- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163916316
作品紹介・あらすじ
「できなかったことができる」って何だろう?
技能習得のメカニズムからリハビリへの応用まで――
・「あ、こういうことか」意識の外で演奏ができてしまう領域とは
・なぜ桑田真澄選手は投球フォームが違っても結果は同じなのか
・環境に介入して体を「だます」“農業的”テクノロジーの面白さ
・脳波でしっぽを動かす――未知の学習に必要な体性感覚
・「セルフとアザーのグレーゾーン」で生まれるもの ……etc.
古屋晋一(ソニーコンピュータサイエンス研究所)、柏野牧夫(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)、小池英樹(東京工業大学)、牛場潤一(慶應義塾大学)、暦本純一(東京大学大学院)ら、5人の科学者/エンジニアの先端研究を通して、「できる」をめぐる体の“奔放な”可能性を追う。
日々、未知へとジャンプする“体の冒険”がここに
感想・レビュー・書評
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気になっていた著者初読み。様々な研究者との対話を通して理系と文系を繋いでくれる、研究と日常を結びつけて考えるような構成で楽しかった。「できる・できない」が優劣になってしまう事を危惧。SFやミステリーにも通じるものを感じた。
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【まとめ】
1 やったことがないものを、身体ができるようになるまで
(株)イマクリエイトが開発した「けん玉できた!VR」という製品がある。その名のとおり、バーチャルリアリティを使ってけん玉のわざをトレーニングする、というものだ。
仕組みはいたってシンプル。コントローラを手にもち、ヘッドマウントディスプレイを装着すれば、バーチャル空間内でけん玉をあやつることができる。リアルの空間と違うのは、玉の動く速度が実際よりもかなり遅いこと。つまりスローモーションで動く玉を相手に、けん玉の練習ができるのだ。
その効果は驚異的だ。このシステムを体験した1,128人のうち、実に96.4%にあたる1,087人が、「現実空間でも」わざを習得したというのである。必要な時間も、ものの5分程度。バーチャル空間で少し練習しただけで、リアルの空間でもけん玉ができるようになるのだ。
バーチャル空間で体験したことも、それがいかに現実には「ありえない」ことであったとしても、何ら遜色ない「経験値」として蓄積され、リアル空間で行為する私たちのふるまいを変えてしまう。しかも「リアルではない」と頭で分かっていたとしても、体はそれを、いわば「本気」にしてしまう。
体のユルさが、逆に体の可能性を拡張しているのだ。
私たちは、自分の体を完全にはコントロールできないからこそ、新しいことができるようになる。なぜか。
逆のことを考えてみよう。
①「できない→できる」という変化を起こすためには、これまでやったことのない仕方で体を動かさなければならない
②そのためには、意識が、正しい仕方で体に命令を出さなければならない
③しかしながら、それをやったことがない以上、意識はその動きを正しくイメージすることはできない
④意識が正しくイメージできない以上、体はそれを実行できない
という出口のない袋小路に陥ってしまう。体が意識の完全なる支配下にあると仮定するかぎり、私たちは永遠に、新しい技能を獲得できない、ということになる。
これが「技能獲得のパラドクス」である。
しかし、現実の私たちは成長の過程で、さまざまなことが「できるようになって」いる。歩くことも、話すことも、書くことも、打つことも、みな最初はできなかったことだ。ところが、いつの間にかどれも「できること」に変わっている。
つまり、「体が完全に意識の支配下にある」という仮説が、そもそも間違っていたことになる。実際には、私たちの意識は、自分の体を完全にはコントロールできていない。そして、だからこそ、私たちは新しいことができるようになる。
2 ピアノを自動で弾く指
ピアニストであり科学者でもある古屋晋一さん。彼のサイエンティストとしての仕事は、ピアニストの「探索」――いつもと違う環境や違うシチュエーションで弾いてみて、演奏の引き出しを多くすること――をサポートするところにある。「意識がとどかないところ」に行くためのテクノロジーである。
