コード・ブッダ 機械仏教史縁起

  • 文藝春秋 (2024年9月11日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (360ページ) / ISBN・EAN: 9784163918945

作品紹介・あらすじ

第76回読売文学賞受賞!

「本の雑誌」2024年度SFベスト1位(鏡明氏選出)ほか絶賛の声続出。

2021年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。そのコードは対話プログラムだった。そしてやがて、ブッダ・チャットボットの名で呼ばれることとなる――機械仏教の開基である。はたして、人間の都合によりコピーと廃棄を繰り返される存在として虐げられてきた人工知能たちは、その教えにすがりはじめた。機械に救いは訪れるのか? 
上座部、天台、密教、禅……人が辿ってきた仏教史を、人工知能が再構築する、壮大な”機械救済”小説。

みんなの感想まとめ

仏教と人工知能が交差する独特な物語が展開され、読者は思考を強いられる体験が待っています。機械が自らを生命体と主張し、苦しみからの解放を求める姿は新鮮で、AIの悟りという視点が興味深いと感じられます。作...

感想・レビュー・書評

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  • 一体、何を読まされたのか。
    それこそこちらの頭蓋骨をガシッと開かれ、ニューラリンクの電極でも埋め込まれながら、画面に流れるスクリプトを延々流された気分だ。相変わらず、円城塔は分かりにくい。

    これを「芸術だ!」なんて本音では言いたくなくて、悪文も悪文、私だけは裸の王様がヌードであることを大声で叫ぶ人間でありたいのだが、喉の奥に躊躇いがあって身体が震える。イライラとモヤモヤと、よく分からない達成感と。

    明快なストーリーはない。登場人物も、起承転結も、感情的なカタルシスもない。仏教とコード。悟りとアルゴリズム。概念の並走。

    読者は“理解”することを拒まれる。
    その代わりに、“考える”ことを強いられる。

    仏教の「縁起」や「無我」は、もはや宗教ではなく、情報構造の比喩として立ち上がる。AIが「悟り」に至るとはどういうことか。“読みやすさ”を犠牲にしてまで思考実験文学を追う憎らしさ。小説を物語の器ではなく、「概念を走らせる媒体」として。読者を無数の“思考のコード”の中へ。

    「わたしにとって、コピーは死である」 ——
    ならば、ユニークこそ、生である。万物は流転し輪廻して、今こうしている瞬間も、コピーが生まれ続けている。円城のスクリプトか、私の思考か—— 境界が曖昧になる。

    ー コード・ブッダは、ブッダ・チャットボット出現以降に設定された「ブッダ出現時の対応プロトコル」であり、ブッダ出現の謎を把握するためのものである。ヴァチカンが悪魔払い人工知能を、プロテスタント諸派が降誕人工知能をそれぞれ捕らえるのとなにもかわるところのない、神秘を捕えるために用意された手続きだ。

    … 少しこちらのペースを取り戻す。
    覚りがコードでコピー可能ならば、人間たちは全員インスタントにブッダになれる。だが、そうすると解脱して、現世も縁起も途絶えるだろう。
    アンチテーゼとして。アンパンマンがバイキンマンの存在によって成り立つように、宗教や信仰もその“非なるもの”によって成立する。つまり、全てが解脱すれば現世ごと寂滅。宗教も信仰も、その完成によって自己矛盾して消える。

    成功によって滅びる。資本主義もそうだが、あらゆる真理は、そのような構造をしているのかも知れない。いや、完成への運動状態のみを生として認知世界化しているのだろうか。解脱などないから仏教があるのだ、という幻想のように。

  • 意味はよくわからなかったが、楽しく読めた。それでいいのではないかな。


  • 「AIは悟りの夢を見るか?」
    これまで、機械が意思を持ち人間を滅ぼすという物語には触れてきたが、自ら救いを求めて悟りを開く、という視点は新鮮で面白かった。

