、想像する力、表現する力を身に着けさせている。

    校長の椎野は言う。「今は社会が劇的な勢いで変わりつつあります。しかし、学ぶ上でも、他者とかかわる上でも、社会で働く上でも、国語力という基本なしには何事もうまくいきません。授業でいえば、それを育てる中心にあるのが国語科だと思っています。
    本校が国語科においてとりわけ文学作品を重視しているのは、人間にとって根源的な力を養うのに最適だと考えているからです。フィクションでもノンフィクションでも、優れた作品は、生徒の中にあるやさしさ、想像力、忍耐力といったものを育ててくれます。それが生徒の人としての力を総合的に成長させていくと考えています」
    文学作品を読むことが、勉強だけでなく社会で生きる上での基盤となる力を育むというのは、多くの研究者が指摘するところだ。この学校の取り組みは、それを重要視し、全教科の中心に据えて教育体制を構成するということなのだ。

    2つの学校が、未来の社会を見据え、授業を通して生徒に授けなければならないと考えている力とは何だろうか。
    それは、たくさんの言葉を持ち、豊かな感受性によって他者の意見を聞き入れ、自らの言葉で的確に気持ちを表現することによって、自分だけでなくみんなが生きやすい環境をつくっていく力だ。これこそが社会をより良いものにすることにつながっていく。
    ともすれば時代遅れで実利とは無縁に思われているような文学作品や哲学を用いて、愚直なまでに人間にとって根源的な力をつけさせていく。社会を知覚し、創造し、行動する力の根本にあるのが国語力なのである。

  • この作品のタイトルがまず目を引き、かねてから読んでみたいと思っていました!「国語力」を殺すってどういうこと??この作品はまず現在の小中高校生が直面している現状や問題点を指摘し、それに対して教育現場はどう対応しているかを取材した作品です。

    読んで衝撃を受けました…。「ごんぎつね」を正しく読めない子供達(時代背景もあるかもしれないけど…)、反省文を書くよう指導しても反省文とはほど遠い内容に…。正直、危機感を覚えました。ウチの子は大丈夫か…そう感じ思わずこの反省文のくだりを読ませたりして!そして、短い単語であらゆることを伝えようとすることについて注意を促しました。が、「それ、お母さんもだよ。いつも思うけど、お母さん主語がないから困ることがあるよ。」と言われてしまいました。はい、気をつけます(汗)。

    あと印象的だったのは、国語力を育成するために、文庫本を使った授業をしている学校があるということです。『アンネの日記』『深夜特急』『野火』『風立ちぬ』『仮面の告白』『高野聖』『深い河』など…私もいつか読んでみたいと思いました。そして、「国語力」が身についた子供たちは、自分の意見を自分の言葉で表現できることにも驚かされました!いろいろ、考えさせられる一冊になりました。

  • ◆想像力喪失 ネットが拍車[評]大岡玲(作家・東京経済大教授)
    <書評>『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太 著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/201299?rct=book

    『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163915753

  • 今の日本の社会には、格差の中で恵まれない立場にある子供が十分な教育を受けないまま若い年齢で社会に出る構造があります。こういった人たちは、高いコミュニケーション能力が必要な感情労働に従事することが多いように思われます。現在の状況を正確に把握し自分を抑制して、その場に応じた新しい行動をする仕事です。感情労働とは一般的にはサービス業と言われる仕事です。ヘルパー、コールセンター、飲食サービス業、美容師、ホテルスタッフ、美容師、観光案内、保育士。自分を抑制しながら働く力が必要な仕事である。

    すべての子供には、ヘレンケラーが言ったような羽の書いた言葉 を見つける権利がある。それは私たち大人が用意しなければならない。もっともらしい理屈をつけて子供からその機会を取り上げるのか、認識を改めて言葉にしていくのか。日本の未来を生かすか、殺すか、私たちは今その帰路に立っている。

