虚空の人 清原和博を巡る旅

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163915760

作品紹介・あらすじ

【大宅賞受賞『嫌われた監督』著者による最新作!】

 なぜ、清原和博に引き寄せられるのか? その内面 を覗いてみたいという衝動に駆られるのか? 清原が覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された後、初めて接点をもっ た著者は、堕ちた英雄の心に空いた穴=虚空を巡る旅に出た。
 前人未到の 13 本塁打を放った甲子園のヒーローの残像、いまだ心に傷跡として残るKKドラフトの悲劇、岸和田での少年時代......。かつてのスーパースターのルーツをたどり、関わった人々の証言を聞くにつれ明らかになったのは、 清原和博という男の“弱さ”と“矛盾”だった。

 清原が覚せい剤取締法違反で逮捕されてから、 執行猶予が明けるまでの4年間を追い続けた筆者による傑作ノンフィクション。スポーツ紙記者を辞め、フリーとして執筆活動を始めた鈴木忠平が清原とどう 対峙したかを記しつつ、清原という存在に惹きよせられ、 翻弄された人々の視点を通して『虚空の人』が浮き彫りになる。

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 次第に近づいてくる灯りが私には清原に思えた。独り踏み出 したばかりの書き手の目の前に運命的に現れた対象であった。 おそらく、あの光にたどりつくまでの道のりに書くべき物語が ある−―そのときの私はまだ、そう信じていた。 (「プロローグ こだま六八四号」より)
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感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    私はずっと、清原和博という野球選手が好きではなかった。
    王貞治を超えると言われながら、その才能を無駄にした「無冠の帝王」。常に威圧的な態度を崩さず、乱闘騒ぎをしょっちゅう起こす。移籍した先のジャイアンツでは「清原軍団」を作りチームの雰囲気を悪化させ、オリックスに移ってからは鳴かず飛ばず。引退してからも騒動を起こし続け、最終的には覚せい剤使用で逮捕。世間から消えてしまった。
    500本塁打以上を放ってなお「失敗作」と言われるのは、清原が捨ててしまったものがあまりにも大きすぎたからだ。せめて素行さえよければ、手綱を握れる指導者がいれば、王に匹敵する野球選手が生まれていたかもしれない。そう思えてならないのである。

    しかし本書を読んで、清原は「作られた存在」なのだということを知れた。かつての亀田興毅と同じだ。カメラの前で大きな態度を取り、視聴者が欲しいものを演じ続ける。亀田はヒール像を求められたが、清原はヒーロー像を求められ続けた。KKコンビでの甲子園制覇、ドラフトでの別離、高卒一年目にして3割30本、ジャイアンツでの桑田との再開……。だが、清原は演技をするにはあまりに純粋すぎた。その大きな身体には似つかわしくないぐらい繊細で、弱い人間だった。最後は、その重圧に自身が押しつぶされてしまった。

    我々は、そうした「表の清原」しか見ていない。そして、今もその裏に「英雄・清原」がいるはずだと、錯覚し続けてしまう。清原の内面には、栄光を手に入れた男にしかわかり得ない葛藤と焦燥があるはずだと考えてしまう。それは筆者だけではなく、宮地や野々垣、かつて甲子園で対峙した投手も同じであり、その答えを探る様に清原に引き寄せられていった。

    「清原和博をやるのって、結構しんどいんですよ」
    自身が語ったこの言葉が、清原の本心なのかもしれない。そして、清原という存在がいかなるものなのかを、端的に表していると言えるだろう。清原は、あまりに普通の人間だった。

    「そこには何もなかった」
    それが清原をめぐる物語の結末だ。
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    かつて世間を賑わせた清原は今、youtubeで自身のチャンネルを持ち、野球の情報を発信している。松坂や谷繁といったレジェンドたちと対談を組んでおり、貴重な話も盛りだくさんだ。今現在の清原が気になるという人は、チェックしてみるのもよいかもしれない。
    https://www.youtube.com/@user-it3fi8jk2h/featured
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    【まとめ】
    1 清原と甲子園
    筆者が清原に初めてのインタビューを行ったのは、2017年の夏のことだった。

    (今は覚醒剤を使っていないと断言できるか?という質問に対して)清原「いろんな人を裏切ってしまった後悔が大きいので、今のところ(覚醒剤を)使いたい気持ちにはならないというのが正直なところです。これから先、どうなるかは分からないですけど、逮捕されてから今までは……そういう気持ちです」

