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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784163918167
作品紹介・あらすじ
第45回野間文芸新人賞受賞作。
疾走する想像力で注目を集める新芥川賞作家が描く、馬と人類の壮大な歴史をめぐる物語。
太古の時代。「乗れ!」という声に導かれて人が初めて馬に乗った日から、驚異の物語は始まる。この出逢いによって人は限りなく遠くまで移動できるようになった――人間を“今のような人間”にしたのは馬なのだ。
そこから人馬一体の歴史は現代まで脈々と続き、しかしいつしか人は己だけが賢い動物であるとの妄想に囚われてしまった。
現代で競馬実況を生業とする、馬を愛する「わたし」は、人類と馬との関係を取り戻すため、そして愛する牝馬<しをかくうま>号に近づくため、両者に起こったあらゆる歴史を学ぼうと「これまで存在したすべての牡馬」たる男を訪ねるのだった――。
感想・レビュー・書評
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あなたは、”難解”な物語が好きでしょうか?
小説を読むことは自分だけの読書の時間を楽しむためのものです。そこには、課題図書が設けられるわけでもありませんし、制限時間も設けられてはいません。自分の自由な時間を好きに使う読書は誰の指図も受けない幸せな時間とも言えます。
私は今までに950冊以上の小説ばかりを読んできました。女性作家さんの小説限定と条件をつけてはいますが、それはもちろん自分自身で決めたことであり、誰かに指図されたわけではありません。そして、読んで来た本も自分自身で好きに選んできたものです。しかし、私には一つだけ読書のルールがあります。同じ作家さんの作品を三冊ワンセットで読むというルールです。数多くの作品を書いていらっしゃる作家さんであればその中から三冊を選ぶのはとても幸せな時間です。一方で、その時点で三冊しか作品を発表されていない作家さんもいらっしゃいます。そうです。そこに事実上の強制選書の可能性が出てしまうのです。他の方のレビューを見て、ちょっと敬遠したいな、そんな風に思っても三冊ワンセットのルールには逆らえません。なかなかに悩ましい瞬間がそこに生まれてもしまうのです。
さてここに、九段理恵さんの「しをかくうま」という作品があります。現時点で三冊しか作品を発表されていない中の一冊であるこの作品。ブクログのレビューに”難解”、”理解が及ばない”、”よくわからん”という言葉が数多連なるこの作品。そしてそれは、う〜ん、なんなんだこれは…と”難解”という言葉をそのまま本にしたような物語です(冷や汗)。
『誰かいるのか?』と問うも『返事はない』。その『問いが』『体の中でこだまする。誰かいるのか?誰がいるのか?誰かいるのか?』と問いかけ続けるのは『ヒ』。『声はたしかに聞こえる。どこから聞こえてくるのかわからない。聞こえ始めたころはとくに気にしていなかった声だ』と思う『ヒ』は、『声は、どのようにして始まったのだったか?』と『順を追って思い出』します。『初めに獣がいた。風景を横に断ち切るようにして広がる胴体があった…』と『獣』のことを思う『ヒ』は、それを『「夜を眼にして横に倒れて走る木の獣」と名付け』ます。『自分の目の異常を疑うほど白く発光するその獣はひとり』。『夜を眼にして横に倒れて走る発光した木の獣は群れをなさずにたったひとりで走ってきてひとりでひとりのヒを追い抜』きます。『ヒが何かを思う隙もなく通り過ぎた光はやがて白い点となり、視界から消え、まもなく声が聞こえ始め』ます。『乗れ』。
場面は変わり、『ルールが変わったことは冒頭ではっきりとアナウンスするべきだったんだ。でも五十人ぐらいの人間がそこにいて、十文字のことを気にしているのは』『他にいなかった』と思うのは『わたし』。そんな『わたし』が『十文字のルールを知ったのは、レースの二日前の夜』でした。『情報番組』の司会をしている『わたし』は、『日本の軽種馬を登録管理する法人』である『JAIRS』の『公式サイト』を『定期的にチェックしてい』ます。『先月の競走馬の輸入数や、サラブレッド生産者組合による報告会についての情報』などが得られるそのサイトの中に『九から十へ』という『不思議なタイトルが紛れ込んでいるのを見つけ』た『わたし』。『編集中の下書きをうっかり途中送信して公開してしまったようなタイトルだ』と思う『わたし』は、『運営のミスか?そう思いながら文字をタップ』します。