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Amazon.co.jp ・本 (480ページ) / ISBN・EAN: 9784163917009
作品紹介・あらすじ
”全身脚本家”驚愕の真実!
『羅生門』、『七人の侍』、『私は貝になりたい』、『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』、『八つ墓村』、『幻の湖』など、歴史的傑作、怪作のシナリオを生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍の決定版評伝。
著者が生前に行った十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から託された膨大な資料をもとに、その破天荒な映画人の「真実」に迫る。全480ページ。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作
目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章~『羅生門』
三 明の章~『生きる』『七人の侍』
四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章~『人間革命』
九 雪の章~『八甲田山』
十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧
みんなの感想まとめ
日本の映画界に多大な影響を与えた脚本家の生涯とその作品の裏側に迫る評伝は、彼の創作活動や人間性を深く掘り下げています。著者は、膨大な資料やインタビューを通じて、橋本忍の才能だけでなく、ビジネスマンとし...
感想・レビュー・書評
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【感想】
『七人の侍』『私は貝になりたい』『白い巨塔』『日本沈没』『砂の器』――。これら映画史に名を刻む作品は、全てある男が脚本、監督に携わっている。それが橋本忍だ。
本書『鬼の筆』は、映画脚本家・橋本忍の創作活動や映画作りへの情熱を深く掘り下げた一冊だ。橋本が生涯に渡って携わってきた作品の全てに関して、橋本自身へのインタビューや当時の映画雑誌等の記載を掘り起こしながら、作品の製作背景と、脚本家としての哲学や信念を表していく本となっている。
本書がユニークなのは、検証書の体になっているところだ。橋本は『複眼の映像』という自伝を著し、自身と黒澤明との関係を詳細に記しているが、筆者は過去の『日本映画』や『キネマ旬報』の記事、橋本自身へのインタビューを並べて、『複眼の映像』の事実検証を行っている。そして検証してみた結果、どうやら『複眼の映像』の内容と事実には大きな食い違いが生まれているらしい。黒澤、橋本、小國英雄(橋本と同じく黒澤に脚本を提供していた人物)ともに、言っていることが微妙に異なっている。こうした証言の食い違いは、「あの作品は本当は私が先行して作ったんだ」という認識の違いとなって現れていくのだが、これが後の黒澤との関係や、橋本自身の脚本家としてのスタンスに大きく影響を与えていく。
橋本忍は、言うまでもなくとんでもない才能の持ち主だ。作品の完成度はもちろん、特筆すべきはその執筆量と筆の早さだ。『切腹』の脚本はわずか11日で書いたというのだから、紛れもない化け物である。
だが、その裏には非常に俗っぽい性格が隠れている。『日本のいちばん長い日』は、その時大ハマリしていた競輪で金をすったから、仕方なく仕事を受けたという。そしてこの競輪の経験から、「映画は賭けである」という思いに至り、量産型の映画とは違う企画を次々と打ち出していく。
橋本は非常に社会的なテーマを扱うため、硬派な映画作りをするような人物に見える。黒澤明と分かれた後の『真昼の暗黒』は、裁判の不正によって冤罪者が死刑宣告をされる物語であり、『私は貝になりたい』は、散髪屋が赤紙による召集を受けて兵役に行き、上官からの命令で捕虜を殺すものの、戦後軍事裁判にかけられ死刑になる話である。なんとも左翼的なイデオロギーを抱えていそうな印象だ。
