鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折

  • 文藝春秋 (2023年11月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (480ページ) / ISBN・EAN: 9784163917009

作品紹介・あらすじ

”全身脚本家”驚愕の真実!
『羅生門』、『七人の侍』、『私は貝になりたい』、『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』、『八つ墓村』、『幻の湖』など、歴史的傑作、怪作のシナリオを生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍の決定版評伝。
著者が生前に行った十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から託された膨大な資料をもとに、その破天荒な映画人の「真実」に迫る。全480ページ。第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作

目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章~『羅生門』
三 明の章~『生きる』『七人の侍』
四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章~『人間革命』
九 雪の章~『八甲田山』
十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧

みんなの感想まとめ

日本の映画界に多大な影響を与えた脚本家の生涯とその作品の裏側に迫る評伝は、彼の創作活動や人間性を深く掘り下げています。著者は、膨大な資料やインタビューを通じて、橋本忍の才能だけでなく、ビジネスマンとし...

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    『七人の侍』『私は貝になりたい』『白い巨塔』『日本沈没』『砂の器』――。これら映画史に名を刻む作品は、全てある男が脚本、監督に携わっている。それが橋本忍だ。
    本書『鬼の筆』は、映画脚本家・橋本忍の創作活動や映画作りへの情熱を深く掘り下げた一冊だ。橋本が生涯に渡って携わってきた作品の全てに関して、橋本自身へのインタビューや当時の映画雑誌等の記載を掘り起こしながら、作品の製作背景と、脚本家としての哲学や信念を表していく本となっている。

    本書がユニークなのは、検証書の体になっているところだ。橋本は『複眼の映像』という自伝を著し、自身と黒澤明との関係を詳細に記しているが、筆者は過去の『日本映画』や『キネマ旬報』の記事、橋本自身へのインタビューを並べて、『複眼の映像』の事実検証を行っている。そして検証してみた結果、どうやら『複眼の映像』の内容と事実には大きな食い違いが生まれているらしい。黒澤、橋本、小國英雄(橋本と同じく黒澤に脚本を提供していた人物)ともに、言っていることが微妙に異なっている。こうした証言の食い違いは、「あの作品は本当は私が先行して作ったんだ」という認識の違いとなって現れていくのだが、これが後の黒澤との関係や、橋本自身の脚本家としてのスタンスに大きく影響を与えていく。

    橋本忍は、言うまでもなくとんでもない才能の持ち主だ。作品の完成度はもちろん、特筆すべきはその執筆量と筆の早さだ。『切腹』の脚本はわずか11日で書いたというのだから、紛れもない化け物である。
    だが、その裏には非常に俗っぽい性格が隠れている。『日本のいちばん長い日』は、その時大ハマリしていた競輪で金をすったから、仕方なく仕事を受けたという。そしてこの競輪の経験から、「映画は賭けである」という思いに至り、量産型の映画とは違う企画を次々と打ち出していく。

    橋本は非常に社会的なテーマを扱うため、硬派な映画作りをするような人物に見える。黒澤明と分かれた後の『真昼の暗黒』は、裁判の不正によって冤罪者が死刑宣告をされる物語であり、『私は貝になりたい』は、散髪屋が赤紙による召集を受けて兵役に行き、上官からの命令で捕虜を殺すものの、戦後軍事裁判にかけられ死刑になる話である。なんとも左翼的なイデオロギーを抱えていそうな印象だ。
    だが、作り手としての橋本は、実際には俗っぽさ、つまり「エンタメ重視」で作品を組み立てていたという。
    橋本「僕はいろいろな新聞記者に聞かれたりした時は『国家機構がどうの』『裁判機構がどうのこうの』『刑事訴訟法と新刑事訴訟法の違いがどうのこうの』いろいろ言ったよ。でも、本当は(真昼の暗黒は)『四倍泣けます、母もの映画』で作っていたんだ」
    「(私は貝になりたいでは)相変わらず戦争をしなきゃ生きていけない人間の愚かさを描きたかった――。たしか、当時はそんなことを言っていた気がするね。でも、そんなことじゃないんだよ。僕が狙ったのは、『真昼の暗黒』と同じ。つまり『四倍泣けます、母もの映画』だよ」
    実は、家族ドラマで視聴者を泣かせることに主眼を置いており、裁判や戦犯もあくまで舞台装置の一つに過ぎない、というのだ。

    橋本は、その硬い脚本からは想像がつかないほど、観客を楽しませることに重きを置く人物なのだ。橋本は面白さのためなら展開を原作から大きく曲げていく。緻密なトリックが必要なミステリードラマが展開されていたかと思えば、急にキャラクターの激情を描く。橋本は時として、キャラクターに理屈を超えた行動を取らせるときがあるのだ。
    そのスキルを橋本は「腕力」と称している。
    「そう、腕力ということが、シナリオを書く上に大変重要なんです。ある人物がまっすぐ歩いて行く。作者がその後にくっついて行くだけなら簡単です。しかし時には作者がこの人物に命令して、こっちへ進ませたりあっちへ曲げたりしなければならない。腕力がないと、人物を自分の目的方向に曲げた場合にあざとく見える。自然に見せるためには腕力が必要」
    観るものが矛盾点を気にしなくなるほど強力な腕力でねじ伏せ、そして感動させる。これが橋本流脚本術なのだ。

    ――「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴がいる。でも橋本お前はどちらでもない。腕で書いている。腕力の強さでいうと、日本でお前にかなう者はいない。普通で成立し得ないシチュエーションを作る。それを腕っぷしの強さで強引に持っていく。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るように本を書くのが基本だ。が、お前は春だと思ったら、一遍に冬へ行くし、冬だと思ったら秋に戻る。そういうことを平気で書く。それは本来は無理なんだが、お前だけは腕っぷしだけで成立させているんだ。それは小國さんの言ったとおりだと思うね」

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    0 まえがき
    戦後最大の脚本家、橋本忍。1950年代から70年代にかけて、橋本は脚本家として次々と名作を書き、多くの映画賞を受賞し、大ヒットもさせてきた。『羅生門』『生きる』『七人の侍』『真昼の暗黒』『張込み』『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『切腹』『白い巨塔』『上意討ち拝領妻始末』『日本のいちばん長い日』『人斬り』『人間革命』『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』――。

    人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、自分たちではどうにもならない圧倒的な力が無慈悲に打ち崩していく――。そうした、「鬼」たちによる容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、橋本はひたすら描いてきた。
    なぜ、そして、どのようにして、橋本はそのような「鬼」ばかりを描いてきたのか――。本書は、その全貌を解き明かそうとした一冊である。