  • 近年読んだルポルタージュのなかで、最も強い衝撃を受けたと言ってもよい一冊。
    単に「教育」というジャンルの本だと思っていると関係者にしか読まれないと危惧するが、一世を風靡したともいえる『ケーキの切れない非行少年たち』にも通じる話だ。
    人間は、よりよく生きていくために「言葉」が欠かせないということがよくわかる。
    それは、いま恵まれた環境にある人がより充実した生き方を手に入れるという意味ではなく、最底辺にいる人(虐待や犯罪に近いところにいる人)が、「ふつうの」生き方ができるようになるという意味だ。
    これを他人事だと考えている場合ではない。
    「ふつうの」人が「ふつうに」安全な社会で生きていくために、社会全体で考えなければならない喫緊の課題だ。

    日本の高等教育が、理系偏重、人文学軽視をしてきたツケがここにある。

  •  以前新聞で、この本が取り上げられていた。

     小学校での『ごんぎつね』の授業で…

    兵十の家で、母親の葬儀が行われる日、村人たちが集まり大きな鍋で料理をしている。この鍋で何を煮ているのか?の問いに、子供たちが大真面目で、お母さんの死体を煮ていると答えたというのだ。どうしてもふざけてるとしか思えなかったが、気になり、この本を手に取った。

     さすが石井光太さん。緻密な取材と、構成力で今の日本の国語教育が実際にどのような問題点があり、どのような方向にこれから進んででいけば良いのか、しっかりと述べられている。
     特に序章と第1.2.6.7.8章は必読だ。日頃本を買うとき、内容にしては値段が高いな、とよく思うのだが、この方に限っては、こんなに安くていいのだろうか?と思ったほどだ。

    序章 『ごんぎつね』を読めない小学生たち

    ○今の子供たちは大量の情報に取り囲まれ、それを取捨選択する必要性に迫られている。情報を整理したり処理したりする力はあるのかもしれない。しかし、そうした力と、一つの物事の前に立ってじっくりと向き合いそこから何かを感じたり感じ取ったり、背景を想像したりして自分の思考を磨き上げていく力は全く別のものだ。(ある校長の言葉)
    ○語彙を増やすのと同時に育てていきたいのが、情緒力や想像力。情緒力とは、他者や自然から美しさ、悲しみ、もののあわれを感じ取り、理解する能力。想像力は、未知のものをイメージしたり、他者の表情や動きから言外の感情を読み取ったりする能力。

    第一章 誰が殺されているのか 格差と国語力について

    第二章 誰が殺したのか 教育崩壊について

    ○国語力の中核をなすのは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の4つの力だ。これらが一体となって成長することで、人は社会で生きていく上で必要となる全人的な力を得ることになる。
    ○学校司書ついての言及…司書教諭が十分な仕事をできる制度づくりができていない。
    ○元文部科学大臣の遠山敦子が語る、現代国語教育の問題点。ゆとり教育の完全なる失敗。

    第三章 ネットが悪いのか SNS言語の侵略
    第四章 19万人の不登校児を救え フリースクールでの再生
    第五章 ゲーム世界から子供を奪還する
    第六章 非行少年の心に色彩を与える

    ○悲しいと言う感情を切ないくらいのものだと理解できれば自殺する事は無いよね。むくれるくらいなら人を責めたり殴ったりしないと思う。感情を細かく分けると言うのは、それに合った行動を取れるようになるってことなんだ。それが感情をコントロールするということだと覚えて欲しい。感情を細かく捉えるだけで、生き方が随分楽になるものなんだよ。

    第七章 小学校はいかに子供を救うのか〜国語力育成の最前線1

    ○ガラス張りの教室の外には、教室と同じ位の広さの廊下スペースが広がっていて、展示パネル、生徒の絵画、書道、俳句、自由研究、手紙、将来の夢また、本棚、ピアノや木琴、図画工作などが並び、教室の外は美術室や音楽室になっているので、休み時間には好奇心を刺激された生徒たちがそれらで遊ぶ。