だが、作り手としての橋本は、実際には俗っぽさ、つまり「エンタメ重視」で作品を組み立てていたという。
橋本「僕はいろいろな新聞記者に聞かれたりした時は『国家機構がどうの』『裁判機構がどうのこうの』『刑事訴訟法と新刑事訴訟法の違いがどうのこうの』いろいろ言ったよ。でも、本当は(真昼の暗黒は)『四倍泣けます、母もの映画』で作っていたんだ」
「(私は貝になりたいでは)相変わらず戦争をしなきゃ生きていけない人間の愚かさを描きたかった――。たしか、当時はそんなことを言っていた気がするね。でも、そんなことじゃないんだよ。僕が狙ったのは、『真昼の暗黒』と同じ。つまり『四倍泣けます、母もの映画』だよ」
実は、家族ドラマで視聴者を泣かせることに主眼を置いており、裁判や戦犯もあくまで舞台装置の一つに過ぎない、というのだ。
橋本は、その硬い脚本からは想像がつかないほど、観客を楽しませることに重きを置く人物なのだ。橋本は面白さのためなら展開を原作から大きく曲げていく。緻密なトリックが必要なミステリードラマが展開されていたかと思えば、急にキャラクターの激情を描く。橋本は時として、キャラクターに理屈を超えた行動を取らせるときがあるのだ。
そのスキルを橋本は「腕力」と称している。
「そう、腕力ということが、シナリオを書く上に大変重要なんです。ある人物がまっすぐ歩いて行く。作者がその後にくっついて行くだけなら簡単です。しかし時には作者がこの人物に命令して、こっちへ進ませたりあっちへ曲げたりしなければならない。腕力がないと、人物を自分の目的方向に曲げた場合にあざとく見える。自然に見せるためには腕力が必要」
観るものが矛盾点を気にしなくなるほど強力な腕力でねじ伏せ、そして感動させる。これが橋本流脚本術なのだ。
――「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴がいる。でも橋本お前はどちらでもない。腕で書いている。腕力の強さでいうと、日本でお前にかなう者はいない。普通で成立し得ないシチュエーションを作る。それを腕っぷしの強さで強引に持っていく。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るように本を書くのが基本だ。が、お前は春だと思ったら、一遍に冬へ行くし、冬だと思ったら秋に戻る。そういうことを平気で書く。それは本来は無理なんだが、お前だけは腕っぷしだけで成立させているんだ。それは小國さんの言ったとおりだと思うね」
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【まとめ】
0 まえがき
戦後最大の脚本家、橋本忍。1950年代から70年代にかけて、橋本は脚本家として次々と名作を書き、多くの映画賞を受賞し、大ヒットもさせてきた。『羅生門』『生きる』『七人の侍』『真昼の暗黒』『張込み』『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『切腹』『白い巨塔』『上意討ち拝領妻始末』『日本のいちばん長い日』『人斬り』『人間革命』『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』――。
人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、自分たちではどうにもならない圧倒的な力が無慈悲に打ち崩していく――。そうした、「鬼」たちによる容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、橋本はひたすら描いてきた。
なぜ、そして、どのようにして、橋本はそのような「鬼」ばかりを描いてきたのか――。本書は、その全貌を解き明かそうとした一冊である。
1 生野騒動
橋本は兵庫県神崎郡市川町にある鶴居で育った。幼少期の橋本少年は、お婆ちゃんの聞かせる「生野騒動」という話が大好きだった。年貢半減を生野県庁に飲ませるために農民たちが一揆を起こし、首謀者たちが斬首される話である。
