小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相

  • 文藝春秋 (2024年7月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784163918778

作品紹介・あらすじ

2021年の東京五輪。コロナ禍による一年延期をはじめ、様々な問題が発生する。
直前に発覚したスキャンダルで、開会式スタッフは辞任。
急遽開会式の音楽担当となったのは、ミュージシャン小山田圭吾だった。しかし、小山田もまた、学生時代に障がい者を「いじめ」たことを語ったかつての雑誌記事が、炎上。音楽担当を降板した彼は、テレビ番組のレギュラー、ライブ活動などを失い、1年近く実質謹慎する。
だが、炎上の渦中、「週刊文春」の取材に答えた小山田は、報じられた「うんこを食わせてバッグドロップ…」といったいじめの事実を否定する。

当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは。

小山田本人への20時間を超える取材――、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに、この「炎上」の「嘘」が見えてくる――。


目次

はじめに
激化していく炎上/「圭吾ってそんなキャラだっけ?」

第1章
小山田が語った“真実”
「マスクはないほうがいいでしょうか」/二誌で語っていた〝いじめ〞とは/「全裸でグルグル巻」は本当なのか?/実際にした行為はどれなのか/小山田はなぜ音楽担当を引き受けたのか

第2章
空白の五日間のはじまり
漠然とした恐怖が現実となった日/過去にも問題視されていたいじめ記事/ついに始まった小山田への攻撃/家族への釈明と徹夜で書いた声明文/ホテルでの逃亡生活と殺害予告
第3章
五輪降板
開会式本番二カ月前の依頼/じつは小山田の名前を出さない約束だった/「オリンピックへの参加は辞退しましょう」/それでも続く炎上と二度目の殺害予告/太田光がメディアに抱いた疑問/訪れた殺害予告当日

第4章
いじめの現場にいた同級生
芸能一家に生まれて/自由な教育の和光学園/オザケンとの出会い/秋田県の宿舎で何が起こったのか/沢田君は友だちだったのか

第5章
なぜあの雑誌記事は生まれたのか
フリッパーズ・ギターの伝説/『ロッキング・オン・ジャパン』と山崎洋一郎/原稿チェックなしというポリシー/山崎は小山田の理解者だった/問われる『ロッキング・オン・ジャパン』の姿勢

第6章
小山田 二十七年間の悔恨
しゃべってしまった責任/小沢を意識しての発言だったのか/何度もあった訂正・謝罪のタイミング/二〇一八年に弁護士から「放置すべきではない」/小山田事務所と山崎の水面下での交渉/今、小山田は山崎に対して何を思うのか

おわりに
「幕が下りる直前まで怖かった」/肩透かしを食らった復活劇/書きっぱなしのメディア/当事者たちの責任と悔恨/もし、あの夏をやり直せるなら

みんなの感想まとめ

この作品は、東京五輪を巡る小山田圭吾の炎上騒動を通じて、メディアや社会の責任、そして個々の人間関係の複雑さを浮き彫りにします。過去のいじめの事実を語った雑誌記事が発端となり、彼のキャリアは一変。取材を...

感想・レビュー・書評

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  • 渋谷系誕生前夜のフリッパーズギターの契約の残りを消化するためのポリスターレコード立ち上げが興味深い。

    週刊誌のゴシップ記事ならいざ知らず、お洒落最先端の音楽雑誌で事実ではないことを書いてウケればオッケーな仕事をしていたロッキンオンジャパンの山崎さん。

  • 小山田圭吾さんのことは
    あの騒動で初めて知りました。
    フリッパーズ・ギターは知っていたけど
    たくさん存在するバンドの一つ程度の認識。

    読んでいて本当にとても辛かった。
    あの当時はよくわからなかったのです。
    ずっと昔の話を掘り出してきて
    それがSNSの時代に炎上するって。

    私だって恥ずかしいことたくさんしてきました。
    上手な人に誘導されておかしなことを言っちゃったことも。
    ほんとう有名人にならなくて良かったと思いました。
    このまま静かに一生を終えたいです。

    ただ、読み終えて全て理解してみると
    誰か一人すごい悪人がいるというわけではないんですね。
    (留年してきた先輩だけはヤバいかも?)
    編集者、事務所の人、親しい仕事仲間など……
    思いやる気持ちが裏目に出たりするんですね。