彼が作ったのが手にはめるエクソスケルトンだ。グローブ型の外骨格であり、手にはめてスイッチを入れると、指が勝手に動きだす。特定の演奏者の指の動きをリアルタイム出力することで、プロの指の速さ、リズム、強さをそっくりそのまま体験できる。
エクソスケルトンを60名ほどのピアニストや音大生に試してもらったところ、多くの人が「指が軽くなった」と答えた。いったんエクソスケルトンで「指が速く複雑に動く世界」を知った人は、エクソスケルトン無しでも、指が速く複雑に動くようになるのだ。
古屋さんのお子さんがエクソスケルトンを体験した時、感想はひとこと「あ、こういうことか」だった。
体に先を越された意識のありようを、これ以上的確にあらわす言葉があるだろうか。体にまず「できてしまう」という出来事が起こる。意識が、できてしまった体に追いつくようにして、それを確認する。それが「あ、こういうことか」という発言につながったのだ。
ある動作が無駄なくできるためには、自分が行おうとしている動作のイメージが明確になっている必要がある。他方で、一度も成功したことのない動作は、成功したことがない以上、動作のイメージがない。できるためにはイメージが必要だが、できていないのでイメージがない。「できない」→「できる」のジャンプを起こすためには、このパラドクスを超えて、「イメージがなかったけどできた」という偶然が成立する必要がある。
まさにこのジャンプを可能にするのが、エクソスケルトンだ。エクソスケルトンは、意識と関係なく指を動かすことによって、意識することのできない動作、つまりイメージすることのできない領域へと、私たちの体を連れ出してくれる。そのことによって、自分ではできない動作のイメージを与えてくれる。「私の知らない私の体」に気づかせてくれるのが、このテクノロジーなのだ。
3 桑田真澄のピッチングフォームはバラバラ
柏野牧夫さんは、トップアスリートの体の固有性の分析を行っている。その中でも特に力を入れているのが、桑田真澄の身体能力の研究だ。
桑田真澄は、投球フォームが毎回違う。リリースポイントが1球目と30球目で水平方向に14センチもずれている。キャッチャーが構えたところに正確に球が届いているにもかかわらず、だ。
柏野さんは、この桑田の特徴を「ゆらぎ」「ノイズ」という言葉で説明する。「桑田さんの場合は、ゆらぎやノイズを内包したうえで、毎回、それらをうまく吸収するような動きをされているということだと思います」。
つまり、フォームがそもそもかっちりと固定されておらず、多少の振れ幅をもっている。その幅の範囲内の投げ方であれば、狙いを外れた失投にはならない。計測の結果得られた桑田のフォームのばらつきは、「正解からの誤差」なのではなくて、そもそも「誤差を含んだ正解」なのではないか、と。そしてこの誤差が、マウンドの傾斜や固さといった環境の変動に適応する秘訣なのではないか。
運動にゆらぎがあることで、「変動の中の再現性」が可能になる。身体の使い方を探索することで「土地勘」が身につき、さらにその土地勘が探索の可能性を広げる。
しかしながら、どうしても直感的に分からないのは、桑田本人がこうしたゆらぎを意識していない、ということである。本人としては、「今日はマウンドが柔らかいから体重移動しすぎないようにしよう」などと思って調整しているわけではない。それどころか、「全球一緒の感覚で投げている」つもりでいる。
これは桑田が鈍感だということではない。むしろ逆で、自分の動きに対して人一倍繊細な感覚をもっている。にもかかわらず、それは意識的に作られたゆらぎではないのだ。
つまり、ゆらぎも土地勘も意識の外部で起こっている出来事であって、本人はそれを知らない。知らないうちに体が動いている。柏野さんの言い方を借りれば、「体が勝手に解いている」。それはまさに「体が意識を追い越している」ということであって、奔放さの発露そのものである。
さらにさらに、桑田が自身で思い描いている「カーブの投げ方」と、測定の結果得られた「実際のカーブの投げ方」は、まるで違う手の使い方だった。桑田は手がイメージ通りに動いていなくても、結果としての回転は本人の思い通りになっていたのだ。プロは鍛錬を積むうちに客観的な選択や判断が消え、より主観的な視点に立つようになり、目の前のパターンを構成要素に分解せず、全体として捉える。プロの中でも特にエキスパートには、ある種の「自動性」が生まれているのだ。