『登録馬名の文字数制限が九文字から十文字に変更されました』と『理由も書かれていなければ、いつからルールが適用されるのかも、「協議の結果、」みたいな前置きもない』と思う『わたし』は、『「JRAのページを』開きますが、『「十文字」について何も触れられてい』ません。『きっとJAIRSが解禁前の情報を誤って流出させてしまったのだろう』と思う『わたし』は、『わたしの人生は日本ダービーからスタートした』と、『たまたまTVか何かがついていてレースを見た』時のことを思い出します。『それまで競馬を見たことは一度もなかった。馬が走っている姿さえ見たことがなかった』と振り返る『わたし』は、やがて『神は馬だ』という思いを抱くようになります。『初めに、誰の意思でもなくただ偶然と偶然の連なりによってあらかじめ創造されていた天と地があり、その中間地点に不意に馬と人間が立っていた。馬は人間に言った、乗れ』。『落雷のようにわたしの頭に落ちてきた神と馬にまつわるアイデアは、この不可思議な世界の成り立ちのすべてを説明してい』ると思う『わたし』。『人間を、今のような人間にしたのは馬だ。そのことは我々の歴史が証明していた』と思う『わたし』。そして、『わたし』は、『「九から十へ」のルールが実際に適用されるとして、つまりそれはわたしの人生の中に九文字を超える名前の馬が初めて登場することを意味する』と思うと『居ても立っても居られなくなりベッドから這い出て部屋の本棚の前に』立ちます。そして、『エミリーディキンソンの名前が目についた』『わたし』は、やがて『もっと多くの名前を欲』すると、『教科書や』、『百科事典や』、『雑誌の類を片っ端からめくってい』きます。『エミリーディキンソン チャールズダーウィン フリードリッヒニーチェ リヒャルトワーグナー マーガレットサンガー ナポレオンボナパルト…』。そんな『十文字』の名前の数々を見て、『もしこれらの十文字の人間のうちの誰かが歴史上からひとりでも欠けていれば、現在の世界の様相は完全に異なったものになっていただろうな、とも思』う『わたし』。そんな『わたし』の物語が描かれていきます。
“太古の時代。「乗れ!」という声に導かれて人が初めて馬に乗った日から、 驚異の物語は始まる…競馬実況を生業とする、馬を愛する「わたし」は、人類と馬との関係を取り戻すため、そして愛する牝馬<しをかくうま>号に近づくため、両者に起こったあらゆる歴史を学ぼうと 「これまで存在したすべての牡馬」たる男を訪ねるのだった”と内容紹介にうたわれるこの作品。前作「東京都同情塔」で第170回芥川賞を受賞された九段理恵さん。この作品は刊行日こそ同作の後ですが、発表自体はその前という位置付けの作品です。
そんなこの作品の印象は、とにかく”難解”、これに尽きると思います。芥川賞受賞者のみなさんの作品は基本的に”難解”なものが多いと思います。ただその”難解”さは大きく二つに分かれるとも思います。一つには今村夏子さん「むらさきのスカートの女」、村田沙耶香さん「コンビニ人間」に代表されるような超個性を持った登場人物の存在が物語を引っ張るものです。この系統の作品はかっ飛んだ人物設定を楽しむスタンスで読む限りは逆に読みやすいとも言えます。一方でもう一つの系統は、作品自体を読むことに高いハードルを感じさせるものです。高山羽根子さん「首里の馬」(偶然にも馬繋がりですね!)、井戸川射子さん「共に明るい」に代表される作品がそれにあたると思いますが、その作品世界が言わんとするところを理解して読み通すのになかなかに苦労させられる作品です。そして、九段理恵さんのこの作品は間違いなくこの後者の系列に繋がるものであり、それらに比しても相当に”難解”と言わざるを得ない物語が展開していきます。正直なところそれはレビューを書くことを放棄したくなる次元であり、一方で、私の力のなさを思い知らされるに十分なものがあります。さて、どうしましょう…途方に暮れてしまいます。ううむ。
ということで、今回のレビューでは印象に残ったところを中心にご紹介していきたいと思います。
まず一つ目は、哲学的と言いますか、偉人の言葉がそのまま登場するところです。
『フリードリヒニーチェはこう書いた。「あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である」』。
(;-ω-)ウーン
『ジャンポールサルトルはこう書いた。「地獄とは他人のことだ」』。
( ๑´•ω•)ワカンニャーイ
『チャールズダーウィンは「世界はずいぶん前から人間の出現に備えていた」と書いていて…』
ʅ(。◔‸◔。)ʃ…さぁ?