    1 生野騒動
    橋本は兵庫県神崎郡市川町にある鶴居で育った。幼少期の橋本少年は、お婆ちゃんの聞かせる「生野騒動」という話が大好きだった。年貢半減を生野県庁に飲ませるために農民たちが一揆を起こし、首謀者たちが斬首される話である。
    祖母はいつも「昔話」をこう言って締めくくっていたという。
    「鶴居は大勢が殺されてのう。いや、昔から一揆をしたら首を斬られるが、願いの一部は聞いてもらえる。けど明治の政府は首を斬るだけで、願いは一切合切聞きやせん。先にいきゃいくほどムゴうなる、それがこの世じゃ」
    橋本の描くドラマは、全てこの生野騒動に根を張っている。橋本の脚本は、状況を打破せんと闘うほど、それとは対極的な結果を招き破滅する人間が描かれることが多い。まさに「鬼」の詩そのものだ。


    2 黒澤明との出会い
    徴兵年齢になった橋本だったが、結核を患ってしまい療養所に入所する。医官からは「先は長くない。世の中に出たら2年、療養所にいたら3年」と言われ、ならここに居ても仕方ないと感じ、療養所を抜け出した。山の中で死を待つ生活から、一転して市井での日常生活を送ることとなった。
    橋本は姫路にある海軍の管理工場に勤める傍ら、シナリオを執筆する。橋本の人生初のシナリオは『山の兵隊』だった。自身の療養生活を元にした、山奥の結核療養所での群像劇だ。
    橋本自身はその出来をこう語る。
    「(あらためて読んでみたら)つまらない。粗雑というか稚拙でね。いいかげんなホンなんだ。でも、びっくりしたのは、僕が読んでも『この人は見込みがある』と思えたんだ。何か非常に大きな興味を持たせるものがあるの。稚拙な出来損ないでもね、きらっと光るものがあるんだよ」
    稚拙な素人作品ながらも、後の橋本節に通じてくるような重々しい場面描写やセリフがそこかしこに含まれていたのだ。まさに「鬼」に苛まれる人々の悲劇である。

    橋本は伊丹万作に師事していた。橋本は書いたシナリオを伊丹に送りつけ、それを伊丹が批評し指導するという生活が続いていた。
    伊丹が結核で死去すると、伊丹と長く交流のあった佐伯清がシナリオを見るようになった。
    その佐伯と仲が良かったのが、黒澤明だ。戦中の43年に「姿三四郎』で監督デビューすると、戦後には『素晴らしき日曜日』『酔いどれ天使』といった話題作を連発、日本映画を代表する気鋭の監督として評価を固めていた。この時期は、労働争議に揺れる古巣・東宝を離れ、フリーの立場で作品を撮っていた。
    橋本は佐伯に黒澤への脚本を託した。そして半年から1年ぐらい経ったある日、手紙が届いた。それは橋本が書いた『雌雄』を、黒澤が次回作品として映画化するという内容だった。
    橋本の人生が、大きく動き出す。


    3 職業脚本家へ
    雌雄は芥川龍之介の『藪の中』をもとにしたシナリオだったが、最終的に同じ芥川龍之介の小説『羅生門』と合体させた脚本となり、『羅生門』として1950年8月に公開された。脚本のクレジットは、黒澤と橋本の連名である。つまり、橋本はプロの脚本家としてデビューした、ということになる。
    翌51年、『羅生門』はヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。日本映画では初めての海外の主要映画祭における最高賞受賞だった。この受賞により黒澤明は「世界のクロサワ」と称されるようになる。また、登場人物たちの証言に食い違いが生じる物語構成は「羅生門スタイル」と呼ばれ、新たな脚本技法として世界的に広がった。

    51年、橋本は工場を退社して職業脚本家の道へ進むこととなる。単身で上京し、黒澤邸に近い祖師谷で下宿を始めた。

    黒澤は52年に『生きる』、54年に『七人の侍』という2本の代表作を続けて撮り、「巨匠」としての名声を確かなものにしていく。
    両作品はいずれも、「黒澤の功績」として語られ、「黒澤の作家性」のみで評される風潮がある。だが、双方の脚本を書いた橋本からすると、当時も今も、そのことに不満があったようだ。
    インタビューでも、次のようなことを何度も言っている。
    「一番大事なことは、『羅生門』『生きる』『七人の侍』というのは、僕が先行して書いているんだ。共同脚本といえども、みんなで一緒に書いたものじゃないよ。そして、先行作品というのは――正直言うと先行して書いたその人の作品だと思う。だから、『羅生門』『生きる』『七人の侍』というのは、僕がいて初めて成立した作品。僕の作品なんだ」

    橋本、黒澤、小國英雄の三者の説を総合して割り出すと、『羅生門』はまだしも、『生きる』『七人の侍』はいずれも黒澤の発案がスタートである。そのため、橋本が「僕の作品」と言い切るのは、さすがに言い過ぎだ。
    一方、『羅生門』を含めて3本全てで橋本が「先行」して書いてきたことも事実であり、橋本が主張するように「僕がいなければ成り立たない作品」であることも確かだ。
    それだけ橋本の功績は大きかったにもかかわらず、全ての賞賛が黒澤へ向かい、当時は誰も橋本の存在に見向きもしなかった――。それが橋本の認識だった。
    そして、その想いが後の黒澤との関係、そして橋本の脚本家としてのスタンスに大きく影響していくことになる。


    4 脱黒澤明
    「『七人の侍』を書き終えて、僕は黒澤明から解放された。あの時はそう思った」
    「映画史上最高の名作」と絶賛された超大作、七人の侍を終え、橋本は「黒澤とはやり尽くした」という思いを抱いていた。橋本は黒澤との日々を「ものを書くことが辛くてならなかった」と回想している。同時に、巨匠黒澤明に徹底的に鍛え抜かれた結果、「これからの自分にはどんなものでも書ける」という自信を得ていた。それは己の運と才能から来る自負でもあった。

    同時に、橋本は自身の存在が映画界やジャーナリズムに軽視されているという意識も抱いていた。
    「大事なのは、あれだけの仕事をしたのに誰も僕の存在を知らなかったってことなんだ。『羅生門』『生きる』『七人の侍』。後に黒澤の代表作といわれる3本の脚本を書いたけど、橋本忍を認める者は誰一人いなかったということなんだ――黒澤明を除いてね。僕がどれほどの実力を持ってるかを知ってるのは黒澤明だけで、それ以外の者は誰も知らなかった。それどころか、存在すら知ってなかったというのが実情なんだよ」

    橋本は、これから「黒澤のための脚本作り」ではなく「自分自身のための脚本作り」をすると心に決めた。

    そんな中橋本は、56年の『真昼の暗黒』のヒットによって、脚本家としての知名度を一気に高める。ぽっと出の無名のライターだと思っていたが、実は『羅生門』も『七人』もやっていた――そんな認識が世間に広がっていった。

    その後1960年代、40代前半から50代後半にかけての橋本は、「スター脚本家」として快進撃を続けた。61年『ゼロの焦点』、62年「切腹」、65年『侍」、66年『白い巨塔』、67年『日本のいちばん長い日』、68年『首』、69年『風林火山』――。作品規模の大小やジャンルを問わず、名作、問題作、大ヒット作を毎年のように生み出し、映画界に比類なき立場を確立していた。