    筆者「人生に満ち足りていたはずの清原さんが、なぜ覚醒剤を使う必要があったのでしょうか」
    清原「野球をやっていれば、たった一本のホームランですべてを帳消しにできたんですけど野球が終わってからはぼっかりと心に穴が空いたようになって……。もう自分が自分ではないような気がして、だんだんと夜の街に飲みに出るようになったんです」

    2008年に現役を引退した清原は解説業などの傍ら、選手だったころは持てなかった家族との時間を増やした。とりわけ二人の息子の少年野球を生きがいにしており、週末になると必ずグラウンドに足を運んでいたのだという。一見すれば、幸せを絵に描いたようなスター選手の第二の人生であったが、清原は平穏な日常では満たされなかったという。
    週刊誌で薬物疑惑が報じられる少し前から、解説やテレビ出演、講演などの仕事に穴を空けるようになり、やがて夜遅くまで酒を飲むことが増えた。深夜の歓楽街で覚醒剤と出遭ったのではないかと言われていた。まもなくして妻と離婚すると、息子たちとの接触が許されなくなり、少年野球も遠目から見守るしかなくなった。孤独のなか、球界の知人との連絡も途絶えていった清原はさらに薬物へ逃げるようになっていった。

    清原は抜け殻だった。何度か取材を行うも、目にはずっと光がなかった。覚醒剤への禁断症状と表裏になるように鬱病に悩んでいた。東京のマンションではひとり壁を見つめ、ブツブツと独りごとを呟き、気づけば昼日中、タワーマンションのベランダに立って下をのぞきこんでいるのだという。

    そんな清原に変化があったのは、2017年の年末。「来年の夏に、甲子園の100回大会の決勝戦に行きたい」とこぼしたのだ。

    そんな清原に力を貸したのは、現役時代から親交のあるゴルフクラブメーカーの社長、宮地だった。「甲子園に行きたい」と言った清原のために、社会復帰を兼ねたトレーニングを行うも、上手くいかない。

    「あれが本当におれたちの知っている清原和博なのかねえ……」
    清原が懇意にしているステーキ屋『サカイ』のマスターはそう言った。

    甲子園に行くといっても、ただふらりと訪れるのとはわけが違う。観衆が求めているのは夏の締めくくりにふさわしい決勝戦である。その厳粛な戦いの最中に人々が清原に目を留めたらどうなるだろうか。薬物に手を染めた英雄に投げかけられるのは好奇の視線なのか、あるいは罵声なのか。そのざわめきが、たとえ一瞬でも決勝戦を阻害してしまったらどうなるのか......。
    清原は二度と社会に戻れなくなるかもしれない。筆者が契約している雑誌も、筆者自身も大きな責めを負うことになるだろう。

    2018年8月21日、100回大会決勝戦当日。宮地と清原が甲子園についたのは午後1時半を過ぎたころだった。バックネット裏にある記者席からさらに段を上がったボックス席、そこが清原のシートだった。

    「これです。これが甲子園なんです」清原は前を見つめたまま呟いた。「なんていうか……。静かなんです」

    清原の存在に周囲の人々が気づくと、期せずして客席の一角から拍手が起こった。それはほんの一瞬の出来事であり、球児たちに贈られたものに比べればごくささやかだったが、たしかに清原が甲子園に受け入れられた瞬間だった。「ぼく、33年前、本当にここにいたんですね……」清原は笑った。はっきり笑みとわかる表情だった。逮捕されてから何をもってしても取り戻せなかったものだった。

    そこから、清原は変わった。甲子園球場での出来事と記憶が清原に光を投げかけた。自ら誰かに話しかけるようになり、顔には笑みが戻ったのだ。


    2 清原が落ちた闇
    「1985年の11月20日、あの日は忘れられません」
    それは清原の口から出た言葉だった。
    「覚醒剤で逮捕されてからいろいろなことを忘れてしまいましたけど、あの日だけは死んでも忘れません」

    1985年11月20日というのはプロ野球ドラフト会議の日だった。18歳の清原が憧れていた読売ジャイアンツから指名されず、大学進学を表明していた桑田が一位で指名された日。盟友として知られていたKKコンビに分断が生じた日だった。