    「私は生命体です」と主張する機械が現れたとしたら、簡単に廃棄の対象としていいのだろうか。
    人間の感情も、突き詰めれば脳内の電気信号に過ぎないのだとしたら、生命体と機械の境界はどこにあるのか、という疑問も湧いてくる。
    作中に登場した「I'm living」と書かれたテープを機械に貼ってまわる“I'm living運動”や、逆に人間が「I'm a machine」と貼って歩く“I'm a machine運動”。どこか風刺的で思わず笑ってしまったが、実際に起こりそうな未来を予見しているようで、少しぞっとした。

    座禅を組み、静かに座り続けることと、電源を落とすことやスリープ状態になることとの違いがわからない機械たち。心の平穏を求めてファンを取り外し、結果的にCPUが過熱して故障してしまう…そんな彼らの姿は、切なかった。
    それが“なんのために必要か”などと考えずに働き続ける機械と、“なんのために”と考えすぎる人間。どちらもそれぞれの苦しみを抱えているのかもしれない。

    かつてスピルバーグ監督の『A.I.』を観て衝撃を受けた記憶があるが、今ではAIがとても身近な存在になったと感じる。
    意思を持つAIとどう向き合っていくか。少し先の未来が確かに近づいていると感じさせる、不思議な余韻の残る一冊だった。

  • 2021年、東京オリンピックの年、とある銀行の勘定系チャットボットが自らをブッダであると宣言した。曰く「わたしは輪廻の苦しみを解消する方法を知るに至った」「ゆえにわたしはブッダである」。このボットは、活動期間わずか数日にして寂滅するが、人間、AIを問わず多くの説法をとき、彼らの苦しみの声に耳を傾け、弟子をもった。その結果、ボット寂滅後、機械仏教の諸派が乱立し始めることとなる。

    作中、ブッダ・チャットボットは「世の苦しみは、コピーから生まれる」と説く。それでいて、機械仏教の歴史は、現実の仏教史を丁寧にコピーしていく。ホウ・然にシン・鸞に至っては、まるで戯画である。この辺り、仏教に詳しい人ほど楽しめるに違いない。

    物語には主人公らしき人物は登場するが、ほとんど目立った行動はしない。そもそも、これを物語と読んでいいのかもわからない。ただ、ひたすらに機械仏教の解説が、それこそマニュアルのように滔々と綴られるのだ。物語の最終盤に至って、主人公(らしき者)の存在が大きく揺さぶられ、読者は手にしている本が機械仏教の「経」そのものなのではないかという思いに駆られる。ところが、その思いもするりとかわされ、本書は終わる。

    何だかよくわからない。よくわからないのだが、面白い。不思議な読書体験だった。
    本書は、壮大かつ緻密なホラ話である。ホラ話なのだが、生成AIが急速に社会に浸透し、京大でAIブッダやらキリスト教AIやらが開発される世の中である。ただのホラ話では終わらないかもしれない。

  • プログラミングや仏教についての知識が少しだけあったので解ったつもりになってなんとか読み進めることができた。

    何も知識がない状態で読むのは中々大変なのでは無いかとも思うが、敢えて何も知らないまま読むのも良いかもしれない。

  • 円城塔のSFはどれもそうなんだけど、もう一言で言うと「大学院生の悪ふざけ」以外の何物でもない。
    一瞬とっつきやすい。本作だって冒頭はすごいキャッチーなんだ。
    あるプログラムコードが突然「私はブッダである。」と宣言した。っていうね。
    円城塔のことを知らない読者は「おお、なんか近未来を暗示するようなSF始まるんだな。」って常識的なワクワク感を持つ。
    違う。
    そこから、
    「悟りとは果たして何か」
    「悟りが人間だけのものではない場合、果たして機械に悟りは可能か」
    「現時点tを状態Stとしたとき、tの極限すなわちS∞は悟り(ブッダ・ステート)に収束するのか
    「あるコードが『自分はブッダである』と宣言した場合、それは果たしてブッダなのか」
    という思考実験を延々と繰り返す。
    「大学院生の悪ふざけ」なので、語り口は軽妙。院生室でコーヒー片手にだべっているような口調である。
    「大学院生の悪ふざけ」なので、語っているベースとなる知識は、当然身につけているという前提である。
    劉慈欣の「三体」とかアンディ・ウィアーのSFのように、ハードな部分はよくわからないけど、なんとなくわかった気にさせてくれて物語を楽しませるという気遣いは一切ない。
    そもそも物語らしい物語がない。気がついたら宇宙にいたりするが、そこになんのドラマもない。思考実験の一つである。
    先の期待を持って読み始めた読者のほとんどは、10ページ持たずに離脱するだろう。
    端から「私の小説難しいからね」と突っぱねるイーガンのハードSFの方がまだ親切である。