    第八章 中学校はいかに子供を救うのか〜国語力育成の最前線2

    文庫本を丸ごと一冊使った授業を紹介『アンネの日記』『深夜特急』。
    高校では…『野火』『風立ちぬ』『仮面の告白』『高野聖』『深い河』
    終章

    気持ちにフィットする言葉を見つけて、表現できた時、私は少し嬉しくなる。日本語は繊細で表現が多岐に渡り、微妙な心情の心情を表す言葉が多く存在する。なので、豊富で基盤がしっかりした国語力を養えば、その言語のように日本人も、自国を愛し、個々の意見をしっかり持ってグローバルに発信出来るようになるはずなのだ。学校の先生を始めとして、1人でも多くの人に読んでもらいたい1冊でした。

  •  自分の思うことを伝えようとするとき、途中で遮ったりすることなく、黙ってじっくりと聞いてくれる人の存在は重要だ。それによって自分の伝えたいことにぴったりくる言葉を探し、選ぶことができる。そのためには、同じようなことであっても、ちょっとしたニュアンスの違いのある言葉があることを知る等、多くの言葉に触れておくことが大切だ。
     置かれた環境、人間関係によるものは大きいなぁと思った。

    「言葉はコミュニケーションの手段である」と、よく言うけれど、それと同時に、言葉とは漠然とした自分の考えや感情に名前を与え、それを認識し深めるための道具なのだろう。
     
     国語力が低下していることを示す事例と、それに対する各所の取り組みのルポ。困難な状況を抱えていても「ヤバい」等の決まった言葉を発するだけか、黙り込んでしまったり、言われた言葉を正確に理解できずに事件を起こしてしまう子どもたち。自分の感情を表現するための言葉を考えさせる取り組みが紹介されていたが、また、もとの場所に戻った時にどうなるのか心配になった。「言葉」が現在危機的な状況にあること、個々の対応だけではとうてい足りずに、早急に対策を講じなければならないと思い知らされる。教科としての「国語」の位置や意味づけ、具体的な方策がもっと必要なのでは、と思った。
     

  • 最初は本の厚さに面食らいましたが、文章は読みやすいし何より面白いです。
    読む前は国語力がこれほど大切な力だとは思いませんでした。これからは積極的に甥や姪の国語力を育てる手助けをし、自分自身の国語力も伸ばしていきたいです。

  • 新聞に書籍広告で紹介されていた。昨今の子供たちの国語力や精神面に関する深刻な実情を取った本。帯にもあるように衝撃的な内容がある。
    子供たちの国語力や精神面に関する深刻な実情を紹介されている。
    しかし、本当は子供が問題なのではない。子供の親世代からの積み重ねのように思えてならない。親世代が経済的にも文化的にも身体的精神的にも余裕がない分、しわよせが子どもに表れている。
    先日、「識字調査、全国実施へ始動 岡山の夜間中学生2割、生活に支障も 国語研、1948年以来」(共同通信社)2/18(土)
    の記事を読んだ。
    「国立国語研究所(東京)が識字調査の1948年以来の全国実施を目指している。既に岡山などで、義務教育を受けられなかった人たちが通う夜間中学の生徒らを対象に実施。約2割が十分に読み書きができず「日常生活に支障の恐れ」との結果も出ている。」以下略
    識字率の実態把握は学び直しの促進につながりそうだ。とあったが、学びなおす機会ややる気をどのように設けるのか、難しいと思った。
    「国語力」考える力、感じる力、想像する力、表す力、大人でもきちんと身についている人がいないこともあるのはこういう実態があるのだな。と感じることがあったので、現状を認識し、よき方向にすすむためには、かなり「国力」が必要だと思った。政治家のみなさんにもぜひ実態を知ってもらいたいと思った。『ケーキの切れない非行少年たち』宮口 幸治著(新潮社)を読んだ時にも思ったが、この本は、とりあえず、学校の先生方、保護者のみなさん、余力?のある人(ここが一番大きいけれど)、興味のある人はこの本を読んでほしい1冊かもしれない。