祖母はいつも「昔話」をこう言って締めくくっていたという。
「鶴居は大勢が殺されてのう。いや、昔から一揆をしたら首を斬られるが、願いの一部は聞いてもらえる。けど明治の政府は首を斬るだけで、願いは一切合切聞きやせん。先にいきゃいくほどムゴうなる、それがこの世じゃ」
橋本の描くドラマは、全てこの生野騒動に根を張っている。橋本の脚本は、状況を打破せんと闘うほど、それとは対極的な結果を招き破滅する人間が描かれることが多い。まさに「鬼」の詩そのものだ。
2 黒澤明との出会い
徴兵年齢になった橋本だったが、結核を患ってしまい療養所に入所する。医官からは「先は長くない。世の中に出たら2年、療養所にいたら3年」と言われ、ならここに居ても仕方ないと感じ、療養所を抜け出した。山の中で死を待つ生活から、一転して市井での日常生活を送ることとなった。
橋本は姫路にある海軍の管理工場に勤める傍ら、シナリオを執筆する。橋本の人生初のシナリオは『山の兵隊』だった。自身の療養生活を元にした、山奥の結核療養所での群像劇だ。
橋本自身はその出来をこう語る。
「(あらためて読んでみたら)つまらない。粗雑というか稚拙でね。いいかげんなホンなんだ。でも、びっくりしたのは、僕が読んでも『この人は見込みがある』と思えたんだ。何か非常に大きな興味を持たせるものがあるの。稚拙な出来損ないでもね、きらっと光るものがあるんだよ」
稚拙な素人作品ながらも、後の橋本節に通じてくるような重々しい場面描写やセリフがそこかしこに含まれていたのだ。まさに「鬼」に苛まれる人々の悲劇である。
橋本は伊丹万作に師事していた。橋本は書いたシナリオを伊丹に送りつけ、それを伊丹が批評し指導するという生活が続いていた。
伊丹が結核で死去すると、伊丹と長く交流のあった佐伯清がシナリオを見るようになった。
その佐伯と仲が良かったのが、黒澤明だ。戦中の43年に「姿三四郎』で監督デビューすると、戦後には『素晴らしき日曜日』『酔いどれ天使』といった話題作を連発、日本映画を代表する気鋭の監督として評価を固めていた。この時期は、労働争議に揺れる古巣・東宝を離れ、フリーの立場で作品を撮っていた。
橋本は佐伯に黒澤への脚本を託した。そして半年から1年ぐらい経ったある日、手紙が届いた。それは橋本が書いた『雌雄』を、黒澤が次回作品として映画化するという内容だった。
橋本の人生が、大きく動き出す。
3 職業脚本家へ
雌雄は芥川龍之介の『藪の中』をもとにしたシナリオだったが、最終的に同じ芥川龍之介の小説『羅生門』と合体させた脚本となり、『羅生門』として1950年8月に公開された。脚本のクレジットは、黒澤と橋本の連名である。つまり、橋本はプロの脚本家としてデビューした、ということになる。
翌51年、『羅生門』はヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。日本映画では初めての海外の主要映画祭における最高賞受賞だった。この受賞により黒澤明は「世界のクロサワ」と称されるようになる。また、登場人物たちの証言に食い違いが生じる物語構成は「羅生門スタイル」と呼ばれ、新たな脚本技法として世界的に広がった。
51年、橋本は工場を退社して職業脚本家の道へ進むこととなる。単身で上京し、黒澤邸に近い祖師谷で下宿を始めた。
黒澤は52年に『生きる』、54年に『七人の侍』という2本の代表作を続けて撮り、「巨匠」としての名声を確かなものにしていく。
両作品はいずれも、「黒澤の功績」として語られ、「黒澤の作家性」のみで評される風潮がある。だが、双方の脚本を書いた橋本からすると、当時も今も、そのことに不満があったようだ。
インタビューでも、次のようなことを何度も言っている。
「一番大事なことは、『羅生門』『生きる』『七人の侍』というのは、僕が先行して書いているんだ。共同脚本といえども、みんなで一緒に書いたものじゃないよ。そして、先行作品というのは――正直言うと先行して書いたその人の作品だと思う。だから、『羅生門』『生きる』『七人の侍』というのは、僕がいて初めて成立した作品。僕の作品なんだ」