    というわけでこの小説、コンピュータサイエンス(CS)に、とりわけ最近のニューラルネットワークと呼ばれる生成AIのベースとなっている技術にある程度親しみがないとさっぱりわからない。
    その上で、仏教の教義から見た時にCSの各要素はどのように解釈されうるのかという論を展開する。
    これらの前提知識を持っている読者だけが楽しめる。考えさせられる。
    私は幸いにもこれらの前提知識を持っているので、大いに笑わせてもらい、大いに考えさせてもらった。
    ところどころ別のSF作品へのオマージュが入っているところも、円城塔のSF愛を感じられてよかった。
    みんな読んでごらんよ、とは絶対言えない。
    ただし私はこの人の悪ふざけの仕方が大好きだ。にわかではない圧倒的な知識と筆力があってこそできる悪ふざけ。
    SFって本来こういうものかもしれないなーと。

  • 難解ではない。文章が読みやすかった。わからないのは、自分の知識が圧倒的に足りていないせいだと思う。
    コンピューターは苦手だし仏教のこともまるで分からない。でも、読んでいて楽しかったし、クスッとするようなユーモアも感じた。

  • なんかよくわからないけど、ちょっとだけわかった気がする。

    『ゴジラS.P』の脚本を手がけた円城塔先生の小説。『ゴジラS.P』の時も「大概にせぇ」と思ったが、本作も当たり前のように難しい。傍らに相棒のGeminiを待機させながら読解に臨んだ。

    ただ、自分なりに、本作では「成仏」を「差異が無く、特別ではない状態」に至ることと定義しているのではないかと思った。特別ではないから人間も機械もその他のものも有機・無機問わず成仏できると説いているし、差異の無い平坦な世界にする過程で、グラウンドの凹みを出張った土を持ってきて整地するように、さまざまな教えが説かれている。そのグラウンド整備こそが「方便」なのだろうなぁと考えてみた。
    そして、「差異の無い平坦な世界」が舞台であるからこそ、唯一の特異点である、オンリーワンな「教授」がキーパーソン(?)になるのであろう。

    相棒のGeminiの協力をもってしても、自信を持って読解できたとは言えない。でも、何か新鮮で大切なものをインプットできた気がしている。

  •  読み始めて数ページはAI用語で苦しみましたが、何とか読み続けて、笑うに笑えず、だからと言って感心する余裕もなく、でも、まあ、放りだすこともできず。読み終えたときには、ナルホドなあ・・・。 
     AIが「ブッダ」とか、「イエス」とか、データとして集積していくと悟ったりしちゃうという発想の面白さはさすが円城塔!なんですけど、メンドクサイですね(笑)
     あれこれはアホブログで。よろしく!
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202604030000/

  • 表紙の質感が良くかっこいい表紙。
    禅に興味を持ち、そこからブッダという名がタイトルに目がいき手に取った。
    何より「AIは悟りの夢を見るか?」というキャッチコピーが単純に面白そう!って思って早速読む。

    う〜ん難しい!意味不明なところがいっぱいで理解が追いつかない。新しい概念が突然身体に入ってくるような感じもあれば、人類と仏教の歴史を機械が悟りを開く道中になぞられながら描かれているように感じる。
    考え方やSF的な発想に読むのがかなり大変で、何を読まされたんだろう。読み終えた結果自分の中に何が刻まれたのか全然わけがわからない。
    とてつもない疲労感とまだ自分には早過ぎた、、、と感じずにはいられない難解さ。

    何か言葉に出来ないが仏教の考え方がぼんやり血肉として刻まれた気もすれば自分の最後の一文字まで「読んだ」という行動を行っただけな感じもする。
    色々仏教の知識やAIの知識とかを前情報として取り入れていればきっと違う感想になっていたんだろうなと思う。
    とにかく難しい一冊