    追伸 一度書いて投稿する前に誤字脱字を確認すればよかったです。すいません。だから国語力が足りないんです。(^◇^;)反省。

  • 石井光太さんの本と知らずに購入。
    「格差と分断の社会地図」がとても好著だったので、期待大!
    ルポなので、国語力のない子たちの悲惨な現状や、恵まれた子どもたちの実例が挙げられている。
    「誰が国語力を殺すのか」ということにもうすこし鋭く切り込んで欲しかった。

    途中、ゆとり教育について、やや批判的なのが気になった。これに関しても、世論の多くが批判的ではあるのだが、そのなんとなくの流れに乗らずに、「誰がゆとり教育を殺したか」「本当にゆとり教育は殺されたのか」「ゆとり教育は子どもを殺したのか」などなど深掘りできるのではないかなと。

    それにしても、ゲーム依存症や虐待の実例はきつかった。これが紛うことなき現実だ。
    この子たちに「ゲーム」を与えているのは誰なのか、この親たちをこんな親にしたのは誰なのか、ということこそが、追求されるべきことなのではないか。
    それが「誰が国語力を殺すのか」の答えなのではないか。

  • 近年、問題になっている若者や子供の国語力の低下。文章の意味が読み取れないだけでなく、コミュニケーション上でのトラブルに発展したり、自分の感情を言語化できずに塞ぎ込んだりする子供が増えているとのこと。

    たくさんの事例から分かりやすく問題点が書かれ、後半では国語力を重視した教育現場の様子が紹介されていた。「アンネの日記」を一冊一学期かけて読み込むなどの授業内容は面白そうだった。

    親が子供に向き合う大切さ、表現力を養うために本を読む大切さなど改めて感じた。将来、自分の子供に色々な表現を使ってお話ししたいので、自分自身の語彙力を増やすことも意識しようと思う。

  • センセーショナルな題名で引き寄せ、根拠の乏しい持論をただ書き連ねる本が多い中、この本は内容がしっかりしていました。
    出所のきちんとしたデータや専門家等の意見を引用しながら、論理立てて書かれています。1つの事案に関して、肯定と否定の両意見を紹介しているのも良かったです。
    学校図書館など、もう少し掘り下げて欲しい部分もありました。国語力を失うことは日本の未来を失うこと…日本が抱える様々な問題点が浮き彫りにされています。

    • かなさん
      ブラリーさん、こんにちは!
      私は、この作品、石井光太さんが手掛けた作品で一番好きなんです。
      国語力って、誰でも身につけられているようで
      ...
      ブラリーさん、こんにちは!
      私は、この作品、石井光太さんが手掛けた作品で一番好きなんです。
      国語力って、誰でも身につけられているようで
      決してそうではない…それは私でも…そう感じ愕然としました。
      でも決してそれだけでは済ませずに、
      きちんと身につけていきたと改めて感じました。

      この度は私の拙いレビューにいいねと
      フォローまでしていただきありがとうございます。
      こちらからもフォローさせて頂きますので
      これからよろしくお願いします。
      2023/05/08
    • ブラリーさん
      かなさんこんにちは!
      コメントありがとうございました!
      私は石井光太さんの作品は今回初読でした。
      他の作品も読みたくなりました。

      かなさん...
      かなさんこんにちは!
      コメントありがとうございました!
      私は石井光太さんの作品は今回初読でした。
      他の作品も読みたくなりました。

      かなさんのレビューはどれも丁寧に書かれていて、いつも楽しく読ませていただいています。
      こちらこそこれからもよろしくお願いいたします
      2023/05/08
  • 978-4-16-391575-3
    c0095¥1600E.