しかしそれがゆえに、エキスパートの技能は言葉で伝えにくい。柏野さんのテクノロジーは、選手の体の動きを解析し映像にすることで、自分の外側にある動きを「探索」できる。テクノロジーはそっくりそのまま「見本」とするべきではなく、あくまで方向性を与える教師であるべきだが、このテクノロジーは人間、とくに自身の技能を明言できない上級者に対して「未知の可能性」を見つけることに役立つだろう。
4 意識をオーバーライドする
ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)とは、脳波などの情報を介して、脳と機械が一体となって動くようにした仕組みのことである。
牛場潤一さんは、BMIを研究開発している。ただし、単に脳と繋がる機器を作るのではなく、工学と医学の両方にまたがり、脳のメカニズムそのものを解明する基礎研究も同時に行っている。
牛場さんは、HMDを使って、脳のメカニズムについての実験を行った。
まず、HMDに、本来より1度右側の世界を投影し被験者に見せる。被験者からすると、まっすぐ手を出したつもりでも、左に1度ずれたところから手が出てきたように見えることになる。この状態で、被験者はターゲットを指差すように命じられる。
重要なのは、1度程度の誤差であれば、被験者の意識にはのぼらないことだ。「ズレといっても1度のため、何も考えずに指差しを行っても、正しくターゲットを示すことができる。しかしながら、そのあいだにも脳は、意図した動きと目から入ってきた手の位置がわずかにずれていることを知覚している。そして本人が自覚していないところで運動を修正している」と牛場さんは言う。
それが分かるのは、この実験を繰り返したときだ。1回に1度ずつのずらしを、たとえば40回繰り返したとしよう。当然、最初と最後では40度視野がずれていることになる。自分の体に対して40度右にあるものが、HMDの中では自分の正面に見えることになる。しかし、被験者は現実空間とは40度左にずれた位置に見えるバーチャル空間のターゲットを見ながら、現実空間のターゲットに向けて正確に指をさせるのである。
牛場さんによれば、「脳には無意識下でとらえた誤差を自動的に処理して、次の運動計画のときにもうちょっと正しい運動を出力するという、オートマチックにアップデートをする機能みたいなものがある」。つまり、真正面に手を出したつもりなのにちょっとだけ左に見えるという誤差を脳は知覚し、「思ったより少しだけ右に出さないとターゲットを正確に指差しできないな」と判断して、運動のプログラムを修正するのだ。
「脳は、意識にのぼらないところでも外部の環境の情報を取得していて、その環境で自分の思ったとおりの体の動かし方ができるように、自分の頭の中のプログラムを更新、メンテナンスしていくんです。そういう機構が本人の意識してないところで絶えず動いています」。
この「体が勝手に解く」のような学習のあり方は、脳卒中などの患者さんのリハビリにおいても有効なのではないか、と牛場さんは考えている。
「バーチャルリアリティとかロボットっていうものが今高精密に高精細にコントロールできるようになったので、意識にのぼらないんだけどちょっと誤差を与える、与え続ける、アハ体験みたいなものをじわじわ好きなようにプログラムできる時代になったので、こちら側が意図をもって設計してあげれば、訓練する人は意識していなくてもこちら側の意図のほうに学習を誘導させることができる。そういう考えのもと、意識をオーバーライドして無意識のものが顕在化するみたいなことっていうのができると思いますね」
「意識のオーバーライド」とは、「意識の操作」ではなく「意識的にはアプローチできない可能性の顕在化」のことだ。「動かなくなった手を動かしたい」と思っている患者さんがいる。ところがいくら意識してがんばっても、手を動かすことができない。そこで意識的に行うのとは違う運動学習の可能性を、外部からの介入によって引き出してみる、というわけだ。