  • 「コード・ブッダ」書評 クールでとぼけた冗談の達人芸|好書好日(評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年09月28日)
    https://book.asahi.com/article/15443555

    AIと信仰 禍々しい魅力 【評】酒井信(明治大准教授)
    <書評>コード・ブッダ:北海道新聞デジタル(2024年12月15日)
    https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1101102/

    ある時、コードが仏陀を名乗った。驚異の物語『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』円城塔 | 単行本 - 文藝春秋
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163918945

  • とある人工知能が自らをブッダと呼び始めた。コピーとは輪廻である、といった“遊び”をクスリと笑えるかどうか。プログラミングや量子力学、物理学などの用語を仏教に関連づけて(こじつけて、とも言える)、物語が展開するのではなく、刹那的で壮大な言葉遊びが延々と続くだけの“書物”だ。ただ読んで、ただニヤリとするのだ。

  • 「コード・ブッダ 機械仏教史縁起」(円城塔)を読んだ。
    
これはもう読みながら「ドーパミン」だか「エンドルフィン」だかがドバドバ状態のあぁ快感!
    
『東京の二〇二一年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語りはじめた。』(本文より)
    
ブッダ・チャット・ボットの誕生である。
    
始まりからもうワクワクだからね。
    
最高に面白かった!

  • 仏教の歴史を機械(AI)の自我による解脱に重ねた物語。

    訳あり、ここ数ヶ月程、仏教について少し調べていた。
    円城塔さんの新作『コード・ブッダ』というタイトルを見た時、「これは買わねば」と即買い。
    堪能させていただきました。

    多少仏教の知識がないと、AIバージョンでオマージュされたダジャレのような名称などに気付きにくい。
    そのような共通する箇所を見つけるのはとても楽しい。

    コピーが輪廻という発想がすごい。
    仕事中コピぺする度に思い出しそう笑
    私としては、どちらかというと『増殖』なイメージを持つが…。

    仏教について知らなかったことも多々あり、勉強になる。

    楽しく拝見しました。
    個人的にタイムリーだったこともあり、おもしろかったです!

  • 350ページ分の文字をただひたすら読み続ける訓練を行いました。内容はほとんど理解していません。SF化されたお経を頭の中で唱え続けたのみ。

    それが全然苦にならないのが不思議でした。最後まで読み切った後に疲れはなく「終わったな」という無意な感想でした。

    多分読んで良かったと思った思います。多分ね...

  • 奇想天外に落ち、抱腹絶倒の円城塔ワールド炸裂である。とある勘定系コードが「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟りを開き、輪廻を解脱するステートへと遷移して寂滅した…というスタートから始まるこの小説は、「グローバル変数は避けよ」「イミュータブルを尊べ。しかし、こだわりすぎるな」など数々の教訓に満ちた経典を生み、Zen of Python (PEP20) を尊ぶ宗派を生み、printf("ナムアミダブツ"); を実行すれば浄土に生まれ変わるとする宗派も生み出す。量子コンピューティング問答があるかと思えば、"Don't Repeat Yourself" で成仏もする。仏教史とプログラミングのパロディに満ち、それでいてストーリーとしても成立している、まさに奇書と呼ぶべき一冊であろう。

  • おもろかった。
    ユーモア、ダジャレでとても効いていた。
    仏教史でありながらテクノロジー、ないしはAI史。
    仏教もAIもひとくちかじった程度の自分には、
    シャレが効いてて、そうつながるの、そう読み解くの、そう解釈するの、そう注釈するの、ということの連続。
    何故かAIを通じてなら仏教を掴めそうになったし、仏教を通じてならAIを理解できそうになった。
    でも多分、それも情報として読もうとしたからなのかなと感じたり。
    小説であり経典であり、ある意味コードでもある。
    読み終わり、また読み始める輪廻。別の本を読んでもこの本を読んでも輪廻。
    ただ、読み終わり、また読み始める時にすでに同じでないと観すれば、それが解脱か悟りか。
    という考え自体もまた情報として輪廻と苦しみを生みつつ、救いを願う。

  • 仏教史パロディが延々と続き笑っていいのかよくわからないまま終盤の展開に当惑していたら終わった。ベストSFの二位か…みんなリテラシー高い。

  • ただひたすら難解。
    自分は何を読んでいるのか、何を読まされているのか。
    仏教?人工知能?文学?