    ルポ 誰が国語力を殺すのか
    2022/07/30.第1スリ発行
    著者:石井光太(いしい こうた)
    発行所:株式会社文藝春秋
    --
    カバー袖より
    子供たちの国語力は本当に失われているのか。
    だとしたら一体、誰が、なぜ国語力を殺したのか。
    子供たちの国語力を回復させるには、
    どのような取り組みが必要なのか。(・・・)
    これから描くのは、日本の子共たちの知られざる内面、
    そして底辺からトップクラスまでの教育現場で行われている国語力債へのあくなき挑戦だ。(序章より)
    ----

    目次からあとがきまで330ページ。手にしたとき、薄くはないな。と思ったが、一気読みだった。
    昨今、よくわからない事件が報道され、「何故?」と感じることが有ったが、こういうことなのか…。と、ある意味その一端を知ることができたと思う。

    「国語力」と表現されている。しかし、学力低下で云々ではなく、自分以外の人との意思疎通に不自由である。
    ひどい場合には、自分の感情や、思考を整理するための言葉を持たないために、収拾がつかない状態になる。多分本人は苦しいのだろうけど、訴えるすべを持たない。
    「言葉の喪失」
    そんなことがあるのか?とも思うが、日常のテレビを見ていても、食レポで「美味しい~♪」としか言えない人はそれに該当する。

    序章に「ごんぎつね」の例が出てくるが、これはある意味仕方ないのかもしれない。お葬式に出たことも無ければ、現在の葬儀の際はご近所が集まって煮炊きをすることもほぼ無い。経験が無いことを思い出せというのはできない相談である。昔話などで(そのような習慣があると)知っているのは、それを周りから与えられた子供だけである。

    学校の休み時間の描写もなるほど、そうなるよね。と腹落ちする。
    それだって、想像するに難くない。だって自分が言葉が通じない地域へ放り込まれたら、声の大きさやアクションでしか意思疎通できず、そこに居場所を保持しようとしたら言語以外の例えば暴力などによるだろう。

    2007~2008年のベネッセのデータ
    保護者の子どもへの働きかけと子どもの学力の関係
    子供の学力を4段階に分けその差を見たデータによると、一番差が大きいのが、家には、本(マンガや雑誌を除く)がたくさんある。の項目。次が絵本の読み聞かせの有無。英語や外国の文化に触れるよう意識してる。と続く。
    絵本の読み聞かせや本があるということは、親だけでできること。

    事件を起こした子どもたちは、その重大さを理解できない。
    子どもは自分の生まれてくる環境を選べないのだから、本人の責任ではない部分もあろうが、子どもはやがて大人になる。学校や施設に関わることなく誰の保護も、協力も得られない、その術を持たないとなるとどうなるのだろう?
    気の毒に思う一方、自分の身の回りにあると思うと怖い。
    今どき、近所の子どもに大人が声をかけていれば通報されかねないご時世でもある。
    はたして、自分のできることは何だろう…?





    ---------
    著者さんについて
    1977年東京生まれ、作家。
    国内外の、貧困、災害、事件などをテーマに取材執筆活動を行う。
    ・もの乞う仏陀
    ・絶対貧困 世界リアル貧困額講義
    ・痛い災害、津波の果てに
    ・鬼畜の家 我が子を殺す親たち
    ・浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち
    ・原爆 広島を復興させた人びと
    ・43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の真相
    ・本当の貧困の話を使用未来を変える方程式
    ・角さと分断の社会地図 
    ・16歳からの日本のリアル 他
    2021年 「子どもホスピスの奇跡 短い人生の「最期」を作る」で新潮ドキュメント賞を受賞