    5 エンタメ精神
    橋本は時代劇や司法、国家権力の横暴を暴く作品で名を馳せたため、左翼的なイデオロギーの持ち主と思われがちだったが、実は真逆で、その執筆の動機の核には俗なるものがあった。

    その象徴といえるのが、シナリオを書く際の決め手としている「3ヵ条」である。橋本は、「これを原作・題材にシナリオを書こう」と決める際、次の3つを判断基準にしているという。それは「いくら稼げるか」「面白いかどうか」「名声が得られるか」だ。

    まず、「稼げる」。これは職業として脚本家をしている者なら、誰でも当然のことだが、「作家」としての体裁が悪くなるので、それを明言することはあまりない。だが、橋本は堂々と言い切る。
    「お金は非常に大きなファクターだよ。だから今だったら、なってみたってしょうがないと思うだろうね。収入がサラリーマンと変わらない。それどころか、いい会社入ったらサラリーマンのほうがいいだろうからね」

    そして、面白いかどうかについては、次の通り述べている。
    「その時代、時代によって、自分が面白いってものを書いてきたんだよ。だから、ある時には『真昼の暗黒』みたいな共産党が書いたようなものになるわけだし、それが『白い巨塔』になったら正反対の、権力を求める人間の話になるし、『切腹』になったらまた違う。やっぱりその時代、時代にとって、自分が一番面白いというものを書いてきたんじゃないかね。
    だから、自分が面白いと思うものでないと、なんか書けないんだね。字を書く商売だから、何でも書けそうな気がするけど、じつはそうでなくて、自分が面白いと思うものしか書けないと。その面白さというものの内容や感じが、時代、時代によって違うんじゃないかね」


    6 橋本流脚本術
    橋本は、デビュー作『羅生門』を書くにあたり、芥川の原作「藪の中」に向き合った。その時の心境を次のように記している。
    「読むときにすでに、作品の生血を嗅ぎながら読み進んでいる」
    「自分が欲しいのはもっと底光りがする赤黒い血だ」(『複眼の映像』)
    橋本にとって原作とは、生血を絞り出すための獲物でしかなかったのである。だからこそ、『侍』のように、原作と全く正反対の結末を迎えることも出てくる。
    「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生血を吸っているわけだよな、僕の脚本は。人の生血吸うようなやり方しているから、いろいろ作品のバリエーションがついたんじゃないの」
    「原作物をやる場合の基本だけどね、どんな小説でも百%完全なものというのはありえないんだよ。何らかの方向を目指してるんだけども、そこまで行かずに止まってるものが多いんだよね。だから、これは全て捨てたってかまわない。こっちから『こう行きたい』というものを探しあてて、それを捕まえるってことが大事なんだ。(略)原作は何を目指していたのか、それを捕まえて、それを伸ばしていくことが、バトンを受け継ぐ者の仕事じゃないかな。原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ」

    橋本はドラマを動かすスキルについて「腕力」という言葉を使っていた。そしてその腕力は、書く文字数を積み重ねる事で鍛えられる。筋トレのように、物理的な耐久力とフィジカル面の強さを身につけるのだ。
    地道な特訓の果てに、橋本独特の粘っこい筆致や緻密なドラマ構成や迫力あるセリフ回しが生まれる。本当の腕力がないと、手や指に疲れが出て、書くことが億劫になってしまう。そうなると、書き方も内容も粘りがきかなくなり、雑なものになってしまう。「書く」ということを物理的に徹底して鍛えたからこそ、橋本はどこまでも粘っこく表現をすることができたのだ。

    どのような構成にすれば作品は上手くいくか。作品ごとにその手法を選択する橋本の能力は天才的だった――と、橋本の弟子である中島丈博は言う。
    「とにかく構成の勘所が本能的に出てくるのが凄い。『大体このあたりにこういう芝居がないといけないね』とか言うんですよ。『このあたりにはこういうセリフが必要。大体このあたりはこういう山場の芝居を仕掛けて』とかみたいな、大きな掴まえどころをポンポンと、大ざっぱなハコの段階で言うわけですよ。『えーっ!』と驚きましたね。そういう直観は体験から来るのかもしれないし才能かもしれない。でも、とにかく直観的な勘所が凄いなと思いました」


    7 プロダクション設立
    『砂の器』において、橋本忍は脚本家であると同時に、製作した橋本プロダクションの社長でもあった。
    橋本がプロダクションを設立する少し前、1970年代初頭の日本映画界は壊滅的な状況にあった。60年代に入る頃から観客動員は低落傾向に陥り、製作本数が激減していく。71年には『羅生門』も作った大映が倒産、日活は経営規模を大幅に縮小し、東宝は制作部門を別会社として切り離す。そして、黒澤明が自殺未遂をしている。
    そうした暗澹たる日本映画界にあっても、大作映画をヒットさせ続けていた橋本は、別格の存在となっていたのだ。大手が頼りない状況下で思うような映画作りを続けるためには、独立プロを設立した方がいい。

    プロダクション設立は大きな壁だったが、砂の器が当たる自信があったかは、橋本自身「分からない」と言っている。
    「じゃあ、それを作る僕に、当たる自信があったか。実は、何もないよ、そんなもの。やってみなきゃ、わからん。だけども、僕が『やってみなきゃわからん』なんて言ったら、誰もそんなの乗らないよ。だから、いつも強いことを言っていたけど、本人としてもやってみなきゃわからなかったんだよ」
    橋本は「やってみなきゃわからない」から「やらない」とはならなかった。むしろ、「わからない」からこそ、燃えた。なぜなら橋本は「映画の賭博者」だから。先がわからないこそ、賭ける価値がある。それが橋本の根源にあるのだ。プロダクション設立の背景には、橋本らしいギャンブラ一精神もあったということだ。もちろん、ギャンブラーらしく「大きく儲ける」ことを最重要事項に置くことも忘れてはいない。

    橋本「映画は賭けである。全くの賭けではなくても、賭け的要素がかなり強い。それを克服する気力と準備がない場合には、逆にいえば損得を考えては作れるものではない」

    橋本忍が立て続けにヒット作を生み出し続けることができたのは、作家としての才能ももちろんある。だが、製作・配給・興行という全ての状況を徹底的に分析し、それに基づいて先を予測し、その結果に応じて作品を提供してきたことも大きかった。


    8 停滞と終焉
    だがその後、『八つ墓村』『幻の湖』『愛の陽炎』『旅路』と作品を作るも、いずれも興行的に失敗し、橋本プロダクションの作品は『旅路』で最後となった。86年を最後に、橋本は映画製作の最前線から姿を消したのだ。
    このことについて、映画の不入りが続いたために「干された」という見方もあるだろう。橋本の作風が時代に合わなくなってきたことも確かだ。
    ただ、橋本がこの時点で70歳になろうとしていることを忘れてはならない。若い頃から身体が強くなく、その後に何度も大病を患ってきた橋本が、この歳になって第一線を退くのは、むしろ当然のことといえる。妻の看護のこともある。