橋本、黒澤、小國英雄の三者の説を総合して割り出すと、『羅生門』はまだしも、『生きる』『七人の侍』はいずれも黒澤の発案がスタートである。そのため、橋本が「僕の作品」と言い切るのは、さすがに言い過ぎだ。
一方、『羅生門』を含めて3本全てで橋本が「先行」して書いてきたことも事実であり、橋本が主張するように「僕がいなければ成り立たない作品」であることも確かだ。
それだけ橋本の功績は大きかったにもかかわらず、全ての賞賛が黒澤へ向かい、当時は誰も橋本の存在に見向きもしなかった――。それが橋本の認識だった。
そして、その想いが後の黒澤との関係、そして橋本の脚本家としてのスタンスに大きく影響していくことになる。
4 脱黒澤明
「『七人の侍』を書き終えて、僕は黒澤明から解放された。あの時はそう思った」
「映画史上最高の名作」と絶賛された超大作、七人の侍を終え、橋本は「黒澤とはやり尽くした」という思いを抱いていた。橋本は黒澤との日々を「ものを書くことが辛くてならなかった」と回想している。同時に、巨匠黒澤明に徹底的に鍛え抜かれた結果、「これからの自分にはどんなものでも書ける」という自信を得ていた。それは己の運と才能から来る自負でもあった。
同時に、橋本は自身の存在が映画界やジャーナリズムに軽視されているという意識も抱いていた。
「大事なのは、あれだけの仕事をしたのに誰も僕の存在を知らなかったってことなんだ。『羅生門』『生きる』『七人の侍』。後に黒澤の代表作といわれる3本の脚本を書いたけど、橋本忍を認める者は誰一人いなかったということなんだ――黒澤明を除いてね。僕がどれほどの実力を持ってるかを知ってるのは黒澤明だけで、それ以外の者は誰も知らなかった。それどころか、存在すら知ってなかったというのが実情なんだよ」
橋本は、これから「黒澤のための脚本作り」ではなく「自分自身のための脚本作り」をすると心に決めた。
そんな中橋本は、56年の『真昼の暗黒』のヒットによって、脚本家としての知名度を一気に高める。ぽっと出の無名のライターだと思っていたが、実は『羅生門』も『七人』もやっていた――そんな認識が世間に広がっていった。
その後1960年代、40代前半から50代後半にかけての橋本は、「スター脚本家」として快進撃を続けた。61年『ゼロの焦点』、62年「切腹」、65年『侍」、66年『白い巨塔』、67年『日本のいちばん長い日』、68年『首』、69年『風林火山』――。作品規模の大小やジャンルを問わず、名作、問題作、大ヒット作を毎年のように生み出し、映画界に比類なき立場を確立していた。
5 エンタメ精神
橋本は時代劇や司法、国家権力の横暴を暴く作品で名を馳せたため、左翼的なイデオロギーの持ち主と思われがちだったが、実は真逆で、その執筆の動機の核には俗なるものがあった。
その象徴といえるのが、シナリオを書く際の決め手としている「3ヵ条」である。橋本は、「これを原作・題材にシナリオを書こう」と決める際、次の3つを判断基準にしているという。それは「いくら稼げるか」「面白いかどうか」「名声が得られるか」だ。
まず、「稼げる」。これは職業として脚本家をしている者なら、誰でも当然のことだが、「作家」としての体裁が悪くなるので、それを明言することはあまりない。だが、橋本は堂々と言い切る。
「お金は非常に大きなファクターだよ。だから今だったら、なってみたってしょうがないと思うだろうね。収入がサラリーマンと変わらない。それどころか、いい会社入ったらサラリーマンのほうがいいだろうからね」
そして、面白いかどうかについては、次の通り述べている。
「その時代、時代によって、自分が面白いってものを書いてきたんだよ。だから、ある時には『真昼の暗黒』みたいな共産党が書いたようなものになるわけだし、それが『白い巨塔』になったら正反対の、権力を求める人間の話になるし、『切腹』になったらまた違う。やっぱりその時代、時代にとって、自分が一番面白いというものを書いてきたんじゃないかね。
