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Amazon.co.jp ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784163916576
作品紹介・あらすじ
2022年2月5日に急逝した著者の、読者からの熱烈な要望によって実現した未刊行小説集。
完結した小説としては著者最後の作品となった表題作をはじめ、著者の本領たる藤澤清造“歿後弟子”としての覚悟を扱った3篇を収録。
北町貫多30歳、地元に残された藤澤清造資料の調査に本腰を入れるため、東京の自室とは別に七尾に部屋を借りる(「廻雪出航」)。貫多31歳、七尾の部屋に清造の書簡を飾るため額装を依頼したが、思ってもいない仕上がりになる(「黄ばんだ手蹟」)。死の前年、53歳の貫多の姿を描く。ここ数年の自身を振り返り、“歿後弟子”の責を全うすべく新たなスタートを誓う(「蝙蝠か燕か」)。
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
テーマは、著者の生涯とその影響を受けた弟子の葛藤であり、独特の視点から描かれた作品集です。藤澤清造という存在に取り憑かれ、彼の生き様を引き継ごうとする主人公の姿が印象的で、彼の人生が私小説として表現さ...
感想・レビュー・書評
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2022年53歳、逝去。
まだ若いが、著者らしいと言えば、著者らしい。
藤澤清造に取り憑かれたように人生を捧げ、その一生を私小説のために生きた。ファン精神などと言えば、氏が墓場で憤怒するだろうか。氏のアイデンティティとして、藤澤清造は生活の一部となり、生き方の模範でもあり、そしてその破滅的な生き様は、どこまでも晴れはしない西村賢太の孤独な生涯における慰めであったに違いない。
蝙蝠か燕か、何かの象徴を見たようなタイトル。想像されるのは日陰と日向の対比だが、氏の生き様にとって、それ自体はこだわるものでもない。拘泥するのは歿後弟子となった師匠のみ。飛び立つ黒い影。導かれたのも、その生き様だった。
ー そうだ。すべては二十三年前のあのときに、何もなくなった状態でこの墓前にぬかずき、この人の無念を引き継ぐのを願ったことから始まっている話なのだから、別段慌てて焦りを募らしたり、無力感に打ちひしがれるがものはない。こんなのは、他の誰の為にやっているものではないのである。いよいよ駄目となったら、脳を麻痺させた上で芝公園にゆくなり、またこの墓前に辿り着くなりすれば良いだけのことである…彼は薄汚れた黒ジャンパーのポケットから、またラッキーストライクの袋を取り出した。そして一本を取り出して火を付けたものを、またぞろに火先を上にして線香立ての中へと押し込んだのち、自分も一本を吸いつける。
ー それから二十三年が経ったが、自分のこうした活動や清造伝は、果たしてその人の役に立っているのだろうか、との根元的な疑問が、ひょいと脳中に浮かんでしまった。自分では、なにか随分と奮闘を重ねてきたつもりだが、突きつめるとそれは藤澤清造の為になっているのかと云う疑念である。この他愛ないと云えば至極他愛のない自間に、しかしながら鮮烈で異様な衝撃を受けるかたちとなった貫多は、すぐとはそれに対する答えを模索することができず、ただ棒立ちの状態になって瞑目した。
瞑目し、揺れる氏のよすが。
道徳モデルには重ならない生き様を肯定してくれる数少ない存在は、本の中に眠る。私も藤澤清造と出会ってみたくなった。西村賢太の小説は、氏の生涯をかけての書評レビューなのであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
完成した小説で言えばラストということで、不思議と死を匂わせたところも有り、読んでいてなんとも言えない気分となった。
出されてしまった小説感は否めず、個人的な評価は凡作という判断ではあるが、独特の作風で、読み手を不思議と惹きつける類稀なる作家さんの新作をもう読めないというのは、矢張り悲しい限り。
西村賢太の没後弟子の出現を今は待とう。 ★3.0 -
没後に単行本化されたこともあり、そういうつもりで読んでいると、文章が『芝公園六角堂跡』以前のような荒々しいものではなく、成熟を感じさせられるせいか、表題の『蝙蝠か燕か』を読んでいると、なんだかあの世から生涯を振り返っているように思えてくる。