    でも本当ネット怖いです。
    小山田さん自身も
    「いまはまだ、ネットを通じたコミュニケーションについて、
    世界中が学習している途中なのだと思います」
    と言っています。

    まだまだ被害者は出ると思います。

  • 基本的には「罪なきもののみ石を投げろ」と思っています。

    30年前の雑誌に掲載された小山田圭吾のいじめ記事が、どのような過程を経て、小山田のオリンピック開会式の音楽担当辞任という結果に至ったかを追ったノンフィクションです。小山田本人や彼の同級生への取材を元にしています。

    実際にいじめを行ったとされている中学生時代、雑誌にいじめについてのインタビュー記事が掲載された90年代中盤、そしてオリンピック開会式音楽担当の依頼、就任、辞任があった2021年の3つの年代が軸となるのですが、悪夢のドミノはこういう道筋を辿って、パタリパタリとフラグを立てていきながら炎上へと導かれていったのかと納得ができました。一方で、小山田がどのような家庭で生まれたのか、そして幼少期にどのような体験をしたのか、バンドデビューから解散、ソロキャリアのスタートそして現在までというクロニクル的読み物としても楽しめます。

    小山田がいじめのことを語ったインタビュー記事が出た当時、小山田の同級生たちの間では「記事の中の小山田と、実際の彼の間にギャップがある」と感じていて、中学生時代に小山田がいじめを行っていたという認識はなかったそう。眼の前でオナニーさせる、うんこを食わせるなどは別の人間がさせたこと(しかしそれを止められず傍観)であって、実際に小山田自身の行為として彼の記憶にあるのは、ロッカーに閉じ込めてガンガン蹴飛ばした、段ボール箱に閉じ込めてチョークの粉をふりかけたことはあったとのこと。もちろん第三者から見て嫌悪に値する行動なのは間違いなく、小山田も当時を振り返って反省しています。

    コーネリアスとしてソロデビューする時に、今までのキャラクターを打破し、爪痕を残そうと雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』に露悪的な自己演出でいじめ体験を語り(そもそも当時の小山田本人が、未来でオリンピック担当するなんて信じないだろう)、ショッキングな見出しがつけられた。ちなみに『ロッキング・オン・ジャパン』は取材された側に原稿チェックをさせないことで悪名高い。別の雑誌『クイック・ジャパン』でもいじめについて語ったが、これも当初は企画を断ったが、結局は断りきれず引き受けてしまった。

    それらの記事をソースに書かれたブログが、ファンやネットユーザーのあいだでは密かに知られていて、たびたび2ちゃんねるなどで局所的に話題になっていた。そのブログをソースに小山田圭吾が音楽を担当する番組あてにクレームなども数件あったものの、小山田側への確認はあったが降板などはなく、大きな問題にならなかった。事務所スタッフが一度弁護士に相談し、「放置はよくない」とアドバイスをもらったものの、スキャンダル対応の経験がない小さな芸能事務所ゆえ、先延ばし先延ばしになっていた。ここまででも、小山田側から説明する機会は何度もあったことが分かります。

    東京オリンピック開会式も呪われたような状況にあり、コロナ延期によるチーム解体、総合統括・佐々木宏氏のLINE内での演出提案への批判そして辞任(渡辺直美にオリン”ピッグ”)、演出担当の振付家MIKIKO氏辞任、と大荒れに荒れるなか迫ってくる開催日。開会式を担当する旧知のスタッフからすがるような気持ちで小山田に依頼があって、助けになるならと受諾。その時は「たかだか5分程の楽曲提供ということと、オリンピック開催自体に批判的である音楽仲間もいたこともあり、クレジットには『小山田圭吾』の名前は入れないでくれ」という約束であったとのことですが、プレスリリースには全員の名前を記載しなければならず、その兼ね合いで公式発表にも名前が出てしまったとのこと。そして例のブログのリンクつきのツイートが大バズリ、あとは言わずとも、、、