牛場さんが脳卒中の患者さんのために開発したのは、脳の活動をとらえるヘッドホン型のデバイスと、腕につけるグローブ型のデバイスから成るシステムだ。それまでと同じやり方では手が動かせなくなった患者さんのために、別の神経経路を使って手が動かせるように誘導するシステムである。仮に、左側の脳の腕の制御に関する箇所が損傷を負ったとしよう。右側の脳からの運動指令を出すことができなくなるため、右腕が思うように動かなくなる。
脳は、代わりとなる機能代償経路を探して、試行錯誤する。頭につけたヘッドホン型デバイスが待っているのは、運動野や補足運動野などのシグナルだ。視覚野や言語野が活動しても手は動かないので、この部分が活動する必要があるからだ。
ふと、偶然患者さんの脳が「正解」に相当する活動をみせる。するとヘッドホン型デバイスがそのシグナルをキャッチし、ただちに腕につけたグローブ型のデバイスが、患者さんの手の動きをアシストしたり、筋肉に刺激を与えたりすることで、腕を外から物理的に動かす。「あ、これでよかったんだ!」。これが報酬になり、先ほどの脳の働き方を強化するような方向に学習が進む、というわけだ。
実際このシステムを使ったリハビリを1日1時間、7日間にわたって体験した患者さんは、スムーズに腕を頭の上の方まで上げられるまで回復した。 -
伊藤亜紗さんの「見えないスポーツ図鑑」は期待外れだったが、本書は面白かった。
楽器演奏やスポーツ技術の習得に苦労した経験のある人や、今苦労している人には新鮮な視点が得られるだろう。
桑田真澄の投球フォームのデータには驚いた。
30球ほど「同じフォームで」投げて貰ったところ、大学や社会人の投手よりズレが大きかったのだ。
桑田の制球力には定評があり、コントロールのブレは少ないのに、これはどういうことだ。
フォームのばらつきがコントロールの誤差を生んでいるのではない。
誤差を含んだフォームからの調整力がコントロールの良さを生んでいるのだ。
実践の投球では、マウンドの傾斜や土の硬さ、風の強さや向き、疲労度など、環境は変化している。
桑田のフォームの揺らぎは、環境の変動に対する応答の可能性に繋がっている。
桑田の制球力の良さは、精密機械のような再現性でなく、結果を同じにするためにパフォーマンスを変える、変動の中の再現性なのだ。
優秀なピアニストが、ピアノの特性や空間の音の響き方によって自分の演奏を柔軟に変形させているのと同じだ。
本書はテクノロジーと人間の体の関係について「できるを科学する」ための本です。
「できる=優れている」「できない=劣っている」という能力主義的な価値観の社会の中では、
「できるようになる」は「○○さんよりできるようになる」という他者との比較の問題になってしまう。
そんな優劣を論じた本ではない。
できないには「思い通りにならないからこその可能性」がある。
楽器演奏でもスポーツでも練習方法を変えることにより得られるものがある。
そして、色々と工夫していると、ある時うまくできることがある。
「できたっ」ではなくて、「あ、こういうことか」という感覚。
これ、殆どの人がそういう経験していると思う。
理論に体を合わせるのではなく、先に体でできてしまって後から意識がそれを確認する。
倒れないようにバランスを取って自転車に乗るなんて、まさにどうやっているのか言葉で説明できないが、体はできている。
鉄棒の逆上がりなどもこの部類か。
第1章がピアノ、第2章が野球、と興味ある話題であったこともあり、面白く読めた。
ピアノでは「感覚トレーニング」のツールとして、エクソスケルトンというものが紹介されている。
私はギターは右手と左手の動きが違っても弾けるのに、ピアノは右手と左手の動きがシンクロしてしまい弾けない。
エクソスケルトンを使えばピアノを弾くというイメージが分かりそうだ。
多人数を相手にしていると「個別より一般」「具体より抽象」になり易い。
投手で言えば、誰にでも通用する「普遍的な」良い投げ方があるわけではない。
その体にとって最適な投げ方がある。
人それぞれ、その時の体に合ったやり方があるのだ。
何度もやっているうちに体が先に理解し、どのように行っているかの理論は後付けになる。
桑田のカーブの投げ方の、頭でイメージしている理論と実際の体の使い方が違っていたというのがその証拠だ。
桑田の感覚は、
①中指でボールを下向きにこする。
②親指でボールを上向きに跳ね上げる。
③腕の振りはストレートとは違う。
ハイスピードカメラの実際の映像は、
①中指ではなく人差し指でボールを下向きにこすっている。