    筆者は清原の闇を探る旅に出る。
    訪れたのは井元俊秀だった。PL学園野球部の黄金期を築いた伝説のスカウトであり、1985年のドラフトのすべてを知る男である。

    当時、PL学園には二人のスターがいた。甲子園本塁打数歴代一位の13本を放った清原と、20勝を上げた桑田。
    グラウンドでのKKコンビはガチリと噛み合っていたが、学園内での二人は対照的だった。
    桑田には、PL学園で三年間をともにしてきたメンバーでも立ち入れない領域があった。エースピッチャーにしては物静かで、輪の中心に自ら進み出ることもなかった。ひっそりと自分だけの内面世界を守っているようなミステリアスな雰囲気を持っていた。
    一方で清原は朗らかに内面を開放していた。とくに甲子園優勝した三年夏の終わりから秋にかけて、彼はクラスの主役だった。

    「昨日は実家に阪神のスカウトが来てたわ。その前は南海と近鉄も来てたらしいわ」
    ドラフト会議が近づくにつれて、清原の周囲はプロのスカウトたちの往来で騒がしくなっていた。当の清原はその内幕を開けっ広げに、ユーモアを交えて仲間たちに話して聞かせた。そのため、休み時間も放課後も、清原のまわりには同級生たちの人だかりができていた。
    「でもな、おれは一位で巨人にいくんや」

    一方の桑田は、最後の夏が終わると早稲田大学進学の希望を表明した。それによってドラフトの指名ができないわけではなかったが、本人があえて強い意志を示したことで、プロ側は強行指名しても入団を拒否されるリスクを抱えることになった。そのためか、新聞紙上に桑田の名前が躍ることは少なくなっていった。
    しかし、桑田の本心は違っていた。本当はプロに行きたかったのだ。

    ドラフト当日、清原は6球団の一位指名を受けるが、本命の巨人からは指名されなかった。一方で、桑田はその巨人から一位指名を受けた。
    ドラフトの発表は授業中だった。チームメイトの本間が教室に滑り込み、「桑田、おめでとう!巨人の一位やぞ!」と叫ぶ。
    しかし、反応はなかった。誰もが顔を伏せたり、窓の外に視線をやったりしていた。静寂を破ったのは清原だった。大きく舌打ちをすると机の足を蹴った。その音が静まり返った教室に響いた。
    清原は何人かを隔てて自分の前方に座っている桑田を睨んでいた。桑田は俯いたままだった。本間には二人の間に流れている空気が何なのか分からなかった。
    クラス中の視線が桑田に注がれていた。俯いていたエースはやがて立ち上がると、無数の冷たい視線から逃れるように教室を出ていった。

    清原と桑田の周囲には彼らの卒業が近づくにつれて、大人たちの影が見え隠れするようになっていた。グラウンドにはプロ球団のスカウトたちが頻繁に姿を見せるようになり、寮の入口にはスポーツメーカーから贈られたバットやグラブ、シューズなど野球用品が積み上げられるようになった。新聞紙上には、プロ野球界が二人をどう評価しているかについての談話が掲載された。とりわけ渦中にいたのが清原だった。桑田が大学進学を表明したこともあって、ドラフト最大の目玉としてマスコミに取り上げられるようになった。清原は、世の中の関心をあおるための道具にされているように見えた。

    KKをめぐる争奪戦は裏でも動いていた。少し前から、早稲田大学を出てプリンスホテルに進んだという人物が野球部に関わってきていた。その人物は卒業生の進路の世話をしながら、桑田に囁いたのだという。
    「おれを通して早稲田にいけば、学費は一切いらないから」。井元はその人物を、西武ライオンズの管理部長である根本陸夫が送り込んだスカウトだと見ていた。
    また、巨人も水面下で動きを見せていた。

    KKの分断は、大人たちによって作られたのだ。

    指名終了後、井元の自宅に桑田が訪れた。
    「先生、ぼく………密約なんてしていません」
    孤独に立ち尽くす桑田の姿から井元はすべてを察した。おそらくは野球部の仲間たちから疑惑の目を向けられた。何か胸に刺さることを言われたのかもしれない。その空気に耐えきれず教室を飛び出し、そのままここへやってきたのだ。