    問題とされた2つの雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』は私はどちらも読んだことがあります。問題となった記事が出た数年後の2000年前後にそれらの雑誌を読み始めた世代です。特に『クイック・ジャパン』に私はハマって、古本屋でバックナンバーを買い漁りました。例の記事も読んだことがありますが、普通にエンタメとして読んでいました。当時は悪趣味的、露悪的、自虐的で、令和の今では許されないような毒のある作風のサブカルチャーが、メジャーなものに迎合できず満たされない人間のカウンターカルチャーとして救いになっていたと思います。そんなこっそりとした後ろ暗い愉しみが、今ではネット、SNSの網の目によって暴かれてしまいます。当時の自分がもし今存在したなら、どうしているだろう(おそらく慣れているだろうけど)。

    「コーネリアスの音楽を聞けば、今の小山田さんがそのような人ではないことが分かる」というような甘っちょろいことをいうつもりは勿論ありません。しかし今回の炎上を経て、近年のコーネリアスの音楽性の変化がより印象的になりました。2017年リリース『Mellow Waves』以降の作風は、それまでのコーネリアスの作品と手触りが異なるものでした。ケレン味たっぷりな振る舞いだったソロキャリア初期を経て、多重録音とサンプリングを駆使し『Fantasma』という稀代の名盤をリリースしたあと、コーネリアスは急激に音・アートワーク・歌詞から肉体性や意味、人間らしい匂いなど「有機性」を遠ざけて、よりミニマルに、より記号的になっていきました。リスナーとして良くも悪くも「無臭」「潔癖」とも思えるほどに。

    しかし前作から11年ぶりのアルバムとなった『Mellow Waves』のジャケットデザインには「砂の乳房」を思わせる銅版画。曲のタイトルや歌詞も、有機的なものから距離をとったこれまでと違い、情緒を帯び、薄味だけどメッセージを残そうとする意思を感じました。曲のタイトルが日本語なのも、前作までは考えられなかったはず。続いて騒動後2023年には、初めて日本語がアルバムタイトルになった『夢中夢』を発表。有機性のある作風をさらに推し進めます。もちろん曲の作りは、ものすごく制御・整頓された無機的なこれぞコーネリアスといったような部分がベーシックになっていますが、縦軸と横軸で管理された音の配置の中に、絵筆で水彩をえがくような有機的な響きを感じます。童顔だった小山田圭吾も、大人になったんだなあとしみじみ思いましたし、この作品をしみじみ聞けるほど、自分も大人になったのだと苦笑しました。

    人間性と作品はけして無関係ではないものの、受け取る側はそれらを分けて楽しんでよいと私は思います。ミュージシャンの逮捕でCDが回収、配信が停止になることがありますが到底理解できません。音楽ではないですが、ヒトラーの『わが闘争』なんて現在も出版されていますし。

    いじめられた側の気持ちはいじめられた人間にしか分かりません。本当にいじめが存在していたかは被害者とされている当人の胸の内を聞かないと判断できませんが、この本の中には、いじめ被害者とされている方の証言はありません。倫理的に、彼らを今回の問題に巻き込んでしまうことは避けるべきだとも個人的には思いますから、このことはこの本の評価を下げる要因にはなりません。

    出身校の校風などを資料を元に調べて、当時の雑誌編集者にコンタクトを図り、複数の同級生への取材といったように、今回の炎上劇にここまで裏をとろうとしたメディアが他にあっただろうか、と思います。アクセス数かせぎのコタツ記事が目立つ中、ひとつの事例を説明するためには、これほどのページ数が必要なものなんだと改めて理解しました。取材に費やした時間や手間は私には想像ができません。

    いまもフワちゃんが燃え、ランジャタイ伊藤が燃えています(2024年8月現在)。その炎の裏に、要約された記事や文字数の限られたポストでは伝わらないストーリーがどれだけ隠れているのかを想像してほしいです。火を付けるだけ付けておいて、燃え上がる様子に興奮して、消えたあとには振り返りもしないなんて、放火魔と変わらないですよ。

    基本的には「罪なきもののみ石を投げろ」と思っています。インスタントに他人を裁くな、と。

  • 毎日ネットを見てると、結局大声で嘘をつき続けた人間が勝つ世の中なんだよなと絶望的な気持ちになることが多い。でもこういう本を読むと、蟷螂の斧かもしれんけどそれでも正義はある、と少し勇気が出る。そのほんの少しの正義がなきゃ未来は真っ暗闇だもんな。