    プロダクション創設以降、橋本はある葛藤を抱えていたという。
    「橋本プロで製作する映画の脚本は橋本忍で、これがまァ売り物だから、他の映画会社や独立プロの脚本には手をつけられないし、他の所も単独の脚本依頼の持ち込みは次第に遠慮し、食い物は全部自家生産……自分で作るより仕方がなくなったのだ。数ある候補のメニューから食欲をそそる、面白くなりそうなものに舌なめずりし、請われるままに鉛筆一本で渡り歩く、渡世人のあの無責任や気楽さがなくなってしまったのである」

    プロダクションを作り、さらにそこで映画を立て続けにヒットさせたことで、橋本はいつしか「実業家」になってしまった。そのために、映画化が決まる前から思いのままにシナリオを書いた、「切腹」の頃のような自由を失っていた。

    こうした鬱屈を抱えた橋本は、生涯で最大の賭けに出る。「自分自身のシナリオ」を取り戻すために、最も敬愛する歴史上の人物、織田信長を使った超大作『鉄砲とキリスト』を作ろうとしたのだ。
    だが、制作費が途中で膨れ上がり、70億との試算が出た。そこで敢え無く制作中止の判断を下した。

    「鉄砲とキリスト」にとん挫した後、橋本はシナリオの執筆ができなくなる。
    十年来のアルツハイマー病を患っていた妻・松子の看病がまずあり、自身も91年には右腎臓摘出、93年には肝膿症にかかり、自宅療養をせざるをえなくなったのだ。
    映画製作どころか脚本執筆もままならなくなったことで、橋本はプロダクションの事務所も畳むことにした。
    「『鉄砲とキリスト』を書いて、もう脚本を書かないと思った。それは体の問題なんだ」

    だがその後、88歳で黒澤明との日々を綴ったノンフィクション『複眼の映像』を刊行する。そして90歳となった2008年には、自身でシナリオを書き足した『私は貝になりたい』のリメイク映画が公開された。

    2018年7月19日、橋本は自宅で死去し、100歳の生涯を終えた。

  • 2023年初版。一つの時代を作った脚本家。一時期、感銘を受けた作品はほぼ橋本忍脚本でした。この本を読んで、橋本忍さんのイメージが少し変わりました。もっと作家的な方だと思っていたのですが、ビジネスマンの要素・プロデューサーとしての要素の強い方。優れた能力を持った方だと知りました。私的には「砂の器」の父子の二人旅のシーン、日本の四季が美しい。バックに流れる音楽も素晴らしい。もっと素晴らしい作品を残して頂けたらと思いました。

  • 伝説すぎた…!
    面白いエピソードが載っていて、親しみを感じれる。
    橋本忍、すごいんだな、ってだけの認識がガラリと変わった。
    才能だけじゃないのはわかってる、努力もしてきたんだろうなとも思ってた。でもそれ軽かった。
    ほんっとにすごかったんだな。っていうのを改めて。

  • 最近、昭和30〜40年代の日本映画を追いかけている。橋本忍の作品もいくつか観たが、力作揃いだった。この本が話題になると、さらに回顧上映の機会が増えるだろう。楽しみである。

    「八甲田山」「幻の湖」の舞台裏を興味深く読んだ。

  • レビューをnoteに投稿しています。 https://note.com/charlieinthefog/n/n723af68a22d7

  • 映画は原作に忠実であっては、面白味に欠ける
    だから、脚本家の腕が必要である。
    とはいえ、原作 しかりであろう

  • 厚い取材に基づいて、橋本忍の生涯が浮かび上がる好著。

    今、議論されている原作者と脚本家の関係のもつれの根源が垣間見える。

    天才、脚本家に深い敬意を払いつつ、失敗や限界が描かれていて、そこが一番、面白かった。

  • 間違いのない大作を書く大御所、の印象があった橋本忍。それはそうなのだが、思いもよらないギャンブラーなお人柄、脚本職人のような一面がある反面、作品全体を予算取りから興行面から大きな俯瞰の目で眺め当たり外れを見当する山師のような面もある、たいへん人間臭く魅力的な人物であった。「砂の器」を中心としてノリに乗っている時期の仕事量、質、勢い、読んでいても圧倒される。そこから「幻の湖」に至っての空回り、周囲との噛み合わなさなどは、辛い内容だ。だが最晩年の果てまで筆者は追ってくれる。そこには命を削って最後の瞬間まで書き続ける執念の姿があり、とんでもない一映画人の一代記を読み終えた読後感に包まれた。以下は印象に残った言葉。
    「強いて狙いらしいものといえば、人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」「そしたら藤本は『喜八はだめだ』って言う。『どうして』って言ったら、『喜八は行書の字を書く』っていうんだ、『これ(「日本のいちばん長い日」)は惜書の字を書く奴じゃなきゃ撮れない』って言うのね」「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生血を吸っているわけだよな、僕の脚本は」「自身は映画を思う存分に作れていた時期なので、その現状に満足だけしていれば業界全体のことなどはどうでもよくなりそうなものだが、橋本はそうではなかった。現状の問題点を鋭く読み取り、鐘を鳴らし続けていた」「ただ喰っていくだけのことなら、そんなミジメたらしい努力をする必要はなく、他の仕事に変ればいい。橋本プロは大きく儲けなければ存在の意味がない。自分が肥らないと、作品も肥らない」「自然は征服できるものではなく、なんとか人間はそれと折り合いをつけ、生きるための妥協点を勇気をもって求める…人間と自然…それが『八甲田山』の企画意図であり、この映画のテーマである」「プロダクションの利潤の70%までは分を付けている人たちに払ってしまう。資本蓄積を行い、それを次の映画製作の資金に充てるなどをしては一番いけない。人間は半飢餓状態の時が体がいちばんよく動くし、知恵も出てくる」

  • 橋本忍先生の作品はほぼ見ている。だから映画の裏側(特に、八つ墓村、人間革命、幻の湖!!)を知れるだけでも、もちろん面白いのだが。。なんといっても想像以上のビジネス本でもあり、最高。何度も読み返したい。

    幻の湖が橋本忍が天才すぎての作品かと思っていたけど、ビジネス視点で作られてる、、とは。たしかに走るシーンが長いのは「砂の器」のラストと同じだとは思ったけど。

    例えば、こんなセリフがあるんです。すごい面白い!
    「大きな会社で大量生産方式がとれたのは、他の娯楽産業がまだ伸びない時代、もう一つは全部手 仕事であるにもかかわらず人件費が極端に安い時代、この二つの条件の下にしか成り立たない産業 なのである」

  • 面白くて、500ページ近い大著を一気読みした。

    生前の橋本忍自身にも計9回/20時間に及ぶインタビューを行い、周辺取材・調査を重ね、完成までに10年以上を費やした労作・力作である。

    橋本忍には『複眼の映像』という、黒澤明作品の思い出を中心に綴った回顧録がある(同書の拙レビューはこちら→ https://booklog.jp/users/gethigh316/archives/1/4167773546

