センスの哲学

  • 文藝春秋 (2024年4月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784163918273

作品紹介・あらすじ

服選びや食事の店選び、インテリアのレイアウトや仕事の筋まで、さまざまなジャンルについて言われる「センスがいい」「悪い」という言葉。あるいは、「あの人はアートがわかる」「音楽がわかる」という芸術的センスを捉えた発言。
何か自分の体質について言われているようで、どうにもできない部分に関わっているようで、気になって仕方がない。このいわく言い難い、因数分解の難しい「センス」とは何か? 果たしてセンスの良さは変えられるのか? 

音楽、絵画、小説、映画……芸術的諸ジャンルを横断しながら考える「センスの哲学」にして、芸術入門の書。
フォーマリスト的に形を捉え、そのリズムを楽しむために。
哲学・思想と小説・美術の両輪で活躍する著者による哲学三部作(『勉強の哲学』『現代思想入門』)の最終作、満を持していよいよ誕生!


ーーーーーー
 さて、実は、この本は「センスが良くなる本」です。
 と言うと、そんなバカな、「お前にセンスがわかるのか」と非難が飛んでくるんじゃないかと思うんですが……ひとまず、そう言ってみましょう。
「センスが良くなる」というのは、まあ、ハッタリだと思ってください。この本によって、皆さんが期待されている意味で「センスが良くなる」かどうかは、わかりません。ただ、ものを見るときの「ある感覚」が伝わってほしいと希望しています(「はじめに」より)。
ーーーーーー

◆著者プロフィール
千葉雅也(ちば・まさや)
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(第4回紀伊國屋じんぶん大賞、第5回表象文化論学会賞)、『勉強の哲学――来たるべきバカのために』、『アメリカ紀行』、『デッドライン』(第41回野間文芸新人賞)、「マジックミラー」(第45回川端康成文学賞、『オーバーヒート』所収)、『現代思想入門』(新書大賞2023)など著書多数。

感想・レビュー・書評

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  • センスとは、マニュアルではない。自己解釈のための尺度のようなものだと思う。「センスが良い」と「センスが悪い」は二分法ではなく、そこには必ずグラデーションがあり、本来は「中間のセンス」も含まれているはずである。本書は、それを“哲学”という視座から徹底的にこねくり回すことで、かえって分かりにくくしてしまってはいないだろうか。失礼ながら、本書自体が「センスの良い本」と言えるかどうかには疑問が残る。その説明に挑戦してみたい。

    本書は「センスとは何か」「センスが良いとは何か」から考察を始めているが、私はあえて「センスが悪い」側から考えてみる。

    まず前提として、センスの良し悪しは時代によって変わる流動的なものである。そのうえで、センスの悪さは比較的わかりやすく言語化できる。〈ダサい、ベタ、田舎臭い、安っぽい、偽物っぽい、必死すぎる、古臭い、キモい、悪趣味…〉など、いずれも日常的なディスの語彙で表現可能だ。もしこれらの反対が「センスの良さ」だとするなら、それは「天性で、脱大衆的で、その場に調和し、他者の共感を呼ぶもの」と言えるだろう。

    センスの良いスピーチ、服装、仕事、音楽、トークとは、少なくともその場の期待に応えるか、あるいはそれをわずかに上回る必要がある。ファストファッションを身にまとい、ヒットチャートをBGMに、予定調和のトークを繰り返すだけでは、「無難」ではあっても「センスが良い」とは言い難い。

    本書の表紙に使われているラウシェンバーグの作品は、確かに洗練されたデザインではある。しかし、「センスのあるもの」の代表としてラウシェンバーグを選ぶその感性自体が、すでにダサいという評価も成り立ちうる。私の周囲では、ラウシェンバーグは「数年前に流行ったもの」という文脈で語る事も可能。つまり、そこには明確な文脈依存性がある。