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<堰>
この上梓本は西村賢太自身によるゲラ確認や最終直しを経ていないのだなぁ,と思うと 何だか少しだけど涙が出て来る。やはり西村の小説は彼だけの唯一独特のものなのだ。この没後作品を読んであらためてそう思った。
カバー表紙の絵が妙に気になったので誰の作品かと表紙扉裏を見ると 信濃八太郎 という人だった。いや特に知っているイラストレータという訳でもないが,何だかじっとみてしまう不思議な絵だ。
たぶん関連性は全くないと思うが 信濃 という名もいい。僕は生前の西村がよく飯を食いに行っていた「信濃路」という鶯谷の居酒屋食堂を訪なったことがある。だが別に西村が行きつけの店だからと行った訳ではなく,その日の二軒目で 偶然鶯谷駅前でその店の前を通りかかり,おっこりゃ安くて旨そうな店だな,と友人二人と入ったのであった。あれは新型コロナバイラス禍津が到来する少し前 2019年の11月だった(今はFacebookとかで過去をたどればすぐに詳しく分かるのだw)。その通り安くて旨かった。
その店が西村賢太行きつけの店だと知ったのはその後の日常日記を読んでいて,の もしや!? なのであった。その事を読メとかに書いたらレスくれた方がいらっしゃって嬉しかった。(ブクログはほとんぼレスも無くあまり書く気になれない)
更にもうこの際だからここで一気呵成に書くと。僕の一番好きな作家の シーナ兄い(椎名誠さんの事です。すまぬ)が,この寺町貫太いや西村賢太 作品の大ファンだという事をシーナ兄いの別の本で最近知って驚き喜んでいるのであった。先に亡くなった石原慎太郎氏も西村の作品を褒めていたし,存外 彼西村賢太は あながち文壇からも認められていたのではなかろうかと思ったものである。願わくば彼の遺志を継いで 志半ばで達しえなかった 藤澤清-靑造 の全集を誰か刊行してはくれまいか。 -
2022年2月5日に急逝した著者の、読者からの熱烈な要望によって実現した未刊行小説集。
完結した小説としては著者最後の作品となった表題作をはじめ、著者の本領たる藤澤清造“歿後弟子”としての覚悟を扱った3篇を収録。
三次文庫の件など、厳しい出版事情がうかがえる部分があり、興味深く読んだ。
これが最後の作品なのか。 -
この作品を読了してこれで全ての西村作品を読んだことになる。
西村作品に多く出てくる「秋恵」が全く出てこない、西村作品としては稀有な作品。
敬愛する藤澤清造氏の没後弟子を自称して命日に「清造忌」を取り行ったり、七尾に住まいを持ったり、藤澤氏のご遺族との交渉など、今作は藤澤清造一色なので、若干の物足りなさを感じられる向きもあるかもしれないが、そこここに西村賢太氏の美しい情景描写があり、はっとさせられたりもする。
昨年の急逝は急病によるもので、死を予測できたとは思えないのだけれど、死に関しての思いを書いた文章も複数あるのも複雑な思いで読んだ。
今は生前、藤澤清造氏の隣に建てた墓に眠っておられる西村さん、安らかに。
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発売日に買ったものの読まずにしてた。
これが最後か。
手元にあってまだ読んでないのが雨滴は続くと、どうで死ぬ身のひと踊り
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師たる藤澤清造の全集および書作文庫での復刊へ奔走する西村賢太氏の日々。自身も「何故それ迄に」と疑念を持つ程の執着。
ですが作中の「だが彼我も、当人には当人なりの事情と目的があって、互いにそれを自信をもって行なっているのだ。」と言う氏としては珍しい他者共感の一文が一ファンとしても面映ゆかった。 -
昨年2月に世を去った著者の、おそらく最後となるであろう小説集。
没後すぐに刊行された長編『雨滴は続く』は未完だったが、表題作は完成作としては最後の小説だ。
これまでに刊行された西村賢太の全小説を読んできた者として、何がしかの感慨がある。
収録作3編とも、藤澤清造の「歿後弟子」としての覚悟を扱ったものだ。
最初の「廻雪出航」では、30歳のときに清造の故郷・七尾に部屋を借りる顛末を綴る。いわば、“弟子としての本格的出発”を刻みつけた短編なのだ。