    『鬼の筆』は『複眼の映像』を主要參考文献としつつ、その中にある橋本の錯覚や“話を盛ってる”部分まで、詳細に検証して明らかにしている。

    そのことが象徴するとおり、橋本忍の言葉を鵜呑みにするのではなく、他の証言などと比較検証して真実を浮き彫りにしていく手際が鮮やかである。

    戦後日本の代表的脚本家の全体像に迫ったという意味では、『昭和の劇――映画脚本家笠原和夫』の類書だが、同書と甲乙つけ難い面白さだ。

  • 春日太一さんの12年間に及び橋本忍というストーリーテーラーに春日太一が苦心して対峙していく様子が痛いほど感じられる大著。

    後追いで橋本忍脚本映画を観てきた自分には浅い映画歴にどんどん線が引かれていく感覚で一日で500頁級の本書を読み切りました。

    ただ読後感として、映画脚本・ビジネスマン両面の才能に恵まれた人物の栄光と挫折ではまとまらない、描かれていない余白があるのではないか、まだ橋本忍はわからないのではないかという感覚も残りました。

    春日さんには迷惑な期待かもしれませんが『続・鬼の筆』というより『鬼の筆・ビヨンド』があるのではないかと読者としては期待せざるを得ないです。

  • 【「全身脚本家」の生涯】「七人の侍」「砂の器」「八甲田山」など、歴史的名作の脚本家・橋本忍。生前に長期間取材をし、未公開資料を読み解いた決定的評伝。

  • 春日太一さんの本、久々に読んだけど面白かった!

    改めて橋本忍の凄さを痛感させられながらも、大枠の話なので各映画の詳細を知りたい場合には向かないかも。

    砂の器に取り憑かれてくところや、ギャンブル的な人生なところも面白い。

  •  人間は、生れて、生きて、死んで行く。その生きて行く間が人生である。
     人生とは何だらう。
     恰もそれは賽の河原の石積のようなものである。笑ったり泣いたりしながら、みんな、それぞれ自分の石を積んで行く。
     ところが、時々、自分たちの力ではどうしようもない鬼(災難その他)がやって来て、金棒で無慈悲にこの石を打ち崩す。
     表面的な涙だけではない。心の中が、いや、体全体までが涙で充満する。
     そして、嘆き悲しみながらも、また石を積み始める。その涙の底には、その人自身は気がつかないにしても、何かとても強い意志……生きて行こうとするなにものかが……不思議な程に強い生命力がある。
     もし、地球上のあらゆる生物が死滅したとしても、最後まで生き残るのは、人間ではなからうか。
     現実の社会は一見、ひどく複雑である。
     従って、その中に生きている人間までが複雑に見える。
     しかし、もっと人生を俯瞰的に見れば、いや、一人一人の心の中へ入り込んでみれば、案外、人間ほど素朴で、悲しく美しい、そして強いものはないように思える。
     その姿を的確に描き出すことが、「現代の詩」を生み出すことではなからうか。

     これは、脚本家・橋本忍が映画『南の風と波』(一九六一年、監督も橋本自身)の脚本を書くにあたり、創作ノートに記した文章だ。
     一九五〇年代から七〇年代にかけて、橋本忍は脚本家として次々と名作を書き、そして多くの映画賞を受賞し、大ヒットもさせてきた。
    『羅生門』『生きる』『七人の侍』『真昼の暗黒』『張込み』『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『切腹』『白い巨塔』『上意討ち 拝領妻始末』『日本のいちばん長い日』『人斬り』『人間革命』『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』――。
     名作と名高い作品が数多く並ぶ、その圧倒的なフィルモグラフィは、「戦後最大の脚本家」としても過言ではないだろう。
     そんな橋本の描いてきた世界を貫くドラマツルギーが見事に凝縮されているのが、冒頭の文章である。
     人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、自分たちではどうにもならない圧倒的な力が無慈悲に打ち崩していく――。そうした「鬼」たちによる容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、橋本はひたすら描いてきた。なにせ脚本家としてのデビュー作である『羅生門』からして、美しい妻と旅をしてきた武士が、盗賊に殺害される話だ。
     また、主だった現代劇を挙げるだけでも――。殺人犯として無実の罪を着せられる『真昼の暗黒』。人の好い理容師が、戦時中に上官の命令で犯した罪のために、戦後の軍事法廷で死刑になる『私は貝になりたい』。暗い過去をもち、苦労を重ねた者がようやく幸福を摑みかけたところで、事件捜査により全てを失う『張込み』『ゼロの焦点『砂の器』。一方的な逆恨みのために築いてきた栄光を失う『霧の旗』。自然の猛威の前に人々の営みが全て飲み込まれていく『日本沈没』。上層部の無謀な命令のために、史上最悪の山岳遭難事故が起きる『八甲田山』。
     時代劇においても、それは変わらない。『七人の侍』は野武士たちに蹂躙されてきた百姓たちの苦境から始まる。藩が取り潰されたことで貧困に陥り、そのために家族を失う『切腹』。心ならざる決闘に勝利したために「仇」として狙われる『仇討』。主君と主家の横暴に振り回される『上意討ち』。生き別れの父と知らず、暗殺してしまう『侍』。主人のために人を斬りまくった挙句、政治的な駆け引きの中で捨てられる『人斬り』。
     ほとんどの作品において橋本は、自分自身ではどうにもならない災厄により悲劇的な状況に陥る人間たちを描いてきたのだ。

     橋本が黒澤と距離を置くようになった理由は、まだある。黒澤に見出され、次々と傑作映画を黒澤と共に生み出した橋本だったが、そもそもの作家としての方向性は必ずしも合致していなかったのだ。両者をよく知る野上照代は、次のように指摘している。
    「二人の相性、何も合ってないですよ。橋本さんが初めは我慢してあげてたんでしょうけど、まあ黒澤さんに批判的ですよ。橋本さんは黒澤さんの作品にそんなに感心してないですよ」
     両者の方向性の違いを如実に示しているのが、好む「古典」の違いだ。黒澤が好むのはロシア文学やシェイクスピアといった、徹底した西洋志向である。『白痴』(ドストエフスキー)、『どん底』(ゴーリキー)、『蜘蛛巣城』(『マクベス』=シェイクスピア)、『乱』(リア王=シェイクスピア)と、西洋の古典文学を日本を舞台に翻案して映画化した作品も少なくない。
     一方の橋本はというと、五七年に黒澤の『蜘蛛巣城』のシナリオに参加する一方で、同年には『女殺し油地獄』(東宝、堀川弘通監督)、翌年には『夜の鼓』(松竹、今井正監督)と、単独では近松門左衛門の浄瑠璃作品を原作にした映画の脚色をしている。
     そして、橋本は圧倒的に後者に思い入れがあったという。
    「黒澤組でシェイクスピアのものをよくやってたわけだ。ところが、シェイクスピアの本というのは、そりゃ翻訳のせいもあるんだろうけど、読んでて面白くないんだよね。でも、近松はあれは全部面白いんだ。なに読んでも凄く面白い。
     だから、大きな存在だった。
     なにより、あのト書きの文章のうまさだね。なかなか調子いいんだよ。
     大阪の芝居小屋で近松は人形浄瑠璃を書いていたわけだけど、次から次から次へ書いていかなきゃ座の商売成り立たないから、もうやみくもに書いたんだろうけどね。でも全部、読み返してみると面白い。だから、シナリオを勉強している人たちにも『シェイクスピアなんか読んだって意味ない。近松を読め』って言ったんだよね」