ふざけている場合ではないですが、唐突に登場するこれら偉人の名前と言葉はストーリーを理解しようとする読者にさらなる難題を突きつけます。これはなんなんでしょうか?さて、困りました。
次に二つ目は、ちょっとついていき難い表現の数々です。『眼球じたいはただの見慣れた人間の器官だ…』と記されていく箇所を見てみましょう。
『たとえば彼女の眼窩から眼球だけを取り出してテーブルの上に置いておいても、わたしはその濡れた球体にこれほど心を動かされはしなかっただろう。だからわたしが美しいと思ったのは、ただの眼球に対して彼女独自の目に美しさを与えている外縁、つまり瞼の形なのだった…』
そんな先に『彼女の目を美しいと思う』ことについて、『順序』にこだわった表現が登場します。
『①眼球②瞼③アイシャドウ、そうじゃない。①アイシャドウ②瞼③眼球、こうだ。この順番であればわたしは彼女の目を美しいと言っていい。彼女の目を愛していい』。
分かるようでわからないようでという摩訶不思議感漂う表現です。一方で、ごく身近なものに問いを発するような表現も登場します。
『もしもコーヒーという飲みものがなかったら人は重要な話などひとつもできないのではないか、とわたしは思う。重要な話をするためにコーヒーが発明されたのか、それとも先にコーヒーがあり、コーヒーが人間に重要な話をさせているのか?』
なんともコーヒーを哲学的に考えていくような表現は面白くもありますが、一方でどう捉えたらよいか戸惑うものでもあります。ただ言えるのはこの作品はこう言った言葉を上手く使った表現に満ち溢れているとは言えます。小説というよりは、少し変わった”詩”の世界に触れるような作品だと捉えると見方が変わってもきそうです。
そして、三つ目が『馬』です。この作品の書名は「しをかくうま」と全てひらがなで記された六文字から始まります。あなたならこのひらがなにどんな意味を読み取り、どのような漢字を当てはめるでしょうか?作品中にはこんな表現が登場します。
『「シヲカクウマ」
彼女は「詩を書く馬」ではなく「死を欠く馬」のほうで発音した。そのアクセントの場所にわたしの胸はひどく痛み、視界は闇一色になった』
これは全くの想定外です。『死を欠く馬』などという表記は全く想像もできませんでした。しかし、一方の『詩を書く馬』という表記もよくよく考えてみれば意味不明です。これは何を意味しているのでしょうか?そんな物語は、内容紹介にある通り、” 馬を愛する「わたし」は、人類と馬との関係を取り戻すため、そして愛する牝馬<しをかくうま>号に近づくため、両者に起こったあらゆる歴史を学ぼう”とする姿が描かれていきます。とは言え、それに対する説明をここに入れていくこと自体、これまた”難解”でなかなか一言では触れることさえできません。そこには、『まずは歴史の話から始める。つまり人類がこの世界まで移動してきた道程の話だ』と説明されていく『馬と人の物語』が順に語られていくのですが『君は西暦一九九二年にこの世界に誕生した』と語られていく物語はわかりやすく語られるようでその実極めて”難解”です。少なくとも内容紹介の一文で想像されるような内容からは程遠いのが実際のところです。
そんなこの作品は、『登録馬名の文字数制限が九文字から十文字に変更されました』という情報を知った『わたし』のこだわりの先の物語が描かれていきます。『九文字から十文字に変更され』たとしてどれほどの意味があるのか私には全くもって意味不明ですが、物語では、そのことを深刻に捉える『わたし』の物語が描かれていきます。
『今後、十文字の馬が際限なく現れ、十文字の名前が大地を全力疾走することになるんです…ことによっては人類が滅びる可能性がある』
いやいやそんな大袈裟なと思いますが、物語では、『十文字の馬が人類を滅ぼす』過程が説明されていきます。
『①十文字の馬がレースに出走する』
『②十文字の馬が勝つ』
『③翌日も十文字の馬が勝つ』
『④翌々日も十文字の馬が勝つ』
『⑤馬券を当てたい人々がこぞって十文字の馬に投票する』
⑥〜⑯の過程
『⑰人類が滅びる』
なんともキョーレツというか強引な展開の先に『人類が滅びる』過程が説明されてもいきます。そんな中に『わたし』は、『歴史上の』『十文字の名前の人間が書いた本を集めるように』なってもいきます。上記で触れた偉人の言葉はその中に登場するものです。そんな先に『馬と人の物語』に触れていく『わたし』の物語。さらに一段、二段と難解さを極める物語は理解不能な中に結末を迎えます。そこには、『乗れ』という声を聞いた存在が問いかけ続ける先に壮大なスケールを感じさせる『馬と人の物語』が描かれていたのだと思いました。