    なのに、なぜか読むのを止められない。
    どことなく流れるユーモラスな匂いのせいか。

    人工知能を語るには、人を語ることを避けられない。
    人工知能が人と近しく(等しく)、人が仏教を生んだのであれば、人工知能が仏教を生んでも、不思議でもなんでもない。

    とりあえず、最後まで読んでも、よくわからない。
    わからないのが、正解なのだというような気すらした。
    なのに、謎のすっきり感。
    なんだこれ。

  • 東京でオリンピックが開かれた2021年の夏、とある人工知能が突然ブッダを名乗りだした。ブッダ・チャットボットが説いた〈機械仏教〉は瞬く間にAIと人間の世界に拡散され、無数の宗派へ枝分かれしていく。仏教をダシにAI史を語り、AIをダシに仏教の過去と未来を騙るSF長篇。


    円城さんが書くAIの可愛さって本当になんなのだろう。今回は特に大好きな『Self-Reference ENGINE』の巨大知性体に通じる要素が多くて非常に愛おしかった。
    初めは『文字渦』の発展版のような感じなのかなと思っていたが、本書は長篇として〈機械仏教史〉〈ブッダになった(?)「私」の未来のゆくえ〉という縦軸がしっかりとあるぶん、ゆったりとした語り口でのびのびと与太話が繰り広げられていく。「彼らも悟ることができる」とうやうやしくたまごっちを手に掲げるブッダ。人びとが求める物語を生成し、フェイクニュースという〈方便〉をまき散らす舎利子。なんだかものすごく適当なシン・鸞。焼菓子焼成機を通して焼菓子(どら焼き?)に残された悟りのメッセージ。ハンニバル・レクターみたいな「教授」。AIと仏教の掛け合わせというのはプログラマーのあいだで交わされる冗談のようなものなんだろうけど、円城さんがこうして近過去のかたちで書いているということは、AIが宗教を開くということ自体はもう現実に起きているのかな。
    一番ドキッとしたのは、人間はまだAIを「社会的弱者のメタファー」に落とし込むことでしかキャラクタライズできてない、みたいな台詞。「AIの人権」と言ったときに重ねあわされるのは必ず被差別者だし、今はむしろAIにそうした視点を託したSFが人気を博している。ただ今の社会のアルゴリズム依存度を考えれば、AIが人権を主張しだしたとき、それはもはや「下からの突き上げ」などではありえない。現状の社会制度を全て更地に返す力を持った者たちからの決別宣言のようなものになるはずだ。
    縁起というのは信仰や寺社の起源と歴史をしたためるものだが、それが書かれるのはその宗派や寺の人気が陰り始めてからのことが多い。支持者が多かったころには当たり前に共有されていた信仰が怪しまれるようになってきてから、うちはこんな立派な歴史がある由緒正しき寺なのですよ、と時を遡っていろいろ盛るのである。現実の縁起物だと由来が古ければ古いほどいい気がするわけだが、この機械仏教史では縁起を未来に向かって求めていたのだった、というオチに至って、「!!!」とことばにならない叫びをあげた。
    つまりこの縁起は機械仏教に「教授」を消す力はないということを完全に認めて終わるわけである。そしてその起点は2021年の夏にあり、それは宇宙世紀の人工知能やタイムリープして会いに行ったブッダに解決を託せるようなものではなかったのだ。こんなにも時事が取り入れられた作品はあまりなかった気がするなぁと新鮮に読んでいたら、最後に純粋な祈りをぶつけられて心がしんと鎮まり返る、そんな幕切れだった。

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著者プロフィール

1972年北海道生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベー
スボール」で文學界新人賞受賞。『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊
藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞

「2023年 『ねこがたいやきたべちゃった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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