    この点は重要。センスが時代によって変わるものである以上、それは結局、社会的価値観によって形成された「思い込み」から完全には逃れられない。中学生にとってのセンスの良さと、大人にとってのそれは一致しない。にもかかわらず、本書が提示する「リズム」という概念は、そのズレや他者の視点を十分に引き受けているようには思えない。それは社会的な流行や共有された期待と、どう接続されるのか。

    本書に「この本はセンスが良くなる本だ」とある。しかし、もし本当にセンスが良くなるのだとすれば、時代の文脈を生成する側に立たなければ、それは嘘になる。「アンチセンスという陰影を帯びてこそ真のセンスがある」と本書は述べるが、そもそもアンチであるためには、まず参照すべき社会的価値観が必要だ。真空の中での反逆は成立しない。

    結局、センスとは常に他者の視点を前提にしている。どれほど内面的・身体的な感覚として語られようとも、それが評価される以上、そこには共同の基準がある。センスの良さとは、個人の内発的な生成であると同時に、共同幻想である。刷り込まれた幻想である。尚、このレビューは個人的なセンスによるが、その良し悪しは他者任せだ。

  • うひゃあ「哲学」の悪いところが出たなぁ

    こねくり過ぎでちょっと辛かった

    『センスの哲学』ということなので、センスを考えるってことなんだけど、そもそも興味のあるテーマじゃなかったわ
    よくよく考えたら
    なので、これはわいが悪い
    千葉雅也さんはちっとも悪くないので、また何か読んでみたい

    あーでも、やっぱり話が長い
    つまり途中で飽きたってことなのよ

    「センス」ねぇ…レビューのセンスってなんだろ?ってちょっと思った
    ちょっと思って知らんわ!って思った
    どうでもいいわ!w

    • ひまわりめろんさん
      え?!
      え?!

      わい、ワードセンスがキラリとひかるツッコミタイプなんだけど
      おかしいな〜
      え?!
      え?!

      わい、ワードセンスがキラリとひかるツッコミタイプなんだけど
      おかしいな〜
      2024/09/05
    • ひまわりめろんさん
      え?!
      え?!

      わい、ワードセンスがキラリとひかるツッコミタイプなんだけど
      おかしいな〜
      え?!
      え?!

      わい、ワードセンスがキラリとひかるツッコミタイプなんだけど
      おかしいな〜
      2024/09/05
    • 1Q84O1さん
      存在自体がボケ担当です!
      存在自体がボケ担当です!
      2024/09/05
  • 「これはセンスがよくなる本です」の言葉の真偽のほどはわからないけど、センスとは何か、センスを生活の中でどうとらえていくかという事はよくわかった。
    本の内容には直接関係ないけど、4章まで読み終えたところにあった「前半のまとめ」がよかった。
    論説文をフムフムと読んでいて、途中で「それで結局どういうことだったっけ?」となることがあるのだけど、まとめがあったお陰でそこまでの内容がしっかり整理されて、後半もスムーズに読めた。
    このスタイル、広まってほしいなぁ。

  • 「センスとは何ぞや?」という疑問を解決するために読んでみました。

    一般的に言う“センスがいい”とは、どういう状態なのか。
    読んでみて、その答えがなんとなく見えてきた気がします。

    ただ、これはあくまで私の感覚ですが、この一冊を読んだだけで「自分のセンス」が突然見つかるわけではないと思うんです。
    付録の「芸術と生活をつなぐワーク」を日常に取り入れ、少しずつキャパを広げていった先に、ようやく輪郭が見えてくるものなのでは? そんなふうに感じました。

    そもそも“センスがいい”とはどういう状態なのか。
    抽象的ではありますが、私はここが肝だと思っています。

    作中に出てくるこの言葉――
    「差異とは予測誤差であり、予測誤差がほどほどの範囲に収まっていると美的になる。それに対し、予測誤差が大きく、どうなるかわからないという偶然性が強まっていくと崇高的になる。」