だから、自分が面白いと思うものでないと、なんか書けないんだね。字を書く商売だから、何でも書けそうな気がするけど、じつはそうでなくて、自分が面白いと思うものしか書けないと。その面白さというものの内容や感じが、時代、時代によって違うんじゃないかね」
6 橋本流脚本術
橋本は、デビュー作『羅生門』を書くにあたり、芥川の原作「藪の中」に向き合った。その時の心境を次のように記している。
「読むときにすでに、作品の生血を嗅ぎながら読み進んでいる」
「自分が欲しいのはもっと底光りがする赤黒い血だ」(『複眼の映像』)
橋本にとって原作とは、生血を絞り出すための獲物でしかなかったのである。だからこそ、『侍』のように、原作と全く正反対の結末を迎えることも出てくる。
「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生血を吸っているわけだよな、僕の脚本は。人の生血吸うようなやり方しているから、いろいろ作品のバリエーションがついたんじゃないの」
「原作物をやる場合の基本だけどね、どんな小説でも百%完全なものというのはありえないんだよ。何らかの方向を目指してるんだけども、そこまで行かずに止まってるものが多いんだよね。だから、これは全て捨てたってかまわない。こっちから『こう行きたい』というものを探しあてて、それを捕まえるってことが大事なんだ。(略)原作は何を目指していたのか、それを捕まえて、それを伸ばしていくことが、バトンを受け継ぐ者の仕事じゃないかな。原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ」
橋本はドラマを動かすスキルについて「腕力」という言葉を使っていた。そしてその腕力は、書く文字数を積み重ねる事で鍛えられる。筋トレのように、物理的な耐久力とフィジカル面の強さを身につけるのだ。
地道な特訓の果てに、橋本独特の粘っこい筆致や緻密なドラマ構成や迫力あるセリフ回しが生まれる。本当の腕力がないと、手や指に疲れが出て、書くことが億劫になってしまう。そうなると、書き方も内容も粘りがきかなくなり、雑なものになってしまう。「書く」ということを物理的に徹底して鍛えたからこそ、橋本はどこまでも粘っこく表現をすることができたのだ。
どのような構成にすれば作品は上手くいくか。作品ごとにその手法を選択する橋本の能力は天才的だった――と、橋本の弟子である中島丈博は言う。
「とにかく構成の勘所が本能的に出てくるのが凄い。『大体このあたりにこういう芝居がないといけないね』とか言うんですよ。『このあたりにはこういうセリフが必要。大体このあたりはこういう山場の芝居を仕掛けて』とかみたいな、大きな掴まえどころをポンポンと、大ざっぱなハコの段階で言うわけですよ。『えーっ!』と驚きましたね。そういう直観は体験から来るのかもしれないし才能かもしれない。でも、とにかく直観的な勘所が凄いなと思いました」
7 プロダクション設立
『砂の器』において、橋本忍は脚本家であると同時に、製作した橋本プロダクションの社長でもあった。
橋本がプロダクションを設立する少し前、1970年代初頭の日本映画界は壊滅的な状況にあった。60年代に入る頃から観客動員は低落傾向に陥り、製作本数が激減していく。71年には『羅生門』も作った大映が倒産、日活は経営規模を大幅に縮小し、東宝は制作部門を別会社として切り離す。そして、黒澤明が自殺未遂をしている。
そうした暗澹たる日本映画界にあっても、大作映画をヒットさせ続けていた橋本は、別格の存在となっていたのだ。大手が頼りない状況下で思うような映画作りを続けるためには、独立プロを設立した方がいい。
プロダクション設立は大きな壁だったが、砂の器が当たる自信があったかは、橋本自身「分からない」と言っている。
「じゃあ、それを作る僕に、当たる自信があったか。実は、何もないよ、そんなもの。やってみなきゃ、わからん。だけども、僕が『やってみなきゃわからん』なんて言ったら、誰もそんなの乗らないよ。だから、いつも強いことを言っていたけど、本人としてもやってみなきゃわからなかったんだよ」