『登録馬名の文字数制限が九文字から十文字に変更されました』
そんなニュースを偶然に見かけた主人公の『わたし』。この作品ではそんな『わたし』が『馬と人』との関係性を思う先の物語が描かれていました。どこまでも”難解”極まりない物語に唸る他ないこの作品。よく分からない物語世界の描写の中に、スケール感の大きさだけは間違いなく伝わってくるこの作品。
わずか176ページの物語にこんなにも苦戦させられてしまうのか!とただただ苦悩した、さてさての読書歴の中で最も”難解”な作品でした。きっぱり。 -
私の中で、九段理江さんは新しもの好きなイメージがあったものの、本書を読めば決してそれだけではないことが分かる、過去も現在も未来も縦横無尽に行き来した、その一見突拍子と思われる物語も、最後まで読むと伝わってくるものがありながら、毎度の如く、その豊富な知識量や興味のあるものに対する飽くなき姿勢には感服させられる。
そして、その様々な視点から現在に於ける常識と思われるものを揺さぶってくる作家性は、時に大胆で痛烈でありながら肯けるものがあったのも確かで、それは『多様性を求めながら同時に平等性をも要求するようになった』のような皮肉を効かせる一方で、『一貫性と政治的正しさと共感を集めることに徹した言葉を選んでいくとなると、最後は誰もが同じ言葉を喋る未来しかない』には、まるで前者とは相反するような『右へ倣え』の姿勢が未だに根強い、現代社会の矛盾を批判しながらも、寺山修司、谷川俊太郎、ゴーギャン等の言葉を引用する点に、彼女の作品に於いて時折テーマとなる『言葉』の持つ力や可能性への真摯な一面も垣間見えたことから、単に登場人物に自由に語らせるだけではない、現実に存在した人物のリアルな言葉を小説に取り込むことで生じる、現実とフィクションとが入り乱れた感覚は、どこか滑稽とも思われながら真実が埋没しているような気にもさせられて、それは夢を見ているような足下の覚束ない浮かれた気分の中、不意に冷水を浴びせられて目が覚めた感覚とでも言えばいいのだろうか。
そう考えると、『しをかくうま』には様々な思いが込められた良いタイトルだと思い、そこに漢字を当てはめてみて、そんな馬鹿なと嘲笑する人が、もしいるのであれば、それこそが『君たちがつくったわけでもないこの世界』に於いて、『己がいっとう賢い動物であるという妄想』を抱いてしまうのは何故なのか、よく考えた方がいいと思うと言いたくて、それは馬が人間と初めて出会ってから、どれだけ時が経過しているのかという歴史的背景を知ることで、馬のことをどれだけ知ったつもりでいるのかという思いにさせられながら、初めて人間が馬に乗せてもらえた時の心境とは如何ばかりのものであったのかという感慨深いものもふつふつと湧き上がってくるようで、そうした思いと、彼女があるべき未来を見るために過去の歴史も見ながら本書を書いたことには、過去とは決して切り離して良いものではなく、過去を謙虚に受け止め大切にしてこそ明るい未来があるのだという、そんなメッセージをそっと忍ばせていたのかもしれない彼女の姿勢は、エドワード・マイブリッジの偉大な功績の一つである連続写真『動く馬(The Horse in motion)』を表紙に採用したことにも、よく表れているのだと思う。 -
続けて九段理江さんの作品を。最初はとってきにくかったが、どんどん引き込まれました。現代文学は面白いなあ。
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私には難解すぎた作品だった。
競馬に対する愛情、馬と人類の歴史がここまで
密接につながっていることが、深く伝わった。
結局「しをかくうま」とは一体何だったのか
九段節が濃縮に詰まった作品だと感じました。
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注
内容に触れていますが、それを読んでもこのお話がつまらなくなることはないと思うので、敢えてネタバレ設定にしていません
あっはっは!
さっぱりわからん(爆)
そのくせ、ミョーに引っかかる。
そこが面白い。
「やるなぁー、九段(…ったく。クソムカつく女だぜw)」というところか?(^_^;)
あ、「クソムカつく女だぜ」は褒め言葉、それも最上の褒め言葉だからねw
ちなみに、★が2つなのはそういう理由じゃなくて、このお話に出てくる「DNA」という会社の企業理念がけったクソ悪かったからだ。
難解というか、南海ホークス?
とはいえ、南海ホークスは今はないから、ダイエーホークス…、じゃなくって、ソフトバンクホークス?