    この説明がとても腑に落ちました。
    自分の経験値や勉強量によって、予測誤差の許容範囲は広がったり狭まったりする。
    そして、その範囲内に収まっているものを私たちは「美しい」「センスがいい」と感じるのだと思います。

    たしかに、美術・文学・音楽・映画など、一般に“芸術”と呼ばれるものを振り返ってみても、思わず美しいと感じるものは、自分の知っている世界からほんの少しズレている程度のものが多い気がします。

    しかし――自分だけのセンスを見つけたいなら、この“美しい”の範疇から抜け出す必要がある。
    崇高的である、とは、既存の概念を打ち破るような、歴史に衝撃を与えるような作品だとも言えるはずです。

    ただし、崇高的と評価されるためには、結局は他者からの評価がセットになってしまう。
    偶然性が強まるというのは、言い換えれば“運”の要素も大きい気がします。
    評価されなければ駄作として消えていく可能性もある。ここは正直、残酷な世界ですが……。

    そんな抽象的なことを、あれこれ考えていました。

    ちなみに「芸術と生活をつなぐワーク」もやってみたのですが、ここに書くとかなりの分量になりそうなので割愛します。
    ただ、このワークは“自分の得意分野”で試すととても価値があると感じました。

    私は、先日どうにも生理的に受けつけなかった小説を題材に、どの部分が私の予測誤差を超えていたのか分析してみたんです。
    これを何度か続けていくと、自分の美的の範囲が少しずつ見えてくるのだと思います。

    「ここまでは美的。でもこれより踏み込むと、崇高なのか、ただの駄作なのかの分岐点」
    そんなラインが、少しずつ見えてくる感じ。

    芸術以外にも応用できる考え方なので、まさに“芸術と生活をつなぐワーク”という名の通りだと思います。

    そして――正直、自分の理解が本当に合っているのかはわかりません。
    文章自体はかなりわかりやすいのに、突き詰めて考えると、答えが出るようでいて出ない。
    読めば読むほど、“簡単なようで難しいことが書かれている本なんだな……”と感じました。

  • “センス“とは何か、
    “センス“が良くなるにはどうしたらいいか、
    ということを哲学的に考えながら言語化していく本書。
    ヘタウマだったり、不快の中に快があったり、故意ではなく偶然による良さであったり、言っていることはどこかで聞いたことのある内容で真新しさは感じないのだが、“センス“というなんとも表現しがたい言葉などに対するニュアンスの表現が小難しいながらも堅苦しくなく、言語化されていて良かった。
    また、個性とは何かを反復してしまうことではないかp206など、独特の考え方もあり面白い。
    何より、本編の〆が文学的で笑った。


    9のボールをペットにできるでしょうp190

    ひとつのことにこだわらず、いろんな事柄へ飛び移っていくほうがセンスがいいと言えるかもしれません。〜しかし人は、どちらかといえば、宿命的に何かに取り憑かれている人にどうも惹き付けられてしまう。p210

  • 「即物なディテール、しかも非常にちまちましたことに注目し、それがある作品についてよく思われている印象に対し、チャブ台返しのような効果を発揮するように語る」

    これは蓮實重彦的「表面だけ見る」というやり方だが、これがマウンティングになってしまったのは、以前は立派じゃなければダメだという権威的圧力がものすごく強かったと言うことの裏返し。

    物事を即物的に見るって言う事は、つまり、意味からリズムだと千葉雅也は言う。この「リズム=形を見る」ことと、「大意味がわかる」ことを両立させたいとも。

    なるほど、確かにセンスが悪いと言われる人は「それ意味わかんなくね」ってよく言うなと思った笑
    即物的にものを見ると言うことがセンスにつながると言うのはよくわかる。