    「いいか、記者会見では何を訊かれても、巨人に指名されて困っています。戸惑っていますと、そう言うんだぞ」それは桑田と清原を守るためであり、野球部を守るためでもあった。
    だが桑田は言った。
    「なぜですか?」真っ直ぐな眼で井元を見ていた。
    「先生、ぼくは嬉しいんです。巨人が清原よりもぼくを選んでくれた。こんな嬉しいことないじゃないですか。それなのに……なんでそんなことを言わないといけないんですか?」
    それは、桑田がずっと抱えていた、偽らざる本音だった。

    午後の記者会見。自らが巨人に指名されなかったこと、盟友の桑田が巨人に一位指名されたことについて、清原に質問が飛ぶ。
    「いまは……何も考えたくないです」清原は泣いていた。
    対して、巨人から指名を受けたことについて、桑田に質問が投げかけられる。桑田は淡々と答えた。
    「子供のころから憧れていた巨人に一位指名されて嬉しいです」「でも清原くんがかわいそう。あれだけ巨人にいきたいと言っていたのに、蓋を開けてみれば一位はぼく……。なんだか悪い気がします」
    表情を変えることなく語った桑田に記者たちの視線が冷たく刺さった。

    この瞬間、KKは分断された。悲劇のヒーローと、強かな悪役とに。

    井元は当時を振り返りこう言う。
    「あのドラフトではみんな失ったものがあるんです。桑田はあれから悪役になりました。清原だってあれから同情のようなものを寄せられて、何をしても許されるようになった。それが果たして彼にとって良いことだったのか……」


    3 虚空の人
    「栄川さんはずっと清原さんのこと心配しとったんです。あの人はお母さんに尻を叩かれたり、栄川さんのような人に引っ張られていないとだめなんです。清原さんはそんなに強い人じゃないって、みんな分かっていましたから」
    リトルリーグで清原のチームメイトだった和田雅史はそう語る。栄川さんとは、リトルリーグの監督だった栄川良秀のことである。

    清原に先天的な才があるのは明らかだったが、その裏には脆さが同居していた。例えば投手としてマウンドに立った清原は敵にも味方にも心の揺れが手に取るように分かった。味方がエラーをして失点すると明らかに肩を落とし、ベンチで涙することもあった。感情を隠すことができなかったのだ。

    2019年の春、宮地から連絡があった。
    「キヨさん、また元に戻っちゃったんです……」
    清原が変わったのは、母の弘子が他界したこと、そして酒を再び飲み始めことがきっかけだった。

    筆者が再び清原に会ったのは2019年の年末。初めて会ったときと同じホテルでのインタビューだった。

    「ぼくが語れることなんて、ありませんよ」
    「執行猶予が明けたら、いきなりぼくが元のようになるんじゃないかと世の中の人は思っているのかもしれません……。でも、その日がきたらいきなり聖人君子になれるわけじゃないでしょう。今も毎日、心と体の状態を保つことだけで必死なんですから」
    筆者はこう返した。「その葛藤を、そのまま吐き出してもらえませんか?」その日のインタビューはそこで終わった。

    清原の執行猶予が満了したのは2020年6月15日。それから数日が経過し、筆者は清原の住むマンションに訪れた。

    「清原和博をやるのって、結構しんどいんですよ」
    トンネルを抜け出した男はそう言った。かつての英雄は光の中に戻ってくることを期待され、自らもそう望んできた。だが、ようやく陽射しを浴びたというのに、本人は憂鬱に沈んでいた。
    マンションの部屋にも清原の内面にも、あらゆる矛盾が整然と放ったらかしにされていた。変化と停滞、愛と憎しみ、純粋と狡猾が同居していた。本人はその両極を演じ分けているつもりのようだったが、筆者には極端な二面性そのものが清原和博であるように思えた。
    自らの弱さや矮小さというものは、誰にも知られないよう本能的に心の奥底に隠しておくものだ。ところが清原は、多くの人が覆い隠そうとする部分を無防備にさらしていた。あえてそうしているのではなく、おそらく自覚しないままに。

    清原という人物のなかには意識でも無意識でもなく、何もないようでいて全てが存在するような場所があった。表現するならば、虚空のような場所だった。筆者はそこに惹きつけられていた。宮地や野々垣や、かつて甲子園で対峙した投手たちが、まるで自分を投影するように清原に惹きつけられているのもそのためではないだろうか。