    「私は最近自分の書くシナリオに、狙いとかテーマをそれほど重視しない。従ってこの作品についても、封建制の悲劇などは一切考えていない。時代を封建の徳川時代に持って行けば、そんなものは自然に出てくるのだ」(『キネマ旬報』六四年十月上旬秋の特別号)
     橋本の執筆姿勢は、ここでも貫かれている。あくまで「封建制の悲劇」は最初から狙ったものではなく、付随する結果なのだ。「理屈から入っては脚本は書けない」というスタンスはここでも徹底されていた。
     そして、この記事の最後に述べている言葉も見逃せない。
    「強いて狙いらしいものといえば、人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」
     これほど、橋本の執筆スタンスを如実に言い表した言葉はない。序章で述べたように、人の不幸を提示し続けたフィルモグラフィなのだから。人間の営みを理不尽につぶしていく「鬼」を求めたのは、観客自身でもあったのだ。
     本作における最後の仇討場の構造は、橋本ドラマの悲劇性とそれを喜ぶ観客――という構図そのものといえる。そうした下世話な大衆心理を理解して執筆に臨んでいたのである。
     ここまで述べてきて分かるように、橋本の執筆の動機の核には俗なるものがある。そして、当人は昔も今もそれを隠そうともしない。
     その象徴といえるのが、シナリオを書く際の決め手としている「三か条」である。橋本は、「これを原作・題材にシナリオを書こう」と決める際、次の三つを判断基準にしているという。それは「いくら稼げるか」「面白いかどうか」「名声が得られるか」だ。
     まず、「稼げる」。これは職業として脚本家をしている者なら、誰でも当然のことだが、「作家」としての体裁が悪くなるので、それを明言することはあまりない。だが、橋本は堂々と言い切る。
    「僕らの時代は、やっぱりお金に問題があった。それが、シナリオライターになれば非常に収入がいいわけだ。僕らの世代でシナリオライターになってるのは、みんなこんな大きな家が持てるんだ。今のシナリオライターだったらやっぱり小さなマンションに入るぐらいのことしかできないんじゃないのかな。
     お金は非常に大きなファクターだよ。だから今だったら、なってみたってしょうがないだろうと思うだろうね。収入がサラリーマンと変わらない。それどころか、いい会社に入ったらサラリーマンのほうがいいだろうからね」
     これは、晩年になってから言うようになった考えではない。実は、気鋭の脚本家だったころからそれとなく公言していた。たとえば、『女殺し油地獄』『夜の鼓』という二本の近松門左衛門の浄瑠璃を映画化した際には、次のように述べている。
    「まア、何れにもせよ今年は近松門左衛門氏のお蔭で二本も稼がせてもらったので、暇でも出来れば墓参りぐらいはしなきゃいけないと思っている」(『キネマ旬報』五七年八月上旬号)
     そして、「面白いかどうか」は、ここまで述べてきた『羅生門』『真昼の暗黒』『切腹』『仇討』の執筆動機が、まさにそれだといえる。
    「その時代、時代によって、自分が面白いってものを書いてきたんだよ。だから、ある時には、『真昼の暗黒』みたいな共産党が書いたようなものになるわけだし、それが『白い巨塔』になったら正反対の、権力を求める人間の話になるし、『切腹』になったらまた違う。やっぱりその時代、時代にとって、自分が一番面白いというものを書いてきたんじゃないかね。
     だから、自分が面白いと思うものでないと、なんか書けないんだね。字を書く商売だから、何でも書けそうな気がするけど、じつはそうでなくて、自分が面白くないものは、その場でもう立つのと同じで、自分が面白いと思うものしか書けないと、その面白さというものの内容や感じが時代、時代によって違うんじゃないかね。
     それは、僕に限らないんじゃないかな。一見すると、個性がないような作品でも、やってる本人からすると、自分にとってはそれが一番面白いからやっているんだよ。だから、シナリオは成立している。みんあ、口ではそう言わないかもしれないけどね。
     我々の仕事というのは、個の主張だからね。書く時に、他人の尺度は持ってこられないんだ。他人が何を面白がっているかというようなことはわからない。だから、自分が面白いと思うものをやるよりしょうがないんだ。でも、本当に『面白い』と思えるところまで、なかなか行けない。その『面白い』へ行く手前のところで止まってしまうんだ。そこはやっぱりどうしようもない。それは越えられない」
     その時代によって「面白い」と思う対象は変わる。橋本の選ぶ題材やジャンルの幅が広いのは、そうした橋本自身の「新鮮な興味」を次から次へと面白がろうという貪欲なスタンスがもたらしてきたものだったのだ。

     ここで再び、話を『日本のいちばん長い日』に戻す。『日本のいちばん長い日』は橋本や東宝の幹部たちの予想に反し、大ヒットとなった。自身で脚本を書いておきながら、橋本はそのことを不思議に思い続けていた。そして後日、「答え」を得る。それもまた、競輪が由来だった。
    「封切り後に九州の競輪の元締めみたいな人と話していたら、その人が『『日本のいちばん長い日』を見た。お客もたくさん入ってた。橋本さん、当たってよかったね』と言うからね、『どうして当たったのかよくわからないんだ』と返したら、『橋本さんともあろう方が、それはおかしいんじゃないか』と言うんだ。
     同じような題材だと『黎明八月十五日 終戦秘話』という東映のがあった。そして『日本敗れず』というのと新東宝がやっていたんだよね。特に『黎明八月十五日』は、最初は僕のところへ依頼が来た。だけどね、今さら八月十五日なんかやったってしょうがないっていうんで、僕はやらなかった。で、どちらもべタゴケ。だから、あの題材は当たるわけがないと僕は思ってたんだよね。
     ところが、その九州の人は日本で最初に競輪を始めた人なんだけど、それだけにやっぱり勝負勘というのが凄いんだ。『あのね、橋本さん。『日本敗れず』ってのはいつの映画だ』って聞くから、『昭和二十年だ』と。『黎明八月十五日』もそうなんだ。すろと、その人は『それから十年経ってる。つまり、こういうことなんだ――』って言う。
    『今、先の見えない時代に入った。橋本さん、車を運転してライトが故障したらどうする?』と聞くから、『そりゃもう、車を止めて降りて周りを見る』と言ったんだ。すると『周囲を見渡したとき、後ろの方に光るものがあったら必ずそっちを見るでしょう?』って。僕は『見る』。『それと同じだ。そこに当たる要素があったんだ』と言うんだよ。これは――賭けの哲学の理論なんだ。
     つまり、こういうことだ。先の見えない時代に入ったときには、人間は後ろを振り返る。『日本敗れず』や『黎明八月十五日』のときは、振り返るまでまだ年数が経ってなかった。今はもう十分に時間が経ったんだから、やれば入るに決まってるんだ――と、そう言われたの。
     それは、映画の当たり外れの中の、非常に大きな要素だなと思ったんだ。
     東宝も僕も『入らない』と思ったのは、その新東宝と東映のを見てるからなんだ。でも、宣伝部というのはそういうのを観ていないから、現場の勘で一週間前になって、『いや、これはひょっとしたら来るんじゃねえかな――』って気づいた。それが当たった。九州の競輪の人が言ったとおりで、当たるべき要素があったんだ。それは僕も気がつかなかった。
     つまり、映画のシナリオライターというものの一番基本は、自分の書いたものにどれだけ客が来るか来ないかっていうことなんだ。そこが勝負なのよ。みんなそうなの。口に出さないけどね。だから、そういう点で僕にとってすごくあれはよかった作品だと思う」