橋本は「やってみなきゃわからない」から「やらない」とはならなかった。むしろ、「わからない」からこそ、燃えた。なぜなら橋本は「映画の賭博者」だから。先がわからないこそ、賭ける価値がある。それが橋本の根源にあるのだ。プロダクション設立の背景には、橋本らしいギャンブラ一精神もあったということだ。もちろん、ギャンブラーらしく「大きく儲ける」ことを最重要事項に置くことも忘れてはいない。
橋本「映画は賭けである。全くの賭けではなくても、賭け的要素がかなり強い。それを克服する気力と準備がない場合には、逆にいえば損得を考えては作れるものではない」
橋本忍が立て続けにヒット作を生み出し続けることができたのは、作家としての才能ももちろんある。だが、製作・配給・興行という全ての状況を徹底的に分析し、それに基づいて先を予測し、その結果に応じて作品を提供してきたことも大きかった。
8 停滞と終焉
だがその後、『八つ墓村』『幻の湖』『愛の陽炎』『旅路』と作品を作るも、いずれも興行的に失敗し、橋本プロダクションの作品は『旅路』で最後となった。86年を最後に、橋本は映画製作の最前線から姿を消したのだ。
このことについて、映画の不入りが続いたために「干された」という見方もあるだろう。橋本の作風が時代に合わなくなってきたことも確かだ。
ただ、橋本がこの時点で70歳になろうとしていることを忘れてはならない。若い頃から身体が強くなく、その後に何度も大病を患ってきた橋本が、この歳になって第一線を退くのは、むしろ当然のことといえる。妻の看護のこともある。
プロダクション創設以降、橋本はある葛藤を抱えていたという。
「橋本プロで製作する映画の脚本は橋本忍で、これがまァ売り物だから、他の映画会社や独立プロの脚本には手をつけられないし、他の所も単独の脚本依頼の持ち込みは次第に遠慮し、食い物は全部自家生産……自分で作るより仕方がなくなったのだ。数ある候補のメニューから食欲をそそる、面白くなりそうなものに舌なめずりし、請われるままに鉛筆一本で渡り歩く、渡世人のあの無責任や気楽さがなくなってしまったのである」
プロダクションを作り、さらにそこで映画を立て続けにヒットさせたことで、橋本はいつしか「実業家」になってしまった。そのために、映画化が決まる前から思いのままにシナリオを書いた、「切腹」の頃のような自由を失っていた。
こうした鬱屈を抱えた橋本は、生涯で最大の賭けに出る。「自分自身のシナリオ」を取り戻すために、最も敬愛する歴史上の人物、織田信長を使った超大作『鉄砲とキリスト』を作ろうとしたのだ。
だが、制作費が途中で膨れ上がり、70億との試算が出た。そこで敢え無く制作中止の判断を下した。
「鉄砲とキリスト」にとん挫した後、橋本はシナリオの執筆ができなくなる。
十年来のアルツハイマー病を患っていた妻・松子の看病がまずあり、自身も91年には右腎臓摘出、93年には肝膿症にかかり、自宅療養をせざるをえなくなったのだ。
映画製作どころか脚本執筆もままならなくなったことで、橋本はプロダクションの事務所も畳むことにした。
「『鉄砲とキリスト』を書いて、もう脚本を書かないと思った。それは体の問題なんだ」
だがその後、88歳で黒澤明との日々を綴ったノンフィクション『複眼の映像』を刊行する。そして90歳となった2008年には、自身でシナリオを書き足した『私は貝になりたい』のリメイク映画が公開された。
2018年7月19日、橋本は自宅で死去し、100歳の生涯を終えた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2023年初版。一つの時代を作った脚本家。一時期、感銘を受けた作品はほぼ橋本忍脚本でした。この本を読んで、橋本忍さんのイメージが少し変わりました。もっと作家的な方だと思っていたのですが、ビジネスマンの要素・プロデューサーとしての要素の強い方。優れた能力を持った方だと知りました。私的には「砂の器」の父子の二人旅のシーン、日本の四季が美しい。バックに流れる音楽も素晴らしい。もっと素晴らしい作品を残して頂けたらと思いました。
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伝説すぎた…!