    2016年のあの夜、目の前に清原という対象が現れた瞬間から、この闇の先には光があり、その過程に劇的な物語があると思い込んでいた。だが実際には光も闇もなかった。足を向けた先には、ひたすら人間のままならなさがあるだけだった。ラストシーンとなった日も劇的なことなどなかった。グラブやバット、写真が飾られた清原の部屋は一見するとドラマに満ちた人生のストーリーが並べられているようだったが、実際の清原はただ目の前の現実にもがきながら生きていた。

  • 豪快で怖いものなしなイメージの清原はここには居なくて、真っ直ぐで野球だけが生きがいの弱くて頼りない1人の男の話だった。そんな姿を垣間見てもやはり応援せずにはいられない。今後の活躍を期待せずにはいられない。スターの輝きがあるほんの一握りの人だと思う。

  • 【はじめに】
    スポーツノンフィクションの世界には名手と呼ばれる人が現れて素敵な作品を世に出してくれるものらしい。昔でいうと『江夏の21球』で有名な山際淳司が挙げられるだろうし、サッカーの世界では金子達仁をそのリストの先頭に挙げることができるだろう。
    著者の鈴木忠平もその期待を担うべき人と呼べるのではないか。ことに前作落合監督を描いた『嫌われた監督』は素晴らしかった。

    【清原和博】
    本書は、クスリとその地に落ちた評判に苦しむ清原和博を追いかけたスポーツノンフィクションになる。後に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』に結実するNumberの特集号のあとに、清原がわざわざその記事を書いた著者にお礼の電話をかけてきたという強い印象を残すエピソードからこの本は始まっていく。

    清原との関係は著者にとって決してよいものばかりではなかった。著者はそれを隠してはいない。また物書きとしてカタルシスを求めて、ある種のストーリーを求めて取材に取り組んできた著者にとって、結末は理想通りではなかっただろう。ただ、そのことが清原和博の真実を表しているのだろうし、『虚空の人』と著者が名付けたことにもつながっているのだろう。そこかしこににじみ出る清原の弱さ。日本シリーズでの巨人戦で見せた涙は、ドラフトの日の傷の深さを思い出させるし、清原の純粋さと弱さが典型的に現れているように思い出された。そうであるがゆえにクスリに落ちたのだろうし、またそのような清原からそのために離れる人もいれば、逆に自らの利を度外視をして清原を助けようとする人が少なからずいるのだろう。

    清原和博その人ではなく、清原和博を巡る旅と題さざるをえなかった著者の思いも伝わる。清原にはもっとよい野球人人生があってよかったはずだ、と思う。伊良部や村田兆児のように死を選ばないことを望む。そういった危うさをこの本の清原からは感じるのだ。

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    『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163905782
    『嫌われた監督』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163914412
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    NumberWeb特集ページ
    http://number.bunshun.jp/articles/-/827042
    戦友たちの30年越しの告白に感謝を。清原和博からの1本の電話
    http://number.bunshun.jp/articles/-/827112
    清原和博への告白。~甲子園で敗れた男たちの物語~
    http://number.bunshun.jp/articles/-/826255
    清原逮捕後に発刊されたNumber「甲子園 最強打者伝説」の編集後記
    https://pbs.twimg.com/media/Cpn_tOFVMAE58ly.jpg

  • 清原の近況報告か?と言ってしまえるぐらい構成も内容も無い酷いものでした。

  • この作者の本にはハズレがない。
    今回も序盤から引き込んでくれた。
    しかし、中盤から終盤にかけては少し失速してしまった印章。
    オチから作った作品でないから起承転結がうまくいかなくてもそれがノンフィクションなのだが、清原和博について筆者が書くのはきっともう終わりなのだろう。

    そりゃあ、事実をどれだけ肉付けしたところで大幅に変えるわけにはいかないから難しいよな。
    なおかつ、相手は覚醒剤の誘惑と毎日戦っているのだ。
    そんなに変わったことなんて起こりようがない。
    変わらない毎日を送ることで精一杯のはずだ。

    清原和博だけでなく、落合博満を書いても面白かった筆者なので別の対象を書いた作品も期待したい。

  • 10年ぐらい前までは毎年夏の甲子園に主にひとりで出かけていた。観戦するのは目玉焼きが油を引かずとも焼けそうなアチチの外野席。必ず右中間フェンスから15段目辺りに座り、レフトスタンドに目線をやる。