     六三年になり、事態が動く。橋本の父・徳治が死の病に倒れたのだ。故郷の鶴居に見舞いに行くと、その枕元には二冊の台本が置いてあったという。一冊は『切腹』、そしてもう一冊が『砂の器』だった。
    「お前の書いた本で読めるのはこの二冊だけだ。読んだ感じでは『切腹』のほうがはるかにホンの出来がいい。でも、好き嫌いから言ったら『砂の器』のほうが好きだ」と。そして最後にこう付け加えた。
    「忍よ、これは当たるよ」
     橋本は、父博才に惚れこんでおり、特に「当たる興行」を見抜く目を信頼していた。少年時代に目撃した、父とある座長との駆け引きは、忘れることができないという。
     その時、座長が売り込んできた演目は『忠臣蔵』だった。歌舞伎・講談・映画、さまざまな形式で上演され、そのたびに大衆を沸かせてきた国民的大人気の演目である。これを掛ければ動員を見込めるのは間違いない。
     座長は徳治に、得意気に語る。
    「これがどこでやっても大当たり。それを討ち入りまで全部通してやるんです。すると一日じゃできないから二日間やる。それでも、どこもかしこも小屋が割れるほど人が入るんですわ。今年はもう何も言わんと『忠臣蔵』一本で行ってください。その代わり、役者も揃えなきゃいけないし、衣装、小道具も金かかるから、仕込みは二割五分から三割高くなります。だけど、そんなもの問題じゃない。お客さえ来りゃいいんです」
     だが、しばらく黙って考え込んだ末に徳治の出した答えは、意外なものだった。
    「『忠臣蔵』はやっぱりやめとくわ」
    「え? どうしてでっか?」
    「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬って、どこが面白いんだ」
     その様子を見ていた当時の想いを、橋本はこう振り返っている。
    「僕は非常に感心したの。親父の考え方、正しいと思ったね」

     脚本家にとってセリフとは、丹精込めて生み出した魂の結晶ともいえる。まして橋本クラストもなると、それをひねり出すのに常人とは比べ物にならない力を入れている。だから、セリフを現場で監督や役者に変えられたり削られたりすることを脚本家かは嫌う。橋本も、いつもはそうだった。
     が、今回は違った。実は、「父子の旅」の場面は当初、二人を含めた登場人物達はセリフを喋っていた。が、編集するにあたり、映像と音楽が反発し合って生まれるであろう盛り上がりに、セリフは邪魔だと考えたのだ。そのため、橋本はそこでのセリフを全てカットした。映像に観客の神経を集中させたい。その一心によるものだった。
    「それはどうしてかというとね。人間が映像を見る場合には、画を見る光の速さがあり。それに比べて音の速さはかなり遅いんだよね。
     父子の旅の中に親子のセリフが入るとすると、観客はその意味を知ろうとする。その瞬間、解釈に気を取られて邪魔になって画が見れないの。しかもこれは圧縮されていて一つ一つが短いから、セリフを解釈しているうちに次の画面に行っちゃう。そうすると、画に没入できないんだよな。セリフを聴くたびに、見ている目の感覚が衰えるのよ。
     つまり、これは無声映画の一番いいとこを使ったんだ。映画というのは音を入れて必ずしもよくなるって僕は思わない。無声とトーキーの両方を知ってる者の立場から言ったらね、音を得たために映画がダメになってる部分が随分ある。だから無声映画ってのは非常に強い部分があった。それはなぜかってセリフがないから。画だけだからね。それを父子の旅に活かした。
     だから、セリフ全部取っちゃったんだ」
     ただ、それでも野村としては不安があったようで、セリフ有のバージョンも試してみたのだという。ちょうどそこに、橋本プロの次回作『八甲田山』の準備に来ていた森谷司郎監督も立ち合っていた。野村と共にセリフ有バージョンのフィルムを観た森谷は、編集室の橋本にこう言ったという。
    「やっぱり橋本さん、セリフ入れないって正解でしたよ」

    「原作物をやる場合の基本だけどね、どんな小説でも百%完全なものというのはありえないんだよ。何らかの方向を目指しているんだけども、そこまで行かずに止まっているものが多いんだよね。だから、これは全て捨てたってかまわない。こっちから『こう行きたい』というものを探しあてて、それを捕まえるってことが大事なんだ。
     だから、原作のとおりであるとか、ないとか、そんなことは問題じゃないんだ。原作には目指していたものがある。でも、そこに他の余計なものがくっつき過ぎてる。
     たとえば、清張さんも『砂の器』は父子の旅だけを書きたかったんだと思う。実際には三行だけしか書かなかったけどね。でも、そういう風に僕は解釈している。で、その清張さんが途中までしか行けなかったバトンを受け継いで前へ僕が走るんだから、ほかのとこは要らないんだ。
     原作は何を目指していたのか、それを捕まえて、それを伸ばしていくことが、バトンを受け継ぐ者の仕事じゃないかな。原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ」
     こうした橋本のスタンスは司馬遼太郎には受け入れてもらえず、抗議の手紙が届いた。一方で、清張は、橋本に次のように語ったという。
    「僕らは思いついたらすぐ書くから。連載の注文も多いし、つい引き受けてやる。だから頭で考えないんだよ。でも橋本さんの場合には、おしまいまで全部考えてやるでしょう。だから僕の原作を使って面白い映画になるんだと思う」
     こうして清張は橋本に最も生血を吸われる作家となり、そして多くの名作映画が生まれて行ったのだった。
     そして、『砂の器』においては、その「生血」の結晶が、まさに「父子の旅」だった。