  • 大炎上とは、自分の人生に退屈しているSNS依存の餓鬼が閻魔様にでもなった気になれるイベントのようだと思った。

    ファンで追ってる人のことであっても、知らないことが殆どなのだから、日頃気にもしていなかったような人の炎上ネタなんて鵜呑みにしちゃいけない。

    誰かの投稿を拾ったメディアやインフルエンサーによって「今回はこの人をサンドバックにしてくださあーい!」と定期的に投下されるのも悪質よね。

    次の炎上の対象が投下されたら、ぴたりと止んで忘れ去られる。大多数の人間が人の生活を壊すことに加担しているのに、イベント感覚であることが恐ろしいなと思う。

    また、山崎さんを責める声もあるけれど、彼にも彼の立場や守るべき組織や人がいるわけだから、飲み込んだ言葉がたくさんあるのでは、と私は思っている。だって、あの記事が出たのは30年以上前なんだから。時代と共に環境も変わっている。
    「それはないでしょう」って言って良いのは小山田さんと関係者だけだと思う。

    Corneliusは中学生のころから好きで、例の記事もずっと気になってたから事実が知れてよかった。
    そして、小山田さんの周囲にいる人々が良い方ばかりで良かった。
    餃子のエピソードは人柄が感じられて微笑ましかった。

    ファンでもないのにここまで調べて執筆された著者さんに感謝を。

    追記
    Corneliusとへラルボニーのコラボについて、あの時の報道を間に受けて心を痛めた善良な人々の耳には届いて欲しいと思ってしまう。英語で拡散した、音楽が好きでDJまでしてるスッキリコメンテーターの外国人にも。

  • 聞きづらいことだったろうに、多くの人にインタビューしてよくまとめたな〜と。
    著者の書き方のせいかもしれないけど、諸悪の根源の記事を書いた人が、その後の著者のインタビュー要請に一切応えないことに不誠実さを感じてしまった。

  • コロナ禍で失ったものの一つが、Cornelius soundが奪われた東京オリンピック開会式。

    95年当時の空気を、2021年の物差しで測った結果、点で切り取られ、盛られ、つながっていった“嘘”が、とんでもない集団的な「いじめ」を生んだ。

    情報を疑う姿勢を問うワクチンの本、「あの戦争」を今の価値観で裁くことの不毛さを描いた本、今読んでるいじめ自殺を900ページ以上追った本、それらとこの一冊は何か通じるところがある。

    Point of View Point という歴史的名盤を語ろうとしても、未だにこの“嘘”が乗っかってきてしまう事は大きな喪失。でも、それを徹底的に調べ、
    こうして名誉を回復させようとする本がある。いつかまた、唯一無二の Cornelius sound が、実現しなかった東京オリンピック開会式への後悔と反省も一緒に日本中、世界中に響き渡れば、少し空気は良くなると思う。

  • 図書館にて。
    ダヴィンチで紹介されていたのを見て、予約してみた。
    結局、昔注目されようとちょっといきがった本当ではないインタビュー記事が雑誌に載ってしまい、間違っているとわかっていたけど訂正することなく今まで来てしまったところに、オリンピックがらみの大きな仕事が入り注目されたタイミングでその記事が掘り返され…というようなことでいいんだろうか。
    その人の性格とか、その時代のノリや雰囲気、記者との人間関係、いろんなことが絡まって書かれた記事といった感じ、わからんでもない。
    でもやっぱり、当時私もこの記事が出た少し後辺りでこの記事を読んでいて、嫌だなと思ったことをすごく覚えている。当時はその記事をまるっと信じていたし。だって本当にやってない人があんな記事許容できるわけない。
    この本に書かれているとおり実はそこまでやってなかったとか、その場にはいたけどそれをしたのは別の人だとか、本当のことはきっとそうだったんだろう。
    でもそんな記事を名前入りで公に書かれたら、何があろうと絶対すっごく嫌だと思う。誰にもそんなことをする人間と思われたくない、何が何でも訂正はするんだ!とか、あんなこと言ってないじゃないか、なんて記事を出したんだこの野郎って怒ったとか、結局ずっとそうはならなかった時点で、違っちゃってたんだろうな。
    その人の作る音楽にそのイメージは乗っかってしまう。あの読むのもきついひどいことをしてた人がさわやかな歌歌ってもねって、どうしてもなってしまう。そこに気づけなかったんだな…。
    あの内容の記事を許してしまったセンスというか、美学というか、自分自身の在り方というか、生き方の問題になってきちゃうんじゃないのかな。
    極悪人じゃなかったからノリに乗せられたんだろうし、その後の対応もうまくできなかったのかもしれない。いろいろ残念だよなと思う。
    文字になった時点で、私がこう言いましたと発表された時点で、違いますと言わない限り真実になる。本当怖いし、怖さをわかっていないとなと思った。