面白いエピソードが載っていて、親しみを感じれる。
橋本忍、すごいんだな、ってだけの認識がガラリと変わった。
才能だけじゃないのはわかってる、努力もしてきたんだろうなとも思ってた。でもそれ軽かった。
ほんっとにすごかったんだな。っていうのを改めて。 -
最近、昭和30〜40年代の日本映画を追いかけている。橋本忍の作品もいくつか観たが、力作揃いだった。この本が話題になると、さらに回顧上映の機会が増えるだろう。楽しみである。
「八甲田山」「幻の湖」の舞台裏を興味深く読んだ。 -
レビューをnoteに投稿しています。 https://note.com/charlieinthefog/n/n723af68a22d7
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映画は原作に忠実であっては、面白味に欠ける
だから、脚本家の腕が必要である。
とはいえ、原作 しかりであろう
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厚い取材に基づいて、橋本忍の生涯が浮かび上がる好著。
今、議論されている原作者と脚本家の関係のもつれの根源が垣間見える。
天才、脚本家に深い敬意を払いつつ、失敗や限界が描かれていて、そこが一番、面白かった。 -
間違いのない大作を書く大御所、の印象があった橋本忍。それはそうなのだが、思いもよらないギャンブラーなお人柄、脚本職人のような一面がある反面、作品全体を予算取りから興行面から大きな俯瞰の目で眺め当たり外れを見当する山師のような面もある、たいへん人間臭く魅力的な人物であった。「砂の器」を中心としてノリに乗っている時期の仕事量、質、勢い、読んでいても圧倒される。そこから「幻の湖」に至っての空回り、周囲との噛み合わなさなどは、辛い内容だ。だが最晩年の果てまで筆者は追ってくれる。そこには命を削って最後の瞬間まで書き続ける執念の姿があり、とんでもない一映画人の一代記を読み終えた読後感に包まれた。以下は印象に残った言葉。
「強いて狙いらしいものといえば、人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」「そしたら藤本は『喜八はだめだ』って言う。『どうして』って言ったら、『喜八は行書の字を書く』っていうんだ、『これ(「日本のいちばん長い日」)は惜書の字を書く奴じゃなきゃ撮れない』って言うのね」「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生血を吸っているわけだよな、僕の脚本は」「自身は映画を思う存分に作れていた時期なので、その現状に満足だけしていれば業界全体のことなどはどうでもよくなりそうなものだが、橋本はそうではなかった。現状の問題点を鋭く読み取り、鐘を鳴らし続けていた」「ただ喰っていくだけのことなら、そんなミジメたらしい努力をする必要はなく、他の仕事に変ればいい。橋本プロは大きく儲けなければ存在の意味がない。自分が肥らないと、作品も肥らない」「自然は征服できるものではなく、なんとか人間はそれと折り合いをつけ、生きるための妥協点を勇気をもって求める…人間と自然…それが『八甲田山』の企画意図であり、この映画のテーマである」「プロダクションの利潤の70%までは分を付けている人たちに払ってしまう。資本蓄積を行い、それを次の映画製作の資金に充てるなどをしては一番いけない。人間は半飢餓状態の時が体がいちばんよく動くし、知恵も出てくる」 -
橋本忍先生の作品はほぼ見ている。だから映画の裏側(特に、八つ墓村、人間革命、幻の湖!!)を知れるだけでも、もちろん面白いのだが。。なんといっても想像以上のビジネス本でもあり、最高。何度も読み返したい。
幻の湖が橋本忍が天才すぎての作品かと思っていたけど、ビジネス視点で作られてる、、とは。たしかに走るシーンが長いのは「砂の器」のラストと同じだとは思ったけど。
例えば、こんなセリフがあるんです。すごい面白い!