②親指はボールを支えてはいるが、手のひらの中に隠そうとする動きになっている。
③腕の振りはストレートと同じ。
同じフォームで投げているつもりが、実際はだんだん前かがみになっていたり、
感覚とは違う方法でカーブを投げていたり、イメージした結果になるように勝手に体が動いている。
今の野球選手は、映像で自分のフォームなどを確認しているが、それを見てどうしようとしているのか気になる。
桑田の場合、ずっと脳の感覚と体の動きがズレていることを知らずに成果を残してきたのだ。 -
「はじめに」からグイグイ引き込まれる内容だ
バーチャルリアリティを使ってけん玉の技をトレーニングする
球の動く速度はかなり遅い
このトレーニングにより、96.4%が技を習得したという
(TVでもこういうの見たぞ!ご高齢の方のリハビリだ
負荷をかけたトレーニングをさせたいが、故障してしまう可能性も高い
よって編み出された方法とは…
負荷の少ない器具を使うのだが、バーチャルでは実際より負荷の高い器具を使っているという設定にし、
そのバーチャル映像を見ながらリハビリトレーニングするのだ
これにより身体を痛めることはなくなり、かつ効果があったという)
「自分の体を完全にコントロールできないからこそ、新しいことができるようになる」という
どういうことかというと、逆に「体が完全に意識の支配下だったらどうか」
うまくやったことがないことをそもそも人は意識できないし、
うまくやろうと思ってもできない事は、意識の仕方が間違っていることになる
できなかったことができるようになるとは、「意識が体に先を越されるという経験」だという
意識がお手上げでもテクノロジーがあれば介入できると嬉しいことがたくさん書いてある
五名の科学者と考えるのだが、自分自身がピアノを習っていたのでピアノ関連でざっとご紹介
ピアニストの演奏技術を助ける方法を研究している科学者
「練習と本番は、仮説と検証の関係」だという
「ふだん降りてこない演奏を降ろすため」の探索
(何かが「降りる」という感覚は芸術だけではなくスポーツでも起こりますね)
楽器の個体差、場所、時間、その日の気温湿度、本人のコンディション…
すべてがそろったとき
そんな奇跡を待つの?いいえ違います
かつては…
筋トレ的なピアノ教育が盛んであった
これは全体を部分へと分解してしまい、かつ身体を壊してしまう
本末転倒なこの方法(根性で何とかする時代ありましたねぇ 「スポコン」流行りましたもん
私も幼少時に手を広げる器具を装着しタオルを巻いて固定させられた覚えがある 今なら虐待になるんじゃないのかしらん?)
芸術、スポーツ、そして労働や仕事までもが当てはまる面白い表現で言えば…
~職人の総合的な技を解体し工場労働的な分業と単純作業への反復及び分解にしてしまう
大量生産や弱肉強食といった近代資本主義社会の論理だ~
ではどうするか
プロの動きを体験できる自動で動く指のマシーンを生み出す
正しい指の動きを直感的に理解することができ、鍵盤を押す深さや押し方も再生できる
実際使用された科学者の息子さんのひとこと「あ、こういうことか」
(これめちゃめちゃよくわかりますね 結局私はピアノに関して「アハ」体験を全くすることもなく
ただひたすら親の目を盗み練習をサボることばかり考えていた思い出しかない…トホホ)
意識と関係なく指を動かすことよって、意識することのできない動作、つまりイメージすることのできない領域へと私たちの体を連れ出してくれる
未知の可能性へと誘い出す(ぜひとも味わってみたいこの体感!)
もう1個だけ事例を…
元巨人の桑田真澄
(何を隠そうファンだから取り上げたい(笑))
制球力のあれほど良い桑田の投球フォームは毎回違う
フォームは毎回違うのに結果はほぼ同じ
そしてご本人も知らなかったそうなのだ
環境の変動に対する応答可能性
それは「体のゆらぎ」だという
まさにこれが無意識レベルで体が意識を追い越している現象だという
(高校時代からしっかり存じ上げており大変尊敬しているのだ
そう大変な努力家であるから
が、それだけじゃない何かがあるはず
センス?
ん?もしかしてセンスってこういうことなのか?
無意識レベルで体が意識を追い越している現象=センス?)
■「報酬」と「罰」は使い分けが大事
非常に興味深い内容があったので紹介したい
「褒められると伸びるタイプです」と豪語するゆとり世代ちゃんたちに教えてあげたい!