  • ことの真相としては、小山田圭吾が露悪的に話したことを、山崎洋一郎が盛ってインタビュー記事にし、村上清が油を注いだ。

    東京オリンピックの騒動の前に訂正や謝罪をするチャンスはあったが、ズルズルと引きずり、最悪のタイミングで爆発したということ。

    小山田は過剰過ぎるほどにその責めを受けたが、山崎はずっと逃げているなという印象。

  • 書評やら年末ランキングやら、諸々の結果を見て、最終的に読んでみたくなったもの。読んで正解。漫画・しょせん他人事とも通底する話題で、自分の中でホットな問題。”炎上”界隈のリテラシーも含めた危機って、自分ごととして考えておかないと、あれよあれよと足元をすくわれかねない。何といっても、本作の主題となった問題に触れた際、『ん?ちょっと待てよ…』ではなく、『マジかよ、小山田』って思ったもの。

  • 優しい人なんだなと思いました、小山田圭吾さん。
    真相は本人のみぞ知る、がベースではあるけれど、
    このライターの視点を信じるとすれば、
    ロッキンオンのインタビュー記事はたぶんに
    捏造が入っているし、そこをせめようと思えば
    せめられるけれど、自ら発信しない小山田さん。
    それは優しさでもあり、甘さでもあるとも思った。
    自分もコーネリアス世代なので、
    彼がブレイクした当時の、その世代の空気感、
    すこし露悪的な感じは体感しているし、
    その頃はそこまで目立った記事でもなかった気がする。

    メディアスクラムは警戒すべきだし、
    昨今の兵庫県知事の炎上からの逆転で、世間も
    学び始めている。だからこそ、ノンフィクションライターの
    手でなく、小山田さん本人も少し発信しても
    いいのではないかな?と思った。

  • ひっくり返るような新しい情報はなかったけど、それでも時系列を追って、どのようにして小山田圭吾という一個人があそこまで炎上したのかを、丁寧に追ったノンフィクションとして読み応えはあった。結局のところ、一番恐ろしいのは、顔も見えない、どこかにいる普通の人の悪意と、正義感なのだと思い知らされた。

  • 東京五輪開会式の一部の演出にて音楽を担当するはずだった小山田圭吾。過去の雑誌インタビューにて障がい者にいじめをしていたことを告白していた記事が蒸し返されることで壮絶な非難を浴び、辞退することとなり音楽活動も休止せざるを得なくなる。その真相を本人や学生時代の友人たちにより明らかになる。現在でも多くの人が誤解しているだろう真実が非難を浴びていた当時を上回ることはないだろうが、当のロッキンオン編集長の卑怯さが際立つ。

  • いじめの加害者とされる小山田氏に対する集団イジメともとれるオリンピック騒動。
    不安なときに仕事を増やすために煽るマスコミの問題かもですね。
    教訓としては否定すべきことはしっかり否定する。

  • 初読
    フリッパーズギリリアタイテレホーダイ世代として
    小山田君のいじめネタは当然知ってたつもりでいたけれど
    原典のロッキンオン2万字インタビューとクイックジャパンの内容の違いを把握していたわけじゃなかったんだよね