「大きな会社で大量生産方式がとれたのは、他の娯楽産業がまだ伸びない時代、もう一つは全部手 仕事であるにもかかわらず人件費が極端に安い時代、この二つの条件の下にしか成り立たない産業 なのである」
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面白くて、500ページ近い大著を一気読みした。
生前の橋本忍自身にも計9回/20時間に及ぶインタビューを行い、周辺取材・調査を重ね、完成までに10年以上を費やした労作・力作である。
橋本忍には『複眼の映像』という、黒澤明作品の思い出を中心に綴った回顧録がある(同書の拙レビューはこちら→ https://booklog.jp/users/gethigh316/archives/1/4167773546)
『鬼の筆』は『複眼の映像』を主要參考文献としつつ、その中にある橋本の錯覚や“話を盛ってる”部分まで、詳細に検証して明らかにしている。
そのことが象徴するとおり、橋本忍の言葉を鵜呑みにするのではなく、他の証言などと比較検証して真実を浮き彫りにしていく手際が鮮やかである。
戦後日本の代表的脚本家の全体像に迫ったという意味では、『昭和の劇――映画脚本家笠原和夫』の類書だが、同書と甲乙つけ難い面白さだ。 -
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春日太一さんの12年間に及び橋本忍というストーリーテーラーに春日太一が苦心して対峙していく様子が痛いほど感じられる大著。
後追いで橋本忍脚本映画を観てきた自分には浅い映画歴にどんどん線が引かれていく感覚で一日で500頁級の本書を読み切りました。
ただ読後感として、映画脚本・ビジネスマン両面の才能に恵まれた人物の栄光と挫折ではまとまらない、描かれていない余白があるのではないか、まだ橋本忍はわからないのではないかという感覚も残りました。
春日さんには迷惑な期待かもしれませんが『続・鬼の筆』というより『鬼の筆・ビヨンド』があるのではないかと読者としては期待せざるを得ないです。 -
【「全身脚本家」の生涯】「七人の侍」「砂の器」「八甲田山」など、歴史的名作の脚本家・橋本忍。生前に長期間取材をし、未公開資料を読み解いた決定的評伝。
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春日太一さんの本、久々に読んだけど面白かった!
改めて橋本忍の凄さを痛感させられながらも、大枠の話なので各映画の詳細を知りたい場合には向かないかも。
砂の器に取り憑かれてくところや、ギャンブル的な人生なところも面白い。 -
とても面白かった。
橋本忍という脚本家の名前は何度も何度も目にしていたが、その方の評伝を読む日が来るとは思ってなかった。
ご本人が生き生きと蘇ってくるような書きぶりだった。
数々の残された作品をまた見たくなる。見たことのない作品はもちろんのこと。 -
『幻の湖』を見てからでないと読めないと思いしばらく積んでいた。数々の名作を生み出した橋本がなぜあんな珍作を撮ったのか不思議でならなかった。丁寧な取材に基づく深い考察で『幻の湖』がいかにして生まれたのかが解き明かされる。ここが一番読み応えがあった。
-
「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」から「私は貝になりたい」「砂の器」等など、大いに楽しませて貰ったその作品群から、この偉大な脚本家の創作の秘密、裏話などが知れれば、との興味から本書を取ったが、没後ご家族から提供された生原稿やノートに加え晩年の直接インタビューも含めて膨大な資料から整理、検証された本書の内容は非常に興味深く面白かった。
優れたシナリオライターであるだけでなく、映画が当たる当たらない要因もきちんと分析して企画に反映したり採算も計算したりのプロデューサー的能力も高かった事、日本映画界旧来のやり方に危機感を持って橋本プロダクションを作ってプロダクション制に移行していった先見性などの面でも優れた能力の持ち主であった事も知る事が出来た。
世界的にも評価の高い黒澤作品では、監督ばかりが評価されている事への不満も口にしていたとか競輪狂であったなどその人間性も垣間見えて興味深かった。 -
目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章~『羅生門』
三 明の章~『生きる』『七人の侍』
四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章~『人間革命』
九 雪の章~『八甲田山』
十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧 -
しっかりとビジネスマンである面とかも含めて
とんでもない人物がいたんだなぁ、と思わずにはいられない。
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