    「先生のハコ書き(※構成表)はすごいですよ。
     最初はA4の倍くらいの紙に一シーンずつ鉛筆で書き並べていきます。一つのハコには、たとえば頭に『光子の部屋』といった場面設定と、大まかな芝居の内容や動き、セリフも書き込んでいく。
     それができたら、僕が大きな模造紙に拡大してマジックペンで書き写すわけです。模造紙を何枚も何枚も使って、ラストシーンまで全て書きます。
     なんでそんなことをするかと言ったら、ご自宅の仕事場にしても、定宿にしていた熱海の旅館にしても、二間続きの広い部屋だから、そこに廊下まではみ出すくらいパーッと順番に並べて、先生は歩きながら上から全体を見て回る。そうやって俯瞰しながら全体の流れを読んで、さらに細部を書き加えたり、『ここがおかしい』『ここはシーンが逆だね』『このシーンはカット』とか言われて、僕が鋏でシーンを切ったり貼り替えたりする。
     小さなハコをみても流れが分からない。大きなハコにして、ダイレクトに見ていくことによって流れがちゃんと掴める。おかしいいところ、停滞しているところは『こうしなきゃ』とすぐ分かるわけです。そういうことに時間をかけてずっとやっていくことで、最終的に完璧なハコになって、それを元にしてシナリオに取りかかるわけです。
     だから、本当に『構成の人』と言われるだけあって、そこはきちんとやられますね」

    「松本文学の基本は上滑りした理屈ではなく、自然の中にしか生棲しえない人間、つまり生きている人間が対象であり、その物語を強くし、より現実感を増すために、バックが効果的に使用される。従って、誰が犯人であるかなどといった謎ときや、あるいは犯人を追い詰めてゆく、プロセスの面白さなどは、ほとんど問題にならない。常に登場している主題の人物がどうなってゆくか、人間の運命が描かれる」(『松本清張全集 19』文藝春秋「解説」)
     謎解きやそのプロセスではなく、人間そのものを描く。そのために、橋本はあえて謎解きのパートを一気に飛ばして、その犯行に至る人間の「運命」を描くという構成にしたのだ。そしてこれは、後の『砂の器』の脚色でも使われる手法だ。
     この、時系列を大きく飛ばし、回想によってそこに至るまでをふり返るという手法は『生きる』の時に編み出されたものだ。主人公の渡辺勘治が公園を作ろうと動き出したところで一気に場面は飛び、次の場面では既に渡辺は亡く、お通夜の場面になっている。そこで同僚たちが渡辺を懐かしみつつ、いかにして彼が公園建設を成し遂げたかが語られていく。
     この構成の効用を、橋本は次のように述べている。
    「生きている現実の形だと、美談めいたものの連続になり、少し鼻につく恐れもあるが、すべては死んだ後なので、彼の熱意や、その異常な行動、困難や障害を克服するドラマの一つ一つが、イキイキと効果的に伝わる。だが誰にも渡辺勘治の変身の真意は分からない」(『複眼の映像』)
     この手法をミステリーに転用したのが、『ゼロの焦点』、そして『砂の器』だったのだ。

    山田(洋次) 六時過ぎると晩ご飯もごちそうになるの。晩ご飯食べながら、いろんな話をうかがいました。『羅生門』のときの話とか、『七人の侍』の話。これが僕にとってはたまらなかった。面白くて、勉強になって、時々ノートに書いたりしてました。それで、星を見上げながらうちに帰るわけです。
     何週間も経ったある日、「橋本さん、僕は脚本を書くってことは、自由気ままな発想を浮かべて、遊ぶようにして書くもんじゃないかと思っていたけれども、そうじゃありませんね。僕はこの数週間、向上に勤めている人の気持ちでした。工場に勤めている労働者の気持ちでした。すると、橋本さん、笑いながら「工場よりも農民に近いんじゃないか」って。「朝早く起きて、畑をずっと見る。発芽の状態を見る、そろそろ水をやったほうがいいか、そろそろこやしをやったほうがいいか。そしてずっと育てて、やがて花が咲き、実が実る。それを収穫する。そこで完成。だから才能なんかは要らないよ。忍耐力だよ」って。橋本さんの名前は「忍」だけれども、まさに忍耐の人ですよ。
     僕はものすごくいい勉強させられた。つまり、プロの仕事っていうのはこうだ……と仕込まれちゃった形です。

  • とても面白かった。
    橋本忍という脚本家の名前は何度も何度も目にしていたが、その方の評伝を読む日が来るとは思ってなかった。
    ご本人が生き生きと蘇ってくるような書きぶりだった。
    数々の残された作品をまた見たくなる。見たことのない作品はもちろんのこと。

  • めちゃくちゃ面白かった。面白いエピソードだらけ。原田弁護士とか出てくるし,最高裁の話とか,戒能先生が出てくるのもびっくりだった。
    橋本さんの映画を見たくなる。とりあえず「真昼の暗黒」はぜったい見たい。

  • 『幻の湖』を見てからでないと読めないと思いしばらく積んでいた。数々の名作を生み出した橋本がなぜあんな珍作を撮ったのか不思議でならなかった。丁寧な取材に基づく深い考察で『幻の湖』がいかにして生まれたのかが解き明かされる。ここが一番読み応えがあった。

  • 「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」から「私は貝になりたい」「砂の器」等など、大いに楽しませて貰ったその作品群から、この偉大な脚本家の創作の秘密、裏話などが知れれば、との興味から本書を取ったが、没後ご家族から提供された生原稿やノートに加え晩年の直接インタビューも含めて膨大な資料から整理、検証された本書の内容は非常に興味深く面白かった。
    優れたシナリオライターであるだけでなく、映画が当たる当たらない要因もきちんと分析して企画に反映したり採算も計算したりのプロデューサー的能力も高かった事、日本映画界旧来のやり方に危機感を持って橋本プロダクションを作ってプロダクション制に移行していった先見性などの面でも優れた能力の持ち主であった事も知る事が出来た。
    世界的にも評価の高い黒澤作品では、監督ばかりが評価されている事への不満も口にしていたとか競輪狂であったなどその人間性も垣間見えて興味深かった。

  • 目次
    序 鬼の詩
    一 山の章
    二 藪の章~『羅生門』
    三 明の章~『生きる』『七人の侍』
    四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
    五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
    六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
    七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
    《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
    八 計の章~『人間革命』
    九 雪の章~『八甲田山』
    十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
    十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
    橋本忍 脚本映画一覧

  • しっかりとビジネスマンである面とかも含めて
    とんでもない人物がいたんだなぁ、と思わずにはいられない。

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著者プロフィール

映画史・時代劇研究家。1977年東京都生まれ。日本大学大学院博士後期課程修了。映画界を彩った俳優とスタッフたちのインタビューをライフワークにしている。著書に『時代劇聖地巡礼』『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)、『天才 勝新太郎』(文春新書)、『ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで』(文春文庫)、『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇は死なず! 完全版』(河出文庫)、『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版新書)、『忠臣蔵入門――映像で読み解く物語の魅力』(角川新書)など多数。『鬼の筆――戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)で第55回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

「2026年 『自宅で楽しむ 週末邦画劇場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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