ただ、そうなると難解の文字がなくなっちゃうので南海ホークスはどうでもよくって、西武ライオンズかロッテマリーンズ?
…としちゃうと、あ、パーリーグの話?と勘違いされちゃうから、ジャイアンツかタイガース?
あ、そうなると、今度は野球の話になっちゃうか?
じゃぁー、鹿島アントラーズか浦和レッズ?
ただ、そうだと、今度はスポーツの話になっちゃうから、焼き鳥、塩ラーメン、たこ焼き、サンバにサルサ、タンゴにポルカに盆踊り。
三島由紀夫に清少納言、鴨長明。
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ、富士山、北岳、最近は間ノ岳と奥穂は仲良く3番目。でも、槍は相変わらず5番目。
山ときたら川は、赤穂浪士。赤穂浪士ときたら四谷怪談。
四谷怪談は最近知らない人が多いらしいから、リングの貞子。ヘチャムクレにオカチメンコ、おかめ、ひょっとこ、タコが言うのよ、寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ(中略)グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助、ざまーカンカンカッパの屁ぇー!
…というようなお話と言ったら、わかりやすいのか?(爆)
他人の頭の中なんてわかるわけがない。
他人が書いた小説を読んでわかったような気になるのは、作家が読んだ人がわかった気になるように書いてくれているからだ。
つまり、これの感想が軒並み「難解」なのは、著者がこれをわかるようには書いていないということだ(^^)/
であれば、読者はこれをわかろうなんてコスパ・タイパのちょーわりぃーことは考えずにw、たんに楽しく読めばいいんだろうけどさ(わからない方が読みながら考えなきゃならないから、コスパはむしろいいのか?w)。
楽しく読もうとしても、ぶっちゃけ、大して面白いお話ではないと(爆)
いや、全然面白くないかって言うと、そんなこともない。
前半こそ1行読んじゃ、そのツマンナさに寝落ち。また1行読んじゃ寝落ちの繰り返しだってけど、中盤、根安堂千日紅なる人物が現れ、主人公に“私的な会話とセックス”を迫る辺りから、寝落ちしないで読めるようになる(参考までに書いておくと89ページだ。ガンバレ!w)。
ちなみに、セックスと聞いて、心ときめかしちゃった人もいるかもしれないが。
その場面に期待はしない方がいい。
ただ、著者は著者なりにロマンチックにw描こうとしているようにも思ったかな(^_^;)
一方で、このお話に出てくる、血の優劣的な相性による結婚相手紹介サービスの会社「DNA」の会社理念って、著者自身はどう考えているのだろう?
というのは、人の生殖というものに対してDNAの社員である根安堂太陽子の言う、「Let It beこそが Words of wisdomであると自己弁護しながら思考停止をされている方々……(中略)によって人類が停滞することを、DNAの会員様は非常に憂えておりましてーー」というのを読んだ時、自分はものすごく気持ち悪いと思ったんだよね。
しかも、根安堂太陽子はこうも言っている。
「人類の健全な発展を図り、人類の改良増殖、その他、人類が存在する世界の振興に寄与する」と。
それって、まるっきりナチスの優勢保護策だし。
さらに言えば、科学万能主義に陥った小利口な人が陥りがちな、科学や理屈によって人があらゆることをコントロール出来ると思い込んでいる、きわめて非科学的な思考だ。
今の人類が科学でわかっていることは、ごくごくわずかなことだけだ(と言われている)。
AIがどんなに優れていようと、AIに学習させられるのは、現在の科学でわかっている、ごくごくわずかななことだけだ。
現在、人類がわからないことは、絶対AIに学習させられないのだ。
量子コンピュータが実用化されれば、飛躍的な計算速度の速さで科学も進むだろう。
でも、肝心の人の仮説や閃きをAIが担えるものなのか?
AIによる仮説を量子コンピュータが実証、実現した科学を、人の社会は受け入れられるのか?
ていうか、それは受け入れてよいものなのか?
自分には、根安堂太陽子の方が、よっぽど”(小利口な人による安直な科学万能主義の)Let It beこそが Words of wisdomであると自己弁護しながら思考停止をされている”人のように思えてしょうがないのだけど、どうなんだろう?