    俳句なんかまさしくそう。
    そして、少しずらして誰もが理解できる大衆的なものを振りかけるっていうのも、全ての芸術作品に言えることだなと思う。
    何にでも言える、というので思い出すのは、若い頃、バックパッカーの貧乏旅行してた時に、よく、そんなとこに行って何が楽しいの?なんのために行くの?なんか意味あるの?とよく言われたこと。行った先々での具体的な小さな発見や感動をいくら話しても、そんな質問する人たちには全くわかってもらえなかったなあ。
    目的というものに囚われると、センスとは遠くなる。つまり、目的は寄り道をしない最短距離をいくことを良しとするので、そこに人間らしい喜びは見出せないということね。(「目的からの抵抗」國分功一郎)
    読書っていろんなものが結びつくね。

    それから反復と差異について。
    音楽には疎いので、これは何に当たるのかなと、具体例を考えていたら、谷川俊太郎の詩「生きる」を思い出した。
    谷川俊太郎のフレーズの反復、そこに驚きを持って迎えられる差異のフレーズ。まさしくセンスの塊谷川俊太郎だなと改めて実感。

    論文なんかも、反復と差異の妙で、仕上がりは違ってくるしね。

    全体を通して、よくわかる!というところと、今ひとつ隔靴掻痒のところの両方が混在した感じだった。
    一つ一つの主張の下地に哲学的素養があるなと思うのだが、そこがピンと来ない(残念ながら)からだろうなと思う。

  • 人生は、何かを反復し、変奏していく。身体に起因しながらも、問題というものはそこから離陸し、抽象的な渦巻きとなっていく。一生涯を通して反復されるのかどうかわからない。ともかく問題と付き合いながら、人間は変身していく。あるどうしようもなさの反復には、その根底に、たまたまこの存在として生まれたという偶然性が響いている。偶然性、ランダムであることが重なっている。執拗なるものとしての必然性を持ちつつも、たまたまそうなってしまっているという偶然性が引き裂く。その時人は、そこに重要なものがある。そこには真面目にむきあわなければいけないものがある。

  • とりあえず最後まで一通り目を通してみて、要所ではなるほどと思いながら読めたが、読み終えてみるとセンスとは結局なんだったんだろうかという感覚。

    初読の現時点での理解として備忘を残しておく。
    センスとは…「あるものごと(芸術、日常のあらゆることなど)を自分ならではの着眼点を持って、インプット・アウトプットできるスキル」と捉えておきたい。

    まず自分のセンスを見つけること。芸術作品である小説や映画、日常のインテリアなどのものごとを味わう(インプットする)ときに、大きく全体の意味を捉えようとするのではなく、小さくてちょっとした変化(本書ではリズムという表現)を観察し、言語化することで、自分のセンスが見えてくる。それを続けることで磨かれるものであると…理解。
    その自分ならではの着眼点を盛り込んだアウトプット(芸術作品を創作する、インテリアコーディネートをする)をする時に、いわゆる「センスがあるね」と他者からみえる状態になっている…のだろうか。

    うーん、読解力を高めたい…。

  • 普段曖昧に使われる「センス」という言葉がどういう風に使われるのかを分析しつつ、それが生来備わっていて変えられないものではなく、人をより自由にしてくれるセンスを育てることはできる、というのがこの本のスタンス。
    「センス」という言葉について掘り下げ、広がりが思った以上に面白くて豊かで発見の多い読書だった。
    哲学書特有の難しさ、とっつきにくさはなく、前半でまとめを入れて、章ごとに論を引き継ぎ展開しているので読みやすい方だと思う。
    巻末の付録や読書ガイドもすべては無理でも何か気になるところから活用してみるのもいいかも。