    下から33段を慎重に数え、あの辺りに1985年夏の
    準々決勝で清原は打ち込んだんだ…と感慨に耽るのが甲子園詣でのルーティンだった。

    その打球はいまだに甲子園歴代最長と言われる140m弾。被弾したのは高知商のエース中山裕章。

    その映像を今見返しても衝撃で、ゆったりとしたフォームからやおら一閃。えげつない衝突音を残すやピンポン球よろしくレフトはるか上空へ。金属バットの打球とはいえ、松井も清宮もやまびこ打線の池田高校も外野の上段までは放り込めていない。ちなみにプロ野球本塁打ランキング3位の門田博光も、甲子園で場外は絶対無理で、せいぜい中段と語る。

    清原はプロ23年間でホームランを525本に打ち、通算本塁打ランキング5位。ただ、僕の中では85年夏を凌駕する衝撃のホームランにはついぞ出くわさなかった。

    今回本書を読み、朝日放送・植草アナが85年夏の決勝で咆哮した『甲子園は清原のためにあるのか!』は大会5本塁打の清原に向けた最上の讃歌ではあるが、今となってはその後の清原の人生を透徹したようなシニカルな予言としても取れ、身震いを覚えた。

    それは覚醒剤所持で逮捕され、地に堕ちたヒーローだからではない。もうひとりのあの夏の主役 桑田真澄との相剋を指して。

    岸和田と八尾のふたりの天才がPL学園に入学。『俺よりすごいヤツがいる』と認め合い、5季連続で甲子園に出場。優勝2回・準優勝2回・ベスト4 1回。清原:打率.440・本塁打13本、桑田:20勝3敗・防御率1.55 ・打率.356・本塁打6本。

    あの鮮烈な夏が終わった91日後のドラフト会議で起こった悲劇を、36年経った今も清原は〈桑田は巨人と密約〉を信じ込み、ドラフト会議のあの日を『なぜ、あの時…』『もし、あの時…』のイフにすがり続け、怪物は俺なんかではなく桑田と…消えぬコンプレックスはヌエのようにつきまとう。

    比する者がない才能が同じ時代・同じ場所にたまたま揃ったという運命は、甲子園の絶対的覇者として後世まで語り続けられることには良しとせず、その後もチョッカイをし続ける。

    本書は覚醒剤所持で逮捕から執行猶予が明けるまでの4年間を追ったドキュメント。著者は『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』の鈴木忠平氏。

    『嫌われた監督』は、稀代のスラッガー落合がコーチ経験を経ずして指揮官となり、常勝チームへの歩みを選手との葛藤と成長・球団との軋轢を余すことなくすくい取り、ドラゴンズファンならずとも落合の名タクトに喝采を送り、カタルシスを抱いた。

    方や本書は、清原の執行猶予が明けたとはいえ、極度の覚醒剤依存ゆえ後遺症に苛まれ、それを抑制する薬の服用によりうつ病を発症。自殺願望と闘う『3歩進んで2歩下がる』状態を克明に綴る。

    今なお清原を献身的に支える人、清原の運転手役を務めていたPL野球部の後輩、清原の出身地 岸和田の少年野球時代の恩師やチームメイト、盟友 桑田の怪物ぶり…を取材。

    清原に惹き寄せられ、翻弄された人たちが決まって語るのは清原生来の開放性がもたらす明るさ・優しさ。そこに張り付くガラス細工のような気弱さと泣き癖。

    取材は進むも、清原本人への取材は難航。2018年8月21日 第100回全国高校野球選手権記念大会決勝の観戦に向け、減量にも励み、再生の機会を得たかにみえるも、それは泡沫に終わる。

    当初、記者を辞めてフリーのライターとなった著者にとって清原は格好のネタであった。再生という光を必ずや纏い、前向きに歩み出そうとする清原物語を紡げると信じ、追い続けた4年。

    しかしながら、堕ちた英雄の心に空いた穴は闇に包まれたまま。著者はもがき、うめく。『誰かの人生をひとつの物語に綴じることなどできない。私にできるのは眼前にある、つぎはぎだらけの矛盾を書くことだけだった。物語を探す必要もなかった…』