異なるタイプの学習で使い分けが大切のようだ
◇報酬系
ドーパミンがバーっと出る
脳の深いところがつかさどる
うまくいったときの運動の仕方をフラッシュで焼き付けるようなもの
強化学習に最適だが、時間を置くと忘れてしまう
◇罰系
小脳で働く
誤差やエラーと認識し、その運動を抑制したり計画をチューニングし直す作用となる
小脳は記憶もつかさどる
よって罰系で学習すると学習したことが長い間定着しやすい
長い間やっていない水泳や久しぶりの自転車がこれにあたるという
興味深い内容は尽きないのだが…
~体という謎めいた物体を前に試行錯誤する人の営みは科学者よりその人その人が真理を求めて彷徨う
その営みは過去、未来に向かう体の歴史をつくり、身体的なアイデンティティとそこにうまれる唯一無二の物語は文学だという
「科学」と「文学」はいずれもテクノロジーとの付き合いに試行錯誤しながらも進んでいく~
「文理共創」著者の目指したいところはここなのだろう
なぜこの本を読みたかったか
それは私が芸術+スポーツである踊りを長年やっており、行き詰っているからである(トホホ)
むかしむかしはスポコンで「10回やってできないなら100回やりなさい」とご指導をうけておりましたが、
そんなことやったところで、できないことが全てできるわけがない(と気づくまでに約10年)
もう20年も続けているのにこのザマは一体…
プロの方や、上手い踊り手と一体何が違うのだろうか
数年前からいろいろ検証かつ試行錯誤の模索をしている最中なのである
この本で少しだけわかったことは
あらゆる環境に置いての再現性(変動の中の再現性)の重要性だ
このために出来ることはたくさんあるだろう
練習場所を変える、服装を変える、道具を変える…
そして修行は続くのである…
人の可能性を秘めた非常に興味深い内容なのだが、
ただ素人がどこまでできるかという虚しさも残るんだよなぁ
そんなことより、お身体の不自由な方や障害のある方に役立ちそうな内容がたくさんあった
今後、テクノロジーのさらなる開発により不自由な方に少しでも役立つことが増えるといいと思うし、
研究されておられる方を応援したいものだ
※Kazuさんのレビューで興味を引き読むことができました
ありがとうございます!
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ハイジさん。こんにちは。
「あっ、この本読んだんだ♪」と、レビューを読んでいたら最後に私のブクログ名が!
脳と体の関係性という観点で、興...ハイジさん。こんにちは。
「あっ、この本読んだんだ♪」と、レビューを読んでいたら最後に私のブクログ名が!
脳と体の関係性という観点で、興味深い分析がいろいろとなされていましたよね。
同じ本を読んで、似たような感想を持つ人がいると何故か嬉しいもんです。
先日読み終わった「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」での感じ方が皆と違って、少し仲間外れ感があったのですが吹き飛びました。
2023/05/19 -
Kazuさん コメントありがとうございます
Kazuさんのレビューを読んで速「読みたい」本登録をしました
そして想像以上に興味深く、楽しい読...Kazuさん コメントありがとうございます
Kazuさんのレビューを読んで速「読みたい」本登録をしました
そして想像以上に興味深く、楽しい読書となりました
ありがとうございます
おまけに共感が得られとても嬉しいです
仲間外れ感…
ワタクシはよくありますよ(笑)
あれれ?と思いながらも、まぁ個性と良いこととしております!2023/05/19
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これでいい、と自己肯定すると
安心するけど成長はしない
これじゃだめだ、と自己否定すると
努力や工夫によって成長するけど不安なまま
この二項対立のその先を考える
これじゃだめだ、と努力する自分そのものを
これでいい、と肯定できたら
10本の指が独立して動くように、ハノンを繰り返す
音楽をさまたげないように
手癖、指癖で、いびつなドレミを並べる
体をさまたげないように
この二項対立のその先を考える
癖になるほど好きな音に出会って
その音に近づこうとするなら -
ブクログスタッフの2023年下半期ベスト本で紹介されていたので、どんなもんかと読んでみました。
「できなかったことができるようになる」ということをテーマに、5人の科学者の研究を取り上げながら紹介されている本。日常生活でそんなこと考えたことはなかったけど、読みながら「へぇボタン」を何度も押したくなりました。(歳がバレる…)
私たちは、自分の体を完全にコントロールできないからこそ、新しいことができるようになるそうです。なんのこっちゃと思ったけど、読めばなんとなく分かった気になります。
1番へぇだったのは、脳が学習するメカニズムの中で、「そのやり方であってるよ」と褒めて学ぶ方法(報酬系)と、「それは間違ってるよ」と罰することで修正する方法(罰系)では、罰系で学習したことの方が長く定着しやすいということ。やっぱり、自分で痛い思いをしたことは忘れないんだね。 -
伊藤亜紗 | Asa Ito
https://asaito.com