    〈参考になった、気になった内容〉
    ・センスとは上手よりもヘタウマである。
    →モデルの再現から降りる。子どもの自由に戻る。
    ・生成変化=うねり、存在/不在の明滅=ビート
    →いないいないばあはビートをうねりに巻き込むリズム
    根本的な寂しさを完全になしにするのではなく、潜ませながら乗り越える形である。
    →遊びとはあえてストレスを楽しむことである。
    ・大意味(感動)を抑えておいて後で解除する。部分を味わう、小意味に注目し、一言で言えないというその先にセンスを開くには、小さなことを言語化する練習が必要。
    ・センスとはものごとの意味や目的でまとめようとせず、いろんな要素のデコボコ=リズムとして楽しむこと。
    ・デコボコとは要素がどう並んでいるかが大事。
    ・面白いリズムとはある程度の反復があり、差異が適度なばらつきで起きる。
    ・差異とは予測誤差。予測誤差がほどほどの範囲内だと美的になる。予測誤差が大きく、偶然性が高まると崇高的になる。
    ・偶然性にどう向き合うかの人それぞれの違いがリズムの多様性となり、個性的なセンスとして表現される。
    ・人生の途中の段階で完全ではない技術と、偶然性が合わさって生じるものを、自分にできるものとして信じる。
    ・芸術は想像力の広がりを示していると同時に、ものの限定の仕方を教えてくれる。
    →有限性の多様性がわかる。
    ・反復と差異のバランス:センスの良さ
     何かにこだわって繰り返す:アンチセンス
    →センスの良し悪しとアンチセンスが拮抗するところが日常そのもの。
    →センスは、アンチセンスという陰影を帯びてこそ、真のセンスとなるのではないか。

  • 口語でゆっくりと論が展開されるのでかなり追いやすい。哲学への橋渡しが丁寧なので、学習の起点としても有意義だと思う。
    他方、自分はどちらかといえばセンスがある(美的感覚についての関心が強く、インプット量が多い+楽しみ方を知っている)と自負している人間なんだけど、記載内容についてはある意味腑に落ち"すぎる"というか、どうもセンスのよさを自認している作者が自分のアプローチを定式化した内容ではという気がしてしまう。
    たとえば、裾の折り返しがチェックになっている七分丈パンツは2024年現在どんなコーディネートでも取り繕えないようなダサアイテムなわけだけど、あれはあれでラウシェンバーグ的リズムが働いていると捉えられるわけで、ではなぜ世間一般で「センスが悪い」扱いなのか?という疑問には本書のフレームワークだけだと回答できない気がする。「センス」という言葉の持つ他者性への言及がないので、センスっていうよりは「美の見出し方の手引書」と言ったほうが正しいのかな。
    まあ、一気読みして消化不良を起こしているかもしれないので、また読みます。

  • 曖昧にごまかさず「センスとはものごとをリズムとして楽しむこと」と言い切っていることが本書の真髄だと思うし、それを実際にリズミカルな文体で体現しており飽きずに興味深く読めた。

    例えば絵画であれば、私たちはどうしても始めに意味(画家の意図や書かれているもの)を理解しようとするが、その前に作品自体をリズミカルな構成物として楽しみ、構造的な感動を味わうことがセンスなのだと。

    また答えに辿り着くよりも、自由な余裕の時間こそが芸術鑑賞の本質であるという考え方も私に取って目新しい観点であり読んだ甲斐があったと感じた。

    この著者に興味を持ったので『現代思想入門』にも手を出してみようと思う。

  • 先輩から読んだ方がいいと勧められてから、しばらく放置してしまっていたものをやっと読むことができた。
    『センスの哲学』というタイトルが、ふざけたように思えていたのだけれど、けれど、勧めてくれたからにはちゃんとした本なんだろうとずっと引っかかっていた。

    「これはセンスがよくなる本です。」
    という書き出しは、著者の言うように冗談ともとれるし、でも、マジメに「センス」というものを考え直させてくれる本だった。

    「センスがいい」というと、ある種、理想系としてのモデルに合致しているものだと思っていた。
    例えば、スーツのセンスがいいというなら、キッチリと英国紳士風に着こなしている、みたいな。
    でもって、そうなりきれないのがセンスが悪いと