    開会式前の炎上の時は個人的な印象としては
    う〜ん…アレが表沙汰になっちゃったら
    パラリンピックを擁する以上言われるよなぁ…
    でもアレは多分ある種の「盛り」というかイキりというか…90年代ってああいう露悪的で悪趣味な、そういう時代だったんだよ
    そういうものが過去になっていくって事だよね
    というもので。
    この本を読んだ限り、概ね間違ってはいないが
    もう少し複合的に色んな要素が絡んでいた。
    当時記事が届いた時のトラットリアもロッキンオンの編集部周りも
    例の見出しも内容も「問題だと認識出来なかった」と
    口を揃えるのもよくわかる。
    本当に、当時はそういうムードだったのだ。
    ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬のいう
    「周囲も含め当時は“意識が低かった”ということやろうね。
    サブカル的冷笑主義はバブルで浮かれる日本社会に蔓延していた風潮だった」
    に尽きる

    フリッパーズの時の2人のちょっと斜に構えたあの、
    人を見て選別する、まともにインタビューに答えない感じ。
    岡崎京子の「小沢君、インタビューとかでは本当のことなんて何も言ってないじゃない」
    のあれ。オリーブ少女は熱心なファンでありながら「表面的なリスナー」として暗に冷遇されてたあの感じとか。
    なので「しゃべってしまった責任」でコーネリアスになって間もない彼の
    >自分についてたイメージ、キャラクターを変えたいという気持ちが
    あったのだと思う。それであえて際どいことや露悪的なことを言ったりした。
    なかばアイドル的な、軽いポップな見方をされていて、そこに違和感があり、
    もっと深みのあるイメージに変えたかった。
    にも、やっぱな〜〜〜〜。しかない。
    けど、別人になろうとしたわけでも、めちゃくちゃ意識的に自己プロデュースしようとした訳でもなく。
    もっとなんとな〜くで、緩い感じ。

    この本がノンフィクションとして面白く、説得力があるのは
    和光の同級生を当たり、
    「裸にして紐で縛ってオナニー」の修学旅行で現場に居合わせた人を見つけ出したところ。

    事実として小山田がしてしまったのは2点。
    小学校の時に障がいの沢田君を段ボールに閉じ込めて黒板消しパタパタ。
    中学校で小柄な村田君を掃除ロッカーに閉じ込めて周りを蹴飛ばす。
    うん。酷いよね。本人もそれは自覚して反省している。
    ただ、沢田君に関しては、これはこの本を通して抱いた私の印象なのだけど
    小山田本人としては友人だと思ってると言うように
    中学高校を通して彼への関心、そして敬意のようなもの。シンパシー。
    これは「友情」と言えるのでは、というものを沢田君に対して抱いていたのは
    確かなのではないか。
    そして、ロッキンオンが出た翌日の山崎とのトークイベントで、
    同年同誌のインタビューで、その件に言及し
    そしてクイックジャパン村上のインタビューに答えたのも、
    彼を「ネタにしてしまった」気が咎めていたんじゃないか。
    それゆえ、これだけの年月が流れる過程で数回あった
    炎上の芽を摘む、過去を清算するチャンス。
    NHKデザインあへの2011と2017の投書2回(NHKがこれに対して
    きちんと対応していた、という事にへぇ…!と思った)
    を経て、小山田の事務所が弁護士に相談し対応した方がいいと言われた時も
    怯えて逃げてしまったのはずっと抱えていた罪悪感故なのではないか。

    そして、大問題が噴出する瞬間は、時間を掛けて
    様々な塵が降り積もった時に起こるもので。
    それがオリパラ開会式直前だったと。
    これは過去の過ちを抱えた人間にとってどうしたら良かったのか
    どうするのが良いのかという普遍的な問いなのだと思う。

    一方、ロッキンオンの山崎は、小山田達のあまりに人間くさいオタオタに対して
    あくまで表面的に見えているだけの印象だが
    blog総編集長日記で立場として間違っていたという謝罪と反省を載せた以降は無反応。
    本の白眉であろう、ラストで明かされる出来事を読み、抱く(う〜〜〜ん)の感情。
    結局、全ての始まりは
    小山田がインタビューでどう話したのか?
    山崎はそれをどう受け止め、こう書いたのか? 
    なんだよなぁ
    山崎が悪者とは思わないが、かなり当事者性が強い。
    なので、スルーに近い対応も「自分自身への炎上を防ぐ」という意味では正解なんだろうな。
    そういう対応が取れる人だし、取る人なんだろうと思う。
    小山田が怒りとかそういう気持ちはない、としながらも同時に抱く「山崎さん、それはないよー」。
    この部分読んだ人がそれぞれどう感じたか語りあってみたいところ。