ついでに言っておくと、「思考停止」という言葉は、「思考停止」という言葉を使った時点で、その人の頭の中は考えることをピタリと止めているように思えて仕方がない。
だから、自分は「思考停止」と言った人こそが「思考停止」な人だと思うことにしている。←あ、言っちゃった(爆)
これは、『東京都同情塔』を読んだ時も覚えた違和感なんだけど、著者の思考はやもすれば安きに(極右の思考)流れていないだろうか?と。
これを読んだ2週間前が参院選だったこともあり、著者がこの本や『東京都同情塔』で書いていることって、例のナチス(というよりも、井の中の蛙な田舎者という意味でタリバンに近い)の連中が大喜びでつまみ食いして自らの主張の根拠にしちゃいそうなことが多々あるように感じるのだ。
自分のイメージとしては、著者は右寄りに思考する人or左寄りに思考する人以前に、なにより自由を尊ぶ人であるように思うのだが。
どこかの時点で闇落ちして、「ダース・クダン」になる予感もないでもない(ーー;)
著者が危惧している(?)、人々が安直に同じ言葉をしゃべることでアイデンティティをおかしくしたり(or他者から操作されたり)、自分なりの考えを持たずに他者の意見を自らの意見としてしまうことで、なし崩し的に今の自由主義に基づく社会秩序を壊してしまう問題は、おそらく人類が今世紀全てを使って解決していく課題になるんだろう。
著者の危惧(?)はよくわかるけど、著者の世代で解決しようとするのは、いささかタイパ思考だ(爆)
後半、主人公がネアンドウターレンシスと会ってから、お話は一気に面白くなる。
会話の内容が興味深くて、エキサイティングなのだ。
著者は、一人の会話文の中に違う文脈の事柄を入れ、一方でわかる(ような気がする)けど、一方でわからない(ような気がする)みたいなことを時々やるが。
ネアンドウターレンシスの言っていることは、わかる(ような気がする)ことより、わからない(ような気がする)ことの方がミョーに引っかかって面白かったりする。
ただ、ネアンドウターレンシスは例の血の優劣的な相性による結婚相手紹介サービスの会社「DNA」の創始者(だったっけ?w)であり、根安堂太陽子の父親だ。
ネアンドウターレンシスは興味深いことをいっぱい言っているのだが、気持ち悪い思想の持ち主でもあるので敢えて省略する(^^)/
最後の章は100%わからなかった(爆)
ていうか、最後の最後にきてこれかよ!!!
頭のスタミナ、もう残ってねーよ(^_^;)
ということで、今回はここまで。
文庫になったら(なるのか? これw)、また読んで考えたい┐(´д`)┌
最後に、例によって、悔しまぎれのイチャモンを書いておく。
なんて言うか、2次元なんだよ。
読んでいて、思い浮かんでくる絵面がさ。
この『しをかくうま』が出版されたのは『東京都同情塔』の2ヶ月後だけど、雑誌に発表されたのはこっちの方が6ヶ月早いらしい。
てことは同時並行で書かれていたのかもしれないが、『東京都同情塔』の方は読んでいて浮かんでくる情景がモノクロームなのに対して、こっちは情景に色がついている。
いや、『東京都同情塔』のラスト、主人公がホテルを出て雨の中を歩く場面には色(夜の雨の色)を感じる。
ただ、どっちにしても、浮かんでくる情景が2次元なのは同じなのだ。
それは、著者が視覚の情報だけでお話を進めているからだと思うんだけど、言い換えれば五感全てを使った表現が出来ていないからだということじゃないだろうか?(^^ゞ
次は、例の『影の雨』を含んだ短編集になるのか?