    本書では、そうした基準に合わせることを目指すのではなく、別の路線を勧めてくれる。基準ではなく、もっと部分的なリズムに注目するやり方。

    芸術を見る時、全体としての意図を見ようとするのではなく、部分部分の形であったり、色であったり、よく見ると、全然違った色形が並んでいるかと思えば、同じ色や形が近くにあったり、繰り返し現れていたり、そうしたリズムが見えてきたりする。

    アートから生活の中にいたるまで、そうしたリズムに注目してみること。

    ちょっと、ものの見方を変えて見ようと、考え直してみようと思える読書体験だった。

  • リズム(ビートとうねり)を感じられることがセンス。美術や音楽だけでなく、日常にも感じられるようになると、奥深さが出てくるらしい。

  • 新年明けてコツコツと読み進めてきたが小難しくてずっとうんうん唸りながら読了した。

    意味だけに囚われないで、物事をみたり感じたりすること、それをするだけの心の余裕や、気持ちに余白を持っておくということが、センスの良い人になるためには大切なんだろうなと、ざっくりと幼稚な感想ですが本を読んで感じたことです。
    ---------------

    「それは何なのか」、「何のためなのか」から離れて、ものそれ自体の面白さを見る、つまり意味を脇に置いて、リズムに感覚を届かせることです。
    (p.74)

    目的達成を遅延し、余分なサスペンスを楽しむことが丁寧に生活を楽しむことたと言われたりする。
    ただ、それが楽しい時と面倒な時がある。適当に済ませることと、時間をかけたいことを織り交ぜて生活することになる。(p.96 一部略)

    何かをやるときには、実力がまだ足りないとという足りなさに注目するのではなく、「とりあえずの手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性で何ができるか?」を考える。
    人生は有限です。いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。
    (p.183一部略)

    不安を解消するための有効な方法は、明確な目標達成のタスクを行うことです。
    部屋で座ってぼんやりしているのではなく、まず掃除でもする、洗濯する、買い物に行くといった具体的な行動をとることで、可能性の溢れから自分を救い出すわけですね。これは、一種のリズム形成です。悩むよりも行動というのは、意味からリズムへとも言い換えられるでしょう。
    (p.193)

  • この本で言うところの「センスがよくなる」とは、「周りから見てセンス良い人と思われるようになる」という意味ではなく「自分の中にある、自分なりのセンスを信じられるようになる」ということなのだと思った。

    自分は(世の中の多くの人と同じくらいのレベル感で)絵やアニメを楽しむのが好きで、でもやっぱり時代性やテーマやジャンルを重視しがちなところはあったので、「リズムを感じる」を意識して鑑賞してみようかなと思った。

  • 「芸術に関わるとは、そもそも無駄なものである時間を味わうことである。あるいは芸術作品とは、いわば「時間の結晶」である。」

    芸術であれ、スポーツであれ‥それなりの時間をかけて上達して教える側になった人にセンスが無いと言われたら、その道で食べていくのはなかなか厳しそう。逆に、誰かに“センスが良い”と褒められたら、それはなかなかの褒め言葉だし、励みになりそう。センス‥大事ですね。それにしても餃子と芸術を同時に語る著者に強い宇都宮愛を感じる。(親近感)