最後の表題作では、死の前年、53歳の「北町貫多」(西村賢太の分身)が、弟子としての決意を固め直す。
つまりこれは、藤澤清造の「歿後弟子」としての原点に回帰し、弟子として歩んだ四半世紀を振り返った作品集なのだ。
『芝公園六角堂跡』の流れを汲む、“小説とマニフェストの中間”ともいうべき内容である。
ゆえに、他の西村作品にあるような娯楽性(酔って暴言を吐いたり、他者を罵倒したり、女性に対する執着を滑稽に表現したり……)は、本書にはごく乏しい。
それでも、この最後の完結作(中編といってよい長さである)で全開される、信仰の域に達したような 「歿後弟子」ぶりには、読者の胸を打つものがある。
《自分の“歿後弟子”道のみが、彼にとっての唯一の生き甲斐であり、くだらぬ編輯者にも頭を下げて、意地ずくで小説を書き続ける理由なのである》(156ページ) -
表題作は著者が歿後弟子となっている藤澤淸造の全集を世に出すべく奮闘する私小説というより最早エッセイ。
これが文學界に掲載されたのは2021年11月号。著者が亡くなったのは2022年2月。
著者がいつも行っている淸造忌に物見遊山な文学好きが来るのが鬱陶しいから、新聞社を呼ぶのを止めたとか、西村さんらしい。
しかし今更ながら著者は淸造の為に随分と奮闘を重ねてきたつもりだが(使った黄白も6千万にのぼるという)、突き詰めるとそれは淸造のためになっているのだろうかと葛藤する。特に次の記述には笑いながらもしんみりとさせられた。”もし仮に自分の死後、馬鹿な読者が創作中での駄目人間的記述を鵜呑みにし、ヘンに喜んで度を越した共感やら執着やらを寄せた挙句、北町貫太の歿後弟子なぞ名乗ったりしたら甚だ迷惑に思う。そんな手合いは一も二もなく異常者視し、即弁護士に相談する。そのうえで民事司法を介してその者の親類縁者に連絡も入れるし、危ねえ火の粉とみなして必ずや振り払うであろう。”
また、最後にこうある”これからが真に自分に対して目にものを見せる正念場であろう。人生何が起きるかわからぬが、何が起き、これに動じる破目になったところで、一方では自分の為すべきことはやり続ける他はない。”
全くその通りです。わかりました肝に銘じます。 -
なぜか読みたくなる、そして読めてしまう西村賢太さん。
藤澤清造さんの「殉後弟子」としての短編集や全集出版に奔走する著者を書いた私小説でした。
著者の破天荒なプライベートを書いた私小説とは違い、コアな層以外にはとっつきにくい内容です。
好きですけどね。派手さは無い。やっぱり、他の作品も読んでいる読者からすると、藤澤清造さんについての記述は繰り返し読んでいるものになってしまうし。若い頃の話はパンチがあるけれど、老いてくれば目新しいことは無くなるし、私小説はその点難しいなと思いました。
亡くなる数年前まで親密な女性がいたのは知らなかった。その方とのことについての話が読みたかったな。どこかで書いているのだろうか。 -
2023.04.05
私は純文学、私小説の類はほとんど読まない。ところが筆者の本はちょくちょく読む。こんな破滅型の人生を送り、50代であっさりと急逝されたことは彼には相応しいと思う。 -
西村さんの本を読むのは、確か2回目。
多分「苦役列車」を読んで、どうも合わないなぁ、と思ったきりで、亡くなったと聞いて、最新刊らしきこの本を借りた。
やはり、合わない。
なんだか寂しくなったり、ちょっと気持ち悪くなったり。
ほぼ同年代なんだけど、違った環境の違う人なんだな、と改めて感じた。
しかし、人はいつ死ぬか分からないもの。
儚いものだな、とこれまた改めて思った。
著書とは関係ないけど。 -
【最後の作品を含む未刊行小説集】2021年1月29日、北町貫多は芝公園の一隅に佇んでいた――22年2月に急逝した著者の、苛烈な“歿後弟子道”を記した三篇。
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晩年の作品のため、以前読んだ『歪んだ忌日』などの答え合わせができて面白かった。
「元より人を見ての暴行癖(自分より、確実に腕力が弱いと思える相手に対してだけの)が酷かった車劣の質である」と自身で評しているのも、やっぱり自覚はあるんだ?!なぜ?!という驚きがあってよかった。
著者プロフィール
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