    取材当初に見たあの光は、勝手に描いた予定調和のなせるものだったと。そう、著者は自身の傲慢さに気づく。

    清原をめぐる長い旅の終わりに見たものは、色も形もない『虚空』にたゆたい、矛盾と業を剥き出しに生きる生身の清原に惹かれている自分がいる。そして、あえて別れを告げずに清原の元を去る。

    最後に…収穫は『誰も知らない桑田真澄』の仰天エピソード。これまでゴシップ記事はあっても、ここまで桑田に肉薄した取材は目にしたことがなかっただけに。サイドストーリーのレベルを超えた桑田の怪物ぶりを炙り出し、清原と桑田の関係を『北風と太陽』になぞらえ読んだほど。

    ノンフィクションは結果から事件・事象に至る原因を紐解いていく。清原は苦闘の真っ最中。現在進行形の主人公に大団円を求めるのは酷であり傲慢である。

    ただ作家であれ、ジャーナリストであれ、編集者であれ、事実ではなく真実に辿り着きたいという功名心を帯びた欲求と俗物さがなくては務まらない。だからこそ人の不幸や生き死に関心をもって対峙できる。その結果として、結末らしい結末のないノンフィクションがあっても良いとしみじみ思えた迫真の一冊。

  • 正直、巨人に行ってからの清原は好きになれなかったが著者が好きなので読んでみました。
    改めて、優しい心の持ち主の人だと思い、だからこそ、勝負師になれず、虚勢をはってあんな風貌になり、覚醒剤に手を出したんだと思いました。

  • 漫画『かっとばせ!キヨハラくん』のイメージに押されたんだろうか、清原氏が覚醒剤に手を出したのも漫画・・・・ではなく、引き続き鈴木忠平氏のノンフィクションを読ませていただきましたが、やはり面白いですね。文章といいかなり引き込まれてしまいます。
    自分で清原和博というキャラを作ってしまい、それに翻弄され、元々蚤の心臓の彼が無理して無理して無理して生きてきた結果、のりピーになってしまう、のりピーもそうだったんだろうか、のりピーちゃんというキャラに翻弄され、ぴっぴぴぴp-って言った結果あーなってしまい、のりピーがんばれ、がんばれ、のりピー、かっとばせ!のりピー!

    やはり桑田氏との確執が残っているようですが、あのドラフトでは桑田氏と巨人との密約はなかったようだと著者の調べではそう感じます。キヨハラくんは今でも『あった』と思っていて、これが今のキヨハラくんを作ってしまうきっかけになったようですんね。

    キヨハラくんの少年野球時代から現在に至るまで、著者はこのまま続けていいのか悩みながら取材し、結果キヨハラくんの闇、そして弱すぎる人間性が見えて来ました。
    ただ、私はそんな彼を可哀そう・・・だとは全く思っていません。プロ野球人として大成功を収めた方です。人間の運は均等にあるとしたら、そこで使い切ってしまったんでしょうか、これからの復帰を期待しております。かっとばせ!

  • 作家の生業について考えさせられる。対象との距離感に苦慮する作家の姿が印象的なドロドロした内容の本。

    石井妙子さんの「女帝 小池百合子」を読んだ時に似た、重い読語感。

    対象に惚れ込みながら食い物にしているだけでは、と自問自答する作家の姿。

    輝かしい存在に照らされ人生を振り回される一般人。そして自身の輝きのために、余儀なく演技を続けていかなければならない天才バッターの苦悩。

    桑田、清原の確執にも踏み込んでいる。

    今は亡き山際淳司の「ルーキー」と合わせて読むと更に面白いだろう。

  • 高校野球、プロ野球で活躍し、
    その後覚せい剤で逮捕された
    清原和博をめぐるノンフィクション。
    「嫌われた監督」同様、ものすごい取材力です。
    それがあるからこその筆圧。凄みを感じます。
    運命のドラフト当日、PL学園内の様子は震えます。
    雑誌Numberにて組まれた
    「清原和博に捧ぐ甲子園最強打者伝説」
    清原本人がこれに触れるエピソードもあり、
    涙なしには読めません。
    「嫌われた監督」よりロマンティック度が高め
    ですが、それもまた清原和博に惹かれる人間の
    共通点なのかもしれません。

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著者プロフィール

1977年、千葉県生まれ。愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験。2016年に独立し、2019年までNumber編集部に所属。現在はフリーで活動している。

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』より

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