  •  すごく親しくてセンスを大事にしている人としか話が出来ないような内容です。
     こんな話をすると「意識高い」系の人物と見做される可能性があるので話題に出すのを警戒してしまう。だから作者と話しているつもりになって「そうそう!」等と心中共感しながら読み進めていく事になった。
     序盤で「センスが悪いというのは~」と大真面目に語っていて、悪口ではないんだけど結果的に悪口になっていなくもなく、とても笑ってしまった。「あれセンス悪いよね」と公共の場でそうそう発言出来ないフレーズなので「あ、言ってしまいましたね」という気持ちになりました。そんな事言ったら「あいつは自分でセンス良いと思ってんのね」と思われそうですから。「センス」というのはその言葉一言で、人の丸ごとを
    評価しているようでなかなか簡単に言葉に出来ないワードです。    
     文体も柔らかく日常風景を例に出してくれているのでとても分かり易い内容。
     作者の生まれ育った環境が美術的に恵まれていたのでそういう感性が育ったのでしょう。
     普段無意識に感じていることを分かり易く言語化してくれています。
     印象深い点は下記です。
    ・人間にとって、何らかの意味で不安定な状態は、ただ生物一般として解消したい状態であるだけでなく、どこか「誰かがいないという寂しさ」を帯びているのではないか。
     自分だけが寂しいのかと思ってたら、人間とはベース寂しくて、それを埋めるために色んな工夫をして生きているんだな、と思った。
    ・格好よすぎる物は案外売れないんだよね
    ・バランスが取れて良い人ってつまらないと良く言われるが、どこか欠陥があった方が人を惹きつける
    ・優等生はつまらない
    ・バランスの崩れにこそ魅力が宿っている
    ・差異とは予測誤差であり、予測誤差が程々の範囲に収まっていると美的になる。それに対し、予測誤差が大きく、どうなるか分からないという偶然性が強まっていくと崇高的になる
     共感。バランスを取ろうと完全体(モデル)を目指すことを息苦しくダサいと思っていました。
    ・下手(真面目にモデルを追求するが叶わない態度)よりヘタウマ
      ヘタウマの隙にこそ魅力が宿ると思います。
    ・リズム、ビート、うねり、反復、差異
     生活の隅々に浸透しています。
     すごく面白い本でした!

  • 千葉雅也(1978年~)氏は、宇都宮市出身、東大教養学部卒、東大大学院総合文化研究科博士課程修了、パリ第10大学文学・言語・哲学科Master、仏高等師範学校研究生、東大グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」研究員等を経て、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。デビュー作の『動きすぎてはいけない~ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』で表象文化論学会賞受賞(2013年)、小説『デッドライン』で野間文芸新人賞受賞(2019年)及び芥川賞候補、同『マジックミラー』で川端康成文学賞受賞(2021年)、同『オーバーヒート』で芥川賞候補(2021年)、『現代思想入門』で新書大賞受賞(2023年)。
    私は千葉氏と同じ高校出身(年齢は私が10数年上)ということもあり、その著書は常に気に留め、これまで、『動きすぎてはいけない』、『勉強の哲学』、『アメリカ紀行』、『現代思想入門』等を読んできた。
    本書は、著者によれば、思考についての入門書『勉強の哲学』、倫理についての入門書『現代思想入門』に続く、3番目の入門書で、題名には「センス」というワードが使われているが、テーマは広い意味での「芸術感覚」である。
    私なりの理解を記すと以下である。
    ◆センスとは、直観的にわかることで、様々なことにまたがる総合的な判断力である。センスが悪いというのは、モデルに合わせようとして合わせきれない状態であり、センスを良くする(目覚めさせる)ためには、モデルを目指すことから降りることが第一歩。
    ◆センスとは、あるものを、「意味や目的」ではなく、「リズム(デコボコ)」で把握することであり、20世紀に流行った「モダニズム」とは、まさにそうした潮流のこと。リズムには、「ビート(存在/不在の切り替わり)」と「うねり(存在/不在には還元できない、もっと複雑なもの)」の2つの側面がある。
    ◆意味は、全体としての意味(大意味)と部分のつながり(小意味)に分けられ、小意味に注目する態度が大事。また、意味についても、ビート(対立)とうねり(対立までは行かない、距離のデコボコ)という2つの捉え方ができる。
    ◆「自由エネルギー原理」によれば、生物の様々な機能は、予測誤差を最小化するという原理で説明できるが、リズムを面白いと受け止めるためには、予測誤差に対する耐性ができていることが条件である。また、人間には、そうした安定志向を超えて、不快=刺激を求める性向がある。
    ◆面白いリズムとは、ある程度の反復があり、差異が適度なバラツキで起きること。反復と差異のバランスが人によって異なること(=偶然性)がリズムの多様性となり、それが個性的なセンスとして表現される。下手とは、モデルに対して届かないズレで、ヘタウマとは、モデルに対して超過している(余っている)ズレであるといえ、自分に固有の、偶然性の余らせ方を肯定することが大事。
    ◆芸術鑑賞の本質とは、目的・答えに辿り着くことではなく、途中でぶらぶらするような、そもそも無駄なものである時間を味わうことである。
    ◆芸術とは、それを作る人の「どうしようもなさ(=問題)」を表すものであり、偶然性を持ちつつも、繰り返し浮上し反復するという必然性を持っている。センスの良さとは、反復と差異のバランスでありながら、人は何かにこだわって繰り返してしまうものであり、それはいわばアンチセンスである。よって、「センスは、アンチセンスという陰影を帯びてこそ、真にセンスとなるのではないか。」
    私は正直なところ、これまで現代美術が良い・面白いと思ったことはほとんどないのだが、そういう意味では、本書の芸術感覚のアプローチが、これからそうしたものを見る際の助けにはなることは間違いないだろう。
    加えて、私が目から鱗であったのは、もう少し広い2つの考え方である。
    一つは、物事には、「何を言いたいのか」、「何のためなのか」という大意味ばかりにこだわらない視点があり得るのだということ。これは、芸術分野に留まらない、柔軟な思考の大切さを再認識させてくれた。
    もう一つは、人間は予測誤差を最小限にしようとしつつ、それに反する不快・刺激も求めるという性向があるということ、更に、快適に感じる安定/刺激のバランスは人によって異なると思われること、である。私は予想外の事態が起こることを大変嫌うのだが、自分の行動性向の背景が、この考え方により改めて理解できた。
    様々な気付きの得られる好著と思う。
    (2025年3月了)