    目次
    序章
    「ごんぎつね」の読めない小学生たち
    「読解力低下」をめぐる議論
    国語力とは何か
     1 誰が殺されているのか 格差と国語力
    ある教室での日常の風景
    何が子供たちの環境を買えたのか
    反省できない子どもたち
    ケース① 校内暴力
    ケース② 恐喝事件
    ケース③ 下着姿撮影
    家庭環境でのつまずき
    言葉の発達と家庭格差
     2 学校が殺したのか 教育崩壊
    ゆとりに至る道
    ゆとり教育の裏で何が起きていたのか
    社会が求める要求の肥大化
    驟雨のように降り注ぐ新しい指導
    学校は崩壊しているのか
    国が描く未来予想図
     3 ネットが悪いのか SNS言語の侵略
    ネットいじめと語学力の相関関係
    ネットの密室に飛び交う言葉
    熊本県インスタいじめ自殺事件
    少女を死に追いやった言葉
    現代の言語環境の特殊性
     4 19万人の不登校児を救え フリースクールでの再生
    不登校の理由がわからない
    不登校問題の変遷
    何が子供たちを学校から追いやるのか
    O(中学二年) 教育虐待
    P(高校一年)親の精神疾患
    Q(中学二年)不適応
    言葉を取り戻せば学校へ行ける
    「答えのない時代」を生きる
     5 ゲーム世界から子どもを奪還する
    あるゲーム依存者
    ネット依存って何?
    なぜゲーム依存は子どもから言葉を奪うのか
    回復への道のり
    ゲーム市場拡大の裏側で
     6 非行少年の心に色彩を与える 少年院の言語回復プログラム
    オノマトペでしか罪を説明できない
    R(17才)売春
    「表現教育」のスタート地点
    言葉を取り戻した少女の詩
    社会で少年院を出た子どもを支える
    心のスポンジに言葉を染み込ませる
    共通する5つのステップ
     7 小学校はいかに子どもを救うのか 国語力育成の最前線
    本物の体験を通して感受性を育てる
    授業を創意工夫する
    学校として「成長」を評価する
    「思考ツール」の活用
     8 中学校はいかに子どもを救うのか 国語力育成の最前線2
    最良の教科書は文庫本
    スピーチ、ディベート、レポート
    国際バカロレア認定校の哲学対話
    聞く力がもたらすもの
    世界の色を取り戻す
    終章 コロナ後の格差と感情労働
    ヘレン・ケラーが照らし出すもの
    ---

  • 面白くてどんどん読み進められた。国語力は全ての要となるスキルで、他者とのコミュニケーションは勿論、自己マネジメントにも不可欠。国語力が無ければ内省もできない。読書が心を落ち着けるのは言語を通して自己の感情を還元できるからのように思う。

  • 石井光太のルポ 誰が国語力を殺すのかを読みました。
    子供の国語力の低下が著しい。
    長男が高校生の頃数学者が講演に来て一に国語二に国語三に国語と言っていました。
    ゆとり教育のしわ寄せで、子供の国語力が落ちています。
    ごんぎつねが読めない子供や、反省文が書けない。
    その酷い反省文を読んでもどこが悪いのかわからない子供のような親。
    貧困で学校にも来れない子供。
    ゲーム依存の子供、SNSによるいじめ。逃げ場の無い子供が増えています。
    ある小学校で読書郵便を作り子供が自分で読んだお勧めの本の感想を投書します。
    アクティブラーニングでディベートをしたりして考えさせます。
    中学校では私の好きなアンネの日記や深夜特急をテキストとして使用しているところもあります。
    年頃の子供を持っている親なら、お勧めの一冊です。