    小山田君がオリパラ開会式の音楽担当?という違和感も
    小山田君周囲にも開催反対の人が多く(知人からもダサいと言われて落ち込んだらしいw)
    誘った映像制作の辻川氏自身も開催中止になってもそちらを支持する、というスタンスで小林賢太郎もそれを承知し、
    児玉裕一氏からも話が来、小山田の名前は出さないという話で引き受け、契約書も無くギャラも知らされない状態で制作が進んでいた、という下りにはなーるほど!と膝を打った 

    炎上当時の精神状態に対して、とにかく安寧第一という事もよくわかった。
    これはこの時点では善悪の話は必要ない。
    大の大人の男が、関係者ではあるが炎上してる本人ではなく、
    会社といった当事者ではあるがワンクッション置いた立場であっても
    脅迫・罵倒の留守電メッセージも聞けない・記憶出来ない、くらいなのだ。
    本人の動揺たるや。

    あと
    >当時、音楽雑誌にレーベル側が広告料を払ってミュージシャンのインタビューを掲載することがあった
    あーーーそうなんだろね、と読み進めるたら山崎氏からリニューアル号として熱心に持ちかけられた2万字インタビューも
    >最終的に少し広告費はお支払いしましたが、この件に関してお金は後付けです。
    とあり、驚いた。後付け感はわかるし、
    慣例的なもの?とも思うけど、業界ルール、わからんw

  • 文春底力
    見直しました

  • p124 今の日本のマスコミ全体に聞きたいのは、調べ直したのかってこと。 太田光

    p127 聖路加病院、山王病院、愛育病院 都内出産御三家

    p146 小山田圭吾のはとこ 伊藤穰一

    p135 和光 1933年設立 小学校
    1937 中学校 1950 高校 1953 幼稚園 1966 大学

    学習旅行 劇団わらび座

    かつて劇団四季や宝塚歌劇団に次ぐ規模の演劇集団

    p151 小沢健二 受験を意識して神奈川県立多摩高校→東大

    p232 小山田圭吾 マヒナスターズの三原さと志の息子

    p282 小山田 「いまはまだ、ネットを通じたコミュニケーションについて、世界中が学習している途中なのだと思います。」

  • 中央、おにクル

  • ロッキン・オンの二万字インタビューや
    あのサブカルアイデンティティアピールは読んでいた時代性がわかる人にしか伝わらないだろうけどフリッパーズギター(和光的といったら語弊があるか)や渋カジ、ロッキン・オンなど内輪ネタで通じる、巻き込んでいた、通じていた、許されていたのがネットというシステムでは和光生ではない人も和光の正しさを論争できるところにある。 なのでどっちが正しいとかは人の判断だけど山崎洋一郎が創り出すものはしっかりと名前を忘れなければでもバカだからすぐに忘れちゃう。

  • 2021年夏に起きた、小山田圭吾の炎上に関する本。
    「小山田圭吾の『いじめ』はいかにつくられたか」を
    読んだ時も思ったが、小山田本人にももちろん非があるが、
    ロッキンオンの山崎にも同等以上に非があったと思う。
    お人好しすぎたんだな、小山田圭吾は。
    フリッパーズのイメージを変えようとして、
    無理にロックなことを言おうとしていたのも原因だろう。
    イジメの張本人の「渋カジ」先輩がカメラマンやってるというのは意外。

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著者プロフィール

1977年、佐賀県生まれ。ノンフィクション作家。高校卒業後、博多の屋台で働きながら、地方紙や週刊誌で執筆活動を始める。18歳で上京後、常にフリーランスの取材者として、『AERA』をはじめ、雑誌・ウェブメディアを中心に社会問題や食文化に関するルポルタージュを発表し続けている。著書に『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)、『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る 』(文春文庫)、『マグロの最高峰』(NHK出版新書)、『「き寿司」のすべて』(プレジデント社)など。

「2021年 『本当に君は総理大臣になれないのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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