  • -どうしてもそうならざるをえない問題的なものが芸術と生活にまたがって反復され、変形されていく。人が持つ問題とは、そうならざるをえなかったからこそ、「そうでなくてもよかった」という偶然性の表現でもある。問題が繰り返され、何かひとつの塊に見えてくるほどにそこから、果てしない広がりとして偶然性がまばゆく炸裂する。

    ◾️

    この人は、「センス」さえも細かく砕いて言葉にしてしまった。

    ぼくは自分の部屋を見渡す。ぼくの抱えるどうしようもない「問題」、、そうでなくてはならなかったという、どうしようもない必然性と、そうでなくてもよかったという偶然性の両方を内包する部屋で、ぼくはまたぼくの好きなものを並べる。

  • SNSが普及した情報過多の時代、私たちは「何が価値あるのか」「何のためか」と意味や正解を求めてしまいがち。そんな中、本書のタイトルに惹かれて読んでみた。

    「センス」とはきわめて曖昧な言葉だが、著者は現代社会における「センス」を、芸術や日常、自己の在り方にまで広げて哲学的に掘り下げる。そして単なる才能や美的感覚ではなく、ものごとを捉える姿勢や直感的な判断力として再定義する。

    カントやドゥルーズなどを参照しつつ、現代社会の情報過多やAI時代において、意味や目的に縛られず、細部や瞬間の「リズム」や「小さな意味」を味わう姿勢を重視する。著者は、芸術作品や日常の出来事を「リズム」として捉えることで、私たちの感性や判断力を解放し、世界をより豊かに味わうことができると説く。

    興味深いのは以下の視点だ。既存の価値観やモデルの模倣にとらわれず、むしろ「ヘタウマ」や「アンチセンス」といった、個人の「どうしようもなさ」や不格好さを肯定する。たしかにAIには真似できない。生きた人間の感覚的な衝動や創造性こそが人間のセンスの源泉なのだという。

    意味の呪縛から解放され、自分なりの感性を鍛えるための実践的な指針となる。プロほどの知識はないことを前提に美術館やオペラはそんなに抵抗なく行ける方だが、この本にあることを念頭に置いて出かけてみようと感じた。

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著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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