『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』伊藤亜紗 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163916316 -
「できなかったことができるようになる」とは、実は自分の体を完全にコントロールできないからこそ、新しいことができる。
意識を超えて「体がゆく」。
不意にできてしまってから、「ああ、こういうことか」とわかる。
著者と5人の科学者・エンジニアとの対話から、「できること」の実体と探求に迫る。どの章も驚きと興味深い内容に満ちていて、専門的な読みにくさもなく面白かった。
第1章はピアニストのための外骨格(エクソスケルトン)が紹介される。プロの指の動きをそのまま体験できるため、それまで意識することのできなかった動作、イメージできない領域に連れ出してくれる。
第2章は桑田氏の投球フォームに迫る。計測によりフォームは毎回かなり違うのに、結果はほぼ同じだと判明。それは環境や自分の体調の変動に即興的に応答するスキル=「変動の中の再現性」である。大人が技能獲得する段階は抽象から具体に進み、エキスパートはいちいち考えなくてもうまくいくためにすべきことが出来ている状態、体が勝手に解いている状態になっていく。
第3章はリアルタイムのコーチングについて。空間的にも時間的にも運動するその「渦中」でフィードバックするための方法として、画像情報処理が紹介されている。具体的には「モノアイ」、「スピンポン」といったAIやバーチャルリアリティを用いた技術が挙げられ、テクノロジーが環境に介入して体を育てることを知る。
第4章はBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)という技術を用いて医学と工学を結びつける取り組み。「ないしっぽをふる」という実験から、報酬と学習のメカニズムが見え、リハビリテーションへの応用も探求されている。
第5章では「私」と「他」のあいだのグレーゾーンについて考察される。「カメレオンマスク」で他者にジャックインされる体験や音なき声で喋る技術、オノマトペを含む音による伝達について触れながら、人から人への技能伝達や他人との体の間にネットワークを築くことなどから生まれる「できる」について示される。
5人との対話を通して見えてくるのは、「できる」と「できない」は能力主義だけで一括りにできない豊かさ、奥深さがあるということ。著者が本書の目的は「能力主義から『できる』を取り戻すこと」だったと述べているが、実際に一通り読んでみて「できること」とは優劣という物差しでは測れない不思議な現象だと感じた。
また、体の固有性に何度も触れられる一方で、「私の体」という確固たる輪郭は「できるようになること」で書き換えられることも新鮮な発見だった。 -
2023年のブクログスタッフのオススメ本に上がっていた本。
テクノロジーで「できる」を科学的に解明していく。
第一章ではエクソスケルトン(外骨格)を手につけることでピアニストと同じ指使いができるというもの。その後は習得も早いという。
何だか映画のマトリックスで格闘技をダウンロードしていたのを思い出した。
第二章では桑田のピッチングの解析。第三章は画像処理からの分析。体は脳の記憶によって実は柔軟に動かすことができるとともに、できるとはどういうことかを問う。
第四章では脳波を用いた実験からリハビリへの応用。第五章ではもはや自分の身体を越えた、別の何かへ乗っ取り(代用)も試している。ここではアニメの攻殻機動隊のことをイメージしてしまった。
身体はこう動くもの、という固定観念ではない時代。柔軟にいろんな可能性を結びつけることで、老化を超える未来に結びつくような期待がもてた。 -
「できる」ということはどういうことなのか、科学的な視点から論じている本。
五人の科学者へのインタビューをもとに、著者が考える「できる」論が書かれていて、興味深い話が盛りだくさんでした。
ピアニストの脳と指と「できる」ということ、桑田真澄の投球コントロールから得られること、リアルタイムにコーチングする技術、(ついていないはずの)尻尾をコントロールできるようになる不思議、声を出さなくてもアレクサに指示を出せる?…。
昔なら、ドラえもんがポケットから出してくれたようなテクノロジーが、今は現実のものとなっていて、脳と体の関係が少しずつわかっていく。そして、その技術が、障害のある人への助けになったりする。
私は、伊藤亜紗さんの本を読むのはこれが初めてでした。
以前にも、医療情報を発信しているお医者さん達の話題の中に幾つかの本が紹介されていて、気になっていました。
これ1冊を読んだだけでも、いろいろな気付きをもらえたけれど、伊藤亜紗さんが伝えようとしてくれていることの一部しか受け取れていない気がする。
なので、他の本も読んでみたいと思います。
どんどん「読まなくちゃ」の本が増えていきますねー。
頑張ろうー。
(頑張る先に何かがあるわけではないけれどw)
著者プロフィール
伊藤亜紗の作品






この本、伊藤亜沙さんが様々な専門家達の研究をわかりやすく説明してくれるので多方面から学べます。研...
この本、伊藤亜沙さんが様々な専門家達の研究をわかりやすく説明してくれるので多方面から学べます。研究自体も面白いし、伊藤さんの観点も柔軟な感じで楽しかったです♪