それとも、別のお話を書いているのか知らないけど、個人的には著者の長編(せめて500ページ)を読んでみたい(^^)/ -
芥川賞おめでとうございます。
受賞作より競馬をテーマにした本ということでこちらの方が気になって文学界を拝読しました。
途中までなかなか物語の中に入り込めず、言葉遊びの部分が多いなという感想でした。
途中から怒涛の展開に傾れ込んでからは引き摺り込まれるように入り込めましたが、やはり最後の結末のあたりはなかなか私には理解が及ばない内容でした。
でも馬がどの実況が上手いとか話題にしてたら。。とか思うと何か競馬を見る目も少し変わるように思います。そういった競馬に対するお声なんかもぜひお聞きしてみたいですね -
ヒトとウマの長大な歴史を感じる物語。
しかし難解で、私には理解が及ばない部分がほとんどだった。
『東京都同情塔』にも書かれていた
言葉に対する強い思いが
根底にはあるのかな?と思う。
難解ながらも気になって最後まで読めたので、
またいつの日にか再読したいし、
他の方の書評を読んで理解を深めたい。 -
「しをかくうま」(九段理江)を読んだ。
ぶっ飛んだよ。 まさに《言葉の魔術師》の降臨であろうか。
ひとと馬と詩の物語。
九段理江さんほど言葉の持つ力を存分に発揮してガツンと読者の頭をぶん殴りにくる作家はそうは居ないね。
彼女には日本語の未来が見えているに違いない。 少し長いけど引用する。 (「東京都同情塔」からも併せて引く)
『とはいえ、一貫性と政治的正しさと共感を集めることに徹した言葉を選んでいくとなると、最後は誰もが同じ言葉を喋る未来しかないんだよね。つまり言葉は死んでいくしかないんだよね。』(本文より)
『言葉は私たちの世界をばらばらにする一方です。勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなりました。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になりました。』(「東京都同情塔」本文より)
今年一冊目として素晴らしいスタートをきることができた。 -
なんだか不思議なおはなし。さっぱり分からない。
現在、過去、未来。その順番。
ならば、最後は未来のこと。
「しをかくうま」「シヲカクウマ」「詩を書く馬」「死を欠く馬」アクセントで意味が違う。表紙絵が不穏に見えて「死を欠く馬」を想像していた。
ときどき発生する読点の極端に少ない文章。アナウンサーが実況で息も継がずに一気にまくしたてるよう。
馬の絵が左向きが現在。右向きが過去。うすいグレーが未来? -
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Tomoyukiさん、コメントありがとうございます。
私も最初のうちは頑張るぞ…と読んでいたのですが、なかなか世界に入れず、最後までよくわか...Tomoyukiさん、コメントありがとうございます。
私も最初のうちは頑張るぞ…と読んでいたのですが、なかなか世界に入れず、最後までよくわからないままでした。。他の作品を読んだことがないのですが、他のもこんな感じなのかな〜と次の作品読むのを躊躇してしまいます。2024/05/04 -
『school girl』→『しをかくうま』→『東京都同情塔』と読みましたが、『school girl』とそれに収録されていた『悪い音楽』は...『school girl』→『しをかくうま』→『東京都同情塔』と読みましたが、『school girl』とそれに収録されていた『悪い音楽』は楽しめました。
『しをかくうま』は完全にお手上げで、『東京都〜』はそれよりマシでしたが、やっぱり難しかったです。2024/05/04 -
やっぱり全体的に難しい作家さんなんですね。次は東京都同情塔読もうと思ってましたが、school girlの方が気になってきました。やっぱり全体的に難しい作家さんなんですね。次は東京都同情塔読もうと思ってましたが、school girlの方が気になってきました。2024/05/06
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『東京都同情塔』で芥川賞を受賞した九段理江さんが、それ以前に雑誌に発表していた作品。第45回野間文芸新人賞受賞作である。『…同情塔』はすばらしい作品で一気に読んでしまったが、こちらは手こずった。
いやあ、わからん(笑)。ちょっと衝撃的にわからない作品だった。
出だしはファンタジー、そこから競馬を実況するアナウンサーの話に変わり、胡散臭い奴らも登場する。だいたい、競走馬の命名ルールなんて知らないし、それが変更されたからどうだというのか?
でも不思議と投げ出そうという気にならず、最後まで読んでしまった。時間はかかったけれど。 -
独特の世界観に引きずられて一気読みした
嵐の様な速度で読んだ、グイグイ引っ張られて掴まれて囚われて仕方なかった
作家の想像力が暴力的でそのストームの中にいるような読書体験
あまり頭で考えずに感覚で読むとよい気がする
物語のようであり散文のようでもある
聴覚的な読書体験だった -
競馬の実況に真摯に向き合う主人公が馬に関して不思議な体験をするお話。ちょっとわかりづらいお話だった。
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意味は全然わかんないけど、読んでてとっても楽しい。作品全体が詩みたいだし、馬みたいでもある(今わたしたちが持ってる"ブレイン"とは全く違う基準で動いているような、という意味で)。
根安堂(ネアンドウ)家おもしろすぎるし、途中で出てくる順番記号は競馬の順位や予想も連想させるし、あとヒとビの話は普通にすき。
「彼の頭上にまず降りかかってきたのは不幸の極致にあるものだった。雨だ。」
読んでる途中から、どうしても馬に乗りたくなってホーストレッキングを予約しました。ということは、この詩は概念を書いてるんじゃないんだな、だからこんなに面白いんだなと思いました。
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表紙のデザインはエドワード・マイブリッジが複数台のカメラを使用して撮影したギャロップの連続写真に由来する。時間がテーマの一つとなる本作に即した的をいた装丁である。
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芥川賞受賞者、どんなものかと借りてみましたが、なかなか読む気になれず、積読へ。
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タイトルも意味不明だが内容もぶっ飛んでいた。静かに。そしてその世界観が何故かとても心地よかったのだ。何故だ。
松浦理英子の犬身を読んだときも同じように心震えるものがあったことを思い出した。 -
盛り沢山すぎて頭の中がまだ整理しきれていない。
感情や思考が言葉によってラベリングされることで腑に落ちると言うのは納得。
今回も登場人物ヒやビやマがもはや男女どころか人かどうかも初めはわからないので感情移入できず、俯瞰で物語を眺めることとなった
もう一度読みたい。 -
前の知識もないままで読み進めていると、なかなか話に入り込めず、あらすじを読み、ストーリーの大枠を掴めた。
ただ、やはりなかなか登場人物を掴むことを許してくれなかった。
九段理江の作品
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感想 :

そうなんです。本当になんだか全くよくわからない作品でした。
“わざとわからなく書いている”、確かにそうなのもし...