  • 〈『ごんぎつね』の読めない小学生たち〉という見出しから始まる、昨今の「国語力」をめぐるノンフィクション。
    文科省の定義によれば、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力のことなのだそう。
    そう言われてみると、学生時代にも数学の問題を解くには国語ができないといけない、とかよく言われていたし、国語力はあらゆる人間活動を支える土台の役目を果たしているのだ。
    国語教育は、学校の授業だけで育まれるものではないとし、家庭環境によるところも大きい、と著者は述べる。
    経済格差、急速なインターネットの普及、ゆとり教育等で国語力がどのように脆弱になっていったのかを振り返りつつ、それらが子どもたちにもたらした弊害の実情と、フリースクールや少年院で行われている再生の取り組みにはずいぶん考えさせられた。
    私立学校で行われている国語力育成の最先端教育について紹介される最終章では、生徒たちの感性や文章力に脱帽。「国語力」とはこういうことか、と目が覚めるように気付かされた。文庫本一冊を全員で精読するという独特な授業からも、物語、文学がもつ力を再確認した。

    下記の引用は、かつて都内の公立中学校で教鞭をとってきたという、元国語科教員の末次則子さんの言葉。

    ——国語力を育てることって成果主義とは真逆で、目に見えないものなんです。一つの詩を丹念に読み込んで感動の涙を流しても、テストの点数に結びつかないし、資格を取得できるわけでもない。でも、そうやって内面で育ててきたものがあるからこそ、何十年か先に誰も想像しなかったような素晴らしい人間性を持てるようになるんです。

    ——私は、人にとって本当に大切なものって不可視なものだと思っています。その子のやさしさを育てる、その子の勇気を育てる、その子の誠意を育てる。どれも明確な方法論があって、数日後に点数化されて見えるものじゃありませんよね。
     それでも、その子の未来のために毎日水をやり、丁寧に語りかけ、手を汚しながら土を取り換えて育てていく。家庭でも、学校でも、地域でもそれをやっていく。これが本来の教育だと思うのです。

    ずっと国語が大好きだった者として、私もこのような気持ちで娘たちの国語力を伸ばしていきたいと思う。
    どこまでも高く飛び立っていけるような「羽の生えたことば」を身につけてもらおう。

  • 一番最初のエピソードである「ごんぎつねを読めない子どもたち」はすごい衝撃でした。
    そして最終章に出てくるディベートやスピーチで鍛えられている小中学校の子どもたちとの落差というか、差異というか、断絶とも言えるような言葉を与えられた者とそうでない者との格差…その隙間の大きさに言葉を失います。

    国語の授業から物語を読むということがどんどん削られているとニュースで最初に知ったときは衝撃でしたが、本書を読むとその結果の深刻さを思わずにはいられません。
    必要なだけの言葉を得られなかった人間の悲惨というか不幸というか、確かに現実にも「あれはそういう種類の不幸と言えたかも」と思い当たることが振り返ると自分の身近にも社会にもあったように思います。
    国語力を身につけるとは自分を表現して困難を乗り越えていく力、状況を広く見据えて判断する力、生きていくための総合的な力を身につけるということなのだなとわかりました。

    教師をしている友人は新任の頃とは授業の内容も忙しさもその質も全く違うと嘆いています。
    子どもたちに真摯に向き合える時間を持つこと自体が難しいとも。
    言葉を十分に得られないまま社会に放たれる子どもが増えないように、と願っていますが…

    感情労働という言葉にも考えさせられました。
    自分の仕事も一番大変なのはそこかも、とも。
    今日本社会の仕事の大変さではどんな業種であってもそこはかなり大きいでしょう。
    ちょっと対応を誤ればすぐに拡散される時代ですし。
    大人もそうだけど今の子どもたちは大変な時代を生きているんだなと、改めて本書を読んで知った思いです。

  • 国語力の低下は非常に深刻な問題です。

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著者プロフィール

1977年東京都生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執
筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』『鬼畜の家』『43 回の殺意』『本当の貧
困の話をしよう』『ヤクザ・チルドレン』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『ルポ ス
マホ育児が子どもを壊す』など多数がある。2021年『こどもホスピスの奇跡 短い
人生の「最期」をつくる』で新潮ドキュメント賞を受賞。

「2025年 『最期は一日中抱っこさせて(叢書クロニック)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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