そうなんです。本当になんだか全くよくわからない作品でした。
“わざとわからなく書いている”、確かにそうなのもしれませんね。ただ、よくそんな内容で文章がまとまるものだと驚くのと、これを初めて読んだ担当編集者の方のある意味での凄さにも驚きます。もちろん、最初はもう少し読みやすかったものを担当編集者が煽った…可能性もゼロではないかもしれませんが。
『コーヒー』の件の考察、なるほどと思いました。考えに考えて、敢えてこうしているというような感じですかね。もしかして、小説というより、現代音楽のようなもの、として捉えるとありなのかなあ、そんなことも思います。この先急に読みやすい方向に舵を切られることもないでしょうから、こういう作風として楽しんでいくタイプの作家さんということでしょうか。
ネタ切れせずにどこまで魅せてくれるか、おっしゃる通り、お手並み拝見ですね!
この著者のインタビューだったか定かではないんですけど、確か「書きながら考えるタイプだ」みたいなこと...
この著者のインタビューだったか定かではないんですけど、確か「書きながら考えるタイプだ」みたいなことを言っていた記憶があるんですよ。
書きながら考える、つまりプロットを作らないタイプというと恩田陸ですよね。
さてさてさんは恩田陸のファンのようなのでわかると思いますけど、恩田陸の小説って、結末が明後日の方に行っちゃうことが多いじゃないですか?(^^ゞ
明後日に行っちゃった結末のお話を、恩田陸のファンの人は特に違和感なく読めるけど、違和感を覚える人はファンにはならない。
「文章がまとまるものだと驚く」というのは、そういうことなんじゃないでしょうか?
>最初はもう少し読みやすかったものを担当編集者が煽った…
ネットにあるインタビューを読むと、これを書いていた頃って、たぶん著者が「芥川賞」を獲ることにやっきになっていた頃なんじゃないですかね。
著者はこれと『東京都同情塔』を並行して書いていたように思うので、想像するにあっちを本命にして。
こっちは、意識してアバンギャルドに書くことで、あっちがダメならこういう方向性はどうだ?みたいに書いたんじゃないですかね。
それが著者自身の意図なのか、編集者と相談した上でのことなのかは全然想像つかないですけど。
>現代音楽のようなもの
現代音楽というのはいい得て妙だと思いました。
いろいろな話題をくるくる展開するところや、名前や名称をずらーっと並べたところなんかは即興演奏の感覚に近いのかもしれませんね。
恩田陸さんの小説、上手いところをついてらっしゃいますね。そうなんですよね。勢いだけで結末がどこに行くかわからないし、場合によ...
恩田陸さんの小説、上手いところをついてらっしゃいますね。そうなんですよね。勢いだけで結末がどこに行くかわからないし、場合によっては投げ出してしまう…それも込みで好きなんですけど、嫌な方には嫌なんだと思います。分かるような気はします。
恩田陸さんは多作なので読んでも読んでもコンプリートにはまだまだ遠いですが、いろんな顔を見せてくださる分、飽きないですね。
九段さん、芥川賞、まあそういう時期もあったわけですね。担当編集者と言ってもサラリーマンなので、上司の意向で決められてしまうわけですよね。芥川賞系の作家さんに当たったら大変そうです。この作品を作家さんから渡されたら何も言えなくなってしまいそうです。現代音楽も初めて聴いた方は感想に困ったでしょうし。いろんな人のいろんな見方がない中でこういった作品に接して感想を述べよ!というのはやはりハードル高いと思いました。まあ、当たれば、嵌れば、お宝感が先んじるんでしょうけどね。